2017年06月30日

何で変わるの

   時代と共に

 
 SANY1846.JPG古時計の人気、古時計愛好家から色々な質問が来るが、その中で多いものに「今何が人気ですか」と言うもの。
 この質問が一番多いと思うが、それは愛好家としては一番気になる事、何故ならば値段との兼ね合いがあるからだ。
 人気が高ければ当然買う時にも自然と高いものとなっている事、相場が分かりやすいと言う事だと思う。

 勿論現在ではネットで販売されているから、そのネットでの販売価格がそのまま古時計の値段にも反映してくるようだ。
 古時計の値段と人気とは比例している事、つまり人気のある古時計は高く売買され、人気のない古時計は安いと言う事だ。
 一時の姫達磨ブーム、あれが一番わかりやすいと思うが、どんな程度の姫達磨でも人気が高かった時には引っ張りだこ、あっという間に買い漁られたものだ。
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 しかし現在では出たとしても値段で足が速いか決まるみたいで、値段が高ければ中々買い手がないのも現状である。
 あれだけ姫達磨を求めていた愛好家も、今は熱も冷めてしまい、一時の事などなかったように静かである。
 人気とはそんなもの、ある程度浸透してしまうと飽きられ、次のものに移ってしまい、また次の人気の古時計に集中する。

 人気の古時計に振り回され、四苦八苦した方も多いだろうと思うが、その点今は静かであると思う。
 ではどの様にして人気が出るものなのか、一つには皆が欲しいと思う古時計、需要が多ければ当然人気となり値段も高くなる。
 然しそれが良い古時計や価値ある古時計とは限らないが、見た目に可愛いと認められればその時点で人気となってしまう。SANY7262.JPG

 そしてもう一つが業者による市場操作、これも大きな原因の一つ、売りたい古時計を選別してブームをあおる事、それにより市場の動向に影響を及ぼすことにもなる。
 つまりブームを作り出すこと、過去にもこのような操作は幾つかあったと思う、姫達磨やユーハンスの小型バイオリンがそれ。

 もう一つが古時計愛好家自身が作り上げるもの、皆して作り上げてしまうもので、自身はそれを自覚していない。
 つまり古時計愛好家が求めれば、求めるほど、人気が高くなると言う事、高い価格の古時計を自分たちで作り上げていると言う事だ。














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2017年06月29日

博物館の裏側

    いろいろあるが

 
SANY2501.JPG 古時計愛好家にとって博物館は良い、数多く見学できるところ、特に古時計が多く展示してある所は又良い。
 全国に時計の博物館はそんなに多くはないが、小さな物を含めればそこそこはあるのだが、展示となると。

 長年古時計を集めていると、その様な博物館には見学に行く事に、勿論私も例外ではない。
 今までに時計の博物館と名の付く所は概、見学したと思うが、北は北海道から九州まで。
 勿論沖縄も行ってはいるが、時計の博物館はなかったと思う、そんなことで全国を見て回ったものだ。

 しかし現在開館している所は少なくなってしまい、閉館に追い込まれ残念な結果となってしまった。
 私の友人も以前2人が資料館的な所を開いていたが、2人とも止SANY2497.JPGめてしまったのである。
 時計の展示をしたいと常々私に相談をしていた2人、「古時計愛好家なら夢ではないか」と熱く語っていた2人。
 私はあまり賛成ではなかったので、2人には「古時計を展示したいと言う気持ちは分かる」と、しかし「中々経営は成り立たないからやめた方が良い」と。
 2人に諭したものだが、2人とも暑い意志は固くて、結果は2人とも借金して資料館を設置した。

 一人はバカデカイ倉庫を借りて開館し、一時は大勢の見学者が訪れたが、3年と持たなかったので、2人に「原因は何か」と聞かれたが。
 夢は夢で終わってしまった方が良いと、2人に言い聞かせたものだが、原因はハッキリしていると思う。

 古時計の博物館を経営するのは非常に難しく、時計単体では見学者が常時訪問しない事だ。
 我々みたいな古時計愛好家なら、遠い所でも見学に行くがSANY0714.JPG、一般の人はわざわざ古時計だけを見に行く人はいないと思う。
 これは私が今まで博物館と名の付く所を見て来ての感想、古時計単体の博物館は経営が苦しいのだ。
 無論個人の所有で開館している所はまだ良いが、店舗を借りての展示は難しいのだと思う。

 良く2人にも、付加価値として「喫茶店やレストランを主体なら」と、そんなことを提案してきた。
 あくまでも古時計はインテリアの一部としての存在で、喫茶が中心にして、付属として見て貰う事。
 愛好家の夢は良く分かるが、幾くら貴重な古時計を展示しても、それだけでは中々見学に来てくれないのだ。
 それが現実であることを認識しないと、結果は難しいことになってしまい、成り立たない事になるのだ。SANY1961.JPG

 古時計単体ではなく、付加価値を付けなくては経営は成り立たないと言う事、古時計の博物館だけではやって行けないのだ。
 その現実をハッキリと分かった上で、古時計の博物館を開くかは自分次第、もう少し冷静に判断する事。
 裏話であるが友人が開いた博物館、入場料は300円であったがそれでも入館者は少なく、隣の喫茶店に入ってしまい、博物館には来なかった。
 300円でも来ないのかと友人が嘆いていたが、コヒーさえあれば隣よりこちらに入る筈と思う、それが分かれ道でもある。









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使い慣れたもの

      之がないと


 SANY4626.JPG車を運転して47年、この年まで幾つものサングラスのお世話になったが、レイバーンのサングラスほど付き合いの長いものはない。
 どう言う訳か運転するのにサングラスがないとダメ、路面が光って目に痛く感じ、サングラスをかけないで運転は出来ないのだ。

