2017年05月11日

自家製です

      我 家 の 食


 SANY1904.JPG野菜は新鮮な物がよいのは当たり前であるが、中々新鮮な物は手に入らないもの、スーパーの店頭で販売されている物は、収穫してから時間がたっているもの。

 当然の事、いかに流通経路が発達していても、時間が掛かるのは当たり前、店頭で新鮮な野菜と売っているが、朝収穫した物と比べれば明らかに違うもの。
 現在の野菜は農家から直接買い付ける意外には、新鮮な野菜を食べる事が出来ないものだが、そんな悩みに答えたのが家庭菜園、自分で野菜を作る事。

 とは言っても直ぐに野菜を作る事は出来ないのが普通、まずは栽培する畑が必要であるからだが、そんなおりにテレビで簡単に野菜の作る方法を実況していたらしい。
 その答えとは、プランターで野菜を栽培する事、SANY1906.JPG小さな場所でもプランターが置ければ栽培出来るとの事らしい、早速実行に入ってしまったのは言うまでもない。

 早速ホームセンターでプランターを買い込み、テレビで見た通り実行に移る。
 其れ以来、我家では家庭菜園が盛んになり、トマト、レタス、ねぎ、ピーマン、ゴーヤなど、手近に出来る野菜を栽培して食卓に上がる事に、確かに新鮮な物ができ、新鮮な野菜を食べれる事に。
 しかし、その量を間違えると、新鮮さは抜群であり、瑞々しい野菜は食べる事が出来るが、毎日おなじものを食べるのは迷惑でも、ソコソコの量であれば其れも良いが。

 出来すぎても困りもので、収穫すれば食べるSANY1908.JPGのが当たり前、でも毎日同じものでは、いかに新鮮な物でも苦痛になるのも人の常、過ぎたるは何とかである。
 人と言うものは贅沢なもので、新鮮なものでも毎日では飽きるし、されど古いものも嫌である事は確か、贅沢な話である。

 毎日毎日同じものではと、食の安全は兎も角も、やはり変化のあるものも食べなければ、満足しない生きものである。
 写真は今日の我家の栽培所、プランターが幾つもあって、旬の野菜が出来つつあり、収穫すれば当然食卓に上がる事必定、先が思いやられるかもしれない。
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2017年05月10日

やってしまった

   落としてしまった

 
 SANY1518.JPG古時計展を企画すると当然の事古時計を搬送しなければならないが、必ずと言って良いほど事故が起きる。
 事故と言っても車の事故ではなく、古時計をぶつけたり、ガラスを割ったり、ゼンマイが切れたりと様々な事が起きる。
 古時計展示とはそれらの事故が起きる事を想定していなければ、古時計の展示は行えものだと思う。

 だからそんな事の起こらない様に注意はしているが、そこは何が起きるか分からないのも現実である。
 多くの古時計を運ぶことになるから、幾ら手馴れている私でも事故を起こすことに、今回も私の起こした事故だ。SANY1510.JPG

 搬送された古時計を順番に展示会場に、計画された場所に移動されて来た古時計をかけていた時の事。
 何時ものように古時計をかけるのは自分で行ってきたので、今回も当然自分の手で行っていたが、その時起こしてしまった。

 大事な古時計は慎重に扱っているつもりだが、その時はついうっかりと掛そこね、古時計は真っ逆さまに床に落ちてしまった。
 鈍い音がしてバラバラな状態に砕け、周りの人たちが凍り付いてしまい、これではまずいと笑い声をあげた。

 その後設営会場は異様な空気に、みんなの視線がSANY1505.JPG古時計に注目、そこにあったものは残骸でしかなかった。
 当然雰囲気は最低に、だからこそ笑い声をあげて周りを和ませないと、これからの作業が出来なくなるからだ。
 見事にバラバラとなった古時計を片付け、何事もなかったように作業をはじめ、周りも少しは落ち着いた様子であった。

