2017年03月31日

牡丹唐草

      頭  の  飾  り


 SANY0728.JPG時計には色々な飾りが付いているが、その時計を表す重要な部分でもあり、時計製造会社も1番気を使う所でもあるが、その飾りも多種多様。
 特にスリゲル型の時計は外国製の物をモデルとしている事から、その飾りも日本のものとは少し違った形をしていることが多く、これが又異国情緒を演出する。

 時計で目を引く箇所がまず文字盤、当然の事時間を見るために時計が存在しているから、しかし時間は見るのは当たり前ではあるが、時計その物が、当時としては高級な物であり、ましてや舶来品であれば目を引く事は当然の事。
 そのために時計を買い込むときも、時計のデザインが気になることは当然、折角舶来品を買うのであり、良い物を手に入れたいのも人の常、見栄えも重要な要素である。
SANY0226.JPG
しかし、明治の日本の家屋に合う時計はやはり限られた物、余り西洋的なものは好まれなかったようで、日本的なものに人気が集中したことは言うまでもない。
 西洋に憧れはすれど西洋その物では日本人には馴染めなかったようで、日本の時計製造会社はそれを考慮して、和洋折衷の時計をデザインする事になる。
 この様な背景から時計の装飾に最も好まれたものが、古来よりあった牡丹唐草模様、高級感のあるデザインでもあると共に、親しみやすい飾りでもあった。

 元々は古くから和時計の装飾にも使われており、別に新たに作り出したものではない。
 同じ時計のデザインとしボタン唐草の図柄を採用しただけとも思われる。
 SANY0232.JPGそれが西洋時計似合うかどうかは当時の人達が感じた事、色々なデザインを考えた末に、今まで使われていたこの模様を使ったと思われる。

 この牡丹唐草が装飾として西洋時計にも使われるようになり、色々なデザインが生み出されて、時計を飾る事になるが、その彫刻の出来によっては時計の売り上げを左右するまでになる。
 牡丹唐草の彫刻こそ、当時の職人たちが腕を競い合った証であり、多くのスリゲル型の時計に彫られ時計を飾ったことは言うまでもない事だ。
 勿論職人によって図柄は様々、一見ボタン唐草ではないのではと思うものも、それも職人の腕でもあるのだと思う。

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2017年03月30日

里帰り

      久し振りのふるさと 


SANY4376.JPG 130年振りに帰った故郷、自分でも生まれ故郷に帰ってくるとは夢にも思って居なかったし、実現するとも思って居なかったので、故郷に帰って感慨ひとしおである。
 主人が是非とも故郷の土を踏ませてあげると宣言してから、4年の歳月を経たが主人の言葉どうり愛知県岡崎の地を訪れる事ができ、長い旅を今振り返って見るに、色々な事が思い出される。
 生まれ故郷の三河岡崎を旅立ったのが明治18年の秋だと記憶しているが、19年の春かも知れないが、どちらにせよ100以上前のことであり、半年ばかりずれても大差は無い。

 旅の最初に着いた所が近江の国内保村、此村の庄屋さんの家に住み込みで働く事になったからであり、長い旅を経て内保村に着いたのが、やっぱり秋だった。
 私の働く場所は玄関を入った土間の柱の上、大勢のSANY0370.JPG使用人が何時も忙しく働く場所でもあったが、私は其の人達を上から眺めながら働いていた。
 岡崎の地と違い、この滋賀県内保村、伊吹の山から吹く風は冷たく、冬は寒くて、寒くて体が縮む思いをして、一生懸命働いたが若かったので時には働くのが嫌になり、ストライキをした事もしばしば。

 そんな時に、ここの主人は体を休める為に虎姫の時計屋に養生に出してくれ、2、3日体を休めた後再び土間の働き場所に戻って、朝から晩まで休みなしに働いた。
 そして、昭和16年どう云う訳か突如暇を出されてしまったのであり、しかたなく働く場所を求めて京の都に行くことにし、長い間働いた内保村を後にした。
 京に着いてから直ぐに働く場所は決まったが、其処も長続きせず今度は阿波の国に行き働くが、ここも直ぐにクビになり、遠州浜松にたどり着き、その後直ぐに尾張瀬戸に赴く事になる。SANY4458.JPG

 そして主人より里帰りを促されやっと岡崎に、故郷の空気は懐かしく実に暖かかったのを実感したが、今ひとつは肉親が名乗り出てくれるのを期待していた。
 しかし、期間中に肉親は訪れることは無く、テレビや新聞が取り上げてくれ、捜索を協力してくれたがやっぱり歳月が経ちすぎており、短期間で探すことは出来なかった。
 私の履歴書を紹介したが、私は岡崎で生まれた中條勇次郎製の時計、全国を歩き回り現在は瀬戸市に在住している。

 生まれ故郷で私の親戚の人たちを探すために岡崎に行った、結果は不発に終わってしまったが、それでも意義あるものにはなったと思う。
 長い間歩き回ったが、生まれ故郷は懐かしかったもの、これからも機会を見つけて訪れたいと思っているが、その時に肉親をまた探すつもりである。
 写真の時計は、私の為に一緒に岡崎の地にお供してくれた仲間の人達であり、働く場所は違うが私の故郷行きを応援してくれた、やさしい仲間である。


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2017年03月29日

代用品

      こ ん な 物 ま で


 SANY1190.JPG第二次世界大戦、世界を巻き込んだ戦争であり、日本にとっても忘れる事の出来ない戦争、2度とこの様な戦争を起こさないように国民全員が監視をしなければならない。
 この戦争で新たにいろいろな物が発明され、現在我々の生活の中で活躍している物も数多くあり、副産物であることも確かな事実であり、機会はどうであれ生活が便利になったのも事実だ。

 テレビなどはその際たる物と言ってよいが、科学の先端を行っていた物が実用化され、我々の生活を豊かにしてくれ、楽しみを与えてくれたのもまた現実だろう。
 戦時中に金属不足からいろいろな物が発明された事は周知の事実、その中には画期的なものもあったが、大半は果たして実際に使用が可能であったか疑問の物も多い。

