2017年01月31日

組み立て会社事情

      関 東 と 中 京 の 違 い 



 明治期に生まれた時計の組み立て会社、自社の生産工場を持たず、機械を仕入れてSANY3010.JPG部品を組み合わせて時計を完成させ、販売する会社を「組み立て会社」と言う。
 つまり、自分の会社では機械を製造する設備を持たず、他社から機械を買い入れ、組み立てる為設備投資に金が掛からず、安い機械を仕入れれば、それだけコストが掛からず、販売競争に打ち勝つ事ができる。
 このシステムが確立するのは日本で国産化された時計が軌道に乗ってからの事である。
 時計製造会社も次第に競争が激化して、当然の事生き残りを図るために色々と画策をすることになる。
 そんな中、自社の機械を販売する事により、製造競争に活路を見出す製造会社が現われて来る。
 自社の時計が販売不振に陥り、その打開策とも言われているが正確な事は不明である。
 明治初期には外国から機械を仕入れて、日本で組み立て販売した物であるが、日本でも時計の機械が製造されるようになり、又販売競争も激化し始めると、生存競争に打ち勝つ力の無い時計製造会社は、やむなく自社の機械を他社に売り経営を成り立たせた。
 関東と中京の生産地でも同じ状況であり、組み立て会社に機械を売り経営を持続SANY2836.JPGさせていたが、関東は時計製造工場の数が少なく、生産台数も少量であった為、機械の供給する会社が極限られていた。
 一方、中京地区は時計製造工場も多く、又時計生産台数は関東の倍以上製造していたもの、機械供給する時計製造会社は多く存在していたのが、関東との大きな違いである。
 中京地区では、分業制度が確立されていた事、木曽の木材が豊富に供給され、時計の外箱も容易に手に入って、時計組み立ての条件が整っていた事。
 中京地区の大手時計製造会社も、自社で製造した機械を組み立て会社に販売、それを目的としていた事も、関東の時計製造会社との違いである。
 自社では時計を組み立てずに、部品だけを供給する会社も多く存在し、中小の組み立て会社に機械や部品を納めていた。
 そんなシステムが確立されていたのも中京地区の特徴、兎に角時計の部品工場が多くあった事が、組み立て会社を後押しのだ。SANY3014.JPG
 そのために中京では、数多くの組み立て会社が乱立し、生存競争が激しく激戦区で、その中を生き抜くために自然に競争力が他地域よりも付いていったようである。
 全国的に見ても、組み立て会社の大半は中京地区に集中しており、その生産台数も関東地区を遥かに超して、当時日本の輸出高に大いに貢献していた。
 特に東南アジア向けの時計を製造、輸出高に置いても群を抜いていた中京地区、昭和に入るまでの期間、海外向けに製造を続けていた。
 そんな事もあり何処で製造されたものか不明の時計も多く存在、現在発見されている古時計の内、組み立て会社の物も多くある。
 写真は同じ様な図柄の模様、勿論組み立て会社のもの、良く似ているようであるが全く違う会社のもので、ここにもその実態の証拠が残っている。
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2017年01月30日

本物との違い

    ある会合での事

 

SANY0879.JPG 古時計好きの人が集まるある会合での話、一つの雑誌について論争が広がり、多くの人を巻き込んでの大論争となった。
 切っ掛けは雑誌の付録の時計についてであったが、それが思わぬ方向に飛び火して、喧々諤々の大論争に。
 話が何で大きくなったのかは本題から外れて、個人の主張が優先されたことにあると思うが、その場では色々と差支えもするからだ。
 問題の雑誌とは、雑誌についている付録の事、「和時計を造る」と題した見出しで、読者をひきつけたもの。
 その雑誌は付録として和時計の部品が付いており、毎回買う事により、最後には和時計が完成すると言うものだ。
 SANY0892.JPG和時計の好きな人なら、ついつい手を出してしまうもの、その雑誌には毎回真鍮製の和時計の部品が付く仕組み。
 つまり、雑誌を買い込んでいる内に、最後には和時計が完成し、目的を果たすことになると言うもの。
 実のところ私もこの雑誌は買い込んだ事があり、実際にはこの雑誌の和時計を2台所有しており、話が聞きたかったので論争に参加。
 話はこうだ、「付録として付けるにはリアル過ぎだ」と言うもの、その雑誌には毎回違う部品が付いており、組み立てる楽しみを味わうもの。
 そして知らない内に和時計が完成すると言う事になり、それが楽しみで買い込んだ人も多いと聞く。
 DSCN1073.JPGその雑誌は60回の連載であり、普通よりも長く少し高くなっているようだが、部品は本物に近いものである。
 完成までに60回、十数万円の本代となるが、果たしてこれが安いのか高いのか、それは個人の判断である。
 当時は人気が高くて販売されて完売となった事は知られており、未だに欲しい人も多いと聞くのだが。
 では論争とは「本物過ぎて、時代を付けたら分からなくなる」と言うもの、確かに言われる通り、時代を付けたら素人目には分からなくなる。
 悪意でそれをやられると、被害者が出て来るとも限らず、それがけしからんと言うものだが、すでに完売されている。
 DSCN1082.JPG難しいものであるが、この様な商品はリアル過ぎると問題が起き、リアルでなければ商品価値が下がる。
 どちらを取るかは判断の別れる所であると思う、コレクターにとってはより本物らしくして欲しいが、やはり難しい選択でもあると思う。
 問題なのはそれを悪意的に利用しよとする人が出てくる事にあり、簡単に見分けられるものは読者は喜ばれないと言う矛盾。
 そんな和時計のコピー論争はいよいよ白熱化、それも古時計を愛するがための人達、コピー商品も難しいもの。
 この時計よく見ればコピー商品と分かるものだが、素人には難しいかも。
 どちらを支持するかは個人の自由、騙されないように注意するのも個人、何処まで行っても個人次第であると思う。
 上の写真が和時計を造ると題した本の付録、完成したものはリアルで豪華に見えるもの、下の写真は本物の和時計。
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2017年01月29日

