2018年04月23日

根付

      流行の先端

 以前にも紹介した根付SANY6533.JPG、印籠、矢立、煙草入れ等の紐の先に付いている留め具の事、着物の帯びに下から上に差し入れて、留め具を帯の上からたらす事で落ちないようにするもの。
 この留め具、古くから日本に存在していたが、根付として確立されたのは戦国時代後、特に江戸中頃よりは非常に流行したものであり、数々の傑作が生まれた。
 根付は、元々木などで出来た質素な物であったが、時代が下がるにつれて、段々と豪華になり、細工も細密化してゆくことになり、素材もまた、色々な物で出きるようになる。
 特に徳川家康が旗本等に常備薬として印籠に入れて持つことを奨励、之により大名や高級武士の間では根付も次第に豪華な物が作られるようになる。

 武士が豪華な物を携帯するようになると、一般庶民も之を真似て、矢立や煙草入れ等を持ち歩くようになると共に、当然のこと根付も次第に豪華な物となって行く。
 木の素材から、珊瑚や象牙等の高級品がもてはやされるようになり、根付職人らは競って細密な根付を作るようになり、益々根付ブームは広がっていった。SANY2364.JPG
 写真の根付、流行りものの最先端を行く時計を題材にしたもの、当時は時計は高級品であり、一般庶民には高嶺の花、其れを根付として作るのが流行する。
 素材は、紫檀の木で出来ており、表側には大名時計の文字盤が、銀の板に刻まれた当時の流行った物、紫檀と銀の素材も、当時の贅沢品、金持ちの道楽者が持っていたものなのか。

 今は文字盤の中心にあった針が欠落しており、惜しい事に文字盤のみとなっているが、再現するにはそんなに難しい事ではないので、いずれは再現したいと思っている。
 文字盤部分は銀の板に時刻が浮き彫りの状態で作られており、外の素材は木製の紫檀で作られている。
 之も当時は高級品であったと思われ、どんな人が持っていたものだろうか。
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2018年04月22日

連れて行け

   時計には興味はない

 SANY3513.JPG友人が蚤の市に連れて行けと言い出し、何時も行くところなら何時でも良いから連れて行けと言うのだ。
 何時も行くところと言っても色々とあり、近くでは名古屋の大須の蚤の市が一番近いと言う。
 しかし彼は大須の蚤の市ではなく、もっと違ったところに行きたいと、何で今頃そんな事を言うのか分からない。
 奴は古いものには興味がない筈、何で今頃そんな事を言うのか不思議で、「お前は古いものには興味がないと言っていたのに」と聞く。
 すると「別に古いものに興味がない訳ではない」とこちらの言う事に反論、しかし彼は私の家に来ても古いものには目もくれなかったのに。
 そんな奴が今更何を言っているかと返事をしたが、それでも連れて行けと言うので仕方なく浜松に連れて行く事にSANY3541.JPGした。
 浜松とは小國神社で開催される蚤の市の事、私がこの小國神社の蚤の市に行く事を知っているから。
 この小國神社で開催される蚤の市はまだ歴史は新しく、最近開かれるようになった蚤の市である。

 確かに私は小國神社の蚤の市に出かけるが、それはまた別の目的があるから出かけているのだが。
 その事をどうやら彼は知っているようで、そちらが本当に目的、つまり蚤の市を見たいためではない。
 蚤の市などどちらでも良い筈、真の目的は蕎麦を食べる事、それを直接言わなくて蚤の市に連れて行けと。SANY3578.JPG
 当然の事、私が蕎麦を食べに行くことを利用しようとしたもの、大体あいつが蚤の市に行くとは思得ないからだ。
 それならそれで蕎麦を食べに連れて行けと最初から言えば良いのに、遠回しに言わなくても良いのだが。
 小國神社の蚤の市の規模がどんなものか見たかったかも知れないが、とてもそれが本心ではない。
 一宮の駅で開かれている蕎麦処が目当て、ここの蕎麦を食べたくて蚤の市に行くと言ったまでの事だ。
 結局、うるさいから小國神社の蚤の市に連れて行く事にし、浜松に出かけチッカリと蕎麦も食べて帰った。


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2018年04月21日

暇を見つけて

      挑  戦
SANY3336.JPG
 2月、3月は雛巡りで忙しくて、忙しくて好きなことをやれなかったが、ここえきて暇になったので、久し振りにガラスのコップをつくりに、以前簡単に出来ると思って失敗したものに再び挑戦する為に向った。
 瀬戸市内にはガラスものを挑戦する場が多く、何時でも暇さえあれば挑戦を受け付けてくれる所があり、何処へ行くかは選び放題と贅沢でもある。
 ところにより料金も違うが、それは指導方法の違いと自由さの違いで、自分の好きなようにしようとすると少し値段は高くなってしまうが、その方が悔いは残らないと思う。
 何故ならば、自分自身で行ったものだから、誰に文句を付ける事もできないのだから、人から見れば単に我侭なだけ、自由とは邪魔なだけの人。

