2017年02月28日

リプロ

      土 台 が 良 い


 SANY1076.JPGアンティーク物は程度と雰囲気、これが一番大事だと思う、物が良いのはあたり前の事だが、自分に合わないのは幾ら良くても欲しくはなく、自分好みのものしか要らない。
 勿論アンティークはいろいろなものが存在しており、どれを買うかは自分次第である。
 アンティーク物を使用する時は十分注意をしないといけない。

 当然の事だが古いものである以上故障するもの、特に電気製品は要注意。
 部品が古くなっていたり、普通の使用に耐えないものも多く、修理は当然の事であると思う事、電気製品は慎重のうえにも慎重にすることが肝心だと思う。
 自分で修理が出きれば良いのだが、電機ものはやはり専門の人に頼むことだと思う。
 後で失敗してからでは遅いから、これだけはプロに任さないといけない。SANY1072.JPG

 アンティークとは、100年以上前のものでないと「アンティーク」とは呼ばないらしく、其れより新しい物は「ビンテージ」と呼ぶらしいが、日本ではその規定はない。
 何でも同じであるが幾ら高価な物でも、自分が欲しくない物は要らないのだ、それよりは別に高価でなくとも好きな物であけばそれで良い、高いから良いとも限らない。
 とまあ強がりを言ってしまったが、本音から言えば高い物は買えないとの結論、しかし安くても良い物もたくさんあり、其れを見出すのも腕の見せ所かもしれない。

 事実、目が利かなければ良い物と悪い物を見極められず、それには沢山の良いものを見るのが1番目が鍛えられ、その経験が目利きになる一番の早道でもある。
 何処かの誰かが良く言っているセリフ、「博物館に行って本物を見て学びなさい」と、「多くの本物を見て覚えないと目利きにはならない」とも、やっぱり目の肥やしである。
 写真のランプ、之を買ったのはランプの土台が気にSANY2104.JPG入ったから買い込んだもの、アンティークではなくリプロであり、現代に製造されたコピー商品である。

 しかし、雰囲気と云い、形と云い、そして何よりも土台のデザインが良く、このランプを見て一目で好きになり買い込んだが、普通はランプのガラスが良いから買い込むのが当たり前だ。
 私は、ランプに目もくれず、土台に目がくらんだといって良く、ランプは付いていれば良いと思っていたのだが、店の主人「之は新しい物ですから」と、再三念を押していたのが可笑しかったのだ。

 後で騙されたと言って来ることを恐れての事だと思う、しかし初めからそんな事は分かっており、ランプは自分の持っている古いものを変えれば済む。
 それよりも気に入ったものが付いている方がよく、自分好みのものを探すのは中々難しいものだから、見つけた時が買い時である。
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2017年02月27日

黒猫

      孫が見つけた



SANY0187.JPG 我家の孫、6歳になるが猫が好きで、2歳のころ我が家にいた猫に興味を持ち、猫に近ずいて尻尾を掴んだが、猫はビッリクして逃げて姿を消してしまった。
 其れ以来、我家の猫は孫を見ると直ぐに逃げ出す始末、無理もない話し孫のやる事は強烈、猫の尻尾を力任せに引っ張る、当然猫は逃げ回るのだ。
 そんな事はお構いなし、孫は猫が気に入ったらしく、相手が逃げ回るのを面白がって追いかけ、部屋中を駆け回る始末、之では猫はたまったものではない。

 幾ら孫が猫を好きになっても、猫の方は尻尾をひっぱり回されてはたまったものではない、逃げ回るのは当たり前の事、それでも孫は追い掛け回す。
 孫にとっては猫が可愛らしくてたまらず、何処の猫を見ても近寄り尻尾を掴もうとする、家の猫ならまだ知らず他の家の猫では危険、相手は驚いて引っかく事もある。SANY4043.JPG
 まだ孫はそんな猫に運よく出くわしていないが、もしもの事があってはと此方はヒヤヒヤなのだが、当の本人は我かんせずとばかりに猫に御執心だ。

 私の部屋でまたまた黒猫を見つけ、私のもとに持ってきて「黒猫ちゃん」と差し出したが、何処でこれを見つけたのか、沢山あるブリキ缶、その中から探し出したのか。
 小さな子は何をするかわから無い、このブリキ缶は蓄音機の針がいっぱい入っており、もし開けてバラバラになったら針が刺さる事も、持って来た時はヒヤリとしたものだ。

 猫が好きで、この缶についている黒猫が目に入ったらしく、嬉しそうに持ってきたので、こちらが慌てたが態度に出すとビックリするからと、そのくせ内心は怪我しなくて良かったと思ったもの。SANY4040.JPG
 写真が持って来たブリキ缶、三つも持って来るとは欲深いが、缶に付いている猫を見つけるとは、小さな子の目の付け方がヤッパリ違うと感心するやら。
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2017年02月26日

和洋折衷

      流行りもの


 SANY4056.JPG何時の時代も新しいものが好きな人は多いが、明治の頃は特に盛んに新しいものを求め、人々は競い合うように買い求め、流行の先駆けを担った。
 火事と喧嘩は江戸の華といわれた江戸時代、目新しいものには目がない江戸っ子、時代が明治に移り文明開化がやってくる事に、すると江戸っ子、目新しいものに飛び付く。

 古来から日本人は舶来物に目がなく、奈良時代より日本人の弱点でもあり、良しにつけ、悪しきにつけ、舶来品に弱い民族となってしまったようだ。
 現在でも世界の最先端を行く日本であっても、やっぱり舶来ものと言うとすこぶる弱い、日本人の外国に対するコンプレックスなのかもしれない。

 それは兎も角、今回紹介するのは明治時代の版画、文明開化そのものズバリの版画、江戸時代と同じ役者絵と最先端を行く船時計、この奇妙な取り合わせだ。
 この時代、西洋時計が一気に押し寄せ、各家庭に入り込もうとする時期、金持ちは競って西洋時計を購入、一種の文明開化ブームの始SANY4059.JPGまりを告げるスタートを役者絵が切る事に。
 明治の赤版と言われる下地に、見事な役者絵を描き、その上には時代の先端を行く船時計を配置した役者絵版画、この様な構図の版画が当時流行した。

 江戸時代にそうであったように、明治に入っても変わらない役者絵、大見得を切った姿にどこか不釣合いのように見える時計、しかし全体のバランスは可笑しくない。
 絵師の腕が良いのか、版木を扱う職人の腕が良いのかは知らないが、今我々が見ても迫力は十分、生き生きとした明治の香りが匂いたつようだ。

