2017年10月31日

信濃古時計行脚11

   北國街道

 SANY4001.JPGここは骨董屋が四軒かたまっている所、順に見ていけて便利が良いが車を止めれないので歩いてしか行けない。
 今日も暑い日、夏と変わらない位に暑い日になっており、歩いていても汗が流れ出る事に、友人が「何でこんなに暑いのか」とブツブツ、確かに暑いが古時計を求めて歩くしかない。
 簡単に手に入ってしまえば感動もないし記憶にも残らず、手に入れたとしても楽しくはないものとなる。
 そんな思いで良い古時計はないのかと探索開始、この界隈は雰囲気も申し分ない所、古い建物が集中している。
 特に骨董屋は古民家、その上歴史のある店ばかりで面白い所でもあり、何か良い物がありそうである。

 そしてもう一つが旨い蕎麦屋が二軒あり、行き付けの蕎麦屋も、食べる事は後にして順に店を回る事にした。
SANY4022.JPG
 しかし店構えに迫力があり、知らない人は一寸入り辛い、一見さんでも気楽に見せてくれるが、そこは気合が必要。
 店構えに圧倒されて入らない人に多く、店の外から覗くだけ、しかし覗くだけでは見つからなく、やっぱり気合で入って欲しい。
 店の主人も一見さんが来ることは拒ばないと思うし、気楽に挨拶をして見せて貰う事、挨拶もなしに行くからまずい。
 気楽に挨拶をすれば快く見せてくれ、その上探し物があれば聞く事、知ったかぶりは禁物、あくまでも素人だから。
 それにしても歴史のありそうな店構え、店だけでも骨董だと思いつつ店の中に、主人に挨拶をして古時計はないのかと尋ねてみる。
 店には一台の古時計が掛けてあり、良い物は中にあるのではとSANY4048.JPG聞いてみたが、店にあるだけだと言う。

 最近は古時計も出なくなり、探す人も少ないからと、確かに数は少なくなったことは事実、
その上ネットで見つける人が多い、だから店に来ないとも言うのだ。
 何だかんだと言いつつも四軒の店を回ったが収穫はなし、ムード満点の店を回り満足感を味わった。
 やっぱり雰囲気は大事な要素、幾ら良い物が置いてあっても雰囲気がないと、それは私だけかもしれない。
 その後、丁子屋で蕎麦を食べ、今日も古時計を求めて店回りをすることに、さてさて何が出て来る事やら。

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2017年10月30日

挑戦

      今度はどうだ

 SANY4202.JPGまたまたグラス作りに挑戦、前回は頭の中で描いたものと、実際に出来上がった物との差が大きく、自分でも満足していなかった。
 家に帰って翌々と自分の製作したグラスを見て、当初頭に描いていた事が出来ず、現場で急遽変えてしまった経緯があり、その反省に基づいて再度挑戦。
 之で何度目であろうか、グラスつくりに挑戦するのは、初めは簡単な事と思っていたものが、回を重ねるごとに難しくなってくるようだ。

 見ているのと、自分で作るのとは大違い、やってみて初めて難しさが分かると共に、今一度挑戦してもっと自分のイメージに近い物を造りたいと。
 この日も近くのガラス工房を訪れ、グラス造りに挑んだものの、いざ造りだすと描いていたとおりには行かないと思い出し、自然に手が進まなくなり、スムーズに回転しない。SANY3741.JPG
 前回は最初からスムーズに棒を回転させて、形を形成出来たが、今回は何故かしら上手く進まず、店の人に「早く回転させるように」と催促されてしまった。

 前回失敗した口作りの部分を上手く処理しようと思えば思うほど、棒の回転が遅くなり、其れを早く回せとの注意で、分かっているが回らない。
 左手で棒を回転させ、右手で口作りをするが、右手に神経を集中する余り、左手が止まってしまうからだ、何回やっても頭で考えてしまうから失敗するのだ。
SANY3743.JPG
 店の人は「左手は自然に回転させれば難しくない」と言うが、ヤッパリ職人さんは熟練の技でこなすが、素人は頭でこなそうと思ってしまうから回らない。
 そんな訳で結局出来上がったものが、写真のグラスであるが、ヤッパリ口作りは上手く行かなかったもの、出来上がったものを見て、再度挑戦することを誓ったものだ。
 
