2017年07月31日

宝  物

      懐 か し の カ メ ラ



SANY2900.JPG 何時もの事、昔の物を整理していたら、机の奥から懐かしいものが出てきてビックリ、一瞬にして童心に帰り慌てて取り出して、よくよく眺めながら記憶を辿ってみる。

 子供の頃に遊んだ道具は幾つに成っても懐かしいもの、其れを手にした瞬間に子供の頃にタイムスリップするから不思議で、誰しも経験があると思う。

 子供の頃に遊んだ道具は、壊れてしまったり、色あせて捨てられたりして中々残っていない物、しかし其れを見つけて手にした時、それはそれは懐かしいものである。

 その玩具が他人にとってはくだらない物であっても、当人にとっては宝物であり、誰にもとやかく言われたくないもの、たとえそれが石ころであっても同じSANY2906.JPG事、それが本人には宝物である。

 私の子供の頃は、今みたいに玩具が氾濫していなくて、欲しいと思っても手に入ら無い時代、それを今の時代、自分の手で買わなくても親が買い与えてくれ、子供は苦労しなくても、手に入る良い時代である。
 そなん状態で欲しい玩具を手にしても、今の子供は当たり前のように思っている節があり、我々の子供時代とは大違い、何でも手に入る時代のようである。

 簡単に手に入れた品物は、大してありがたくも無く、大切にしようとする事も無いようであるが、何でもかんでも買い与えるのも如何なものかとも思うが、其れも時代かもしれない。

 前置きが長くなってしまったが、私が子供の頃欲しくて、欲しくて中々手に入れられなかった玩具が、机の奥から出てきたので、思わず興奮してしまったが。SANY2908.JPG

 写真の物がそれ、当時の玩具日光写真の機械で、是が欲しくて小遣いを貯めてやっとの事手に入れ、大喜びをしたことを思い出すのである。
 見てとうり、単に紙で出来た単純な物、今思えばそうであるが当時の私にとっては列記とした写真機であり、苦労して手に入れた宝物である。

 この写真機で、アトムや鉄人28号の日光写真をとって、自慢し合っていた時代が思い出され、懐かしくもあり又悲しくもある複雑な思いがするのである。
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2017年07月30日

舶来品

      時計には飾りが


SANY0746.JPG
 日本人は兎に角は舶来物に弱いと決まったものであるが、これは古来よりの因縁めいたものかもしれないと思われ、古墳時代から現在まで延々と受け継がれている。
 明治に入り海外から時計が輸入され益々舶来志向が高まり、病原菌のように一斉に全国に広まり、人々の中に入り込んでしまい、良いも、悪いも、舶来品であれば有り難がるようになる。

 この様な日本人の舶来思考を利用して、古来より類似品が市場に多く出回り、あたかも外国製品であるかのような商品が出来、それを又買い求める人が多くいたようだ。
 現在でもそうであるが、やたらと英語を記入してあたかも外国物と紛らわしくし、消費者に衝動買いさせようとしている商品が多いのも、古来よりの伝統かも知れない。

 明治時代、英語とも、ローマ字とも、読めないSANY0744.JPGローマ字がやたらと多く、特に時計のラベルには分けの分からない文字が多く、当時の人たちは英語であると思っていたようだが。
 振り子室のラベルには、その時計製造会社の名前や所が印刷されているもの、日本で製造している時計であり、日本語で明記すればよいものを、ワザワザ横文字で表す。

 写真の時計は、正に明治を代表する類似品、一見外国製の時計としか思えないが、れっきとした日本製の時計であり、アメリカ製の時計ではない。
 しかし、ラベルにはUSAの表記やアメリカの会社名が明記されており、何処から見てもアメリカ製の時計のようであるが、それこそが日本人の舶来思考を逆手に取った商品である。

 舶来品の雰囲気を漂わせる商品には、明治の人々は簡単に騙されてしまったものであるが、それも海外への憧れであり、一概に罪悪でも無さそうである。SANY0798.JPG
 現実に機械はアメリカ製のものを使用して、外箱を日本で製造し、例えばアンソニアの時計として販売されたものが多い。
 厳密にいえばアンソニアの製造とは言えないが、明治期この手の時計が幅を利かせいてたことも事実、これを偽物とは言えず、アンソニアの時計であることは間違いない。

 国内生産だと解釈すれば現実的であるとも言え、現在でも行われていることを考えれば、現実的であると言える。
 明治期の人々はそれだけ西洋文明に憧れていて事の証、舶来信仰の先駆けでもあったよう、これもまた文明開化の副産物でもあると言えよう。
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2017年07月29日

花  火  

      夏の夜空にひらく花火


SANY2895.JPG 花火は夏の代表的な風物詩、日本各地で此の時期花火大会が模様され、多くの人々がその美しい花火に魅了され、一時の幻想的世界に入り込む。
 花火の特徴は、パット開いて、パッと散るその潔さが又人々の心を揺さぶるのであり、郷愁を誘う風物詩でも、やはり夏は花火である。

 この花火、歴史は古く紀元前3世紀に遡ると言われ、中国が発祥地らしいが、今みたいな花火の姿ではなく、爆竹に近いと言われているらしい。
 そもそも、花火とは火薬であり、当然戦の武器であり、機密保持が当然行われていたし、持ち出しにも厳重に管理され、門外不出の機密事項であった事は当然の事。