 しかし内心では「やってしまった」と後悔の念が、やってしまってからでは遅いが、其れでも後悔するのが人間である。
 時計本体は10ブロック位に見事バラバラ、早速古時計保存協会会員のほりみずさんに電話、修理を依頼する事に、電話で故障の内容を伝えた。
ほりずみさんは「そりゃあ大変だ、修理できるかな」とSANY1513.JPG言っていたが、ここはほりずみさんしかないとお願いした。

 それから一年、今回の展示に間に合うように私の手元に返ってきたが、流石ほりずみさん外からでは全く分からない出来栄え。
 年々ほりずみさんの腕は上がり、見事と言うしかない修理の出来栄え、やっぱり会員さんは頼りになるものだ。
 それにしても「ほりずみさん」、丁寧に修してくれ、時の記念日展に間に合わせてくれたことに感謝。
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2017年05月09日

人気のフクロウ

    フクロウ時計


 
SANY1548.JPG 古時計愛好家なら一台は欲しい時計の一つ、そんなに古いものではないが簡単なカラクリにより目や声を出すもの。
 愛らしい表情と目が左右に動き、見た目にも愉快な時計として人気の高い古時計、古時計と言うには少し新しいものだ。
 しかしやっぱり人気は高くて、この一台の古時計で部屋がパッと明るくなると、そんな評判の古時計だ。

 確かに八角型の古時計では部屋がパッと明るくはならず、このフクロウの時計だからこそ明るく感じると思う。
 そこがこの時計の良い所、時代は新しくとも雰囲気は抜群の時計、掛けていて楽しい時計は中々あるものではない。SANY1554.JPG
 古時計は好きではないが、このフクロウ時計は好きだと言う人も多いと聞く、その為に求めたいと言う人も多いので、自然と値段も高くなっている。

 最近の古時計が値下がりしている中、このフクロウ時計は値が下がっておらず、相変わらずの人気の高さを保っている。
 私もこのフクロウ時計は好きで何台か持っていたが、自分の欲しい時計と交換して、今は2台しかない。
 そんなフクロウ時計、ある人から「フクロウ時計で聞きたい事がある」と言って来たので、「何が知りたいのか」と聞いてみた。

 すると「ある知り合いが私のフクロウ時計はおかしいものだSANY1550.JPG」と言われて困っているので見て欲しいとのこと。
 その人曰く「友人の持っているフクロウ時計と部分が違っているからおかしい」、「偽物ではないのか」とも言われたらしい。
 そこで自分のフクロウ時計を見て欲しいとの事、彼の疑問がどんなものなのかこちらも知りたくて持参するように伝えた。

 後日その人は自分のフクロウ時計を持って現れ、時計上部の機械を見るために開けられるふたの所が違うと言うのだ。
 持参されたフクロウ時計は常盤製のフクロウ時計、一般的な時計で数の多いもの、早速その部分を見る事にした。
 我が家の常盤製のフクロウ時計と見比べて見るに、確かに開SANY1542.JPG閉部の止め方か違うものだ、一方は細い針金を差し込み留め金となっているが、持参したものはビス止めになっていた。

 確かにその知人が指摘した通り、開閉止めの金具が違うものになっているが、これは製造の時代の違いでありおかしなものではない。
 詳しくない人は後から付け足したものか、それとも改造されたもの」と思っているが、オリジナルの状態のものである。
 写真は3台の常盤製の留め金のもの、止め方が違う事が分かるが、故意に替えられたものではなくオリジナルのものである。
  一番上の写真が今回のもの、した2つの写真は同じ常盤製の留め金、3台とも常盤製のフクロウ時計のもの。
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2017年05月07日

今年も

    何時もの頃に

 
SANY1528.JPG 我が家の黒竹、この家を新築した時に展示場で見た黒竹が美しくて、それを植えようと黒竹をホームセンターで買い込んだ。
 白い壁に黒竹は見栄えがするので、普通の竹よりも良いと思い植えたが、友人が家の周りには竹は植えるなと言っていた。
 見栄えは良いが後々心配事が出来るからと、その時は何とも思わなかった友人の言葉、2、3年たってから意味が分かった。