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2017年10月29日

SPレコード

   不思議な音

SANY4352.JPG 最近SPレコードが見直されていると言うが、その魅力は何であろうと疑問視する人もいるようだ。
 いまSPレコードと言ってもピンと来ない人が多くて、レコードそのものも知らない人も多くなっている。
 今はCDになってしまい、もはや前世紀の遺物みたいになったSPレコード、しかし最近また人気とか。
 てっきり年配者の人が懐かしさでそれを求めていると思っている人、それが違う事であると分かるのだが。
 確かに年配者にとっては懐かしい音であり、郷愁に誘われるが、今求めているのは若い人たちであると言うのだ。
 IT全盛の時代にSPレコードとは、何故それも若者が求めるのか、そこには音に対する興味があるからだ。

 CDの音に慣れてしまっている人にすれば、SPレコSANY4360.JPGードの音は新鮮に聞こえると言い、新たな興味が湧くとも言うのだ。
 電子音に慣れている人にとって、SPレコードから聞こえる音は全く違ったものに聞こえ、その上雑音が一杯聞こえる。
 しかしその音が良いと彼らは言う、それは肉声に近い音だから、今のCDは電機で造られた音、しかしSPレコードは電機音でないもの、肉声に近い音だから。

 現代人はいま電機音に慣れてしまい、自然界の音を聞くことが少なくなっている事は事実、何処へ行っても電機音だ。
 それが当たり前となった現代の生活、若者はSPレコードの音がより新鮮に聞こえてもおかくしないと思う。
 むしろ彼らはその音が新しいもののように聞こえていると言う、我々とは少し違った感覚であることは確か。
SANY4355.JPG
 私が時々行っているコンサート、勿論蓄音機での演奏、最近若い人がコンサートに来るようになり、半分は若い人だ。

 これには年配者もビックリしているようだが、毎回増えている事は確か、SPレコードから聞こえてくる音に感心する事。
 何故こんなに良い音が出るのか、それも原始的な機械からと言う、何だかんだと言いながら、レコードより最後は蓄音機の構造の話になる。
 蓄音機の説明して欲しいと、そして何故こんな音が出るのが不思議だと言う、よく説明を聞いても
やっぱり不思議だと言うのだ。

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2017年10月28日

信濃古時計行脚10

   久し振りに

 
SANY3972.JPG 小諸城は懐かしい場所でもあるのだが、そこは城跡ではなく蕎麦屋、門を入ってすぐの蕎麦屋がそこだ。
 この蕎麦屋は若い頃、幾つもの古時計を手に入れた所、初めてこの蕎麦屋で古時計を見つけた。
 当時は店に入って右手の壁には何台かの古時計が掛けてあり、話を聞けば店主曰く「ここ等辺りの旧家で見つけて来たもの」と言っていた。
 まだまだ沢山の古時計がここ等辺りは存在すると言うのだ、そしてほとんどが貰ったものだとも言う。
 そんな古時計が気に入り、店主に何度か交渉して無理言って何台も譲って貰ったのが、現在の古時計蒐集する起爆剤となった事は確か。SANY3961.JPG
 親父さんは「あんたが余りしつこいので熱意に負けたが、貰ったものなので本当は譲りたくなかった」とも言ったことが今でも頭に残っている。

 久し振りに訪れてみると、店には古時計は一台もなく、店主も代変わりしており若かった。
 壁には寅さんの写真が一杯で、昔の面影はないが店の佇まいは昔のまま、やっぱり懐かしい場所、若い頃がよみがえってくる。
 蕎麦を食べながら、あの当時の事を思い出し、あらためて壁を見ればこちらを寅さんの写真が見ているので、何だか恥ずかしい思いだ。
 そんな事で蕎麦を食べ、思い出の小SANY3935.JPG諸城址を散策、頭の中は若い頃見た景色のまま、久し振りに藤村の千曲川スケッチの碑を見る。
 何だか昔の受験勉強を思い出し、この詩を暗記したことを思い出すが、今でも完全に覚えているのもおもしろい。