 この版画はシリーズ物として、時間ごとに役者をかえて図を描き、12時の図として売り出したもの、つまり12枚シリーズの役者絵版画となる。
 当時の人は、文明開化を肌で感じ、江戸時代との決別を計ったのかも知れず、庶民が時代の波に乗っSANY4057.JPGてゆく逞しさが伺える版画でもある。
 ただ当時の版画を担当していた人々が、果たして西洋時計を何処まで知っていたかは不明。

 もしかすると実際に西洋時計を見ずして、この版画を制作したものなのか、時間が何故中途半端な時間なのか、偶々そのようになってしまったものなのか。
 たぶん三代豊国の作と思われるが、西洋時計に精通していたかも不明である。
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2017年02月25日

5人ばやしの並び

      誰 が 何 処 に

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 雛人形は女の子の守り神とされ、子供の成長を願って買い求めたもの、戦後は派手になって三月三日のひな祭りとなる。
 この雛人形、誕生には色々な説があるが、元々は厄除けの儀式からともいう、子供の役を祓う形代から来ているとも言う。

 雛人形が定着するのは世の中が平穏無事な時代になってからと、それも江戸時代になってからだと言うが諸説あるのだ。
 その中に5人囃子が存在しているが、この5人はやし能の囃し方、武家の作法に則ったものであると言う、それに対して公家風のものは雅楽の囃してであると言うらしい。
 武家風、公家風それぞれに違った5人囃子となるらしいが、馴染みのものは武家風であり、最も多く造られている。
 現在目にする5人囃子は武家風のもの、この5人囃子が一般的なものであると、SANY1083.JPGしかし中々その生い立ちを知る人は少ない。
 雛人形の囃し方、もとは能のはやし方であり大体は可愛らしい子供が行っているのが普通、5人囃子であるから5人の子供が太鼓や鼓で演奏をしている姿。
 昔から子供の姿をしたものが多く作られたようであるが、大人の5人囃子も存在して、昔のスタイルになっているものもあるが、やっぱり5人ばやしは可愛らしい子供方が良い。
 5段飾りや7段飾りの真ん中の段で可愛らしく演奏、15人飾りの中子供は、この5人しか居なくて、そもそも囃し方は本来大人が演奏するもので、子供が演奏することはない。

 能の囃し方、武家に仕える能の囃しを担当する人々、武家が好んだ能には無くてはならない人達、そして3人官女は宮中の女官、武家と公家の混合それが雛人形である。SANY1084_1.JPG
 では5人の並びはどの様に飾るのか、地方によっては並べ方に違いがあり、一般的に音が大きく出る物から順に並べるのが普通、太鼓、おおつづみ、小鼓、笛、はやし方の順に並べる。

 写真の5人ばやし、尾張瀬戸で製造された磁器で出来た雛人形の5人囃子、大正から昭和に掛けて瀬戸で製造されたものだが、これは昭和の物である。
 顔立ちも子供の可愛らしさが前面に出ており、その色合いも良く程度はまあまあ、この磁器製5人ばやし現在数が少なく、中々手に入らない物、特に古いものは貴重品である。
 高さ5センチ、横4.5センチと大きくなく、白い生地に絵の具で彩色され、絵付けをしただけの物、2度焼きがされていないから色が取れてしまい、所々色が薄くなって斑になっている。
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2017年02月24日

カレンダー機構

      曜日か日付け


 SANY0238.JPG時計の中でも特殊な物にカレンダーの機構が付いている時計があり、普通の時計とは別の扱いをされ、その数は余り多くは無いが各社が製造した。
 明治期にアメリカから輸入された時計は多く、その中にごく少量のカレンダー機構の付いた時計も輸入されているが、全体の時計からすれば特殊な部類である。
 普通の時計と比べれば当前の事価格も高価、普通の家庭では余り購入されなかったが、一部の支持層に購入され使われたようで、珍しい時計でもあり、注目もされた。

 カレンダーの付いている時計、種類は大きく分けて2通りに分かれる、単体のカレンダー時計と複数のカレンダー時計、単体とは曜日だけのカレンダーが付いている時計。
 複数のカレンダーが付いている時計は、曜日、日付、月、などのカレンダーが複数付いている時計の事、明治初期にはこの様な複数のカレンダーの付いている時計は殆ど輸入されていない。
 主に単体のカレンダー付き、曜日ならばそれだけ1つ付いている物、日付であればそれだけしか付いていない物、この2種類の時計が少量輸入されていたようである。SANY1638.JPG

 普通カレンダーの付いている時計の内部を見ることは余り無いと思う、文字盤の下に隠れている機構は上からでは見えないもの、どの様な仕組みか余り知られていない。
 そもそも、カレンダー機構は別の歯車と組み合わせによって起動するもの、時計製造会社のよってその機構は少しづつ違いはあるが、歯車が三つ余分に付いており、この組み合わせによりカレンダーとして動く仕組み。

 写真は、日付用と曜日用と二種類のカレンダー機構であるが、写真右端の歯車の歯数により、曜日と日付に分かれるもの、歯数の多いものは日付用、歯数の少ないものは曜日用である。
 真ん中の小さな歯車と左の歯車の組み合わせによって、右の歯車が動く仕組み、中央の歯車が2回転すると右の歯車が回転する仕組みになっており、大きく動くのは歯数の少ない曜日カレンダー。
 小さくしか動かないのが日付用のカレンダー、仕組み自体は簡単な仕組みであるが、歯数の組み合わせが問題で、一定の法則によって歯数が決まる。DSCN1835.JPG
 この組み合わせで取り付け位置が時計製造会社により違いがあり、左の歯車の取り付け位置が、上の方であったり、あるいは下の方であったりと位置が違う。

 文字盤が多少違っても、この歯車は同じ物が使用されており、文字盤が大きいからと言って、変わる事は無い。
 8インチ文字盤と10インチ文字盤、カレンダー機構は同じものが使われ、10インチだから大きな機構を使う事はない。
 文字盤に合わせて針の大きさが変わるだけの事、ただ12インチ文字盤のものは例外もある。

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2017年02月23日

インテリア

      ム ー ド 1 つ

SANY2067.JPG
 毎日生活している部屋、ツイツイ惰性で何も衣替えしなくて、何時もと同じ雰囲気のまま、如何にかしようと思ってはいるが、思っているだけで時は過ぎる。
 そんな毎日、誰しも経験があると思うが、とり分けて何処を如何し様かと言うものでもなく、何とかならないものなのかと、只思っているだけの事。

