2017年09月30日

信州古時計行脚

    久し振りに

 
DSCN1945.JPG 少し間が開いたが信州古時計行脚をしたくなり、ぶらりと出かける事にしたが、何に出くわすかは分からない。
 何時もの事だが目的はその場限りのあなた任せ、その時のひらめきが左右する旅、頭の中で決めるもの。
 最近は感が鈍くなったせいか中々良いものに出くわしていないのも実状、これも時代の流れなのか、それとも歳なのか。

 古時計も最近は持ち直したよう、若い人たちも関心を持つようなになった由、うれしい事でもあるのだと思う。
 会員さんにも若い人が参加、年配者と意見交換もして喜ばしい限り、先の希望も繋がったような気がする。
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 そんな事を思いながら信州に向けて旅の始まり、とは言え古時計ばかりを探すのではなく、やっぱり蕎麦が主でもある。
 主であると言うよりもそれが目的でもあり、先ずは翁グループの店を回るのが目的、信濃方面には4軒の店がある。

 この店を食べて歩くのも目的の一つ、一つと言うよりもそれが主なものと言え、微妙に違う蕎麦を味わうのだ。
 2人して真っ先に行くと決めた店は安曇野翁、ここの蕎麦を食べずして信州へ行く価値がないとも思っている位。
 今回は安曇野翁に直行、その間にあるSANY2858.JPG店は帰りにジックリと見る事にして、兎に角翁のぞばを食べたい。

 隣で今日は休みと違う、確か火曜日が定休日かなとブツブツと言っているが、そんな事は何時もの事である無視して進む。
 安曇野翁に到着すれどやっぱり暖簾がない、「それ見ろ休みだ」と隣で喚く、そんな筈ではないとガッカリ、案の定定休日、3時間も走って来たのにこのザマ。
 藪原でおぎのやに行っていれば蕎麦は食べれたのにと2人してブツブツと車に乗り込む。



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2017年09月29日

招き猫7

      瀬戸と常滑


 DSCN1699.JPG招き猫の歴史は古く、以前名も説明をしたが江戸時代に遡り、その起源は中国の故事に成るが、日本ではそんなに古くなく江戸に入ってからの事。
 各地で盛んに作られるようになり、発祥の元祖争いがあちらこちらであり、自分のところが発祥と譲らず、元祖争いをしているようで嘆かわしい限りだ。

 招き猫にされた猫の方が迷惑しているかも、それはさておき瀬戸と常滑は今でも招き猫の産地として競い合っているが、瀬戸と常滑とは材質も形も違っている。
 一般の人から見るとドチラがドチラか全く区別が付かないようであるが、1番分かりやすいのは叩いてみる事、瀬戸の招き猫は磁器で製造されているから、硬くて叩けば高い金属的な音がする。

 一方の常滑の招き猫は、陶器で出来ている為に叩けば鈍い低い音がするので、瀬戸との区別が簡単に分かるはず、しかし音だけでは区別が付かない人も居るであろう。
 瀬戸で製造されている招き猫は、磁器で製造されているから硬くて丈夫、何よSANY0188.JPGりも光沢があり豪華美しい出来である。

 一方の常滑の招き猫は燃焼温度が低く、強度の面で磁器には及ばず光沢も無いが、安価なのが受けて販売は好調、招き猫の顔を見ても、現代的な猫の顔をしているし、可愛らしく仕上がっている。

 瀬戸の招き猫は伝統的な仕上がり、顔はより現実の猫に近く厳しい顔をし、やはり縁起物らしくキリリとした姿をしている事と、シンプルな伝統を重んじた物。
 
 そしてもう1つの違いは、常滑の猫は小判を抱いているが、瀬戸の招き猫は何も持っていなく
て落ち着きのある猫。

 派手で「現代的な招き猫」か、シンプルな「伝統的な招き猫」かは其々の特徴であり、好みも問題であるに違いない。 
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2017年09月28日

瀬戸の磁器

      森村組への参画 


 SANY3421.JPG明治初期、瀬戸の磁器は高度の技術を誇っていたが、西洋の洋食器を作るのは大変な苦労を要してのである。
 日本食器と違い、西洋食器の図柄もまた未知数でも有ったようで、色々な図案が試みられたが、完成するまでに至っていなかった。

 当初の森村組の製品は、試行錯誤の段階で、形や形式図柄にしても日本的な感覚と違い、西洋の雰囲気に会うようなものを試作。
 初期の製品を見るに、コバルトの強い発色をした物であり、図柄も日本的な図柄をして、垢抜けた物ではなかったようである。

 例えば初期のものは、日本の食器に手をつけたようなコーヒーカップ、湯飲みを少し崩しただけのコーヒーカップ、SANY3415.JPG
 試行錯誤の様子が良く分かる製品が残されているが、日本人が懸命に西洋食器を作り出そうとする意気込みが感じられる。

 写真は初期のデミタスコーヒー用のカップであるが、何処と無く湯飲みに手を付けただけの様な物に成っている。
 ソーサーも、そりの角度がぎこちなく全体には硬い感覚の物に出来上がっている。

 只現地では異国情緒が出ていて、当時の人達からは好まれたようだ。
 勿論マイセンやフランス物には及ばず、後発の参入となるも珍しさが先行したようだ。
 その後、見違えるように技術が進み、輸出陶器の花形となってゆくことになる。
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2017年09月27日

