2017年03月30日

里帰り

      久し振りのふるさと 


SANY4376.JPG 130年振りに帰った故郷、自分でも生まれ故郷に帰ってくるとは夢にも思って居なかったし、実現するとも思って居なかったので、故郷に帰って感慨ひとしおである。
 主人が是非とも故郷の土を踏ませてあげると宣言してから、4年の歳月を経たが主人の言葉どうり愛知県岡崎の地を訪れる事ができ、長い旅を今振り返って見るに、色々な事が思い出される。
 生まれ故郷の三河岡崎を旅立ったのが明治18年の秋だと記憶しているが、19年の春かも知れないが、どちらにせよ100以上前のことであり、半年ばかりずれても大差は無い。

 旅の最初に着いた所が近江の国内保村、此村の庄屋さんの家に住み込みで働く事になったからであり、長い旅を経て内保村に着いたのが、やっぱり秋だった。
 私の働く場所は玄関を入った土間の柱の上、大勢のSANY0370.JPG使用人が何時も忙しく働く場所でもあったが、私は其の人達を上から眺めながら働いていた。
 岡崎の地と違い、この滋賀県内保村、伊吹の山から吹く風は冷たく、冬は寒くて、寒くて体が縮む思いをして、一生懸命働いたが若かったので時には働くのが嫌になり、ストライキをした事もしばしば。

 そんな時に、ここの主人は体を休める為に虎姫の時計屋に養生に出してくれ、2、3日体を休めた後再び土間の働き場所に戻って、朝から晩まで休みなしに働いた。
 そして、昭和16年どう云う訳か突如暇を出されてしまったのであり、しかたなく働く場所を求めて京の都に行くことにし、長い間働いた内保村を後にした。
 京に着いてから直ぐに働く場所は決まったが、其処も長続きせず今度は阿波の国に行き働くが、ここも直ぐにクビになり、遠州浜松にたどり着き、その後直ぐに尾張瀬戸に赴く事になる。SANY4458.JPG

 そして主人より里帰りを促されやっと岡崎に、故郷の空気は懐かしく実に暖かかったのを実感したが、今ひとつは肉親が名乗り出てくれるのを期待していた。
 しかし、期間中に肉親は訪れることは無く、テレビや新聞が取り上げてくれ、捜索を協力してくれたがやっぱり歳月が経ちすぎており、短期間で探すことは出来なかった。
 私の履歴書を紹介したが、私は岡崎で生まれた中條勇次郎製の時計、全国を歩き回り現在は瀬戸市に在住している。

 生まれ故郷で私の親戚の人たちを探すために岡崎に行った、結果は不発に終わってしまったが、それでも意義あるものにはなったと思う。
 長い間歩き回ったが、生まれ故郷は懐かしかったもの、これからも機会を見つけて訪れたいと思っているが、その時に肉親をまた探すつもりである。
 写真の時計は、私の為に一緒に岡崎の地にお供してくれた仲間の人達であり、働く場所は違うが私の故郷行きを応援してくれた、やさしい仲間である。


posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話