 尾張瀬戸ではこの様な代用品を数多く製造していたことは、現在余り知られていないが、歴史の副産物であり、後世に伝えて行かねばならないと思う。SANY1194.JPG
 写真の栓抜き、之もその代用品であり、磁器で製造されたものであるが、見た目には普通の金属製の栓抜きと変わらなく、実際に使用が可能である。
 栓抜きとしては少し扱いずらいが、栓が抜けられる事だけは確かであるが、耐久性を考えると使いずらくショックに弱い、栓が抜けはするが無理にあけようとすると割れてしまう。
 金属製でないが為に磁器の弱点、ぶつけたり、ショックを与えたりすると、非常にもろく直ぐに割れてしまうが、それが磁器である証拠でもあるから、あたり前の事かもしれない。

 写真で見る限り栓抜き、とても磁器で出来ているように見えなく、栓抜き本体に「某ビールメーカ」の名前まで入っている代物、代用品であるが実物に良く似せて作り出されている。
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2017年03月28日

旅人の必需品

      時 刻 を 知 る に は

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 昔の旅人は時刻をどうして知ったのであろうか、山中や人気のない所で時刻を知るのはどの様にしたのか、今みたいに時計のない頃の話である。
 今でも腹時計と言う便利なものが人には存在しているが、決して正確ではなく個人差があるのはあたり前の事、そんな当てにならない時刻は信用できないもの。

 とは言え江戸時代のこと、時刻を知るには日時計と言う道具が必要になるが、この日時計様々な物が売り出されており、自分にあった日時計を持つことが大事であった。
 当時も高級な物から、一般的な物、そして安価なものがあり、一般庶民は安価な物を求めたのは、今も昔も変わりなく紙でできた日時計が1番安価であった。SANY0792.JPG
 使い方は簡単な事真南さえ分かれば、日時計を真南に向け針があるから、その日時計の針が指す景の位置が現在の時刻、あくまでも太陽が出ていなければ、この日時計は使えない。

 この時刻も現在の時間と比べれば正確ではないが、当時は10分くらいズレていても大勢に影響がなく、この時刻で日常生活は困らなかった時代である。
 関所を通過する時刻だけはキッチリとしていなければ行かず、関所の閉門時刻だけは正確に知らなければ、次の日まで待つ事になることから、旅人の必需品でもあった。
 写真の日時計、幕末から明治時代に使われていた日時計、高級機は右手2つ目の日時計、この日時計SANY0310.JPGが当時の高級機であり、真鍮に細かな細工がされており、当時は高かったようである。

 この様な高級な日時計は一般用ではなく、当時の武士達や裕福な商人のもの。
 一般的には紙の日時計が使われていたようで、持ち運びには便利であり、安価なことも人気の秘密であった、そして手軽に使えることも大事な要素。
 両サイドの日時計は明治に入ってからのもの、携帯に持ちやすいように工夫され、磁石がついており真南も直ぐに分かり、便利さが一層高くなっている。
 一番下の日時計は明治時代、軍隊で使用していたもの、木の枠を使用して折り畳み式のもので、磁石も装備されている。
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2017年03月27日

時計の鍵

      時計に合った物を



 SANY0815.JPGゼンマイ式の時計は鍵を用いてネジを巻かなければ、時計は動いてくれないもの、それも決められた日時に巻かなければならない。
 現在の時計のように、一旦電池を入れておけば2、3年は自動的に動くもの、しかしアナログの時計はそんなには動かない。
 特に古時計となると一週間も持たない物もあり、其の都度ネジを巻いてやらなければならないのだが、現代人は是が面倒だと言う。
 一回電池を入れれば長く動く時計に慣れてしまっているから、一週間も持たない時計等、時計の役目を果たしていないとまで言う。

 そんな人達が多い中、時間も曖昧な時計を愛好する人も又多く、彼等はネジを巻く事に喜びも感じているものだ。
 自分がネジを巻く事により、時計は其の行為に対して、確実にお返しをするのだが、それは一杯鍵を巻いてくれた分、その分だけ一生懸命動く。
 この鍵、時計の種類によって幾つかの鍵の種類もあSANY8537.JPGるもの、大きな時計には大きな鍵、小さな時計には小さな鍵と決まった鍵が存在している事だ。

 時計メーカーによっても鍵の種類はあり、同じ時計でも鍵が違うことも屡、其の時計用の鍵が造られているのだが、少し無理をすれば巻けない事はないのだ。
 其の時計に合った鍵で巻かないと、鍵穴が違うことで、ネジ巻き用の心棒が傷つき、角が丸くなり、ネジが巻けない事になる恐れもある。

 そのネジ巻き用の鍵、案外何でも良いと思っている人が多いが、無理してネジを巻いていると、後で修理代が高く付く事があり、後で後悔しない為にも、其の時計に合った鍵を使う事を勧める。
 写真のネジ巻き用の鍵、種類の違った3種類の鍵、よく見ると鍵穴の大きさが違っていることに気が付く、鍵穴の小さな物はミケンの時計用鍵、少し大きな鍵は精工舎の置時計用の鍵、そして大きな鍵は掛時計用の鍵。
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 外見だけで良く似ているからと、無理やりに差し込んで鍵を巻かない事、鍵穴は四角くしてあるが、無理して巻くとこの角が削れてしまう。
 やはり、時計にあった鍵を使用しないと、時計を痛めるだけではなく、鍵まで使えなくなってしまうから、損な事はしない事だと思う。
 特にミケン等の超小型の時計用の鍵、失くしてしまうと中々手に入らないので、失くさない様にすること、大した鍵ではないが、これを見つけるのには苦労するから。
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2017年03月26日