保 険

      今 も 昔 も

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 明治初期日本に西洋時計が輸入され、一般家庭にまで西洋の最新機械が入ることになるが、機械物は当然の事故障する事に、その為西洋では修理保険なるものがあった。
 その時代の日本には修理保険等と言うものはなく、西洋の様式を取り入れ、急速に保険が発達する事になる。

 当時西洋時計は高価な物であるが、当然時計であるから動かすうちに故障するもの、必然的に修理は必要欠くべからざるもの。
 西洋時計が一般に広まり、更に日本製の時計が市中に多く出回ることになり、町の修理屋は時計修理に精を出すことに。

 今も昔も変わりはないが一般人は時計に対して無知SANY5684.JPGであり、当然修理にはお金も掛か、そのために高額な時計修理に当時から保障制度が取り入れられるようになる。
 修理してもらったが動かなくなったでは済まないし、お金も払うからにはクレームも利かなければ安心できない。

 古時計には写真のような修理表が貼り付けられているが、長年使ってきた証として、修理票もまた時計が生きながらえて来た足跡であり、修理票によって古時計の経路も推測することが出来る。
 右の修理票は長きに渡って使用されてきたようであり、大正期から同じ物を使っていたと思われ、昭和に入り尚且つ戦後になっても古い修理を使っていたようだ。
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2017年09月26日

水菓子と言えば

    水菓子と言えば


SANY3825.JPG 一般に、普通水菓子と書いてあれば、当然お菓子と思うが当たり前、出てきたものを見て「え、これなの」と思うことがある。
 レストランや和食処でメニューの中、和食コースを見ると、必ず最後のデザート欄に水菓子の文字が良く書いてある。
 
 和食コースを選び、一通りの料理を食べ終わり、最後に水菓子と書いてあったので、どんなお菓子が出てくるのかと思っていると、果物が出てきて、「これ菓子」と若い頃は不思議に思ったものだ。
 菓子の分野で、「水菓子」、「木菓子」と2つあり、水菓子は果物、[木菓子」は木の実を指すとの事、特に水菓子を果物であると思っている人が多いだろうか、否多分少ないと思う。

 私だけであろうか、水菓子と書いてあれば「葛や寒天」で出来た、みずみずしいお菓子と想像するのは、おかしいのであろうか。
 夏の季節は「水菓子」と来れば、スイカがSANY3827.JPG出てくるのが普通、スイカは「西瓜」と書くが何故「西瓜」なのか、やっぱり知りたい。

 調べたら、スイカはアフリカが原産で4000年も昔から存在しており、シルクロードを経て、中国に伝わり、後日本に伝わったのは室町時代らしい。
 一説には、1630年に中国から伝わったとする説もあるが、どちらにせよ日本から見れば、西方であることには変わりが無く、「西の瓜」だから「スイカ」と書く事になったらしい。

 もっと昔から日本に有った様に思われるが、意外と新しく入ったきた果物、和食のデザートはスイカと決まったように出てくるが、西洋料理、フランス料理には余り出てこない。
 和食に合うのは、やっぱり和菓子、「水菓子」、スイカがお菓子であるのは、日本料理である。
 
 
  
 
 
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2017年09月25日

旅の思い出

      リプロダクション
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 旅の思い出は色々あるとして、1番心に残っているものは楽しい思い出、あの時の思いは今でも忘れえぬもの、何時でも蘇って来る。

 楽しい思い出は心に残るものと言うが、失敗した思い出もまた心に残っているもので、その時の様子を思い出すと今でも恥ずかしくなる。

 旅の恥はかき捨てと云う言葉があるが、果たしてそうだろうか、かき捨てにはならないものだと思うが、それはその人によると思う。

 友人と何回かイギリスに行ったが、色々な失敗もしたもので、今思い出しても顔が赤くなる事も、大恥をかいたことは幾つもある。

 そんな失敗の中、楽しい失敗の思い出もまた幾つか、ロンドンの観光地ポートベローでの事、友人と一緒だから安心とあちらこちらのアンティークシップを見て回った。
SANY8089.JPG 私は英語は全くダメな男、友人はペラペラ、そんな訳で何時も安心とばかりに何処の店にも出入りし、好きな物を見て回り、気に入った物があれば友人任せで値段交渉。

 何を話しているのか全く分からないが、雰囲気で値段交渉していると分かるが、どんなやり取りかはヤッパリ分からないものだ。
 ポートベローのある店で懐中時計のスタンドを見つけ、早速中に入りそのスタンドを見るが、値段がべラボーに高いのいで友人に交渉してもらおうと振り返ると友人がいない。

 居ないと相手が何をしべって居るか分からない事に、居ると思っていたのでさあ大変、身振り手振りの交渉開始、何だか分からないがしきりにリプロプロダクションと言っているような。
 SANY8091.JPGそのリプロなるものが分からないが、それを勧めているように思えて、そちらなら安くなると思ってしまい、リプロが何とも分からずに「オッケイ」と返事。

 すると店員、店の奥に入ってダンボール箱を持って現れ、30ポンドと手で3本指を立ててお金を請求、110ポンドのものが30ポンドになったとは良い買い物をしたと店を出た。

