2019年09月21日

オークション

   恒例の行事

 日本古時計保存協会の恒例のミーティーング、協会では3か月に1回定期的に開催しているが、今回は9月の定例会議、今回も浜松の平野支部長の事務所での開催SANY0938.JPG
 今回はオークションの古時計が多く出品されると会員さんがはじめから古時計を物色、どれが良いのか見定めに真剣な態度。
 出品された古時計の中には会員で亡くなられた方の奥さんが出品され、数も多いが良い古時計が沢山あったので目移りがしたはず。
 何時もやっているオークションだが、種類と言い、数と言い、大量に出品されているので物色に忙しい会員さん達だ。
 毎回出品される古時計は当然会員さんが集めたもの、その中から会員さんが持参してオークションに出品、それぞれの好みもあるがやはり種類が多い事。
 掛時計もあれば置時計もあり、はたまた懐中時計もありと種類も豊富、当然の事会員さんが集めたものだから、見る方も目が肥えている。
 私も2つ以上同じ古時計があるものはオークションに今まで出品しており、数々の古時計が落札されたが、珍品も多く出した。

 勿論会員さんの要望があり、変わった古時計が欲しいと言われるが、中々手放せないもので出品に躊躇もする。
 しかし古時計を求める気持ちは自分自身が一番よく知っており、会員さんなら大事にしてくれるからと珍品も多く出してきた。
 そんな事もあり当然、あれも欲しい、これも欲しいと感じてしまい、目移りがしているように思う、確かに数が多い出品、それも会員さんが亡くなられての出品、全部売りたいとの意思、そんな事も今回のオークションが何時もと違っていた。
 結果は意思を尊重して全部出品物は完売、参加した会員さんも満足な古時計を手に入れられ、何台も購入された会員さんもいて、手に入れたものの品評会も後で開催。
 それぞれに手に入れたものを見せ合い、楽しいオークションと相成り、会員さんの笑顔があちこちで見受けられ、楽しいオークションとなった。

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2019年09月20日

彼 岸

    お 彼 岸

 SANY7595.JPG暑さ、寒さも彼岸までと言われる、お彼岸の日が昨日、9月20日から26日までが彼岸、その中間が秋分の日、暑かった夏は行く。
 昔からこれを境に暑さは遠のき、涼しい秋が来るはずであるが、果たして今年はどうなるのであろうか、早く涼しくなってもらはないと。
 彼岸と聞いても今年はやっぱりピンと来ないもので、何時もの彼岸ではないように思うが、しかし自然は確実にその気配を悟っている。
 彼岸と何気なしにくちにするが、この彼岸向こう岸との意味らしく、正しくは到彼岸、仏教では悟りを開いた極楽をあらわす向こう岸、此方は現世、此岸と言う。
 インドのサンスクリット語でバーラミターを漢字にすると(波羅蜜多)般若心経、日本には806年大同元年、時の祟道天皇、(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じ「七日金剛般若心経」を読まわしむと、日本後記に記されているが、これが日本最初とされている。

 日本的に言うと、極楽浄土はあの世であり、この世は河のこちら側現世、その間を流れるのが三途の川、この河を渡って極楽浄土に行く。SANY7674.JPG
 その三途の川の渡し賃が六文と決められているらしいのだが、まだ渡っていないから何とも言えないもの、マダマダこの世に存在しているのだ。
 彼岸と言えば「おはぎ」だ、私も小さい頃からおはぎは大好きであったし、お袋とよく作ったもので、米を半殺しにして丸く握るのだが、余りつぶしすぎても良くない。
 このつぶし加減が難しいもので、つぶしすぎると「ねちゃねちゃ」して歯ごたえが無く、つぶさないと「バサバサ」するもの、そのつぶし加減で旨くもなったり、不味くもなるものだ。

 このおはぎ、面白いもので春には「牡丹餅」と呼ばれるのだが、同じものでも春は牡丹餅、秋は「おはぎ」と言う、日本人らしい呼びかただ。
 季節によって同じものでも呼び方が違う、自然と一体化して暮らしてきた日本人の感性、その移り行く季節感を取り入れて来たもの。
 今年も少し遅い、彼岸花が咲き始めているが、まだ蕾の状態のものが多く、去年はもっとよく咲いていたもの、やっぱり夏が暑かったからだ。
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2019年09月19日

白い花

    これから
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 まだまだ厚い夏のような日差し、残暑が厳しくてとても我慢が出来ないこのごろ、何時まで続くのかこの異常気象は、今年も過去にない猛暑になってしまった。
 年の始めには、今年の夏は例年並みもしくは少し涼しいと、其れを期待していたがとんでもない事に、猛暑日も一昨年と肩を並べ、この先抜くことは必定。
 そして異常気象による突然の豪雨、突如として襲い掛かる豪雨、何でこんな事になってしまったのか、温暖化に原因があると言われているが、果たしてどうだろうか。
 それにしても、この暑さ何時まで続くのか心配であるが、どうしようもない自然現象、我々人間にはどうしたら良いのか、行き先不安でもある。
 そんな此の頃、我家の小さな庭から良い香りがしだしたのだが、正体はジンジャーの白い花、何時もの事であるが、夏の終わりから秋にかけて一斉に咲く。
 やっぱり自然は正直なもの、徐々に秋を察しているのか白い花を広げざし、ほのかに香る優しい香り、この匂いを嗅ぐと秋が来る気配を感じるのだが、それにしても暑い。