持ち込まれたもの

    招き猫


 
DSCN1916.JPG 瀬戸で製造された招き猫、愛好者から絶大なる指示を受け、引っ張りだこ現状、特に磁器で製造されたもの。
 市場に出れば直ぐに売れてしまい、中々手に入らないと嘆く愛好家も多いと聞く、更に形の大きなものは数が少ないと聞く。
 他の産地も磁器の招き猫を造っているが、瀬戸製の招き猫はその中でも人気が高いもの、その魅力は何処にあるのか。
 瀬戸で製造された招き猫、それも磁器で製造されたもの、古いものでは幕末のものがあり、形は小さな素朴なもの。
 大きさは7センチ位のもの、白黒とシンプルであり、アクセントとして赤い首輪をしているのだ。
 DSCN1917.JPG顔はキツネみたいなもので、今の招き猫とは少し違ったもの、磁器もあまり良いものでは無いが、数は極端に少ない。
 明治末から大正期に同じような招き猫が造られたが、磁器の質は全く違うので、良く見れば分かると思う。
 古い磁器製の招き猫は透明度がいまいち、磁器の質が良くないから濁ったような感じ、それに引き換え大正期のものは磁器の質が良いもの。
 見比べてみればその違いが良く分かると思うが、それには多くを見る事が重要、何でもそうだが数を見る事によって分かって来る。
 やはり数を見る事が一番、そして比較して見る事、何処がどの様に違うのかを、それを頭に入れる事が一番良い。
 今回の招き猫、知人DSCN1919.JPGが持ち込んで来たもの、新しいものであると言われて買い込んだと言うが、本人は古いものと思っている。
 現在でも磁器製の招き猫を製造している所もあり、復刻版として売りに出されているから、形は昔のままである。
 良く間違って買い込んで来る人も居るが、新しいものと古いものとを見極める事も大切な事だと思う。
 何故ならば古い物は高値で売買されており、新しいものは形が同じでも、リサイクル商品としての評価である。
 つまり値段は安いもの、場所によっては新品の五分の一以下、もし新しいものを古いと思って買い込んだとしたら大損。
 DSCN1918.JPG招き猫愛好家なら、そんな事はしないと思うが、今回もの込まれたものは新しいものとして売られたもの。
 本人も新しいものと思って買い込んだもの、だから値段も安く売られていたと言うもの、しかしひょっとして古いものかもと持って来たと言う。
 この招き猫、そんなに古いものでは無いが新品の招き猫ではなく、ソコソコ時代のあるものである。
 招き猫の前垂れの絵付けは、少し古い時代の付け方、明治期のものとは違うが、現代のものとも違うもの。
 値段が安ければ良い、新品のものでは無いから、新品を買うよりも安くて良いものであり、買い得であったと思う。
 本人はそれを聞いて喜んでいたが、柳の下にドジョウは二匹も居ない事を肝に銘じないと、落とし穴にはまるからと諭しておいた。
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2017年01月28日

個 性

      装  飾  性


 SANY4376.JPG古時計を集めていると、色々な事を経験させてくれるし、又発見もさせてくれるもの、その時は気づかなかったけれど、家に持ち帰り壁にかけて見ていると、ふと気付くことがある。
 古時計と言うのは、デザインにあまり力をかけていないものと思っている方が多いが、決してデザインをなおざりにしているものではなく、洗練されてシンプルになっているだけの事。
 そのシンプルさも、当然考えられあえてシンプルに作ってあり、シンプルさゆえに考えていないように思われ、そこが製作者の狙いなのかも知れない。
 例えば、極普通の八角合長の柱時計、余分なものを削り取り、八角形と五角形の2つから成る形だ、之が1番シンブルな時計の形と成ったもの、しかし、このシンプルな八角形が最も洗練されたデザインなのだと思う。
 今我々が眺めている時計の形、之には色々な条件での試行錯誤した上で完成されたデザインであるから、今見てもスッキリとして実に美しい形と成っている。SANY0866.JPG
 時計と言えば八角形、日本人はこの形の物に慣れ親しんできた、明治以後140年間以上、日本人と共に時を刻んできたこの形、我々の眼には焼きついてしまったもの。
 シンプルであり、尚且つ親しみのある形、時計としての役割は十分過ぎる位に果たして来たもの、それどころか我々の生活の中に深く入り込んで行ったこの形。
 古き良き時代のこの形の時計、今は影を潜めてしまい、現代に生活している若い人には、時計の形やイメージは、今や八角型から離れようとしている。
 現在販売されている時計は、昔の時計の様な形をしたものではなく、色々な形のものが多く販売されており、彼らの時計に対すイメージは大きく変わろうとしている。
 彼らには、時計とは八角形にあらず、人様々な形をSANY8777.JPG想像するのであろうし、又現在はそうなっている現実でもあり、我々の感覚とは大きく離れるものとなった様だ。
 時計のデザインは時代と共に変わって来たし、またこれからも変わって行くと思うが、我々が慣れ親しんだ八角型の時計には愛着もある。
 人はそれを古いとも言うが、決して私は古いとは思わない、むしろ百数十年経っても今尚受け継がれて来た形は永遠だと思う。
 この形だけは、これからも長く残って行くに違いなく、受け継いでいって欲しいものだと思うが、果たしてどうなる事やら。
 日本人にとっては、時計とは八角型のイメージが長く植え付けられて来た、時代が変わってしまっても、八角型の時計のイメージは変わって欲しくないと思う。
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2017年01月27日

瀬戸の水滴

      陶 器 の 意 地 を 示 す

IMG_0013.JPG 明治期に製造された時計の水滴、日本の陶器の産地が其々の水滴を製造したが、殆どが磁器で製造されており、時代にあった商品開発がなされた。
 其の多くは、文明開化の真っ只中にあって、流行の先端を切って時計の形をした水滴が製造され、各産地が商品の出来を競って新しいデザインを生み出した。
 時代にあった商品は磁器であり、磁器で水滴を製造することは流行に乗り遅れまいとする、産地の意気込みでもあったと思われるが、其の中にあって、瀬戸の製造元が敢えて陶器で水滴作りに挑戦していた。
 当時は西洋の新しい物がもてはやされた時代、其の中で各産地は新商品開発にしのぎを削っていた時、市場の消費者は当然の事磁器で製造された物を求めるのが当たり前。
 従来の陶器に変わり磁器が市場を独占しようとする時期に敢えて、瀬戸の窯元は陶器で水滴を製造して市場に挑戦を仕掛けてのであるが、これは大きな賭けでもあったと思われる。すいて.jpg
 時代に逆行して陶器で商品を製造する事への拘り、産地瀬戸の職人の心意気とも取れる冒険であり、従来の陶器のままでの製造は出来なく、新たな製造方法を使って水滴を製造するしかない。
 陶器の生地は、磁器と違って粘りが少なく、薄くすると破損してしまい、磁器と同じ製造方法を採ることは出来ず、如何にして薄く製造するかは職人の技量に掛かっている。
 当然の事であるが、製造に当たっては試行錯誤の連続であったと思われ、如何に薄く製造するか、そして強度をどの様にして保つのか、難題が山積していたと思う。
 瀬戸の陶器職人は、これらの難題を全て解決し、磁器で製造された水滴と肩を並べる商品を作り出したのであるが、其の軽さは陶器とは思えないほどの軽さ。
 写真の陶器の水滴は、色もカラフルであり、軽さも磁器よりも軽く、陶器で製造されているとは思えないほどの出来栄え、之を実現させたのは、歴史を積み重ねてきた瀬戸SANY0028.JPGの陶器職人の意地ではないだろうか。
 瀬戸の陶器職人は、古くから新しい物に常にチャレンジしてきた歴史があり、時代時代の幾多の試練にも、その技術を駆使して乗り越えてきた自信がみなぎっていたのである。
 其の結晶が写真の陶器で製造された水滴、何処から見ても陶器で製造されているとは見えず、職人の業の高さが際立った出来の水滴である。
 