 具体的な考えは大抵ないもの、何とかしたいと思う心があるあらわれ、雰囲気を変えるには部屋の模様かえをしなければならないと思ってしまうが、もっと簡単な方法がある。
 部屋の改造となればお金もかかる事になり、すぐには出来ないが、考え方を少し変えるだけで雰囲気がガラリと変えられる方法、それはインテリアを変えることである。
 其れも大層な良いものを買わなくても、安くても良いものがあり、自分の感性で選べばよいと思う、たとえば部屋の明かりを蛍光灯から、電球式の物に変える。
SANY2069.JPG
 これだけの事で雰囲気が変わるもの、何も白熱球にしなくても良く、エコの時代であるから電気代の高い白熱球、しかし今は白熱球らしい蛍光灯があり、電気代も高くならないし、雰囲気もある。
 今ある蛍光灯の照明器具を取り払い、その代わりにアンティークなランプシェードに変えてみたら、アンティーク物は少し値が張るもの、それを少し高いと思えば、リプロのランプシェードがある。

 高いアンティークを買わなくても、今リプロは良い物がたくさん出ているから、自分好みの物を選べばよく、お金もさほど掛からずに雰囲気はガラリと変わるもの。
 たかがランプシェードと思いがちであるが、蛍光灯からランプシェードに変えただけでまったく雰囲気が変わるから、1度試してみたら如何だろう。
SANY8402.JPG
 こんな話をしていると、今時時代に逆行しているのではないか、今はLEDの時代であり、アンティークなど省エネにならないと。
 そんな意見が出る事は必定、確かにその通りかも知れないが、省エネの時代、電力消費を助長しているのではなく、一時の心の安らぎを求めるのもよいと思う。
 それも大々的にするつもりもないから、自分の出来る範囲で一つでもアンティーク物に切り替えてみたらよいと思うが。
 
 
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2017年02月22日

セルロイド

      懐かしの玩具


SANY0042.JPG 我々の子供の頃に遊んだ玩具、大体が忘れ去られるか、捨てられるかドチラかであり、大事に保管それている物は少なく、人にもよるが普通は忘れ去られるのが常。
 私達子供の頃に遊んだ玩具、何時の間にか何処にしまい込んだのか、忘れてしまい廃棄処分になっていることが多い、ご他聞にもれず私の玩具もそれだ。
 子供の頃に夢中になって集めた「グリコのおまけ」、この玩具は私も自慢できるもので、その数は大きなブリキの缶に2個ほど集めたが、グリコのおまけは非常に小さくて、数は多くあってもかさばらず、ブリキの缶2個だと凄い数になるのだが。

 このブリキの缶、私が結婚する時に確かに持ってきたはずであったが、その後探したが見つからず諦めていた時、お袋から実家を改築するから、自分の荷物を整理するようにと連絡があった。

 SANY0037.JPGしかし、マタマタその時は用事があって実家に行けず、お袋にかたずけて欲しいと連絡、テッキリかたずけてくれたと思っていたが、なんと廃棄処分されていた。
 お袋は「かたずけて」との事を、廃棄しても良いと勘違い、要らないものとして結局廃棄処分されてしまい、今は無いのだ。
 当時は仕事が忙しくて、お袋から連絡が入って来たが実家には片付けに行けなかったのだ、それが悔やまれてならない。
 子供の頃からグリコのおまけをセッセと集めていたもので、粉ミルクの空き缶に一杯集めていたので、その数は多かった。
 おまけ欲しさにキャラメルは食べず、只おまけだけを集めてミルクの缶に入れ、それが溜まるのを喜んでいたのだ。

 今残っていたらすごい数のおまけの量、自分でも当時自慢していたから、数は多かったもので、残念でならないが後の祭り。SANY1862.JPG
 惜しい事に「グリコのおまけ」は幻と化してしまったのも自分のせい、お袋に一言言っておけばと悔む事しきりである。。
 今思えば、あれだけのグリコのおまけ、素晴らしいコレクションであったと後悔、あの時に取りに行けば良かったものをと、写真の玩具はグリコのおまけとは違い、助かった物の1つ。

 セルロイド製の高さ8センチ位の物、落下傘部隊の隊員の姿をした人形、当時としても珍しい物で、余り多くなかったように記憶している物だ。
 この様な落下傘隊員の姿をした人形は、今では殆ど見られない様になってしまい、貴重な資料としてのセルロイドの玩具、之が残っていてくれ、なつかしいのと嬉しいのと両方であるのだが。
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2017年02月21日

古時計の形

    八角型以外に


SANY4376.JPG 古時計の形は色々と存在しているが、勿論多い形は見慣れた八角型、これが古時計の定番となっている。
 古時計と言えば八角型と連想する人は多いと思う、それが年配者であればある程、その印象は高いと言える。
 それらの人達の感覚は古時計が八角型と刷り込まれているようで、時計の代名詞となっており、それは幼い時の記憶からだ。
 自分の体験から摺り込まれているもので、現代人とは少し違った印象を持っていると思われる。
 今の人達は時計が八角型であるとの認識は少ないと言われ、その原因は勿論多様化された時計産業にある。
 プラスチック全盛のころはどんな形の時計でも製造でき、八角型に拘らなかったこともあり、八角のイメージは薄れて行った様だ。
 この頃から若い人たちはプラスチックの時計を好むようになり、時間も正確だし、それでいて長い間電池を入れなくて済む。
 いちいちネジを巻く事のない時計を求めたもの、それが段々と普及して行き、ネジ巻の時計が無くなった原因でもある。
 クオーツ全盛の時期、八角型の時計は影を潜め、自由な形の時計DSCN1834.JPGが氾濫、そんな時代に育った人たちにとっては、時計は八角だとは知らないし、余り気にもしていないようで、時計の形はと聞けば、「何でそんなこと聞くのか」と思うようだ。
 色々な形がありすぎて、時計の形と言われてもピンと来ない、それが現実こちらの質問の意味も分からないようだ。
 そんな彼らに「以前、時計の形は八角型が普通であった」と告げると、ビックリしたように「何で八角なの」と聞き直す。
 実際に私も展示会場で若い人から、「ここの時計は何で八角形の時計ばかりなのですか」と、そんな質問をよく聞く。
 こちらがビックリするくらい、彼等は自然に聞いて来るからだが、それが不思議に思えるのも歳をとったからなのか。
 時計は八角だと思っている我々が古くて、今の時代にはズレが生じているのかと、そんな思いになってしまう。
 古時計の世界だけが八角型の世界なのか、これも時代の流れである事は確かだが、最近若い人が古時計に興味を示しはじめている。
 現実に保存協会の会員さんも若い人が多くなって来た事、ネット会DSCN1979.JPG員がそれを物語っていると思う。
 時代、時代に時計の形も進化して行くもの、そんな風に最近は思えて来た今日このごろであるが、それでも納得は行かない。
 しかし我々年配者には古時計の形は、あくまでも八角型、それでなければ時計のイメージが湧いてこない。
 生まれてこのかた古時計は八角型と頭の中に染み付いており、子供のころ時計の鍵巻きは私の仕事でもあった。
 決まった時に鍵を巻くのも当たり前、子供の仕事として常に八角型の時計と接してきたから、時計はこれしかないと思っている。
 それ位八角型の古時計は身近なものであり、他の形の古時計は身近に感じないもの、やはり子供の頃より染み付いたものなのか。