 その為に之までにどれ位のサングラスを買い込んだことか、はじめの頃はまぶしさを避けられれば、どれでも良かったと思っていたが。
 ある時、マックイーンが掛けていたサングラスが気に入り、そのサングラスを探して買い込んだのだ、其れ以来レイバーンのサングラス一途。

 次から次にとサングラスを買い込んで、今では10個以上のレイバーンのサングラスを持つ事になってしまい、どのサングラスを使うのか困る時も。
 友人が「1人で1つのサングラスしか掛けれないのに、幾つあっても無駄」と手厳しい、「お前は2つのサングラスをどの様に掛けるSANY4630.JPGのか」と、またまた嫌味。

 言われてみれば確かにその通り、1つしかサングラスは掛けれないが、使用場所によってサングラスを掛けかえるものだから、違ったサングラスが欲しい。
 晴れた日と雨の日とは違ったもの、曇りの日と雪の日とも違ったサングラスが必要、用途によってサングラスを掛けかえるのが通。

 写真のサングラス、1番気に入っているもので20数年使い続けているものだが、今ではなくてはならないサングラスと成っているもの。
 偏光レンズが付いている為に、利用度は高くて便利なサングラス、何処に行くのも手放せない1つ、多くのサングラスがあるが、やっぱり之が1番使い易いサングラスだ。SANY2848.JPG
 そんな私に友人、「日本人には合わないサングラスだ」と嫌味、確かにその通りかもしれないが、好きなものは好きで、人に言われたくもないのだ。

 このサングラスを使い出してから20年、好きなサングラスをとっかえ、ひっかえて使っているが、これが一番お気に入りのものだ。
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2017年06月28日

宝 物

      懐 か し の 玩 具

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 幾つになっても昔遊んだ玩具は懐かしく、又かけがえの無い宝物、それがどんな物でもその人にとっては宝物であり、人が見て何の変哲も無い物であっても本人には宝物。
 我々が幼いころは物がなかった頃、その為に自分で作るのが当たり前の時代、主に木で作っていたと思う。

 今の子はナイフや金槌を持たないらしく、当然ノコギリも使わないらしく、親が危ないからと使わせないとか。
 だから今の子はナイフの使い方を知らないらしく、危険なものとして使った経験もないそうだと聞く。

 良いか悪いかはわからないが、危ないからと使わせないのもどうかと思う、危ないからこそ使って、その体験をすることによって上達すると思うが。SANY1364.JPG
 何でも買い与えるのが今の時代、自分で作りださせる事をさせないとは、子供の発達には何事も経験がものをいうと思う、全てを買い与えるのではなく、作られるのも一つ。
 買い与えるものと自分で作るものとを両方させる事により、楽しさが倍増するものと、私は考えるが今の時代は違うかもしれない。

 私も昔親父から買ってもらった自動車の玩具、買って貰い大事にしていたがやがて壊れてしまい、捨てられてしまったが、今でもそれと同じ様な自動車を捜し求めている。
 人には忘れられない玩具が存在していると思うし、又懐かしくも思われると思うのだが、今それを「求めよう」と思う人と「思わぬ人」に分かれるが、私は求めたいと思う人。
 買ってもらった時期は5、6才だと記憶しているが、果たして合っているかどうかは定かでないが、幼稚園に入る前だと記憶に残っている。SANY0134.JPG

 最近、当時持っていた自動車と同じ様な物をネットで見つけ、落札するつもりでいたが、時間を間違えて他人に落札されてしまった苦い経験が頭をよぎる。
 これからも、この自動車だけは自分の手元に取り戻したいと、八方手を尽くしているがどうなる事らや、その昔は競争自動車と呼んでいたが、今のレースカーである。

 そしてもう1つが「鉄人28号」であり、之はもう少し時代が新しくなり、小学校三年生の頃玩具、ブリキリ鉄人28号もまた遊びすぎて壊してしまい捨てられてしまった。
 鉄人の方は何とか探し当て手元にあるが、レースカーは見逃してしまったのであれから見ないが、何時かきっと手に入れることを願っている。

 写真は鉄人28号の新しい物であるが、こうした物を見るとツイツイ手が出てしまうから、幾つあっても欲しくなるのはやっぱり、昔の夢が忘れられないのか。
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2017年06月27日

時計ではない

      友人は有り難い


SANY0683.JPG 例によって海外に買い付けに行く友人、突然我家を訪れ、「これお前に土産」と、ポケットからさも自慢そうに取り出し、私の手の上にのせたもの。
 先月ロンドンに買い付けに行ってきたが、「お前と前に行った店で之を見つけた」と言う、聞けば向うの店主が彼の顔を見るなり、あんたのために取っておいたので、自慢げに「珍しい時計が入っているから買え」と差し出したらしい。

 友人いわく、「お前が前に時計の針が沢山付いている物は良い時計だ」と言っていたから、この時計を見て針が沢山付いていたから、先方が言う値段で買ってきたので、「さぞかし珍しい物だろう」と云う。
 渡された時計を一目見て、「何処が時計なのか」と彼に言うと、やっぱり「お前の言う珍しい時計だろう」と鼻高々、私が呆れた顔をしていると、「そSANY2680.JPGんなに驚かないでも良いのでは」と不思議な顔。

 「渡された時計とは時計にあらず」、只の万歩計であり、1900年代に入ってからの物らしく、確かに万歩計でも質は良い物のようだが、懐中時計ではない。
 友人に「またお前は、あの店主にからかわれたのだ」と言えば、そんな事は無い、あの親父「時計だ」と言っていたと、前にもこの友人について話したことがあるが、彼は大の機械オンチである。
 先方の店主も、彼が機械オンチと分かっていて、彼をからかったに違いないが、その値段が問題で、私が「幾らで買ったのだ」と言えば、指を二本立てた。