 すると友人が後ろから「何処に行っていた、探したぞ」と、私は「お前が居ないので苦労したが良い物を買い込んだ」とダンボール箱を見せる。
 お前言葉が分かったのかと言う友人に、お前が居なくても安くしてもらい、良いものが買えたと自慢したが、その自慢がカッカリに早やがわりする事に。

 ホテルに帰り自慢げに取り出したが、店で見たものと違う物が出てきて、友人「これリプロダクションの物だ」と言うが、訳が分からず、それは何だと聞けば「新しい物だ」と云われた。
 SANY8097.JPG言葉が分からず、店員はリプロなら30ポンドで良いと言ったのを私が承諾したので、新しい物を売ったのだという、私は別の古い物なら安くすると勝手に理解したが、結果は新品の物を定価で買い込んでしまったものだ。

 友人、物も見ずに、言葉も分からず、勝手に理解して、自業自得だと手厳しいが、お前が居なくなったのが悪と反論したが、逆に友人にお前英語を覚えろと云われてしまった。

 写真の懐中立て、新品のリプロ、古いものが110ポンドが30ポンドになるはずが無い、私の大失敗の巻、今でもこれを見ると情けなくなるのだ。
 しかし、実用には最適なもの、懐中時計が高級品に見えて、 高い買い物ではあったが、雰囲気は良いものだから、納得するしかないが情けない話だ。
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2017年09月24日

秋は栗です

    秋と言えば栗
 

SANY3702.JPG  秋が来れば待ちに待った「栗きんとん」の季節です。全国に栗の名産地は沢山あり、京都「丹波の栗」、 長野「小布施の栗」、「熊本の栗」などがある。
  其々の土地で作られる「栗きんとん」、私はやっぱり「木曽の栗きんとん」が1番、岐阜県中津川市や恵那市近郊は栗の産地である。
 
 江戸時代、かの「太田蜀山人」が中仙道を旅した折、この落合宿や大井宿、(今の中津川や恵那)を旅した途中、この地の「栗きんとん」を食しているようだ。
  中仙道木曽路に立ち寄り、落合宿の「栗きんとんは絶品である」と絶賛しているように、昔からこの地方で作られていたようである。
 
 今日は地元の「栗きんとん」を作るために、栗木がSANY3689.JPG多く栽培されているが、其の栗の大きさはソフトボール位の大きな栗のいがである。
  秋になると、あちこちの栗園から続々と和菓子屋に栗が集められるが、この栗をめぐって争奪戦が開始されるのである。
 
  この地域の「栗きんとん」は、100%栗のみで製造され不純物を一切使用してないもの、他の地域では良く栗の粉を混ぜている所も多い。
  そしてもう1つが、栗きんとんを製造する和菓子屋が多い為、材料となる栗の争奪戦が開始され、今年の栗ではなく、来年の栗を確保するための争奪戦である。
 
 その激しさは、まさに戦争と同じ、負ければ当然「栗きんとん」は作れず、しかも和菓子屋にとっては死活問題である。SANY3695.JPG
  こうして栗を確保して作られる「栗きんとん」は、栗がなくなり次第販売中止となり、その期間約一ヶ月くらいしかなくまさに栗戦争である。  
 

 中仙道木曽路の「栗きんとん」は、まさに絶品の和菓子であり、その味は古来から保障つき、蜀山人が日記にも書いている通りである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年09月23日

招き猫の形

      手の形で変わる


SANY2283.JPG 招き猫は色々な形が製造されているが、一番の大きな違いは「右手を挙げている」か、「左手を挙げている」かであり、その上げ方でいわれが違っている事。
 古い招き猫は、右手か左手を挙げているが、新しい物になると両手を挙げている物や、バイバイをしている物、あぐらをかいている物、様々なポーズが製造されている。

 時代の変化による物であるが、やっぱり招き猫は縁起物、スタンダードな形のものが1番良いのでは、生産地の意向もあり様々な物があるが、目まぐるしく変わる現在の需要なのかも知れない。
 その需要、目まぐるしく変わり新たな商品が次々と作り出されているのが現状で、例えば昔は考えられなかった色も沢山製造されている。

 従来の招き猫は三毛猫が定番、もっと古いものは赤色と黒色、それが招き猫であったが、昭和に入り色々SANY2289.JPGと変化してきた。
 それと風水が流行り出して、招き猫もその流行に敏感に反応して、様々な色が出現する事に、昔は考えられなかった色が。

 赤、白、黄色、緑、青、金、銀、ピンク、そして極めつけは七色の招き猫まで出現、見た目にカラフルで現代的であるが、縁起物の招き猫とはやっぱり少し違うようである。
 新しいものが良いか悪いかは別の機会に論議するとして、招き猫の手は右を挙げていればお金を招き、左手を挙げていれば人を招くと古来から言われている。

 どちらにしても商売人は、人が店に来てくれなければ商売にならない事は当たり前、人が集まって来てくれれば、当然お金も集まるのは必定。
 人、金、どちらを優先するかは人其々、金の世の中だからやっぱり、右手を挙げている招き猫が持てはやされるのか、どちらがこれまた多いのか私は知らない。DSCN0136.JPG

