2017年05月31日

何処かおかしい

   見てほしい

 
SANY1681.JPG 久し振りに友人が我が家訪れてきたが、手に何やら荷物を持っているので、「何を土産に持って来たのか」と尋ねる。
 すると「これ土産ではない、時計だ」と言うのだ、何やら見て欲しいと言う事らしく、その荷物をもって上がり込んだ。

 この友人も古くから古時計を集めており、私よりは後だが熱の入れようは私以上、兎に角まめな男である。
 私と違って彼はコツコツと我慢強い男で、一つSANY1683.JPGの時計を探すのにも時間をかけて探し、全く焦る事はないのだ。
 少し位時間が掛かっても平気、ジックリと探すタイプの人、私みたいに焦らない性格の男、だから慎重派でもある。

 集めた古時計はそんなに多くはないが、それでも100台は優に越していると思うが、そんな男だからやっと手に入れたものだろう。
 早速彼の持って来た時計を見る事に、「何処がおかしいのか」と言う私の言葉に、「文字盤の字だ」と言うのだ。SANY1687.JPG

 包みを開けて見るに、確かに文字盤に駅逓寮と文字が書かれているが、彼曰く「駅逓寮の文字がおかしくないか」と言うのだ。
 普通は横に駅逓寮と書かれているものだが、これは縦に駅逓寮と書いてあるからだと言うのだ。

 確かに彼の言う通り、普通は横に書かれているのだが、これは縦であり、違和感を覚えると言うのだ。
 指摘通りおかしくもあるので、ルーペを取り出して文字盤の文字を見るが、確かに後から書かれたようだ。
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 しかしよく見ると下に昔の文字がうっすらと見え、その上から新しく書かれたようだが、前の文字も縦に書いてあったようだ。
 後から縦に間違えて書いたものではなく、薄くなった文字の上から、新しく書いたものであることが分かる。

 彼の言う通り、違和感は感じるが、ルーペで見る限りでは下にも同じく縦に書いてあるから、これで良いのかもしれない。
 後はじっくりと時計を見るに、別におかしなところはなく、オリジナルの状態のままである。

 初期に輸入された大型のもので、白ペンキで「官」の文字も見え、裏の焼き印も確かなものだある。
 オリジナルと判断すべきものであると彼に言うと、「やっぱり縦に書いてあるから」と尚も疑問のようだ。

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2017年05月30日

東北のこけし

      特徴がある


SANY0964.JPG こけし、一般的にはこけしは東北に集中していると言われ、多くの産地が現に製作しているが、実際は全国に広がった範囲で製作されている。
 東北のこけしの起源は様々言われているが、幕末期に木地師が旅の途中、箱根の箱根細工を見て、その技術を持ち帰り、真似て製作した物といわれている。

 その後東北全土に広がりをみせ、東北の湯治場で売り出され、湯治客のお土産として全国に広まったものともされているが、その説も間違いではないだろう。
 事実、遠刈田の温泉場が初期の東北こけしの産地として知られているもの、この遠刈田のこけしを見て、近くの木地師たちが同じ様に温泉場でこけしを販売したようだ。

 こけしの産地により、胴体に描かれる図柄はまちまち、遠SANY5422.JPG刈田系列、鳴子系列、木地山系列など、産地により当然図柄も違い、其れが又湯治客の人気を博した理由の1つでもある。
 始めのうちは細々と製作していたものが、木地師系列により、段々と広まりを見せて行き、東北全土に広がったもの、それほど東北には多くの温泉場があった証拠。

 全国のこけし愛好家は、当然全国のこけしを集めているものだが、特に東北のこけしは名人と言われる木地師を多く排出、こけしの人気を高めたのだ。
 一般的にこけしはお土産であり、安価なもので湯治客が買って帰ったものだが、次第と人気と製作者の努力もあって、価格が次第に高くなった行くことに。

 少し前の東北こけしの中、名人が製作したこけしは非常に高価なものとなり、お土産やで気楽に買える代SANY7866.JPG物ではなくなってしまった。
 全国のこけしブームに乗り、名人級のこけしはうなぎ上りの価格となり、私も欲しくても手が出ない価格となり、一面では愛好家から悲鳴が聞こえたものだ。

 需要と供給と言われるが、素朴なものがこけし、お土産屋で販売したものだから安価であって欲しいもの、気軽に買えるものであって欲しい。
 こんなこけしが東北復興の手助けとなるのであれば、是非全国の愛好家は手に入れて貰いたいものだ。
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2017年05月29日

印判手

      印 判 手 と は


SANY4050.JPG 明治時代多くの皿が作られたが、全部が手書きで仕上げられたのではなく、ハンコや銅版印刷等の方法で絵付けがなされ、大量生産が可能となった。
 印判手とは、型紙摺絵や銅版転写の事、つまり手描きで描かれた物ではなく、印刷や型紙で絵つけされた物を云うが、幕末から明治に盛んに製造された。

 手描きで絵付けをするよりは遥かに早く、何よりも絵付けの熟練工でなくとも、少し習えば誰でも、そして手描きよりも早く出来上がることが最大の利点である。
 細部的にも線の細いところとか、複雑な模様も何時も同じ絵柄に仕上がり、しかし生産量は手描きの物よりも数倍も早く仕上がる事から、安価な焼き物として全国に広がる。
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 主な産地は「瀬戸」、『美濃」、「有田」、「九谷」、「京都」等の焼き物の産地で幅広く生産され、安価な焼き物として、一般庶民に販売され人気を博していたが、その反面高級感は薄れていった。
 しかし、身近な物が題材としてデザインされた物や、文明開化の流行り物等が図案化され、今までになかった様な図柄が製造されるようになり、今までとは別の用途での使用に開拓された。

