2018年11月22日

買出し屋

      裏方さん
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 骨董業界は分業制と言ってよい、骨董店を開いている人、骨董市場を開いている人、骨董を買い出して来る人とその道に分かれている。
 どんな業界でも分業制はあるが、骨董業界もその1つ、色々な分業によった成り立っているので、その仕組みもまた面白いものだ。
 我々が目にしている骨董品、直接売り手から買い手に届くのではない事は知っているが、色々なルートを経て我々の手元にやってくるのだ。
 大抵の場合は骨董市場と呼ばれる競り市が存在し、殆どの業者はこの競り市で商品を手にするが、それ以外でも持ち込まれるものもある。
 売主が直接業者のもとに売りに来る場合もたまにあり、全部が全部セリ市場で調達する訳でもないが、大体はセリ市場での購入だ。
 この競り市は全国で様々な場所で開催されており、ここに商品を持ち込んで来るのが買出し屋と呼ばれている人々、この人達はありとあらゆるものを扱うのだ。
 買出しとは旧家等の家に行き、古いものを買い求めるのが仕事、蔵や納屋などに眠っている骨董品を買い付けるためにあちらこちらの出向く。
 彼らの情報は競争であり、人よりも先に良いものを求めて探し回る達人、兎に角良く知っているもので、少しの情報でも飛んで行く事が仕事。SANY8590.JPG
 良いものがあるか、それともガラクタなのか、どんなものがあるのか分からない時も、暇を惜しんで買出しに精を出す仕事、兎に角回らないと物が集まらないのだ。

 私の知り合いの買出し屋は全国を回り、ありとあらゆるものを買い出して来るが、その中には珍品と呼ばれるものも、そんな事もたまにはあるものだ。
 何が出るのか分からないのもこの仕事、当たりはずれの多い商売でもあるが、そのスリルがたまらないのだと知り合いは言う、良い物を掘り出したときの喜びが忘れられないとも言うのだ。
 そんな事が好きでこの商売をやっているから、別にガラクタが出た時はあすに期待して落ち込まない事、明日は良いものが出ると信じて回るのだとも言う。
 彼らがいなければ我々が骨董品の時計を買うことは出来無いもので、全国から時計を買い出してくるから、競り市にも骨董品が集まるのだ。
 言ってみれば彼らは、裏方さんと呼ばれる人達、販売業者も彼らがいなければ商品を買う事が出来ないので、買出し屋はやっぱり裏方SANY8569.JPGの存在だ。
 そんな買出し屋から、私は良い時計を幾つも買わせて貰ったもので、非常に時計蒐集には欠かす事の出来ない人たちだと思っているのだ。
 これからも彼らが良い時計を買い出して来てくれるのを期待したいし、まだまだ眠っている時計があると思う、頑張って欲しいものだ。
 大珍品の時計を買い出してきてくれる事を願っているのだが、何時出てくるのか分からないのがこの世界、良いものが出る事を期待したい。

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2018年11月21日

くろねこ

      黒猫の表と裏

DSCN0978.JPG 黒猫に付いては色々な説があり、どれが本当か分からない位存在するが、実際の黒猫は性格がおとなしくて、人なっこい性格であると動物学では言われているらしい。
 西洋では魔女の使いとして嫌われていたり、その反面悪魔から災いを避けてくれると信じられてもいるらしく、此方も善悪が同居しているようである。
 日本でも、昔から黒猫に付いては色々な良くない説があるが、そんな事は当の黒猫本人は迷惑な話に違いなく、人間様が勝手につけた濡れ衣でもある。
 よく言われて来たのはクロネコは不吉な予感のする猫のイメージ、あの黒い色が不吉とされ、クロネコを見ると良くない事が起こると言われた。
 昔の人は黒色には良くないイメージが付いて回ったと言われ、それが猫にも向けられて行ったと言う事、たしかに神秘的ではある。
 然しながら本当にクロネコは不吉な猫であるのか、その姿とは別の面を持っていると飼い主たちは言う、色で決めつけるのはおかしいと。
 事実、家庭で飼われている黒猫は、やっぱり人なっこい性格のようで、おとなしくて家庭的な性格で、飼うのにも飼いやすく癒されると評判は良いようである。くろねこ.jpg