 古い招き猫は右左関係なく耳よりしたの位置で手を招いているが、新しいものは耳より高く手を挙げている様で、遠くの人やお金を招く仕草であると言われる。
 人間はやっぱり欲張りな生き物、近くよりも遠くの人が沢山来てくれるようにと、願っているのも又人情かもしれないが、ソコソコの所で納めて欲しいもの。

 写真の招き猫は、瀬戸で製造された物、時代は少し新しいようで左手を耳より高く上げて、遠くの人を招いているようであり、どっしりとした風格は、いかにも縁起物の招き猫のようだ。
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2017年09月22日

彼岸花

      季節を忘れない


SANY3727.JPG この時期になると必ず咲く花は彼岸花、名前のとうり彼岸近くに咲くことからその名前が付いたとされているが、この時期になると律儀に花を咲かせる彼岸花。

 この彼岸花最近また人気になりだし、あちこちで見ることが多くなったが、一時期は忘れ去られたみたいに影が薄くなった時が、その原因の1つがやはり農薬である。

 昔は田んぼのあぜ道や川の土手に多く自生して赤い花を咲かせていたが、年々少なくなり一時期は探さないと見ない花になっていた様であるが又復活した。

 彼岸花の渡来は古く、中国より渡来と考えられているが、日本の稲作文化と深い関係があり、稲作をする田んぼのあぜ道を守る為に、この彼岸花を植えたのだといわれる。

 彼岸花の球根は有毒であり、稲を荒らす動物から守る為、毒のある彼岸花をSANY0342.JPG植えて有害動物を寄せつけない様に植えらしく、それが広まりあぜ道や川の土手等で多く見られたわけである。
 この彼岸花、別名も多くあるが一番は「曼珠紗華」と呼ばれ法華経の仏華、ありがたい花「天上の花」でもあるが日本では「狐華」、「仏華」、「幽霊花」、「かみそり花」などの呼び名で余り好かれる花でもないみたいである。

 しかし、この彼岸花季節を1番よく知っており、必ず彼岸の近くには開花し、あの赤い花を見事に咲かせ季節を我々に教えてくれる花でもある。
 写真の彼岸花、赤と白のコントラスな景色、家の庭に咲いているところを撮影したもの、白色の彼岸花は珍しいらしく、赤と白で縁起がよいと言う人と、やっぱり仏華と言う人に分かれる。

 毒を持っている花は美しいというが、彼岸近くなると必ず咲いてくれるこの花、季節感がハッキリとしていて、やっぱり彼岸花。
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2017年09月21日

七宝

      た か ら も の


 SANY1594.JPG七宝は古からあり、古代ペルシャの時代には既にあったようて゛、古墳からも出土したおり、その歴史は古いもの、日本にはシルクロードを経て中国から日本に伝わった。
 5、6世紀の古墳からも出土、奈良正倉院御物の中にも七宝焼きは存在しているが、その後途絶えてしまい幕末に、江戸幕府の命により、尾張潘、海東郡の尾張藩士、「梶常吉」に七宝焼きを再現するよう命が下る。

 江戸幕府はオランダよりもたらされた、美しい皿の再現を梶家の次男常吉に、七宝皿の再現を命じ、七宝を再現させ幕府に献上するよう、常吉は苦心惨憺の末見事に七宝焼きを完成させる。

 七宝とは、法華経に「金、銀、瑠璃、瑪瑙などの宝」をさす、之に値する美しさであるとの喩えから、SANY3362.JPG「七宝焼き」となずけられたといわれており、以来七宝村にて製造されてきた。

 七宝焼きには、有線、無線の技法があり七宝村で焼かれていた物は有線七宝、この焼き物は金属の壷などに、細い真鍮などで図柄をかたどり、それにガラスの釉薬を施して、窯に入れ燃焼させて作る物。
 細かい図柄の線を根気良くおいて行く作業は大変で、この作業を怠ると直ぐに作品にひびき、上質な物が出来ず職人の腕のみせどころでもある。

 写真の七宝の壷、時代的にはそんなに古くは無いが、有線七宝の細かい図柄、ちょうど今の季節にぴったりの物、梅に鶯の図柄で有線七宝、雲をかたどった細かい図柄と、咲き誇る梅が巧みに配置されている。
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 写真下はフランス七宝、通称泥七宝と呼ばれる透明感の無い釉薬、1800年代の泥七宝、多く製造されたが、その後透明感のある釉薬が開発され、艶やかな模様と共に、七宝の持つ輝きのある物が製造される。
 現代においては、この輝きのある七宝が主体であり、泥七宝は景を潜める格好となり、現在は余り作られていない物となってしまったようである。
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2017年09月19日

懐かしの品

      やっぱりロボット
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 子供の頃のおもちゃは幾つになっても懐かしいもの、特に自分が遊んだおもちゃは又格別、其れを手にした時心はあの日と同じ、何時でもそのときに帰れるものだ。