 日本に入ってきたのは、種子島に鉄砲が伝来した時と同時であったと言われているが、あの元寇の役後にSANY2889.JPG渡来したとする説もあり、諸説がある。
 現在の花火と同じ様な状態になったのは、江戸に入ってからとされ、大和の国篠原の住人、弥兵衛なる人物が最初に製造したといわれており、1659年(万治2年)江戸両国横山町に住み、宗家花火師「弥兵衛」屋号を鍵屋と称した。

 記録では、鍵屋の弥兵衛、あの両国で花火を揚げた人物、其れ以来現在まで鍵屋は花火屋として創業しており、その弟子が暖簾分けをして貰い、「玉屋」と名乗り花火屋は此の二つで、江戸時代の代表的な花火屋である。
 花火の掛け声は昔から「玉屋」、「鍵屋」と声を掛けるのが常識であったが、その玉屋は自分の店から出火して大火事となり、当然のこと江戸追放となり、残ったのは鍵屋一軒だけになってしまう。
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 一時は分家の「玉屋」の方が本家の「鍵屋」よりも人気があり、川上は玉屋が占め、川下に鍵屋が担当したといわれているが、店からの出火は、当時大罪であったのは当たり前、江戸所払いで済んだのは幸運であった。
 今も続けられている隅田川の花火大会は、7代将軍吉宗が始めたとされ、それ以来江戸の花火と言えば隅田川と言われるようになり、現在まで続けられている。
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2017年07月28日

時計の図柄

      幕末にも流行は確実に存在する。
さらだ.jpg

 何時の時代にも流行はあるもので、流行の物をすかさず取り入れて商品を販売するのは、やっぱり商人の腕によるものであるが、それをデザインする物も存在する。
 流行を何に取り入れるかは、そのセンスによるとこるが大きく作用するのは当たり前で、腕の良し悪しが即販売に繋がり、売れ行きが早いかどうか決まってしまう。

 幕末の頃、時計も1つの流行りものであり、錦絵から色々な物に登場するが、此処に上げた物は実用品であるが、実際にどんな人が注文したかは不明で、皿のみが知る。
 写真の皿は、五寸(15センチ)皿で、実用には1番使いやすい皿、この皿に和時計の文字盤を取り入れた、斬新なデザインになっているが、今見た目には何処と無く不釣合いのような感じがする。

 真ん中に、和時計の文字盤を配し其の周りに、日本の孟宗竹と思われる竹を配している図柄、竹と時計との関係は不明であるが、時計は当時の流行であったから、単に真ん中に配置したxo.jpgだけなのか、それとも何らかの意味があって孟宗竹と結合させたのか。
 現代でも、何の関係のないのに流行の物と合体させてあるものが多いから、之も其れと同じで意味はないのかも知れたないが、当時は斬新なデザインであったと推測される。

 この皿、縁に起の良い竹図柄、裏側には鳳凰が三羽配置され高級感を出している。
 使い勝手の良い大きさで、料理を乗せるのにはうってつけの大きさ、当時は良く使われた皿である。
 実用的なものにも流行を取り入れているあたり、陶器職人のセンスの良さが伺える一皿でもある。
 (幕末、伊万里焼五寸皿)
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2017年07月27日

おみやげ

      知らないで



 SANY3282.JPG旅に出た人からのお土産は嬉しいもの、それがどんな物でも有り難いものであり、自分の事を思っていてくれる証しでもあるが、其れよりも心使いがうれしい。
 誰もが経験するものだが、旅に出ると何がしかの土産を買いたくなるのも人の常、行き先々で目に入るものが土産物として見えてくるのも旅。

 それが近いか遠いかは問題でなく、日帰りであろうが旅に出れば買いたくなるもの、これは日本人特有のもではないと思うが、ヤッパリ誰しも買いたくなる。
 それも1つではない事、年配のおばさまにいたっては行く先々で買い物、どれだけ買えば気が済むのかと思うほど、その人が特別ではなく、ほかのおばさまも同じ行動。

 何は兎も角、土産物を次から次へと買いあさるが、それが又楽しみの1つであることは察しがつく、しかしあれだけ買い込んでどうするのかと、此方が心配する始末。

 さて写真のカップ、私の娘が旅の土産として買ってきたもの、別に彼女はこの商品がどの様な物かは知らず、アンティークショップのおばさんに勧められたらしい。
 SANY3284.JPGSANY3285.JPG外国へ行くと土産は買わなければと云う心理が働くもの、娘もその類であるが、このカップが古くて有名な物とは知らずに買い込んだもの、安かったから買ったらしい。

 写真はヘレンドのカップ、それも80年は経っていると思われ、傷はなく程度の良いもの、本人は有名な物とも知らず、安くて土産になるからと買い込だよし。
 怪我の功名とでも云える買い物、私に褒められてから、やっとこのカップが有名なヘレンドのカップと知ったのだが、知らずに買い込んだから安く買えたのかも知れない。
 同時期で人気のマイセンのカップと同じ様な花の図柄、マイセンはピンクローズの柄であるが、これは違う柄、しかし良く似たムードのあるカップである。
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2017年07月26日