 写真の皿は瀬戸で製造された明治の手塩皿、印判手独特のブルーの強い釉薬、そして細かな模様、いかにも印判手らしい図案であり、その皿の真ん中には、文明開化の申し子とも言われた時計がデザインされている。
 江戸時代には、こんな複雑な図案の中に時計が描かれたものはなく、やはり印判手ならではの図案、時計も少し簡略的にされた図柄になっているが、何処かがおかしい。SANY4052.JPG

 その原因は実際に時計を見て図案を描いたのか疑わしいものが存在していることだ。
 実際に時計を見て描いたものならば、こんな事にはならないと思うが、時計を見て描いてないのでは。
 皆さんは、皿の中央を良く見て何処がおかしいのか探してみて、一見何処もおかしくないように見えますが、既成概念を持たずに良く見ていただくと直ぐに気が付くはずです。
 これも、印判手だからおこる事であり、手書きでは中々出来上がらなかったものであると思われ、印判手の持っている一つの弊害でもあるのでは。
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2017年05月28日

お気に入り

      毎 日 変 え た い

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 コヒー好きの人にとっては毎日のコヒーは欠かせないもの、その香りをかぐと途端に飲みたくなるのは私だけでは無さそうで、好きな香りはたまらない。
 朝の目覚めのコヒーは又特別なもの、このコヒー一杯で今日の活力を得たような、そんな気持ちにしてくれるのもコヒー、カフェインの成分の為とも言うが、そうかもしれない。

 しかし、この一杯のコヒーが目覚めさしてくれるのも事実、コヒー好きにはこの一時がたまらなく良いもの、一時の安らぎを得るかのように体に染み渡る。
 朝のコヒーだけではない、コヒーを飲む事はその後も機会はあり、時間帯によって気分が変わるのもまたコヒーのおかげ、やっぱり気分転換にはコヒーは欠かせない。SANY1010.JPG

 そしてもう1つの拘りがコヒーカップ、どんなコヒーカップでも良いわけではなく、自分の気に入ったコヒーカップでないと、折角入れたコヒーも美味しくない。
 毎日飲むコヒーカップは、鍋島焼きのコヒーカップ、12代今泉今右衛門(1897ー1975)の造ったカップ、このカップで何時も朝のコヒーを飲むのが習慣。
 一寸した縁で手に入れたもの、図柄が気に入って買い求めたが、今右衛門にしては新しい図柄、当時は本当に今右衛門作とは思っていなかったが、後で調べたら間違いなく本物であった。

 如何にも鍋島らしい色使いであり、大型のカップ、大きいのが尚更気に入って毎日使い込んでいるが、洗うのに気を使っているので、自分で洗っている。SANY1004.JPG
 と言うのも実はペアーカップであったが、妻が洗っている時に欠かしてしまい、其れ以来自分で洗っている始末である。

 毎日コヒーを飲んでいるから、それに合うカップが欲しい、そんな気持ちになってから次々とカップを求め、今では多くのカップが存在している。
 気に入ったものを見つけると、ついつい手が出てしまい、あっという間にカップの数は増えてしまい、とっかえ、ひっかえして楽しんでいる。
 これもまた拘りの一つかもしれないが、コヒーは楽しく飲みたいもの。
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2017年05月27日

ブリキの玩具

      ブリキのおもちゃ


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 ブリキで出来た玩具は明治初期より現在まで製造されているが、昔のものは高くて手が出ないのが現状、もともとは玩具であるから本来は安いはずである。
 明治時代に造られたブリキのおもちゃは輸入品、ドイツ、イギリスの海外品だから高価であった為、一般の子供は手が出せなく、一部の階級の者しか持てなかった代物。

 現在でも当時のブリキの玩具は高くなってしまい、又も一般の人には手に入らない物になってしまったが、本来のブリキも玩具は誰でも買える庶民の玩具であった。
 明治時代のブリキの玩具は別として、昭和初期や戦後に作られたブリキの玩具は数も多く、特殊な物を除いてはそんなに高価でなく、一般に手に入る物。
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 一部の人気キャラクターは別にして、我々が遊んだフリキノ玩具は少し探せば手に入るが、程度が良いか、悪いかは別として価格も驚くほどしない。
 私も、自分が遊んだブリキの玩具、今見るとついつい手が出てしまい、今では数もソコソコ、訪ねてきた友人が「お前にしては安い物ばかりだ」と嫌味を言うが、私にして見れば自分の遊んだ物が懐かしいから手に入れているわけで、高いから買ったわけではない。

 高い安いの論議はともかくも、懐かしいのには変わりなく、ブリキの玩具はやっぱり我々には最高の玩具、ソコソコ動けば少しぐらいハゲていても構わない。
 そんなブリキの玩具を手にとって眺めていると、ついつい昔の自分に返ってしまい、時間のたつのSANY1112.JPGも忘れてしまうのもブリキの玩具の持つ力なのかもしれない。

 写真のブリキの玩具、別に大したものでなく小さなものは新しい物だが、真ん中の戦車は少しは古いものだと思う、操縦士の体が動くたびに上下する。
 その動きが滑稽で、ついつい動かしすぎて、ゼンマイを切ってしまう事もあるが、そこは修理で培われた技術、ゼンマイを直すぐらいは朝飯前。
 修理をしながらブリキの玩具を楽しんで、時間のたつのも忘れてしまうほど、不思議な魅力を持っているもの、幾つになっても男は子供である。
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2017年05月26日

枕ちがい

      枕がそんなに高いのか 


SANY0982.JPG もう20年も前の事、時計仲間と時計談義にはながさき、面白おかしく話をしていたとき時計の話とは知らずに、友人が話しの中に加わって来たのである。
 少しお酒が入っていた事もあり、話が大きくなっていた時の事、加わった友人が「きっきからフランス枕の話をしていたが」と、我々に問いかけてきた。