田中コレクション8

    色々なものが


 
SN3G0023_0001.jpg 田中コレクションは色々な古時計が集合しているので楽しい場所、勿論そのほかのオーディオもあり、誰が行っても楽しめる場所。
 年配者に喜ばれているのは古時計もさることながら蓄音機、昔懐かしいと喜ぶ人も、そして「これ聴けるの」と質問する人も多い。
 その都度田中さんは演奏して見せ、聴いた人達からは歓声のような声もしばしば上がり、だから人気だと思う。
 色んな所で古時計の展示はされているが、田中コレクションのように、オーディオと併設しているところは少ない。
 その上自由に演奏ができ、持ち込みのレコードも断らいなから、見学者も気軽に出入り出来、しかも自分のレコードが聴けるのだ。

 そのレコードもSP版も勿論演奏SN3G0021_0001.jpg可能、LP版を持ち込む人もいるとか、見学者にとっては楽しい場所になったようだ。
 展示場には古時計が250台はあると思う、壁一面に掛けてある様は圧巻と言えよう、その上珍して古時計も多くある。
 余り多くて目移りがして、どんな古時計があるのか分からなくなる迫力、古時計愛好家でも多過ぎて見るに手間がかかると言う。
 私も初めて見た時にはやっぱり迫力に押され、何処に何があったのか覚えていないくらい、やっぱり迫力が違う。

 その上、精工舎の古時計は充実しており、殆どの精工舎製の古時計がそろっているともいう、やはりそれが魅力的だ。
 日本古時計保存協会の会員さんの中でも、精工舎の古時計の充実ぶりは1、2と思う、長年の成果がここにある。
 私がブログで紹介してから、遠方からはるばる見学SN3G0029_0001.jpgに訪れる人も多いと聞く、それも成功者の古時計を見に来るのだ。

 個人のコレクションとしては充実していることは確か、これから古時計を集めようとする人は参考になると思う。
 多くの古時計が見学でき、蒐集者から直接集めた時の状況など聞け、今後の自分の蒐集方向も見えて来る事もあると思う。
 先輩者たちがどの様に古時計を集めたか、その話を聞くことは大事な事と思う、わたしも過去に先輩から指導を受けたことを感謝している。
 そんなことも実際に体験して、直接古時計を見ることの大切さを実感して欲しいもの、百聞は一見にしかずのたとえ。
 田中コレクションは、そんな思いを持っている人にとって有難い存在、是非とも出かけてみてください。

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2017年03月25日

懐かしいライター

      ガスではありません


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 今はガスライター全盛期、100円で3個買える時代だから、別にライターに困らないし又有り難味も少なくなってしまい、何時でも何処でも手に入る代物に成った。
 しかし、少し前まではライターは必需品と同時に、高価なものでもあり100円なんどで買える物ではなかったから、皆ライターを大事に使っていた。
 大事にすると言うよりもそれが当たり前の時代でもあったのだと思う。
 マッチを使っていた時でも、一本、一本が大事にしていたと思う、今みたいに手軽にライターが入ることはなかったから。

 そして何よりも自分の好みのライターを探して、それを買い込みいつも手元に持っており、使いかっての良い自分なりのライターを使いこなしていた時代。SANY0654.JPG
 人其々の好みが別れ、クラッシックなライター、電池式のターボライター、オイル式ライター等毎日持ち歩く物だから、気に入った物を持ちたいのは当たり前の事。
 その為に色々なライターが売りに出されていたが、やはり自分好みのものを探す人も多く、それに拘りを持っていたようだ。
 人よりも変わったライターを持つのも自慢、人の持たないものをと探す楽しさもあり、ライターは益々多くの種類が存在した。

 私の好みはアンティーク調の重いライター、重量感がないと何となく嫌で、常に重いライターをポケットに入れていたが、夏など軽装備の時に困った事もあった。

 その中でも1番欲しかったのは「ダンヒル」のオイルライターで、若い頃からの憧れでもあったが、当時値段が高くて手が出せなくSANY0658.JPG我慢していたものだ。
 国産のライターも多くあったが、やはりデザインが良くなく、その点ダンヒルはデザインも良く、持ちたいと言う思いにされてくれるライターであったと思う。
 ただ国産のライターと比べれば値段が高くて、追いそれと買える代物ではなかった時代、憧れの的でもあったのだ。

 その後、やっぱりダンヒルが欲しくて、アンティークショップで安く見つけ買い込んだが、やっぱり安いだけの事はあり、直ぐに修理をしなければ成らず、結局は高いものに付いてしまった。
 しかし、其れ以来このライターは私の必需品、いつもポケットに入っていたものだが、ライターの底に有るバルブのパッキンが老化していて、オイルが漏れ出しポケットが良く濡れていたものだ。
 パッキンを買えばよいが中々無く、薄いゴムを切って代用し使っていた思い出のライター、今は健康の為余り煙草を吸わないから、何時も持ち歩いてはいないが、好きな物であるには変わりはない。。
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2017年03月24日

ノベルティー7

      時 計 の 置 物 か 


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 以前にも何回か取り上げていた瀬戸のノベルティー、明治以後盛んに作られるようになるが、やっぱり1番多く製造されたのは戦後の事である。
 特にアメリカに輸出されたが、本来はドイツからアメリカに多くの陶器やノベルティーグッツが、輸出されていたが戦後は輸入が途絶え、その代役が日本に回ってきた。

 この様な現象は戦後だけでなく古くからあり、ヨーロッパに向けて輸出されていた中国も、日本がその市場を受け継ぎ、中国にかわりヨーロッパに輸出した事もある。
 江戸時代、有田がその恩恵を受け盛にヨーロッパ向けに商品を輸出、大いに外貨を稼いだ歴史があり、戦後に限った事ではないが、やはり戦後復興の足掛かりに成った事は大きい。
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 瀬戸の戦後の輸出は、食器類は少なくノベルティーと言われる置物が主流、特に人物や動物であり、マイセンで製造されたいた其れらの代役である。
 其の為瀬戸では、今までの物よりは遥かに精工な物が要求され、その技術開発に凌ぎを削る事になり、様々な試みがなされ技術の向上がはかられた。
 その当時のマイセンものは、世界の頂点で君臨していた為、最高峰の技術を誇り、商品もまた最高の出来であり、瀬戸の技術は劣っていたことは歪めず、其れが結果として後押しマイセンと肩を並べるまでに成長する事になる。