ウイスキーボトル

      くたびれもうけ 


SANY1729.JPG よくある話、遥々海外から運んできたのに、あけてビックリ里帰り品とは情けない事になったしまった。
 私は前から、イギリスの「スコッチウイスキー」の陶器のボトルが欲しくて、あちこち探したが気に入った物がなくてそのままになっていた。
 10年位前にイギリスの田舎でこのボトルを見つけ、早速買い入れ中身は現地で試飲してしまいボトルだけ持って帰った。

 スコッチウイスキーのボトルは数々あるが、陶器の気にいった物が無く、何時も帰りの空港で探しまわったものだ。
 友人が「中身さえ良ければ外の器等どうでも良いのと違うのか」と、そっけなく私の顔を見て呟いていた。
 確かに、彼の言う通りかもしれないが、そこが拘りで何でも良くは無いのだ、陶器のSANY1734.JPGしかもイギリスらしいものが欲しいのだから。

 酒など飲んでしまえば、外身は何の価値も無い物であると、友人は掃き捨てるように云うが、私にとってはボトルを見て、如何にもイギリスと分かる物が欲しくて、探しているのにケシカラン事をいう。
 呑んべいは酒さえ飲めれば器等どうでも良いかも知れないが、私にとっては大事な事。

 イギリスらしさとは、バグパイプを持ったおじさんの姿をしたウイスキーボトル、これを前から欲しくて探していたのに、ケチをつけるとはやはりケシカラン。
 そんなやり取りをしてイギリスから持ち帰ってきたが、後日瀬戸の廉売市で偶然同じボトルを見つけ、「このボトルを何故ここで販売しているのか」と尋SANY1738.JPGねてみた。

 すると思いがけない言葉が返ってきたのでビックリ、「これは30年位前に瀬戸で造られ、イギリスに輸出した物だから」と意外な返事だ。
 最近問屋が倒産して在庫から見つかった物を買い取り販売しているとの事、またまたビックリあれだけ探し回ったものが、地元瀬戸で製造された物であるとは。
 今までの苦労は何であったのか、情けないやら、可笑しいやら、「灯台もと暗し」とはよく言ったものだ。
 右の写真の陶器のボトル、瀬戸からイギリスに輸出され、再び瀬戸に舞い戻ってきたウイスキーボトルである。
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2017年07月25日

遊び心

       無機質にあらず 

 
 SANY4747.JPG時計の機械は歯車の集合体であり、規則正しくリズミカルに動くもの、与えられた使命は、時を刻む為に絶えず働き続け正確に刻む事である。

 歯車の一つ一つは何の意識も持たず、与えられた方向に逆らわず、絶えず前に進む事を良しとして、前にしか進めないのであり、休もうとしても休めない。

 自分の意思ではどうにもならなく、後ろから急き立てられ、体が擦り切れるまで止まることを許可されないが、時には例外があり機動部の故障時は意思に反してとまる事を許される。

 それが歯車に与えられた一生であり、他の歯車の迷惑にならないように、務めなければならない使命を持たされ、他の歯車に急き立てられ回り続けるのである。SANY4453.JPG

 人間の様に表現するとこうなるかもしれないが、歯車に意思がない為、彼等は何とも思っていないのが現実であり、見ている我々の生活と同じように感じるのは、少し違っているかもしれない。

 時計と言うのは、機械であり人間味など持たされていないものが大半であるが、時には人間味溢れる時計も存在していて、私たちと意思が通うかのような時計も存在する。

 江戸時代の時計師たちは機械である時計を、時として人間味溢れる物を数多く作り出してきたが、明治以後西洋時計の無機質な機械を真似る事のみに専念したお陰で、人間味のあるものを作り出さなかった。

 江戸の職人たちの作った時計は、遊び心がいっぱいDSCN1390.JPGであり、見ていても機械もいかにも楽しそうに働いて、人間臭さがにじみ出ているのは何故であろうか。

 やはり、真似をするだけではその境地には慣れないだろうし、生み出す事もしないであろうと思われたが、明治末期頃になると又遊び心のある機械が出現する。

 もともと日本の西洋時計はアメリカ製のコピー、忠実に再現していた時期が過ぎ、日本独自の西洋時計が生み出されて行くことになる。

 そこには和洋折衷を取り入れ、伝統技術をふんだんに使ったものが生み出され、職人の技術の結晶とも言えるもの。

 写真の時計は、明治末に造られた時計の心臓部であるが、其処には無機質なものは見えず、人間味溢れる遊び心が出ている時計が造られた。
 無機質さを避け遊び心をふんだんに取り入れた機械を造り、みているものに楽しさを与えるものを生み出した。



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2017年07月24日

骨董市場潜入2

   何処から集まる


 
DSCN1851.JPG 骨董市場にはあらゆるものが集まって来るが、何処からこれだけの物がやって来るのか不思議でならない。
 それも数々のものが集まって来るからだが、出所は何処なのかやっぱり気になるところ、何しろ荷物が多いから。

 それにしても古いものから、新しいものまで良くもまあ集めて来たものだと感心するが、全部人の手で集めたもの。
 買い出しやと言われる人達によって、これらのものが集められるが、それをどのように見つけるのか。