 我々の子供の頃はそなんにおもちゃが沢山あったわけではなく、殆どが手作りの物、買えないし売ってもいなかったから、お金を出せばその当時も当然あったが。

 我々が集まるところには売ってなかったもの、駄菓子くらいで其れより値の張る物は置いていなかったし、置いていたとしもて買えなかったものだ。

 昭和30年代に入り、そこそこ玩具も手に入るようになったと思うが、その当時遊んだおもちゃが復刻版として市場にで回ったのが、20年位前の事。

 ある店先で見つけ早速購入、もちろん復刻版と分かって買い込んだが、偶々友人が来たのでそのロボットを見せれば、「俺も欲しいから是非買って来てくれ」と。
 同世代の人にとってはとても懐かしくて、そして思い出のある品、喩SANY2045.JPGえ復刻版と言えども形はそっくり、新しいから動作も電池を入れれば動く事。

 今までは頭の中でしか動かなかったロボットが、目の前で動く事の喜び、在りし日を思い出すよりも、目の前で動いている物に感動すら覚える。

 こんな気持ちになるのは、我々の世代だけであろうか、嫌々現代の人もやつぱり同じ気持ちではないのか、単純な物ほど感動があるような気がする。

 ブリキのロボット、アトムや鉄人と共に、子供の頃憧れていたおもちゃ、もっと忠実に再現して欲しい物だが、簡単に手に入ってはやっぱり面白くない。
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2017年09月18日

パリ万博

      エッヘル塔誕生   


 SANY1166.JPG1889年(明治22年)、フランス国パリにて第4回万国博覧会が開催され、1回の万博よりも参加国ならびに出点数も2倍になり、また会場も非常に広くなった。
 第4回の万博は色々と話題の多い博覧会でもあり、特にあのエッヘル塔がつくられたのがこの万博で、この会場のアーチとして建築されたらしい。

 その他にも当時としては変わった特別な建物が建築されてが、万博閉会後すべて取り壊されてしまい、エッヘル塔のみが現在も同じ場所に建っている。
 エッヘル塔は高さ312メートルと当時世界1位の高さを誇り、日本の東京タワーが出来るまでその地位を保っていた鉄の塔であり、勿論当時は画期的な建物として、見学者が後を絶たなかったことは言うまでもない。

 当時建設資材に鋼を使用するように支持されていたSANY3731.JPGが、実際に使用されたのは鉄材であり、鋼が何故鉄に変わったのか議論を呼んでいるが、真実はコスト面で安くしたかったようである。

 この後、鉄が世界的に使用され建築物に用いられるようになり、急速に発展して行く切っ掛けを作ったのもパリ万博であった事は、近代化にこの万博が大いに貢献した事だ。

 写真の時計、このパリ万博を記念して造られた時計、機械はアメリカのウォーターべり社の物だが、外側の陶器はドイツ製と国際的な商品で、会場で販売された時計。
 ユニークな形をしており、ブルーの釉薬が掛けられ、細かな模様が施された酒のビン、その中に時計を入れたもので、当時としてもかなり面白い物であった。
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2017年09月17日

どれが珍品か

   珍品時計とは

 
 SANY0746.JPG何度も同じことを聞かれて困っているが、「珍品時計とはどんな時計なのか」と、この珍品と言うテーマ、定義はないのだ。
 どんなものを珍品時計と言うのか、それは定義がないと言って良いが、暗黙の了解みたいなものも存在しており、それが正しかは分からない。
 簡単に言ってしまえば普通の時計とは少し違うと言う事、形とか機構とか、そして製造所とかが他と違う事。
 見た目でハッキリとわかるものから、見た目には全く普通の時計と変わらないが、珍品時計に入るもの。
 そんな時計だと、「どこが珍品なのか」と言う疑問が湧く人も多いと聞く、どう見ても普通の時計だと思うと。SANY0848.JPG

 そんな質問も非常に多い事、外からだけでは分からない珍品判断、珍品時計の根拠となる事を教えてもらっても、何でそれが珍品だと。
 理解できない人もまた多く、それらの人の疑問に答えるには細部的な事情を説明しないと分かってもらえないと思う。
 一番厄介なのは製造所が違う事、多くの時計製造所が存在している中、何故この時計製造所が珍しいのかと言う事だ。
 ほとんどの人は時計製造所については余り詳しくないのが現状、目で見ても分からないからだと思う。
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 勿論、私も過去は同じことを思っていた時期があり、先輩から「この時計は珍品だ」と言われ、何処が珍品かと疑問を抱いていた。
 そんな自分の経験上、詳しく説明をしないと簡単に理解して貰えず、その時計について詳しい説明をしなければならない。

 一般の考え方は珍品と分かりやすく、見た目に納得しやすいものは理解できるが、それ以外のものはなかなか理解できない。
 自分が手に入れた古時計、珍品かどうか調べるポイントは幾つかあり、その一つが合えば珍品と言えるが、そんな簡単なものでもない。
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 特に古時計は歴史的に価値のあるものとか、有名人が所有していたとか、製造数が少なく希少なもので現存数が極めて少なく、史料価値の高い古時計、そんな古時計は明らかに珍品時計だが、其れだけが珍品ではなく。

 複合的にその要素を持った古時計が珍品時計と呼ばれ、少なくとも外形だけではない事も知って貰いたいと思う。
 見た目で判断せず、ジックリとその古時計を観察する事により、自分なりに成長すると思うが。
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2017年09月16日