 こんな物に20ポンドも出したのかと私が言うと、「お前が喜ぶと思った」と友人、彼は私を驚かそうとして、私に折角買って来てくれた物、文句を言いつつあり難く頂く。SANY2683.JPG
 あとは酒を飲みながら、向うの店主にからかわれたので、「今度は俺が行ってからかってやる」と、リベンジを誓いつつ、この日は酒が進んだ事は言うまでも無い。

 二番目の写真がその万歩計、機械オンチの彼には之が時計に見えたらしいが、刻んである数字を見れば、時計でない事が分かりそうであるが、彼には無理のようである。
 普通の人は文字盤に100まで刻まれていれば時計ではないと気付くはず、彼はストップウオッチと思ったと。
 しかし見ても分からないとは彼はヤッパリ機械オンチである。

 写真中央の振り子みたいなもの、これが動くたびに左右ゆれ、針が動く仕組み、機械的には単純な物であるが、当時としては高級品であったと思われる。
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2017年06月26日

あじさい

   今年のアジサイ


 SANY2543.JPG今年のアジサイなんか変、このところの日照りで元気がなく、何時もであればもっと花が多い。
 時期的にも少し遅いと思うが、これから雨が降れば例年通りに戻るだろうか、そんな気がする今年のアジサイ。

 6月半ばを過ぎても我が家のアジサイは元気がなく、やはり花数がなく、いつもと違う状態。
 今年は晴天続きでアジサイも戸惑っているのか、普通であれば雨をもらって元気に咲き誇っているはず。

 しかし今のところちらほらと申し訳なさそうに咲いており、この時期としてはピンと来ないと思うSANY2553.JPG
 それだけ雨が降らないと言う事、例年なら長雨でアジサイにとっては良い季節のはずが、今年は少し違う。

 やはり雨が降らないとアジサイも元気がないのだろう、むしむしとした梅雨は今のところなさそうである。
 これからもアジサイにとっては良くない、私は雨が降らない方が良いが、余り降らないのも困る事も。

 庭の木々もなんだか元気がないから、水やりをしないと枯れそうな気配、やっぱり今年はおかしい。
 おかしいと言えば我が家のアジサイ、青色の花ばかりで赤くならない、隣の家のアジサイは株もSANY2564.JPG大きくて赤くなっている。

 何でうちのアジサイは赤くならないのだろう、園芸店で聞くに酸性の土壌だからと言われたが。
 酸性の強い土壌の場合は青色がきついと言われ、アルカリ性の土壌は赤色になると、学術的に言えばアルミニームが赤の決め手と言う事らしい、根っこにアルミニュームをやれば赤くなるらしい。

 しかし同じ株でも青色の花もあれば、赤色の花もあるものがあり、同じ株でも分かれている。
 何で同じ株なのに色が違うものなのか、不思議でならないが、これも科学的には解明できるらしい。
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 同じ株でも根っこは同じではなく、アルカリ性の土壌にある根はそこからアルミニュームを摂取するらしい。
 だから同じ株でも色が違うらしいのだが、理屈は分かるが、我が家のアジサイの根っこ近くはアルカリ性ではないと言う事か。

 赤色の花を咲かせるにはアルミニュームを与えればよいのか、青ばかりの我が家のアジサイにアルミニュームを与えてみるか。


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2017年06月25日

水無月払い

   そろそろ近くなる

 
SANY1834.JPG いよいよ夏の到来であるが、昔からこの時期になると変わった和菓子が登場するが、これも由来があると言う。
 季節の変わり目は日本独特のもの、特に四季がはっきりと分かれており、夏冬明らかな違いもあるが、それだけではない。

 昔から日本人は四季を通じて移ろうさまを楽しんできたもの、季節、季節でうつろい方が違うのだ。
 それを巧みに取り入れて来たのも日本人ならではの事、外国から見ると不思議にも思えるらしいのだが。
 自然と共に過ごしてきた日本人にとっては当たり前の事、四季折々に生活の中に取り入れもして来た。SANY1827.JPG

 もともとは太陰暦を採用していた時代、月の運航に従って暦が定められてきたもので、その節目には厄払いの儀式をした来たのだ。
 節目には邪気が入ると言われ、それを防ぐ為に色々な儀式が行われて来たのであるが、現代人はそれを忘れかけている。

 一番わかりやすいものに節分があるが、あれもこの節目を過ごすためのもの、邪気を追い払うために豆まきをすのだ。
 現代人はこの豆まきは今でも続けているが、昔から行われた、それが節目に行われる儀式の一つ、今の人もこれくらいは知っている。
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 では水無月払いとは何なのか、一年の半年を過ぎ、これから夏に向かうために、今までの厄を払い落す儀式だと言う。
 節、節の節目であるが、一年の中ほど、暑い夏を乗り切るために禊ぎをして厄払いをし、新たな気持ちで乗り切ろうとする日本人の気持ちの表れ。
 最近ではビルの谷間に季節の移ろいなど感じない様になっているから、季節感もだいぶ薄れてきた。
 都会に暮らしていると中々季節感は鈍くなってしまい、四季の移ろいまで忘れてしまうようだ。
 そんな都会人でも季節感を味わうSANY1836.JPG事が出来るものに和菓子が、この時期になると外郎の白い肌の上に小豆が乗った和菓子が登場する。

 これを見ると夏がやって来ると実感するが、この和菓子実は氷菓子に見立てたもの、昔きゃう中では夏に氷室から氷を取り出して、蜜をかけて食べたと言う。
 勿論一般の人が出来るわけもなく、後にそれを真似た和菓子が造られたもの、それが写真の和菓子だ。

 昔の人は外郎の白さを氷に見立てたもので、何で外郎なのとか思った人、それがかき氷に見えないかな。
 もう一つは生麩の和菓子、これもこの時期限定のもの、山帰来の葉に包まれている生麩にこし餡が入っている。
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2017年06月24日