 勿論彼らにとってはそれが商売、だSANY1974.JPGから肝心な出所は明かせない、秘密であって当然の事だ。
 人より先に情報を得て、秘密の場所に行かなければ、良いものは買えないので、出た場所を明かさないのだ。
 自分のテリトリーを他人に明かすはずがなく、秘密であるのも当たり前、しかしよく集めるものだ。

 市場は定期的に毎月行われるから、その日までに集めてこなければならないから、大変な作業だと思う。
 面白いのは集めて来るものが大体分かれると言われ、人によって得意部門があるらしい。
 得手不得手とも言うが、専門の業者であったも、そこは全部を把握できず、得意分野が存在するのだ。

 何故ならばその物を詳しく知らないと、幾らで買い込んで良いSANY1967.JPGものなのか、値段が分からないので、当然詳しくなるのだ。
 それが専門分野、知らないものを高く買い込んで来ては商売にならない、だからより詳しくないと商売にならない。

 しかし骨董全般を把握するのは難しく、まして専門的になれば奥が深くて、生半可な知識では判断できないのだ。
 その為に専門分野が自然に分かれて行くことになり、部門部門で専門的な知識を持った人が出来るわけである。

 そんな人たちが全国から集まって来るのもこの市場、だから品物は多くて、何処から集まって来るのかと驚くことも。

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2017年07月23日

特 許

      明治の日本は特許に疎い


SANY0290.JPG
 今節電、節電とやかましく言われ、やっと電気のあり難さが身にしみた近頃、電気がなければ何も出来ない時代になってしまったようであり、空気みたいな存在でもある。
 しかし、電気の有り難味は無くなって見ると良く分かり、それほど現代は電気に依存しているが、100前の日本はまだ電気が入ったばかりであった。

 電気と言うより電灯、それまでの日本は蝋燭の明かりで生活してきたので、電灯が生活の中に入ってきた時の驚きは想像でき、その明るさに驚いた。
 しかもその電灯が日本の竹で出来ているとは、驚きであったようで何故あんなに明るく灯るのか、不SANY2860.JPG思議の連続であったが、それも束の間直ぐに慣れてしまったようだ。

 人間と言う動物は適応性の高い動物でもあるらしく、次々と進化してゆくのに適合してゆくが、その分有り難味も半減してゆくらしく、直ぐに忘れてしまうらしい。
 白熱球の発明者、トーマス、エジソン(アメリカ)1879年10月21日、日本の京都の竹を素材として白熱球を発明、世界最初の電灯を作ることに成功する。

 そのエジソンが白熱球を発明して100年を記念して白熱球が再現され、市場に売りに出されたが実は日本のメーカーによる復刻版である。
 写真はその復刻版の白熱球、パッケージにはトーマス、エジソンの銅像が入り、手には自分で発明した電SANY2855.JPG灯を持った写真がプリントされている。

 バルーン型の独特のスタイル、フィラメントには竹ではなく、カーボンが使用されているが当時と同じスタイルの懐かしい白熱球、実際に使用でき、1000時間以上の耐久性を誇る。
 こんな電気で昔を演出するのも如何でしょうか、明治の明るさを体験してみたら、当時の人々を思い起こすことが出来るかもしれない。
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2017年07月22日

瀬戸の陶工

      絵師でもあった


 SANY4188.JPG1200年の歴史を持つ瀬戸物の町瀬戸、日本の六古窯のなかの1つ、日本で1番早く釉薬を使った陶器を製造した処、最新の陶器を製造した。
 全国的に陶器の事を「瀬戸物」呼ぶ、これは瀬戸の陶器が日本中に行き届いていた事のあらわれ、「瀬戸物」として全国的に親しまれた事の証し。

 江戸時代に入り、様々な器が作られたが、その中には当時の流行を取り入れた焼き物が、特に石皿と称せられる器には、役者絵や風景が、ハタマタ時の野菜や動物などが、面白く描かれていた。
 これ等の絵は、陶工たちが長年の修業のうちに覚えたもの、職人としての技量としての範囲であったもの、軽快な筆さばきで流行の図柄を描いたのだ。

 江戸時代末期頃になると、瀬戸の磁器が隆盛を極め、より高度な絵付けが要求さSANY4158.JPGれ、磁器の白さに打ち勝つ絵が求められるようになると、江戸から絵師を招き、本格的な絵学ぶ事になる。
 職人としての絵ではなく、日本画の絵としての技量をみにつけ、磁器に絵付けをして市場の要求に答えようと努力、その結果職人達の腕は向上するに至る。

 写真の掛け軸の絵、江戸末期の陶工が描いたもの、其れまでの職人絵ではなく、日本画を学んだ成果を発揮したもの、瀬戸物職人であっても、絵の素養は一流の範囲に達していたと思われ。

 彼ら職人が如何に日本画の素養を極め、一般食器にもその腕を発揮して、絵付けに望んでいた事が伺えるもの、絵師の描いたものと比べ、日常生活の中から生み出された絵であると思う。SANY4162.JPG
 然しながら彼らは日夜絵の素養に専念していたようで、単なる職人の範囲ではなく、自分の力量を向上されるためだ。
 軸先には、瀬戸の染付けで描かれた、磁器製の軸先が付けられており、品のある素朴な掛け軸として仕上がったもの、旧家に伝わった一品。