 写真は何だろうとお思いの方、何だと思いますか、時計の形をしたなぞの物体ですが、実は之ティーパックを置く器、前から見えないが後ろにティーパックをおくところがある。
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 普通、誰が見ても時計の置物と勘違いをしそうであるが、そこが又其れらしくない所が製作者の意図、奇抜なものを造り消費者に提供する使命を感じさせる物である。
 瀬戸の職人はアメリカ人の好みをよく把握し、生活実態の中まで知ることにより、新たな商品開発を貪欲に推し進めた証拠でもあり、その1つがこの商品でもあるのだ。

 マイセンに追いつけ、追い越せとの心意気が伝わって来、この器戦後の輸出を支えた生き証人でもあるかのようで、今見てもこんな物まで製造していたとは驚きである。
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2017年03月23日

田中コレクション7

    両刀使いです


SANY0710.JPG 田中コレクション、掛川のお菓子屋たこまんの二階で展示されているが、中に入ると古時計が一杯だ。
 勿論田中さんの個人所有のもの、長年古時計を集めてきたもので、何時か何処かで展示をしたいと思っていたらしい。
 古時計蒐集家なら誰でも一度は思うもの、しかし現実的にはなかなか出来なくて、結果は空想倒れになる。
 しかし田中さんは古時計展示を実現され、勿論幸運も味方したことは言うまでもないが、それにしても熱意は大したものだと思う。

 自分の蒐集したものを見て貰う事も集めた人も思い、誰かに見て欲しいと、そんな思いで展示してあるものだ。
 しかし古時計だけではないのが田中コレクション、蓄音機もまた蒐集されており、こちらも沢山並んでいる。
 つまり両刀使いだと言う事、見学者も古時計と蓄音機の両方を見られる事に満足を覚えるらしいのだ。
 年配者には懐かしさを思い起させ、若い人には新鮮に蓄音SANY0707.JPG機に接して、お互いに感動をしている姿は共感を呼ぶもの。
 単なる展示だけではなく、実際に蓄音機やオーディオをかけてくれ、その場で体験できること、それが又魅力でもある。

 事実私が来館した時も、見学者から「このオーディオ聞けるんですか」との質問もあり、田中さんがその都度対応しているのだ。
 実際に聞いてみますかと見学者に返事、その場でレコードを聞かせてくれ、見学者もびっくりした様子。
 質問に即答えて演奏してくるれから、見学者としては最高の返答であり、思いがけないものだと思う。
 このあたりが田中さんらしいところ、勿論古時計もさることながら、オーディオも大好きな田中さん。
 聞けるんですかの質問に、心の底ではニヤリとしているSANY0719.JPGことだろうと私は推測しているが、聞く方もレコードが聞けるとニヤリとしていると思う。
 会場にはオーディオの前にいすが置かれてあり、好きな人は田中さんのレコードをかけてもらい聞き入っているとのこと。
 ある人は自分のレコードを持ってきて、一番良いオーディオでかけて欲しいと注文する人もいるとか。

 勿論田中さんも一緒にレコードを聴いて楽しんでいるよう、古時計に囲まれながら好きなレコードを聴く、それが一番だと田中さん。
 見学者と共に会場で楽しんでいれば時間も早く回り、一日もさぞかし短いと思われるが、それもこの展示場の魅力かもしれない。
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2017年03月22日

磁器のロボット

      こ れ も 瀬 戸 製


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 ロボットの玩具、ブリキ製のロボットが人気を集めているが、ブリキ製以後ロボットは合金製になり、そしてプラモデルとなってしまい、ブリキのロボットは姿を消した。
 ブリキのロボットには愛着があり、あの手の感触はプラモデルでは味わえないもの、手にくいこんで来る硬さと冷たさ、そして彩色されたあの色、どれを取ってみてもプラモデルでは味わえない。

 しかし、私が驚くとんでもないロボットが製造されていたことを知り、そのロボットを捜し求めたが、何処で製造されたものなのか、サッパリ分からなかった。
 勿論情報不足であるから、誰が何時、何処で製造したものなのか。
 噂だけが先行して実態が分からず、製造されたことは事実として伝わっているだけ。
SANY0614.JPG 本物を見た人も少なく、本当に存在しているものなのかも不明、やはり幻のロボットであるのかと思いつつ探し求めた。
 聞くところによると、焼き物で製造され動く事のできるロボットと聞き、益々欲しくなり四方八方手を尽くして捜し、やっと見つけ出してみると、なんと瀬戸で製造されていた。
 灯台下暗しとはこの事、自分のおひざ元で製造されていたのに知らなかったもの、それだけ数が少ないと言う事だ。

 そのロボットは昭和30年代に製造されたらしく、販売は余り芳しくなくお蔵入りし、ほんの少しの人にしか情報が伝わらず、結局は販売中止。
  噂のロボットが写真の物、派手な彩色が施されており、一見ロボットに見えないが動くことは確か、陶器ではなく磁器で製造され中にオルゴールが装着されている物。SANY0609.JPG
 ゼンマイ仕掛けであり、ネジを巻くと手と頭を動かすことが出来、雰囲気はロボットであるよし、しかし頭に描いていたロボットのイメージとは大違いであった。
 何故かと言えば彩色されているものはロボットらしくないからだが、何でこの色なのか。
 そんな疑問が湧いてくるのは私だけであろうか、ロボットらしくないのだ。
 やっぱり赤に近いピンクの色が原因であろうか、派手過ぎではないのか。
 それでも、磁器で出来たロボットは瀬戸製の物しか製造されていない筈、珍品ロボットには変わりなく、買いこみ今では我が家の一員に納まっている。
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2017年03月21日