 すると、前から話に加わっていた一人が「フランス枕要らないか」と、尋ねてきた其の友人に話を持ちかけたのであるが、話に加わった友人は時計の事はまったく知らず、「フランス枕」と聞いて話しに加わっただけの事。
 しかし、他の友人が「俺の持っているフランス枕安くしておくから買わないか」と、話を切り出しフランス枕談議が再会、「前に買ってから調子が良いSANY1001.JPGが、二つも同じ物を持っているので売りたい」と、説明しだした。

 他の者が「幾らで売るのか」と問いかければ、そうだな「10万円で買ったから」と言い出したので、「それは高く買いすぎ」と又他の者があいずちを打つ。
 そんな話に、後から来た友人「たかが枕に10万円も払うのか」と、そして「フランスの枕はどんな素材で出来ているのか」と、其の友人に質問をしていた。

 この人、「フランス枕を時計とは知らず」、眠る時にする「枕」と感違いをしているが、前に居た者たちは分かっていて、後から来た友人をからかう目的で話を進める。
 からかわれているとは知らず其の友人、まだ本物の寝る枕だと思い「フランスと言う所は、枕に金を掛けるんだな」と真剣に話す、それを他の者は笑いをこらえて、尚もからかう。SANY0989.JPG

 どうだ、「奥さんに最高級のフランス枕を買ってやったら」とたたみ掛け、皆して友人をからかって酒の肴にしようとエスカレート、「お前に安く売るから買ない」と追いうち。
 からかわれている友人「買ってもいいが、精々3万円だ」と、訳の分からない返答をして、みんなが爆笑する始末、余り度が過ぎるとイケナイと思い、私がネタ晴らしをする。

 すると友人、まだ本当の枕と勘違いしている始末、このひと感の悪い人で、いつも皆にからかわれているが、本人は何とも思っていないから、やっぱり大物だ。
 写真の時計が皆して友人をからかった時計、七宝入りの程度の良いフランス枕、昔は非常に高くて古時計愛好家は、1つは持ちたいとみんなが思っていた時計でもあった。
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2017年05月25日

何で買ったのか

   どうして買ったのか

 
SANY1667.JPG 昔の思い出は懐かしくて、それでいて淡いものでもあるが、良い思い出もあれば良くない思い出も多いものだ。
 得てして悪い思い出の方が記憶に残っているもの、思い出したくないと思っても何故かしら出て来るのだ。
 それが思い出と言うものなのだろうか、若い時の思い出の方が鮮明に残っているのも年のせいかも知れない。

 よく言われるのに、一週間前の事は思い出せないが、50年も前の事は思い出させるので、何でそうなるものなのかと。
 歳を取ると昔の事は思い出すが、最近の事は忘れ、思い出そうとしても思い出せないのが現実である。
 良くドラマで一年も前の事を思い出す場面があるが、何で鮮明に思い出すのか不思議でならない、私は絶対に思い出せないからだ。

 一週間前の夕食、何を食べたのかと聞かれても、絶SANY1672.JPG対に思い出せないと思うし、思い出せと言われても不可だと言える。
 歳は取りたくないと思っていても、歳は絶対にとるもの、ましてや記憶はすぐに忘れて、思い出せない。

 そんな事を思いながら、この福助を見ると当時の事が鮮明に思い出され、匂いまでも蘇った来るようである。
 瀬戸市の最大の祭り、瀬戸物祭り、この祭りの露店で買い込んだ福助の置物、中学一年生だと記憶している。
 当時の瀬戸物祭りは兎に角すごいもので、観光バスが何百台連ねて瀬戸物を買いに訪れ、すごい人出であったのだ。
 特に目を引いたのが外人さんの多い事、関東の米軍基地から観光バスで訪れていたと言う、瀬戸物祭りと言えば、その外人さん達と記憶している。
 瀬戸川沿いに露天商が立ち並び、勿論車は通行止め、そして沿道は身動きできないほどの人出、子供は押されて危ない状態であった。SANY1675.JPG
 重たい陶器を買い込んだ人たちが、荷物を担いで歩くさまは壮観、あの人もこの人も荷物を担いでいたのだ。

 露店は在庫品整理で市価の半額以下、安い事が売り物みたい、兎に角安い事が売り、だから遠方の業者も陶器を多く買い込んでいた。
 そんな露店で買い込んだ福助、しかし何で福助を買い込んだのか、全く覚えていないので不思議、しかし現在も我が家で鎮座している。

 当時は貯金箱が流行っていたと思う、その為貯金箱を買い求める人が多かったと記憶しているが、郵便ポストの形をしものが人気であった。
 なのに私が何故福助型のものを買い込んだか、全く記憶になく、当時は真っ赤なポスト型が主流であったからだ。
 今でもこの福助を見ると、何故ここにあるのかと不思議に思うが、無くならずに居ると言う事は縁があったのか。

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2017年05月24日

よもやま話

      時計にまつわる話



 SANY1153.JPG古時計には色々な逸話が付いて回るものだが、良い方向に勝手に思い込んでしまう人も、古時計であるが故に話が付いて回るのも常、時計の出所もしかり。
 よく古時計には、旧所有者は古くからの旧家であり、由緒正しい家から出た物だから、絶対に良い物であると勝手に決めつけて、出所がよいからこの時計も良い物であると。

 分けのわからない事を言って、古時計を客に勧める店主も多く、如何してもウンチクを勝手に描いてしまい、とんでもない事を言い出す人も現れる。
 写真の時計、中央にマーガレットの真鍮の飾りが付いているもの、この飾りにとんでもない事を言い出した店主が、「この時計は皇室からの拝領品」とばかりに、うやうやしく抱きかかえて持って来た。
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 名古屋市内のある骨董屋の主人がその人、面白いユーハンスの時計が入ったから買わないかと、お誘いの電話を貰った。
 話がどうもオカシイので早速出かけ、その時計を見て「何処に皇室から出た物なの」と、主人に聞けば、「此処を見てよ」と真鍮の飾りを指差している。

