2017年08月31日

写真で見る明治

      当時の最新流行


 SANY6663_1.JPG明治時代の時計店内部の写真を見る機会が少ないと思いますし、どんな時計が展示してあったのかも非常に興味があるところと思います。
 色々なカタログも存在しますが、店内の時計類が多く見られる写真は限られていて、あったとしても余り多くの時計が写って無いものが多い。

 そんな中、今回の写真は多くの時計が写っていて、しかも興味のあるものが多く写っているもの、良く論議が出るものに、当時輸入された時計類がどのような形で売られていたか興味が尽きない。

 明治時代の時計は高価なもの、特に輸入された舶来物と呼ばれる時計、普通の八角型時計の5倍から7倍、八角の時計が3円に対して、舶来物の時計の金額は安いものでも15円程、スリゲル型の高級機になると30円もした。

 その様な時計を販売している店舗は当時そんなに多くは無く、限られた店でしか販売していなかったようで、地方都市の時計屋は東京や横浜から取り寄せていた。
 都市の時計屋でもスリゲル型の高級機を扱う店はやっぱり多くなく、其れを販売している時計店は老舗の時計屋か、あるいは一流店であった。

 今回の写真も京都家邊徳商店の明治時代の店内写真、現在もこの当時と同じ建物で営業している時計店、全国的に見てもSANY6658.JPGこのような当時の姿で営業している所は無い。
 国の有形文化財にも指定された時計店、写真で見ても当時のドイツ物、小型のスリゲル時計や大型のスリゲル型の時計が壁一杯にかかっている。

 今見ても欲しい時計が一杯あり、時計愛好家なら喉から手が出そうな雰囲気、これだけの高級器を揃えていたのだから、家邊徳商店は金持ち相手の老舗でもあったようだ。
 下の写真はどの時計店のものか判明していない物、この時計店も壁一面に時計が掛けられており、更に時計以外の蓄音機等も姿が見える。

 時計だけではなく、舶来品も販売していた大きな時計店と思われるが、場所や名前等は分からないもの、しかしこれだけの店となると、やっぱり東京の時計店かもしれない。
 それにしても、明治期にこれだけの高級な時計を仕入れていたとは、驚くのは当時如何に海外の舶来物を求めた日本人が多く存在していたことだ。
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2017年08月30日

連絡事項

   来る9月10日浜松ミーティングを開催します。

   場所、浜松市東区小池町2543−4
      NKトレーディング事務所

   連絡先、053−465−3666

   時間、 11時30分開始

   会費、 1500円 昼食を含む

   尚当日はオークションを開催いたします、参加ください。


   日本古時計保存協会  事 務 局  
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2017年08月29日

ロボット

      少 年 の 憧 れ


SANY3426.JPG 子供の頃、雑誌「少年」、「マガジン」などに乗っていた漫画、その中にはSF物も多くあったが、その中に出てくるロボット、アトムや鉄人28号などのロボットよりも少し古いロボット。

 アトムや鉄人は高性能でより強く、人間味から少し離れているようであり、それより古いロボットの方が楽しめ、それでいて何処と無く「ノロマ」なロボット。

 そんなロボットに引かれてブリキのロボットを集めた事もあったが、今はアトムと鉄人と他1台になってしまい、やっぱり寂しくなり欲しいと思うようになった。

 そんな折に骨董屋で見つけたのが陶器のロボット、何気なしに持ってみたら軽い、その上実に良くロボッSANY3429.JPGトの風合いを出しているのに気がつきツイツイ買い込んでしまった。

 店の親父に何時ごろのものなのか質問したが、逆に「之は瀬戸で作られたものだから、あんたの方が知っているはず」とこれまた手厳しい言葉であった。

 しかし、私はこのロボットが何時ごろ瀬戸で製造されていたのか全く知らず、後日調べる事にしてロボットを家に持ち帰り、ブリキのロボットの横に置いてみた。
 陶器だからブリキのロボットと合わないと思いきや、これがしっくりと同居するではないか、銀色に光る陶器のロボット、実際のブリキのロボットでは銀色のものは無く、もっと落着いた色のロボットである。

 しかし、陶器で製造されているから、中々あの燻しSANY3434.JPG銀の輝きのロボットと比較する方がおかしい、このロボットは之でよいのでだと、余りリアルでは逆におかしいのかと思える。
 今では、ブリキのロボットよりも陶器のロボットの方が珍しく、其れ以来陶器のロボットにめぐり合ってはいないから、これが出会いと言うものなのかも知れない。
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2017年08月28日

ビートルズ

      伝説のグループ 



SANY3460.JPG 世界を二分した大スター、1人はアメリカのプレスリー、そしてもう一方はイギリスのビートルズ、同時代に活躍したロックの神様たちである。
 ビートルズは4人のグループ、数々の伝説を生んだ世界的に有名なグループであり、又トラブルメーカーでもあったお騒がせ者の集まりでもあった。

 兎に角話題には事欠かないグループ、あちらこちらで世界中の人を巻き込んでの、ドタバタは今も語り草であり、それだけ彼らが有名であった証でもある。
 ジョン、レノンが「キリストよりもビートルズの方が有名である」との発言で、キリスト教国でボイコット運動がされたり、フィリピンでのイメルダ夫人の公演ボイコットなど数え切れないほどのトラブルも起こしている。