 教える方からすれば只の素人、その上技術もないのに職場で動きSANY3338.JPG回られたら邪魔、怪我でもされたら其れこそ大変、有りがたくない存在なのだ。
 そんな事で、ある程度我ままを言わせて貰えるところでグラスに挑戦することに、以前も何回も挑戦しているが、全く進歩せず自分では分かって居るつもりなのだが。
 今回もグラスを上手く作ろうとしたけど、出来上がってみればイビツ、如何しても癖でグラスの上部が一直線にならず、またまた左下がりになってしまった。
 底の部分に無数のガラス破片を入れて、自分なりに変化を出したつもりなのに、出来上がってみれば全く分からない物に、底の部分に少し色が入っているだけの、シンプルなグラスになってしまった。
 個性を一杯出したくて作ったつもりなのに、玄人の職人さんの作るグラスと比べれば恥ずかしく、娘が作ったよりも幼稚な物に、以前もそうであったが、娘がつくったものを今回も勝つことは出来なかったようで再度挑戦したいと思う。
 グラスつくり自分では簡単と思っていたが、なかなか大変なもので技術とセンスが問われることをつくづく実感したのだ。
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2018年04月20日

和蝋燭3

      朱 の 和 蝋 燭 
SANY6458.JPG
 和蝋燭の原料は櫨の実から作られ、之を木蝋と云い不純物のないものが最高とされているが、この木蝋を作るのには大変な根気が必要、櫨の実を井戸水に曝して何度と無く洗い、不純物を取り除いてはじめて木蝋と成る。
 和蝋燭は良い木蝋を手に入れることから始まり、まず蝋燭の芯つくりからイグサに和紙を巻き、その上に真綿で薄く巻く、これが蝋燭の芯となり第一段階。
 次に、その芯に木蝋を暖め物を塗りつけて行くが、これを「ふりかけ」と云い蝋燭作りの初期段階、芯と蝋をなじませ和蝋燭の基礎、次に第二段階の作業に入る。
 「下掛け」と云われ、これから何層にも木蝋を重ね塗りをしてゆく作業に入り、乾いては塗り、乾いては塗りを繰り返す、この時に出きるのが年輪のような渦巻き。SANY0668.JPG

 これが和蝋燭の特徴で、根気な作業から生み出される木蝋の年輪、職人技の見せ所でもある作業、この作業を決められた太さまで行う事。
 次に、「上掛け」と言う化粧の蝋を均等に塗り、表面に化粧を施して見栄え良くする作業、表面のデコボコが無くなり、ツルツル肌に仕上がる。
  その次は「芯だし」と呼ぶ作業、埋もれた芯を切り出す作業であり、この作業が済むと見事な年輪が顔を出し、やっと和蝋燭が完成するのである。
 和蝋燭は昔の尺貫法で呼ばれるから、長さと重さは尺、寸、貫、匁で表されており、若い人にはピンと来ないかも知れないが、これがシキタリだそうである。
 写真は和蝋燭の中でもお祝い事に使用される、目出たい蝋燭、赤の彩色された蝋を上から掛けられ、朱色蝋燭の誕生で普段の蝋燭とちょっと変わって気分もあらたまるもの、そしてもう一つが節句用の和蝋燭がありそれぞれに特徴がある。
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2018年04月19日

あひるのボトル

      愛嬌がある

 SANY2476.JPG酒の世界も厳しいもの、当たり前の事だが市場は厳しく競争社会、資本主義社会だから当然の事だが、其れに打ち勝たなければ生き残れない。
 ウイスキーボトルもまたその競争の中、世界各国で製造されている酒のボトル、種類の数も半端じゃないが、その中で生き残って行くのもまた大変な事。
 その為に酒メーカーは凌ぎを削って生き残りを図っている現状、消費者に少しでも自社の製品をアピールしたいもの、当然人目を引くデザインも重要視される。
 中身は兎も角も、外のデザインが注目れるように努力しているようだが、消費者は実に浮気な者で、あちらと思えばこちらと、次々と心変わりをするものだ。

 中身も外見も、消費者に如何にして買ってもらうための努力を尽くし、市場参入を目指して努力を怠らないメーカー、しかし全部が消費者に受け入れられる事はない。
 幾ら奇抜な物を作っても、それだけでは消費者は飛びつかないもの、中身が大事である事は言うまでもなく、デザインだけでは長続きはしない。
 SANY2478.JPGSANY2479.JPGこのボトル、中身もさる事ながらボトルのデザイン、アヒルをデザインした物だが、愛嬌があるのとリモージュ焼であることが消費者に受け、人気のボトルとなっている。

 私もこのボトルが気に入って何度となく買おうとしたが、人気であり空港では品切れ状態で買えず、之を買うには一苦労したもの、それだけにこのボトルに愛着がある。
 友人に言わせれば空瓶の何処が良いのだ、只の空き瓶を大事にするとは貧乏性だと言うが、奴は中身の酒しか興味はない。
 ブルーの本体、何処かとぼけた様な表情、長く伸びた首、金彩で描かれた羽、洗練されたリモージュ焼で製造され、三種類があり白、ブルー、金と人気が出るのも当たり前であると思う。
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2018年04月18日

