2017年04月30日

くろねこ

      黒猫の表と裏


 DSCN0133.JPG黒猫に付いては色々な説があり、どれが本当か分からない位存在するが、実際の黒猫は性格が落とし無くて、人なっこい性格であると動物学では言われているらしい。
 西洋では魔女の使いとして嫌われていたり、其の反面悪魔から災いを避けてくれると信じられてもいるらしく、此方も善悪が同居しているようである。

 日本でも、昔から黒猫に付いては色々な良くない説があるが、そんな事は当の黒猫本人は迷惑な話に違いなく、人間様が勝手につけた濡れ衣でもある。
 よく言われて来たのはクロネコは不吉な予感のする猫のイメージ、あの黒い色が不吉とされ、クロネコを見ると良くない事が起こると言われた。

 昔の人は黒色には良くないイメージが付いて回ったと言われ、それが猫にも向けられて行ったと言う事、DSCN0978.JPGたしかに神秘的ではある。
 然しながら本当にクロネコは不吉な猫であるのか、その姿とは別の面を持っていると飼い主たちは言う、色で決めつけるのはおかしいと。

 事実、家庭で飼われている黒猫は、やっぱり人なっこい性格のようで、おとなしくて家庭的な性格で、飼うのにも飼いやすく癒されると評判は良いようである。

 黒猫でも、種類が沢山あってどれが良いかは好き好きであるが、人気の高いのは目の色が金色、ブルーだそうで、特に金色が良いそうである。
 実は、招き猫も商売繁盛には黒猫の招き猫が好まれるようで、金色の目が暗闇の先を見通せると信じられていて、商売には縁起が良いとされているから、やっぱり厄除けにご利益があるようである。くろねこ.jpg

 写真の一番下の黒猫の招き猫、実に堂々としていて、手を挙げた姿は如何にも威厳があり、之を製造した作者は良い腕の招き職人であったのではないだろうか。
 高さ60センチ強と大振で、程度はバッグンに良く、ご利益が如何にもありそうで、ツイツイ拝みたくなるような招き猫である。

 とにかく黒色の猫は雰囲気はほかの猫たちとは違ったもの、独特の雰囲気がある。
 やはり神秘的なイメージを持っている猫、そのが最大の持ち味でもある。
 黒色の招き猫はその雰囲気から愛好者が多く、今では引っ張りだこの人気を誇っている。
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2017年04月29日

消えた

    盗難か


SANY2082.JPG 私の若い頃の話で怪談めいた怖い話ですが事実の話し、大正、昭和と東京大手時計製造会社の開発に関わられた方の実際の話です。
 私が古時計を蒐集し始めの頃、名古屋市内に古時計を求めて良く行く骨董屋で、品の良い老人とよく鉢合わせをしたものだ。
 その老人に向かって私が古時計を蒐集していると、店の主人が言うと「若いのに古時計が好きですか」とその老人は小さな声で言われた。

 まだ始めたばかりで詳しいことは分かりませんが、今は「数を多くする努力をしています」と答えると、「其れは其れはご苦労なことですね」と頭を下げられた。
 その後、何度かお会いするうちに、自分が時計製造に携わった当時の事を、詳しく語られるようになり、開発製造の面白い裏話を数多く教えてもらっSANY0848.JPGた。

 自分は時計製造会社に入り、製造部門を経て新しい時計の開発に関わるようになり、その後そこの責任者となった人の話。
 当時は数多くの新商品を開発、会社に命運がかかっており、各社生き抜くために心血を注いで新たな時計開発を行っていた時代。
 その老人は新商品の開発に日夜努力をされ、新たな商品を数多く開発され、試作品の山が出来たと言う話をされた。

 その一つが試作品が研究室から夜な夜な消えると言う、夕方までは壁に掛かっていたが、朝には姿がなくお化け話をされた事があった。
 出来の良い試作品は研究室の壁に沢山掛けてあり、誰もが目にすることの出来るようになっていたとの事。SANY3817.JPG
 しかし、毎月給料日の前近くになると何故かしら時計の数が少なくなり、何処に消えたか分からなくなったと。
 其れが日常茶飯事で、誰もとがめなかった様で何時の間にか、その時計が質屋に入っていた事も多くあったらしい。
 又、ある時は販売店の店先に試作品が掛かっていた事もしばしばで、其れを見て冷や汗をかいたこともあったとか。

 老人いわく「当時、給料が安かった職人は給料日前に試作品をこっそりと持ち出しては金に換えていた」と笑顔で昔を語られていた。
 兎に角おおらかな時代のことであったので、数々の開発された時計が消えても、事件には成らなかった様だが今なら大変だ。
 そして、家にまだ試作SANY4646.JPG品の時計があるから「見たければ見せてあげるよ」と、そんな話に飛び付き、私を家に連れて行ってくれた。

 老人の家の壁にはその試作品5、6台の時計が掛かっており、今まで見たことの無い時計ばかり、まだ塗装がされてなく白木のままの物もありビックリ。
 驚きの連続で老人の家を後にしたが、今あの時計はどうなったのか非常に興味がある所だが、何処かのアンティークショップに売りに出ているかも。
 試作品の時計が消える原因究明の回答に成ったが、「カタログに載ってない時計が何故あるのか」の一つのヒントにでもなれば。














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2017年04月28日

こいのぼり

      成長を願って


SANY1835.JPG 早いもので、もう端午の節句近く、あちらこちらでこいのぼりが目に付く季節となり、1年で1番良い時期となる季節を迎える。
 幾つになっても端午の節句は良いもの、この頃になると、遠い昔の子供の頃を思い出すのは何故だろうか、どこか郷愁に似たものを感じる。
 幼い日の節句は楽しい思い出でもあり、記憶に深く刻み込まれているものだ、幾つになっても思い出すものでもあるから、尚楽しいのだ。

 端午の節句と言えば鯉幟、皐月の空に泳ぐ鯉幟は見ているだけで晴れ晴れとするもの、何でそうなるのか分からないが、やっぱり晴れ晴れとする。
 青空に泳ぐ鯉幟を見ていると自然と心豊かにもなる、そんな思いにしてくれるのも鯉幟、我々日本人男子にとっては鯉幟は特別なのか。
DSCN1176.JPG
 男の子は鯉幟、昔から決まって節句には飾ったもの、では何故鯉幟なのかと言う疑問も湧いてくるのではないのか、それを知らない人も多いのでは。
 古来中国では鯉が滝を上り龍になったと言う故事にちなんだもの、「登竜門」の伝説であるがそれが日本にも伝わり、出世する事を意味するものとなったと言われる。
 鯉が龍にと変身するもので、縁起の良いものであり、それにあやかりたいと言う庶民の願い、鯉幟はこれから来ているとも言われる。

