2017年03月08日

懐中時計の鎖

      人目を引く


 SANY3900.JPG明治時代に入り男のお洒落も様変わり、江戸の粋和服姿は景を潜め、西洋の洋服が大流行、「猫も杓子洋服姿」と言われるほどに、町には洋服が大流行。
 今まで頭に載せていたちょん髷をバッサリと切り、洋服姿で町を闊歩、「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」とも詠われたとおり。
 日本中のハイカラ好きはこぞって洋服を求め、似ても似つかない洋服を着て満足していた頃、時計もまたステータスなシンボルとして持て囃された。

 特に懐中時計は評判を呼び、金持ち達は我も我もと買いあさったようだが、それは珍しさも多分にあったと思う、彼らは時間を見ると言うよりは自己満足のかたちをなしたものであった。
 その懐中時計は、ヤッパリ金時計が一番人気、胸SANY0249.JPGのホケットからワザとらしく見せびらかし、自分が注目を浴びたい一心であったようだ。
 その懐中時計には付属品として鎖が付く、時計を固定させる為に鎖で繋ぐ物だ、この鎖にも拘りが出始める事になり、人よりも目だったものを欲しがった。

 その為に時計の鎖は自然と派手になり、個性と言うよりも目立ちたいが為、そんな人達は人と変わった物を求め、より競い合うことになった行く。
 金銀の高価なものを材料に、金に任せて次から次へと変わったものを注文、職人たちはその要求に答えて、あらゆるデザインのものをつり出した。
 当然の事だが金の鎖が一番。金時計に金の鎖、まさに成金の塊のようなもの、それに憧れた当時の金持ち達が大勢いたのだ。

 見るからに派手な金時計と鎖、金持ちの象徴たるもの、それを持つことが流行った時代の事、鎖も当然凝ったものを使用した。SANY0243.JPG
 写真の鎖もそのような人の為に作られたもの、普通の鎖状のものよりは繋ぎも大きく、銀製で派手にくみ上げられたもの、この様な派手な鎖を付けて自慢していたのであろう。
 明治時代の男たちの、意地の張り合いを見るかのようで、むしろ滑稽さに見えてしまうのは何故だあろうか、日本人の性なのかもしれない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計裏話