2019年12月16日

友人を偲び

   若かりし頃
 木曽路は私にとっては思いで深い土地、たじまや.jpgはじめてここを訪れたのは高校時代、夏休みに友人と出掛け妻籠と馬籠に泊ったが、それ以来何度となく訪れた場所。
 その友人との思い出の宿が但馬屋、前の日に妻籠の生駒屋で泊まり、馬籠峠を越えてこの但馬屋に泊った。
 その時はまだ街道ブームでもなかったから、泊り客は少なく我々と別のグループだけ、確か7、8人の泊り客であったと思う。
 当時は馬籠宿も静かな所で、特に夜になると人の声が遠くからでも聞こえて来る静けさ、そんな状態であった。
 今では考えられない位の静けさで、表を歩く下駄の音が遠くから聞こえてもしたが、宿は賑やかであった。
 それは夕食後、但馬屋のご主人が炉端で木曽節を教えてくれたから、それも政調木曽節、今詠われているものとは少し違い、テンポも遅く哀愁に満ちた歌い方。
 それを懐かしい炉端で聞くから、一層の旅心を誘い、今でもあの時の木曽節は頭の中にこびりついている。

 その後、この但馬屋は何度となく通い、特に思い出のある部屋は街道に面した西の角部屋、ここ部屋で友人3人とよく泊まった。
 角部屋であるから西の窓から下に伸びる街道が良く見え、秋などは夕日の落ちるのをジックリと眺めていたのを思い出す。
 そんな友人の一人が若くして癌で逝ってしまい、彼が生前病が治ったらまた旅をしようと言っていたが実現しなかった。
 彼がこの宿に来たかったのだと、そんな思いで12月には彼を偲びこの宿に泊まる事にしているのだが、この所少し遠退いているから、今年こそ行く事にしている。
 12月は暇な時期だから、角部屋も予約すれば取れると思う、あの部屋から彼を偲び夕日を見たいと思っている。



posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月15日

茅葺き

   厚みがすごい
 日本家屋であった茅葺きの家、以前いしぐみ.jpgは田舎へ行けばそこそこみられた民家、しかし現在では見る事が稀で、姿を消してしまった。
 現存している建物は白川郷や指定された公園などで移築され、それを見ることは出来るが、日常では見かける事もないのだ。
 そんな茅葺きの家屋、何となしに分かったつもりでいるが、実際にどの様にような建物なのかと聞かれれば答えられたなと思う。
 然しか我々の周りから消えたしまった茅葺きの家屋、何故姿を消しているものなのか、それは維持する事が大変だから、消えて行く運命なのだと思う。
 では茅とは何ぞやと説明しろと言われれば説明する事は出来ないと思うが、ただ何となく分かったつもりでいるから不思議である。
 それは見た事があるから分かったつもりでいるだけの事、茅がどんな物かも知らず、おぼろげに分かっているだけで、これだと言うこと出来ない、昔は目にしたことがある茅のある風景、それが現代では見る機会はなく、見ていたもそれが茅だとは気付いていない。
 茅とはイネ科の植物で、ススキやスゲ、茅を指すが以前は専用に栽培していたが、現在は栽培も下火になり、必要な分だけ栽培している。かや.jpg

 日本全国に生えている植物で手に入り易かったが、今では中々難しくなってしまった。
 茅科の植物で特に屋根の素材として用いられ、大量にいる事が毎年刈り取り屋根をふくために溜めておき、その材料で屋根を葺く事になる、何気なしに茅葺きの屋根を見ているが、実際に屋根をじっくりと見れば茅の厚さに驚かされ、これだけ厚く葺かないといけないと感心する。
 屋根の厚さは1メイトル位も厚く、大量の茅が必要である事に改めて気付かされ、何処から調達するのかと逆に心配となるものだ。
 今はこんなに茅がなく、これを葺く為には技術と共に多くの人材が必要、その為に現在では茅葺きの家屋が姿を消した最大の原因であると言う、やはり改めて見て日本家屋は土地のものを利用して造られている事に気付き、保存が大変であると再度認識されるのだ。
 それにしてもあの厚さは凄く、あれだけ厚くないと屋根も持たないと教えられる事に、やはり日本家屋は凄いと感心する事しきり。


posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月14日

忠臣蔵真実は

   忠臣蔵始末記
 SANY0434.JPG
 映画47人の刺客、これは忠臣蔵を現代的に解釈したもの、衣装は忠実に再現、昔の伝えられた姿とは違う、真実らしく見え、この方が史実に忠実といえ、やはり芝居の姿とは違いがある。
 元禄15年12月14日赤穂浪士47士吉良邸に討ち入り、世に言う赤穂事件であり、忠臣蔵討ち入りの事実、日本人好みの仇うちである。
 時は元禄、武士の世も平穏無事で戦はなく、武家社会もマンネリ化を来たしていた時期、突如として起こった仇うち事件、日本中が大騒ぎ。
 300年を経過した今でも忠臣蔵として語りつくされて来たもの、日本人の好きな、艱難辛苦に耐え、主君の仇討ちをしたこの事件であるが、しかし、この事件の真相は藪の中、果たして浅野内匠頭が人情に出た真相、何故吉良上野介に切りかかったのか、しかも殿中での事、ご法度を無視して。SANY0441.JPG
 この真相が明らかになっていないのは、当時素早く処理をしたので、事実確認が疎かであったのと、幕府が処理を誤った事に由来するとも言われている。
 実際に事件のあった松の廊下は、昼間でも薄暗くて、相手をハッキリと定められるのは近距離でしか発見できない状態であったから、浅野が吉良に切りつけたのは至近距離であった。
 にも拘らず短刀で切りつけるとは武士としておかしい、本来なら刺すのが当たり前、切りつけても命は取れず、武士として聊かの疑問が残る。