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2017年02月20日

久太郎のこけし

    色々な見学者


SANY6711.JPG 瀬戸市の古民家久米邸、以前から色々な物を展示しているが、こけしもそのうちの一つであり、人気の高いもの。
 今またこけしブームと言うが、私のものは古い物で昔買い込んだもの、別にこけしを集めようと思ったわけではない。
 一つ、一つ買い込んでいる内に数がふえただけ、目的があった訳でもなく、単に好きであっただけの事。
 特に小椋久太郎のこけしが好きで、買い求めているうちに多くなったもの、自分でも驚いているのだ。
 並べてみたら数が増えていたので、こんなに買い込んだのかと改めて思うが、それだけ魅力があると言う事。SANY1012.JPG
 久太郎のこけしは何処と無く憂いを込めている様な、そんな気がするから、自然と手が出てしまう。
 大きな物から小さな物まで種類は色々、特に大きなものに引かれてつい買い込んだが、自分の家では置けなくなったしまった。
 そんな事もあり、この久米邸に置いて貰っているが、見学者からは人気のようで安心したもの。
 自分の所では狭くて置き場所にも困っていたから、ここでなら一挙両得、見学者にも喜んで貰えるなら。
 そんな訳でこけしを展示してから、愛好者が見に来るよになったと担当者から聞き、こちらがビックリしている。SANY1017.JPG
 そんな見学者の中には小椋久太郎のファンがいると言う事、中でも大型のこけしに人気が集中しているとの事。
 何処で大きなこけしは売っているかとの質問もあるらしく、担当者は困っているとも、当然の事だと思う。
 担当者は自分で買った訳でもなく、ただ私が置いて行っただけの事だから、何処で売っているかと聞かれても困るのだ。
 そんな時は携帯電話で私のもとにメールが入るが、私とて何処で売っているかと尋ねられても、秋田空港で私は買い込んだから。
 勿論秋田市内で販売していSANY0860.JPGるらしいが、大型の物となると直ぐに手に入るかは疑問でもあるのだが。
 私の知るところでは秋田市内では見かけた事があり、ネットで調べて貰えればと答えるしかない。
 それにしても久太郎のこけしは人気のようで、私ととして喜ばしい事だと思っており、展示して邪魔者扱いでは可哀そうだからと思っていたから、それなりに見学してもらい感謝しているのだ。
 それだけ小椋久太郎のこけしが人気であることの裏返しでもあり、今でも欲しい人が居るのだと思う。
 しかし久太郎も故人となり、今は果たして残っている作品があるかどうか、後はネットで探すしかないと思う。
 それにしても久太郎のこけし、人を引き付ける魅力があると言う事、何とも言えないあの顔だから。
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2017年02月19日

木枠の文字盤

      金属より木


 伝統と技術、長い間に培われてきた伝統と技術、日本古来のもの造りを支えてきSANY2151.JPGた職人、彼らは経験の上に技術を磨いて、伝統産業の担い手となってきた。
 彼らは新しい物を生み出すと言うよりは、今までに培われてきたものを引き続き、自分の熟練した技術によって作り出すことに専念、自らの発想で物を作り出すことは余りしなかったようだ。
 注文主の意思に従い、より良いものを作り出すことに専念してきたのであって、新しい商品としての物作りをあえてしなかったのは、職人としての範囲を超えると考えていたのか。
 あくまでも依頼されたものを完璧に作り出す事、之が彼らの仕事と割り切っていたので、それ以上の仕事はしなかったから、その技術に於いては尚洗練されていった。 明治に入り、西洋物に押されて古来の漆器類は序藷に衰退をして行く、何時の時代でもそうであるが、新しい文化が芽生えると、片方では古来の文化が忘れ去られてゆく運命にある。
 真さにその狭間にあった時代、本来は金属で製造するべき部品、其れを木工技術で製作すると言う仕事SANY2153.JPG、当時はプレス機械は高価で、中々資本投下の出来なかった時。
 西洋から入ってきた西洋時計、当然価格も高くて中々庶民には手の入らないものであったが、明治中期に入り国産化が進む事になる。
 多くの国産時計製造会社が誕生し、西洋の時計をモデルとして製造を開始することになる。
 目的は価格を抑えて一般庶民に西洋時計を供給する事にあるため、色々な部門で苦労する事となる。
 そんなおりに職人たちの技量を利用する事によりコストも抑えた時計を製造。
 職人たちに培われてきた技術を採用する事を思い立ち、木の素材を轆轤で挽き、プレス加工されたものと同じ形を作る事、彼らにすれば朝飯前、簡単な事。
 轆轤で挽かれた木工部品を、今度は漆職人が漆を掛け、更に金箔を施して、金属に見せ文字盤枠を製造、見た目には全く分からず、まさか木SANY2156.JPGで出来ているとは思わない。
  そんな文字盤枠が出来、ブリキの板を釘で打ち付けて、本来の文字盤と同じ形に作り上げた、プレスが無くとも簡単に同じ物を作ってしまった、当時の職人の技量、古来からの伝統技術の結晶でもある。
 この木枠の文字盤枠を製造していた製造会社は、蛎殻町製造の新居常七と吉沼時計の吉沼又右エ門、この両社は木枠を採用しているが、ほんの一時期の事である。
 蛎殻町製造の時計の文字盤、製造番号が106番であることから、最初期の物であることが分かり、吉沼時計も最初期に採用していたようだ。
 その他の時計製造会社も一時期この機枠の文字盤を採用、市場に送り出している。
 写真は木で出来た枠にブリキの板が打ち付けられて、本物の文字盤のように製造された物、写真や目で見てもこれが木で製造されているとわ思われない出来。
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資料は乏しい