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2017年01月26日

装飾品2

      何が付くか



 DSCN2089.JPG古時計を多く集めていると、色々な事に気が付く事があり、その時々によってはなるほどと感心する事もあるが、その逆に何でこんな物が付いているのか不思議になる事もある。
 当然だが当時を知る事は出来ないから、必然的に推測するしかないが、之が又人其々に推測する事ができるから面白いもの、私が推測したものと、知人が推測したものと違う事。
 当たり前と言えばそれで終わってしまうが、人が推測するのには分けがある事も当前、その時計を見て感じ方が違うから推測も違う、この時計の場合がまさに其れである。
 その時計とは大正天皇即位記念に製造された特殊な時計、この時計をめぐって私と友人とでは推測が全く違ったものになり、ドチラも譲らずに現在まで来ている。
 この時計、天皇家の印、三種の神器がデザインされDSCN2086.JPGた時計であり、数多く製造されたものでなく、少量生産の特殊時計、その為に市場では中々手に入らない物。
 即位記念の時計は数が少ない事、当時記念に時計を製造した会社は数社あったようだが、現存している時計は少ない。
 勿論当時は数があったと推測されるが、何故現在残っていないのか、その疑問が湧くことになるが、原因が分からないのだ。
 ひょっとしてそんなに製造されていないのではと思ったりするが、少なくとも四社が製造したと思われ、現存している時計から推測だが。
 それが事実としてもっと多く製造されたと思われ、どうして姿を消してものか、その原因は何か、色々と考えてしまう。
 そんな疑問は兎も角も、論議の的は時計の両袖に付いている飾りがそれであり、解釈が違い意見は真っ向DSCN2090.JPGから分かれての、喧々諤々の論争に発展していったのだ。
 つまり、こう云う事、三種の神器の中で何故草薙の剣だけが雲の下に配置されるのか、勾玉と八咫鏡2つが上なのか、之が大きな問題である。
 三種の神器は、伊勢神宮にある八咫鏡、熱田神宮にある草薙の剣、そして皇居にあるとされる勾玉、これが三種の神器、むらくもの剣は源平の合戦で安徳天皇と一緒に海底に沈んだとされる。
 この三種の神器が付いている問題の時計、上から鏡と勾玉は上部にデザインされており、草薙の剣は振り子室の扉に付く。
 三種の神器に戒律の差別があるのかとか、草薙の剣が何故下に来なければ成らないのか、意見続出でまとまるどころか、トッピナ意見まで出て、結局は藪の中である。
 この時計の製造会社は中間に雲をデザインした意図は何処にあるのか、今となっては知る由もないもの、皆さんはどう思われるのか、一度考えてみてはどうだろう。
 写真がその時計に付いている、両袖の雲の装飾品、此の雲が中間にあるから論議を呼ぶ原因、果たして真相は明治末期まで遡らないと分からない。
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2017年01月25日

好きなカップ

    毎日のコーヒー


 
 DSCN1854.JPGコーヒーが好きで毎日飲んでいるが、別にコーヒー通ではなく一種の習慣みたいなもの、若い頃より飲んでいたから。
 一番飲んでいたのは仕事で外に出ていた時、得意先との接待にとコーヒーを飲み、時間があいたからとコーヒーを飲み、その繰り返しであった。
 その為に喫茶店巡りを繰り返していたもの、待ち時間があればコーヒーを飲んで時間をつぶしていたので、自然と飲む量が増えてしまった。
 多い時には10杯以上は飲んでいたと思う、そんなに飲むと胃があれると言われたが、幸いにも胃は大丈夫であった。
 兎に角よく飲んだもので、お陰様で何処のコーヒー店が良いとか、此処からならすぐそこのコーヒー店が良いとか、喫茶店をよく覚えてしまったものだ。DSCN1856.JPG
 そんな頃に出会ったのも古時計であったが、雰囲気の良い喫茶店には古時計が掛けてあったので、自然とそこに行く事になった。
 面白いもので、そんな雰囲気が好きな人達が自然と集まり、何時しか友達付き合いをする仲に、今でも付き合っている人も居る。
 若い頃に知り合いとなり、古時計が持つ縁で自然に付き合い出して、お互いにコーヒーを飲みながら時計談議をしたものだ。
 そこのマスターがコーヒーカップを集めており、中々のものを持っていたから、それも殆どがマイセンの器であった。
 常連客には黙ってその器でコーヒーを出してくれ、こちらが気に入った器だと知ると、言わなくDSCN1857.JPGてもそっとその器でコーヒーを持った来てくれた。
 勿論高いものが多くて、はじめは知らないから、その器が高いものとは気付かず、後で知って驚いたこともある。
 そんな事でマイセンのカップに自然と興味が湧いて来て、自分も一つくらいは気に入ったカップを欲しいと思い出す。
 そんな時に現れたのが例の機械オンチの男、彼が「お前コーヒーカップが欲しいのか」と聞いて来たのだ。
 聞かれたので「マイセンのコーヒーカップが欲しいが高いから買えない」と言えば、「お前古時計は買えるのに、コーヒーカップが買えないのか」と言うのだ。
 確かに彼の言う通り、古時計は高くても買えるが、コーヒーカップは高いから買えないとは変な理屈である。DSCN1859.JPG
 そこで彼に「そんならお前が買ってきてくれ、高いものはダメだぞ」と念を押して、彼にカップを依頼したのだ。
 機械にはからっけしダメな男だが、他のものならやっぱりプロ、私よりも目は肥えているし、よく知っているのだ。
 2、3か月後、彼が我が家に持って来たのが写真のコーヒーカップ、予想通りに落ちついたものであり、一目で気に入ったのだ。
 初めて自分でマイセンのコーヒーカップでコーヒーを飲む事に、確かに値段も安いが、あの男の目も確かなものだと思った。
 私の好きな落ちついたものを買って来るとは、ヤッパリ気心の知れた仲、改めて彼がプロだと知った。
 このコーヒーカップ、少し小振りでデミタスみたいであるが、デミタスではないと言う、時代的にも古いタイプのものだと言う。
 それ以来、このコーヒーカップで毎日飲んでいたが、少し小さいので飲む量が増えだし、最近では大きなカップに変えている。
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2017年01月24日

古時計の振り子

    何だか変


 
 DSCN2004.JPG知人が私のもとに見て欲しいと古時計を持参、訳を聞くと「古時計を買い込んだが何だか変」と感じたからと言う。
 何処が変だか分からないからと、仕方なく彼が持参した古時計を見る事に、「何処で買ったのか」と聞けば、知人「蚤の市」と答える。
 この知人、最近古時計に目覚めたらしくちょくちょくと買い込んでいるらしく、その都度私のもとに持って来るのだ。
 何故古時計に目覚めたのかと言えば、家を改築してから、自分の部屋にインテリアとして古時計を買い込んだのが切っ掛けだと言う。
 自分の好きな時計をと思って時計屋に行ったが、欲しい時計が無かったので諦めて帰って来たらしい。
 その後、蚤の市で程度の良い四つ丸ダルマを見つけ、それが気に入り買い込んで家に持ち帰ってきたとの事。DSCN2011.JPG
 店主は時間もぴったり合う時計で買い時だと言うので、値段を聞いてみたら自分の予算内であったとの事。
 新しい時計を買う予定の予算が図らずも古時計に変わってしまったが、本人は四つ丸ダルマが気に入り、自分の部屋にピッタリだと思ったらしい。
 何より程度が良くて、改装した部屋にもあい、その古時計を眺めていると気が落ち着く感じだと言うのだ。
 本人はとても良い買い物をしたと思っていたが、後日あるアンティークショップに立ち寄った際、同じ古時計を見たとの事。
 しかし、その時に変な感じであったと言うが、何処が変だか分からなかったので、家に帰って自分の古時計を見てみた。DSCN2006.JPG
 すると振り子が違う事に気が付き、自分の振り子はダダの丸いものであるが、見て来たものは少し違っていたと言うのだ。
 何で違うものが付いているのか不思議には思ったが、会社が違うから振り子も違うものだと思ったらしい。
 勿論、買う時店主が言っていたように時間は合うから、その点は安心しているとも言うが、それでも何だかスッキリとしないのだと言う。
 私に何でだと聞くので、「あんたの買い込んだ時計、振り子が違うものだ」と告げれば、そんな馬鹿な「時間がぴったりと合うのに違うものか」と半信半疑。
 普通四つ丸ダルマの振り子は丸いモノの上に葉っぱの付いた振り子が当たり前、例外もあるが単なる丸いものでは無いと教える。
 「結局俺は知らないから、オリジナルのものでは無いものを買わされたのか」と不機嫌になっている。
 仕方なく彼の古時計を取り、文字盤をあけて振り竿を交換、そして手持ちの葉っぱの付いた振り子を付けてやった。
 本人も「これがオリジナルのものか」と機嫌を直し、改めて古時計をモット知ろうと思ったらしい。
 ちょっとの事であるが、その時は気が付かない事も、値段が安いからと言って慌てて買い込まない事だと教える。
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2017年01月23日