必需品

      重いです

 SANY6463.JPG若い頃から憧れていたライター、それは「デュポンのライター」ですが、高くてとても買えませんでしたのでデパートのウインドーガラス越しに眺めていた。
 出きる事なら、その中でも漆塗りのライター、かってに自分が持つなら漆塗りと決めていたもの、そして何よりデュポンの魅力はあの音、近くで誰かが煙草を吸う時、デュポンのライター音は魅力的であった。
 「キーン」と金属音のする心地よい音、あの音こそライターの頂点「デュポン」、あの音は直ぐにデュポンのライターと分かり、聞き惚れてしまう音でもあった。
 しかし、それを手に入れることは難しくて憧れていたが時が過ぎ、30代後半になり質屋会館でやっと手に入れることが出来、それ以来何時もポケットに入れていた。
 勿論新品を買うことは出来ず、質流れの中古品、程度の良いものを探し当て、安SANY6469.JPGく手に入れたのが現実であった。
 憧れのライターを手にしたたが、実際に使ってみると問題もある事に気が付く、苦労して折角手に入れたものだから使わないと。

 実際には大型のライターはかなり重く、夏等の薄着のときはひと苦労も、ライターが重くてポケットが破れることもあり、その都度ライターが下に落ち傷が付いたりと事件も。
 特に漆塗りのライターはショックに弱く、直ぐに傷がついてがっかりしたもので、その時は直ぐに傷をコンパウンドで磨き、傷を分からなくするのに苦労をしたものだ。
 写真では黒く見えるが緑色のライターが其れ、毎日持ち歩いていたので表面の漆は傷ついたが、漆ぬりは剥げず丈夫な造り。SANY6478.JPG
 特に緑色した漆塗りのライターは良く使った物で、愛着もひとしおで手にしっかりと吸い付くような感覚になり、長年使っていたからこそ手に馴染でいる。
 今も現役であることは当たり前、金属音も変わらず「キーン」と良い音が、之だけ楽しんで使い今尚現役であるから、初めは高いと思っていたが年数を考えると安い物だと思うようになった。
 良いものは何時まで経ってもへこたれないもの、現役で活躍している。


 
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2018年04月17日

流行もの

      遊び心を表に

SANY6481.JPG 明治初期の時計をかたどった花生けは、本物に近ずけようと努力し、殆どの商品はリアルに表現されている物が多かったが、明治後期には、初期に無い製品が多く生まれて来、デザインが大幅に変更され。
 其の1つは、色彩が鮮やかになってくる事、色々な多彩の色使いがされ、初期当時には無かった色が出回り、本来の時計とはかけ離れた物に仕上がって行く。
 元々、ボンボン時計は色彩が地味で、木の持つ色其のものに再現されている為、色々な色彩が使うのが難しく、本来の時計からかけ離れてしまう為、初期段階では冒険しなかったとも受け取れる。
 しかし、時計をかたどった商品が市中に出回るようになり、時計と言う物の形は浸透して行ったので、少しくらいアレンジをしても時計と分かって貰える様になった事も事実、そしてデザインを変更して新たな消費者を開拓してゆく事になる。

 市場のマンネリ化を打開する為の商品開発でもあったようで、中には奇抜な時計もデザインされたようでSANY6487.JPGあるが、実際に市場には出回っていないのか、知らないのかだが、探したら出てくるかもしれない。
 明治後期には一般庶民の間でも時計が深く浸透しており、時計そのものを説明する必要性は無かったから、其の先へとデザイン化が進み、時計本体の形が文字盤だけになるデザインも登場する事となる。
 そして、文字盤だけの物から、もっと進んだ物はカレンダー時計を模した物が次第に登場し、より複雑な時計の花生けが誕生する事になる。

 それは全国の産地の別は兎も角、瀬戸や伊万里、そして東農地方で盛んに時計型の花生けが製造され市場に送り出されたが、当時として、どれだけ製造されたか記録としては残っていない。
 写真の花生けは、伊万里で明治末に製造された物であるが、前期の時計型花生けと比較すると、色彩も鮮やかであり、形も少し本物の時計とは異なったデザインに仕上げられている。
 遊び心をふんだんに取り入れ、時計上部の色もブSANY6490.JPGルーと黄色掛かった茶、そして本来あるはずの無い唐草模様を描いている。
 写真では色が薄い為に、非常に見にくくなっているが、振り子室の横に、同じ図柄の唐草模様がデザインされているから、比較して想像してみて下さい。
 又、振り子室のドアーも本来は、この形の扉は付いていなく、デザイン的にあえて四角のドアーにしたものなのか、不明であるがかえって四角のほうが面白いかもしれない。
 何にしても、明治末期に自由に時計の形をした花生けを、しかもカラフルにデザインがされたが、実際に家庭で使用した時に、何処の部屋に掛て楽しんだのか分からない。
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2018年04月16日

侵入者

   何者かが

SANY6425.JPG 我が家の近くで最近物騒な事件が多発、空き巣が多くて被害にあったところが続出しているのだ。
 我が家も以前に空き巣に入られたが、周りで特に多くなっていると言う、その手口は千差万別。
 家に住人がいない事を確認しから空き巣に入ると言うもの、住人を確認する為にたちが悪い。
 家の者が居ない事を確認して空き巣に入るから、これでは防ぎようがないとも言われ、頭を悩ましている。
 勿論我が家ではセンサーを取り付け、簡単には入れないようにしているのだが、それとても何時入られるかしれない。
 専門家に相談したら音の出るものが良いと言われ、色々なセンサーも取り付けたが逆に近所からうるさいとの苦情も。
 自己防衛も大変で度を過ぎると失SANY6418.JPG敗をする事にもなりかねないが、何もしないでは安心できない。