      悪  戦  苦  闘


SANY0205.JPG
 古時計と付き合い出して早や40数年を過ぎてしまったが、未だに奥が深くて中々全容がつかめず四苦八苦、情けない事でありまだまだ未熟を痛感させられる。
 古時計を集め出した時は何も感じず、只時計を数多く集めるのが1つの目標みたいに成っていたもの、兎に角人よりも多くの時計を欲張って集めていた。
 ある程度の数が集まり、自分でも不思議であるが名古屋で製造された時計を全部集めても、そんなに時間なぞ掛からないとその時は思っていたのである。
 時間が経つにつれ、名古屋で製造された主な物は殆ど集めたつもりで、時計関係者を集め、よせば良いのに全部集めたと公言したが、その時までは自分でこれで全部であると信じていた。

 鼻高々で関係者の前で其れを披露したが、その時師匠でもある吉田嘉一氏から、「戸田さんマダマダこれ位では全部とは言えないですよ」と厳しい指摘があった。
 吉田氏から、その時「名古屋で製造されている時計は100社を超えているから、これの倍以上は有ります」と驚きの発言があったのを覚えている。
 吉田氏にその後幾度となく名古屋で製造された時計の種類を教えてもらい、其れを手掛りに獅子奮迅の働きのように動き回り、時計を探索したもの。
 結果は、未だに名古屋で製造された時計を全部集める事が出来ず、疲労困憊している始末であり、この先何時までかかるのかお先真っ暗な未熟者である。
 その原因は、吉田さんから貰った名古屋の時計に関する資料や自分で集めた資料、自分では之だけの資料があれば「鬼に金棒」と思っていたが、世の中そんなに甘くなく、分からない時計ばかりでこれまた四苦八苦。
 名古屋の時計は奥が深くて、底無し沼のように「行けども、行けども」辿りつかないが、それでも進むしかなく前進あるのみである。
 現在分かっているだけでも100社、それ以上にまだまだ沢山の組み立て会社が存在しており、どれくらい存在しているか分からないと言う。
 名古屋地域の時計を全部集めるなどと言う事はとんでもない事、それを目標に軽い気持ちで踏み込んでしまったがまだまだ先は長い。
 何時になったらそれを達成できるものなのか見当もつかないが、最初に立てた目標は諦められないので、これからも進めるつもり。
 写真は林市兵衛の明治20年代の時計製造工場の図、林市兵衛の資料も思ったほど多くなく、全容解明には程遠いのが現状であるようだ。
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2017年02月18日

目標は1つに

      古時計蒐集禄


SANY0866.JPG 時計愛好家から良くある質問に、珍しい時計を集めたいが、どおすれば良いのかと言う質問、質問の中でも1番多いものだ。
 確かに珍しい時計は誰しも手に入れたいのは人情、私もその1人であるから人にとやかく言えるものではないが、やっぱり同じ考えでもある。
 珍しい時計と言っても色々とある事は確か、どれが珍しいと思うかによって分かれると思うが、人其々であるから一概には言えない。
 誰しも認める珍しい時計はそんなに有るはずがなく、少ないから珍しい、珍しいから欲しがるが物が無いと、矛盾しているところが珍品時計でもある。
 初めて時計を蒐集し始めの人も、ベテランの蒐集家もそれぞれに欲しいものがあり、それは目標を持たないと大変な事になる。
 何故ならば古時計は数が多く、新しい物から古いものまで千差万別、あたりかまわず珍しい時計を求めても手に入るはずが無いのだ。
SANY4546.JPG 私の経験上、今までに珍品と言われる時計の殆どが、偶然の産物である事、その時は欲しくて手に入れたものは少なく、出くわしたから手に入れたもの。
 それが後になってから珍しい時計と分かっただけの事、それを目指して求めた物でないから、質問の内容にもよるが答えは的を絞るしかないと思う。
 今だから言えるが、私は若い時からお金が無かったから、高い時計は手に入らないと思い、人のやらない国産の時計に目標をおき、安くて面白い時計を求めたもの。
 特に八角の掛時計、それも有名な製造元ではなく、地元名古屋で製造された時計、これが安かったから自分でも買えたもの、安いから買ったのだ。
 その中に偶々、今となっては珍しいと分かった時計も幾つかあるだけの事、自分にあった目標を早く見つける事こそ、1番の早道と言えるのではないだろうか。
 DSCN1979.JPG古時計の原点と言える八角の時計、マダマダ珍品といえる時計が潜んでいるから、私はこれからも八角の時計を目標に探すつもりです。
 目標を絞る事こそ、目的を達成させる1番の早道と思う、やっぱり自分自身で、これと思う時計を目標に定める事こそが、早く答えが出ると思う。
 しかし高いものは買えないから、地道にコツコツとやるしかないと、そんな思いで今日も古時計を探してさまようのだ。

 
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2017年02月17日

組み立て会社15

      存在数は分からず


SANY6946.JPG
 日本の時計製造聡明期、明治初期の時計製造会社は全国で幾つ存在したのか、その実態は今もって謎のまま、その中に数多くの時計組み立て会社も存在していたと思われる。
 特に名古屋地域ではその数100軒を越すと云われ、乱立状態であった事は良く知られているが、その実態となると、これも闇の中である。
 関東地区でも時計組み立て会社は存在しており、現存している時計が其れを物語っているが、名古屋地域と比べれば比較にならないほど少ない。
 その原因は幾つかあるが、精工舎が一手に市場を占有しており、事業参画の意欲をそがれたものではないかと言われるが、それだけでは無さそう。
 しかし、その市場は大きくて、大都会東京での拡販はさほど難しくはなかったと思われるが、驚くほど組み立て会社の存在数が少ない。
 よく会員の中からこの件について質問があるが、その内容は様々なもの、「軒数は幾つくらいなのか」とか、「何故少ないのか」とか、「何処の機械SANY5703.JPGを組み入れたものなのか」と色々だ。
 確かに時計組み立て会社となると、部品調達をしなければならないもの、その最大は機械を何処で調達したかと言うこと。
 1つはアメリカ製の機械を入れているものが多いが、全部がアメリカ製なのかと言われれば、答えはノーと言わざろう得ない。
 ある会員さんから写真が届き、その写真にはローマ字読みでセイメイ舎とラベルに記載されている物、もう1つは東京浅草とラベルに記載された物。
 この2つの時計、間違いなく組み立て時計、しかし現在の残された資料にはこの会社の名前は無い、時計だけが存在している。
 明治期に関東地区での組み立て会社で知られている物は、「コウセイシャ、金森時計」、の2つは良く知られている組み立て会社の時計だ。SANY0168.JPG
 その他にも組み立て会社の時計らしきものが存在しており、明治期、時計商であった高木大五郎もまた、この時計組み立てを行った人物。
 この時計のラベルにはD.TAKAGIと記載されている物、この時計も現存数は少ないが、チョコチョコ目にする時計であるが、実態となると知られていない時計でもある。
 このように関東地域にも組み立て会社は数少ないが存在しており、マダマダ実態が分からないまま、今後の我々の研究課題でもある。
  現物こそ最大の資料、現存するこれ等の組み立て会社の物を、一台でも多く保存するのも我々の指名かもしれないのだ。
 写真一番したのは横浜の組み立て会社金森商店のラベル、珍してもので中々お目に掛かれないもの。
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2017年02月16日