何で綺麗か

    自分のと違う綺麗さ


 SANY2170.JPGある友人が自分の持っている古時計と他の人の持っている古時計と綺麗さが違う、何処が何で違うのか。
 そんな疑問を持っていると言うのだが、その疑問に友人たちが意見を述べる事になるが、それが又大変。
 其々の意見が続出、色々な意見が出て来るが、個人的な意見で、人ぞぞれの考えに基づいているのだが。
 古時計には色々な状態のものが存在しており、綺麗な物から何でこんなに汚いのかと思うものもある。
 状態はそれぞれに違いがあるが、良いものは誰でも欲しいと思う、それもまた古時計愛好家の心理だと思う。

 では良い状態のものは何かと言う事、ある人に言わせれば汚いものは好きではないと言い、ある人はそれが古時計だと言う。
 色々な状態のものが存在している中、自分の好きな状態のものを買い求めるが、数の少ないものはそSANY1426.JPGうは行かない。
 出て来た事がラッキーであり、状態はその次だと言う人と、良い状態のものが出て来るまで待つと言う人。
 しかし数の少ない古時計は今度いつ出て来るのか分からない事に、だから出て来た時に買い込まないと手に入らない。
 状態ばかり気にしていると数も集まらない事に、しかし其れでも良いと言う人はじっくりと待つと言う。

 もともと古時計は長い年月を過ごして来たもの、新品の状態ではなく、当然の事時代による傷や汚れが付くのは当たり前の事。
 その汚れをすっかりと落してしまえば、時代が消えてしまう事になるが、それでも綺麗なものが良い人も居る。SANY8586.JPG
 時代の汚れよりも綺麗な物、そんな人達が好むものに、現在アメリカから輸入される古時計がある。

 この時計日本の生活状態と違い、囲炉裏やとかかまどなどの煤で汚れない事、そのうえきれいに磨いてある事だ。
 つまり昔日本に輸入されたものと現在輸入されたものとに分かれ、何方もアメリカ製である事だが、日本に入って来た時代が違う事。
 私も海外のコレクターの持っている古時計を見ているが、彼らが所有している古時計は全部綺麗で時代感が感じられない。SANY9467.JPG
 彼らに言わせれば製造当時の状態にすることが当たり前、その為には常に磨き綺麗な状態にするのだと言う。

 日本古時計愛好家とは少し考え方が違う、侘び寂精神と結び付き、時代の汚れを落とさないのが日本の愛好家。
 埃は落すがそれ以上は落さないので、当然時代の汚れが付いているもの、アメリカの愛好家とは明らかに違う。
 どちらが好みなのかは本人次第、最近は現在輸入されたものが良いと言う人も増えて来ていると言う。

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2017年03月20日

張り子の雛

      特注品

 SANY0651.JPG福島県三春、現在は郡山市の一部高柴となっている地域、三春滝桜でも有名な地、そこに310年前から続くデコ屋敷がある。
 三春駒、三春張子を作り続けて10代目となる橋本家がそのデコ屋敷、もともとは京都の伏見人形をモデルとして、農民が農繁期の副業として始めた。
 高柴子育木馬を魔よけとして作り始め、子供の病退散を願って製造し、庶民に受け入れられて広く信仰されて来た木馬。
 もともと黒色の木馬であったが、9代目の高橋彦治が白色の木馬を造り、人気を博して現在まで作られているが、三春駒である。
 もとは三春駒とは言わず、高柴子育木馬と呼ばれていたが、何時の頃より三春駒と呼ばれる様になったもの、そもそも三春駒とは三春藩の馬を指す言葉。

 そのデコ屋敷に初めて訪れたのが35SANY2453.JPG年も前の事、そこで見かけた三春張子が気にSANY2461.JPG入って、娘のために雛人形を注文したが、直ぐには造って貰えなかった。
 注文品が多くて、直ぐに出来ないと言われて諦めたが、その3年後再び訪れて注文、こちらの希望で享保雛風の張子人形にしてもらった。
 普通の雛人形では三春張子の良さが発揮でSANY0657.JPGきていないと思い、江戸時代の雛人形、しかも享保雛を注文、当時は9代目橋本彦治氏が健在で、此方の注文に応じてもらえた。

 「折角造るのだから、私も力を入れて造り上げたい」と言われ、特別注文の形を取り、此方の意向通りに造り上げてもらった。
 当時、娘たちはこの張子雛を見て「何でこんなに目が釣りあがっているのか」と嫌われたが、現在ではこの雛人形の良さが分かって来たようだ。
 9代目橋本彦治氏が力を入れて造ってくれた享保雛、今も我家で子供たちの成長を見守っていて、ひな祭り近くには出して2月の風にあててやる。
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2017年03月19日

美空ひばり2

      や っ ぱ り 凄 い

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 昭和を代表する歌い手は誰かと問われれば、誰もが「美空ひばり」と答える位に彼女は凄い歌手、生前は私もそんな歌手と認識はなかったが。
 亡くなって29年に成るにも拘らず、「美空ひばり」の歌は何処からか聞こえてくる今日この頃、確かに30年と節目の年でもあるが、それだけではない様に思う。

 普通の歌手は、失礼ながら亡くなって30年も経って番組が組まれる事はないが、何故かしら「美空ひばり」は特集番組があちらこちらで組まれ、人気を博しているから不思議。
 それほどに日本人に愛されている証拠かもしれないが、果たして其れだけであろうか私には分からないが、彼女は歌がやっぱり上手いし、彼女しか歌えない歌なのだ。

 美空ひばりが生前に描いた桜の絵、幼い時事故SANY0942.JPGにあい崖に転落する寸前に桜の木に引っ掛かり一命を救われた事実、そんな事から桜を描いたのかもしれない。
 死後その絵がオークションに出され、ひばりファンが480万の高額で手に入れた経緯もあり、この絵は美空ひばりの心が篭った絵のようである。
 以前にもこのカップを取り上げたが、写真写りが良くなかった。
 今回はもう少し写真を拡大して、より美空ひばりの描いた桜を見てもらおうと多く写真を撮り、載せたつもりですが。