 近所でも色々な対策をしているみたいであるが、これが一番と言う対策もないのが実情、用心するしかない。
 それともう一つが野良猫で、折角空き巣防止に取り付けたセンサーに野良猫が反応、それも幾度となく。
 我が家の飼い猫が居なくなってから久しく、その間出入りしなかった野良猫が今では我がもの顔でいる。
 動物とは敏感なもので敵対する猫が居なくなったことを知り、我がもの顔で出入りする事になってしまった。
 出入りだけならまだしも芝生の上で排泄をして行くからたちが悪く、その対策にも頭が痛いのだ。
 センサーに反応するやら、排泄して行くやらで、やりたい放題の現状、困ってものでネットを付けてみた。SANY6436.JPG
 簡単なネットを出入り口に設置して、野良猫が入れないようにしたがその効果はあまりなかった。

 ネットが低すぎて野良猫は簡単に飛び越して行く事に、目の前で飛び越されてしまい頭にきた。
 それでネットを高くして飛び越せないようにしたが、敵もさるもので今度は他から侵入しているようだ。
 その対策に乗り出さなければ、空き巣と野良猫、頭の痛い事ばかり発生するとは、今の世の中忙しい事だと思う。



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2018年04月15日

今年は早い

   記録づくめ

 SANY6439.JPG今年の気候は記録的なものとなったようで、気温一つとってみても3月の気温は記録的なものとなった。
 100数年ぶりのものまで現れた気温、全国各地で記録更新と話題となったが、様々な現象も現れている。
 梅に桜にチュウリップが同時に咲いている風景、今までに見た事のない現象、ツツジも加わり実に奇妙な現象。
 北国では一斉に咲く事もあると言われるが、都会ではあまり見た事もない風景が出現している。
 確かに美しい現実ではあるが桜とチュウリップの組み合わせは見た事はなく、同時に咲くとはどこかおかしい。
 やはり記録的な現象である事は確か、今年は雪も多く降り、このままの状態だと夏は酷暑と言う事らしいが。
 何から何まで記録づくめ、こSANY6454.JPGのまま日本の気候はとうなってしまうのか、不安の気持ちは隠せない。
 花々が綺麗に咲き誇るのは実に美しくておおいに歓迎だが、実際に考えて見ると実に不思議な事だと思う。

 3月なのに6月末の気候と言う、やっぱり今起きている事はおかしな現象、それを物語るものに我が家の花もおかしい。
 30年ほど前から植えた花、出入り口に付けたアーチにした花、毎年5月中頃に花を付けていたが、今年はすでに満開の状態。
 何時もならまだ弦を一杯伸ばす時であるが、今年はすでに満開の状態であり、花が散り始めているのだ。
 今までにこんな状態を見た事がなく、弦もまだ伸び切っていないのに花が散り出しているとはやはり変、何時もならアーチ一杯に弦を伸ばしている筈、しかし今年はすでに花が散りはじめ、弦は伸びていない状態だ。






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2018年04月14日

春の祭り

   華やか

 おまつり.jpgこの地方は山車が多い事で有名な場所、名古屋地域は昔から山車が多く造られ、特にカラクリ付きの山車が多い。
 全国的に見てもカラクリの付いた山車の数は日本一、地域によっては全部の山車にカラクリが付いてるところも多い。
 犬山の山車もその一つ、全部の山車にカラクリが付く、その見事さを競い合っているもので町内同士の対抗意識も盛んな所。
 兎に角カラクリの種類と複雑なカラクリが見どころとなっており、それ目当てに多くの観光客が殺到する。
 あちらこちらに山車は存在しており、有名なものは京都の祇園祭の山車、この祭りが全国に広がったものと言われている。

 勿論名古屋地域の山車もそのその流れの内だと言われているが、カラクリは名古屋独特のものが多い。
 これはカラクリ人形師がその一端を担った来た歴史が、名古屋地域にはカラクリ師が多く存在したことに由来する。
 現在のものづくり愛知の元となったものとも言われておSANY6413.JPGりカラクリの技術が発達したものとも言われている位だ。
 この犬山まつりは古く1635年(寛永12年)が最初と言われる位に歴史が古い、当時からカラクリは付いていたとも言われている。
 13台の山車全部にカラクリが付き、町内事にカラクリが違うものが、当然町内同士の競い合いがあったと思われる。
 その為にカラクリは複雑な動きを要求され、町内ごとに見事なものが造られ、祭り当日にその技術と華麗さを競い合ったと言う。
 尾張藩主徳川宗春公が祭りを大々的に奨励したこともあり、名古屋地域の山車は華やかさと共にカラクリが発達したもの。
 名古屋周辺の市町村も多くの山車が存在しており、全国でも珍しく山車の台数は日本一、現在稼働している山車の数は422台、稼働していない山車を数えるとゆうに500台を超すが、写真は上が有松の山車、下が犬山の山車のカラクリ。



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2018年04月13日

時計画

      時計の版画は数々ある。

SANY3537.JPG 時計を題材とした版画は多くあるが、趣味で直接依頼して作成してもらったものは、そんなに多くないが堀田時計が販売店に出したもは、大分出回っている。
 堀田両平氏は家業の時計店の店主でもあり、古時計の蒐集家としても知られている我々の先輩の蒐集家、堀田氏が自社の店舗をモデルとして、製作依頼した版画で、時計マニアの間でも良く知られたもの。
 堀田氏は時ある毎に時計の版画を製作依頼しているが、特に伊藤深水画伯の版画が多くあり、美人の版画は人気の的でもある。
 自分の娘(朝丘雪路)をモデルとした版画は人気が高く、マニアには是非とも手に入れたい版画でもある。