面白ばなし

      時計展での事


 DSCN0835.JPG時の記念日を記念しての時計展、今年も盛況に見ても頂、しかも色々の世代の人たちが訪れてもらい、感謝にたえないと思っているしだい。
 土日には大勢の人達が見学に訪れていただき、世代を超えて興味を持って貰った事は、古時計保存協会としてまたとない喜び。

 現代人には古時計は過去の遺物、忘れ去られて行く運命、しかし訪れた若い人達が、この古時計に興味を抱いてくれた事が何よりも喜びであると思ったものだ。
 若い人の反応が気になっていたが、ふたを開けてみれば年配者よりも若い人の方が多くて、此方の予想とは少し違ってもいた。

 そんな若い人達から、面白い質問等受けて、ビックリするやら笑えるやらで、非常に愉快な展示でもあっSANY1871.JPGた事を実感、やっぱりやって良かったと。
 そんな質問の中、面白いものを1つ、2つ紹介すると、1番面白かったのは「これ電池で動くのですか」と言う質問、その為に文字盤を外して見せ、ゼンマイで動くものと説明したりしたが、しかし「振り子を止めても動くんでしょう」との質問。

 この2つが非常に多く、如何に現代の人はクオーツの時計しか知らない事が分かり、改めてアナログが遠くなった事を実感した。
 どんなに動力はゼンマイであると説明しても、「電池は何処にあるのかと」の疑問、振り子を止めたら時計は動かないと説明、すると「家の時計は振り子を止めても動いている」と。

 こんなやり取りを毎日していたような気がするし、ゼンマイの仕組みを文字盤を外し、機械を見せてあるSANY1858.JPGのに、「電池は何処」と、堂々巡りの事ばかり。
 若い人達は常に電池で動くものと思っているから、其れが頭から離れないのだ、この展示で課題も残ったとも思っているも、ゼンマイの仕組みを如何して伝えるのか。

 実際に模型を作ってゼンマイの仕組みから見せないと、若い人は納得してくれないと痛感、時代が確実に通り過ぎて行き、ゼンマイの時代は過去の遺物でもあるようだ。
 それを伝えるのも我々の世代の任務、若い人達が興味を示している時こそ、これを伝える機会ではないのかと痛感すると共に、次回の展示に課題として大きく残ったのだ。
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2017年06月23日

時計グッツ

      流行りはある

 
SANY2836.JPG流行はどんな時代でも存在しているが、時代によっては世相を反映していて面白く、その時代の生活観まで読み取れるようで、興味は尽きないが、それに関連する物も存在する。

 前にも取り上げたが、役者絵が流行した時代があるが、其処には役者の姿を引き立てる、当時の世相が反映され画面の中に盛り込まれている。
 錦絵には当時流行した着物の「図柄や髪形」、そしてハタマタ当時の食べ物やら、その時代の息吹が感じ取られて興味が湧くもので、絵の中から見るものに訴えかけてくるようだ。

 其れもまた、絵師の腕、その絵師の技量によって、存在感が全然違う物になってしまうから、同じ物を描いても優れた絵師のものは、何処となく迫力があるよSANY4060.JPGうだ。

 江戸時代、庶民には全く関係のなかった「時計」、庶民は目にする機会さえ殆どなかったに等しいが、錦絵にはそれらの時計も描かれており、錦絵を見た庶民はどう受け取っていたのだろう。
 そんな描かれた時計等に目もくれず、美人の姿だけしか目に入らなかったかも知れず、只我々が想像するのと違った感覚であったかも知れない。

 いずれにしろ「時計に関連した物」は、その時代、時代にやはり存在する事は確か、其れが「役者絵」であったり、「皿などの食器」に描かれた物、「根付」などに加工されたものなど種類は様々。

 写真の時計入りのコースター、土産物用に製造されたもの様であるが、出所はハッキリしないので確定できないが、たぶん土産品として売られたもの。SANY2684.JPG

 当時、この様な時計を描いたコースターが、流行ったかどうかは分からないが、時計を題材にして製造されたものには変わりなく、流行したのであろうか。
 それにしてももう少し形をどうにかして欲しかった、何だかコースターには見えない。









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2017年06月22日

こけ女2

   こけしブーム

 
SANY1789.JPG 何次か知らないが今こけしブームと言う、3次とも4次とも言われているが、確かにブームである事には違いない。
 古民家久米邸にもこけしは展示してあるので、そのこけしを見てブームだから展示してあるのかとの質問も多いと聞く。

 別にブームだからこけしを展示している訳ではなく、展示物の一つとして行っているだけの事、しかしたまたまブームが到来しただけ。
 展示物とはそんなもの、流行だからと展示に拘れば、それだけ制限されることになり、逆に難しくなるのだと思う。
 気楽に展示して見て貰う事、力を入れ過ぎて失敗する事の方が多くて、今までに何度となくあった。

 だから展示物は気分次第で変えることにしているが、それがたまたま人気になる事も、それもまた展示であると思う。SANY0996.JPG
 このこけし、最近では女子に人気だとか、確かに昔は男性も多くいたが、最近では女子が主体だと聞く。
 我々の時代と違い、集めているこけしが違う様で、作家に拘らないと聞く、これもまた現代であるようだ。

 今の女子には創作こけしが人気であると言うが、私には中々ついて行けないようで、特に現代的な創作こけしは分からない。
 ある若い女性から、「何で同じこけしばかりあるの」と聞かれたが、その意味が理解できなくて「作者が好きだから」と答えた。

 すると「同じものを集めて面白いですか」と言われ、同じじゃなくて変わったものばかりだと答えたがSANY1000.JPG、彼女は同じものにしか見えないと言うのだ。
 確かに小椋久太郎のこけしだから、同じように見えるが、大小であったり、図柄の違ったものを集めているのだが。

 彼女曰く「今のこけしはハッとする勢いがある」と言う、今までにないこけしで、色使いも派手で現代的。
 そして何よりも奇抜であると言う、確かに彼女が見せてくれたスマホの写真には驚くこけしが写っていた。
 黒と金のコントラストのこけし、私にはこれがこけしには見えないが、彼女たちには新鮮であるようだ。