 いざ写真を見てみると自分では良い写真が撮れたと思っていたが、実際に見てみるとそうでもないのだ。
 写真とは難しいものだと思う、上手く撮らないとその凄さが伝わらない。SANY0778.JPG
 このカップノリタケ陶器が製造したもの、カップも一流の出来であると思うが。
 果たして美空ひばりファンはこの桜の絵をどんな気持ちで見ておられるのか、昭和の歌姫を思い出しながら見て頂いているのではないかと思います。
 やっぱり「美空ひばり」は昭和を代表する人物であり、人々の心に深く入り込んでいる人物、歌を通じて「昭和を駆け抜けた天才歌姫」であった。
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2017年03月18日

ドチラが本物

      小 粒 で 勝 負


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 何方でも経験があると思うけど、「ついつい手が出てしまう事ありますよね」と同意求めても、何の話なのかと言われるのが落ちであるが、好きなものの話です。
 自分の好きなものは幾ら有ってもつい手がで、それが我慢できない人も多いのでは、私はその典型であるかもしれない一人、つまり時計を見ているうちに、この時計がつれて返ってくれと頼んでいるかのように思う一人。
 単に我慢できない人間なのかもしれないが、其れはそれ、古時計と出くわすとその気持ちが一編にはじけて、後先考えずについ買ってしまい後で後悔もする。

 一応後悔をするだけは良しとして、買ったものはどうしようもなく家に鎮座する事に、しかしそれが良い物かどうかは冷静になって、「こんな物買って失敗した」と思うのもその時である。
SANY0771.JPG 懺悔はそれ位にして、写真の時計高さに4センチ位の小さな物、見ただけでは分かり図らいと思うが、ドチラが本物でドチラが偽物なのか、御分かりであろうか。
 小さいが実に良く出来ていて、片方は実際に実用向きの時計、片方はドールハウス用のイミテーション、それらしく作ってあるから買い込んだもので、比べて楽しんでいる。
 時計の機能はなくても、より時計らしく製造するのにはやはり技術も必要であり、我々みたいな人が見て欲しくなるように、しっかりと要所を押さえてあるからつい手が出てしまう。
 値段も安く設定してあるから、我々にとってはやっかいな代物で買わずにはいられない様に、心理まで読んで製造しているかのようで、製作者に頭が下がる。
 このようにドールハウス用に造られたものは多くSANY0775.JPGあり、どれ一つとっても良くできたもの、本物かと思う位に出来が良い。
 当然の事だがドールハウスの小物は歴史があり、古くから本物を極小にして造られ、手の込んだものが多く存在している。
 それも職人が競い合って造り上げてものだから精度が高く、より本物に近い、そんな事で大人から子供まで買い求めたのだと言う。
 その中に時計も存在しており、時計愛好家には堪らないものとなっており、これだけを集めている人も多いと聞く。
 勿論私もそんな小物の時計が好きであり、あちこちで見つけては買い込んではいるが、段々と数が多くなって来ているのだ。
 さて写真の時計、ドチラが本物であるか、私がツイツイ手を出してしまったものはドチラか分かって頂いたであろうか、じっくりと検討をお願いします。
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2017年03月17日

狛犬

      ユーモラスな顔



 SANY0470.JPG狛犬とは、仏教でいう守護獣であり、インドでは古来から仏を守護する獣として両脇に飾られていたが、ライオンの形をしており、その後犬と獅子との一対が正式な守護獣となる。
 狛犬は中国を経て朝鮮「高麗」から日本伝わったとされており、高麗とは高句麗を指し朝鮮から来た犬であるから「狛犬(高麗)」となったと言う説が有力である。
 日本では初め獅子と狛犬とが一対とされて来たが、やがて平安時代には狛犬だけとなり、獅子は消えてゆき狛犬も「阿吽の形」をとるものが現れるようになる。

 向って右に阿の形相(口をあけた)をした狛犬、左に吽の形相(口を閉じた)をした狛犬が完成され、その後この形式が現在まで継続して製造され、この狛犬が多くあり、例外として他の形をしたものも作られているが少ししか存在しない。SANY0473.JPG
 時代の古い形のものは獣の格好をしたものが多く、時代が下がるとやさしい狛犬になるのも時代の変化、そして頭に有った角も時代が下がると無くなり、現代は付いていない物が殆どである。
 全国的に見ても尾張瀬戸で製造された狛犬が1番多く、しかも古いものが存在しているが、瀬戸の深川神社には加藤藤四郎作(1200年代)の現在重要文化財に指定されている狛犬が古い。

 写真の狛犬は、その加藤藤四郎の子孫、幕末の名工、初代加藤作助の名品「古瀬戸の狛犬」、見ても分かるように非常にユニークな顔をしており、小学生が作ったかのような雰囲気を持っている。
 手びねりと言う技法、つまり手で造り上げたものだがゆがんだりしている。
 素人が造るととても見られないものになるのだが、名工の手せかかると作品となる。
 SANY0769.JPG古瀬戸柚が掛かった香合、名工加藤作助の手に掛かると、イカツイ狛犬も見た目にやさしい顔になり、高さ10センチもない小さな全体から滲み出てくる迫力に圧倒される。
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2017年03月16日

田中コレクション6

    どれも同じに見える


 SANY0714.JPG静岡掛川市にある田中コレクションの展示場、認知度も上がって見学者が増えたようである。
 開館当時は展示室が二階であるために、気づかない人も多くあったようで、いまいちの入場者であったよう。
 しかし最近では認知度も上がって見学者が多く訪れるように、二階のハンディーを克服したようだ。
 二階に上がって古時計の多さに驚く人が多く、それが口コミで広がったもので、見学者が増大したとのこと。
 当初の目標であった古時計を多くの人に見て欲しいと田中さんが企画、その思惑どうりに展開しているようだ。
 SANY0743.JPG古時計に普及に大いに貢献していると思うが、田中さんは淡々と進めているようで、それも魅力の一つでもあると思う。
 それとこの展示場には古い蓄音機やオーディオのセットも多く展示してあり、見学者に生の音を聞かせていること。
 これの効果も絶大だと思っているが、田中さんは自分が好きだからやっていると言う、それもまた人気の原因でもある。