 深水画伯の作品は妖艶な美人が描かれているため、時計よりも其の美人のほうに目が行ってしまう。堀田.jpg
 やっぱり美人画は伊藤深水に限ると思うが、時計も良く観察されており、其の特徴を捉えた力作が多い。
 もともと堀田時計は名古屋出身、明治期名古屋市にて時計商を商っており、良平氏はそのルーツを理解していたようだ。
 先祖の築き上げた店を題材にして版画家にその姿を依頼し、表現したものだと思う。
 左の版画は、富山出身の金守世士夫画伯の製作であり、明治期の堀田時計店の店先を描いた版画である。
 当時名古屋市の中心部に大店を構えていた様子が描かれ、店内には櫓時計やそのほかの時計が見え、屋根の上には巨大な時計塔が見える。
 堀田時計初代の堀田良助が1代で築き上げた大店、色使いも良く当時の繁栄振りが見事に彫られている傑作である。
 当時は名古屋市内には、こうした時計塔が幾つも乱立をして、名古屋の時計産業が盛んであった証でもある。
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2018年04月12日

これは何だ

      鉄の塊

SANY8073.JPG
 またまた友人が分けの分から無いものを持ち込んで来たので、その論議に喧々諤々、またしても論争が激化する嵌めになったしまった。
 たまたま知り合いと酒を呑んでいた時に友人が現れ、何やら重そうな物を持って入ってきたが、何か怪しい雰囲気の物だと感じた。
 一緒に居た知り合いも友人とは顔馴染み、その場に入り込んだ友人、先ずは自分の好きなビールを一気に飲み干し、新聞紙の包みを開けだした。
 現れたものは埃まみれの汚らしい物体、「食べ物の席に汚らしいものを持ち込むな」と私が諌めると、そんな事よりこれは何だと汚らしいものを出した。
 知り合いも「汚いものだなぁ〜」と呑んでいたグラスを避け、その物体を迷惑そうに眺め、やっぱり汚らしいものだと、確かに汚いものだ。
 友人、「これは何だ」と鉄の塊を指差し、貰ってきたが何だSANY8077.JPGか分からないものだ、だけど面白いと思って持って来たのだが、やっぱり汚いなぁ〜と言う。
 酒を呑んでいる席に持って来るものではないだろうと思いつつ、その物体を良く見ると灰皿ではないのかと思うが、それにしても重いものだ。
 仮に灰皿でも何でこんなに重いものを造ったのか疑問、しかし良く見ると自動車の姿をしているように、すると知人が「これ自動車だ」と言い出した。

 私も気付いたのだが古い自動車の形をしている物、灰皿らしきものである事には違いないのだが、時代が相当に古いものだと思う。
 自動車の形から昭和のものには違いないとの認識で一致、しSANY8083.JPGかし戦前にこんなものを造るのかとの疑問も湧いて、モット古いのではと知人が言い出した。
 戦前、つまり昭和のはじめ頃であれば、「金属でこんなもの造るのか、金属不足の中」と友人が、確かに言われれば金属不足のおり、灰皿などに金属を使用するのかとの疑問だ。
 「では戦後の鋳造であるのか」と知人が言うが、戦後の代物でもなさそうな雰囲気、兎に角分けの変わらないものには違いなく、それを肴に3人して酒を呑む。
 自動車の形からはやっぱり大正から昭和初期の自動車、それにしては鋳造方がお粗末で、しっかりとした製造で造られた物ではないと思う。
 そんな事で何だ、かんだと論議をするうちに、酒が回りだしてきて、そんな論議もそっちのけ、酒が旨いと言いつつボトルが空になったしまった。
 写真の鋳物、形もボケたような姿の灰皿、テイブルの上にこんなボケた自動車を置いては恥、だけど何だか捨てがたい雰囲気の代物でもある。

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瀬戸の染付け6

      より網目らしく
SANY5630.JPG
 幕末以来瀬戸の染付けは進化を続け、その形態も伝統的な図柄と、新作の二種類が渾然一体化し進化をするが、一方でその反動から古来の図柄を復活させようとする動きも起こる。
 何時の時代もそうである様に、新旧交代の時期は様々な軋轢のうえに、新しい時代がやってくるものであり、瀬戸の染付けも此の法則が生きていたようである。
 陶器から磁器への転換期、時期の白い肌に会う図柄が求められ、陶器では用いなかった斬新な図柄の登場により、陶器の図柄の衰退が始まる。
 その最先端が西洋の図柄を取り入れ、文明開化らしい図柄の登場であり、西洋建築の洋館を図柄にしたり、人力車、岡蒸気、蒸気汽船、などの新しい図柄が大流行する。
SANY5637.JPG
 瀬戸の絵付け職人たちは、貪欲に文明開化の図案を吸収して、自分のものにしてから絵付けをしなければ、時代に付いて行けずヤッキとなり図柄開発を行う。
 一頃、この時代に流行した開化物が人気が高まり、値段が一気に高くなる現象を引き起こしたが、一時的なはしかみたいなもので、今は人気急落して昔の面影も無い。
 そんな時代背景に翻弄された瀬戸の染付け、しかし、その裏側には面々と受け継がれて来た古来の図柄もあり、その1つが写真の図柄である。
 網目と呼ばれる図柄、此の図柄文明開化の時代でも衰退することなく、面々と行き続けて現在まで受け継がれている図柄、飽きの来ないシンプルな図柄である。
 時代に翻弄されない力強い図柄であり、器の内部まで網目模様が描かれるのが伝統的な手法、内側に網目を描くのは熟練した職人でなければ描ききれない。
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2018年04月11日