 懐古園を後にして市内の行き付けの店を何軒か回るが、これと言った古時計は見つからない。
 縁起の良い土地であり、何かないものかと探し回ったが結果はゼロに終わり、さてどこに向かうのか2人で思案する。
 結局北国街道沿いの店に行き、ジックリと最後の探索をすることにしてそちらに向かう、しかし現地は駐車場がなく、徒歩で行く事にした。
 歩いてもそんなに遠くはないのだが暑い、今年は何でこんなに暑いのか、汗を流しながら最後の店回りだ。






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2017年10月27日

じろうがき

      日 本 一

 SANY3292.JPG今盛りの柿、私の最も愛する果物、毎年この時期の来るのが楽しみになっているが、食べ過ぎて胃腸の調子は良くないのもこの時期である。
 柿の歴史は古く奈良時代には中国から渡来したといわれ、日本書紀にも登場している事から、それ以前に日本に入ってきたものとされる。
 しかし、現在我々が食べている柿は幕末頃に完成されたものといわれ、それ以後今我々が食べている柿と同じものなり、後から柿の種類も多く出来、その代表格が富有柿である。

 次郎柿、柿の中でも富有柿とならび人気の高い柿、その代表格が日本一の産地愛知県豊橋市、筆柿と次郎柿の日本一の生産地、元々次郎柿は静岡県森町の産、1844年弘化元年、松本治郎吉が大田川の河原で原木を見つけ、自宅で栽培治郎さんの柿と呼ばれていたもの、その後次郎柿と字も変わり、一般に栽培されるようになり多く広SANY3296.JPGまった。SANY3300.JPG

 1869年明治2の火災で原木は焼かれたが、奇跡的に翌年芽を出し、静岡県森町に現在も原木は保存されており、今でも実をつけていると言う。
 豊橋には明治になってから伝わり栽培が盛んに、その後広く豊橋全体に栽培されるようになり、現在収穫日本一を誇るもの、柿はタンニンが豊富で二日酔いや高血圧に良いと言われている。
 私もこの柿が大好きで、この頃は毎日3、4個は食べているが、食べすぎで胃の調子が悪くなる事も、しかし高血圧に良いと言われているから、沢山食べたいと思っている。
 次郎柿、写真のように四角い形をした柿、中央に十字のへこみがあるのが特徴の柿、このへこみがハッキリとしたものが良いと言われている。
 四角い形のした柿、この時期になるとスパーにどっと出回り、行く先々で目にするたびに食べたくなり、良く買うが食べ過ぎには注意、しかし止められないのも次郎柿だ。
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2017年10月26日

組み立て会社

    小規模製造


SANY4346.JPG 明治に入り新政府が改暦を行い、日本各地で色々な時計会社が乱立、多くの国産の西洋時計が製造された。
 大手時計製造会社もあれば、家内工業的な中小の小さな会社と様々な西洋時計製造会社が存在した。
 国産の西洋時計を製造する大手の会社、逆に機械だけを買い入れ、小規模の工場で機械を組み立て、市場に送り出す会社も存在した。
 組み立て会社は自分の所で機械やその他の部品を製造せず、すべて部品を買い入れ時計を製造する会社の事です。

 外国製の機械のみ輸入して箱は日本で製造する大手の会社、すべてを買い入れて製造する組み立て会社など、組み立て会社も様々であった。
 明治期、色々な組み立て会社がある中、個人で組み立て販売していた所も、全国各地に多く家内工業として存在していたのである。
 中小の組み立て会社の「下請け」であったり、まったくの個人で組み立てていた所も数多くある。
 下請けは組み立て会社のラベルをはって自分の社名は入らないが、個人で製造している所は自社のラベルに個人名を入れ販売している所も。
 明治期、全国的に見て、この個人名の組み立て時計製造が非常に多かったのが、名古屋地域であった。
 会社と言えるかどうか知らないが、兎に角西洋時計を製造して販売業者に渡SANY4343.JPGして生活していた事は確かである。
 そんな状態で製造された時計が今生存して現れており、古時計蒐集家達が戸惑う原因になっている事は確かである。
 数が少なければ問題ないが、これが意外と多いので出所不明、幽霊時計として現代に存在するからややこしくなる原因となる事も。