 確かに友人の言う通り、何処にでもタケノコが出てきて、それを取り除くのに大忙しの日々、友人が言っていたのはこの事。
 5月の中ごろからあちこちに頭を出し、大きくならないうちに芽を取り、余分な所に生えないように四苦八苦。SANY1540.JPG
 元気なうちは何処にでも頭を出し、伸びるのが又早くて、2、3日で大きくなり、こちらがビックリする事になる。

 兎に角成長が早くて、知らないうちに伸びてきて、所かまわず芽を出すから、厄介なものだと思うようになる。
 本当は孟宗竹が良かったが、黒竹も良いと思いこちらにしたが、孟宗竹を植えないで良かったと今は思っている。
 あの時孟宗竹を植えていたら、今頃近所から苦情が出ているに違いなく、それはそれで良かったと思うが。

 しかし竹には違いなく、黒竹も細SANY1525.JPGい割にはどんどんと芽を出すから、それも大変な事であると思う。
 このタケノコ、こちらが思っている所には出ず、出なくても良い所に出て来るから始末が悪いのだ。
 竹の勢いがなくなってまばらの所には芽は出ず、竹が込み合っている所に出て来るから困ってしまう。
 混み合っているから間引きをしたいと思っている所に芽が、何で生えて来るのかと、地下茎で繋がっているからだが。

 景観上、生きの良い竹が欲しいと持っている所に芽を出さないのは何故であろうか、そんな思いで見つめているが。SANY1532.JPG
 やっぱの自然のものはこちらの都合で芽を出してはくれず、思うようにならない現実、もう少し美しく生えて欲しいと願うしかない。
 この時期、余分な所からタケノコは片っ端から抜いて、少しでもこちらの思う所に出てきて欲しいと思っているが。

 こちらの思いとは逆に多い所に生えてきて、思うようにならないからイライラ、地下茎で伸びる根は目に見えないから、やはりどこから出ることやら。
 タケノコの意思を聞いてみないと、出る所は分からないもの、気ままなタケノコは今日も自由に伸びている。


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2017年05月06日

田中コレクション11

   オーディオ

 
SANY1419.JPG 田中コレクション、掛川にある古時計展示場であるが、古時計だけではなくオーディオも充実している。

 勿論古時計はメインであり、その充実ぶりは以前より伝えているが、他にも楽しみなものが存在している。

 私も古時計のほか蓄音機を集めているが、田中さんも同じようにオーディオを集めているのだ。

 古時計と同じ機械ものであることが、一つ集める所以かも知れず、私は何故かしら蓄音機を集めてしまった。
SANY1426.JPG

 しかし田中さんは目的をもって集めたようで、私とそこが違う所、オーディオに関しても拘りを持っているようだ。
 もともとものを集めようとする人は拘りがあるもの、色々な種類は別にして、集めるのに拘りを持っているのだと思う。

 その拘りが強いか、弱いかによって集めるものが違ってくるようで、私はムード派であり、形が良いものを好む傾向があり、田中さんは音に拘りがあるようだ。

 私は蓄音機は理解できるがオSANY1432.JPGーディオはさっぱり分からないので、どの様に違うものなのか理解できない。

 もともと電気機器には弱い男で、配線が無数にあるとさっぱり分からず、何処がどの様に接続しているかも理解できない。
 その為に電気で動くものは苦手中の苦手、田中さんが説明してくれても全くと言って良く、理解はできない。
 聞く所によると、今では製造していないオーディオをかけてくれるが、その説明にもチンプンカンプンである。
 珍しい機種の真空管のものを聞かせてもらうが、確かに音は良いが、低音と高音の響きの違いも良く分からない。SANY0714.JPG

 良い音がすることは理解できるが、響きの良さは何となくしか分からず、やっぱり電機は苦手だ。
 そんな田中コレクション、田中さんに言わせるとオーディオを聞く人は見学者の半分くらいと言う。
 あとの半分は古時計を見学、しかし実際に古時計だけを見る人はその半分位だと言う事だ。

 折角これだけの古時計が揃っているのだから、もう少し見学者が多くなって欲しいものだと。
 古時計ファンの私としては見学者の70パーセントは古時計愛好者で絞めて欲しいのだ。