 そんな見学者を観察していると、面白い現象があることに気が付き、彼らのを話を聞き耳を立てて聞いていると「何で同じ時計が一杯あるのだ」と。
 SANY0738.JPG何の事かとそば耳を立てて更に聞いていると、「同じダルマみたいな時計が一杯」、「やっぱり同じだ」と会話している様子。
 この展示会場の正面には四つ丸ダルマが壁一杯にかけてあるから、いやが上にも目に入って来るからだ。
 見学者の人達は最初の印象が、壁一杯にかけてあるダルマの時計に目が行く、しかも多くのダルマ型の時計に。

 だから彼らは同じ時計が何で多く展示してあるのかと不思議そう、我々が感じる事とは全く別のものを感じているようだ。
 田中さんは四つ丸ダルマが好きなようで、数は多く、その上正面に掛けてあることもその要因とも言えるが。
 SANY0759.JPGしかし、このダルマ型の時計、決して同じものが展示してある訳ではなく、我々にはそれが分かるのだが。
 形が良く似ているから、パッと目には同じものに見えてしまうが、そこは田中さんの事、拘って別々のダルマ時計をかけてある。

 例えばメーカー別に同じダルマ型の時計を掛け、そのチョットした違いを見て欲しいとの意向もあると思う。
 見た目には同じようだが、よく見ると飾りが違っているとか、振り子室のガラス絵が違っているとか。
 特にガラス絵が違うものを掛けてあるが、じっくりと観察しないと素人目には気が付かないかも知れない。
 そんな会話を小耳にはさみながら、見学者を観察していると非常に面白く、今度はどんな事を言っているのかと、そば耳を立てて聞く。


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2017年03月15日

何の錘か

      この錘は何



 SANY2367.JPG写真の錘は何に使うものであろうか、写真を見て直ぐに分かる人は、相当時計に詳しい人ですが、分からない人も当たり前の事で、さほど気にする事はない。
 写真一枚見て何なのか分かる人の方がおかしいかもと、まあ可笑しな事を言っているのもヤッパリ可笑しいか、何の事やら分からなくなった来た。
 写真を見て普通に考えれば、秤の錘ではないのかと考えるのが、やっぱり普通である事は察しがつくであろう、その通り錘であるが、秤でも秤が違う。
 この錘は和時計に使われている錘で、通称「棒天賦」と呼ばれる「天賦の錘」、良くテレビの時代劇に出てくる、大名家の床の間に置かれている、あの時計、この時計を和時計と呼ぶ。
 この錘は和時計専用の錘、棒天賦に使われている錘で、一丁天賦であれば2個、2丁天賦であれば4個、この錘をかけて使用する物であり、この錘を横にスライドさせて、早くしたり、遅くしたりする為の錘。SANY2371.JPG
 形はそんなに変わった物は無く、この手のものが1番多く使用されているもの、素材は殆どが真鍮製で出来ており、中には銀製も存在するが、稀であり真鍮製が多い。
 錘の作り方は非常に簡単であり、真鍮を轆轤で挽き錘を作る、真鍮は軽いので中には鉛を詰めた物もあり、製作者の好みで変えられた様でもある。
 この錘、小さくて直径が1センチ、高さも1.5センチと小さな物、それ故に良く紛失している事が多く、後世に製造されたものが多くて、製作当時の物は少ない。
 製造が簡単な為に、紛失してもさほど困らない事も原因か、オリジナルの錘が付いている和時計も珍しい方、やはり消耗品と当時の人も考えていたようだ。
 もっとも古い棒添付の錘は型で造られて鉛だけのもの。
 形も素朴なものが多く装飾性に乏しいものが多いようで派手さはないもの。SANY0138.JPG
 時代が下がるにつれて真鍮製の見栄えの良いものに変わって行くが、さほど変化はなく、基本的にはシンプルなものが存在している。
 ただこの錘は簡単に取り外しができるために、初めからのオリジナルの錘であると言う確証がなく、当時の錘がどうかは判定し難い。
 その為に和時計の時代の変遷を調べておかないと難しく、これも和時計を知るための知識。
 兎に角多くの錘を見ることが最善の方法であると思う、百聞は一見に如かずのたとえの如く。

 和時計の錘は千差万別、作者の意向で次々と変わり、種類は多く存在することになる。
 色々な錘を見るたびに改めて和時計の奥の深さを知ることになる。
 
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2017年03月14日

おみやげ品

      鹿に見えない


SANY4080.JPG
 奈良と言えば鹿、奈良公園にいる鹿はつとに有名、奈良の代名詞みたいになっており、公園近くに行けば何処からともなく近寄ってくる鹿。
 この鹿を見ないと奈良に来た事を感じないと言う人も多く、奈良には鹿がつきもの、神社仏閣の合間をぬって鹿はあちらこちらと自由に行き交う。
 しかし近年鹿が多くなり、鹿の被害も出ているらしいが、観光客にはその実態は分からず、擦り寄ってくる鹿に心和む人も、それが奈良の良いところと言うが。
 我家も鹿見物に奈良に出かけ、鹿を見たいと言っていた孫に奈良公園に行き、車から降りて歩くと直ぐに鹿がよって来て、孫の後ろから付いてきた。

 絵本で見る鹿はそれ程大きく見えないが、実SANY4081.JPG際に実物の鹿を見ると、意外と大きく、そして数が多くて、孫はビックリした様子、付いて来る鹿が気になって仕方がない。
 娘が早速鹿煎餅を購入、孫に渡したのを鹿が見届けると、一斉に鹿は孫のもとに集まり始め、その数が次第と多くなり、孫は恐ろしくなったらしい。
 鹿煎餅を投げ出してしまったので、一斉に鹿が煎餅に群がる事に、絵本では可愛らしい鹿も、実際は生きている動物、餌に我先にと突進するのも当たり前。