 この時計、形や機構も様々で非常に面白い機械やデザイン、とっぴな時計が存在しているから非常に面白い現象になっている。
 大手の西洋時計会社では経営基盤がしっかりとしており、安定した経営を持っとうとして、堅実な西洋時計を製造した。
 しかし弱小の組み立て会社は、自分の生き残りをかけて西洋時計を製造、大手市場に切り込みをかけていたのだ。
  何故そんな事になったのか、理屈はともかく後にして、珍しい西洋時計には替わりは無いのだから、其れは其れで面白いと思う。
 他社では製造しない、ユニークなデザインや機械構造が特殊なもの、そんな楽しい時計を是非見つけ出して時計蒐集を楽しんでもらえればと思います。











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2017年10月25日

瀬戸の染付け

      海外で好評 

 SANY3301.JPG幕末から瀬戸の磁器は盛んになり、海外に向け輸出をされたが、特にパリ万博で染付けの技術が高く評価され、それに伴い注文が多く入る事になる。
 瀬戸の染付けは江戸時代よりの技術は定評があり、その繊細な筆使いから生み出される、模様は緻密でありダミと呼ばれるぼかしの技術、細部的になされる業。

 これらが一体となり、1つの集約された器が完成されるが、特に瀬戸のゴスと呼ばれるコバルトのがんりょう、その美しい発色が海外で人気を博したようである。
 瀬戸独特の生地、白くて透明度の高い下地に、コバルトのブルーが鮮やかに発色し、当時の東洋趣味も合間って貴族階級に、特に人気があった。

 飾り壷や更なとの他、コヒーカップも生産され輸SANY3305.JPG出、当時のコヒーカップは見本を見て造られはしたが、やはり日本的な形が多く、始めは湯飲みに持ち手をつけた様な形が多かった。
 その内にしだいと技術も向上すると供に、形も西洋物に劣らない器が製造されるようになり、益々その量は多くなり外貨獲得に大いに貢献したようである。

 それらの製造元の多くは、やがて森村組(後のノリタケ陶器)の誕生に係わり、その技術を遺憾なく発揮して、瀬戸の染付け技術や粘土の増産に大いに役立った。
 写真の器は幕末から明治にかけて造らせたコヒーカップ、美しい白地に鮮やかなコバルトブルーの模様が際立って目立つ、当時の輸出磁器の傑作である。
 少し小振りであるが、洗練された鳳凰の図柄、器いっぱいに描かれた見事な染付け模様は、見る人を引き付けるに充分な豪華さ、これだけの器が短期間に造られるようになったのも、当時の職人の努力の賜物であると思われる。


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2017年10月24日

信濃古時計行脚9

   鳩時計が目につく

SANY4060.JPG 久し振りに来て直ぐに鳩時計に目が行き、その中にドイツ製のものが2つ、程度はまあまあなものだ。
 店員さんに言葉をかけ機械を見せてもらうが、一つはジャンク品でものにならず、もう一つがそこそこ良いもの。
 じっくりと見る事に、側の状態も悪くはないが、問題は値段で店員さんに交渉しても無駄と思い、「責任者にこの時計の値段を聞いて」と言えば、店員さん書いてありますと言うのだ。
 よく見ると確かに小さな字でシールが貼ってあり、9000円とうっすらと見えるが、これでは高い値段である。
 「責任者に電話してください」と再度頼むと、チョット待ってと事務所に入って行き、電話をしている様だ。