右か左か

    雛巡りの追い込み



 
SANY2444.JPG 来月2月4日から始まる瀬戸の雛巡り、その準備に追い込まれており、最後のあがきをしている最中。
 毎年の事だが何時も泥縄状態、切羽詰まらないと準備速度が速くならないが、これも何時もの事。
 何時まで経っても同じ事の繰り返しをやっており、終わってからの反省材料唯が、それもまた直らないのだ。
 そんな事を繰り返して11年、今もまた同じ最後の追い込みを、しかしペースは上がらないのだ。
 昨年、雛巡りが終わって、後片付けをした時に、完璧な状態で片付けた筈、しかし今年も明けてみると部品が足らない。
 SANY2455.JPG御殿を組み立てていると途中で部品がない事に気が付き、探して見るが見つからない、そんな筈がないはず。
 片付ける時にあれだけ気を付けて作業をしたのに、何で部品がないのか、組み立てが進まず作業中止。
 全員で部品探しに、部品探しにと言っても、昨年展示した場所のものを探すしかなく、何処展示したものか調べる事に。
 作業した人たちは今年も同じメンバー、片付けたのも同じ人達、だからそんな筈がないと口々に言うが。
 現実は今作業がストップしているのは事実、部品がないからだが、全員がブツブツと独り言が出る。
 「そんな筈がない、あれだけ気を付SANY2413.JPGけて片付けたから」と、「みんなもそれを見ていたよね」と言いながら部品を探している。
 時間をかけて探し当て、やっと作業が再開しても、「何であんな所に入っていたのか」と又全員で独り言。
 時間がないから早くしないと、そんな事で再開したのに、今度は作業を見学している人から、「すいません少し教えて下さい」と声がかかる。
 何の事だと手を止めて「どんな事ですか」と聞けば、「今飾っている雛人形の事です」と言われるのだ。
 忙しいに、それで無くとも部品が無く慌てて探し、作業が再開したばかりなのにと思いつつ手を止める。
 雄雛と雌雛の座る位置、どちらが正しいのか教えて欲しいとの事、私は全部雄雛が右で展示している。DSCN0392.JPG
 昔ながらの置き方、これは昭和3年の即位式以後左右が逆になったもの、昭和天皇が変えられたのだ。
 色々な説が存在しているが、どれが正しいのか不明、大正天皇に原因があるとも、色々とある。
 それはさて置き、昭和3年から左右が変わったのが事実、京都など昔ながらの置き方をしている所も多い。
 関東風とか関西風とか言っているが、何方でも良いのでは、天皇さんが変えられたのだから、右と左。
 そんな事で質問の返事をして、作業再開、あと数日しかないのに完成させる事が出来るのか、大変である。

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2017年01月22日

酒は強くない

    何時もの飲み会

 

DSCN2050.JPG 久し振りにいとこが我が家にやって来たが、久し振りと言うよりも大分時間が開いたと言うべきか。
 従兄弟とは定期的に酒を呑むようにしており、何時も我が家に寄って来るのだが、私よりも少し下である。
 おかしなもので従兄弟はどういう訳か良く集まり酒を呑む、従兄弟会なるものを行っているからだ。
 多い時には30人は集まり宴会が繰り広げられ、飲むわ飲むわ、兎に角酒には強いものが多い従兄弟会なのだ。
 よく聞かれるのは何で従兄弟が集まるのかと、確かに現在では従兄弟とあって酒を飲む機会は無いと聞く。
 それよりも何で従兄弟が集まるのかと、確かにその通りで他ではあまり聞かないとも言うが、うちの従兄弟は良く集まるのだ。
 母親の実家の連中が集まるのだが、母親の兄弟が多い事もあDSCN2051.JPGり、従兄弟の数は他よりも多いのでは。母親は9人兄妹、だから従兄弟も多い。
 そして母親の親父が大酒飲みと聞く、そのせいか酒飲みが多くて、集まれば酒を飲むのだが、その量が大変だ。
 どうしてあれだけ飲めるものなのかと思う位に飲む、遺伝とは恐ろしいもの、そんな事だけはちっかり遺伝している。
 我が家の家系は酒には弱い、親父もお袋も弱かったが、親父酒は嫌いでは無かったので、ちょくちょく飲んでいた。
 親父は弱いくせに酒が好きで、我が家にもよく親父の友人が集まっては酒を飲んでいた事を思い出す。
 特に冠婚葬祭時は大変、兎に角酒豪ぞろいで、宴会は延々と続き、酒の量もどんどん増えて行くのだ。
 私と歳の近い従兄弟は数人、何時も集まるのはこれらの連中、DSCN2052.JPG今日は早く終わろうと飲みだす時に確認。
 持ち寄ったものを摘みにボチボチと飲みはじめ、はじめはビールと決まっており、何時ものスタイルで飲みはじめる。
 彼らはビールから焼酎に切り替わり、私はウイスキーかブランデーと何時ものスタイル、これが少し続く。
 その内、彼等は自分の持って来た酒よりも、我が家に置いてある酒を飲みだし、知らないうちに私の酒を飲み出すのだ。
 これも何時もの事で我が家に何があるか知っての事、少し酔いが回り始めると、必ずこのスタイルになるのも何時もの事。
 酒飲みとは何ぞやと、そんな事を思いつつ彼らと酒を飲むのだがDSCN2053.JPG、飲む事が楽しいと言うが、私は従兄弟と合う事が良いと思っている。
 小さい時から気が合う連中で、従兄弟同士であるが故に遠慮が無く、何時もお互いをけなし合うが、それも酒が入るからだ。
 それでも何だかんだと理由を付けては酒を持って寄って来るし、何時も我が家で飲み会がはじまるのだ。
 従兄弟とは幼い時からの顔なじみ、歳も近くて気も合うから、飲み出したら話が弾み中々終わるものでは無い。
 何時しか時間も過ぎて、最初の約束は何処に行ったのか、早く終わる筈がまだまだ続くようである。
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2017年01月21日