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2017年05月05日

端午の節句

    5月5日はこどもの日 


 DSCN0796.JPG現在のこどもの日、かっては端午の節句と云ったが、この端午の節句男の子の節句となったのは、室町以後であるとされている様で、盛んになったのは江戸時代に入ってからだ。
 この端午の節句は中国よりの渡来、その歴史は古く紀元前300年、其れ以来現在まで続けられたいる節句であり、日本に伝わったのは奈良時代である。

 宮中での厄除けの儀式として伝わるが、中国本土の其れとは多少違ったようで、日本独自の様式になったものとされているが、詳細については定かでない。
 本来は厄除けの儀式、節句とは節の節目に邪気が入り込む為、之を払う為のものが節句、5月5日の時期は初夏、病が流行する頃であり、之を避けるために、菖蒲を煎じて飲んだりSANY1237.JPG、又は蓬を煎じて飲んでいたようである。

 時代が下がり鎌倉時代には、どうも女の子の節句として行ってきたようであり、男の子の節句となるのは室町時代以後であるといわれるが、その後江戸時代に確立される。
 江戸幕府は五節句を定めるが、1月7日(七草粥)、3月3日(上巳)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽の節句)と五節句を定める。

 武家社会が確立され、端午の節句は男の子の節句となり、この日を盛大に祝ったのが、現在の5月5日の節句の起源であるようだが、他にも違う説があるが、それは其れとして。
 現在でも尾張地方は菖蒲と蓬を束にして、軒先にSANY1035.JPG上げ邪気が入らないように厄除けをしたり、菖蒲を湯船に浸し菖蒲湯とし、無病息災を願う習わしがある。
 この風習は色々と形を変えてはいるが全国で行われているようで、子供の成長を願う親達の心が見えてほほえましい。

 いつの時代も邪気から子供を守りたいと願う親心、昔と違い子供たちを取り巻く環境は違っているが、やっぱり親の願いは変わっていないのだ。
 現在では端午の節句とは言わず、子供の日と呼ばれ、男の子も、女の子も、この日を祝う習わしとなっているが、少し前は男の子の祝いの日であった。

 写真は、我が家の軒先に上げられた、菖蒲と蓬の束、玄関口から邪気が進入しないように、厄除けの呪いを行っているが、最近この様な風習も、行なう家庭が減ってきたようで寂しい限りである。
 二枚目写真は私の父親の5月飾り、明治30年生まれの祝いに造られたもの。SANY1502.JPG

 我が家で大切に守られてきた5月飾り、中々飾られることはなく、大事にされて来たもので程度は良い。
 高さ65センチ、精巧に造られた我が家の家紋入りの鎧兜、祖母に言わせると当時としては大きめの特注品だと言う事であった。
 今年は久しぶりに出してみたが、やっぱ迫力がありどっしりとしている。
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2017年05月04日

泥縄の状態

    早いもので5月

 
DSCN0827.JPG 瀬戸の雛巡りが終わったと思えば、もう5月であり、次の準備に取り掛かる事になるが、これまた大変な作業。
 恒例の時の記念日展の始まり、雛巡りの片付けが終わったばかり、一息ついたと思えばもう展示の準備。
 何でこんなに早く回るのかと、月日の経つのは早すぎるが、他の人に言わせれば普通であると言うのだ。

 私だけがこんなに早く月日が経つと思うのは、てんてこ舞いの毎日、あっという間に過ぎて行き、時間が足りないのだ。
 あと10日で時計店の展示をしなければならないから、会員さんから展示品を借りなければならないのだ。SANY4980.JPG
 毎年の事だから会員さんも分かっているが、こちらがアプローチしなければ返事は帰ってこないのだから。

 その都度展示品は会員さんにお願いしているが、こちらがどんなものを展示するか、計画を立てないといけない。
 毎年の事だと思っているが、あっという間に時が過ぎ、落ち着いている場合ではなくなっているのに、計画が立っていない。
 今年はどんな展示にするかイメージすら湧いてこなくて、気ばかり焦っていたら、会員さんから早速の問い合わせ。
 「今年の展示はどんなものになりますか」と、やっぱり来たかと思いつつも、返事が出来ないので、「まだ思案中です」と答える。
 すると「まだ決まっていないのですか、間に合いますか」と、確かにその通りで焦っているのだと言う。
 「ネットには5月14日からと書いてありますけど」と言うので、「勿論それまでには間に合うようにします」と言うしかない。DSCN0846.JPG