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2017年07月21日

ブリキの缶

      デザインが豊富

 
SANY3132.JPGブリキの缶、今は余り見かけなくなってしまったが、少し前まではブリキの缶が全盛であったもの、クッキーや西洋菓子にはブリキの缶が良く似合っていた。

 明治に入ってから西洋から多くのブリキの缶が流入、その美しいデザインで当時の人達は目を見張った物だ、様々な色を使った缶に人々は魅せられたしまう。

 今まで見たことの無いような美しい缶、カラフルな色、そして丈夫な缶、今までに日本ではなかったもの、安くて丈夫な缶に皆が虜になったのも無理は無い。
 その後日本でもブリキの缶が製造されるようになり、市場に多く出回る事となり、便利な入れ物として人々に重宝され、その用途は無限大に広がっていった。
SANY3125.JPG
 今回紹介する物はレコードの針を入れるケース、このブリキカンは種類が色々とあり、メーカーによっても違ったものが存在するので、愛好家にとっては蒐集の対象となっているもの。

 中に入っているレコードの針入りを集めている方も居られるが、殆どは空き缶が主体、この入れ物は大きさが小さなために数多く集めてもかさばらず、コレクションとしては集めやすい物。

 一貫してメーカー物を集めている人や、外国製の物だけを集めている人など、焦点を絞って収集されているようで、種類も沢山あるので楽しく集められる。

 時代的には明治、大正の物の方が色使いが面白いものが有り、昭和に入ってからは余り面白いものSANY4043.JPGは少ないようだが、それは人により対象物が違うため、一概には言えないが。

 コレクションとしては、案外簡単に集まるので、短期間に蒐集できるが、何の場合でも同じ事であるが、凝り出すと切が無く、無限大に広がる恐れもある。
 色使いや形の面白さを求めて、愛好家はレコード針の缶を求めて、今日もあちらこちらに出没しているかも、楽しく集めるのが1番良いと思う。
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2017年07月20日

骨董市場潜入

   兎に角面白い


SANY2148.JPG 市場に出る前のもの、業者専用の市場、普通の人は入れないが、お願いすれば入れてくれる場合もある。
 ただし見学するだけで、物を買う事は出来ないから、見るだけであるが、これがとても新鮮で楽しいもの。

 見ているだけで色々と連想してしまう、誰がこれを買い求めるのか、値段は幾らくらいなのかと。
 そんな事を頭で描いてみると、段々と空想の世界に入り込む、もし自分が買うとしたらこれ位かなとか。

 兎に角品数が多いから、何処から見てよいものなのか、ウロウロするのも素人、そんな姿をしり目にプロは真剣。
SANY2140.JPG 自分たちの利益が掛かっているから、我々素人は邪魔な存在、そんな者がウロウロされたらいら立つ事に。
 だから入場禁止、当たり前の事であるが、其れだから見学したいと思うのは私だけではないと思う。

 勿論古時計が出ているのかと、期待して見学に入るのだが、やっぱり目移りがして集中できない。
 向こうの方が良いものがあるのではと、今目の前にあるものが真剣に見れず、先のものが気になるのだ。

 しかしプロはそこが違う、真っ先に自分の求めようとするものを探し出し、そこに直行するのだ。
 どうしてそんな行動が出来のものなのか、それは今までのSANY2142.JPG経験がものをいうので、何処に大体目指すものが置いてあるのか知り尽くしている。
 だからウロウロはしなくて、人よりも早くものに直進、素早く手に取り値踏みをしているのだ。

 そんな姿を見ていると、やはりここは戦場であると、つくづくと思う、我々素人の織場はないのだ。
 されとて見たいと思うは私だけではないと思う、その上目の前に良いものが置いてあれば尚更の事、ドキドキするのも骨董市場。

 ここから良いものが市場に出て行くと思うと、その行き先が気になって、気になって仕方がないのだ。
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2017年07月19日

音が命

      他より少し違う


 SANY2949.JPG私もコーヒが好きで一日に6、7杯は飲まないと何だか落着かないが、飲まなければ飲まないで過ごせると思っていても、やっぱり飲まずには居られない。
 コヒーの好きな人も多いと思うから、此の気持ち分かってもらえるであろか、一時期はコヒーの飲みすぎは、体に良くないといわれた時期もあったが、何時の間にか消えてしまったようだ。

 最近はポルフェノールがコヒーに良く含まれているから、今度は体に良いと以前とは全く逆な事が言われ、ドチラが正しいのか判断に迷ってしまう。
 そんな論議はどうでも良いが、コヒーはゆったりとした気持ちで飲みたいもので、1番良いのはアンティークな雰囲気の喫茶店が良く、そこで美味しいコヒーを飲むのがベストである。

 愛知県春日井市のJR春日井駅の前にある「喫茶ひSANY2938.JPGまわり」、ここはわたしが30数年通っている店、玄関を入ると正面上部に巨大なスピーカーが目に入ってくる。
 此処のマスター拘りのオオディオ、1.2メートル四方のデッカイスピーカー、普段は小さな音でBGMを流しているので、常連客でも此のスピーカーから流れてくるとは思っていない。