 この鯉幟、そんなに歴史のあるものでも無いもの、明治に入ってから盛となったようで、それ以前には庶民には程遠い存在でもあった。
 もともとは武家飾り、端午の節句に武家の子息のSANY1839.JPG武運長久を願って、床の間に旗指物を飾り、子供の成長を願ったものである。
 もとは将軍家が武家の仕来りとして端午の節句を祝う行事を推奨したと言う。

 庶民のものではなく、武家中心の飾り物であったのを、明治に入ってから庶民が真似をして鯉幟にしたてたもの、武家は旗指物、庶民は鯉幟となった。
 勿論江戸時代にも鯉幟は存在していたが、やはり一般庶民のものではなく、富裕層のものであったことは確か、庶民は鯉幟すら立てれなかったのだ。
  写真の鯉幟は瀬戸市の古民家久米邸で飾られているもの、真ん中の大きなものは和紙製の鯉幟、長さ4、5メートルの大きなもので珍しい古いものである。下のものは布製の昭和のもの、小さい方は和紙の鯉幟、明治時代の珍しいものである。
 
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2017年04月27日

追いつきたい

      マイセンと肩を並べて。

かっぷ.jpg
 尾張瀬戸の磁器は、幕末から現在まで作られてきたが、1番多く輸出されたのは戦前、戦後の時期、この時代が1番多く輸出され、又多く製造された事である。
 時代によって製造されたものは違いがあるが、大別すれば実用向きと装飾物に別れ、戦前に製造された物と戦後の物が違ってくるが、大別すれば前者は食器、後者は装飾物が中心のようである。

 当然の事であるが、高級品の輸出と一般物とは区別され、製造会社は其々の分野で、得意とするものが違っていたもの、この時代を象徴している。
 特に高級品を扱う企業は、秘密裏に磁器を製造して、部外者にはその製造方法を公開せず、独自の職人を雇い、自社製品の拡大を図っていた。

 職人は図柄や絵付け方法、燃焼技術など一切を部外に持ち出す事を厳しく監視、製造された商品の持ち出しにも、厳しい目が向けられて、企業秘密として管理されていた。
 当然の事であるが、製造途中で出来た不良品でも持ち出しは一切御法度、不良品は全て廃棄され、粉々に砕かれてその秘密が外部に漏れないように徹底管理されたと言う。

 この様な、徹底的に管理された中で製造された輸出物は、外貨獲得に大いに貢献した事は云うまでも無くSANY1173.JPG、愛知県の主要な輸出品であり、保護も当然なされていた。
 その中にはマイセン窯と競い合う商品も多く製造されていたが、門外不出であった為に、一般の人はその存在を知る人は、少なかったようである。

 当時の瀬戸の磁器は海外で、マイセンの商品と市場を競い合っていたので、「マイセンに追いつけ」、「追い越せ」の合言葉を掲げてマイセンの商品を超えるものを作り出そうとしていた。
 商品はすべてが一品ものであり、職人が分業で1番最高のものを生み出す努力を、惜しみなく発揮してマイセンを追い抜く技術の習得に励んでいた。

 写真、下はマイセンのカップ、上はマイセンに追い越す為に製造されたもの、当時の最高級のコーヒーカップ、すべてが手づくりで製造され、見事な出来栄えの物となっている。
 金も本金を採用、分厚く塗られており、花の図柄は一つ一つ細密に手で描かれており、現在之を再現するのには至難の業であると言われている。
 カップは足が三本付いており、ソーサーは縁をハートの形をくり貫いた、豪華なつくりになっていて、最高級品の香りを漂わせた一品である。













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2017年04月26日

苦い思い出

      口 は 災 い の 元 


 SANY3687.JPG若いと言うことは素晴らしい事であるが、失敗もまた楽しい思い出でも在り、今思い起こせば昨日のように思い出され、恥ずかしくなってツイツイ笑い出す。
 もちろん照れ隠しであり、楽しくて笑っているのではないが、人間おかしなもので、失敗をした時は笑ってごまかす傾向があり、大抵の人がその行動に出る。

 私もその一人、忘れもしない去る40年近く昔の事で、仕事の関係で全国を回っていたときの事、札幌のサッポロビール工場で会議があり、北海道に出かけた。
 この頃は古時計をやり始めの頃、何処に行くにも古時計の事しか頭に無かったような気がするが、其の時もやっぱり会議はそっちのけで、地元の友人に古時計のある所を教えてもらう事しか考えていなかった。SANY7246.JPG

 サッポロビールの会議は一日でかたずけ、翌日は骨董屋巡りと自分に決め、会議は2日の予定であったが、参加者に根回しをして夜遅くまで会議を行う事に同意してもらう。
 計画どうり会議は一日で終わり、翌日札幌の友人の車で骨董屋巡り開始、前からこの友人とはうまが合い、何度か一緒に骨董屋めぐりをしている。

 翌日も友人と小樽の骨董屋に向う、以前にも何度か行った馴染みの骨董屋に直行、店に入ると直ぐ目の前に古時計が5、6台掛けてあり、その中の一台に目が釘付けになった。
 振り子室のドアーを開け直ぐに精工舎の石原町と確認、「しめた今日は運の良い日だ」と心の中で喜び、早速値段を聞こうと主人に問いかけた。
 
SANY7025.JPG「この時計欲しいのだが、値段は幾ら」と水を向けたが、主人「何で八角のそんな時計を買うのか」と不思議な顔、よせば良いのに「この時計珍しい石原町で、中々手に入らない珍時計」と、長々と自慢げに話す。
 すると主人「そんなに珍しい時計なら1台位取って置くか」と、全く予期せぬ言葉、この主人今までに一度もそんなこと言ったこと無いのに、その言葉にこちらがビックリ。

 「あんたがそんなに珍しいと言う事は、よっぽど数が少ない時計だから」、「やっぱり売るのはやめた」と、時計を奥に仕舞ってしまったので此方が慌てて、「その時計欲しいのだから売ってよ」と攻めてみるが態度は変わらない。

 結局、私が自慢げに石原町に付いて能書き述べたのが間違いの元、主人よぽど価値のある時計であると確信してしまったようで、折角石原町を見つけたのに手に入れることは出来なく成ってしまった。
 若気の至り、よせば良いのに自慢げに知識を見せびらかし、結局墓穴を掘ってしまった事に、後から後悔しても始まらず、ミスミス珍品時計を自分の手で突き放してしまった。 