 しかし現実は何の計画も出てこなくて、さてさてどうなる事やら、人事みたいに思っていり、自分でも大丈夫かと思う。
 刻々と時間だけは過ぎて行き、日にちは迫って来るし、ついに焦りが立ちだし、良い知恵が浮かんでこない。
 うっすらとカラクリ物を多くやりたいとは思っているが、会員さんにその旨伝えないと集まらないのだ。

 しかも遠方の人だと時間の都合もあり、やっぱり近くの会員さんにお願いするしかなく、その選別をやりだした。
 一番人気のフクロウの時計、この時計を今年のメインにしたいと、今はそんな気持ちでいるが、果たして間に合うのであろうか。
 やっぱり今年も泥縄状態から抜け出せないもので、何時も思うが来年こそは計画的に行いたいと思うが。
 写真は昨年度の展示会の模様、毎年色々な趣向をしているが、中々これといったヒット作はないので頑張らないと。

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2017年05月03日

またまた追い出し

    この時期になると

 
SANY1463.JPG 我が家の狭い車庫にモッコウバラが植えてあるが、この時期になると車は追い出しを食らう事になるのだ。
 3月頃からだんだんと弦を伸ばし始め、4月中には車庫の仕切りを超えはじめ、またたくまに車庫を占領。
 その弦の勢いは想像を超え、あっという間に伸び、車の上にかぶさるように伸び、その都度弦を切るのだ。

 すると妻が何で切るのかと、勿論車が入らなくなるからだが、妻は車が入らなくなるよりも、モッコウバラの方に軍配を上げる。
 折角冬を過ごして、今一番良い時期が来たのに、少しの間だけ車は遠慮してと言うが、伸びた弦は切ればよい。
 別に車庫全体に伸ばす必要がなく、ある程度のところで切れば問題なく車は入るが、それ以上に伸ばせば支障が出る。SANY1459.JPG

 車の上に垂れ下がり、風で車を傷つける事になるからだが、妻は其れなら車は外に置いてと、車を追い出してしまうのだ。
 少しの間花が咲くから、花が散ればすぐに枝を切るからと、しかしすぐにと言われても2、3日のことではなく、10日追い出されるのだ。
 こちらとしては10日も車を外に置くことは反対だと、確かに車は前の駐車場に入れれば済むが、少しは歩かねばならない。

 何でモッコウバラのせいで、車を外に置かなければいけないのか、納得がゆかないから、弦を切ればよいのだ。
 弦の伸び放題にしなくても、ある程度伸ばせばそれで良い、それ以上に伸ばす必要がないと思う。
 そんなやり取りがこの時期になると毎日の事、その上SANY1455.JPG風の強い時には花弁が飛び散り、近所に拡散するのだ。

 それでなくとも車庫は花弁のカスで一杯、あちらに行ったり、こちらに行ったりと始末に悪い、だから少ない方が良い。
 そしてこのモッコウバラが終わらないうちに、黒竹が元気になっており、すでにタケノコが頭を出している。
 モッコウバラの次が今度はタケノコ、これが生えだすとまた、取り除くか残すかでまたまた意見が分かれる事になる。
 花が先か車が先か、くだらない事の張り合いで、何時もこの時期の恒例行事みたいなもの、それにしてもよく伸びる。



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2017年05月02日

八十八夜

      愈 々 初 夏


SANY1216.JPG 桜が足早に散って、若葉が萌えだして来、1年で1番活気が出る季節、正に躍動感あふれ、古来より野も山も生命の営みを1番感じるときでもある。
 季節の節目、節目、日本人は生活の中に巧みに取り入れて、日常生活に役立てて来た暦、一年を通しその時々に昔から伝えられてきた習わしを継承。