 有線放送であるとしか思わず、駅前であり「おば様から若者」まで店に入ってくるが、「10人中、1人り」がきずく位に、このオ−ディオを知ず、しかしマニアにとっては高嶺の花である代物だと言う。
 アメリカ製「JBL」のスピーカー、このメーカーのものはドライバーがかるく高効率であり、ホーンドライバーの初動特性と音場表現能力が優れているとのことで、プロのスタジオや映画館で使用されている物。
SANY2943.JPG
 客が居ない時、マスターに頼べば快く大音響でジャズを演奏してくれ、マスター自慢のスピーカから心地良い音が流れ、流石JBLのスピーカー窓枠を響かせて聞こえてくる。
 そんな状況の中コヒーを飲むのが至福の時、他の店では絶対に味わえない音楽と雰囲気を満喫できるが、余りの音の大きさであり常時聞くことは出来ないのが残念である。
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2017年07月18日

好きずき

      時計の形

SANY3375.JPG 一般的に時計の形と云われれば八角と答えるのが普通、日本人の何人かに同じ質問をしても、多分同じ答えが返ってくると思われる。
 我々日本人にとって1番馴染みの時計の形は八角、時計と言えば八角型と脳裏に刷り込まれているよう、それが時計のイメージだと思う。

 ではこのイメージは何処から来ているのだろうか、それを知りたくなるのは誰しも当たり前の事だが、そんなに難しいものでもないのも、この問題である。
 日本に時計が一気に流入してくるのは明治初期、ではその時代にどんな時計が入って来たかを調べれば、答えはそんなに難しくないと思われる。

 この時代の大半はボンボン時計と言われる掛時計あり、それも殆どが八角型の時計、その時計が明治時代に各家庭に入り込んでいた。SANY3376.JPG
 一家に一台の時計は殆どが八角型の掛時計になったようで、これが現代まで時計は八角と刷り込まれた原因の1つに、1番見慣れた時計の形が八角型であった。

 その時計、今でも根強い人気を誇っており、デザインにも多く取り入れられているが、これもその1つの例で、ドチラの時計のデザインが好きかは個人の主観。
 左のデザインは本物に忠実にイラストしてあり、右は少し抽象化してあるデザイン、見た目には同じ様に見えても、細部的には大きく違うものだ。

 自分好みのデザインがあれば、コヒーを入れたり、お茶を入れたりして好きなように飲むのも良い、趣味とはそうしたもの、画一されたものではないのだと思う。SANY3377.JPG
 さてさてドチラの時計のデザインがお好みであろうか、現代人にも時計の形はそれがスタンダードと思われているのも、長い歴史がなせる業でもある。

 しかしそれも若い人たちには感じないと言う、何故ならば彼らは八角型の時計を見慣れていないから。
 体の中に刷り込まれてはいないから、時計を八角とは認識していないようだ。
 時代が変われば人の思いも変わる、これも極自然の事かもしれないと思える。




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2017年07月17日

苦労の品物

      面白い時計

SANY0127.JPG
 時計とは時間を奏でるもの、当然時間は正確に時を告げなければ、時計としての使命を果たさないもの、時計とはその様な使命を持っている。
 時間が正確でない時計は時計ではないと言い切る人も、其れはそれで仕方が無いかもしれない事実だ、時間が正確であっての時計だ。

 全くそれには異存はないが、時計としての使命もさる事ながら、生活の中に溶け込んでこそ時計ではないだろうか、一秒たりとも狂ってはならない生活では持たない。
 多少の遅れは時としてあっても良いもの、秒単位に生活していては人間疲れてしまう、やはりゆとりも必要ではないか。

 そんなゆとりのある時計がこれ、野球のボウル状の時計、野球ファンには堪えられない時計、正に野球のボール、アンチ製の時計だ。
 殆ど野球ボール現物の大きさの時計、真っ黒い本体は落ち着きを見せているが、何処SANY0144.JPGと無く面白そうな時計、そのまま握って投げたくなるような時計だ。
 マスコット的な時計であると思うが、実際には置時計として実用向きな時計、しかし本体が黒くて針まで黒いので、時間を見るのはに余り適していないもの。

 ヤッパリあくまでもマスコット的な扱いで良いと思うが、この時計意外と難しい時計でもあり、何が難しいかと思えば、球体の中に機械を入れるからだ。
 簡単に入ると思っていたが、実はそんなに簡単な事ではないらしいのだ、その理由は球体だからスペースが小さくなるらしい。

 素人目には球体だから機械を入れるのも簡単かと思うが、そうでもないらしく、写真を見ると其れが分かってもらえるかも。
 球体が故に指針を長くしなければならない事、四角とか長方形とかは直線であり指針の軸も短くて済むが、これはそう言う訳には行かない。SANY0137.JPGSANY0130.JPG
 そして機械を置くには中央部分の1番大きな所しかないから、此処に固定しても前後は空洞、鍵を巻くのも長くしないと巻けないのだ。

 指針は球体に合わせてカーブを持たせないと、指針同士がぶつかり合い、時計が止まる事になるから、これも直線でないデメリットである。
 外形からはさほど難しくないと思われる時計も、実際は見た目以上に苦労して造られている事が分かり、時計製造も簡単ではないと思う。
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2017年07月16日