 写真は精工舎の石原町製造の1番スタンダードな形の時計で、その後この時計を手に入れるのに10年の歳月をついやする嵌めになるとは、そのとき思わなかった。



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2017年04月25日

ディスプレー

      お国の違い
 

 SANY0847.JPG同じ目的の物を作っても、その気候風土の違いにより、出来上がる品物が全く違った物に仕上がるが、これは単に職人の趣味の違いによるものではない。
 生まれ育った環境にも多く来影響を与えるものであるが、文化の違いも大きな要素の1つであり、素材やデザインにも色濃く影響与えるものでもある。
 当然の事であるが、その国によっても違いが出るのは当たり前、長い文化の蓄積の中から生まれ出てくるもの、つまり短絡的に其の物が生まれ出ることは無い。

 歴史と文化が育てた上に立って生まれ出る物で、それは長い時間が育んだ末のもの、そんな伝統の上に成り立って物が出来上がるのであり、民族の証でもある。
 写真の時計のスタンド、上はイギリスの物、下は日本の物でありSANY0857.JPG、イギリスのものはブロンズ製で、日本のものは当然の事木製、其々に文化の違いが表に出ている。
 西洋の物は「金属」、日本の物は「木」、此の二つはハッキリと文化の違いが分かる代表なものであり、金属と木製で明らかにお国柄がハッキリと出ているもの。

 その図柄も、ひとめ見れば歴然として文化の違いがあからさまに分かり、鉄の力強さと木の柔らかさが対照的に出ており、日本のものはシンプルであり、西洋のものは迫力がある。
 しかし、西洋物は大量生産であり、日本のものは少量生産、もしくは一個しか製造されていないかも、量産品と単品生産の違い等、そして日本製に付いて詳しく見れば、非常に手の込んだ仕事がされている。

 SANY0854.JPG見かけはシンプルであるが、衝立上の板は引き出し式になっており、使わないときはスライドさせ本体の中に入る仕掛け、又その衝立の表面には木象嵌が施された豪華な造りである。
 国民性の違いと言うべきなのか、それとも考え方の違いなのかは判らないが、西洋と日本そこには受け継がれてきた歴史がある。
 木の文化を受け継いだ日本人、木の温かさを表現したものとなっている。
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2017年04月24日

またまた登場

      珍品だと


SANY1335.JPG 例の友人またまた登場す、機械オンチでどおしようもない男、なのに何時も機械物を買い込む癖のある男、止めろと何度となく注意した男。
 そんな男がまたまた我家に現れ、手には何やら怪しい物を持っている様子、何時ものようにニコニコ顔で入って来た。
 その素振りから、又も怪しい物だとピンと来るが、彼はいたって何時もと変わらず「珍しい物を見つけてきた」と、これまた得意げな顔。

 彼がそんな態度を取る時はロクな事がないので、こちらも「又か、いいかげんに目を覚ませ」というが、何時ものやり取りが始まる。
 だか彼は我関せずとばかりに私の言葉を無視、早速持って来たものを取り出し、「見てみろ、こんな物そん所そこ等にないものだぞ」と、意気が上がっている。
SANY1320.JPG
 見れば、「何だ是、どうしたんだ」と言えば、「それ見ろ大珍品だろ」と胸をはるが、珍しい物だから驚いたのではなく、とんでも無いものだからだ。
 それはアメリカ製アンソニア社の置時計、其れも本体がなく、時計部品だけの物、本人は機械部分だけのものだから、見た事がない珍品と思っているらしい。

 そもそもこの時計は胴体振り子と呼ばれるもの、時計本体の中に振り子が入っており、見た目には振り子がないように見えるもの。
 知らない人は、この部品がどの様にして使われるものなのか知らず、これだけが時計であると思うが、実際は本体があるのだ。

 「驚いたろ、こんな物見たことないだろう」と、まだ分かっていないので、意地悪く「本体はどうしたのSANY1327.JPGだ」と聴いて見ると、彼は怪訝そうに「是だけだ」と言う。
 しかたがないから「お前、これは半端ものの時計、本体がなければ動かない物だ」と言えば、尚も彼は「ヤッパリ珍品か」と分かっていない。

 機械オンチにどれだけ言っても理解できないから、家にある別の胴体振り子の時計を見せて、「この本体がなければ時計は動かない」と、それどころか珍品ではなく半端もののジャンク品だと告げる。
 それでもこの男、機械オンチである事を分かっていなくて、その後理解させるのに時間がかかり、結局この半端物も我家に置いて帰って帰ったのだ。

 つも世話のやける男だが、何処か憎めなくて、その上お人好し、嫌みがない分始末に悪いが憎めない男でもある。
 今もそのままな状態で部屋の片隅で小さくなっているが、あの男が小さくなるのを見たいものだが、一向にめげず我が道を行っているのだ。
 彼はそれを改めると言う気はなく、機械ものは分からないと思う気もないが、それかまた彼の魅力かも知れない、しかし相手に騙されないようにしたいものだ。
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2017年04月23日

思い出のカップ

      苦 い 思 い 出


SANY1293.JPG 旅には色々な思いでがつきものであり、人其々に思い出があるはず、旅とは思い出を作りに行くものでもあるらしく、行く先々で思い出を作って帰るのである。
 私も色々なところに旅をしたが、楽しい旅ばかりではなく嫌な思い出のたびも数々あるが、やっぱり其れも思い出の1つで、後から思い起こせば楽しいものに変わる。

 写真のコヒーカップ、これも又旅の思い出の1つであるが、決して楽しい旅の思い出ではなく、その反対の苦い旅の思い出の1つであり、このカップを見ると当時の事が思い出される。
 10程前イギリスへの旅での事、ロンドンから田舎に向って列車で2時間位行った田舎町、友人と2人でオルゴールを探しての旅の途中、あるアンティークショップで気に入ったカップを見つけた。SANY1300.JPG

 早速値段を聞けば若い店主「之は良い物で古いものです」と、友人を介しての返事であるが、ビックリするほど高い値段、私が何故そんなに高いのかと聞くと、主人「パラゴンの貴重なカップだから」との返事。
 兎に角友人を介してのやり取りで、もどかしくて此方の意図が相手に伝わり辛く、友人も苦笑いしながら通訳を、結局値段を「まけろ、まけない」の押し問答になる。