 すると店員さん「電話に出てくださSANY3913.JPGい」と言って受話器を渡してくれ、「話してください」と言うのだ。
 やはり前と同じで店員さんには決定権はなく只の店番、受話器を取り電話で話をすると、向こうから「あんた前買ってくれた人」と親父の声、私の事を覚えているので「そうです、この時計4000円にならない」と問いかけてみた。
 親父「5000円なら良いです」と又渋い、あと少しまけろと言って4500円で決着し、この時計を買い込んだ。
 相変わらず親父も厳しいが、そんなやり取りを聞いていた店員さん、「お宅等プロの商売人」と聞いて来たのだ。
 普通の人はそんなに値切らないよと、確かにそうかもしれないが、これもゲームのうち、ほかの人には分からないかも。
SANY3916.JPG
 その後、2、3軒店を回ったがめぼしいものは見つからず、友人が「今日の宿は何処だ」と聞いてきた。
 前から気になっていた所、初めての所だが見に行くかと布引観音に向かう事に、何故かいと言えば今日の宿はその布引観音のすぐそばだから。
 前から泊まりたいと思っていた所だが機会が無くて、今日初めて泊まるために布引観音を見てついでに宿を見るため。
 以前は布引観音は小諸城から見渡せたが、最近は木が大きくなり今は見えなくなってしまい、小諸城の対岸にある。
 あの善行寺参りの(ウシに引かれて善行寺参り)と言われる発祥の寺、寺の布が牛の角に引っ掛かり、老婆が引かれて善光寺まで行く事になったらしい。
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2017年10月23日

保障ラベル

      色々なラベルが

ラベル.jpg
 時計の背板もしくは振り子室の中に色々なラベルが貼ってあるが、其の中でも1番信用性の高いのは、愛知県時計製造組合の保障ラベルである。
 保障ラベルと言っても数多くの保障ラベルがあり、個人の時計屋の保障ラベルから、時計製造会社の保障ラベル、時計販売者の保障ラベルなど色々あるが。

 明治期に製造組合の保障したラベルが貼られているのは愛知県だけであり、そのほかの地域では見られないが、此のラベルにはいわく付きな話が存在する。
 分業化が進んでいた名古屋地域の時計製造会社は、他社の部品を仕入れてコストを下げ安く時計を製造することに成功していたが、東南アジアや支那などに輸出も手懸ける様になり、粗悪品も出回ることなり、名古屋物と蔑まれらしたのである。
 之には、他の地域との製造販売競争の妬みも、多分に入った風評であったようだが、精度の低い時計も存在したことは確かで、その為愛知県時計製造組合は厳しい制度を設けて、之をマスターしない時計は組合の保障ラベルを張る許可を下ろさなかった。

 愛知県に当時の記録が残っており、全国の時計を集め愛知県の時計も含めて、制度検査をした結果、1番精度が高かったのは名古屋の尾張時計の製造した時計であったとの記録が存在する。
 明治36年、愛知県知事の認可を取り、合格した時計製造会社の時計には、愛知県時計製造組合の保障ラベルを貼る事を義務ずSANY4298.JPGけ、不合格の時計の販売を禁止した。
 それにより、愛知県の時計は信用を回復して、「粗製乱造」との汚名挽回を図り、他地域との製造販売競争に打ち勝って、時計の市場を拡大して行った。

 当初の保障ラベルは、大きな物であったが時代が下がるにしたがって、徐々に小さくなり、昭和に入り1番小さな保障ラベルとなり、時計製造組合の面目を保った。
 よく耳にすることは愛知県製の時計は質が悪いから、それを挽回するために作られたもので他ではないものだ、性能が悪いからであると言うのだ。
 これは一部の人達が名古屋地域の時計を中傷したもので、他地域の時計が優れていたと言う事ではなく、逆に時計製造組合が保証している例がない。
 それこそ品質管理が徹底されたことの証、他地域との差別化がハッキリしたと言う事、それだけ製造数が多かった裏返しでもある。
 写真は上は最初の保証マークの大きさ、下は最後の昭和の保証マーク、大きさが全然違う時代が新しくなると小さくなる。
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2017年10月22日

小さな玩具

      小 型 の お も ち ゃ

 SANY0554.JPGブリキの玩具、好きで次から次えと買い込むうちに、一杯となり何処に置いて良いやら置くところが無くなり、遂には山積みをして傷をつけて失敗したりと、数が多くなると弊害も現れてくる。
 安すくて程度の良い物を見つけると、買わずに入られないもので、こんなに安くて良い品を他の人に買われては勿体なく、折角見つけたのだから早く買わなければと、もう一人の私が囁きかける。