 イギリスでビートルズがデビューしたのは1962SANY3464.JPG年、1970には解散しているグループ、そんなに長く続けたグループでないが、未だに根強い良いファンを持ち、レコードも現在も人気を博している。

 ビートルズの名前の由来は、バディー、ホリーのクリケット(こうろぎ)からもじり、マーロンブランドの映画、「乱暴者」の中から思いつきで、付けた名前、クリケットがこうろぎだから、それをもじりビートルズ(甲虫類)と懐けたらしい。

 日本との関係も深く、ジョン、レノンの奥さんは小野洋子であり、1966年6月30日から7月2日まで日本で公演を開催、熱狂的ファンに迎えられた。
 その後世界で活躍したが、1970年に解散し、その後4人ともソロ活動を行って、其々に人気を得ていたが既にメンバーの半数は亡くなっている。
SANY3455.JPG
 写真の時計は、ビートルズを記念して世界限定で発売された腕時計、数少ない時計でもあり、これを見ると当時のビートルズを思い浮かべる事ができる。

 今も根強い人気を保っているビートルズ、当時の若者はすでに歳を取っているが、その思いは今なお覚める事がない。
 彼らの胸のうち深くにしまい込まれ、消える事のない伝説のグループ、世界の若者に大きな思い出を残して去っていった。


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2017年08月27日

修理の苦労3

      動かない



 SANY1068.JPG古時計の修理、時計を蒐集していると当然のこと故障するもの、機械物である宿命みたいなものだだから、避けては通れない。
 時計愛好家の悩みでもあるのだが、之ばかりは仕方が無いものであり、やはり避けられないもの、しかし避けたいのが人情だ。
 修理するのは殆どの人は出来ないので、時計屋さんで修理して貰うしか方法はなく、修理に出せばお金もかかることに。

 その修理代も現在では高いもので、少し直しただけでも10,000円は取られるのが相場、難しい修理となると高額となる。
 笑い話だが私の友人も自分では修理出来ないから、安く買い込んだ時計が動かないので、仕方なく修理に出すことに。
 しかし、修理代を請求されてビックリ、買い込んだ時計の2倍の金額、はじめに聞いていた値段の倍、「何SANY6242.JPG故だ」と聞くと、他も修理したとの事。

 結果は確かに時計は動くようになったが、はじめに買った時計は安かったものの、修理代金を含めると相場の2倍金額となり、状態の良い同じ時計と比べても、1.5倍となってしまった。
 友人は愚痴る事仕切り、「何でこんな時計買い込んでしまったのか」と、安く買い込んだと思ったのに、結果はとんでもない高い時計となってしまったのだ。
 こんな話は何処でも聞こえそうなもの、安いものには訳があるもの、其れを確かめずに買い込むと、後で後悔することになる。

 私も幾度となく経験しているが、未だにその本性は直らず、安い時計に飛び付く癖が直らないのだが、今回のこの時計も其の範疇に属する物。
 動かない事を承知で手にしたが、持ち帰って修理に入ったが、おいそれとは動かないような気がして来たのだが。SANY6246.JPG
 先ずは機械部門を見るために、全ての部品を分解、肝心な時計の機械部分を取り出してゆく、ゼンマイがきつく巻かれており、これ以上巻けない状態。
 そのゼンマイを戻す作業はじめるが、全部戻しても動く事はなく、長い時間巻きすぎの状態であったらしく、バネが弱くなってしまったのか。

 果たして自分で直すことが出来るのか、心配の種でもあるが、それもまた楽しんで修理に当たれば、よい経験になると思うが、果たしてそうなるのか。
 自分で楽しんで直すのならともかく、それが出来ない人はやっぱり動くものを買う事をお勧めする。
 今は修理代が高く付くことを頭に入れておいた方が良いと思う。
 安いからと言って私みたいに飛びつかない方が賢明かもしれない。

 
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2017年08月26日

馴染みの店

   自分の居場所


SANY2927.JPG 長年通い続けている喫茶店、通い始めて30数年になるが、ここは昔の儘で落ち着ける場所でもある。
 喫茶店は色々とあるけれど、昔の儘の佇まいをしている所は少なくなって、殆どの店は改装している。
 以前の姿のまま営業している所は少なく、改装されてしまい落ち着かなくなって、何だか居辛い場所となってしまう。

 確かに多くの店は改装しないと客足が遠のく、その為に仕方なく改装するところが多い中、ここは昔のままである。
 愛知県春日井市の駅前にある喫茶店、私が若い頃より通っている店は改装していなくて、居心地が良いところ。
 以前の姿のままで現在も営業している所、ビルの一階にあSANY2934.JPGる店はレンガ造りの洒落た店、ここがお気に入りの店だ。

 少し頑固なマスターと気だての良いママさんが経営していた店、そこが気に入り毎日の様に通い始めた。
 落ち着いた雰囲気のある店で、内外装も凝った造りの店、装飾のレンガ、そして馬鹿でかいスピーカ、シンプルな椅子、兎に角落ち着いた雰囲気の店。
 中々こんな雰囲気を持った店は少なく、雰囲気だけでは居心地が良いとは言えず、やっぱり人である。