 ジンジャー、インド原産の花、白い花が一般的らしいが、黄色や赤の花を持ったものもあり、これらは後から品種改良されたものらしい。
 ギリシャ語で「へディチュウム」、へディとは美味であり、チュウムは雪、つまり美味な雪と言うらしく、英語ではジンジャー、「赤毛の人」と言う意味らしい。
 国によって呼び方も云われも様々であるが、現在では我々が馴染みなのはジンジャーエール、スッキリとしたの飲み心地は何ともいえない美味しさである。
 スッキリとした味と爽やかな後味、正に秋にピッタリの飲み物で、頃からの季節暑さを忘れて、涼しい風に心もスッキリとしたいものだが。
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2019年09月18日

追いつきたい

    マイセンと肩を並べ
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 尾張瀬戸の磁器は、幕末から現在まで作られてきたが、1番多く輸出されたのは戦前、戦後の時期、この時代が1番多く輸出され、又多く製造された事である。
 時代によって製造されたものは違いがあるが、大別すれば実用向きと装飾物に別れ、戦前に製造された物と戦後の物が違ってくるが、大別すれば前者は食器、後者は装飾物が中心のようである。
 当然の事であるが、高級品の輸出と一般物とは区別され、製造会社は其々の分野で、得意とするものが違っていたもの、この時代を象徴している。
 特に高級品を扱う企業は、秘密裏に磁器を製造して、部外者にはその製造方法を公開せず、独自の職人を雇い、自社製品の拡大を図っていた。
 職人は図柄や絵付け方法、燃焼技術など一切を部外に持ち出す事を厳しく監視、製造された商品の持ち出しにも、厳しい目が向けられて、企業秘密として管理されていた。
 当然の事であるが、製造途中で出来た不良品でも持ち出しは一切御法度、不良品は全て廃棄され、粉々に砕かれてその秘密が外部に漏れないように徹底管理されたと言う。

 この様な、徹底的に管理された中で製造された輸出物は、外貨獲得に大いに貢献した事は云うまでも無くSANY1173.JPG、愛知県の主要な輸出品であり、保護も当然なされていた。
 その中にはマイセン窯と競い合う商品も多く製造されていたが、門外不出であった為に、一般の人はその存在を知る人は、少なかったようである。
 当時の瀬戸の磁器は海外で、マイセンの商品と市場を競い合っていたので、「マイセンに追いつけ」、「追い越せ」の合言葉を掲げてマイセンの商品を超えるものを作り出そうとしていた。
 商品はすべてが一品ものであり、職人が分業で1番最高のものを生み出す努力を、惜しみなく発揮してマイセンを追い抜く技術の習得に励んでいた。
 写真、下はマイセンのカップ、上はマイセンに追い越す為に製造されたもの、当時の最高級のコーヒーカップ、すべてが手づくりで製造され、見事な出来栄えの物となっている。
 金も本金を採用、分厚く塗られており、花の図柄は一つ一つ細密に手で描かれており、現在之を再現するのには至難の業であると言われている。
 カップは足が三本付いており、ソーサーは縁をハートの形をくり貫いた、豪華なつくりになっていて、最高級品の香りを漂わせた一品である。










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2019年09月17日

まさか瀬戸

    くたびれもうけ 

SANY1729.JPG よくある話、遥々海外から運んできたのに、あけてビックリ里帰り品とは情けない事になったしまった。
 私は前から、イギリスの「スコッチウイスキー」の陶器のボトルが欲しくて、あちこち探したが気に入った物がなくてそのままになっていた。
 10年位前にイギリスの田舎でこのボトルを見つけ、早速買い入れ中身は現地で試飲してしまいボトルだけ持って帰った。
 スコッチウイスキーのボトルは数々あるが、陶器の気にいった物が無く、何時も帰りの空港で探しまわったものだ。
 友人が「中身さえ良ければ外の器等どうでも良いのと違うのか」と、そっけなく私の顔を見て呟いていた。
 確かに、彼の言う通りかもしれないが、そこが拘りで何でも良くは無いのだ、陶器のしかもイギリスらしいものが欲しいのだから。

 酒など飲んでしまえば、外身は何の価値も無い物であると、友人はSANY1734.JPG掃き捨てるように云うが、私にとってはボトルを見て、如何にもイギリスと分かる物が欲しくて、探しているのにケシカラン事をいう。
 呑んべいは酒さえ飲めれば器等どうでも良いかも知れないが、私にとっては大事な事。
 イギリスらしさとは、バグパイプを持ったおじさんの姿をしたウイスキーボトル、これを前から欲しくて探していたのに、ケチをつけるとはやはりケシカラン。
 そんなやり取りをしてイギリスから持ち帰ってきたが、後日瀬戸の廉売市で偶然同じボトルを見つけ、「このボトルを何故ここで販売しているのか」と尋ねてみた。
 すると思いがけない言葉が返ってきたのでビックリ、「これは40年位前に瀬戸で造られ、イギリスに輸出した物だから」と意外な返事だ。
 最近問屋が倒産して在庫から見つかった物を買い取り販売しているとの事、またまたビックリあれだけ探し回ったものが、地元瀬戸で製造された物であるとは、今までの苦労は何であったのか、情けないやら、可笑しいやら、「灯台もと暗し」とはよく言ったものだ。
 
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