新旧のねこ

   磁器の招き猫


 
 SANY2283.JPG人気の招き猫、相変わらず磁器の招き猫は元気、一時影を潜めたと言われていたが、どっこい根強い人気だ。
 ヒート気味の時期は過ぎているようだが、根強い人気を保っているのは確か、出ればすぐに売れてしまう。
 それも磁器の招き猫でなくてはならず、土物の招き猫は足が遅いと言われ、やっぱり磁器物が良い。

 磁器物の招き猫は古くても綺麗で、土物の招き猫は磁器には劣り、汚れが目立つために人気が今一つ。
 郷土玩具愛好家には人気であるが、一般の人たちはやはり磁器物でないと手を出さないと言われる。
 それは埃が付いても拭けば落ちる事、土物の招き猫は汚れれば拭き取る事は出来ず、汚いままである。

 そんな訳で磁器物の招き猫が足は速く、愛好家に求められ、市場からすぐに姿を消すことになる。
 磁器物の招き猫、実は面白い現象が現われていると言われ、男SANY2289.JPG性と女性では求めるのが違うと言うのだ。
 話をよく聞くと、同じ磁器で出来ている招き猫でも、古い招き猫と新しい招き猫に分かれると言うもの。

 男性の愛好家は勿論古い招き猫を求めたがるが、女性の愛好家は逆に新しい招き猫を求めると言う。
 男と女では求めているものが違うのか、古いものを求めている男性は顔が厳ついものを、反して女性は優しいものを求めている。

 つまり招き猫の顔、この顔の良し悪しで人気が分かれていると言うのだが、果たしてそれは本当なのか。
 私も招き猫を展示しているから、少しは現実が分かっており、女性客はやっぱり優しい顔の招き猫を好きなようだ。

 そしてもう一つの要因は綺麗な事、つまり新しい磁器製招き猫は優しい顔と綺麗であるDSCN1916.JPGから、女性客が求めるのだ。
 幾ら古くても汚いものは女性客には不人気、多少は新しくとも綺麗で優しい顔の招き猫の方が好きである。

 同じ磁器製の招き猫でも、買い求める人が違うと言う事、新しいから売れないと思っている古いタイプの骨董屋さん、女性客は違うものを求めているので、考えを新たにしないと女性客を逃してしまう。
 これも時代の流れであるようで、招き猫の世界は日々刻々と変化を遂げていると言う事らしく、まだまだ進化すると思われる。
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2017年07月15日

ブランディー

      悪酔いしない

SANY2460.JPG 二日酔い、酒飲みにとっては良くある出来事、ツイツイ飲み過ぎて明くる日まで酒が残り、結局は頭痛の種になってしまうが、本来は悪酔いしない飲み物がブランディー。
 私は何故かしら蒸留酒でなければ悪酔いするが、決して沢山飲んでしまうからではなく、体が受け付けないようで、蒸留酒を飲む事しかしない。

 日本酒だとグラス半分程度でダウン、しかしウイスキーやブランディーとなると話は別、友人が何時も「何でアルコールの低い日本酒で酔うのに、ウイスキーはそんなに飲めるのか」と何時も言う。
 確かにその通りで、ウスイキーであればボトル半分は普通、調子が良ければボトルを空ける事もするので、仲間からは不思議な男とも呼ばれている。

 知らない人は日本酒であんなに弱い人がSANY2654.JPG、酒SANY2653.JPGが代われば別人のように飲む私を見て、信じられないと言う顔を、しかし別に私にとっては日常の事。
 蒸留酒が体にあっている事だけは確かなようで、ブランディーなら尚更強い、其れを知らない人が私と付き合ってブランディーを飲み、ダウンしてしまった事も。
SANY2463.JPG
 その人にしてみれば日本酒で弱いから、ブランディーなら尚更弱いと思うが、結果は自分よりもダントツで強かった事を後で知り、あんたは詐欺師みたいな体だと云う。

 そんな、お褒めの言葉を頂いても迷惑、しかし人が言う事は事実で、私とウイスキーを飲む時は、皆気を付けるようになってしまったが、だからと言って皆から警戒されているのではない。
 私の大好きなブランディーボトル、正しくはナポレオンそのもの、このボトルも欲しくて手に入れたのも、中身は美味しく頂いて、ボトルはコレクションになっている。
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2017年07月14日

個性的であれ

      良く似た形の時計が



 DSCN1834.JPG古時計を蒐集していると、同じ形の時計を幾つも出会う時があるが、メーカーが違っていたり外国製であったりして、時々迷うことがあり、果たしてこの時計は大丈夫であろうかと、不安になる時がある。
 愛好家ならこんな経験をしたことは何度かあると思うが、そんな時は迷わずその時計を購入する事をお勧め、何故ならば同じ時計の形をしていても、作られた年代が違っていたり、同じメーカーの物でも良く見ると、違っていたりするからである。

 例えば、八角合長花ボタン鋲打ちの同じメーカーの時計でも、花ボタンのプレス型により、形が少しずつ変わっていたりするし、良く見ると形は良く似ていても、違っていたりする事があるから。
 少し、玄人向けにはなるが、同じ形の時計を文字盤のインチ違いで、全種類集めている人もおり、その人に言わせると、微妙に違う物を何種類も集めてこそ、SANY1286.JPG真の蒐集家と言えるのではないのかと。