 何時もの事であるが、イギリス人は変にプライドが高く、此方を見下した物の言い方と態度、これに私は何時も頭に来て「まけてくれないなら要らない」と、結局商談はご破算。
 しかし、実際には私はそのカップが欲しくてたまSANY1303.JPGないが、向こうが頑固であるからには此方も譲れず、後ろ髪惹かれる思い出店を出て他の店に行くことにした。

 それから2、3軒のアンティークショップを探したが、お目当てのカップは無く友人に「やっぱりあのカップが欲しい」と、あの店に逆戻りしカップのあったと場所に行くが、カップが見当たらない。
 店主に聞けば「今同じ日本の方が今買って行った」との事、意地を張ったばかりに他人に先を越され、結局このカップで我慢する事にし、仕方なく値切って購入したが、やっぱりあのカップが欲しかったと後悔。

 いつも言っている事だが、「見つけた時が買い時」と言うけど相手がある事、何でもそうだが気持ちよく買いたいものである。
 友人曰く「お前は変なところで意地を張る、だから買えなかったのだ」と手厳しいが、確かにその通りで意地を張ったばかりに、欲しい物も手に入らなかったが、気分も大事。
 気分が乗らなければ買う気にもならない、そんな贅沢な事を言っていたら、良いものも買えないと、しかし気分も大事な要素でもある。

 
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2017年04月22日

教えて欲しい

    何を集めて良いのか

 
 SANY0866.JPGある人から相談に乗ってほしいとの依頼、人から相談に乗って欲しいと言われると、こちらがビックリとしてしまう。
 「どんな相談なのか」とか、「難しい相談か」とか、「ややこやしい相談」ならお断りだし、しかし聴いてみなければ分からない。
 だけど聞いてから断るのも失礼のあたるしと、色々と考えてしまうものだが、断るのも気が引けて話を聞いてみる事にした。

 その人いわく「どんな古時計を集めたら良いかの教えて欲しい」との事、どんな古時計を集めたら良いのか聞かれても困る。DSCN1609.JPG
 古時計は人により好き嫌いが分かれるから、どんな古時計が良いのかと聞かれても、それは私の意見に過ぎないからだ。
 その人が何が好きかを知らないと、こちらも返答の仕方がないとも言え、それよりも何が好きかを知りたい。

 私の場合は八角型の古時計から入ったので、八角の古時計が多く、今でも継続中であるり、まだまだ買い求めている。
 しかしこれが相談相手に合うとは限らず、逆に合わないとも思うが、何故ならばこの人の欲しいものと私DSCN1710.JPGの欲しいものとは違うからだ。
 本人がどんな古時計が欲しいのか、どの様な形が好きなのかで進めるものが違ってくるからだと思う。

 私の場合は製造会社も重要なポイント、全国の明治大正時代の時計を集めたいと思いスタートしたが、この人は違うと思うから。
 あえて言えば一つの目標を持った方が良いと、その目標に向かって進むのも一つの道、色々な道の一つを選択する事だと思う。
 それと流行り廃りが古時計の世界にも存在しているから、それに惑わされない様にする事も大切な事、人は人と割り切る事。DSCN1091.JPG

 人と同じ道を進めばライバルも当然多くなり、その分集め難くなるから、ライバルの少ない方を選ぶこと、しかしこれが一番難しい。
 何故ならば流行に流されやすいのも我々であるから、見栄えの良い古時計につい目が行ってしまい、自分の道から外れてしまう事にも。
 私も例外ではなかったから、その経験からじっくりと取り組んで欲しいと思う、それが一番の道だとも思うが。

 アドバイスはあくまでも個人の主観、その人が自分で道を決めないといけない事、それが最大の課題でもあると思う。
 古時計は長く付き合ってこそ楽しいもの、一過性の麻疹みたいで、なかなか分からないものだと思うが。
 本人が満足したかは分からないが私の考え方を述べたに過ぎないので、参考にはならないと思う。

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2017年04月21日

支那そばの味

      思い出の支那そば 


 SANY1125.JPG「支那そば」、「中華そば」、「中華らーめん」、そして「ラーメン」と色々な呼び名に変化しているが、元は同じ麺類である。
 子供の頃食べたあの支那そばの味は忘れがたい、家の近くに小さな支那そば屋があり、時々出前を取って家で其処の支那そばを食べた。
 今みたいに気楽に夜食としてラーメンを食べる時代と違って、月に一度ぐらいの頻度で食べてた、「ご馳走」であったと思う。

 そこの支那そばは、手打ちの細めんであるが、面は丸くなく蕎麦みたいに平たく、そして薄い手打ち麺で、ここ独特の麺でもあった。
 細いといっても極細ではなく、更科蕎麦の細さぐらいで平たく薄い、麺が独特であるから汁も独特かと思われるが、かつおダシの透き通った和風の味付けであり、あえて言うときしめん風であった。
 確かに面は中華麺で、うどんや蕎麦風でなく、腰のある平たく薄い麺、そんな麺とカツオ汁が絶妙にからみ合い、独特のあっさり和風ラーメンである。
 
 この店の支那そば、出前は店のお袋さんがオカモチに入れて歩いて配達をしていたので、近くであっても時間が少し掛かった。
 しかし、それ位では麺は伸びずに、しっかりと腰があって実に旨かったし、SANY1116.JPG値段も他の店よりは安かったので日曜日の出前は中々届かず、実に待ち遠しかったのを覚えている。

 「お待ちどおさま」と言って玄関のドアが開くのを、今か今かと待ち続け、届いたときは我先にと玄関に迎えに行ったものだ。
  届いたオカモチを開けた瞬間、かつおダシノ良い匂いと、「支那ちく」と「のり」の匂いが合間って、そこの支那そば独特の食欲を誘う匂いが部屋一杯に香った。
  
  この支那そば屋は値段と味で、他の店より人気が高くて繁盛していたが、店の主人が余り忙しくて休む暇が無かった事もあり、疲労で亡くなり店を閉じてしまった。
 人気のそばやが無くなってから、支持者が家族に店の復活を要望していたが、あの懐かしい味が帰ってくることは無かった。
 あの支那そばを2度と味わう事が無いと思っていたが、それから15年後、北の思わぬ所で懐かしの支那そばの味と出会う事と成る。
SANY1120.JPG
 出張先の青森の弘前で、たまたま昔馴染みの友人と出会い、馴染みの「南部炉端鍵の花」では話が弾み、たらふく酒を飲み交わして後、締めにラーメンを食べに行くことに。
 そこで思わぬ出会いをするが、友人「この店のラーメンは昔からの味で旨い」と言うので店に入ってラーメンを注文した。