 特にママさんが気だてが良く、ハッキリとして性格の人、好き嫌いもハッキリとしており、そんなママさんが気に入っていた。
 しかし若くして亡くなってしまい、娘さんとマスターで経営を続け、前と変わりなく営業していた。
 しかしママさんが居ないと何処となく寂しい気がしSANY3065.JPGていたが、それも仕方がない事、やがて娘さんがそれを補っていたのだ。

 私が落ち着いて過ごせる場所は窓際の角のテーブル、30数年同じ場所、店内は広くて他のテーブルも多いが、ここが一番の場所。
 他の人に占領されているときは仕方なく、そのテーブルの隣に座る事に、しかしやっぱり落ち着かないのだ。

 その人が出て行くまで辛抱して隣の席で待ち、空いたらすぐに場所を変え、何時もの席に着くことに。
 何時も同じ場所でないと、なんだか落ち着きかなく、居心地も良くないので、自分の席が一番である。
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2017年08月25日

持ち主

      最 初 の 購 入 者

 SANY1673.JPG今も昔も几帳面な人は何事につけてもその記録を残すもの、自分の行動を日記に記したり、物を買い込んだ場合は何処で何を買ったとか、兎に角真面目に記入している。
 私などは一度もそのような記録を記入したことは無く、全部頭の中に記録してあるのみ、言い換えればいちいち物を買い込んだ記録を書く習慣が無い。

 言い換えれば、「ものぐさで、なまけもの」、そんな几帳面に記録を残すことが出来ない性分、めんどくさいのと直ぐに記録するのを忘れてしまい、記録することはなかった。

 時計の購入者の中には、几帳面な人も多く、何時、何処で、誰が買い込んだのか記録してある物も、1番多いのは時計の背板に書かれているものが多く、その次に文字盤の裏に書かれている物もある。

 そして、その次に多いのは機械が取り付けられている板に書かれている時SANY1663.JPGもあるが、背板よもり多くは無く、やっぱり背板に書かれているのが1番多いのか。
 之が書かれていることにより、始めの持ち主の名前が分かったり、何処の人かもハッキリと分かり、、その上にこの時計が購入された日付まで分かる。

 後世の我々が時計を手にした時に、この時計が何時ごろの物なのかが分かる手掛りに、購入した日付が記入されている物は、我々にとっては1番ありがたい。
 出生の記録があるものは1番ハッキリとした年代が分かる事、少なくともその年代にはこの時計を製造した時計会社があった事がハッキリとし、後に書かれた色々な文章の記録と照らし合わせることが出来、製造年代確定に役にも立つ。

 私も色々な時計を手にしてきたが、やっぱり記録が記入してあるものは、1番ありがたい時計、購入者が何時、何処の誰だか、知る手掛りになる証となるから。
 形が同じ時計でも、この様に背板に書かれている所有者の名前の入った時計は、是非とも手に入れて頂きたいもの、他の同じ時計よりも史料価値の高い時計でもあるから。
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2017年08月24日

蝉(せみ)しぐれ

    もうウンザリ


SANY3393.JPG それに追い討ちを掛けるのが、あの蝉たちで朝早くから近くの木の幹に止まって、忙しく鳴きたてるので、暑いのが益々倍増する。
 今年は六月の雨で蝉は少ないと思っていたが、徐々に鳴きはじめ今では例年より多くいるように思われ、鳴き声も一段と多くなっている。

 数が多ければ当然、鳴き声も大きくなり大合唱に、蝉の鳴き声は夏の風物でもあり聞こえないのも寂しいが、余り多いと騒音と同じに聞こえてしまう。
  昔から蝉の一生は、幼虫時、地中に長く暮らしており、地上に出ると一週間の命しかないから、其の短い日々を謳歌する為になき続けると聞かされているが。

 実際はもう少し長いらしく、1か月ぐらい生きている蝉もいる様であるが、まだその実態は分かっていなし、研究もされていないようだ。
  身近な蝉も実態の分からない生活をしていると成るとSANY3392.JPG不思議に思え、まだ未知の世界が存在しているのかと思うと、興味の沸く所でもあるが、余りうるさいと興味も半減してしまう。

 しかし、我々の生活も時代の変化で、夜遅くまで電気を付けているし、街灯などは以前と比べれば遥かに多くなり、又明るくなっている。
 そのせいもあり、蝉たちも眠る時間が少なくなっている様、夜遅くまで大合唱が続いているのだ、夜中も鳴いている蝉までいて生態系はどうなっているのかと思う。
 
 自分の生活が便利に成るのは良い事ではあるが、その代償として多くの犠牲を強いるのも我々自身であると思うと、便利なだけでは済まされない。
 昔の人は自然と共存してきたし、自然を利用してきたのであり、自然を破壊してはいない、現代人は自然を多く破壊し、生態系を壊していると思う。
 その結果、夜遅くまで蝉が鳴くことに繋がっているのは確か、それをうるさいと思う自分もエゴであると、思わなくてはいけないかも知れない。