 この囁きにツイツイ負けて買い込んでしまうが、家に持ち帰って「さて何処に置くのやら」と、その時にやっと「又買い込んでしまった」ときずく始末、何時までたっても成長しない。
 こんな事が度重なって、終いには置く所よりも買うからいけないと自己批判の毎日、部屋を見渡せば自分の座る所さえない始末に、やっSANY4261.JPGと気が付き又反省。

 しかし、反省はすれど買うのを止めるわけではなく、今後は大きい物はダメだと気が付くだけ、之ではちっとも反省していないと同じなのであるが、其れは兎も角反省には違いない。
 その結論は大きい物はダメ、小さな物であれば場所は取らない筈と、マタマタ勝手に判断して買うことを止めようとしない人、他の人から見れば、「こりゃダメだ」と思われるかもしれない。

 懲りもせず、今度は小さな物を探し始める始末、そして既にどんな物であれば買い込んでも支障がないのではと勝手な理論、落ち着くところが写真のブリキの玩具。
 7センチにもならない小さな物、小さいものは4センチこれ位いの小さな物であれば、今までのもの1つで10台は入るはず、大きな物を少し少なくすれば2、30台は置けるはずと勝手な理屈。
 そんな事で、現在も懲りずにせっせと探しては、安い物を買い集め、少しでも空いてるスペースにこっそりと置いて、まだあの隙間に入るはず、どんなものが入るか想像する始末、やっぱりダメだ。
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2017年10月21日

信濃古時計行脚8

   今日は期待している

 SANY4054.JPG昨日は収穫ゼロ、期待はしていなかったが何もないとなると、やっぱりガッカリするし疲れがたまる。
 今日は何時も収穫がある地域、特に上田と小諸はラッキー地区、今までに何度となく珍品を手に入れ所。
 特にその中の2軒は私にとっては縁起の良い店、だから今日は期待して良い筈、しかし期待しすぎると良くない。
 今日は佐久から順に上田まで攻める事にしているが、一番遠い所から先に行く事にして、私がハンドルを握る事にした。
 頭の中では清里の手前まで行き、そこから順に前行った店をしらみつぶしに訪問しようと考えている。
 どれだけ回れるかは分からないから、古時計が無かったら無駄話はしないと、しかし話好きな親父も多いから気を引き締めて行く事に。
SANY4065.JPG
 高速で佐久インターまで行き、高速を降り国道141号を佐久穂町まで、ここの買い出し屋の親父の所が一番初め、過去に何度か珍品が出た所、まっしぐらに現地に直行、しかし何もない。
 何の収穫もなく国道を佐久に向けて戻り、二軒目の親父のもとに、この店もかっては良いものを手に入れた所、期待したがやはりここも収穫なし。

 隣で「今日は期待し過ぎで入れ込みし過ぎだ」と友人、確かにその通りかも知れない、入れ込み過ぎているときは過去に良くない結果だったと反省しつつ前に進む。
 佐久市内を回ったがやっぱり収穫が無し、以前の事が頭にあり期待していたが、期待外れとなったようただ。
仕方なく国道を小諸に向けて走り、これも何時も立ち寄るリサイクルショップに行く事に、この店は常に古時計を多く持っており、もう30年近くになSANY2261.JPGると思うが今も営業している。
 バイトのおばさまが店番しており、値段の交渉が中々難しく、電話で店主とやり取りしなければならない店でもある。

 久し振りに中に入れば案の定多くの古時計が掛かっており、気分的に何故か安心するのは何故だろう。
 別に驚くほどの良い古時計がある訳ではないが、何故かしら多くの古時計を見て安心するのも今までの反動かも知れない。
 この店はリサイクルショップで店内が広くて、何処に何があるのか分からないが、そこが又面白い所、壁に古時計がずらりと掛けてある。

 





 

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2017年10月20日

山車の幕

      幕は派手が良い 


 こいに.jpg祭りの華、山車が練り出せば人々は興奮し祭りムードが一気に盛り上がり、民衆は山車と一体化、そもそも山車とは祭りを盛上げる道具である。
 呼び方も様々で「山車」とか「山」とか「屋台」と呼び名も色々有るが、初めはただ置くだけの物であったが、下に車輪が付くようになり移動式となる。
 そのため「曳き山」だとか「だんじり」と言う呼び方をする所も有り、形式も少しづつ変わった物になるが、呼び方は別にして総称してこれらを「山車」呼ぶ。
 最も古いものは「京都の祇園會」で引き出される山車が有名、その後この祇園の山車が全国に広がり、各地で盛に山車が作られるようになり、祇園祭のミニチア版が登場する。