 黒猫でも、種類が沢山あってどれが良いかは好き好きであるが、人気の高いのは目の色が金色、ブルーだそうで、特に金色が良いそうである。
 実は、招き猫も商売繁盛には黒猫の招き猫が好まれるようで、金色の目が暗闇の先を見通せると信じられていて、商売には縁起が良いとされているから、やっぱり厄除けにご利益があるようである。
 写真の下の黒猫の招き猫、実に堂々としていて、手を挙げた姿は如何にも威厳があり、之を製造した作者は良い腕の招き職人であったのではないだろうか。
 高さ60センチ強と大振で、程度はバッグンに良く、ご利益が如何にもありそうで、ツイツイ拝みたくなるような招き猫である。
 とにかく黒色の猫は雰囲気はほかの猫たちとは違ったもの、独特の雰囲気がある。
 やはり神秘的なイメージを持っている猫、そのが最大の持ち味でもあり黒色の招き猫は、その雰囲気から愛好者が多く、今では引っ張りだこの人気を誇っている。
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2018年11月20日

郷土玩具

    全国各地

SANY8477.JPG 郷土玩具とは、その土地土地で造られた素朴な玩具をさし、日本各地に存在しているもの、古くから作られたものもある。
 主に農閑期に内職としてつくられたと言われており、土地土地の材料で素朴なものがつくられ販売された。
 各地に伝わる郷土玩具、その土地の言い伝えや昔話を題材にしてつくられたもの、祭りなどを象ったもの、伝説を題材にしたものなどがある。
 いずれも素朴なものが多く、簡素で温かみのあるものが多く、土地土地に根付いた復職の産物であると言えよう。
 材質を見ても、その土地で容易に手に入るものを使用してつくられており、原価的にも安いもので仕上がっている事だ。
 勿論、それが本職でないものがつくるため、大量に生産されることはなく、あくまでも農閑期の復職であった。SANY8482.JPG
 そんな中、日本三大人形と呼ばれる郷土玩具、長崎の古賀人形、京都の伏見人形、仙台の堤人形がそれである。
 その中でも京都の伏見人形は歴史が古く、伏見稲荷の門前で売られていたもので、復職とは少し違っている。
 お稲荷さんの土産物として売り出され、人気を博した人形で他の郷土玩具と一線をかくしているが素朴さはそのままである。
 この人形が全国に広まり、郷土玩具の見本となった事は確か、各地で盛んにつくられるようになり、土着化して行ったようだ。

 相良人形、この人形も又その流れをくむもの、堤人形の影響を受け特徴を受け継いで入るが独立した人形でもある。
 寛政年間に始まったと言われSANY8483.JPG、御用窯を辞した相良清左衛門が窯を開いたのが最初と言われているが、その後断絶したものを7代目の相良たかし氏が復興したものが現在に至っている。
 現在は8代目が受け継ぎ制作されおり、相良人形の伝統を受け継いで工房で製作がされたかし氏後を追っている。
 写真の相良人形は私が米沢の工房を訪ねた時に買いもとめたもの、はじめて会ってからすでに40数年が経っているが、その時の感激は今でも覚えており、大事に持って帰った記憶が鮮明に浮かぶのだ。
 伝統的でありながら独特の彩色、新しさと古さの競演、初めて目にして直ぐに気に入った郷土玩具と言えよう。
 それ以来我が家では毎年出して飾り、相良人形の雰囲気を楽しんでいるが、雛人形は首が取り外し出来るので気お付けなければならない。
 素朴な郷土玩具、最近また陽の目を見出したと聞いているが、どれ程の人気かは分からないが続いて欲しいものだと思う。