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2017年08月23日

2つのバカラ

      やっぱり違う


SANY3342.JPG 酒を飲むにもムードが一番大事で、幾ら高い酒を飲んでいてもムードがないと美味しくないのは何故、之は私だけの拘りかもしれないが、やはりムードが大事。
 私は洋酒とう洋酒党、別に気取っているわけではなく、学生時代に焼酎の無茶のみをして、其れ以来日本酒が受け付けなくなって、洋酒しか飲まない様になっただけ。

 若い時に無茶のみをした結果、体が受け付けないのだ、日本酒ならチョコ一杯で酔ってしまうが、洋酒ならそこそこ飲め気分さえ良ければボトル半分以上は飲む。

 しかし、家ではグラスに2杯くらいしか飲まず、気分次第であるが別に飲まなくても良いのだが、飲みだすとやっぱりもう少し飲みたいと思う、これも習慣みSANY3348.JPGたいなもの。
 ところでグラスはやっぱり拘っているが、グラスばかり増えて、どのグラスで飲むのかと迷うときも多い、その中でも気に入っているグラスが2つある。

 昔、映画の中で主人公が飲んでいたグラスが気に入り、探したが中々見つからなかったが、友人があのグラスはバカラだと教えてくれ、初めてバカラを知った。
 そして、その後バカラのグラスを買い込んだが、映画で見たグラスと同じ物ではなく、やっぱりあのグラスが欲しくなり、次々と買い込んでしまい、結果グラスだらけに。

 憧れのグラスは、オールドタイプのオリジナルグラス、始めに小さい方を買い込んだが、大きな方も欲しくなり結局買い込んでしまったが、使いかっては小SANY3354.JPGさな方が良い。
 大きい方は、手に余りしっくりと収まりがなく、小さい方は手の中にピッタリと入り込む、大きな氷を2欠片いれブランデーを飲むのが最高のみの方、ある人は邪道だと言う。

 グラスはやっぱりバカラでなくてはイケナイ、あのどっしりして手ごたえと、透き通る透明感が何とも言えないもの、之で飲むと安い酒でも旨く感じると思うから不思議。
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幻の扇

くら.jpg      名古屋の倉知時計製造所。


 長い間謎だらけであった名古屋の時計製造所、「倉地時計」、明治35年、36年と2年足らずで姿を消したといわれ、記録には残っているものの、現物は中々見つからなかった。
 明治時代、名古屋市中村区西洲崎橋に倉地時計製造所があった事は、知られていたがその時計となると、中々見つからなくて、私も長い間探していた。

 「トレードマークは扇」である事も分かっていたので、「扇のマーク」を探せば見つかるであろうと思っていたが、結局40年の月日が掛かってしまった。
 名古屋地域で製造されている時計の中には、振り子室にラベルの明記が無い物も多く、只黒いろの紙が貼られているだけの物も多いのであから、何処の時計か分かりずらい事もある。

 その上、古時計に良くある文字盤が変わってしまい、その上ラベルも無ければ何処の時計か分からず、探すのに苦労するのも名古屋の時計の特徴でもある。
 オリジナルの文字盤が付き、機械も変わってない程度の良い古時計を探すのは、至難の業でもあり、その上状態が良い物はそんなに多く見つかるものでもない。

 結局、40年も見つけ出すのに歳月をかけてしまったが、見つかる時は意図も簡単に2台も見つけてしまい、逆に拍子抜けしてしまったようでもある。
 見つかる時はこんなもの、偶然がたび重なって出て来るもの、その2台ともトレードマークの扇がハッキリと残っていたので、倉地時計と直ぐに分かっが何故か半信半疑で見つめていた。

 其れもそのはず、40年もの長きに渡って探した物が、偶然とは言えこんなに簡単に見つかるとは、自分でも思っても見なかったから。
 縁とは、こんな物であると思う、追っかけても、追っかけても逃げられ、逆に縁があれば向うからやって来るもの、正にそのとうりで向をからやって来た。

 写真は扇のマークが少し薄いが良く残っていると思う、文字盤下にはローマ字で倉地と書かれてあり、幻と言われた倉知時計の文字盤だと分かる。
 本体に付いていたビス穴もオリジナルの状態であったので、間違いなく倉知時計の現物である事を確信したのである。
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2017年08月22日

赤とんぼ

      赤  蜻  蛉


SANY3253.JPG 秋の空に映えるのはやっぱり赤とんぼ、茜色の空高く飛ぶ赤とんぼは秋を代表するもの、誰もがこの赤とんぼを眺めれば何故かしら昔の事を思い出す。
 秋と赤とんぼは切り離せない風物詩でもあるようで、誰もが秋が深まった事を知るのであるが、最近は余り見かけなくなったのは非常に寂しい事、昔は空一杯に赤とんぼがこの時期飛んでいた。