円空の顔

      独特の顔

 SANY6812.JPG円空は江戸時代初期の行脚僧、兎に角全国を歩き回り、13万体の仏像を彫りだした僧、常人ではとても出来ないものだが、円空は生涯かけて彫り出した。
 その制作方法は驚くべき速さ、薪を割り鉈で素早く彫り出したと言われるが、実際は多くの蚤を使用したらしく、使い分けて製作したらしい。
 ある仏像の1本の丸太を12体の仏像にしたとも言われ、変幻自在に掘り出した様で、残っている仏像はそれを物語っている。
 現在20000体位現存しており、それも愛知、岐阜に集中しているもの、初期の仏像は30代に製作した物、彫り方は優しい線で作られている。
 40代位から作風が変わりだし、その作風は大胆に彫りだしている物が多くなり、また次第に簡略的になり、躍動感に満ち溢れている物が多くなる。
 この作風の変化は母の死が切っ掛けで、次第に独創的なものとなってゆく切っ掛けと、研究者の間ではそのように言われているとか。
SANY6814.JPG
 確かに円空の仏像は大胆かつ繊細であり、一見誰にでも製作できるように思われがちであるが、その本質をとらまえての仏像製作であり、円空独自のもの。
 そしてこの仏像が個人での所有が多い点にも注目、円空は求められれば製作して仏像を与えたと言われ、その殆どが小さなものが多い。
 個人の仏壇や神棚に祭られている円空仏、大事に扱われて来たのが現像数を伸ばしたものなのか、定かではないが、確かに多く現存する。
 円空の仏像の特徴はかすかな微笑みと云われ、この微笑が人々を虜にする由縁でもあるといわれているが、確かにその微笑みは他の仏像には少ないものかもしれない。

 あたかも鉈1つで彫りだした仏像のようにも見れるが、多くののみを使って彫りだされている事を感じさせないのは、これも円空ならでは。
 写真の仏像や神様も、そうした円空の力量が滲み出ているもの、見る人もこの仏像に引き込まれて行き、虜になってしまうようだ。
 イカツイ仏像も、良く見るとその顔はかすかに微笑を帯びており、人々が親しみやすさを感じるのが分かるような気がする。

 
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2018年04月10日

デッサン用

      良い絵がSANY0320.JPG

 あるアンティークショップにぶらりと立ち寄り、古時計を物色していると店主が「お客さん、何を探しているの」と声を掛けてきた。
 古時計を探していると答えると、「どんな時計が欲しいの」と又聞く、余り質問されると買う気分にならないのが私の性分、何時もの事だが。
 古時計位は自由に見たいもので、あれこれと聞かれると気分がそちらに行ってしまい、買う気がなくなってしまうので、探している時は邪魔されたくないのだ。
 そんな店を出ようと出口に向かった時、ガラス越しに女性の顔が目に入ってきたのだ、この顔にひきつけられて隣の店に入ってしまう。
 その店はリサイクルショップ、雑然と物が置かれる中、入り口近くのテーブルの上にその女性の顔が、目に付いたのはこの顔。
SANY0329.JPG
 学生時代、図工室に置いてあったデッサン用の石膏像、其れに良く似た物が私の目に入ってきたのだ、近づいて見ると、なんと時計であった。
 まさか時計とは知らずに、石膏像に引かれて来たのに時計とは、其れは高さ60センチ位の時計、その上部に石膏像が乗せてある時計だ。
 セイコーが発売した時計だ、正確には調べていないが昭和30年代に販売されたものと思うが、黒色の大理石の台の上に石膏像を載せたもの。
 時計本体は非常に重い大理石、あたかも石膏像の様な格好をした時計、当時としても変わった時計であったと思われる。
 石膏像は可愛らしい女性、如何にもやさしそうな顔、こんな時計を飾っている部屋はさぞかし楽しい部屋であろうと思われる。
 店主に値段を聞いて見ると「お客さん、幾らで買ってくれるの」と逆に聞いてくる始末。
 2000円なら買っても良いと言うと、「其れでオッケーです」と直ぐに商談成立。
 買ってから手渡された時計の重さにやっと気付いて、こんなに重い時計何処に置くのかと、単に石膏像に魅せられて買い込んだ時計、ヤッパリ飾るところを選ぶ時計だった。
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2018年04月09日

有線七宝

      手間隙かけて
 SANY5662.JPG七宝、七つの宝と書いて「七宝」、金銀や瑪瑙、琥珀のような宝物に匹敵する物として七宝焼きと呼ばれているもの、この七宝焼古くは奈良時代から日本に存在しており、その後戦国時代までは細々と製造されていた。
 正倉院御物の中にも七宝焼が保管されており、当時から貴重品であったようだが、一般人には程遠い存在、その後京都で七宝が製造され、桂離宮、修学院離宮、漫院など扉の引き手や釘隠しに使われたり、刀の装飾品として発達。
 桃山から江戸時代に入り、京都、近江、尾張、などの産地が盛に七宝を製造した様だが、それらはまだ七宝焼きの発展途上でもあったようである。