 浅野が武道に対して素養がなかったのか、それとも吉良が逃げ回った為、刺せれなかったのか、疑問だらけでもあるのだが、事実は切りかかったようだ。
 殿中での抜刀は御法度、しかしこれ以前にも似たような事件は起こっており、首謀者も切腹はしていないようで、何故浅野だけが即日切腹されられたのか。
 ここにも当時の定に疑問だらけ、それは兎も角、忠臣蔵では赤穂浪士が主君の仇討SANY1303.JPGちを遂げることが出来たが、何故襲撃が成功したのかも疑問でもある。
 当時は夜半ろとうを組むこと事態不可能、夜間は大勢で武器を持って歩くことすら難しい情勢であったので、ここら当たりも何故吉良邸まで見つからなかったのか。
 浪人が武装して夜半団体で行動すれば、検問に引っ掛かるはず、まして武装集団であり、取締りがあっても不思議ではないのだが、如何して網の目を潜る事が出来たのか。
 そして吉良邸へ討ち入りした時にも、当然物音もして近隣に聴こえるはず、ましてや討ち入った人数が大勢、騒ぎが大きくて近隣から番所に通報が行くはず。
 しかも明け方まで死闘が繰り返されており、長時間の騒ぎが番所や奉行所に伝えられなかったとは不思議なことであり、ここら当たりも疑問の事件。
 赤穂浪士は吉良を討ち取り、主君の菩提寺泉岳寺までろとうを組んで行動、この間も何の取締りもないまま、泉岳寺に到着、全く不思議だらけの事件であった。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月13日

からくり

   簡単な

 時計の中でからくりが付いているものは人気が高SANY2815.JPGく、同じ時計でもからくりが付いている物が売れると言う事、付加価値が高くなると言う。
 当然であるが付加価値を付ければその分コストは高く付き、コストの高い分値段も高くなることに、それを補う売り上げがあるのか。
 もともとカラクリは普通の時計より付加価値を高めるために造られたものだから、当然値段が高くなっている。
 勿論時計の価値を高めることは確かだが、高級品の時計にカラクリが付くよりも、普及品の時計にカラクリが付く方が多い。
 それはより販売を上げるために少しの手間でカラクリを付け、売り上げ効用を狙った時計が多く存在している。
 そんなカラクリ時計、如何に簡単なカラクリを作る出すのに研究され、他社との価値観を付加価値として造り上げられたものだ。

 一つは普通の目覚まし時計にカラクリを付けたSANY2920.JPGもの、目覚まし時計は通称へそ時計と言われ、各家庭に浸透している時計、何処の家にもあった時計だ。
 そのへそ時計にカラクリを付けたもの、肉屋が肉を包丁で切っている所、腕が上下に動くもの、片方の時計は夫人の目玉が左右に動くもの、これも簡単な時計に写真を付け、その目が動くようにしているもの、これも装置は簡単な仕掛け、両方とも動く事で普通の時計と差別化を図っている。
 コスト面も高くならない様に、最少の部品でカラクリ仕掛けを完成させている事が、2つの時計に共通している事だ。
 手間もあまりかけず、部品も多くせず、それでもってカラクリ仕掛けを完成させる、苦労が見えて取れる時計だと思う。
 しかしどけだけ売上向上に繋がったのかは分からない、それが現存している時計が少ないので、あまり売れなかったのか。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年12月12日

鬼門

   風水開運SANY7693.JPG
 我が家の鬼門は北東、昔から鬼門から邪気が入ると言われ、以来北東は鬼門の方角、邪気が入らない様にお祓いをするのが習わし。
 日本人は古来より風水や陰陽道に従い色々な災いごとが入らない様にお祓いをして来た民族と言われているが、もともとは中国より渡来の風習とも言われる。
 鬼門には表鬼門と裏鬼門とがあり、北東の反対に南西の方角がそれにあたるらしい。
 その為に鬼門には玄関やトイレなどを作らない様にする事らしいが、住宅事情によりどうしてもそこに水回りが来ることがある。

 特に日本では土地が狭く、現代の住宅事情SANY7700.JPGでは中々避けられないもので、鬼門に玄関が来ることになり、そんな折には魔除けとしてお札を張り、邪気が入らない様にお祓いをするのも日本人らしい。
 そもそも鬼門とは陰陽道から来ているらしく、京都では平安時代には盛んに陰陽道により鬼門にはお寺や神社を置き、邪気が入らない様にしていた。
 現在の京都でも鬼門は避けて家を建築しているとの事、我が家も鬼門にトイレがあり、あまり良くないからお札を張って邪気を払っている。
 そんな折に友人が魔除けとして鬼の面を持って来てくれ、玄関においておけば邪気が入らないようになると言うので、玄関にドッカリと鎮座している。
 有難い事に友人は我が家の事を考えてくれ、わざわざ自分で造り上げたと言う、力作が現在邪気を払ってくれている。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記