2019年07月22日

今年も

   8回目を迎える

 我家でもプランDSCN1555.JPGターによるエコ対策をはじめ、ホームセンターで買い込んだ苗で即席の栽培を始めたが、最初の年はうまく行かなかったが、それでも収穫はそこそこあった。
 ある人に言わせれば「そんな栽培をするよりは買った方が早い」と、確かにその年の栽培は良くなかったが、それはそれで良かったと思っている。
 買った方が安いことは確か、トマトを栽培するのにプランターから苗、そして肥料と材料を買い込んで、収穫は僅か、それでは買った方が安いと言われても仕方がない。
 しかし、何かしないと居られない事もあり、エコ対策としてはじめたものだから、それにはじめてやるから成功するとは思っていなかった。
 そんな事で昨年は良い苗を買い込んだのと、去年の経験を生かして栽培に入ったから、結果は大豊作で、こんなに美味しいトマトが取れるのかと喜んだものだ。
 孫達もスパーで見るトマトと違い、プランターで栽培した物は、曲がったものや特別大きなものに驚いてもいたし、何よりも新鮮なものが食べられて、大満足な収穫でもあった。
 スパーで買うトマトとは全く違った味、露地栽培とは行かないがプランターでも、それは美味しいトマトが取れ、朝取りのトマトが食卓に上ったものだ。

 こんな小さな事でエコ対策になるのか、それは疑問でもあるが、気持ちだけでもと思いはじめ、緑のカーテンのように目に見えて効果が上がるものでもない。DSCN1554.JPG
 だからと言って無駄ではないと思っているが、それよりも友人は東北のものを買い込んでやった方が良いのではと云う、確かにそれも大事な事だ。
 東北のものを買い込むことで少しでも手助けが出来れば、手助けとは大げさな言い方、少しでも役に立ちたいとも思いは皆同じ。
 今年は去年と同じな苗を買い込んでプランターに植え、去年みたいな収穫を願っていたが、今年はそんなに上手く行かない様、葉っぱは大きくなっても実がならなようだ。
 ようやく小さなトマトがなり出し、やっと出たか安堵するやら、喜ぶやらで、去年とは違った喜びが湧いてくるが、これも栽培してこそのもの。
 近所の人に聞けば、「同じ土で2年続けて栽培してはならない」と聞く、それは前にも聞いたことがあり、プランターの土は新しいものだ。
 それでも上手くトマトは出来なかったが、遅くはなったがこれから沢山なる事を期待して、水やりに精を出さないと枯れる恐れがある。
 今年も暑い夏、水をやってもすぐに葉っぱがしおれそうに、トマトは良く水を吸い上げると聞き、丹念に水をやり続けているのだが。
 この先、遅れを取り戻して沢山の実をつけてくれる事を願って、水やりを欠かさないようにしなければと、やっぱり収穫する事は大変だと思う、この頃だ。






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2019年07月21日

ポスター

   今月は之

SANY0411.JPG 瀬戸市の古民家久米邸、私が常設している展示場の一つ、知り合いの所に自分の時計を置かせて貰っているが、その代わりと言っては何だが別の展示もしている。
 古時計を預かって貰っているのでせめても別のもので展示をと、訪問者に見て貰うのが目的でもあるがそれだけでは無い。
 自分のコレクションが段々と多くなり、置く場所もなくなってしまったから、頼み込んでの展示とも言える。
 何しろ目に付いたものを買ってしまう癖が抜けず、自分の知らないうちに数が増えてしまい、気付くと大変な事になっている。
 その時は一つ位はと思い、ツイツイ手が出てしまい買い込むことに、それが積もり積もって数が増える原因でもあるが、やめられない癖。
 知らない人は「色々と趣味が多彩で結構ですね」と言われるが、決してそうではなく変な癖があるから自分でも分かっている。
 然しながらこの癖、止めようと思っているがそれが中々止められず現在まで来ており、友人からは一生治らない病だと言われてもいる。

 そんな訳で今月はポスターを11枚展示をしているSANY0417.JPGが、見学者からは様々な意見が、それは年代が関係している事は確かなよう、つまり古い映画のポスターだから若い人にはポスターを見てもピンと来なくて、映画のポスターとは理解しているが、写真の人は知らない人と言うのだ。
 それもその筈、50年も前のポスターであるから知らないで当然、若い人には誰だか分からない人の写真、当たり前の事だがその反応にはこちらがガッカリ、何で知らないのかと逆にビックリする事になるが仕方がない。
 古い俳優さんの写真を見ても分かるはずもなく、当然と言えば当然の事、知らないで当たり前、50年も前の写真だから。
 しかし年配者の皆さんはポスターを見て懐かしがってもくれ、これはこれで展示した意味があったのではと自分なりに納得しているのが古いかも知れない。
 ポスターとしては良いもの、程度は非常によく保存されているから、現代のポスターと思う程の状態、懐かしく感じて欲しいと思っているのだが。