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2018年11月19日

ネタが尽きた

      何処にネタが

 SANY8470.JPG毎日更新しているブログ、はじめてから丸8年になり自分でも信じられない気持ち、良くも続いたものだと感心する。
 当初はこんなに長く続く事は予想もしなくて、単なる遊びではじめた事、友人からは「何時まで続く事やら」とか、「そんなに気張らなくても気楽に行け」とか、色々な言葉を貰った。
 勿論自分自身もそんな事は考えず、軽い気持ちで始め、何時でもやめる気持ちでいたのだが、ツイツイやめる時を外してしまった。
 今にして思えば何で早くやめなかったのかとツクヅク後悔している毎日、それも夜が来ると気持ちが強くなる。
 「今日もブログを書かないと」、そんな思いが持ち上げて来るのも夜、12時までに更新しなければならないと焦ってしまう。
 別に罰則がある訳でも無し、書かないからと言って誰も怒らないが、夜になれば何時ものように気持ちが焦って来るのだ。
 人間なんて不思議なもので、昨日と同じ様でなければ不安になり、何故かそれを続けたいと思ってしまうものでもある。
 友人は「同じ事を書くならばやめておけ」と忠告してくれ、そんなに書けないならやめろとも言うのだが。

 確かにその通り、くだらない事を書くのであれば書かない方がよくSANY8464.JPG、恥をかくだけである事は承知しているつもり。
 5年間続けている雑誌もまた同じような事、中々記事を書く事が出来なくなり、読者に失礼になるのだとも思う。
 物書きとは大変な事だとつくづく思う日々、どうして小説家はあんなにスラスラとものが書けるのかと感心する。
 ある作家は本文よりもネタ帳の方が多いと聞く、十分な下調べを行い膨大な資料を基に本文を書くと言う。
 生半可な資料だけでは到底書けない文章だと言うが、それでなければ良いものは書けないと思うし、それが小説家でもある。
 一流の小説家は膨大な資料の中、想像を膨らまして文章を書くのであろう、我々のおよびもしない苦労をしているのだと思う。
 文章とは一度書いてしまえば永久に残るもの、失敗は許されないもので後で後悔しても何時までもそのままである。
 だから恐ろしいものだと気付くが、素人はそんな難しい事は出来ないから、武運相応のもので良いのではと、そんな妥協で今日も過ぎて行く。
 しかし、今日は何のネタで書くのか、それすら思いつかない日、そんな日はキリキリの時間まで悩むことになる。



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2018年11月18日

お気に入りです

      好きなものは手元に

 SANY0629.JPG誰でも、自分の好きなものは手元において置きたいものだが、其れがどんなものでかまわないもの、人が首をかしげる物でもだ。
 自分が好きであればどんなものでも、人がなんと言ようとも、それが好きだから、誰でも自分の好きなものを人からとやかく言われたく無いものだ。
 自分が好きならそれで良く、手もとに置いておきたいのだが、されとて人の目も気になるとは人の常、私もその1人で人からとやかく言われたくない。
 友人がこの時計気に入ったから貸してくれと言い出し、自分の店に展示したいと言う、結構な事、置き場所にも困っている現状、願ってもない事だ。
 友人は自分の気にいった時計を物色、何点かを選び出して持っていったが、後日友人の店に行ったら、棚にその時計が並べてあった。

 置時計ばかり持って行ったのでこちらは大助かり、掛時計と違って置時計は場所を取る、多すぎると置く場所に困り、ダンボールの中に。
 そんな事より友人の店で展示した方が余程良い、その時計は棚に並べてあったが、私の家に居た時よりも居心地が良さそうだ。
SANY0637.JPG 他の時計達と一緒に棚に澄ました顔で並んでいるのを見ると、何だか嫌味みたいな気になって来るが、それは気のせいなのか。
 家に居る時は部屋の隅に積み上げてあったので、ここではお客様扱い、澄ました顔で居るのが滑稽に見えてくるが、彼らは余程喜んでいるようだ。
 友人が気に入った時計をスケッチして、その時計の隣に展示してあり、如何なも高級な時計のように見えてくるから不思議だ。
 友人は絵の専門家でもあるから上手いのは当たり前だが、こんな形で展示すると如何にも雰囲気が良く、まったく別の時計に見えてくるのだから不思議。
 多少錆びていても、それは歴史であることの証し、気に入ったものに囲まれて生活するのも良い、人がなんと言おうとも、それが友人の言葉だ。
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