 その光景を孫は目を丸くして見ていたが、食べ終わった鹿は、何もなかった様にその場から消え、あっという間の出来事も終結。
 今までの事が嘘のように鹿たちがいなくなり、あれは何だったろうと孫はキョトンとしていた。
 我に返ると土産物屋が目に入り、早速店の中に入り込んで何を買おうか物色しSANY4082.JPG始め、手にとっては別のものにまた手が行きく。
 その後土産物屋で写真の鹿を購入したいと、私が孫に鹿らしくないから、他の物にしたらと言ったが、孫はこれをもったまま離さなくて、結局鹿らしく無いものを買い込んだが、今見ても、やっぱり鹿らしくない、犬みたいに見える。
 しかし、孫は之が気に入り、今でも之を大事にして、事あるごとに奈良の鹿を思いだして、当時の鹿の群れを見た感想を生々しく語るのだ。
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2017年03月13日

素材の違い

      ドイツと日本


SANY8510.JPG
 明治期日本に輸入された西洋時計、当時アメリカ製が1番多く、その次がドイツ、フランス、イギリスと順番が出来ていたみたいだ。
 結果的にそうなったものだが、その原因は色々あるが先ずは価格、掛時計と置時計では違うが、圧倒的に掛時計が多く、その中アメリカ製の時計が非常に多い。
 当時は舶来信仰が芽生えた時期、なんでも外国製のものは憧れで、それでいて良い物だと信じていた時代だから、当時の新興国アメリカ製の時計もまた憧れであった。
 しかし、実際にはイギリスやドイツの時計の精度やデザインに、それらは比べものにならない位の時計であったものだが、アメリカ製の価格が安かった。
 同じデザインの時計で比べればイギリス製の時計とアメリカ製の時計、月とスッポンの違い、遥かにSANY8500.JPGイギリス製のものが良く、又精度も良いもの。
 しかし、価格面ではアメリカ製のものは安価であり人気であった事もあり、イギリス本土でも人気であったらしく、多くがイギリスに輸入された。
 この構図は当時のアメリカと日本も同じ、イギリス製やドイツ製の時計は高価、精度もよいが高くて買えないもの、アメリカ製でも高いものだが、比べればアメリカ製の方がよっぽと安い。
 そんな事情もあり、日本にアメリカ製の時計が多く入ってきたが、一方でドイツの時計も富裕層に人気で、特にお医者さんたちには人気であったようだ。
 お医者さんはドイツ語でカルテを作っていたもので、その為にドイツに親しみを持っていたらしく、時計もドイツ物が好かれたのだ。
 日本もアメリカと同じ道を辿り、日本で時計を製造するに当たって、ドイツの時計をモデルとして時計製造に着手したが、アメリカと同様にドイツ物とは比べようも無いほどの差があった。SANY8405.JPG
 写真はドイツの置時計と日本の精工舎の置時計、モデルと成った時計であるが、両社を比べれば日本製が如何に安価な造りかが分かる。
 一番の違いは地金の厚み、ドイツ物にたいして日本製は半分の厚みしかなく、歯車にいたっては3分の1と見た目でも分かる位に薄い。
 素材の違いもさることながら、耐久にいにおいてもドイツ物には比べようが無いほど落ちるもの、それが当時の日本の時計だ。
 そこには物真似をするだけで精一杯の日本の力の無さが、その後技術は発達しても素材はそのままの状態、ドイツを上回る事は無かった。 
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2017年03月12日

之もカラクリ

      カレンダー



 SANY2062.JPG時計の使命とは、何だか難しい言い方をしているようだが、別に難しくするつもりはありませんので、普通に時計は時間を表示する機械であると。
 簡単に言ってしまえば、時間と言うこと、この時間を計る道具として作り出されたものが時計、しかし、時間だけなら正確でないが、日時計が最たる物、短い棒があれば何処でも時間を計る事はできる。
 古来バビロニアの時代から、この方法で時を知ってきた人類、中世科学が進み、時間も正確に計る為に機械時計が発明され、一躍正確な時間が出るようになる。

 その時計が振り子式の時計だ、ガリレオが振り子の原理を発見してからと言うもの、時間が正確に計れる事となり、今まで日時計に頼ってきた人々は戸惑いもあったようだ。
 その後急速に振り子時計は進歩を続け、正確に時を刻むようになるが、人々にとっては時間の正確さが逆に迷惑でもあったようだが当時の人はキッチリと時間で縛られたくなかったのか。SANY1638.JPG
 そんな振り子時計、人々の思惑とは別に更なる進歩を告げ、大掛かりな時計が作り出されるようになり、特に公共の場所に設置された。
 その代表が教会の時計、現在残っている時計の一番古いものも教会のもの、スペインの教会にあるという、12世紀のものだ。
 この時計が次第に小さなものとなり、教会以外の一般家庭にも浸透して行くようになり、時計の進歩は一段と進歩して行く。
 そして時間だけのものから、カラクリのついた時計が造り出され、公の場所で人気を博することに、カラクリ付きの時計がさらに進歩。
 色々なカラクリが施され、時計本来の働きようはこのカラクリの方が重要に成って来る事も。
 それが教会や市庁舎などに時計のカラクリが発達、カラクリの方が有名となり、人々の話題をさらうようになり、時間よりもカラクリを見るために集まって来たようだ。SANY1642.JPG
写真の時計はカレンダー機構の付いた時計、このカレンダーも一種のカラクリであり、時間を表示するものにあらず、曜日を表示する為の仕掛け、そんなに複雑な機構でもなく、四つの歯車の組み合わせで曜日を表す。
 表からでは見えない機械の内部、初めて見る人もあるやも知れないが、短針が2回転すると左の歯車が動く仕組み、指針はこの中央の歯車に付いており、曜日を指す仕掛け。
 いずれにしろ文字盤の下に隠れているために、表からは分からない。
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