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2019年07月20日

美濃水団扇

    やっぱり特殊
SANY0818.JPG
 今回も岐阜県で製造されている団扇、全国でも有数の生産地、昔から製造されてきた土地柄、その歴史は古い。
 岐阜は近くに竹が取れ、古くから美濃和紙が製造されている土地柄、水団扇を製造するに最適な立地条件である。
 そんな立地条件の中、明治には製造がはじまったと言われ、水団扇は美濃和紙を使い造られるようになった。
 この水団扇、他の産地との差別化を図った商品であり、岐阜独特の団扇、それを実現したのが美濃和紙である。
 和紙の中でも雁皮紙と言う繊維の細かな紙が使用され、透明感と光沢、そして強さと美しさを兼ね備えた和紙を使った事だ。
 特徴は天然ニス、雁皮紙の上にニスを塗ることにより、透明感と水に強い紙が出来上がり、そんな状態の和紙の上に、団扇職人は更なる技を試みるが、それも雁皮紙ならではの特徴を生かしたもの、それが水団扇。

 写真の水団扇、色々な図柄が描かれているが、よく見ると向こうが透けて見え、それが職人の技でもある。
SANY0851.JPG
 普通は透明の状態の上に図柄を描くことになるもの、しかしそれを逆手に取り、全体に色塗りを施し、ある部分を白抜きにする。
 その白抜き部分を利用して柄を造り出し、清涼感を造り出すのだが、色々な趣向を凝らしたものが出来上がる。
 あるものは船を白抜きにして浮かび上がらせたり、あるものは花の形に白抜きにしたり、白抜きの部分に山水画を描いたりと職人の腕の見せ所でもある。
 この白抜きの部分、たんに白抜きしただけのものではなく、ある特殊な効果を狙ったもの、暗くなり灯りが付くと、白抜き部分が透けて見える。
 団扇を仰ぐごとに、その白抜き部分が浮かび上がることになり、暗い中ひときはその部分が強調され、これは雁皮紙の性質を知り尽くしたうえでの技法、雁皮紙ならではの透明感を利用した職人たちの腕でもあるのだ。
 
 

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2019年07月19日

知らないうちに

      動かなくなった

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 友人から電話でオルゴールが動かなくなったと連絡、何のことかと聞くと「展示してあるオルゴールが動かない」と言うのだが、そもそも動かす為に展示してない。
 友人の経営する店にインテリアとして時計等のアンティーク物を置いてあり、時期が繰るごとに展示内容を変え、一年中展示してあるのだ。
 友人の店には、これ目当てのお客さんが来るので、常時色々な物を展示して見て貰っているもので、今回のオルゴールもその1つである。
 今回のオルゴールは聞いてもらう為に置いてあるのではなく、単なるインテリアとして置いてあるもの、だから動かしてはいないものなので何で動かなくなったのか不思議だ。
 今までにも良くあることだが、お客さんがいじって壊した事もあるのだが、今回の物は高い位置に置いてあり、普通の人では触れないはず。
 SANY0860.JPG友人の電話では分からずに明くる日店に出かけ、オルゴールを見ることに、動かないと言うものは鳥籠のオルゴール付き、籠の中に鳥が二匹おり、この鳥が鳴きながらオルゴールも鳴るもの。

 そんなに古いものではないが鳥が動いて鳴くので人気があり、目で見て、聞いて、楽しむ物なので面白いが、メカが複雑な物なので直ぐに調子が悪くなる。
 その為に高い所においてあり、普通は触れないのだが、何で動かなくなったのか原因があるはず、仕方なしにオルゴールを手に取り調べることにした。
 するとネジが一杯に巻かれ、どうしようもないほどなっており、バネを戻さないと動くはずもない状態に、何でネジを一杯巻くのかと聞けば、友人「俺以外に巻いた者はいないはず」と言うが、事実ネジは一杯巻かれている。
 友人に「この鳥籠を動かして誰かに見せてのか」と聞けば、「時たま知り合いが来た時に動かして見せた」と言う、そんな事で誰かが友人の知らないうちに動かしていたようだ。
 この様な精密な機械のものは無理にネジを一杯巻いてしまうとバネが戻らず、歯車も痛めてしまうので絶対にしてはいけないのだが、知らない人はよく巻いてしまう。SANY0881.JPG
 このような状態になると、分解してネジを戻さないと動かないが、これが厄介な事になるのだ、と言うのも幾つかの部品が複雑に重なり合っている為に、非常に面倒な作業となる。