 明治に入り、ドイツ人ワグネルが透明の塗料を用いた七宝焼きの技術を伝える事により、日本の七宝焼きに急速にその技術が向上、パリ万博に出SANY5655.JPG品し金賞を得る。
 其れにより、世界的に日本の七宝が優れた芸術品であることが認識され、多くの七宝が海外に輸出されるようになり、外貨獲得に貢献する事となる。
 そんな中、京都や名古屋で芸術的な七宝焼きが製造、七宝焼きの技術が確立され、世界的に有名になるが、この両者七宝焼きの製造方法に違いがある。
 それは有線七宝と無線七宝、有線七宝は真鍮や金銀の細い線で図柄を作り、その中に鉱物質の微粉末をふのりで溶いたものを塗り固め、900度の温度で焼き上げる。
 無線七宝は図柄の上にじかに微粉末の溶液を置いてゆき、有線を用いないで製造する技法とに分かれ、其々の特徴を最大限に発揮した。
 写真の七宝は有線七宝の典型的な物、細図柄を真鍮の細い線で縁取ったもの、根気よく一つ一つの図柄を描いてゆく作業は大変な物である。

 
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2018年04月08日

卯の花

      早すぎる初夏

SANY6360.JPG 春がきて桜が散ったと思ったらもう初夏のよう、若葉が一斉に葉を茂らす時期、四季の内で1番活動的な季節、「風薫る風」等とも云われ、若葉が目にしみるようになる。
 古来から歌にもしばしば登場する「杜鵑ホトトギス」、この鳥いわくのある鳥らしく中国蜀の王が、国を離れて諸国をさまよい続け、やがて其の魂が鳥になったと云う伝説の鳥、それがホトトギス。
 日本でも古くから夏を告げる鳥として珍重されてきたし、多くの里山に飛来して夏を告げる使者、この鳥渡り鳥であり中国から渡ってくるらしく、逸話をもってやってきた鳥。
 ホトトギス、漢字では色々な書き方をされているが、伝説の鳥は(不如帰)と書くらしく、蜀の王がさまよい続け今だ帰らずとのたとえらしく、字もそれに当てはめて書くと言う。

 その他、杜鵑、不如帰、時鳥、など色々な書SANY6356.JPGき方をし、その背景により字が変わるらしいが、現在はあまり気にしなくなり、季節感も薄れ、またホトトギスじたい知らない人が多くなった。
 「卯の花の匂う垣根に、ホトトギス早やも来鳴きて、忍び音もらす、夏は来ぬ」 と歌に歌われているが如く、初夏の代名詞「卯の花とホトトギス」。
 しかし、現在卯の花垣根を見る事はあまり無くなり、卯の花自体見た事が無い人も多いのでは、歌に歌われた「花も鳥も」見た事が無い人ばかりになってしまった様だ。
 歌は知っていても、ホトトギスがどんな鳥か、卯の花がどんな花か忘れられ、日本の風情もまた無くなりつつある様で嘆かわしいが、以前はホトトギスの鳴き声を、「特許許可局」とか「テッペンカケタカ」と鳴くように聞こえると教えたものだが。
 今は、その鳴き声も聞けなくなったから、如何説明していいか分からないが、昔の人はウマく鳴き声を伝えたものだと感心するが、今の人に「特許許可局」と言っても知らないだろう。
 「卯の花垣」、「ホトトギス」、今に忘れ去られるよう、写真は卯の花、このところ日本の気候風土が段々と変わってきている事の現われでもあるようだ。 




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2018年04月07日

今年も

   早く出さないと

SANY6363.JPG 瀬戸の雛巡りが終わり、いま後片づけに忙しい毎日だがもう4月に入っているので5月飾りを出さなければ。
 何時もの事だが自分の所の節句は後回し、雛巡りの後片付けが終わらないと5月飾りは出せない事になっている。
 自分の家のものは何時も後回しと妻にも言われているが、確かにその通りで自分の家の人形は中々出せないでいるのが現実。
 そんな事でいつも批判が集中、今年こそは言われる前に出さなくてはと、保管場所から取り出してみた。
 この5月飾り、親父のものだと思っていたら実は爺さんのもの、親父の物より古いものである事が分かった。

 勿論兄弟も見た事がなく、お袋が無くなった後整理していたSANY6390.JPG時に発見したもの、私も実は見るのが初めてであった。
 以前にも親父の5月飾りとして説明したが、兄弟からも違うのではと、確かに言われてみればそれよりも古いもの。
 家に持ち帰った時には親父のものとばかり思っていたので、それより古いとは気が付かなかったが指摘されて事実が判明。
 鎧櫃の内側に書いてある文字を読んでみると、確かに親父の生まれた前、やっぱりこれは爺さんのものだと理解できた。
 長い間日の目を見ることなく物置に寝ていたから、鎧櫃の程度は余り良くないが今まで手入れしていないので仕方がない。
 去年出した時にも気が付いていたが、部品が取れていたので付けようと思い何処のものか探したが分からず仕舞い。SANY6379.JPG

