2017年04月28日

こいのぼり

      成長を願って


SANY1835.JPG 早いもので、もう端午の節句近く、あちらこちらでこいのぼりが目に付く季節となり、1年で1番良い時期となる季節を迎える。
 幾つになっても端午の節句は良いもの、この頃になると、遠い昔の子供の頃を思い出すのは何故だろうか、どこか郷愁に似たものを感じる。
 幼い日の節句は楽しい思い出でもあり、記憶に深く刻み込まれているものだ、幾つになっても思い出すものでもあるから、尚楽しいのだ。

 端午の節句と言えば鯉幟、皐月の空に泳ぐ鯉幟は見ているだけで晴れ晴れとするもの、何でそうなるのか分からないが、やっぱり晴れ晴れとする。
 青空に泳ぐ鯉幟を見ていると自然と心豊かにもなる、そんな思いにしてくれるのも鯉幟、我々日本人男子にとっては鯉幟は特別なのか。
DSCN1176.JPG
 男の子は鯉幟、昔から決まって節句には飾ったもの、では何故鯉幟なのかと言う疑問も湧いてくるのではないのか、それを知らない人も多いのでは。
 古来中国では鯉が滝を上り龍になったと言う故事にちなんだもの、「登竜門」の伝説であるがそれが日本にも伝わり、出世する事を意味するものとなったと言われる。
 鯉が龍にと変身するもので、縁起の良いものであり、それにあやかりたいと言う庶民の願い、鯉幟はこれから来ているとも言われる。

 この鯉幟、そんなに歴史のあるものでも無いもの、明治に入ってから盛となったようで、それ以前には庶民には程遠い存在でもあった。
 もともとは武家飾り、端午の節句に武家の子息のSANY1839.JPG武運長久を願って、床の間に旗指物を飾り、子供の成長を願ったものである。
 もとは将軍家が武家の仕来りとして端午の節句を祝う行事を推奨したと言う。

 庶民のものではなく、武家中心の飾り物であったのを、明治に入ってから庶民が真似をして鯉幟にしたてたもの、武家は旗指物、庶民は鯉幟となった。
 勿論江戸時代にも鯉幟は存在していたが、やはり一般庶民のものではなく、富裕層のものであったことは確か、庶民は鯉幟すら立てれなかったのだ。
  写真の鯉幟は瀬戸市の古民家久米邸で飾られているもの、真ん中の大きなものは和紙製の鯉幟、長さ4、5メートルの大きなもので珍しい古いものである。下のものは布製の昭和のもの、小さい方は和紙の鯉幟、明治時代の珍しいものである。
 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記