西部劇

      西部劇は好きですか


SANY3314.JPG 夕べもテレビで「真昼の決闘」を見ていましたが、懐かしい俳優や古めかしいバックの風景、そこには在りし日のアメリカ西部が映し出されていました。
 子供の頃より西部劇は大好きで、よく映画を見に連れて行ってもらいましたが、字幕はサッパリ読めなかったけれども、その雰囲気は手に取るように分かったつもりでした。

 アメリカ映画、特に西部劇は、「ジョン、ウェーン」、「ヘンリー、ホンダン」、「カーク、ダグラス」、などの名俳優による活劇、数々の話題作が銀幕を飾った。
 その中でも私が1番好きなのは「ヘンリー、ホンダン」の主演、「ビクター、マーチュア」脇役の「荒野の決闘」であり、この映画ほど西部劇だと今も信じている。
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 この映画は実在の人物、実在した決闘をモデルに描かれたもの、当時のアメリカ西部を如何なく描き切った最高の映画、この映画を見なくてどれが西部劇かと思う。
 この映画、時代は1881年10月26日、アメリカ西部の町ツーム、ストンで起きた実在の決闘、主役はヘンリー、ホンダン扮する「ワイヤット、アープ」と「クラントン一家」の争いをモデルとしている。

 舞台のツームストンの町、真昼のOK牧場での決闘が鮮やかなタッチで描かれており、西部劇の撃ち合いシーインが見所、駅馬車が通り過ぎた瞬間に撃ち合いが始まる。
 息ずまる内、一瞬にして決着してしまうが、本当の決闘もこうしたものであろうと、思わせる憎い演出で今も脳裏に深く刻み込まれて、目を閉じれば直ぐに浮かんでくる。SANY3330.JPG

 有名な逸話として語られているのは、ジョンフォード監督が当時まだ健在であったワイアットアープに直接会って聞いた話をもとにしたと言われている。
 彼が映画に描いたアープの姿が事実のようになったと言う事だが、フォード監督が誇張し過ぎたとも言われているが事実は果たしてどうだったか。

 現実にはワイアットアープは西部の英雄として現在も有名な話、現実と違っていたとしても有名人に変わりはないようだ。

 子供の頃は、てっきり日本の江戸時代の事かと思っていたが、1881年とは(明治13年)の事、ビックリしたものであるが、そんな時代に決闘をしていたアメリカは時代が遅れたいたのかと思ったものだ。
 この映画や他の西部劇映画には、必ずと言って良いほど時計が出てくるが、その時代と決闘場面が日本の明治時代であり、写真の時計が活躍していた時代であるとは、まだ信じられないが事実である。
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2017年09月15日

ランプ

      灯りは安らぎ


SANY3265.JPG 灯りは人間の心を明るくしてくれる物、落ち込んだ時とかに、遠くのぼんやりとした小さな明かりに何故か心が和むような、そのな気持ちになるのは何故。
  灯りは人の心に深く入り込んでくるものでもあり、例えば山でご来光を見たときの感動は何とも云えないもの、普段見慣れている太陽であるが、登山等でのご来光は、光が体の中にしみこんで来るような感覚になる。

 あれは何であろうか、何時も浴びている太陽の光であるのに、苦労して上がった山で見るからであろうか、いやそれとも違うものではなかろうか。
 今、現代生活の中の明かり、家の中の灯りは部屋の隅々まで光が行き届いた、光の中で生活している状態、その光は白くて無機質な光のようである。

 以前、海外の蚤の市でアンティークのランプを求めていた時、蚤の市の店主が何やら私に問いかけているがさっぱり分からず、友人に「何を言っている聞いてくれ」と頼んだ。SANY3271.JPG
 友人いわく「は店主は何故こんなランプをお前は買うのか、家で使うのか」と言っているとの事、私は「何でそんな事聞くのか」と又友人に聞くように、すると「日本の家庭は何であんなに明るくしているのか、そして工場みたいな蛍光灯をつけるのか」と言っているという。

 「そんな生活だから、こんなランプは必要ないだろう」とも付け加えたらしいが、言われてみれば確かにそのとうり、今の我々の生活は蛍光灯の光で満ち溢れ、彼の言う通り無機質な光の中に生活している。
 外国の人から見ると、日本の家庭の照明は不思議に思われているらしく、工場で使用している蛍光灯を、何故家庭で使うのか不思議であるそうで、又あんなに明るくする必要が有るのかとも言うのだ。

 指摘はごもっとも、彼の言う通りであり、必要以上に今の日本の家庭は明るすぎ、それになれてしまっているから、暗くすると何だか怖いと思う様になってしまったのだろう。
 以前のような白色電球の黄色い光ではなく、蛍光灯の白色の光に慣れたせいで、ご来光の黄色い光が懐かしく思えたのであろうか、何れにせよ太陽に近い光の方が我々には安らぐのではないだろうか。




 
 
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2017年09月14日

今までの原稿

   小さな蕾


 
 SANY3664.JPG簡単な気持ちで引き受けてから5年、早いものであっという間に過ぎてしまったが、最近とんでもない事と気付きはじめた。
 スタートは軽い気持ちで原稿を引き受け、たかが4ページの原稿、何時でも書けるから大丈夫と。
 何の確証もない自分に何故だか自信が、確かに色々な雑誌にちょこちょこと投稿はしたが、連続して文章を書くことはなかった。