 私が「之がどうかしたの」と聞けば、主人「菊の御紋が入っているでしょう」と自慢げ、それには此方も腹から笑えて「どこが菊の紋なのか」と、再度聞く。
 戸田さん「この飾りが皇室から出た証しだよ」と鼻息も荒い、仕方なく「この飾りはユーハンスのスタンダードの飾りだよ」と切り返せば、そんなことは無いと、尚も強気である。

 菊の紋が入ったユーハンスの時計は少なく、まして皇族から出た時計は中々手に入らないものだと言うのだ。
 それではと「確かこの本にも同じ物が付いてSANY1167.JPGいるはず」と古時計の本を出して、同じユーハンスの時計の写真を見せ、「この時計は同じ物が幾つかあり、皇室の紋ではない」全然違う物だよと説明。
 良くある事だが、高く売りたい事は分かるけど、無理やりにこじつけてはいけない、知ってか知らずか、間違いを言って買わせるのはご法度だから。

 最近の天皇退位が話題であるから、しかし飾りの菊のデザインを良くもまあ皇室を持ち出すとは、人は色んな発想をするものであるが、事実は事実それを見極めるのも、古時計愛好家としての楽しみでもあるのでは。
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2017年05月23日

雰囲気に合うのか

      国柄が出る


SANY1949.JPG 部屋の明かりは其の部屋にあった物を付けたいが、其の人其々であるから、色々な照明器具が用意されて、個人の好みによって付けられるのは当たり前。
 各家庭で其の照明器具は千差万別、例えば天井にはめ込まれたもの、吊り下げられたもの、上向きにつけられたもの、下向につけられたもの、など色々な照明器具が存在する。

 しかし、その明るさは日本の家庭が明るすぎる位、照明が付けられているとの指摘が、海外から寄せられている現状を、日本の人は余り理解できて無い。
 日本の経済が順調に伸びてゆく過程で、一般庶民の家庭の明かりも次第に明るくなって行き、照明器具も其の要求を満たす為、必要以上の明るさを作り出して行った。

 蛍光灯が家庭内に入り、今までの白色灯を駆逐しSANY1280.JPGて、日本の家庭から白色灯を追い出してしまい、蛍光灯一色に塗り替えてしまったのである。
 明るさに慣れた日本の家庭は、より明るい蛍光灯を要求し益々明るくなり、部屋の隅々まで照らす事を求めて、より明るい照明器具をつけていった。

 それが現在の日本の家庭の照明事情であり、今回の震災で節減を求められ、やっと照明器具の節電に気が付いたようであるが、今まで染み付いた習慣は中々抜けないと思う。
 慣れている明かりを暗くする事への不安感、今まで明る過ぎたせいで、明るさの感覚がずれ、少し暗いと不安を感じる体質になってしまったのであろか。

 今一度、明かりに対して考えを新たにして、海外で行われている間接照明や、手元だけ照らす部分照明を見直して、節電対策を真剣に考え直すときでもあると思う。SANY2185.JPG
 少し前の日本は、これほど明るさを追求しなかったし、庶民も其れをしなかったもので、少し前に戻れば良い方法が浮かんでくると思われ、各個人が家庭の照明に、今一度取り組むべきではないだろうか。

 少し暗いくらいのアンティークなランプにして、ムードを楽しんではいかがかな、暗くても生活にはさして支障は無いと思うが、さてどうだろうか。 
 ムードだけでも楽しんでは、明るすぎる生活から少しは後退しても良いのでは。






 
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2017年05月22日

変わったガラス絵

      丸 も 進 化 す る


SANY0759.JPG ガラス絵は時計の形によって、パターンが決まっているようで、八角型はどれとか、ダルマ型はどれとか、時計の形によりガラス絵の絵柄は決まっている。
 普通の八角型は「花菱型」、八角花ボタンは「丸形写真や絵柄」、そしてダルマ型は「円形」と大体のパターンは決まっていて、殆どの時計製造会社もこの方式を採用している。

 当然の事、この方式に当てはまらない、時計のガラス絵が存在する事は承知の事実、例外はさて置きパターンかしているガラス絵、之は日本の時計だけではなく、アメリカ製の時計も同じようだ。
 其れもそのはず、アメリカ製の時計をモデルとしているので、同じであって当たり前、しかし日本独自のガラス絵も存在している事もまた事実である。

 ここに挙げた実例は、ダルマ型時計のガラス絵であSANY0743.JPGるが、この手の時計のガラス絵は、殆どが「金二重丸」、つまり金の丸が二重になっているのが普通である。
 「太い枠の金丸と細い枠の金丸が重なった二重の丸」が一般的なガラス絵、これは本四ツ丸のダルマ型も張四ツ丸型も同じように「二重の金丸」である。

 例外としては、小型の姫ダルマ型だけはこの法則に当てはまらないが、そのほかのダルマ型は、この法則に乗っとり同じ模様の金丸が採用されている。
 写真のガラス絵は、この法則に当てはまらず、「金丸が四重」に重なるガラス絵になっており、我々日本人が見ればより豪華に見えるものも、外国の人から見れば、デザイン的に少し可笑しいかもしれない。

 「デザイン」か、「重厚さ」かは意見の分かれるところでもあるが、日本人は時計に重厚さと豪華さを求めた為であろうか、私の持っている時計の中には「5DSCN2006.JPG重丸」の物も存在する。
 しかしダルマ型でも例外中の例外も存在しており、そのガラス絵はヤッパリ個性のあるものが入っているので、見ても楽しいのだ。

 単なるシンプルな丸ではなく、勿論複雑な模様のものであったり、違った写真が張り付けられているものなど例外も存在する。
 日本のダルマ型ではこのタイプのものはあまり見た事がなく、やはり外国産の時計にはめてあるもの、同じダルマ型でも国産とは違うもの。