 時代によって流行は変わり、今までにも進化はしてきたもの、しかし現代のこけしはそれ以上であると思う。
 そんなこけしには私はついて行けないと、今のブームには新しさだけが先行しているように見えるが。
 それも年寄りの感覚でしかないよう、時代に合わない我々の世代、こけしも変化を遂げて行くのか。


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2017年06月21日

同じものだが

      日本の得意芸
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 日本人は昔から色々な物を応用して、様々なものを作り出してきた民族、資源が乏しい国の現状から、何かを工夫する事によって作り上げてきた文化。

 工夫1つで新たなもの生み出してゆく考え方、先人たちの逞しい努力が、現在の日本を支えていると言って良いのだが、其処には弛まぬ発想力があった事。

 そんな考え方から生まれたのが写真の時計、精工舎の目覚まし時計、両方とも機械部品は全く同じもの、付けられているパーツが違うだけ。
 勿論、全部同じものではありえないが、共通する部品を使用している事だが、本体の機械は全く同じ、この目覚まし時計はドイツ物をモデルとしている。

 単なる目覚まし時計を、より高級感のある時計へと変身させているのが面白く、其れが同じ時計の部品で製造されていると気付く。
 しかし、出来上がった時計を比べてみれば、雰囲気も姿も違った時計と成っている事、現在の自動車製造にも、この様なSANY4694.JPG共通部品を使い、違った繰るのに仕上げている。
 その原点は、この様な小さな物からの、出発点ではないだろうか、日本人は発想力にたけ、応用力もあることから、新たな分野への移行も早いのだ。

 明治時代の時計分野においても、その様な応用を駆使して、新製品の開発をしていたのであろうが、2つの時計を並べて見ると、より分かりやすい。
 上に付くベルを下の部分に配置し、土台は木製の土台、其れによりドッシリとした高級感が出ている事、足の部分の処理も上手く作ってある。

 もともと機械は全く同じもの、ケースの違いで趣も変わり、あたかも別の時計化のように思ってしまう。
 ベルが上か下で、時計の姿がガラリと変わってしまうもの、新しく開発したかのような時計の出来、この様なものを作り出した先人たちに敬意を称したいものだ。
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2017年06月20日

古民家のオブジェ2

   古民家久米邸


 
SANY1943.JPG 瀬戸市にある古民家久米邸、明治末期建物で今は喫茶と展示場として活躍しているところ。
 瀬戸市の中心部にありながら260坪の敷地を有し、昔の姿をとどめている古民家である。

 展示場としても利用されており、私のホームグランドでもあるが、利用価値として大変便利なところ。

 瀬戸市の中心部のあるために交通の便も良く、駅からも近い距離にあるため、利用者も多い。SANY1930.JPG
 喫茶部門は母屋の中心部を利用しており、広々として庭を眺められ、雰囲気としては最高の所。

 年配者には古民家独特の雰囲気が喜ばれており、また若い人にはレトロな雰囲気と好まれているようだ。
 この久米邸もとは陶器で財を成した人の住まいであったが、今は喫茶と展示場として使われている。

 市内でありながら中に入ると静かで、昔の面影を漂わせているから、市内見学で疲れた人の休憩場所でもある。
SANY1892.JPG そんな久米邸の雰囲気を活用しようと、市内の芸術大学の学生たちが展示場としても利用している所。
 彼らが制作したオブジェもあちこちに置いてあり、喫茶を楽しんだ後見学している人も多い。

 私も何度となく足を運んでいるが、久米邸全体のオブジェをじっくりと見た事はなく、どんなものがあるのかも知らない状態。
 そこで少し写真を撮ってやろうと試しに撮ってみたが、イザ探してみると出て来るは、SANY1968.JPG出て来るは。

今まで気が付かなかった所にも沢山あり、こんな所にこんなものが置いてあったと、改めて確認した。
 普段何回か通っている場所にも、ひっそりと置いてあるものも、目に付く所に置いてあっても今まで気が付かなかった。

 そんな置き方が改めてよかったと思う、これ見よがしに置いてあるのはあまり良くないが、さりげなく置いてあるから面白いと思った。
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2017年06月19日

雛人形の冠

   どうなっているか

 
 SANY2569.JPG瀬戸の雛巡りが終わり二ヶ月を経過したがまだまだ整理は済んではいないが、これからも整理はやらなければならない。
 何故ならば展示で傷んだものが多くあり、毎年の事だがこの時期に行っている、古時計展示と同時に。
 久米邸の蔵で展示をしている古時計展、金、土、日は解説を含めて私が担当しており、蔵で一日居るのだ。

 展示会場の暇なときは蔵の二階で雛人形の整理、これも例年の事続けている仕事でも、修理するものは沢山あるからだ。
 特に御殿は破損が激しい、展示は御殿を組み立てて展示をするが、終わればまた分解しなければならず、毎回組み立て、分解の作業を行うが、その時に破損する事が多く、その修理も手間の内。
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 そんな事を知らない人は何で今頃雛人形なのかと聞く、ひな祭りはとっくに終わっているから、しかし私はこれからが修理の時期。
 暑い夏は何もしたくないから、今のうちに片付けけたと思い、空いた時間を修理に当て、コツコツとやるのだ。
 するとおば様達が展示場に入って来て、何やら話をし出したが、「前ここで雛人形を展示していたわ」と聞こえた。

 それって「まだやっているのかしら」と、その声に反応して二階から下に降りて行くと、ビックリした様子で、おば様達「上に人がいたの」と更に驚くのだ。
 たまたま修理していた冠を持って降りた為、それを見つけSANY2570.JPGておば様が「何でそんなものを持っているの」と目ざとく見つける。