 あの光景は今は見えず、それがまた人々の郷愁を誘うのかもしれないが、若い人達にとって赤とんぼはどんなふうに思われているのか、興味の湧くところである。
 この赤蜻蛉、色々な名前で呼ばれ「赤蜻蛉」、「秋茜」、「姫茜」、「深山茜」、「夏茜」などあり、又「八丁蜻蛉」、「猩猩蜻蛉」、「紅蜻蛉」と書く、この様に色々な面で季節感のつよい蜻蛉である。
SANY3229.JPG
 しかし、赤蜻蛉が人々の胸の中にあるのは、少し違っていると思われ「童謡唱歌、赤とんぼ」に帰するところが大きい、子供の頃に習った「赤とんぼの歌」、この歌がその原因であると思う。

   夕焼け小焼けの あかとんぼ 負われてみたのは  いつの日か
   
   十五でねえやは  嫁にゆき  おさとの便りも   たえはてた

   夕焼け小焼けの あかとんぼ  とまっているよ   竿の先

 この歌、三木露風が作詞したもの、大正10年に北海道トラピスト修道院で窓から見えた赤とんぼ、竿の先に止まって動かなかったの詩にしたものである。SANY3234.JPG
 三木露風が幼い時に過ごした播州龍野の町、秋の日の自分の姿を懐かしんで詠ったもの、両親の離婚により露風はお手伝いの「ねえや」に育てられ、背中に負ぶって貰っていた時の事を思い出して詩にしたのである。

 お手伝いの「ねえや」に育てられ、そのねえやが嫁に行ってしまった寂しさも詩の中に出てくるが、私はてっきり実の姉と思っていたが、育てて貰ったお手伝いさんであったと知った。
 そのな実体験をした露風だからこそ、この「赤とんぼ」の詩が書けたのであろうが、日本を代表する唱歌である事と、日本の抒情が1番良く出ている歌でもあり、人々の胸に響くのではないだろうか。
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2017年08月21日

どちらもどちら

      意見が対立

 SANY7662.JPGある日、友人が2人我家を訪れてきたが、何やら様子がおかしいので、「どうしたのか」と尋ねると、2人が同時に喋りだす。
 同時に喋られても意味が分からないので、先ずは落着いて話せと部屋に、彼らは友人がネットで買い込んだランプを巡って論争したらしく。

 ネットでランプを買い込んだ友人が、もう一人の友人宅を訪れて自慢話をはじめたらしく、「今度買い込んだランプ掘り出し物だ」と、それを見た他の友人「何処が掘り出しものなのか」とケチを付けたらしい。

 そして2人で論争が始まり、結局堂々巡りで結論が出なく、我家に持ち込んで来たらしく、2人とも持論を主張しあったまま、我家を訪問。
 話をよく聞けば、2人の言っている事がかみ合わないので、焦点を絞れと忠告、話はこうだ「1人は古いか新しいか」と主張、もう1人は「安いか高いか」と主張、この様に主張して対立していたらしいのだ。
SANY7664.JPG
 話を聞いているうちに馬鹿らしくなり、「そんな話を我家に持ち込むな」だいの大人が馬鹿らしいと一喝、2人の主張している事が違う問題だから、何処まで行っても交わる事はないのだ。
 問題のランプを折角持参したから、早速見ると新しい物だ、古いと主張している友人に「これは新しい物だ」と一喝、そしてもう1人の友人には「新しい物だが、お前の言う様に高くない」と、これも一喝する。

 要するに、1人は古いと思って買い込んだものが新しく、高い値段だといっている友人には安い買い物と、2人の意見を納得させて解決。
 2人とも酒を飲みながら「何処まで入っても平行線だった」と反省しきり、私から言わせれば古いと思い買い込んだ友人は安い物を買い込んだから正解だし、もう1人の友人の高いとの指摘は高くなく、安い買いもので、結果オーライと結論。
SANY7670.JPG
 写真がネットで買い込んだ問題のランプ、新しい物だが雰囲気の良いランプ、新しいからと言って悪い物ではないのも、こんなランプなら私も欲しいものだ。
 古いから良くて、新しいからダメと決め付けるのは止めたほうが良い、新しい物でも手の込んだ良い物であれば、それはそれで良いと思う。

 何でも古いランプが良いと思っている友人には、「こんなランプ、今作って幾らかかるか分かるか、高くつくぞ」、ネットで買い込んだ値段ではとても製造出来ないものだ。
 気に入ったランプであれば、それはそれで良く、新しいからとって良くないとは決め付けてもイケないし、楽しんでこそランプが活きるのではないのか。
 要するに自分が楽しめればそれで良く、他人がとやかく言うことも無いが、間違って高い物を買わないように注意したいものだ。
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2017年08月20日

競争相手

      マイセンと肩を並べ


SANY2970.JPG 戦前戦後を通じて瀬戸の焼き物は飛躍的に進歩するが、1番変わったのは置物を製造する窯元、当時ドイツが生産の主要国であったが戦後は瀬戸がそのドイツと入れ替わる事に。

 ノベルティーと呼ばれる置物、当時世界ではドイツのマイセンの置物が世界最高峰として君臨していて時代、マイセンの置物は精密な技術により最高の置物を、上流階級向けに製造していた。