 私も以前に分解したまでは良かったのだが、組み立てるのに四苦八苦して、結果は専門の業者に持ち込んだもので、修理代も高く付いた。
 今回のこれも、分解しようと本体を外してみたが、やっぱり以前の事もあり、これ以上分解するのを止め、バネをゆっくりと戻そうとしたが、これもダメであった。
 ストッパーを外して、ゆっくりと回転させれば良いのだが、失敗するとゼンマイの力が強く、歯車を全部ダメにしてしまう恐れがあるのだ。
 この様に、こちらが予想しない事態になるのも展示の怖いところ、友人も「何時の間にか触っていたのか、注意しないと」と肩を落とすが、これも展示の難しさだと思う。
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2019年07月18日

蕎麦切りのはじめ

    発祥は何処だ

 SANY0396.JPG蕎麦、日本人なら誰しも親しんでいる食べ物、古くから食べられてきた食べ物、現代ではラーメンが国民食と言われる様になり、少し蕎麦はランクが落ちた。
 蕎麦は東日本、うどんは西日本と言われる様に日本でも東に人気、今では江戸蕎麦が主流と言われ、細くて白いそば良いとされている。
 しかし、もともとの蕎麦は少し黒い蕎麦、皮ごと粉にして打つために黒くなり、本来の蕎麦の味だと思う、その黒い蕎麦を白くしたのが寺方蕎麦。
 蕎麦の実を磨いて、白い部分だけ取り出し打った蕎麦が更科蕎麦、そばの上質な部分だけの粉を蕎麦にして寺方蕎麦としたのだ。
 一般庶民の食べる蕎麦と上流社会の蕎麦、田舎蕎麦と更科蕎麦、蕎麦にも種類が色々とあるが、その土地に根付いた色々な蕎麦があると思われる。
 現在我々が食べている蕎麦は、江戸後期のものと言われるが、実際に蕎麦の変遷は処により違いがあり、はっきりとした立証は難しい。

 例えば関東は蕎麦圏と云われ、関西はうどん圏と云われ、其々の特徴があり、これも又時代により変遷を繰り返しているから、SANY0597.JPG文献などの立証も難しい。
 江戸時代は蕎麦切りと呼ばれていたもので、それ以前は蕎麦を切った現在のような長い蕎麦ではなく、蕎麦がきのように練った蕎麦であった。
 その他にも色々な食べ方はあったが、練った蕎麦を板状に伸ばして、それを切り長い状態にして食べたのが蕎麦切りと呼ばれるもの、この蕎麦が現在の蕎麦の始まり。
 各地でいろいろな所が蕎麦の発祥だと言われているが、シッカリとした文献や立証できる証拠はなく、言い伝えだけのもの、其々に言い伝えが存在しているのも確か。
 地元の言い伝えは自分本位の伝え方、伝承として伝えられたもので根拠に乏しいもの、それはそば切りが各地に伝わって行く過程において生まれたものだ。
 特に大名が国替えされると、当然蕎麦職人もそれに従い国替えとなるので、その土地、土地、伝わった全国に広まったものだと言う、だからこそおらが最初であると言いたいのだと思う。

 信州から伝わった事がハッキリと分かっている例は、信州高SANY0599.JPG遠藩の保科政之、国替えとなり会津藩に行く、その時高遠のそば職人を連れて会津に。
 高遠蕎麦が会津に伝わり会津蕎麦となり、信州上田藩の仙石政明は出石藩に国替え、これも上田から蕎麦職人を連れて出石に、出石蕎麦となる。
 この様に事は江戸時代は日常茶飯事、国替えによってそっくりと移り住む事により、その土地の蕎麦もまた移る事となり、蕎麦切りが伝わった。
 その源はやはり信州である事は紛れもない事実、大阪砂場に伝わる伝承もハッキリとした証拠もなく、信州発祥が立証されているのは確か。
  写真は蕎麦発祥地の木曽須原宿の定勝寺、この寺の記録に1574年寺の改築工事に蕎麦切りが振舞われたと記録されており、蕎麦切りの文献で1番古い記録となっている。









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