 今修理をしていたところと冠を置くと、「大きな冠だけど、何処のものなの」と問いかけて来る。
 事情を説明すると「そんなに修理する事があるの」と聞かれるが、色々説明すれば「思ってもみなかったが大変だ」と感心するのだ。

 すると違う人が「雛人形の冠、そんなに大きかった」と、確かにこの冠は大型の雛人形のもの、横20センチ、高さ17センチの大きさである。
SANY2579.JPG
 今まで冠をよく見ていなかったが、こんな形だったのと不思議そうに見るので、「じっくりと見てください」と、そこに置いて見せた。

 改めてよく見ると、「こんなものが付いているの」と感心されている様子、何気なしに見ているのと、まじかで見てみると更に興味が出た様子。

 写真がその修理途中の冠、明治時代の大型ひなのもの、もう少し古いものだと形が変わるが、これはそのあとのものだが、一番上に鳳凰がつけてあるもの、大体この形が多く造られたようだ。
 おば様達、古時計展そっちのけでこの冠の事ばかり聞くのだ。
 




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2017年06月18日

洋館の明かり

      シンプルが良い

SANY2871.JPG
 明治期、西洋から入ってきたランプ、日本の生活の中に溶け込んで久しいが、その種類は様々なもの、その建物にあったものもあれば、場違いなものも多い。
 日本の建築にあったものが輸入された訳ではなく、そのランプに合わせるかのようにランプが流入、其れを選ぶのも購入者の好み、派手なランプを欲しがる人、シンプルなランプを好む人。
 そんな西洋ランプ、電燈が使用されるようになってから、急速にその姿が増したのは言うまでもなく、電気の普及と共に西洋ランプも増えて行く。

 そして、日本建築その物に付けるのではなく、西洋館を建築して、日本の住まいとした建物が増え、其処には西洋ランプが当然の如く使用された。SANY2874.JPG
 明治期も中期を過ぎると、日本人も西洋ものに少しづつ馴れ、その好みも多少変わってきたのか、やっぱり建築に合ったランプを選ぶようになった。

 写真のランプ、明治当時建てられた西洋建築、シンプルな造り方であるが、西洋館には違いなくランプが使われているが、思ったよりもシンプルなものが付けられている。

 形こそは色々な種類があるが、その物は派手なランプではなく、部屋部屋にランプの形や大きさは違うもの、シンプルである事には違いなく、センスの良さが伺える。
 SANY2877.JPG写真のように、乳白色系のランプであり、殆ど色は入っておらず、白色で統一されているかのようだが、当初からこの様なスタイルであったかは不明だ。

 しかし、現在使われているランプを見た限りでは、この建物にピッタリのものが付いていて、非常に好感が持てるものとなっており、見る人も落着いて見える。
 生活のなのランプ、毎日見るものであり、余り派手なものは見ていると飽きるもの、シンプルなものは何時までも飽き無いもの、しかし、少しは色の入ったものも変化があって良いのか。

 この様なランプ、建物によっても違うが、色とりどりの色の付いた派手なものばかりではくど過ぎると思う。
 その雰囲気に合ったものを付けるのが良く、派手なものは避けた方が良い。
 西洋ランプも適材適所で、その建物の雰囲気を壊さないようなものが良いと思う。
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2017年06月17日

面白い時計

   愉快な顔が

 
SANY0764.JPG 古時計は種類も豊富で、色々なものが存在しており、その人の好みによって集めるものも違いが。
 私みたいなものは八角型の極普通の古時計が好きで、今までにも多くのこれらの時計を集めたが、それでも尚集めたいと思っている。
 人は「何で同じものばかり集めるのか」と言うが、まだまだ集めたらない物ばかり、これからも八角型の古時計を集めるつもり。 勿論それには訳があり、古時計を集めると思った時、名古屋で製造された古時計を全部集めてやると決めたから。

 しかし未だに道半ば、人が八角型ばかり集めてどうすると言うが、当時八角型が一番多く製造されたから、集めるのにも都合が良いからだ。
 数が多ければそれだけ見つける機会が多くあると思い、八角の古時計に的を絞ったのだが、それでもまだまだ道半ば。

 当初は数が多いと聞いていたから、簡単に集まるものと思っていたが、しかし40数年経った今でもまだまだ目的の半分。SANY1402.JPG
 後の半分は何時になったら集まるのか、想像すら出来ない状態であると、今はつうせつに感じてる状態。
 そんな古時計の世界、やっぱり奥が深くて想像だに出来ないが、コツコツと前に進むだけ、これも古時計愛好家の務め。

 そんな事はどうでもよいが、古時計にも八角型だけではなく愉快な時計が存在しており、そんな古時計だけを集めている人もいる。
 私も嫌いではないから、安くて良いものがあれば買い込むが、そこは八角型の時計とどちらが先かと言う事になる。

「出もの腫もの所かまわず」とのたえもある如く、何処で出くわすか分からないものだが、同時に出た時には四苦八苦する事になる。
 勿論どちらを先に買うのかと言う事、資金があれば二つとも買い込めば良いが、そんな事は出来ないからどちらかひとつ。
SANY1068.JPG
 私は八角型を選んでしまうが、心の底では面白い時計も欲しい、しかしお金がいなから諦める事に。
 そんな時ほど面白い時計の良いものが出ている場合が多い、心を鬼にして諦める事に、それでも家に帰ったからでも頭の中から離れない。
 人と言うものは厄介な動物、欲しいと言う欲求に負ける事の方が多い、それが当たり前かもしれない。
 そんな面白時計、私とは違ってこちらを優先する人も、大概はこちらを買い込む人の方が多いであろう。
 写真がその面白時計、カラクリ付きの愉快な時計たち、見ていても飽きない時計で、一つは欲しい時計だ。



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2017年06月16日

展示会場

   何で此処で開催

 
 SANY1902.JPG日本古時計保存協会の古時計展、何故何時も古民家久米邸で開催するのか、そんな質問が多くある。
 色んな人からこの様な質問が出るが、何時も答えているのは雰囲気が良い事だと、それに会場費が掛からない事。