 つまり、時計を蒐集するのに、1つの方向性を持ってやらなければ、その道の頂点には立てないと、云わば真の蒐集家たるプライドであるとも云われるのである。
 確かに言われてみれば其の通りで、人の後を追っかけて同じ物を集めてみても、人と同じで個性がないもので、蒐集も直ぐに行き着いてしまうのではないのかとも思う。
 しかし頂点に立つためにするのではなく、蒐集とは楽しみたいものだ。

 八角の時計ばかり集めている人を、人は「八角の同じ物を集めて何が楽しいのか」と言う人も居るが、本人に言わせると「玄人であれば違いが分かるはず、其れの分からない者はヒヨコである」と、どちらの言い分が正しいかは別にして、考え方が違ってこそ人であると思う。SANY1188.JPG
 人のコピーは止めにして、自分なりの時計蒐集を心がけて欲しいもの、個性あっての蒐集であると私も思うものであるから、やはり自分でその道を切り開くほかはないと思う。

 その点においても、この時計もその1つ、形こそ良く似た時計はあるが6インチ文字盤の時計は極めて珍しく、私が古時計を蒐集してから中々手にはいらない、最近では中々お目にもかからない珍しい時計である。
 珍しい時計ばかり求めなくても、自分なりの目標を持つことが大切と思う。
 文字盤6インチだけのものをゆっくりと集めるのも一つ、焦って無理しないこと、楽しんで頑張って欲しいもの。











 
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2017年07月13日

かわいい

      おまもりです


 SANY2753.JPG誰にでも何かにすがりたい時があるはず、そんな時はどんなに小さなものでも、心が安らぐし慰められ、それで気が済むことが多いのではないか。
 人は1人では生きてゆけないもの、誰かの助けが無ければ生きては行けず、又其れに気ずく時は疲れているときが多い、心と言うものは繊細なものである。

 等と分かったような事を言っているが、実際は誰でも悟っていないもの、人間とは都合の良い動物、自分が困っているときなどは助けてほしいが、困っていないときはうっとうしがる。
 人には他人に干渉して欲しくないと、自己中心になるのも又事実、別に宗教心とか言う大それたものではなく、心の疲れを癒して欲しいだけの事である。
SANY2749.JPG
 そんな人には打って付けの品物が、小さな地蔵さんが其れ、高さは2センチソコソコだが先ず見て可愛い、小さい物であるが何とも言えない雰囲気を持っており、見たとたんに顔がほころぶ。

 下から上に向けて顔を上げ、少しきつい目の顔をしているが、其の表情は実に穏やか、見ていて可愛らしさにニッコリ、こんな小さなお地蔵さんだが、強い力を持っていそう。

 お土産品であるかのようであるが、実際はハッキリしない物、子供が貰ってきたようで、我家の飾り棚に鎮座しているので、毎日顔を合わせるが、合わせる度に自然にニッコリとなるのは不思議だ。
SANY2746.JPG
 大きさに関係なく、其のものの持っている力は大小に関係なく、持って生まれた力なのかも知れず、小さくて可愛いがゆえに、尚更心が和むようである。
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2017年07月12日

磁石

      流行の最先端

SANY1241.JPG
 明治時代に入り流行したのが懐中時計、西洋文化の流入により日本の生活は一気に変わり、西洋かぶれが流行する事になる。
 長く和服を着ていた日本人、文明開化の流れに乗って洋服が流行、一気に西洋化が進む事に、そして洋服が次第に庶民の中にも入り込むことに。

 その頃から懐中時計が持て囃されるようになり、スティータスのシンボルとして懐中時計が流行、洋服のホケットからチラリと覗く金時計、之こそ憧れでもあった。
 はじめこそ特権階級のものであった懐中時計も、庶民の金持ちにも受け止められ、一気に流行する事になるが、其れに伴い鎖や装飾品もまた取り入れられる。

 懐中時計と鎖、この両者はセットであり、SANY1245.JPGポケットから覗く最中時計の鎖も最大のお洒落、その鎖に付く装飾品が磁石、日本人には根付と呼ばれる装飾品が流行、その根付と良く似たものが磁石であった。
 鎖と磁石は殆どセットのようにして取り入れられ、懐中時計の必需品として広く発達して行き、その種類は多く人々の好みによって取り入れられたようだ。

 初めは西洋物が主流であったようだが、直ぐに日本製の磁石の登場により、一気にその幅が広がる事なると共に、日本古来の図柄が登場する。
 これも根付文化の影響が強く反映したもの、根付で培われた技術と図案、それが磁石にも反映して、西洋物ではなく日本的な磁石が全盛を迎える。
SANY3721.JPG
 その磁石の種類も当然の事数多くのものが作られ、人々の好みに答えるように製造され、市場へと送り出されて行く、写真の磁石も西洋ものと日本のものとが渾然一体となり、市場に出回る。

 写真の右の物は西洋から入ってきた磁石、左の2つは日本で製造された磁石、西洋から学んだ技術を生かして、日本的なものを製造したことが伺えるものだ。
 西洋ものは手の込んだ細工が施された高級品、裏側には七宝が施されており、高級感のある物となったいる。












まままま

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