 そんな事で簡単に引き受け連載が始まり、はじめのうちは順調に進んだが、回を重ねるごとに段々と文章が出なくなる。
 勿論同じ課題や同じ古時計を記載する事はなく、次から次へと新しい文章が要求されることに。
 読者が飽きない様に、また同じような文章を書かない様にと自分SANY3643.JPGなりに気を付けていたが、そこは素人次第に書くことが難しくなる。

 違った文章を書こうとすればするほど、何故かしら同じようになり、次第に書くことが出来なくなりだしたのだ。
 当然の事と言えば当然だが、自分では何とかなると思っていたから、それが間違いのもと、何せ素人の書く文章。

 プロの人と同じように書けるはずもなく、壁に突き当たり、ピタリとものが書けなくなり、イライラが始まる事になる。
 友人が「お前が簡単に連載の文章を書けるはずがない、はじめから無理だ」と厳しい指摘、確かにその通りである。
SANY3658.JPG
 雑誌を買う人は楽しみを持って買う、だから期待している分、変な文章を見るとガッカリする事に、それを自覚しないとは驚きだとも言うのだ。
 言われたことにはじめて責任の重さを実感、大変な事になったしまったと、しかし締切は待ってはくれない。

 こんな状態を何とかしなければと、他の良く似た雑誌を買い込み、どの様な事が書かれているのか読み漁る。
 確かにプロの文章は違う、自分のものと比べて恥ずかしさが段々と大きくなり、ますます落ち込むことになってしまう。
 写真は初めの原稿、ここから始まった連載、5年前のものだが今読むと、恥ずかしさが込み上げてくるのだ。





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2017年09月13日

ミーティング

   仲間と共に

 SANY3627.JPG年四回開催される日本古時計保存協会のミーティング、今回も浜松で開催、いつもお世話になる平野支部長の店、色々な会場で開催しているが、自然と浜松の平野さん所に、それは私の怠慢のせいであるが原因は会場探し。

 毎回会場探しに苦戦しており、交通の便がいよ場所に絞って探しているが、なかなか見つからないのだ。
 それと言うのも予算の関係、余り金額が高いと運営にも支障がきたし、そこそこの場所でと限られてしまう。

 そんな事で今まで何回も会場巡りをしたが、問題は駐車場、会員の車が多いので、普通の場所では止めれないのだ。SANY3636.JPG
 遠方の会員が多い事も原因、公共機関を利用するよりも車でと言う人が多くて、それに対応するためには難しい事もあり、ついつい平野さんに頼る事になる。

 ここは車も多くても駐車出来、それも無料だから会員さんも気楽に止めれ、場所の説明もする必要もないから。
 だからツイツイこの場所での開催となり、他でもやったらとの意見も出るが、私の対応いかんでもあるが、やっぱり簡単に開催が出来るからここになる。

 今回のミーティング、オークションを大々的に、前回会員さんに告知して、今回は古時計の台数も過去最大。
 出品も以前からお願いして、今回のためにオークションに出して貰い、何とか今回に漕ぎ着けた次第。

 その成果は歴然と現れ、出品数も60台以上、何時もの出品を遥かに超え、会員さんも気SANY3633.JPG合が入っているようだ。
 そしてオークションも白熱化、勿論市場価格の半分以下、会員さん価格であるからネットよりもはるかに安い。

 一人で何台も目的の古時計をゲットして、満足げな人も多く、今回のオオクションは成功、今までにない盛り上がりであった。
 今までの競り上がりをやめ、入札制に切り替え、これが良かったかもしれないが、全員が参加して白熱したことは喜ばしい。
 目的は会員さんが安く古時計を手に入れてもらうため、その為に下準備も次回に向けて頑張らないと。

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2017年09月12日

瀬戸の染付け柄

      古  代  柄
SANY0623.JPG

 祥瑞とは、中国の崇禎年間(1628年ー1644年)明王朝末期に景徳鎮で製造された陶器、丸い紋を描きその中に花鳥風月を彩色、幾何学文様と合体した独特の染付け。

 青藍色の釉薬、素地は精白であり、この磁器を焼いたものであるが、こうだい内に「五良大甫」や「呉祥瑞造」と書かれていたことから、祥瑞と呼ばれる。
 一説には「呉祥瑞」、「五良大甫」は人物の名前であるとの説も有力、どちらが正解かは別にしてこの時代に製造された様式の磁器を祥瑞と日本では呼ばれている。

 この磁器は日本の茶人に好まれ、高級磁器として中国から輸入されていたが、有田で時期が製造されるとこの図柄を真似て盛に作られるようになる。SANY0624.JPG

 図柄も丸紋れんけつ模様でけでなく、日本独自の図柄も考案され、次第に日本様式の祥瑞が製造され、中国磁器に取って代わり、茶人たちの信頼を得ることになる。
 瀬戸の染付けは1770年以後急速に磁器製造が進行し、有田に追いつく技術開発がなされ、瀬戸でも磁器による染付けが製造開始されるようになる。