旅のお土産

      良い物は何時までも



 旅のお土産と言っても様々、食べ物が多いが、食べ物以外もやっぱり多いものは、何が良いSANY2162.JPGのかは本人次第、食い気ばかりの人は食べ物以外考えてない。
 その反対に、物ばかり買う人もまた多い様で、旅の土産と言ってもやっぱり様々、俗に「土産物に旨いものなし」とよく言われるが、果たしてどうであろうか。
 名物に旨いものなしとも言うが、そもそも人の好みは千差万別、人其々に好みが違うから万人向きの物は、やっぱり美味しくないと言えるかも知れない。
 食べ物は当たりハズレがあったりするが、土産物はそおであってはならないが、それも物を見る目が無いといけない、良し悪しを見抜ける目もまた必要である。
 特に地方に行くと伝統工芸品も多く存在しているが、昔ながらの手法で造られたものだ。
 職人の伝統技術が脈々と受け継がれて来たもの、土地土地に寄ってものは違うが、手間暇のかかる逸品である事は確か。
 そんな伝統工芸品を目で見て、その技術の高さを知る事が目を肥やすものだと思う、ただ何となく見るのではなく、如何にして造られたものなのかを知る事だと思う。SANY2166.JPG
 もう40数年になるが良く行く秋田角館、武家屋敷の面影が色濃く残る東北の小京都、ここ角館は食べ物も美味しいところ、春の山菜は又格別だ。
 良く行った角館の「東海林」、元秋田放送のアナウンサーをしていた女将、この名物女将が進めてくれた山菜料理、素朴であるが実に美味しくて、春になるとここ「東海林」に行きたくなる。
 はじめて角館に行った時、お腹が空いたので看板に引き付けられて「東海林」に偶然入った。
 郷土料理が食べたくてうろついていた時、目に入って来たのが「東海林」の看板だった。
 そこで出て来たのが山菜料理だが、思わぬ野趣あふれる料理に舌鼓を打ったもの、実に美味しかった事は忘れられない。
 そんな角館の名物が「樺細工」、伝統工芸の最たる物で、伝統に培われた技術が冴え、色々な樺細工が有名、いろいろあって目移りするばかりだが、東海林の女将が進めてくれたものがある。SANY2168.JPG
 近くに樺細工を造っている店があるから紹介してあげると、紹介された店に行く事に。
 思っていたよりも大きな店、そこで造られているものを見て買いたくなった。
 実に細かな細工で、職人さんの仕事を見ている内に、こんなに手間暇かけて造られるものならばと、ツイツイ心が動いてしまった。
 それが茶筒、ここ角館の茶筒は天下一品、繊細に造られた茶筒は何年経っても狂いが無く、使えば使うほど良くなる代物、買い求めて40数年になるがビクともしていない。
 今も益々綺麗な姿をしており、使えば使うほど味わい深い物となるようで、湿気などは受け付けない、やっぱり女将に勧められて買ってよかった。








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2017年01月20日

フクロウ

      夜 の 見 張 り 番
SANY0709.JPG
 フクロウは一般的に人気が高く、鳥の中でも人々に好まれる鳥として知られているが、何故人気が高いのかと言うと、1つにはフクロウは夜行性であり、夜に活動する事から番人の役割をすると言われる。
 別にフクロウが番人の役目をするのではないが、夜る見るに強い事から選ばれたようであり、置物や飾り物は玄関に良く掛けたり、置いたりしてあるのも、その理由からである。
 しかし、実際のフクロウは可愛らしく見えて実は獰猛な生き物、当然肉食動物であり、小さい生き物にとっては恐ろしい鳥の1つ、しかし人間にはねずみやモグラ等を食べてくれる益鳥である。
 これらの行動からフクロウは人々に人気があり、森の番人とも呼ばれ親しまれている鳥、日本にも数々の種類のフクロウが生息しているが、一番人気はシマフクロウであろうか。
 時計の世界でもフクロウの形をした時計は世界各国で作られており、日本でも製造され人気が高い時計の1つ、あの大きな目DSCN1077.JPGが左右に動き、時刻を知らせる鳴き声を出すのも、人気の秘密かもしれない。
 実際に日本に入って来たのは明治以後、それも多くはなく大正時代になって急に人気となり、多くの時計製造会社が製造している。
 フクロウ型と言っても色々な形のものが造られており、梟の種類も様々なものがあり、ミミズクや子持ちフクロウなども人気だ。
 勿論普通のフクロウ型のものが多いが、特殊な梟を造っていた製造会社もあり、主に中小の時計製造会社が細々と製造した。
 現在人気のフクロウの時計は子持ちのフクロウ型が一番人気、そしてミミズク型のフクロウも人気が高く、梟時計を二分した形となっている。
 両方とも製造数は多くはなく、人気が先行しているために値段は高いものとなり、中々愛好家の手に入り難くなっている。
 無い物ねだりと言う訳で子持ちフクロウの時計は、SANY1846.JPG更に値段が上がっているようで、異常とも言えようが数が少ないから仕方がないのかも知れない。
 普通のフクロウ時計も気長に待てば手に入ると思うが、程度の良いものとなると難しいかも知れず、見つけた時が買い時か。
 写真のフクロウ、実にゆったりとした面構えのフクロウ、厚い板をノミで鋭く削り出しているが、そのノミ後があたかもフクロウの毛並みに見え、作者の意図としているふっくらとした姿が印象的だ。
 じっくりとフクロウの顔を見ていると、どことなくトボケタ雰囲気があり、あの獰猛な行動をする鳥とは思えず、非常に可愛らしく見えてくるのは、作者の心が出ている為なのか。
 やっぱりフクロウは、人間を優しく包み込むような雰囲気を持った鳥であり、そのとぼけた様な顔がまた人々から愛される理由でもあるようだ。
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2017年01月19日

和時計の部品

    部品一つ一つ


 
 SANY5909.JPG和時計は奥が深いと言われているが、どの様に深いのかは知る人ぞ知ると、そんな風に言われて久しい。
 和時計は一台一台違うもの、勿論作者が違えば当然の事違いが出て当たり前の事、人それぞれに造り方が違う。
 それが和時計であるとも、部品一つが手造りであるが故、同じ物がないとも言われているのも当然。
 現代みたいに量産が出来るものと違い、時計師が一台、一台製造していたもの、つまり二つ、三つと製造していないのだ。
 特にお抱え時計師は主人が指示しない時計は造らず、指示された時以外は時計を造らせてもらえなかった。
 SANY3059.JPG町の時計師も同じ事、発注のない時計は造らなかったと言われているが、事実はどうであったのだろうか。
 勿論、勝手に時計を造っていたのではない事は理解できるが、受注以外は造らなかったのかは疑問でもある。
 そもそも和時計は大量に造るものでは無い事だけは確か、一台生産であった事は事実である。
 しかし町の時計師は生活がかかっているのだから、受注がないものは造らないとは限らない、むしろ逆ではないだろうか。
 生活のために発注のないものも造り、それを売っていたとしか思えないが、そんなに簡単に売れた訳ではないと思う。
 SANY4016.JPG高価な時計を簡単に売れるとは思われない、むしろ売り難いものであったと思うが、それが和時計であると思う。
 前置きが長くなってしまったが、和時計がチョット変わった仕組みで製造された事は理解して頂いたと思います。
 和時計の部品、勿論一つづつ造られたもの、同じ部品はない、例えば止めネジが紛失したから、別の時計から外して付けようと思っても付かないのだ。
 その留め金は、その時計の為だけに造られたもの、他のネジとは違うものなので、別のネジを付けようとしても付かない。
 それが和時計の部品、言い換えれば全く同じ物を造らなかったとも言えるが、しかし同じものを造れない事はない。SANY3078.JPG
 敢えて造らなかったのであり、現代では再生不能であると思われ、だから一つの部品でも貴重なものなのだ。
 一見、見た目には同じように見えても、そこは時計の部品、明らかに違いがあり、流用はまず無理である。
 現代の量産された部品とはやっぱり違うもの、職人の技が造り出したものであり、機械で造ったものでは無いからだ。
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2017年01月18日