絶対に古い

      アンティークランプ11




 SANY6256.JPGアンティークランプ、懐かしい光を注ぐランプの明かり、今時のクリアーな光ではなく、温かみのある光、そんな光に惹かれる現代人。
 現在の明かりは余りにも明るいもの、あたり前の事だが明るいのが良いと、今まで進んできたものであるが、ここに来て其の明るさが。
 余りにも明るい事に違和感を覚える人も、元来明るさを求めてきた日本人、昭和に入り、高度成長期家庭の灯りは蛍光灯へと進む。
 今までのクリア球の灯りとは別の光、随分と明るくなったもの、其の灯りが年々進化して、必要以上の明るさとなり、今に至っている。
 そんな明るさが果たして必要なのか、そんな疑問を持つ人も現れているが、人其々であるから何とも言えないが、明るすぎる事は確か。
 明るすぎて精神的にリラックスできないと言う人達が、今アンティークなランプを求めていると言う、私の友人も其の1人、別にアンティーク好きではない人。
 SANY6263.JPGその彼が私のもとにランプを持ってあらわれ、自慢げに「今度買ったランプ、良いだろう」と差し出す、一見して新しいと感じ、こちらから「幾らで買った」と聴く。
 すると友人得意げに「安かったが、幾らか分かるか」と、私を試しているようで、仕方がないから、少し高めに「5000円」と答えると、この友人不満そうに「そんなに安くないぞ」と睨む。
 睨まれても困るが、事実新しいランプ、1000円でも高いと思うのだが、友人安かったよ「2万円で買った」と自慢顔、そこに機械オンチの例の友人が登場、何していると話の中に。
 私の持っているランプを見つけ、お前のものか「何で新しい物を買ったのか」と言い出した。
 これを聴いた持ち主「何処が新しい物だ」と不機嫌な顔をしている。
 その後は2人でこのランプの説明に四苦八苦、レプリカで新しく造られたものだと。SANY6266.JPG
 仕方なく家にある同じ様なランプを持ちだして、古いものと新しいものとの違いを説明、ガラスは見分けが難しいとも伝える。
 結局持ち主は意気消沈して帰って行ったが、ガラス物は時代を判断するのが中々難しいから、信用のおける所で買わないといけない。
 それにしても機械オンチの友人、さすがはプロ、新しいと一見して分かるとは、これでなければ商売は出来ないもので、少しは見直してやるかと、この時は思ったのだが。
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2017年02月15日

思い出の品9

      ポートベロー



 SANY2451.JPG思い出の品にはそれぞれのドラマが、友人のアンティーク買い付けでイギリスにお供、大概のマーケットは行ったが、その行った所々で出会いも、それが物であったり、人であったりといろいろ。
 イギリスでの人の思い出は余り良いものは少なく、気分の悪くなるものが多いが、中には今でも心に残る人も、何回かのイギリスの旅のお供で、アンティーク、マーケットは少しは分かるようになった。
 自分でそこに行けと言われれば、絶対に行けないが、連れられて行った所は全部記憶に、その中の一つがポートベロー、ここはあの映画の舞台でもあったからだ。
 しかしそれだけではなく、良い思いでの一つ、例によって土曜日の朝早くにポートベローに行き、早速オルゴールを求めての探索に入った。
 観光客で早くも満員の盛況、しかしバイヤーと言うプロも多い、そんな中、以前に行ったバイヤーの店に着き、友人と早速オルゴールを見る事に。
 バイヤーいわく、「お前たちの為にとっておいた」と指を指す処にオルゴールが5台、確かに良い物のようだが、当然のこと値段次第で決まる。
 SANY2456.JPG遊び出来ている訳でなく、主としてオルゴールの買い付けが主、その為に妥協は許されず、当然の事私に対する期待度が大きく、友人は金を出すだけ。
 そんな状態でジックリとオルゴールを見極めるが、見掛けは全部良い物だ、しかし良く見ると部品が所々換えてあり、オリジナルの状態の物は無く、友人に目配せで合図。
 よくある事だが海外のマーケットはピンからキリまで、良いものから悪いものまで、兎に角多く存在しているが、その中から自分好みのものを見つけ出す。
 しかし見た目だけでは騙される事になり、中をジックリと見ないととんでもない代物も多いのだから、素人では中々難しい。
 そんな時、私はガラスケースの中に写真の懐中時計を発見、オルゴールどころでなく、早速懐中時計を見せてもらうが、やっぱり珍しい物であると同時に程度が良く大珍品、「シメタ」これは掘り出し物だとSANY2453.JPG思う。
 この時計は1880年代に流行ったトリプルカレンダーつきの懐中時計、表と裏の両面にカラクリを施した珍品、日付、曜日、月が表示され、尚且つムーンフェイス付きの懐中時計。 
 その後は想像通り、オルゴールを買うから之を安くしろと交渉開始、とは言っても私がするのではなく友人が通訳、友人にも悟られないように「オルゴールもソコソコだから買いな」と云いつつ、「この時計も一緒に交渉せよ」と、結局安く商談成立して、私の思惑通りこの時計を持って帰ってきた。
 あとで友人「最初からこの時計を買うために、オルゴールを俺に買わせたのか」と私に聞く、私は「とんでもない、お前がオルゴールを買うのならついでに」と思っただけだと、しらを切り通し目出度く目指す時計をゲットして帰って来た思い出の品。
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2017年02月14日