 食べてビックリ、あの懐かしい子供のころ食べた志那そばの味とそっくり、これには思わず「この味だ」と大きな声を上げてしまったが、正に懐かしい味で弘前で出会うとは思わなかった。
 友人に言わせれば、ここのラーメンは昔からのもの、彼が小さい頃も営業していたと言う事だ、この辺りでは老舗のラーメン屋で人気だと言う。
 しかし日本は広いようで狭い、食文化とは面白いもので、何処でどの様に繋がっているものなのか、調べてみる価値があると思う。
 それにしても遠く離れた弘前で、昔懐かしいあのラーメンに出会うとは、思ってもみなかったが、その後出張のさい何回も弘前に食べに行った。
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2017年04月20日

分からないマーク

      不明なマーク 


SANY1140.JPG 時計には色々なトレードマークが文字盤に印刷されているが、マークを見ただけでメーカー名が分かるのは、ほんの一握りのものしか判別できない。
 今までに研究がされ明らかに成ったものは余り多くなく、不明のマークーの方が遥かに多く、古時計愛好者にとっては厄介の代物でもあり、メーカー名を知りたくても、如何調査してよいか分からない人が多いと思う。
 私もその一人でトレードマークは見て知っているが、それが何処の時計製造所のものか分からず、多くの色々な人に尋ねた。

 しかし結果は分からず仕舞い、よく見かけるマークではあるが所在が分からず、文献も調べてはみたが見つけられなかった。
 そんなおり明治村の学芸員から特許庁の事を教えてもらったのが切っ掛け、調べたい番号さえわかれば探SANY1160.JPGせると言うのだ。
 ただ番号が分からないと、調べるのには時間が掛かるのではないかとも言われ、マークだけどと大変な作業かも知れないと。

 1番確かな方法は、特許庁の台帳に記録されているマークーを、閲覧することが早道であるが、申請されたマークーの特許番号が分かっていれば直ぐに判明する。
 しかし、番号が分からないときは、其のマークーを順番に探さなければならず、之が大変な作業となり、時間の掛かる仕事、根気と努力が必要となる。

 現在ではコンピューターに全て入力されているので、昔みたいに台帳を一枚一枚めくって探す手間は省け、其の為にやはり特許番号は不可欠である。
 日本の時計愛好家の中でも、之をしたいと思っていSANY1164.JPGる人も多いが、実際に調べるのは大変な事、中々現実に行動を起こす人は少ないようだ。
 そんな中、アメリカの古時計愛好家が個人で、日本の時計のトレードマークを研究し、分からない点について日本古時計保存協会に調査依頼が舞い込んだ。

 日本の人でも其処まで調べようとする人が少ない中、外国の人が日本の時計のマークを調べているとは、感心する事やら感激仕切りである。
 依頼されたトレードマークの一部であるが、之から調査をして、希望に添えるように解明をするため、資料と首っ引きで頑張らないと、日本の古時計愛好家は、ものを知らなさ過ぎるとのお叱りを受けかねない。
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2017年04月19日

招き猫の由来

    招き猫の由来です
 

SANY2922.JPG 招き猫の発祥とは、古来中国の逸話に由来するものであるらしいが、今の招き猫の形が出来上がるのは江戸時代に入ってからだと言われる。
  何故、猫が人を招くのか、猫の顔を洗う仕草がいかにも「おいでおいで」と人を招いているように見える事からとか、色々な説が存在する。

 800年代の唐時代にこんな諺が、 「猫面を洗いて 耳過ぎれば 即ち客到る」と、これは猫が顔を洗うと雨が降る、雨が降れば雨宿りの客が店に入って来るとの例えである。
 もちろん猫が顔を洗ったからと言って雨が降るとは限らないが、雨が降れば人は雨宿りをしなければならないから、店に入って来ることもある。

 商売人にとっては願ったり叶ったり、雨が降れば客が来る、そんな事の繰り返しが猫の顔を洗う仕草と相まったともいえる。

DSCN1916.JPG 当時も今も、雨が降りば人は雨宿りを求めてつい店に入ってしまうが、この事が客を呼んでくれる縁起の良い仕草であると喜ばれていた。
 日本で言う、 「風が吹けば桶屋が儲かる」の例えと同じ、間接的に繋がっているが縁起の良い事の教えである。

 日本では色々な説がある中、1400年後半、太田道灌が負け戦で道に迷い、自性院の飼い猫が手招きした方角に逃れ、窮地を切り抜けた故事にちなんだもので、これが招き猫の始まりであるとされている。 

 豪徳寺説、 1600年後半2代彦根藩主が鷹狩の帰り、豪徳寺近くの大きな木の下で雨宿りをしていたが、豪徳寺の飼い猫がしきりに手招きをするので、それにつられて豪徳寺の境内に入ったら、今まで雨宿りをしていた木に落雷して命拾いしたとの故事にちなんだもの。

 西方寺説、DSCN0133.JPG今戸神社説、など諸説がいくつか存在しているが、いずれも確証がなく、どれが正しいかは本人の考え次第。
  諸説ある中、1番信憑性のあるのは、京都伏見の伏見人形が1番初めではないかと私は思うが、ここで製造された伏見人形が江戸時代初期から、全国に普及し、この人形を手本に土人形が作られるようになる。
 その中に招き猫風の猫の土人形が存在し、これが元となっている事は確かで、諸説ある招き猫も伏見人形の発展系であると思われる。

 中国の故事をヒントに、みやげ物や商売繁盛の縁起の良い置物として、あちらこちらで製造が始まり、その内に元祖や本家などと後から付け加えたようだ。
  何れにせよ、商売人には客引きの縁起の良い置物には違いは無く、また郷土玩具の愛好家には是非とも手にしたい土人形でもあり、招き猫は愛玩用としても人気がある。

  現在でも招き猫ブームがあり、新しい招き猫も続々とつくり出されているようで、現在では我々が驚くような招き猫も出現しているとのこと。
 いずれにせよ招き猫は幸福を齎す縁起の良い置物であることには変わりなく、全国各地で色々な招き猫が製造されているようだ。
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2017年04月18日

ケースは豪華

      人そけぞれ

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 人はそれぞれ色々な趣味を持っているもの、それは人によっての価値観の違いが現れているもの、ある人は物であったり、ある人は物以外の趣味も。
 精神的なものや物質的なもの、それぞれ違ったものを求め、楽しんでいるようであるが、興味のない人にとってはどれも猫に小判でもある。