時計の形

      呼 び 名 は



 SANY2170.JPG古時計の呼び名はいろいろとあり、通称で呼ばれている物も多く、普通の人はどんな物であるか分からない呼び名もある。
 よく知られているものに「四つ丸ダルマ」と呼ばれている時計、古時計を愛好している人はよく知っていると思うが、達磨型の時計の事、形がさかさにするとダルマさんに似ている事から。
 日本では四つ丸と呼ばれているが、アメリカでは数字の8に似ている事から「8の字」とも呼ばれているというが、これも形が良く似ているからだと思う。
 そしてこの時計の小型の達磨時計を「姫達磨」と呼ぶ、姫達磨とは小さいと言うものであるが、可愛いと言う例えにも使われる。
 そんな古時計の呼び名、まだ私が古時計を集め出したころの事、古時計の呼び名など知らない時の事だが、業界では面白い呼び方をしていたらしい。
 たとえば「福助型」と呼ばれる時計、普通の八角型の古時計だが、八角型とは呼ばずに福助とか、福助型とか呼んでいた。
SANY0660.JPG 私も最初は何の事などかさっぱり、店主が福助、福助と呼んでいるので、「すいません福助とは何の事ですか」と聞いたら、店主ニヤリと笑い「あんた素人だね」と一言。
 仕方なく「教えてください、素人だから」と言えば、古時計の呼び名で八角型の時計の事」と教えてくれ、他の店に行ったら知らないと言わないようにと教えてもくれた。
 ようは業界用語で八角型の時計を指すらしい、1つ利口になった気分と思えば、立て続けに主人「もう1つの呼び名もあり、雷型とも言う」と付け加えた。
 要するに業界用語で、「福助とか雷とかは八角の時計を指す言葉」と覚えておけとの忠告、ありがたく拝聴して覚える事にしたが、やっぱりその語源が知りたい。
 今一度「何故福助や雷」なのかと聞けば、「俺が分かるわけない」と今度は吐き捨てるような発言、そんな事俺に聞くなとの返事だが、折角其処まで教えたのであれば、最後まで教えて欲しいものだ。
SANY0866.JPG 店主は何時も呼んでいる呼び名であるが、その語源も分からずに業界用語を使っているだけの事、其れを知っているから時計が安く買えるわけでもないが、知らないよりは知っていた方が良い。
 面白いもので古い道具屋さんは、昔から符号でやり取りをする事が多くて、もちろん素人には分からない言葉である。
 業界言葉である事は確かで、色々な業界言葉があるが、骨董業界にもそんな呼び方をする習わしが存在していたのだ。
 店に来る客を知る上でも、業界言葉が通じれば、それは同業者である証、そんな時は当然の事それらしき対応をしているらしい。
 現在では此の呼び方、殆どの人は知らず、業界の人でも此の呼び方をする人は少なくなり、今でもたまにインターネットで此の呼び方の文字を見る事がある位だ。
 それにしても、「八角型を福助とか雷型とか呼んでいた、昔の人達のセンスの良さは、今の人たちには無い良さかも知れないが、これも又時代なのか。
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2017年01月16日

御殿の修理

    雛巡りの準備

 

SANY4283.JPG 毎年開催している雛巡り、今年も開催されるが、その準備にすでに入っており、色々な物を修理しなければならない。
 特にこれから始まるのは御殿の修理であり、一番厄介な物の一つで、中々進まない修理でもあるからだ。
 現在所有している雛御殿は約40セット、その中でも多く展示をするのが久米邸と商店街の展示場である。
 古民家久米邸の展示は毎年御殿が中心の展示、それを期待して見学者が集中し、混雑が予想されている。
 私の持っている御殿の内、一番派手で大きなものをここで展示しているもので、人気の的となっている。
 一番大きなものは幅1メートル50センチ以上もあるもの、この御殿は特注品であり、一点ものの御殿である。
 元々雛御殿は普及品のものが中心、幅80センチのものが大SANY1914.JPGきな方、普通はそれ以下が殆どであり、それ以上となると数は少なくなる。
 そして1メートル20センチ以上となると特注品となるのだが、それは当時雛壇が1メートル20センチ幅であったからだ。
 これ以上の御殿は雛段に乗らない、だから普通は80センチものが大半、良く展示してあるものを見て、家のと一緒と言われる。
 確かに形は良く似ているものであるから、一緒と思われるが雛壇は普及品のものだと言うから、この御殿は到底乗らない大きさ。
 自分の御殿が大きく見えてしまうが、普及品はそれほど大きくないもの、会場が大きなせいで見た目には小さく感じるのだ。
 そんな会話も毎年の事、年配の奥様方は頑として自分のと同じだと言われるが、それが面白くて説明している。
 普及品の雛段の幅を聞くと、大きなものだと言われ、これが又SANY1905.JPG面白い事に、他の人がその話を聞いて、普通はこんなに大きくないよと。
 こんな話をしている事で、見学者とより親密になる事も多い、何でこんなに大きなものを造らせたのかと。
 そんな質問に、やっぱり見栄でしょうねと言うと、「お金持ちであったから」と言われ、「普通の家では飾れないわ」と、最後はこんな言葉になる。
 雛御殿も何度も出し入れしていると、当然の事だが傷んで来るもの、特に蝶番は一番早く痛むのだ。
 昔の金具でもあり、錆が来ているせいもあり、壊れてしまう事になるが、この蝶番が現在は無いのだ。
 小さくて幅が狭いから、現代ものでは合わないので、それが一番苦労することに、古い物が部品取りをしているが、足らないのが現状。SANY1884.JPG
 その上次から次へと破損して来るので、現状はお手上げに近い状態、現代ものの一番小さなもので代用するしかない。
 蝶番一つとっても時代の流れが良く分かり、これらが造られた時代を肌で感じる事が出来るのも、展示会であると思う。
 御殿を修理していると、その時代が見えて来ると思え、こんな金具を使っていたのだ、今ではこんな玩具みたいな金具は無いと。
 この時代は、これが当たり前であったのかと、考えながら修理する事に、接して初めて分かる事で、見ただけでは其処に辿り着かないと思う。