 
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2017年05月21日

驚きの招き猫

      黄金の招き猫



 DSCN0172.JPG本来の招き猫は三毛猫と決まっており、江戸時代から現在まで製作され人気が高かったが、最近になって色々な種類の招き猫が出現している。
 全国的に招き猫ブームは波のように押し寄せては引き、又押し寄せるといった具合であり、其の都度新しい物が生まれてくるようで、最近の傾向はカラフルな色の招き猫が登場している。

 その切っ掛けは風水ブーム、風水ブームと招き猫が合体、黄色、ピンク、青、金、銀まさに虹色の如く色合いも多くなって、後から謂れが付いてくるようである。
 厄除けに始まり、恋愛運、出世運、健康、金運、家相、など風水独特の分類により、招き猫の色も変わって、現代生活の不安定要素と合間って、益々招き猫ブームは衰えない。
SANY0893.JPG
 招き猫は日本に留まらず、そのブームは海外に波及、台湾、韓国、中国、シンガポール等に広がりをみせ、まだまだ収束する気配はない様である。
 この招き猫、昔もそれなりの種類は存在しており、三毛猫一本槍ではなかったが、現在みたいに色々な彩色を施された物はなかったのと、それに派手な色を作っても売れなかった。
 しかし現在は少なくとも10色以上の色が存在しており、今までの招き猫とは違い、バラエティーに富んだものが多いと聞く。

 最近ではアメリカ向けの招き猫が造られており、その招き猫が手にしているものはドルのコインや札で、兎に角何でもあり。
 ブームとは恐ろしいもので、今までの概念をあSANY0304.JPGっさりと覆してしまい、とんでもない招き猫を造り出し、進化していると言う事。

 写真の一番下の招き猫は瀬戸で戦前に作られた物、磁器ではなく陶器で製造された安価な招き猫であり、磁器の招き猫とは一線を引いた物である。
 磁器で製造された招き猫のように、手の込んだ物ではなく玩具、金色に彩色され派手な招き猫となっているが、やっぱり磁器の招き猫みたいなどっしりとした威厳がない。

 これも時代の流れかも知れないが、私はヤッパリ磁器で造られた三毛猫の招き猫が好きである。
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2017年05月20日

田中コレクション13

    カラクリ

 
SANY1408.JPG 掛川の田中コレクション、今回はカラクリ付きの時計を主に紹介しようと思い色々なものを取り上げてみた。
 古時計愛好家にとってもカラクリ付きの時計は非常に人気が高く、一台や二台は手に入れたいものであると思う。
 私もカラクリ付きの時計は好きで色々と探しているが、田中さんのコレクションは数が多くて、非常に見応えのあるもの。

 古時計にはいろいろな種類が存在しているが遊び心をくすぐる時計も、それも高価な古時計ではなく、玩具的な古時計が良い。
 カラクリ付くの古時計と言えば外国製の高価なものと、そんな風に思ってしまいがち、確かに複雑なカラクリ付き時計が多い。
 そんな高価な古時計は我々には手の出ないもので、またそんな古時計は気楽に使う事も出来ないものだ。SANY1398.JPG

 そんなカラクリ付きの古時計はどこか楽しめないと思うが、特に精巧に造られているものなら尚更のこと。
 しかし我々が探しているものは其れではなく、日常に使って気軽に楽しめるもの、使っていて面白いものだ。

 だから簡単なカラクリでそれができる古時計が良いが、そこが難しい課題、なかなかそれをやってのける古時計がない。
 カラクリの機構を複雑にすればするほど滑らかな動きにはなるが、簡単には制作できないものとなる。
 だから簡単かつ機構も難しくないもの、アイデアでそれを実現されている古時計が良いが、それを探すのも一苦労だ。

 何故ならば製造数が極めて少ないから、探すのに苦労すること必定、たとえ探し当てたとしても動かなければ意味がないからだ。
 この手のからくりは簡単なるがゆえSANY1412.JPGに壊れやすく、動かないことが多くてすぐに止まってしまうので、時計としての実用性に欠ける。

 時計として実用性に欠けることは致命傷、時計が動かなければ存在理由が無いからだが、この調整が中々。
 昔の職人は簡単な仕掛けで其れをなし得ているから流石、こんな簡単な仕組みで動かしているのかと、客に驚くことになるのだ。

 機械をあけて機構を見て唖然とすることも多く、この種のカラクリ時計は意外性に富んでいると言える。
 その意外性を生み出した職人魂に感激する事も多いが、それを動かして実際に使ってみると尚更凄さに驚くのだ。
 こんな簡単な仕組みでよくもまあ動くものだと、一寸したアイデアでそれをなし得ているのだから、安価な時計にバンザイである。

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2017年05月19日

瀬戸の染付けカップ

      パリ万博向け


SANY1102.JPG 瀬戸の磁器は1800年初期に加藤民吉によって広げられるが、その技術は急速に進歩し伊万里の磁器と肩を並べ、その結果海外進出を果たす。
 海外向けの商品開発には西洋の生活様式を知らずして、商品開発は出来ず、外国バイヤーの求めに応じるしか手は無かったようで、彼らの注文に合わせる事となる。

 しかし、生活文化の違いから西洋の磁器と同じ形の物は中々出来ず、何処と無しに日本の食器になってしまうので、その改良に苦心惨憺する。
 特にコヒーカップ類は、日本にはその習慣が無く、茶器を改造して製作していたようで、湯飲みに手を付けた様な形が殆どであり、良いものが中々出来上がらなかったようだ。
SANY1100.JPG
 幕末にパリで行われた万国博覧会に、瀬戸からも出品する事となり、出品作製造を開始し西洋食器の研究に心血を注いだ結果、西洋に負けない西洋食器を完成させる。
 素材は磁器で、非常に薄く本体は製造されており、磁器独特の透明度の高い製品を生み出す事に成功、そしてその生地に瀬戸独特の染付け文様を描く。
 コバルトの色を少し薄くし、生地の白さを強調できる配慮をした事により、繊細に描かれた模様が豪華に浮き出て、高級感のあるコヒーカップが完成する。