 世の中は色々で思わないものを趣味としている人も居るが、大抵の人は身の回りに存在するものを趣味としているので、身近なものを集める人が多いと聞く。
 私の知り合いもその1人、彼は主に万年筆を蒐集しており、特にエボナイトで製造された万年筆を好んで集めている人物、別に物書きでもないのだが。

 この万年筆、ヤッパリ奥が深いらしく、幾ら集めても場所を取らないのが良いらしく、少しばかり集めても、全く集めたとは思えない大きさにしかならないと言う。SANY4487.JPG
 そんな集め易いものだから、次から次へと集めてしまい、其れを何処にしまったのか忘れる始末、そんな事でドンドンと増えて行くらしい。

 私の所の来ては、「掛時計は場所を取って仕方がないだろう」とまたまた嫌味をのたまう、こだけ集めれば壁が無い様に見えるが、自分の集めたものは何処にあるのか分からないほどの小ささだと言う。

 確かにその通り、大きな掛時計であれば、万年筆がどけだけ始末できるのか、想像はつくが、それはそれで趣味の違いであり、比較にはならない。
 そんな友人が持って来たのがこのボールペン、シッカリとした木箱に入った高級品のようだが、彼に言わせると使っているうちに手に馴染むのは木で出来たものが一番と言う。
SANY4486.JPG
 その一番手に馴染むボールペンを持って来たから使えと、確かに手にとって見ると、シックリと馴染むように感じるが、何処となく無造作に使えないようにも思う。
 ボールペンは何処に置いても、傷ついても、気楽に使える物がよく、高級なボールペンは使い辛いもの、ヤッパリ気楽に使ってこそボールペンだと思うのだが。

 すると友人、「そんな事だから字が上手くならないのだ」と、またまた嫌味節で終わるのだが、確かにその通り、字はヤッパリ上手くならないのだと、「高いものを使って字を書け」と言う事らしい。
 しかし高いものを使っても字は上手くならない、それを使えば上手くなると言う保証もないのだ、まあ書き易いのは確かにあるが。
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2017年04月17日

ヤッパリ日本的

      日 本 生 ま れ


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 明治期海外から多くの時計が輸入され、その時計には数々の装飾品がつけられていたが、其の中には今まで見たことの無い装飾品も多かった。
 八角型やダルマ型などは余り装飾的なものが付いていなくて、スリゲル型や変形型には装飾物が多く付いて、やはり海外の匂いを漂わせていたようだ。

 それらの時計は、八角型やダルマ型よりは高価であり、中々一般の人には買うことは出来ず、そんな時計が憧れと成り、一種のステータスと成り、明治の人達に買い求められた。

 その中にアメリカ製の時計の飾りが人々の注目をあび、人気の時計となるが其れは今までに見たことのない形であり、其れが尚更異国情緒をかき立てたようだ。
 アメリカ製アンソニア社のニューハバナ型時計がそれ、独特の形をしており今も人気のある時計、この時計に付いている装飾金具SANY0723.JPG、これも又憧れのポイントでもあった。

 そのハバナの時計に付いている装飾金具、時計上部に付いている女性の顔、この金具がハバナの時計を引き締めている重要な部分、この金具がある事により見た目が一段と引き立つ。
 彫が深く、目鼻だちがハッキリしてビーナス見たい、これぞ西洋美人の典型であると思われる位、その金具に日本人は魅せられてしまうのである。

 もともと日本人は彫が浅くてアジア系の顔をしているから、鼻の高く彫の深い顔に憧れを持っていると、もしくはコンプレックスを抱いているとも言われる。
 確かにその通りで彫の深い顔は憧れでもあるのだが、アジア系の人にはそぐわないかも知れない。
 世界の三大美人、クレオパトラと楊貴妃、小野小町と言われている。

 しかし西洋から見れば何故東洋人が二人も入っているのか不思議だと言うSANY0167.JPG
 私もその通りだと思うが、美人の基準は人それぞれであり、とやかく言う事ではないが不思議ではあり、納得もいかないと思うが。

 そんな事はどうでも良く、美人であることには賛成、美しさは楽しいもの、見ていて楽しければそれで良いとも思う。
 当時の人達も同じことだと思う、西洋への憧れと同時に美しいことは大いに賛成、美人を取り入れるのに躊躇はないと思う。

 時計各社はこぞって、この金具の女性像を真似て自社の時計に取り付け、市場に送り出すことになり色々な時計にこの金具がつけられた。
  写真は精工舎のスリゲル型ベルリンに付いている金具と小型スリゲルに付いている、ハバナの金具を真似た模造品、本物と比べれば彫りは浅く、やっぱり日本人風に出来上がってしまう。
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2017年04月16日

独特の花生け

      美 濃 の 新 参 物


 SANY0915.JPG明治期の花生けは瀬戸と伊万里が製造を引き受け、両産地互いに競いあっていた時代、他地域の参入を許さず、両産地は花生け製造に邁進をしていた。
 様々な時計の花生けがこの産地から生まれ、異国へと旅立って行ったが、大正期に入ると美濃の笠原で安価な花生けが作り出され、先行の産地を追随する事になる。

 瀬戸や伊万里で製造された花生けと違って、美濃物は新たな新商品を作り出し、新案特許を取得先行産地を脅かす存在となり、市場は三つ巴の様相を来たす。

 美濃笠原で新たに製造された花生け、時計の八角型をしているがカレンダーが付いており、先行産地には無い形の花生け、この形で新案特許を取得(パテントナンバー37259)、他地域が製造できなくする戦法を取る。
 時計の花生けにカレンダーの付いた物は既に製造されSANY0919.JPGているが、形と色合いを含めて特許を申請して独占体制を築き、後発の産地が市場で有利に展開する事を図ったもの。

 特に東南アジア向けを意識し、先行産地を追い落とす作戦であったようだが、東南アジアで其の目論見は当て外れのようであったが、国内では多少の存在をアピールしたに過ぎない。
 原因は幾つか上げられるが、一番の原因はカレンダーを付けたは良いが、カレンダーの針を通す穴が中央に空いており、水が沢山入らず花生けとしての用を足さなかった事。

 デザイン的にはスッキリとした形で、製造しやすい事からコストを下げられ、販売するには都合が良かったが、基本的な設計ミスで実用新案特許を取得した割には、効果は余り無かったようだ。
 この花生け以前は市場に出回らなくて希少価値が出、値段も出れば高価で取引され、特に愛好家がこぞって買い入れた為、高値をつけていた。SANY0926.JPG