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2017年01月15日

左義長7

    年神様を送る


かみさま.jpg 最近左義長を行う所が少なくなってしまった様で、我が家の近くでは既に全滅しており、遠くに行かねばならない。
 正月に使った門松やしめ縄を燃やして、年神様を送る習わし、大体全国で一月十五日に行われているようだ。
 この左義長、古くから行われて来たようで、平安時代には既に行われていたと言う、現在の形式と少し違っていたようだ。
 形式は兎も角も、一月十五日に行っていたとの事、我々が子供の頃はどんど焼きとも言って、門松が山と積まれた。
 現在では殆ど門松は姿を消して、各家庭で門松を立てる所はないが、商売をしている所は今でも行っている。
 しかし近年はその数も激減、余り見かけなくなってしまったのは寂しい限り、これも時代の流なのか。
 元々は各家庭の玄関にたてたもの、私も子供の頃は自分あかたき.jpgで門松を立てるのが仕事でもあり、暮れに門松を立てた。
 今あるような門松ではなく、細い竹を三本と梅の枝、そして若松を切り出して来て立てるのだが、自分の背丈よりも高かったもの。
 そして門松と門松のあいだを細いしめ縄でつなぎ、川砂で門松のあいだに日の出の形の絵を描く。
 太陽を半分にした形にして、光の筋を四方に描く、これが昔から受け継がれて来た門松のスタイル。
 素朴でシンプルなものだが、正月らしい風習でもあったが、最近は見た事がないが、やる人も居なくなったようだ。
 我が家も私がやろうと言う事をしない為、市販の門松で済ませているが、本当は昔ながらの門松を立てたいと思っている。
 このどんど焼き、一説には門松で使用した竹が、火の中ではぜる音がするのでどんど焼きとも言うと。
 確かに子供の頃は竹がはじける音がドンドンした事を思い出すが、その音が語源であったとは知らなかった。
 私の中の左義長は正月が終わり、その余韻にしたっているあかさぎ.jpg頃に行われる行事、そしてどんど焼きで餅を焼く事。
 竹の先に餅を刺して、どんど焼きの火で餅を焼く、松の煙で餅は黒く焼け、それを食べると一年風邪をひかないと言われた。
 その為に家族の分も餅を焼くのだが、火が強くて熱い、竹を長くして焼くのだが、風向きによっては火の粉が降りかかるのだ。
 子供たちはそれを避けて、火の回りをぐるぐる回り、火の粉が掛からない所で餅を焼くのだ。
 そんな思い出のある左義長、今は門松などはなく、しめ飾りだけであるから、そんなに長く焼いている訳ではない。
 ほとんどの所は午前中に焼き終え、その焼けた灰を持ち帰るのだが、これを家の周りにまいて厄除けをするのだ。
 一年厄が付かないようにと、そんな願いを込めて灰を巻くのだが、沢山持ち帰る訳にもゆかないから、家の四隅にパラパラと巻く。
 これが私の中の左義長の行事、今はそれも行えなくなってしまい、どんど焼きも規模が小さくなってしまった。

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文字盤と機械

    一致しない



 古時計を買い込む時に注意しないといけないのは、オリジナルかどうかと言う事、一番良いのはオリジナルの状態のもの。
 古時計は製造された時のまま残っているのが望ましいが、市場に出回っているものは中々そんな状態のものは無い。
 当然の事だが長い間使い続けられたもの、故障したりして修理がなされているから、何処かが違ったものが付く事もある。
 製造させた当時のまま残る方が珍しいとも思うが、それも古時計愛好家が願う事ことであり、そうありたいとも思う。
 しかし現実は厳しいもので、時計として使われている以上修理されていて当然、故障しない方がおかしいと思う。
 だから何らかの原因で元の部品とは違ったものが付いている事が多く、むしろ古時計はそれが当たり前の事。
 それでもオリジナルに拘るのも古時計愛好家、オリジナルの古時計を求めているのだから、そんな人達が今もオリジナルのものを探しているのだと思う。
 勿論その一人が私であり、常にそれを求めて探し続けているが、中々それに当たらないもの、それでも古時計を探すのだ。
 探す事に生き甲斐を見つけているのかも知れないが、それも古時計愛好家の楽しみでもあると思うが、しかし人によっては違うかも。
 古時計で一番オリジナルのものと違っているのは文字盤だと思う、何故ならば一番傷みやすくて変わり易いのだと思う。
 特に紙製の文字盤のものは痛みも早いし、傷もつきやすくなり、当然張り替えられたり、取り替えられたりしている。
 文字盤は一番修理も簡単で、誰でも取り換えられる事もその要因の一つ、だからそんな文字盤が市場に多く出回っている。
 当時から張り替えようの文字盤が用意されており、何時でも張り替えられるようになっていたので、張り替えられていた。
 もう一つの要因はローマ数字からアラビア数字に切り替えられた事、暗い室内ではローマ数字の文字盤よりも、アラビア数字の文字盤の方が読みやすい。
 老ま数字は暗いと時間が分かり辛い、2時と3時と読み違える事も、3時と4時の見違えも多かったと聞く。
 そんな事もあり当時は簡単に張り替えて使用、実用向きにされた事は当然の事、当時の人は使いやすさを優先していたのだ。
 時計屋さんも当時はサービスで修理の時、痛んだ文字盤を張り替えていたと言われ、簡単に行っていたようだ。
 良くあるのが文字盤にアンソニアのマークが付いているのでアメリカ製だと思っている人も多い、文字盤を信用しているのだ。
 機械までは見ない人も意外と多いもの、機械は苦手だと言う人も、だから文字盤を信用するとも言うが、これが一番間違えやすいのだ。
 アンソニアの時計は機械にはアンソニアと刻印がされているから、それを確認する事が大事、刻印のないものは疑わしいのだ。
 機械と文字盤が一致しない時計が多く氾濫しているから、それを頭に置いて古時計を購入して欲しいものだ。
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2017年01月14日

薄型機械

      イングラハム

 DSCN1609.JPGアメリカ製のイングラハム社の機械、日本に輸入されてから時計のモデルとして明治期利用され、多くのコピー機械が製造された。
 おもに四ツ丸ダルマが多く、日本製はこの機械をコピーした物が入っているが、この機械は普通の機械よりも薄型の機械、イングラハム社製の四ツ丸ダルマのものと同じ。
 当時ダルマ型の時計として一番人気のもの、その原因は薄型のボデーにあり、明治期から現代まで日本人に愛されて来た時計の1つ。
 何と言っても薄型のボデーと金色、日本人を虜にして来たこの形、同じダルマでもアンソニア社の金ダルマと比べれば、その優美さがより分り、やはり人気の高い古時計である。
 洗練されたボディーは他社のダルマと比べ何処と無くセンスが良い。
 それに比べアンソニア社の金ダルマは機械が厚く設計されているため、当前ボデーも厚くなってしまう事に、おかげで人気薄になったのはSANY3926.JPG、その原因が機械にあるのでは。
 イングラハム社の機械とアンソニア社の機械を比べれば、歴然としてその違いが出る事に、全体はさほど違いの無い機械、しかし厚みのあるアンソニアの機械は、指針を動かす支柱や鍵を巻くゼンマイの支柱が長い事。
 これは元々時計本体の形がイングラハム社のダルマの様に薄くなく、馴染みのある見慣れた普通の深さの箱に入っているものだ。
 つまり、イングラハム社の機械が特殊、アンソニア社の機械が普通、これは他の機械も同様で、普通の機械をイングラハム社のダルマの箱に入れようとしても無理だと言う事。
 何故無理解言えば、センターの時計の主軸が短い事と、ゼンマイを巻く主軸も極端に短く、普通の時計の箱が深いせいもあり、両方の主軸が文字盤穴から出てこない。
 写真で見ると左のイングラハム社の機械の主軸と、アンソニア社の主軸を良く比較してみて、その違いが分かると思います。SANY3948.JPG
 右のアンソニア社の機械の主軸が長いことに気付くと思いますが、これが普通の機械でして、殆どの時計会社の機械と同じもの。
 そしてもう1つの違いは主軸の位置、イングラハム社の機械の主軸は狭くて、アンソニア社の主軸は広いのも、これも機械の違いです。
 そして一般の文字盤をつけると、イングラハム社の機械の主軸は見えなくなり、特にゼンマイを巻く主軸は穴の位置から外れている。
 これではゼンマイを巻くことは出来ず、イングラハム社の機械を普通のダルマに入れようとしても出来ないことが、主軸の位置でも分かることになる。
 そんな訳で、イングラハム社の四ツ丸ダルマが優美に見える仕掛がここに、時計本体が薄い事と機械が薄いのとが両立して、あの姿となり、多くの古時計愛好家から支持を受ける理由であると思われる。
 計算された姿こそが、人々を引き付ける魅力となっているもので、偶然から出たものではない事が分かると共に、時計の姿も重要なもSANY3943.JPGのだと言う証拠でもあると思う。
 一番下の写真は左国産の機械、右がイングラハム社の機械、同じ様に見えるが細部にわたって違いが分かる人は、古時計通といえよう。
 もちろん国産の機械はイングラハム社のものをコピーしたもの、しかし何処がどう違うのかはじっくりと機械を見ないと分からないと思う。