 このカップ足が三つ付いているもの、少し見方を変えてみると、上品な湯呑に足を付けたようにも見えるものだ。
 実際に当時コヒーカップはあまり製造していないため、形こそよく似たものになっているが、やはり何処となく日本的だ。SANY1105.JPG

 写真のコヒーカップは、パリ万博用に製造されてもので、見た目にも分かるように非常に薄く仕上げられ、3個の足つきのカップと波型のソーサーとのバランスの良い出来である。
 このコーヒーカップ、現在再現しようとすると、生地の薄さと染付けの見事さ、両方を再現するのは、殆ど不可能であると言われている位に難しく、当時の技術の高さが改めて見直されている。
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2017年05月18日

我が家の金魚

   昼間堂々と


 
 SANY1639.JPG我が家の金魚、何代か受け継いできたもの、しかし元の金魚は一匹もいなくて、何代かに入れ替わっている。
 その原因は色々とあり、過去にも色々と説明はしてきたが、一番の原因は極悪非道なあらい熊のやつだ。

 このあらい熊の犠牲になった金魚は何匹いる事だろうか、兎に角我が家の金魚を狙って神出鬼没、やりたい放題であった。
 あらい熊が原因だと気が付くのに時間が掛かってしまい、何代もの金魚が犠牲になったしまったのだ。
 そしてもう一つが大雨による増水、玄関脇に置いた入れ物の近くに溝があり、大雨で増水した溝に自らから逃げて行った。
 雨上がりの朝には一匹もいなくなっていた事も、勿論当時はそんな事になるとは思ってもみなかったが、大雨が原因であるとは。
SANY1652.JPG
 金魚の入っている直ぐ上に雨どいがあり、大雨が降るとそこからあふれた雨水が金魚の器の中に入り込んだのだ。
 水嵩がふえ、そこからはみ出した金魚は溝へと逃げ込み、行くへ不明と相成り、朝起きて不在となった器を発見した。
 原因が雨水とは全く気が付かず、キツネにつままれた様に感じていたが、雨水が原因と分かり場所を変えた。
 しかしその後も金魚が姿を消し始め、全く原因がつかめなかったが、ある時あらい熊を見つけ、奴が犯人だと分かった。
 その為に金網を買い込み、金魚の器にかぶせていたが、これもあっさりと壊されてしまい、それも昼間堂々と出没、それに備え太めの丈夫な金網に替え、現在に至っている。
SANY1643.JPG
 今の金魚はこの丈夫な金網に守られ、今年でまる4年となり、現在では20センチを超す大きさに成長した。
 色々な災害にあったが、丈夫な金網に守られて今は元気に成長しているが、どれだけ大きくなるものなのかと気になっている。

 それにしてもこの金魚、ホームセンターで売っていた金魚、それも売れなくて売れ残りを安く買った来たものだ。
 やはり彼らは生き残るために頑張っている強者ぞろい、しかし見る人が緋鯉じゃないのと、歴代の金魚の中では一番の長生きである。
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2017年05月17日

芽が出て来るのか

   緑地帯


SANY1612.JPG 家を新築してから40年が経ち、あちらこちらが痛んで来ているが、建物に限ったことではないのだが。
 庭に植えた木々もその一つで、長年生き続けているものや枯れてしまったものも、枯れたものは仕方なく次のものを植えた。

 新築以来現在も現役の植木たちも多いが、その中でも一番長生きなのがカイズカ、前の家との境に植えたもの。
 植えた当時は小さな苗木であったことを覚えているが、現在では大きくなり過ぎて、半ば困った状態。

 誰でも思う事だと、それは40年もの先の事など考えてもいないと、それは私だけであろうかと。
 何故ならば植えた当時は小さくて、そして姿も綺麗にそろったもの、SANY1629.JPG間隔もとって上手く植えたつもりであった。
 併し40年も経つと、思っていた以上に大きくなり、当初思っていたものと違い、幅も何倍かになったしまった。
 一番困ってしまったのが幅、狭い庭の境に植えたため、どんどんと成長してしまい、今では幅を取り過ぎの状態になったしまった。
 毎年選定はしているものの、それでも成長して幅は大きくなっている現状、こんなになるとは計算違いである。

 初めは塀を造りつもりであったが、やっぱり緑が良いとの結論になり、カイズカを植え、当初は良かったと思っていた。
 勿論値段の問題もあり、安いものを探してカイズカに決め、手入れも簡単であったはず、しかしドンドン伸びてしまった。SANY1619.JPG

 昨年の冬突然腰を痛めた為、春にカイズカを切れなくて一年そのままの状態、今年見事な状態になってしまった。
 然し自分では選定しずらくて、春の前に業者さんにお願いしたが満員の盛況、仕方なくシルバーさんにお願いした。

 兎に角伸びすぎだから、思い切って選定して下さいとお願いしたが、選定が進行して行くうちに、そんなに気って大丈夫なのかと思いだした。
 シルバーさんはお願いした通りに短く切り落としてくれ、確かに風通しも良くなったのは確か、しかし心配になった来た。

 余り切り過ぎたので、目隠SANY1621.JPGしのために植えたものが、大きく切ってしまったので前が丸見えな状態に、予想外の結果に。
 これで本当に枝が伸びて来るものなのかも心配になった来て、大丈夫でしょうとシルバーさんは言うが。
 本当に芽は出て来るものなのか、こんな状態では目隠しにはならず、近頃では芽が出て来るものなのかと毎日眺めているのだが。
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2017年05月16日

田中コレクション12

   目移りがして

 
 SANY0710.JPG田中コレクション、色々と紹介しているが数が多過ぎて何処から見てよいのか迷う人が多いと聞く。
 確かに250台もの古時計が眼前に迫ってくると、誰しも驚いて何処から見てよいものなのか、会場に入ってうろうろする。
 無理もない事で、余りの多さに焦点が絞れず、只々うろうろする事に、実際に入ってみるとやっぱり圧倒される。