 一方瀬戸の置物はのっぺりとした立体感の無い置物であり、とてもマイセンと対抗できる代物でなく、ヨーロッパ市場に食い込むことは難しかったようだ。
 そもそも瀬戸のノベルティーは明治36年、「加藤佐太郎」が水に浮く陶器で出来た、「浮き玉」と呼ばれる「金魚や亀」を開発、これが当時爆発的に売れ、一躍瀬戸の主要輸出商品となる。
SANY2974.JPG
 海外での浮き玉の売れ行き好調に気を良くした「加藤佐太郎」は本格的にノベルティー部門に参入する事にし、商品開発に力を注ぐとにより、複雑な石膏型の開発に成功する。

 この「石膏型」の開発により、今までの瀬戸の置物ののっぺり感を一掃、精密な置物を製造することが出来るようになり、マイセンの置物を参考にドレスデン人形なるものを製造して技術を磨く。

 その結果、マイセンに見劣りする事のない商品の開発に成功、之によりヨーロッパ市場に於いても、マイセンと肩を並べるまでに生長して行く事になる。

 戦後は、ドイツのマイセンが輸入されなくなったアメリカ市場に、マイセンに取って代わり瀬戸のノベルSANY2980.JPGティーが市場を占有、アメリカの中流階級に大いに持て囃される事となる。
 しかし、輸出が主であった事も有り、瀬戸のノベルティーは世界最高峰にありながら、国内ではその存在を知る人は少く、評価が低いのは残念な事である。















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2017年08月19日

相良人形

      復 活 し た 人 形

 SANY1743.JPG米沢には古時計を求めてどれだけ通った事であろうか、もちろん駅前の後藤さんの店に行くことで、此処では色々な時計を買い込んだが、今ではコレクションの中枢を担っている。

 米沢に行くと必ず、駅前の後藤さんの店に最初に行くのが恒例、この店でよい時計に出会えば幸先が良く、その後の旅が楽しくなるので、一番初めに行くと決めている。

 そして、昼飯は大河原のすき焼きと之も決められたコース、此処のすき焼きを食べずして米沢に行ったかいがなく、米沢牛のすき焼きが此処での昼飯、何時もの行動であるが大河原は今はない。

 そんな米沢にもう1つ訪ねる場所が、7代目相良隆氏の工房、言わずと知れた相良人形の作者、昭和42年に途絶えていた相良人形を復活させた人物。

 相良人形は歴史も古く、1780年後SANY3224.JPG半くらいに米沢藩主の命により、武士の副業として相良人形制作を命じられ、相良清左衛門が福島の相馬に赴き土人形を習得。

 米沢成島の地にて窯を築き、相良人形を製造し始め、代々相良家が受け継いで人形製造をしていたが、6代目の時に廃絶、その後7代目によって復活した。

 この相良人形、東北の3大人形の1つと呼ばれ、堤人形、花巻人形と共に東北を代表する人形、古くから作られていた物に7代目が工夫した色彩により、新たな相良人形として生まれ変わった。

 写真の鯛乗り童子、7代目の独特の赤と童子の可愛らしいしぐさの人形であり、古い形はそのままに色彩を変えて作られた物、相良人形を代表する1つでもあり、現在も作られている。
 相良人形は相良家のあくまでも副業として作られているために、製造数は限られている為に、人気の人形は予約待ちの状態であり、愛好家から絶大なる支持を受けている。


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木象嵌

      幾 何 学 模 様

SANY0840.JPG 時計の装飾には色々な種類があり、塗料で彩色される物、木材の皮で装飾される物、漆等の天然の物で彩色される物、彫刻等で装飾される物等色々とある。
 中で持ての込んだ装飾を施す物に、木象嵌がと言う技法があり、この技法は中々と手の込んだ装飾の部類に属するもの、時間と手間が掛かるのと、やはり技量が出るものだ。

 木象嵌とは、木の種類により色の濃淡があり、その色の濃淡で模様を描く技法の事だが、この技法は手間が係り時計に装飾を施すと、高価な値段に成る為、一般機には装飾を施さない。
 つまり、木象嵌を施してある時計は高級機である証でもあり、その模様も手の込んで物が多く、ヨーロッパの時計が盛に用いたが、時代が下がり一般に普及する時計には施されなくなる。
SANY2645.JPG
 ヨーロッパより後発のアメリカでは、本家のイギリス製の木象嵌を施した時計をモデルとして、新たにアメリカで製造するようになり、その技法を取り入れて、新たな物を開発する。
 アメリカで製造された木象嵌は、本家のイギリスの模様とは少し違って、幾何学模様ではあるがイギリスの模様とはやはり違う、アメリカらしさを表現している。

 例えば、イギリスの模様は葡萄から草の様な図柄を表しているものが多いが、アメリカの木象嵌は円と線で幾何学的な模様を施している物が多い。
 写真の模様はまさに線と円で構成された図柄、木の素材の持つ色の濃淡を利用して模様を描き、薄い色の素材と濃い色の素材をうまく配置している。
DSCN1330.JPG
 まず図柄に沿って少し彫り込みを入れ、薄い木の板を色の配色を見て彫られた所に埋めて行く、その時に木目の向きや色の濃淡をうまく利用することが必要である。
 線を繋ぐ円形の部分には、違った図柄を配置して、アクセントを持たせ鮮やかな幾何学模様を作り出しているが、この様な図柄は本家イギリスの時計には無い物である。
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2017年08月18日