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2017年01月13日

思い出の品10

    これを見るとあの時の事が


SANY7200.JPG
 昨年5月に陸奥行脚を行ったが、弘前には行けなかったので今でも心残りであり、行けば良かったと後悔している。
 弘前だけなら青森まで飛行機で行き、簡単に行けると思うが、今回は以前辿った道を追っかけ、それを巡る旅であったから。
 盛岡までは行ったが、その先が行けなかったので残念、盛岡からそんなに遠くはなかったが、往復となるとちょっと話が違う。
 折角行くのならあちらこちら行きたい、だからそれでは難しいと諦め、盛岡から引き返してしまった。
 帰って来てから、やっぱり無理しても行けば良かったと、そんな気持ちになってしまい、後悔しているのだ。
 この弘前には多くの思い出があり、若い時より何度となく通った所、特に「南部炉端、鍵の花」は常連であった。
 南部炉端は地元の友人が連れて行ってくれた処、一遍で気に入った処、そんなに大きくない店であったが。
 そこで友人と地元料理に舌鼓を打ち、酒をたらふく飲んだ思い出のSANY7222.JPG処、雰囲気は抜群に良かったもので非常に気に入った。
 しかし10年前に弘前に行き、「鍵の花」を探したが見つからなく、近くで聞いてみたが閉店してしまったとの事。
 これには友人とガッカリ、此処を目当てに弘前まで来たのにと、当時はガッカリしてそのままホテルに帰ったしまった。
 あそこが無ければ何のために来たのかと、2人でホテルの食堂でブツブツ言いながら食事をした事を思い出す。
 そんな鍵の花の思いでは縁起担ぎでもあったので、これが無くなったと言う事は縁起が良くない証拠、そんな風に2人とらえたのだ。
 事実、この後再びホテルを出て、ラーメンを食べに行くが、お目当てのラーメン屋が分からないのだ、確か鍵の花からそんなに遠くない所にあったはず、しかし見つからない。
 2人とも店の名前を憶えていない為、人に聞く訳にもゆかず、それらしき所をあちこちと探すが見つからない。
 確か四つ角にあったはず、それもそんなに大きくない店で、前が広くなっていたと思う、そんな店を探したが見つからなかった。
 弘前まで来て、鍵の花は無く、ラーメン屋も見当たらない、何のためSANY7216.JPGに来たのか、更に2人のイライラは大きくなるばかりであった。
 結局弘前でのその夜は炉端での食事はおろか、ラーメンまで食いはぐれてさんざんであったが、翌日久し振りに友人に電話して合う事に、やはり弘前まで来たのだから。
 友人に話を聞けば、2つの店とも閉店してしまい今はないとの事、だからあれだけ探しても見つからないのだと。
 そんな2人を友人は気の毒に思ったのであろう、炉端のある店に連れて行ったくれ、そこは鍵の花と良く似た雰囲気の店であった。
 昼間から酒を飲むわけには行かず、炉端料理で腹を満たすつもりが、結果は3人とも酒が入り、良い気分で店を出た。
 その帰りに行きつけの骨董屋に立ち寄り、思いがけない時計を見つけて、今までの気分が吹っ飛んでしまったようだ。
 これを見るとやっぱり弘前に行って良かったと、そんな思いで深い古時計で、弘前は縁起の良い所であったと思う。



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2017年01月12日

修理票

      履歴書でもあり



 古時計と付き合っていると、その素性を知りたいと思うのが人情、どう言う経路で自分のもとに来たのか、其れを知りたいと思う。SANY5677.JPG
 誰しもが古時計と向き合うと、こんな思いになった事はあると思うが、私も長年古時計と向き合ってきて、何時も思う事だ。
 我家にやって来た以前に、この時計は何処で暮らしていたのだろうかと、その1つの手がかりは修理票、時計を修理した所の名前があるからだ。
 修理票は殆どの時計に貼られていたと思うが、この修理票はその時計の履歴書でもあり、手掛りの目安ともなるもの。
 時計は長年使えば故障するもの、故障すれば修理がされるが、時計屋さんは保障として修理票を貼るのが普通。
 修理票にはその時の年代や場所、保障期間などが記載されているので、それらを見れば最小限度の出処が分かるのだ。
 何回か修理されている物は、保証書も多く貼り付けてあり、程度の良い修理票は、その時計の履歴書みたいな記録が残る。SANY5684.JPG
 持ち主が大事にしてきた古時計、毎日使うものであるから当然故障するが、その都度時計屋さんが修理表を貼る、これは一種の保証書でもある。
 何年に修理したものなのか、何処を修理したものなのか、値段は幾らであったかなど書いてあるものの。
 我々に一番ありがたいものは、詳しく日付から修理箇所、そして値段まで書いてあるものが一番。
 その古時計の履歴書、逆に言えばその時計の製造された年代も分かるもの。
 時には同じ時計屋さんの修理表が上から張られており、枚数の多いものもある。
 これが一番詳しく分かる修理表の良い例、ただこの修理表を順に剥がすのも一苦労するが、それもまた楽しいものだ。
 この修理票、それだけではなく、その他の事も分かって面白い事も、人手に渡ると別のところの修理表が貼られる。
 SANY5689.JPG其れから推測出来る事は、この持ち主が転居したのか、それとも他人に渡ったのか、修理票の持ち主の名前を見ると、同じか、別の名前か、それで判断もできるもの。
  百年以上を経過した時計などは、その修理表が付いていれば、色々な事が分かってくるもので、修理表も重要な手がかりの1つ、その時計の辿って来た歴史でもあるから。
 修理票を見て、この時計の生い立ちを想像するのも、古時計愛好家のひとつの楽しみ方と思う、自分の所持している時計の生い立ちを、探って見るのも良いのではないだろうか。
 単に時計を集めるだけではなく、その時計が語ってくれる歴史を紐解くのも楽しさが倍増するもの、1つで2度美味しい、そんな楽しみ方もあるのでは。
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