 これが一番の理由かもしれないが、それには訳があり、毎年の瀬戸の雛巡りに由来する。

 古時計展を開催する前から、この古民家久米邸では私の雛人形を展示していたもので、それが縁で十数年間こSANY1913.JPGこで展示している。
 縁とは不思議なもので、雛巡りに協賛して展示会場を探していた時、ある人の紹介で、この久米邸に話を持ち込んだ。

 その時は上手く行かなかったが、翌年からここで雛人形を展示する事になり、それ以来ずーとここで展示。
 雛人形の展示が終わってからすぐに、古時計の展示場所を探していたが見つからず、思い付いたのがまたここ久米邸。
 ここでの展示なら気心も知れているからと頼み込み、結果は無料で展示する事に、これも雛人形のおかげ。
SANY1871.JPG
 久米邸としても見学者が増える事は歓迎、展示が人気であれば見学者も増え、お互いに目的が同じであることが良かった。
 はじめは母屋だけの展示であったが、だんだんとスペースが増え、ついには母屋だけでは足らなくなってしまった。

 そこで目を付けたのが久米邸の蔵、本来は展示など考えた事もないと言われたが、そこは押しの一手、何とか理解して貰ったのだ。
 只釘をあまり打たないで欲SANY1882.JPGしいと言われて、これには四苦八苦、古時計を掛けるのには釘を打たないと掛けれない。
 そんな訳で極力少ない釘で展示して欲しいとの要望、勿論こちらとしてはそれを実行したい。

 しかし段々と展示物が増えてしまい、他に釘報つことになり、それを許可してもらうのに時間が掛かった。
 日本古時計保存協会の古時計展も段々と知れ渡り、見学者も増えた事で、何とか釘を打つことを了承してもらう。

 何だかんだと理由を付けて、今日に至っているが、無料で会場を借りているので心苦しいが今日に至っている。
 それが久米邸で古時計展を開催する、一番の理由かもしれないが、お互いにそれだけではなく信頼関係である。

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2017年06月15日

何故だろう

    人気薄に

 
SANY1483.JPG 姫達磨、四つ丸ダルマ型時計の小型の時計、その姿が可愛らしくて人気抜群の古時計、見た目にも素敵な時計だ。
 日本人は可愛らしいと言う事の例えが上手い民族、お姫様は可愛らしいとか、小さいものを姫と呼ぶのだ。
 このたとえが一番しっくりと来る古時計は、やはりこの時計しかないと思うが、兎に角人気はある古時計。

 以前には絶対手に入れたい古時計の一番人気だと言う事があり、我も我もと姫達磨を手に入れようと探した。
 勿論古時計としての人気でもあるが、やっぱり可愛いと言う事、一つはあっても良いと思う人が多い事だ。
 そしてもう一つが住宅事情がそれを後押し、家庭環境の変化もあり、マンション暮らしだと古時計をかけるところが少ない。

 その上大きなものは掛けれないと言う事情も相まって、小さな古SANY1492.JPG時計に人気が移行、その為求める人も多くなったこと。
 そんな事情がこの時計の人気を押し上げ、見る見るうちに高額な値段になってしまったことにある。
 当然の事、欲しい人がいればその分値段は上がる事に、市場と言うものは敏感に反応するもので、値段と直結している。

 そんなブームが去って、姫達磨の人気は下降気味になると、その値段も下降しだすと言う結果に、これまた敏感に反応。
 人気と言うのは難しいものであることの証、一寸した切っ掛けで人気が爆発、何でそんな事になるのかと思う。
 それもまた古時計愛好家が自分自身で釣り上げているものだが、一人一人はそんな感覚はなく、ただ欲しいだけの事。
 それがブームだと言ってしまえば、それだけの事であるが、簡単には諦めきれないのも人情であると思う。

 一時期の過熱した人気は去り、現在では静かなブームとでも言えようSANY1487.JPGか、また少しづつ回復傾向にあり、姫達磨の欲しい人は今が買い時だと思う。
 以前に買い込んだ人たちからすれば、夢のような値段であると思うが、其れもまた現実、確かに以前の値段の三分の一。
 確かに安い、以前が馬鹿高であったことも確か、余りにも人気が良かったことも原因、これも愛好家の心理の一つ。

 現在では市場的には冷静な時期であり、買い求めるなら今が良いと思う、ジックリと見定めて良いものを買えばよいと思う。
 自然体で臨めば見間違えることもなく、焦って悪いものを買わなくて済むと、そんな気がする昨今の姫達磨の相場である。
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2017年06月14日

成績は良い方

   今年の出来は


 
 SANY1821.JPG我が家のプランター栽培、今年も順調に成長しているよう、震災以後プランターでの栽培、身に付いてしまったようだ。
 と言っても私ではなく妻、はじめは出来るとは思っていなかったし、私もそう思っていた。

 テレビで簡単にできると説明していたが、我が家で出来るとはとても信じていなかったし、妻もそのように思っていた。
 そんなテレビの影響ではじめ出したプランターでの栽培、今年で6年になり、ベテランの雰囲気だ。

 それと言うのにも毎年成果を上げているからで、新鮮な野菜を収穫して来た実績がそのようにしている。
 一番成功したのはトマトときゅうり、この2つは今まSANY1811.JPGでに結構成果を出し、朝の食卓を賑わしてきた。

 はじめはプランターで出来たものなど美味しくはないと、そんな気持ちでいたが、出来上がったものを食べ感覚が違った。
 感覚と言うより感じ方が違ったと言うべきか、食べてみてビックリ、スパーのキュウリとは雲泥の差だ。

 初めて食べて直ぐに昔の味だと感じ、その上に美味しい、これがプランターで出来るものなのかと、半信半疑。
 しかし現実に食べて見るに旨い、スーパーのキュウリとは比べ物にならず、新鮮であるし旨いのだ。