30数年経つ

    我が家のポトス


 DSCN1882.JPG
 居間の隅に掛けてある釣り鉢、部屋には余りに合わない器だけど、コーナーが寂しいからと買い込んだものだ。
 もとはと言えば部屋に緑らしきものがなく、殺風景であると思い植物をと思い立ったのだが。
 園芸店に行きどれが良いのかとあれこれ見て回ったが、これと言った物がなく何度となく通ったものだ。
 あれが良いとか、これが良いとか、色々な物が目に入るが、中々決めがたくて、結局は買わずに帰って来るのだ。
 そんな事の繰り返しをしていたが、やっぱり緑のものがないと寂しい、そんな事でこの鉢を買い込んだ。
 散々迷った挙句に、一番スタンダードなポトスに決め、大きくないものを買い込んで我が家に帰って来た。
 店ではあまり大きくないと思っていたが、我が家に帰って部屋につするDSCN1885.JPGことに、掛けてみると思っていた以上に大きかった。
 部屋の感覚が違うので、店では小さいと思っていたものが、自分の部屋に持ち帰ると大きく見える。
 そんなポトス、どの位置に吊るすのか妻と意見が分かれ、何方にするのか迷った挙句、一番邪魔にならない所に落ち着くことになる。
 只場所は決まったが、天井のボードにあけるネジの位置が問題となるので、何処にネジを止めるのかであった。
 ベニヤ板で天井が出来ているために、石膏ボードとの兼ね合いが難しくて、どのビスにするものなのかと思案しきり。
 と言うのも、案外鉢の重さがあるので、細いネジでは無理、だけど石膏ボードはそんなに大きなネジも無理。
 そんな事で四苦八苦してポトスを吊るすまでに時間が掛かり、やっとネジの場所が決まったと思えば、部屋とのバランスが悪い。DSCN1883.JPG
 ネジは止めたが、鉢を吊るして見れば位置が悪くて、様にならないのでネジを別の位置にすることに、なんだかんだで時間ばかり過ぎたのだ。
 結果的に今の位置の落ち着いたが、あれから30数年が過ぎ、あの時のポトスも未だに元気である。
 ポトスがそんなに長く生き延びるとは思ってもみなかったが、今でも元気で弦を伸ばしている。
 勿論最初から何もなかった訳ではなく、何度となく枯れそうになったが、その都度奇跡的に回復、もとの物と思えば半分以下になってしまった。
 しかし葉を茂らせようと元気に小さな葉を出しており、それを見ると良くも長い間頑張っていると感心する。
 それにしても、ポトスは何年生きているものなのか、30数年も生きていると言う事は、まだまだ大事にしてやれば生きて行くものなのか。

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2017年02月13日

個性派

      秋 田 木 地 山 こ け し




 SANY0996.JPGこの木地山こけしは、明治に入ってから製造されるようになったようで、遠刈田の流れをくむものであり、それから独自に発達したこけしである。
 この木地山こけしを有名にしたのは「小椋久四郎」、彼は「こけし界のスパースーター」、数あるこけし作者の中でも「横綱」とされる人物、明治中頃よりこけしを製作し始める。
 小椋久四郎、(明治11年〜昭和8年)秋田県雄勝郡皆瀬村川向木地山にて、小椋徳右衛門の4男として生まれ、幼い時から木地師の仕事につく。
 父親の木地師の技術を取得、独り立ちした後こけしを製造し出す、温泉場にて販売し好評をはくし、その後本格的にこけし製造を志、久四郎独自のこけしを作り出す。
 小椋久四郎は「一生二人挽き」に拘った人であり、最後まで電力を拒み続けた人物で、これも又伝説と成ったいるが、現在は二人挽きを見ることは出来なくなってしまった。SANY0857.JPG
 彼の作るこけしは気品にみちたものであり、凛とした清々しさを漂わせるこけしを作り出した人、木地山特有の前垂れに梅模様、こけしの中の王様である。
 小椋久四郎の造り出すこけしは躍動感のあるもの、特に前垂れと言われる部分に施されている模様、梅の図柄であるが、彼が描くと梅が踊っているかのようだと言われる。
 その躍動感にあふれる柄と、こけしの優美な顔、この二つが相舞って醸し出す不思議なムードが、こけし愛好家の推奨の的と言う。
 現在この小椋久四郎の作ってこけしは幻のこけしとも言われ、愛好家なら1つは欲しいもの、私もあちこち探したが見つからなかった。
 たとえ市場に出たとしても競争相手が多くて手に入る事は難しく、やはり幻のこけしとして扱われるに違いない。
SANY3974.JPG 小椋久四郎亡き後、息子の久太郎が後を取り木地山こけしの伝統を継承、彼もまた「こけし界の名人とうたわれた人物」に成長、久四郎型こけしを生涯製作した。
 小椋久太郎もまたこけし名人として、木地山こけしを製作、父親の造るこけしと少し違っており、久太郎は几帳面な性格であったと言われ、特に前垂れの図柄はきちんと描いている。
 久四郎の梅は躍るようだと言われ、久太郎の梅は清楚だと言われており、、それぞれの特徴が現われたこけしである。
 写真のこけしも、小椋久太郎作のこけし、左は高さ40センチ、胴体の直径15センチ、右は高23センチと大きいが、左のこけしが大きくて右が小さく見えている。
 右は古いタイプの胴体模様が菊模様、右は前垂れに梅模様の木地山こけし、この2つが木地山こけしの代表格、久太郎は生涯多くの作品を残しているが、久四郎のこけしは数が少なく幻となってしまった。 


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2017年02月12日

愛着のある一品

      使い込んだもの



 誰にも愛着のある一品があると思う、それが何であれ長年使い込んだものは、使いやSANY3731.JPGすくて愛着が湧くもの、ある人はジーパンであったり、ある人は家庭用品だったり、ある人は日用品だったりと様々な物が、人其々にあるもの。
 毎日使い込んだものには、自分の体の一部のようなもの、常に手の中にあり、空気の如く使いこなせるものだが、それはやはり体の一部となったものだ。
 もう40年も前の事、友人が革ジャンを買いに行くからつき合えと云って来たので、しかしなく付いて行く事に、専門店に行くのかと思いきや、見慣れない所に入っていった。
 そこは質流れ専門店、友人いわく「新品の革ジャンなんか着れるか」とうそぶく、しかし本心は金が無いからではなく、新品は嫌だからだが、それはさて置き友人、気に入った革ジャンを見つけて買い込んだ。
 私もついでにと物色、するとライターに目がとまり、その売り場に行くと高級なライターが並んでいたが、これは俺には買えないと思い、店員さんに安くて良いものは無いのかとSANY3734.JPG尋ねてみた。
 すると店員さん「良い物が入っているよ」と、中から取り出したのが写真のライターだ、フランス、デュポン社のライターで、今までに見た黒漆のものとは違うもの。
 店員さんは「余り傷もなく程度が良く、値段も安くしてあるから買い得だと言う、値段を聞けば新品の10分の1の値段、之なら私でも奮発すれば買えるかもと思った。
 友人には中古等買うなと云いながら、自分も中古を買おうとしている自分に、聊かのためらいもあり躊躇していると、友人「値段も安いから買わないと損」とせき立てる。
 確かにやすいし欲しい、しかし安いといっても給料の5分の1、ためらうのが当たり前の事、しかし店員の勧めに負け結局買い込んで友人と店を後にした。
 2人で近くの喫茶店に入り、今日見つけた革ジャンとライターの話しに夢中になる。
 友人はピッタリとした自分好みの革ジャンを見つけ、それも着て帰った来たからだSANY3735.JPG、すでに昔から着ているような素振り。
 確かにピカピカしていなくて、体に馴染んでおり、実に良い風情の革ジャン、私も欲しい位のものであった。
 すると友人「中古を馬鹿にしていたお前も、中古買いか」と嫌味を連発、そんな罵声を諸共せず、気に入って買ったライターを使って煙草を吸う、実にうまいと感じたものだ。
 それ以来40数年、このライターを使い込んで、今では私の手の中でシックリと馴染む、お気に入りのライターとなったのだが、それにしてもあの時買い込んで良かったと、今改めて思うものだ。
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2017年02月11日