 今年はジックリと何処の部品か探してみたら兜の飾りである事が判明、接着剤で元の位置に付け直し、飾る事にした。
 去年飾っているものを見て友人が、「これってそんなに古いものなのか」と言って疑っていたが、「櫃の中に書いてある文字で分かるのだ」と言ってやった。
 しかし実際には今年確認したもので、友人にはそれを言っていないが彼はそもそも信用していないのだ。
 私が説明すると彼は何時も疑ってかかる癖、今更始まった事ではなく昔からの事だが、それにしても爺さんの物とは驚き。
 当時としては大したものだと思うのは、家紋入りの5月飾りを子供のために作ったとは驚きであると同時に大切にしなければと思う。


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2018年04月06日

田舎蕎麦

      田舎蕎麦はここ

 木曽路SANY2861.JPG妻籠宿との付き合いは長い、高校生の頃此処を訪れてからいっぺんで気に入り、その後現在までに何回訪れた事か回数等数えていないが、何百回は来ている。
 まだ妻籠宿が整備されていない頃、友達とぶらりと訪れたのが初め、その頃の妻籠は時代から取り残されたような雰囲気を持っていたし、又事実取り残されていた。
 勿論観光客なぞ合う事も無く、山里のひなびた田舎町であり、行き交う人もなくひっそりとしていたし、たまに人に会えば「何しに来たのか」怪しげな奴ではないかと目を向けられたものだ。
 その当時は生活観が一杯の山里で、何処の家も観光ズレしていなくて、素朴な人々でもあったが、その後観光の波に乗っかりスッカリ観光客ズレして変わってしまった。
 あの頃の方が余程妻籠宿らしかったが、時代のには逆らえず、映画のセットみたSANY0954.JPGいになってしまい、電信柱はなくなり、人々は変わり、雰囲気も変わってしまった。
 当たり前の事ではあるが、「この場所だけは昔の間々までいて欲しかった」と思うのはエゴかもしれないが、それでも妻籠宿だけはそうしていて欲しかった。

 そんな妻籠宿の中ほどに蕎麦処があり、此処へは蕎麦を食べにどれだけ通った事か、特に五平餅は美味しくて、胡桃と味噌の具合がよく、蕎麦を食べると同時に五平餅も食べないと、何だか食べた気がしなく一緒に食べるのが通例で、それも三本と決めているが、友人は蕎麦を余分に頼むのが、これまた通例であった。
  以前の店は昔の佇まいをした造りで昔ままであったが、その後改築がなされてしまい雰囲気が少し変わってしまったのは残念である。
 この蕎麦処、40年も通い続けている店、松本の帰りにも絶対、此処の蕎麦を食べてからでないと家に帰らない主義、特に友人は此処の田舎風の蕎麦がお気に入りである。

 
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2018年04月05日

おぼろつきよ

   今年は変

SANY6349.JPG 例年なら桜がまだ満開では無い頃、しかし今年は近年になく早く、あっという間に過ぎて行きそう、やっぱり変だ。
 特に今年は暑くて、そして日照りが、近年の現象であるとも言えるが、それにしてもおかしな天気、もう初夏みたいな気候。
 4月初めだと言うのに6月並みの気候だと言う、近年にない状態であるらしく、このままどうなってしまうのか。
 幾ら温暖化の影響でもおかしい、このまま夏になってしまうのかと、そんな風に感じてしまうのは私だけか。
 それにしても春はあっという間に駆け抜けて行った感、何時もであればまだ菜の花も咲いており、桜も満開ではないのに。

 日本の風景の中でも菜の花と桜、この2つが咲き誇る風景SANY6280.JPGは我々日本人には実にしっくりと来る心の風景だと思う。
 日本には四季があり、それぞれに良い所があるがやはり春は木が芽吹き、花が咲き、色とりどりの景色が体感できる時期でもある。
 寒い冬が過ぎ、暖かな春、その四季を日本人は共に味わって来たものだが、ここへ来て四季の境目が分からなくなってしまった。
 例年であれば春霞がじっくりと味わえたものだが、今年はそれもなく夏が来そうな雰囲気、春は何処に消えてしまったのか。

 そう言えば今時はおぼろ月夜、少し遅いかも知れないが、春霞もおぼろ月夜も今は見ない、春と言えばおぼろ月夜。
 唱歌にうたわれたあのおぼろ月夜、日本の原風景で春にはぴったりの時期だが、あの歌もあまり聞かなくなったおぼろ月夜。
 小学校でも現在は教えないと聞く、何で教えないのかと聞けば、SANY6342.JPG現在の状態に合わないからだと言う、時代遅れだとも言うらしい。
 確かに歌詞は難しい所もあり、子供には分からないかも知れないところが、それを教えるのも教師の務めではないか。
 現在に当てはまらないから教えないとは、発展した都会だけが日本ではないと思う、日本全体から言えば田舎の方が広いし多い。
 日本の原風景を見事に歌っているおぼろ月夜、時代が違うから歌わせないとは少し意味が違うと思う、その様に思う我々が古いのか。
 古い、新しいではなく、抒情詩として教えて行く事が大切ではないかと思うのだが、良い歌は良いと思う。
 幾ら時代が変わっても良い歌は良い、日本の心とも言える原風景を子供達にも味わって欲しいものだと思う。
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