      目隠しになるが

SANY3210.JPG
 夏には欠かせない簾、毎年の事だが、夏になると新しい簾に換えるのが我家の習慣、暑い日ざしを少しでも遮ってくれる簾。
 日差しの強くなる6月に何時も買い換えるが、この時期は梅雨の最中、折角新しい簾に架け替えても、梅雨のせいで汚くなってしまう事になる。

 その為に何時新しい簾に換えるのか、判断が難しいもので、新しい物に変えても一向に梅雨が明けないことも、そんな時の簾は汚くなるのだ。
 簾にカビが生え、黒い粒粒が出来、見た目には良く無いもの、そんな簾を毎日見たくないから、やっぱり換える時を選ばなければならない。

 そんな簾だが、新しい簾は色も緑色をしており、換えた時の何とも良い竹の匂いがして、是で暑い夏がやってくると実感する。
SANY5869.JPG 我家は一年中簾を外さない為に、竹製の簾を使用、最近では日本製の簾は値段が高くなってしまい、仕方なく中国製の物にしている。

 国産の物が良いのだが、金額的に中国製に手が出てしまうが、中国製は安いことは安いが、品質の面ではとても国産品にかなわない。
 今年も梅雨が早く明け、急いで簾を新しい物に買えたが、何処か変な雰囲気、同じサイズの簾を買って来た筈なのに、何処か変。

 連続して4枚の簾を架けたが、全部下の位置がバラバラ、一枚の簾だが、右と左の長さが違う、国産ではありえない事、しかし下の位置が違うのである。
 左の方が長くて、右の方が短い、確かに安い中国製の物、是だけ長さが違うとは、やっぱり国産と違い、SANY5875.JPG造りが雑な様である。

 値段が安いから仕方がないと、確かに安いが悪いものでは仕方がなく、だからと言って高いものも買えない。
 そんなジレンマもあるが、余りにも粗雑なものでは気分が良くない。









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2017年08月17日

ふくすけ

      幸運のお守り  


SANY3275.JPG 瀬戸焼の陶祖、加藤四郎左衛門景正(藤四郎)号を春慶と言う、伝説の人物であるとされているが、今だ実態は分からない人物、鎌倉時代の人で、1223年あの永平寺の開祖、道元禅師に同行して南宋に渡り6年の修業の末、当時の最高の釉薬や焼成技術を習得して日本に帰って、京都で焼き物を始めた。

 その後、焼き物に最適な土を求めて全国を行脚、1243年遂に山田郡瀬戸村にたどり着き、地元の深川神社に参拝したおり、陶土を求める祈願をし、これより巽の方角に良土ありとのお告げを貰う。

 瀬戸村東部祖母懐の地に良質の木節粘土を発見ここに窯を築き、日本で始めての施釉陶器を開発、「古瀬戸」の誕生であり、国内唯一の陶器の誕生である。
 当時の日本には釉薬をかけた陶器は存在せず、加藤四郎左衛門が宋より技術を持ち帰り、瀬戸の良質な粘土で作り上げた焼き物、「古瀬戸」である。SANY3277.JPG

 これにより加藤四郎左衛門景正は瀬戸の陶祖となり、現在は深川神社境内の陶器の神様として陶彦神社に奉られており、瀬戸焼の元祖として敬われている。

 毎年4月には瀬戸市で陶祖祭りが開かれて、藤四郎の偉業を現在も伝え、盛大なお祭りがもようされて多くの観光客が見物に来るようになり、それに伴い陶器の廉売市が開かれ市価の半値で売買され人気を呼んでいる。

 右の福助は、私が小学生の頃廉売市でこの福助を買い込み、現在も家の神棚に飾り、大分汚れてしまったが、福助を見ると子供の頃の陶祖際が思い出される、思い出の品である。
 何故、福助を買い込んだのか記憶は無いが、今にして思えばこの福助が「中條勇次郎」の時計を初めとして、珍しい時計を手に出来たのは、福助のお陰であるかもしれない。
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2017年08月16日

木曽節

      なかのりさん 

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 木曽節は全国的に有名な盆踊り歌、その昔村人がきつい作業の山仕事の合間に歌ったとか、室町時代の文献には既に木曽での盆踊りが記録されており、それ以前から歌われていたらしい。

 本来の木曽節は即興でその場の雰囲気で歌われていたらしく、様々な歌詞が存在し延々と歌い継がれる歌らしいとの事、現在の木曽節は大正時代になってから整備されたもの。

 正調木曽節は全国的に知られているものと少しメロデーが違っており、又歌の歌詞も少し違いがあるようで、地元の人たちが歌う木曽節はスローテンポのメロデーである。

   木曽のなぁー なかのりさん 木曽の御岳 

   ナンチャラホイ 夏でも寒い  ヨイヨイヨイ

 この歌詞、そして囃子、其れには其々の意味があるらしいSANY3294.JPGが、歌の中に出てくる「なかのりさん」、この「なかのりさん」とは諸説あり、今では一般的に筏のりを指す。