 勿論路地ものとは違うが、とてもプランターで出来たものとは思えず、その上新鮮で旨い、それ以来キュウリはスパーで買わない。
 我が家で出来たものは朝食べられ、新鮮さは究極、まずい訳がなく、スーパーのキュウリと比べられない。
SANY1802.JPG
 そんなキュウリの他、今年もトマトとレタスも栽培、特にレタスは成長も早くて、今年は何度も収穫している。
 後を追うようにミニトマトが元気よく成長、まだ少し早いが今後収穫が期待でき、楽しみな成長をしている。

 やはり自家栽培は新鮮さが命、取り立てを食べれるのが何よりも旨い、そして栽培したと言う満足感も相まって、更に栽培をする楽しみも与えてくれそうで、一石三鳥の徳がありそうである。
 写真は今年の進行状況、特にレタスは成績もよく、今年は三度もすでに収穫しており、まだまだ成長しているようだ。
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2017年06月13日

江戸切子

      ギヤマンは憧れ


SANY0944.JPG ガラス製品は古くから日本に入ってきて、古墳時代には既に装飾品として用いられているらしいが、日本で製造されるのは近世に成ってからである。
 古代のガラス製品は、シルクロードを経て、日本に入ってきたものであるが、当時としては宝石と同じで貴重な装飾品、一部の権力者にしか手に出来なかったもの。
 今の若い人たちにはただのガラス(ギヤマンとも言う)、何でそんなガラスが高かったのか理解できないかも、ガラスの歴史は古く紀元前のペルシャ時代に遡る。

 確かに古くからガラスはつくられていたが、当時も高級品であったことは確か、一部の人の所有物に過ぎないものである。
 古墳からも発掘されるらしいが、当時の輝きはなく、SANY0959.JPGくすんで其れがガラスとは思えないほど、透明度が無くなってしまい、見る影の無い物ばかりである。
 日本で1番有名なギヤマンは、正倉院宝物の 「瑠璃の碗」 シルクロードを経てペルシャからもたらされた物、伝世品であり輝きは当時のままである。

 聖武天皇の愛用品であり、日本に渡来したガラス器の中では一番古いもの、他にも程度の悪いものは存在しているが、美術品としての価値は少ない。
 長年正倉院で守られてきた瑠璃の椀などは、シルクロードを経て日本に渡来してものであり、同じようにものがヨーロッパにも存在している。

 その後、日本に於いては、ギヤマンも影を潜め、脚光を浴びるのは戦国から江戸に入ってから、長崎を通じてSANY0948.JPG「オランダやポルトガル」からもたらされ、当時も非常に高価であり、献上品として取り扱われ、一部の特権階級だけのものであった。
 幕末になり、「江戸」や「薩摩」で、このギヤマンが製造されるようになり、「江戸切子」や「薩摩切子」として製造されるようになるが、その数は極めて少量であり、現在余り残っていない。

 写真のデキャンタは「江戸切子」として入手した物であるが、はたして本当に「江戸切子」なのか、真贋は兎も角カットガラスの技術は、繊細かつ大胆なカットがなされている。
 高さは25センチ、胴回り11センチ、現代ガラスと違って鉛ガラスを使用しているから、少し黄色い色のように見えるが、これは鉛が入っている証。

 現代のクリスタルのような透明度はなく、ある少し黄色じみた色は紛れもなく鉛が入っている事にあり、クリスタルとは違った温かみがある。
 上部ふたの部分のカットは、シャープで鋭いカットがなされ、高級感のあるものに仕上げられ、当時は誰がこのデキャンタで酒を飲んだであろうか。

 
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2017年06月12日

作れなくなる

      コ ピ ー は や め
SANY1327.JPG
 中国と言えはコピーの生産世界一、何処の国の商品であろうが、其れがどんな物であろうが、客が買いさえすれば何でも造り、市場にばらまくのが得意。
 商標権なんぞ全く無視、売れさえすればどんな厳しい指摘も諸共せずに製造する所、そのな中国今までに世界の有名品をコピーして市場にばらまいた事か。

 兎に角節操がなくやりたい放題、世界から厳しい批判もなんのその、竹の子の如く生み出しては消え、消えては生み出す神出鬼没、反省の欠片もない。
 こんな中国、最近になって世界の目が厳しきなってもので、政府も少しは気にしてジェスチャーで取SANY1328.JPGり締まっているようだが、それほど効果は無くトカゲの尻尾切り。

 その反面、コピー商品は製造しているが、人件費の高騰で此処来てコピーの商品がメッキリ減ったようだが、取締りのせいではなく、製造費が高くなった。
 その為に今まで製造した手造りの商品が姿を消しつつあり、その原因はやっぱり手間賃が急増して、買い手との利害関係に発展、結局今までの値段では製造しないために、注文主も依頼しなくなった。

 この様な現象から、明けだけ沢山のコピー商品が姿を消して、我々の手元にも入らなくなったようで、最近メッキリ見なくなってしまったのは、其のせいである。
 今では写真のような中国製のコピー時計は市場から消えつつあり、更に値段も高くなって気軽に買えないようにSANY1726.JPGなり、更に中国でも製造もしなくなった。

 一頃安くて何千円で買えた物が、10,000円を越すものになり、高くて誰も手を出さなくなって市場から消え去って行ったようだが、需要と供給のバランスが崩れた例。
 確かに以前は価格が安くてコピーでも良いと思っていた人が多かったが、それがエスカレートして本物と見分けがつかなく、そして値段も高いものがあふれ、コピーではなくなったからだと思う。

 遊び心があった時は良かったが、遊びでなくなってしまい、度が過ぎて本物まがいを造り出し、結果は自然淘汰されてしまったようだ。
 コピーはコピーらしくないと面白くないもの、値段も安いものが当たり前。
 
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