漆工芸

      漆  の  達  人 



SANY4915.JPG 明治期に製造された時計には、色々な工夫が施されているが其の1つが金ダルマや金縁があげられ、西洋には無い日本独自の伝統技術である。
 西洋ではニスが用いられて時計の塗料として使用され、殆どの時計にはニスが塗られているが、西洋時計を製造するに当たり、日本の職人は西洋のニスの代用として漆を用いた。
 本来ニスで仕上げる部分を漆で塗ったり、又は接着剤として漆を用いて其の代用としていたようであり、金ダルマの下地には黒漆が塗られており、其の上から金箔を置き、其の上から又すき漆を掛けて金ダルマに仕上げた。
 西洋時計は金泥を用いている為漆は使わないが、日本では金箔技術を金ダルマに仕上げる為、其の手法を用いて金泥の代用をした物である。
 DSCN2126.JPG他にも、西洋時計では色付けニスを使用して彩色されるところを、日本の職人は古来の手法色漆を塗り、其の代用とした事も珍しくは無く、数多くの時計にこの手法が用いられている。
 だだし、現代に於いて其れを色漆で仕上げてあるのに、気ずかない人の多い事も又事実であり、ニスが掛けられていると勘違いしている人も居る。
 写真の時計は、其の漆を用いて西洋には無い技術で見事な細工が施されている時計であり、現在の職人さんには中々真似の出来ない手法を使って製造された時計である。
 この時計、勿論特注品であり、一般に製造されたものでなく、施主の希望に応じて製造された物、時計の外箱は見事な春慶塗が全体に施されており、箱の中まで塗り固められている。
 機械はアメリカ製のアンソニア社のものが使用されており、高級感のある時計である。
 特注品には違いはないが発注者は相当の資産家と思SANY4918.JPGわれ、時計の形も八咫鏡を連想させるものとなっている。
 あえてこのデザインにしたのは、余程伝統的なものを重んじての事か、時計内部まで拘りを見せたのも、その表れなのか。
 そして、時計の表には漆を盛り上げて、鳳凰と龍を見事に図案化し、素晴らしい技術を持って芸術的な時計に仕上げられて、現在この時計を再現したとすると、相当の時間が必要とされるであろう。
 時計前面上部には、鳳凰が飛んでいる姿が漆を盛り上げて作られ、両脇には昇り龍と下り龍が、これまた見事に描かれ、之が漆で描かれたものと分かる人は少ない。
 見た感じでは彫刻されているようにしか見えず、漆で盛上げられているとは分かる人は少ないであろうが、そこまで日本古来の手法を施されているとは驚きでもある。
 鳳凰も龍も図案化されているから、初めは何が描かれているのか、私自身も気がつかずに、人から質問され観察して、始めて鳳凰と龍であると分かったものである。






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2017年02月10日

修理奮闘記

      やれるものは自分で



 SANY4280.JPG古時計と付き合ってから、故障と隣りあわせで付き合ってきたもの、古いものと付き合うのには色々と問題が生じ、中でも故障は常に存在する。
 古時計と言うからには当然古い物、古いものなら壊れやすいのも当然のこと、常に故障との隣り合わせ、之を嫌がっていたら古時計とは付き合えない。
 そして修理の費用も馬鹿にならないもの、数が多ければそれだけ故障もするもの、そして当然お金もかかる事になり、其れが1つの悩みでもある。
 古時計を集めだして頃からの難問題でもあり、未だにこれに悩まされ、常時付きまとう問題、その為に少しでも修理代の節約をしなければならず、結果自分で修理するしかない。
 はじめの頃は修理するはずが、結局は壊してしまい、何をやっているのか分からなくなった事も、そんな状態の中から、必然的に自分の技術を磨くほか無いと思い、実践して修理に取り組むことに。
 まずは、時計を分解する事からはじめ、古時計の機械を外して分解、しかし、そんなに簡単に行く筈は無かったもの、分解したが元通りにならず、四苦八苦。SANY4282.JPG
 初めのころは、結局組み立てができずに分解したまま、時計屋に修理に出す事になり、時計屋からは「素人がかまうとこお言う事になる」と、嫌味を言われたこともしばしば。
 そんな事で、次第に自分の実力を上げる事に励み、大抵の小修理は自分でこなす事が出来る様になり、修理費も少しは減ったかのようであったが。
 しかし世の中そんなに甘くないもの、修理の数より物の方が増えて、次から次へと故障するの事に、修理が追いつかなくなるのだからしょうがない。
 写真の時計は置時計のゼンマイが切れたもの、分解してゼンマイを取り出し、切れた箇所を切り取って、少し短くなるが繋ぐ事はせず、新たに穴を開け直す事になる。
 ゼンマイの先を焼き戻して、新たに穴をあけ、再び元の位置に戻せば修理は終わり、そんなに難しいものSANY4278.JPGではないが、根気だけは必要のようだ。
 この様なものは、今までに何回となくやっては来たが、最近は根気がなくなってしまい、修理する回数もメッキリと減ってしまったようだ。
 それはやはり力が無くなって来た為、ゼンマイであることが原因なのは当然のことだ。
 力がないとゼンマイを縮めてカプセルの中に入れることができないからだ。
 それには力がないと怪我をする恐れもあり、やめざろう得ないのだ。
 修理するにも力が必要、やっぱり歳には勝てないということ。
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