 そして図柄も丸紋よりは、額縁形式の文様が出来上がり、中国様式より幾何学模様も細かく、日本様式の祥瑞が完成、江戸後期から明治に入りこの様式が全盛となる。

 写真の鉢は、瀬戸で製造された祥瑞柄の染付け、丸紋でなく窓に山水が描かれ、幾何学模様も中国様式ではなく、少し形態の変わった物になっている。

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2017年09月11日

父親の形見

      懐  中  時  計 


SANY2954.JPG 父親が蒐集したものは色々な物があり、亡くなってあと4人兄弟で分けることに、それぞれが欲しい物を取ることにしたが、それは面白い結果であった事を思い出す。
 私の兄弟は其々に欲しい物を取って遺品分けをしたが、殆どが骨董品、その価値は本人たちもまったく分からず、私は最後でよいから上の兄弟に取る様に進めた。

 そして各々が好きな物を取った後、残った物を私が受け継ぐ事になったのであるが、残ったものは全てが古くて余りきれいな物は1つもなかった。
 しかし、残ったものは私から言わせれば、兄弟が其々に取った物より遥かに価値の高い物ばかり、それもそのはずで骨董品は中々見分けるのは難しく、骨董に経験がない兄弟は分からぬもの。
SANY2966.JPG
 私が持ち帰った物の中に、この懐中時計が入っていた事に気が付いたのは数年後、母にその話をした時、父親が生前この懐中時計を修理しようと時計屋に持っていったが、修理できないと言はれ修理を諦めたと聞き、それではと早速修理する事にした。

 知り合いの修理屋に持っていったが、「今部品が無いので、部品さえあれば修理できるのだが」と時計屋の主人、仕方なく部品を探す事にしてあちらこちらに部品を探してくれる様に頼み回った。
 後日、頼んだ友人から電話が入り「部品が手に入ったから取りに来る様に」との事、早速部品を貰いに急行すれば、修理の安い所があるから時計を持って来るようにとの事。

 やっぱり持つものは友人であると感謝しつつ修理SANY2960.JPGを頼み、父親が修理できなかった時計を短時間で修理出来、私の手元に帰った来たが、以前の時計よりも遥か綺麗に磨きもかけられて、別の時計と思うほど輝いていた。
 早速母にその時計を見せれば、父親は「生前口癖のように何処か直してくれる所があれば」と言っていたよし、仏壇に供えて修理できた事を報告し家に持ち帰った。 
 
 大正期のスイス製ロンジンの懐中時計、アールデコ様式の薄型、父親の若い頃に流行の時計であったようで、大事に使っていたらしいのでキッチリ保管する事にした。
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2017年09月10日

蓄音機

      思 い 出 の 品


 SANY3403.JPG最初にイギリスへ訪れたのは28年も前の事、もちろんアンティークをもとめての旅であり、友人に連れられての珍道中であったが、楽しい思い出の1つでもある。
 友人はアンティークを扱うプロの商売人、何故私が付いて行ったかは「オルゴール」、友人は機械に弱くましてやオルゴールは全く分からない男。

 その為、私にオルゴールの機械が本物かどうか見させ、買い付けをする為の同行、つまりオルゴールの機械を見てくれとの依頼で、費用は持つからと良い誘いでもあった。
 彼は、英語に関してはペラペラ、私は全くダメなので彼が話し、私が機械を見る二人三脚、「オルゴールと時計」を探しての珍道中をすることに。

 お決まりのコース、ロンドン市内のアンティークSANY3407.JPGショップや蚤の市を見て回ったが、値段が高くその上機械は別物のものが多く、これといったものが無く、ロンドン市内は諦めた。
 友人はイギリスの知り合いのバイヤーから、ロンドン郊外のコレクターを紹介してもらい現地に行く事に、場所はロンドンから汽車で特急2時間の田舎であった。

 現地に着き、紹介されたコレクターの家に、確かに綺麗なオルゴールが部屋一杯にあり、友人相手の進めるオルゴールが直ぐに気に入り商談成立と、それに私が待ったをかけた。
 不機嫌そおの友人に、「箱も機械も非常に綺麗だが、之はすべてオリジナルでなく、別々物を1つにした物だから止めろ」と、すると友人「何故だ」と又聞くので、相手が日本語が出来ないのを確かめ、「このオルゴールは機械と箱が別々のものを一台にした物なSANY3412.JPGのか」と、見掛けは良いが偽物と告げる。

 私は部屋の隅に置かれてあった汚いオルゴールを指差して、「之を買いたいのだが」と、相手に告げればコレクター少し動揺し「それは動かない」と言う、私が見たところ単にネジが巻いてないだけでオリジナルな物。
 要するに機械と箱が違うが綺麗な物、それを知らない人に買い込ませる手口、その為に見栄え良くして買わせる、そんな手口はお見通し、我々は汚いオルゴールを強引に買い付ける。

 別れ際に相手のコレクター「お前たちはプロのバイヤーだ、綺麗な物は贋のオルゴールだ」と悪げも無く言ってのけ、「グッド、ラック」とニッコリ、之には友人、開いた口がふさがらず「そんな馬鹿な」と、やっと相手の手口に気がつく始末。
 私はこのアンティークショップで、この置物を見つけておまけとして貰う、雰囲気のある蓄音機の焼き物、旅の良い思い出の代物になったが、友人は之を見ると今でも「イギリス人は信用なら無い」と、当時を振りかえり又も憤慨する始末。
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