 しかし、4、5年前に倒産した窯元から、りんご箱十数個に入った花生けが発見され、その数が多くて各業者が皆持つ結果となり、市場価格が暴落、6分の1にまで落ち込み愛好家からそっぽを向けられてしまった。
 現在は大抵の業者が持っており、値段も安くて新たに欲しい人にとっては買い時であるが、以前に買った愛好家たちは、腹立たしい思いで居るに違いない。

 写真の花生けが、大正期に美濃、笠原で製造され実用新案特許を取得した物であり、デザインも色も面白い物であり、歴史的に興味のある品物には違いない。

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2017年04月15日

頑張ってます

    まだ散らずに


 
SN3G0052.jpg 今年の桜、例年より少し遅く咲いたが一次期の寒さで散らずに頑張っているとの噂、まだ散っていないとの事。
 あちらこちらの桜はすでに散り、葉桜となっているところも、そんな中近所の人が「あの公園の桜、今満開だ」と言うのだ。
 あんたも今年の桜は見ていないと言っていたので、見に行って来たらと教えてくれ、半信半疑で出かけた。

 車で10分位のところにある公園、そんなに大きくない公園だが桜の数はまあまあ、近くの人が見に行くところだ。
 無理して遠くの桜を見に行くこともなく、それに駐車場もどこも満杯で、それこそ駐車するのに大変。
 だからこの時期の桜は見に行かない事にしており、すいた所に見に行くのだが、そこも今年は行かなかった。
SN3G0050.jpg
 そんな事で知り合いが教えてくれたので、今の時期ならそんなに混んでいないだろうと、早速出かけてみた。
 その公園は近所の人なら良く知っている所、何時も近所の人たちで満員の盛況、だからそこも行かなかったのだ。
 しかし満開を過ぎたと皆が思っているので、今は不思議と静かでゆったりと見えるとの事、だから空いていたのだ。
 現地に着けば言われた通り空いており、なんだか拍子抜けの状態、何時もなら駐車場も満杯のはず。
 しかし今日はガラガラの状態、不思議でならないがすんなりと駐車でき、やっぱり拍子抜けである。
 しかし言われた通り桜は満開の状態、今年は桜を見るのを諦めていたのが、教えてくれた人に感謝である。
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 ここの桜、数はW、50本位で多くはないが集中しているので見応えはあるので人気、ただあまり広くないから混むのだ。
 しかし今日は桜を独り占めの感、ビックリするほど人がいなくて、これで良いのかと思ってしまう位だ。
 桜の種類も色々あるみたいだが、私にはその種類は分からないが、桜の色が違う事だけは確か。

 ピンクぽい桜、白に近い桜、葉が同時に出ている桜、色の強い桜と様々の種類が混然となっている様子。
 それにしても静かだし、桜は満開だし、今年の桜見物は大いに満足、今までにない桜見物となったのだ。
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2017年04月14日

文字盤違い

      ど ち ら が 国 産 か


 SANY1080.JPG日本の時計はすべてと言って良いほど外国産のコピー、明治初期から西洋時計をモデルとして、様々な時計がコピーされて世に売り出された。
 日本人の舶来信仰の始まりであるが、これはほんの抒情詩に過ぎず、これ以後ドンドンとエスカレートの一途を辿り、国産なのか外国製なのか分からない時計も出現する事になる。

 日本人の舶来信仰の賜ものでもあり、その技術は20年足らずで外国製の技術までに近ずく、当時の職人の技術の高さは相当のもので、貪欲に技術を習得したことが伺える。
 はじめはコピーすることに専念しているが、やがて技術が向上するごとに次第に独自の物を製造するようになり、全くのコピーから抜け出して日本独自のアレンジが始まる。

SANY0180.JPG 機械形式は殆どがコピーのままであるが、文字盤は日本の時計製造会社が自社の誇りを持つようになり、次第に時計製造会社別に文字盤も製造し始める。
 外国製の物の中でも、全くの無印の文字盤もあれば、自社のトレードマークを入れた文字盤や、製造会社の名前を入れている文字盤など、様々な文字盤も製造されている。

 文字盤の材質も紙文字盤や金属文字盤、そして高級機にはホーロー文字盤が採用されており、高級感をかもし出していて、一般の物との差別化を図っている。
 後発の日本の時計製造会社も、高級機にはホーロー文字盤を採用し、西洋の時計が其れであった如く、自社のマークを入れて文字盤を製造するようになる。

 この時代から日本の時計製造会社は自社のマークを大事にするようになるが、それは真似したからではなく自社の製品に自信が付いてきた証拠。
 コピーから脱却して独自の自社ブランドを確立、自SANY0175.JPG分の製品に自信とプライドが生まれ、そして確立された行くことになる。
 それがトレードマークにと発展して行き、西洋の時計製造会社が力を注いでいた自社のトレードマーク、それに近づいた証拠である。

 写真の時計の文字盤を良く見ていただくと、西洋の文字盤をコピーした時代から少したって、日本独自の文字盤を製造して自立化が行われたことが良く分かる。
 どちらが外国製なのかお分かりかな、左がフランス製、右は国産の時計、良く文字盤を見ていただくと、まったくのコピーだと直ぐに分かるはず。
 
 ホーロー文字盤(通称瀬戸エト)で仕上げてあり、文字盤の真ん中に金属製の飾りが施し(通称ボタン)と呼ばれるが、シンプルな一面ホーローの文字盤より少し高級に見える。
 この様に日本の時計は外国製の物をコピーして製造されたことが比較すると良く分かり、明治の時計の成り立ちが目でも確かめられ、時計の進化が理解できる。
 
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2017年04月13日

旅の思い出

      誰 も が 描 く 思 い

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 全国よく旅をしたもので、その土地、その土地の思い出は今も深く刻み込まれ、そのときに手にした物を見ると走馬灯のように浮かんで来、ついのめり込んでしまいそうである。

 今ではあまり見かけなくなったマッチ、当時はまだまだマッチの時代であり、今みたいにタバコがうるさくない時であったので、何処でも宣伝のためにマッチを置いていた。
 そして、店独自のマッチを製作して客に与えていたが、その中には芸術的なものや、ユニークに物、奇抜な物等趣向に凝ったマッチが沢山あり、それらを記念に持ち帰った。
 勿論マッチであるから火を付けるために貰って来たもの、使うためのものである。