 木曽は山深い里、そして木曽五木と言われる木材の産地、この木材を山から切り出し木曽川まで運び、そこから筏に組、名古屋に運ぶ為に筏乗りが必要になる。

 この筏に乗る船頭、前に乗る船頭を「へのり」と呼び、後ろに乗る船頭を「とものり」と言う、そして真ん中に乗る船頭を「なかのり」と呼んでいるが、その「なかのり」が歌に出て来る「中乗りさん」である。

 つまり、木曽節で歌われている「なかのりさん」は筏乗りの事を指す、当時の筏乗りは「粋でイナセな男達」であったと言われているから、彼らを歌ったものであるらしい。
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2017年08月15日

木曽の木材

      木曽と時計産業 
 

SANY8613.JPG 明治期、全国に時計産業が生まれるが、名古屋地域の時計産業は、他の時計製造地域と少し様子が違う形態をなしていた。 
 名古屋地域の時計産業の特性は、よく指摘される所であるが、他地域に比べれば労働賃金が安い事、熟練工が容易く確保できた事、分業化が進んでいた事など色々上げられる。
  名古屋地域は古くから和時計の産地、江戸初期津田助左衛門が名古屋に入ってから、時計は名古屋の伝統でもあったことは確か。

 代々助左衛門は時計師として尾張藩に努め、多くの弟子を輩出し和時計造りを盛んにした事が、後の西洋時計製造に大いに貢献することになる。
 多くの弟子の中から明治に入り禄を失ったもの達で西洋時計製造に関わり事となり、時計製造の地盤が早くからきずかれていた。SANY4376.JPG
  技術的にも、素材的にも、そして資本的にも、時計製造の地盤となるものが名古屋地域には存在していた事だと思う。

 江戸時代から続く商業地名古屋地域、そこにある資金源は代々続く商家、今まで蓄えてきた資金が時計製造に役立つことに。
 其の中でも一番の要素は、外箱の木材が容易く手に入った事、江戸時代から木曽の木材、即ち天領地から名古屋へ大量に供給されていた。
 
 交通運搬の面においても、木曽川を下り集積地名古屋に素早く大量の木材が入り、新興産業の時計の材料として容易く手に入っていた。
  環境の良さは材木だけではなく、時計の箱を製造するのに、地場産業であった名古屋仏壇、仏壇職人の技術は高度の技術を要していた。SANY0379.JPG
 
 その名古屋仏壇を作るより、時計の外箱を製造するには遥かに容易く、又職人の調達も苦労せずして手に入っていた。
  こうした地場産業であった名古屋仏壇と時計の外箱、他地域より木材職人も多く又、賃金面において職人過剰ににより、労働力確保は製造者に有利に働いたせいで、当然賃金も安くなっていた。
 
 木曽の材木を安く仕入れ、職人の賃金も安いとなれば、必然的に時計産業に容易く参入できると言う立地条件が重なり、他の地域よりも時計製造会社が乱立する原因にもなった。
  時計の外箱を製造するに、材料は端材で十分であり、高価な材料を要しないのもコスト面において、他の地域との競争力の大きな要因となっていた。               
 天領飛騨地方、木曽の木材が明治期、名古屋地域の時計製造に大いに貢献したとは、当時の時計製造戦争の裏に、木曽の材木が関係していたとは面白い話である。
 
 
 
 
 
 
 

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2017年08月14日

ライター4

      企 業 も の

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 何でも鑑定団ではないが、色々なお宝を集めていますとふれ込みで、良く鑑定団に出てくる人達、色々な物に拘って集めている人の多いこと、多いこと。

 人其々で面白いが、世の中にはいろんな人が居るものだと感心するやら、驚くやら兎に角良く集めている人が出てくるもの、あの番組が放送されるずっと前、企業ものと呼ばれる物が流行った時がある。
 企業が宣伝用に製造、市販されていない物を指す、例えば市販されている物を改造して、その企業ならではの物にして、非売品として消費者に与えたもの。

 景品として何個か製造し、特定の人に当るようにした物や懸賞品として与えた物、応募の中から抽選で与えた物等、企業によって様々な扱い方であった。
 その為、限られた人しか所有できなく、当然のこと手に入らなかった人達は、無いもの強請りで其れを求める、そのような行動が企業物を更に求めることになる。SANY2688.JPG

 企業としても、当然の事として宣伝が目的であるから、尚さら拍車がかかり人気となるもの、日本人は昔から限定品と言うものに非常に弱く、其れを逆手にとられた作戦でもある。
 写真のライターもその企業ものの1つ、35年も
前になるが、この手のライターも引く手あまたであり、市場にはあまり出回っていない事もあり、海賊版まで出現したほどだ。

 今も昔も企業の宣伝に踊らされる人の多いこと、人様の事等言えた義理すらない私だが、この当時はこのライターを手に入れる為に、恥ずかしい事にかけずり回った事を覚えている。
 しかし、今見ても何処と無く人をひきつけるものが備わっている様な、そんな貫禄すら伝わって来るようなライターである。
 もちろん、ガスライターではなく、オイルライターである事は当たり前、今なを現役である事には拘りもあるのだが。
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