 しかし圧倒されていては肝心の古時計を見る事はできず、同じ場所を行ったり来たり、そしてうつろに古時計を見ているだけ。SN3G0024_0002.jpg
 よく言われるのが、「時計は見学してきたが、どんな時計があったのか思い出せない」と言う人が多く、他人に聞かれても分からないと。

 あんた古時計を見学して来たのでしょうと言われても、では具体的に何処のメーカーの、どんなものがあったのかと聞かれても、まったく答えられないのだ。
 自分でも不思議だが、その時は見たつもりでいるのだが、帰って来て何があったのかと思い出して見るがやっぱり思い出せない。

 これが普通に起こるのもで、古時計と接したときに余り多くだと圧倒されてしまい、具体的に覚えていない、そんな現象に陥る。
 その時頭の中ではあの時計も、この時計も覚えなきゃあと思っているが、何しろ数が多すぎて頭に入らないから、結果は覚えていないのだ。

 心理的に最初から圧倒され、通常の頭の状態ではなく、興奮状態であるから覚えていないと思われる。SN3G0023_0001.jpg
 その反面、古時計が点々と置かれた状態では、実際に迫力がなく、見る方でも余りその気にならないのだと思う。
 初めから少ないと感じた時点で、興味が飛んでしまう事になり、これまた覚えようとしなくなり、結果は同じ事に。

 どちらが良いのかは見る方の気持ち次第、しかし少ないのは興醒めとなるから、やっぱり古時計好きとしては圧倒された方が良いと思う。
 そんな時はじっくりと気持ちを落ち着かせて、ゆったりとした心を持つこと、あえて冷静な気持ちで見れるように努力する事。

 気持ちさえ落ち着けば、幾ら数が多くあっても、一つ、一つが切り離されて見えるから、後で印象が変わってくると思う。
 もう一つは書き残す事も大事な作業、書く事で気も楽になるから、そのものをよく観察でき、記録として残せもするのだ。
 古時計の展示はゆったりとした気分で、楽に見て欲しいもの、楽しんで見てこそ参考になると思う。
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2017年05月15日

実に不愉快である

    最近とみにある事

 
 SANY1197.JPG新聞やテレビでよく家のリホームに関してのトラブルが報道されているが、現実に非常に多いと思う。
 御多分に漏れず我が家でも似たようなことが日常茶飯事となっており、頭の痛い事でもあるのだ。
 特に土曜日と日曜日、玄関のチャイムが鳴り、対応に出れば我が家の屋根の瓦が破損していると、今なら直してあげるからと言うのだ。
 こんな文句で訪問して来るリホーム屋、リホーム屋と言うよりも怪しいもの達、土日に掛けてやって来る。

 それも「お宅の屋SANY1202.JPG根瓦が割れている」と切り出してくるのだ、訪問して来るセールスは同じ様な事を言って来る。
 年配者では屋根の事は分からないだろうと言う事らしく、皆屋根の瓦が破損していると、これが馬鹿みたいに同じだ。
 私が対応する時もあるが、妻が対応する時も、その時は妻に「あのまましていたら雨漏りして家が壊れてしまう」とまで言うのだ。

 妻も慣れたもので何時も同じような事を言われるので驚かないが、屋根の事を切り出すとは悪質である。
 下から見ても屋根瓦は良く見えないのと、自分で屋根に上ってみる人は少なく、大抵は驚く事になるのだ。SANY1191.JPG
 事実、我が家の隣の奥さんは、屋根瓦がボロボロになっているから、これから来る台風で瓦が飛ばされて雨漏りすると言われて修理を依頼したらしい。

 聞けば日曜日に二人の工事人らしき人物が訪れ、屋根瓦がボロボロだと言って、「今なら今日中に修理してあげる」と言われて依頼したと言う。
 その日は台風が上陸すると言う天気予報であったために、考える間もなくその日に修理してくれるならと思ったらしい。
 しかし隣の家は数年前に屋根の修理をしたばかり、短期間で瓦がボロボロになる訳がないが、台風で雨漏りすると言われて気が焦ったと言う事らしい。
 年配者に恐怖心をあおり、修理しなくても良い箇所を無理やり修理させカネをもぎ取る行為は詐欺と同じ事。
 そんな輩が最近多くて、我が家にもやって来て同じ様な事を言い修理してやると、決まって言う事が屋根瓦の事である。

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2017年05月14日

鉛筆削り

    懐かしいもの

 
SANY1587.JPG 鉛筆削りは必需品、現在では自動式のものが主流、自分の手で回して削る鉛筆削りは影を潜めたようである。
 我々の子供の頃は鉛筆削りはあったものの、皆が皆持っていた訳ではなく、殆どの子供はナイフを使って鉛筆を削っていた。
 鉛筆をうまく削るのも一つの習慣みたいなもので、当たり前にナイフで削り出していたと思う、それが日常であった。

 この鉛筆削り鉛筆が発明された後、大分経ってから発明されたもので、その昔は芯を削り出すのではなく、シン本体を削っていた。
 もともと鉛筆なるものはイギリスで造り出されたと言われ、1500年代に遡ると言う、日本の戦国時代である。SANY1591.JPG

 日本にも宣教師によって齎されたと言い、信長にも献上されたとの事、また徳川家康が使った鉛筆が静岡の久能山に保管されている。
 長さ11センチくらいのもので、現在の鉛筆とは少し違った形をしているが、間違いなく当時使われていたもの。

 しかしこれを実用的に使っていたかは定かでないが、珍しいものであったことは間違いなく、筆の時代であった日本では。
 1700年後期には板でシン巻き、現在の姿に似たものが造り出され、六角形になったのが1839年ローター、ファーバーなる人物により現在の姿になったと言われその後鉛筆は六角形となる。SANY1594.JPG
 そして登場するのが鉛筆削り、1828年に鉛筆削りが発明され、一気に広がりを見せる事になる。