 外箱は大事にとっておき、中身はタバコを吸うために使うのだが、当時は100ライターよりもマッチの方が主流。SANY0808.JPG
 ライターも便利なことは分かっているが、マッチを擦った時のあの匂い、独特の匂いがして火が付く、あれが良いのだと思うが。

 我々にはあの匂いで煙草に火を付けると、何故かしらタバコを吸うと言う行動を実感するもの、ライターではこれが味わえない。
 やはりあのマッチを擦った時の匂いが染み付いていると思う、そしてパチンと火が付くときの音、あれが大きければ大きいほど良いと思う。
 以前にも同じようなものを取り上げたが、今回は少し突っ込んだ思いを込めたつもりです。

 写真のマッチは、その中でも私が特に記憶に残る物を少し出して見たが、やっぱり店独特の趣向に今見ても驚く、単なるマッチに留まらず、店の意気込みが伝わって来る様である。
 SANY0800.JPG表の図柄を見ただけでどんな店なのか、店の中が連想できるような図柄ではないのかと思う、小さな物であるが、返って小さいが為により連想させる力がある。

 すべて私好みの飲食店のマッチ、其れもどれも個性派ぞろいの店ばかり、絵を見ただけで何処のマッチか今でも直ぐに分かり、当時が思い出されるから凄い力である。
 宍道湖のほとりの「八雲本陣」、会津若松の「鰻屋、えびや」、仙台の喫茶店「古時計」、など住所を見なくても図柄を見れば直ぐに分かるし、そのほかのマッチも同様である。
 古いものは50年も前物もあり、今では風の便りに閉店して店が存在しないところもあり、時代の流れの速さをしみじみと感じるが、其れも思い出の1つであろうか。
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2017年04月12日

ノベルティー秀作

      瀬戸の輸出陶器 

 
 SANY0964.JPG尾張瀬戸では幕末から磁器生産が始まり、有田と並び国内輸出陶器の産地として、大々的に磁器が生産され、世界各国に大々的に輸出をしていた。
 主に大型の飾り壷や皿等であり、特に染付けの技法を駆使して作られた飾り壷等は、海外から強い関心が持たれ、技術の高さが認められると供に、高級陶器の製造以来が入ることになる。

 瀬戸の染付け技術は、繊細活大胆であり、特にコバルトの発色は素晴らしく、出来上がったものを見れば、其の素晴らしさに息を呑むほどの感動を覚える。
 そして、其の繊細さとは裏腹に大胆な大物も製作され、高さ3メートルにも及ぶ飾り壷や灯篭などの大型の磁器も製造した。

 特にヨーロッパの王侯貴族からは、其の染付けの繊SANY0968.JPG細な柄や磁器の白さがもてはやされ、需要が多く製造が間に合わなかったほどである。
 そして、時代が下り明治に入り、生活用品が主体となり、色々な西洋食器が作られるようになる。

 王侯貴族の食卓を飾る物から、実用的な皿やカップの製造も始まり、その用途は徐々に広がっていった。
 そして、日本初の洋食器を製造する工場が設立され、森村陶器製造会社の誕生である。

 現在のノリタケ陶器の前身であり、幕末より製造されてきた瀬戸の磁器が、海外で高く評価された結果、日本の代表的陶磁器製造会社を生み出すのである。
 写真の磁器製品は、戦前瀬戸で作られたヨーロッパ発注のウイスキーボトルである。SANY0976.JPG
 見てとうりの、実に堂々とした馬の姿、そして技術的な高さを誇るかの、細かな部分までも研ぎ澄まされた技術による成型、高級感のある色彩等、当時最高の出来である代物。

 手に入れた時は、てっきりヨーロッパで出来た物と思っていたが、後になって同じ物が瀬戸の窯元に在庫として残っていたのを、業者が発見、瀬戸で製造されたものと判明した。
 「燈台下暗し」とはよく言ったもので、地元の製品であると気づくのに時間がかかり過ぎたようである。

 後で色々と調査した結果、当時は瀬戸で多くの開国の注文品を製造していたことが判明、思わぬ事が分かった。
 笑い話のような本当の事、外国製だと思って買い込み、持ち帰ったものが日本製とは。
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2017年04月11日

時計小物

      大 き さ は 色 々



SANY0935.JPG 時計グッツにも色々な種類があり、其れだけを集めている人も多いが、好きな物は人其々であるから、どんな物がよいとか言えないし、言うべきでもない。
 時計に関するものなら何でも集める人、時計と言うからには動かないと時計でないと言う人、時計の姿があれば絵であれ写真であれ、時計が付いていれば良い人など之も様々である。

 これらの小物を集める為に、愛好家は色々な所から手に入れてくるが、その入手先も人其々で安価な物を販売しているところから、高級な輸入品を扱っている所、ハタマタ100円ショップなど色々。
 海外のものはドールハウス用の高級な小物もあり、値段も張るが種類は意外と多く、置時計から掛時計、大きなグランドファーザータイプの物等豊富であるSANY0557.JPG

 その反面、100円ショップなどで購入する人は、こまめに店を回り色々な物を見つけ出す事の好きな人が多いが、どちらがスムーズに手に入るかは時の運。
 良いものを求めてひたすら捜し求めて歩く、「犬も歩けば棒に当たる」の喩え、思わぬ物に出くわす事もあり、其れが又楽しみで捜し歩く人など。

 やはり拘りを持った人はこまめであり、こまめに捜し歩かない事には、良い物にも出くわさないのがこの世界、コツコツと地道に探し回る人が成果を挙げるのだ。
 何事も地道にコツコツとやらねば、しかしコツコツとやるには忍耐と体力が必要、生半可な気持ちではこれらのグッツは集められないから、人よりも多く店を回ることだ。

 よく言われるのに「足で稼げ」と云う、これは人よりも多く歩き回ればそれだけ見つけ易いと、確かにその通りかもしれない。SANY1086.JPG
 どこに何があるか分からないもので、そのを求めて歩き回る人、偶然性の出会いを求めての事だが、時にはそれが図に当たる事もある。
 だからこそ辞められないともいう、愛好家ならではの考え方であるが、あながち的外れでも無いようだと私も思う。

 人は何でそんなものを探して歩き回るのかと、何処に引き付ける魅力があるのかと、色々と詮索もするがそれはそれで良いとも思う。
 好きな道だから、コツコツと歩き回る事も苦にならないと、やはり拘りの人は割り切っていることだけは確かである。

 写真の小物、真ん中が一番大きくて高さ3センチ実働の時計、両サイドの物は高さ1.5センチと小さく動かない物、これらも何処で見つかるか分からない代物です。
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