 八十八夜もその1つであり、古来より受け継がれて来た季節の節目を指す、八十八夜とは立春から数えて八十八日に当たる日の事をさす言葉である。
 暦は中国より伝わったもので、太陰暦にもとづき1年24節気に分類され、節目節目に厄払いをして災いを避けてきたが、今は大分その感覚も薄れてきたようである。
 24節気は立春、春分、立夏、夏至、立秋、立冬などの節目を表しており、八十八夜はこのは24節気にはなく、雑節の部類に属するのであるが、これは中国SANY1210.JPGよりの渡来ではなく、日本で出来たもので、日本の風土に適した節気。

 例えば、節分、土用、彼岸、二百二十日などが之で、24節気とは別に、古来より日本の風土や季節にあった暦であると、良く間違うのは24節気の1つであると思っている人が多い事である。
 日本は古来より農耕民族であり、中国とは気候風土も違い、必ずしも24節気が日本の風土には合わない事もあり、先人たちが日本に合うように作り出した雑節であろう。
 この八十八夜、農耕には非常に助けとなる節目、この時期が霜の最後の時期、「八十八夜の別れ霜」とか、「八夜の霜別れ」などと云われ、之を境に田植えの支度や、苗の植え付け、または新茶の積み取りなど目安としていた。
SANY1205.JPG
 正岡子規の歌に、 「霜なして 曇る八十八夜かな」 と歌っているように、この時期の霜を題材にしているのを見ても、八十八夜が大きな目安になっていたことが伺える。

 唱歌にも  「夏も近ずく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る、あれに見えるは茶摘じゃないか、茜だすきに菅の笠」 と歌われた茶摘の歌。
  八十八夜に積んだお茶が1番香りが良く、値段も高く、新茶として売りに出していたのも、この目安があればこそ、昔から農耕の指針でもあった八十八夜だ。
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2017年05月01日

オキュバイド

      オキュバイド、ジャパン


 SANY0930.JPGこれは戦争に負けた日本が海外に輸出する際に、商品に必ず明記をさせられた印、占領下の日本であることの証、この印をつけて海外にと旅立っていった。
 戦後の復興期、唯一の外貨を稼ぐ為に日本人は闇雲に働いていた時、彼らを支えていたのは何であったろうか、生産できる喜びであろうか、それとも屈辱的状態であったろうか。

 占領下の日本のレッテルをはり、海外との貿易をしなければ成らなかった時代、何もかもが灰に帰した中、復興の兆しをこうした輸出品に頼っていた時代。
 今の若い人達には考えも及ばない時代、前を見るしかなく黙々と復興ために従事していた人達、彼らがこの商品をどんな気持ちで製造したか、知りたいとも思う。

 私も、其の時代に幼年期を過ごしていたが、占SANY0935.JPG領下とはピンと来なかったし、動乱の時代であった事はうっすらと記憶はあり、自分の目でこれらを製造している現場を見てもいた。
 しかし、「オキュバイドジャパン」の意味は全然知らなかったし、英語等分かるよしも無く、単に仕事をしている所しか見ていないが、戦争に負けたことはハッキリと分かっていた。

 当時、我々は玩具が無く輸出品の製造過程で出来る、不良品が多く捨てられていた場所があり、其処に行って少しでも良い商品を探して遊んだ記憶がある。
 高級な玩具は不良品であっても粉々に割ってしまい、我々には手に入らなかったが、小さな小物や安い物は余り厳しくは無かったので、それを探すのに明け暮れていた様でもある。
SANY0938.JPG
 工場で働いているおばちゃんたちが「こんな安い物を何故アメリカさんは買うのか、不思議だ」と、忙しい中、話していたのを良く耳にした事を覚えている。
 働いている人は、戦前よりも出来の悪い物が輸出されている事に、戸惑いも多かったに違いないが、其のわりには売れて行くから、やっぱり不思議であったに違いない。

 今までは、より良い商品を作ることに専念して来たからであり、其れよりもはるかに雑な商品を作る事に、やはり戸惑っていたと思うが、生活の為には其れで良かったのだ。
 今見ても、やっぱり雑な仕上げであり、こんな商品が飛ぶように売れていったアメリカとはどんな国であったのか、今更ながら興味の沸くところでもある。

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