日本で言う幕末近くに既に鉛筆削りが発明されているが、鉛筆発明から約300年も経ってからの事、それも鉛筆が現在の姿のようになったからだと言われる。
 以前の鉛筆の形ではこの鉛筆削りでは削ることは不可能であり、やっぱりファーバーが造った鉛筆の形であった事が発明のもと。

 日本に鉛筆削りが入った来たのは明治末期になってから、そして国産化されるのは大正末期の事である。
 写真の鉛筆削り、右がイギリス製の大正時代のもの、左は昭和のもの、時代は違うがその構造は変わってはいない。
 イギリス製のものは鉛筆の削りカスが落ちないように本体に溜まるようになっているが、日本製のものはカスが散らばる事になる。
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2017年05月13日

小さいが

      大きく存在感


 SANY1127.JPG古時計に取り付かれてから、幾度と無くショップ巡りを繰り返しているが、未だに悟りきれなくてツイツイ手が出てしまう物に時計グッツがあり、見るとまた手が出てしまう。
 これは古時計グッツに限らず、時計に関するものならどんな物でもツイ手が出る始末、人に言わすと病気みたいなもので、見れば反射的に手が出るのだと。

 それが安い物であればあるほど手が出てしまうからタチが悪いとか、一種の催眠状態であり、反動的に手が出る病気と言い切ってしまう者も、それまで言うのはケシカランが。
 しかし、冷静に考えてみるとあながち間違いではなさそうで、彼の言う通り見れば買いたくなってしまうから、我ながら情けない事だと思っている。SANY1132.JPG

 そう指摘した彼もまた人を批判する資格のない者、自分でも私と同じで、この種グッツを見るとツイ買ってしまっているのが実状、私を批判できる立場に無い。
 やっぱり、こんなやり取りをしている我々を人から見れば、「オカシイ」と思っても別に変ではないし、むしろそれが正常な人の行動であると、妙に神妙な態度である。

 こればかりは指摘されても止める訳には行かないもの、珍しい時計グッツを見れば批判は何処えやら、反省の色も無く又買ってしまう始末、やっぱり情けないのか。SANY1338.JPG
 写真の時計グッツもその類で、以前にあるところで見つけ買いこんだ物、鋳物製の小さな物であるが、小さい割には迫力があり、実に堂々としているから面白い。

 この手の物は、実のところ余り迫力が無いのが普通、しかしこれは小さいのに妙に迫力があり、此方を引き付ける力を持っていたから、やっぱり買ってしまった。
 高さ1、5センチの小さな鋳物で出来た置時計の時計グッツ、どうだろうか見て迫力があるとは思いませんか、私は気に入って買い込んだ代物だ。

 小さいからと言って手が抜けられているものと違い、細かなところにも気が入っているところが気にいった。
 重量感があって尚且つ可愛い代物、ちょこんと置いても絵になる小物ではないだろうか。
 百均ショップでこんなものを見つければ、その日は気分が良く過ごせるもの。
 兎に角古時計と違って100円で楽しめるのだからたまらない。
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2017年05月12日

いがいにも

      古着商から転職している


SANY0205.JPG 江戸から明治に入り、新しい時代となり産業もまた新たな分野が生まれて来、其の中に西洋時計の製造を志すものが出てくる。
 明治初期に時計産業に参入している出資者の中は、江戸時代に家業として、古着屋を営んでいた者も多くいる。
 今と違い江戸時代には一般庶民は新品の着物など買えず、もっぱら古着が当たり前、着物と言ったら古着、それが当たり前であった。

 その為に古着屋は市中に多く存在しており、庶民の強い味方でもあったようで、買い求めるのは何時も古着と決まっていたようだ。
 古着屋は当時は商店としても一般的な商売、何処の町にも存在し、結構繁盛していたと言う、今の感覚とは少し違うものだと思う。
 そんな中、古着屋で大儲けをした商人も多いと聞く、やはり今の時点で考える古着屋とは少し違っているようだ。SANY1660.JPG

 代表的なのは林時計製造所の林市兵衛であり、名古屋市内で古着屋を営んでいたが、西洋時計の流入に刺激され時計販売を志す、当時数多くの古着屋が店を出していたが、競争相手が多く経営は芳しくなかったようである。
 そんな中、林市兵衛は西洋時計の売れ行きに注目、古着屋を続けていては将来は見込みないと悟り、新たな経営に乗り出す。

 一方、精工舎の創始者服部金太郎の父、服部喜三郎もまた名古屋に於いて古着屋を営んでいたが、やはり経営は思わしくなく、江戸に出て再び古着商、「尾張屋」を開業する。
 服部金太郎も又、家業が芳しくないのに気付き、亀田時計店に丁稚奉公に出、その後西洋時計製造を志
すのであり、両者供家業の古着商に見切りをつけるのも、期せずして同じであった。
 当時の古着商は一般庶民を対象としており、現代みたいに新品の着物を買えSANY1178.JPGる様な生活状態ではなく、庶民は古着を買うのが当たり前の時代であった。

 その為、古着商は今の我々との感覚違い、市中には多くの古着商が立ち並び、古着に対する見方が当違っていたし、それが普通でもあった。
 古着商で財を成した人物も又多くおり、林市兵衛も其の1人、彼らが志したのは、文明開化の申し子、西洋時計を自ら製造し、其れを販売する事を目指していた。

 従来の家業に見切りをつけ、異業種の西洋時計製造販売と云う新分野に、自分の将来の夢を託し、其れを勝ち取るため転業していったことは、彼らの先見性の高さの証明でもあった。
 そして彼らは苦難の末、西洋時計の製造販売に成功し、古着商から脱却して、新産業の頂点に立ったのである。
 歴史と言うものは実に奇妙であり、事実は小説よりも希なりの言葉の如く、真実もまた奇である。


 
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