 全国で1番出しの数が多いのは愛知県であるとされ、その数460台を越す、これらの山車にはその大半はからくり人形が乗り、全国各地の山車と一線を引いている。
 これは津田助左衛門から続く和時計の技術、歯車の原理が基本となり、からくり人形に受け継がれていると言われている。
 全国的に見ても愛知の山車はからくりが付くものが非常に多いのも歴史的、玉こい.jpg屋庄兵衛等のからくり師の手になるもの。
 各山車が競い合ってからくりを付けたが、そこには町衆の心意気が反映、他よりも変わったものをと競い合ったのだ。

 その山車の真ん中に幕と呼ばれる山車の四方に張られる幕、前垂れと呼ぶところもあり、又四方幕とも言うが、呼び名はさておき、この幕山車を引き立てる非常に重要な役割を果たしている。
 中の構造を見せない為でもあるが、山車の中心部であり、この山車の一番の見所、各屋台は競い合って良いものを拵え、「中国段通であったり」、「ペルシャ絨毯であったり」、良い幕を張る事を一番とした。
 写真の幕は、金糸銀糸で80センチあまりの非常に豪華な鯉を刺繍、この鯉が二匹中央に刺繍されており、写真では見ずらいが刺繍の高さは3センチを越し、見た目にも鮮やか、見事な鯉の刺繍である。
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2017年10月19日

懲りない男

      問題の友人
SANY0901.JPG

 今日もまた例の友人が登場、手に持っているのは紛れも無い時計だが、怪しい雰囲気、そんな事はお構いなしに何時もの笑顔。
 久し振りにアンティークマーケットでフランス枕の安いのが手に入ったと、差し出したのがこの時計、私は一目見るなり「何処がフランス枕だ」と一声をあげる。

 彼については今更説明も無いが、兎に角機械オンチ、だから機械物は買うなと、くどいほど忠告してあるのだが、彼は一向に止めない。
 そしてフランス枕の件も以前に忠告してあるから、二度と失敗をするなと言ってきたのに、持って現れたのがこの時計だ。

 彼はフランス枕だと言われて買い込んだはず、向うのバイヤーに嵌められているのだが、そんな事お構い無しのこの男。SANY0906.JPG
 何時ものようにニコニコ顔で、「フランス枕で無ければ時計だ」と減らず口、如何して買い込んだのだと聞けば「別に騙された訳ではないが安かったから」と言う。

 フランス枕の論議は別にして、この時計、機械が足りないジャンク品、幾ら安くても此方では部品が中々手に入らず、どうしようもない物だ。
 機械を見る限りでは良いもののようだが、ラチットの部品が無く、先ずネジが巻けない物、そしてゼンマイは切れており、ベルも無い。

 再度、「何で買ったのだ」と聞けば、安いからだと答えるだけ、そんな私の話を聞こうともせず、妻が出したお茶菓子をたいらげている。
 彼も甘いもの、辛い物、両党使い、出されたものは全部平らげるのが彼の主義、仕方なく部品を全部ばらして見たが、ヤッパリ足りないものが多すぎてものにならない。
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 それで安いと言うが、幾らで買って来たと問い詰めると「ニヤリと笑って、おまけだ」と本当の事を言うのだが、果たして本当であろうか。
 それにしても、この男何処まで行っても懲りないものなのか、機械ものは買うなの忠告も無視、この先幾つ我家に持ち込んでくる事やら。

 今回の事で、再度フランス枕について実物を見せて再教育したが、考えて見れば以前も同じ事をしたのだから、ヤッパリ無理だと思う。
 この男は機械物が苦手と言うよりも、分かろうとしないのだ。
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2017年10月18日

信濃古時計行脚7

   やっぱりあった

 
SANY3891.JPG 物置で汚い古時計を一つ一つ見て行く、そして一番下にあった時計の扉を開けた瞬間、文字盤に扇子のマークが目に飛び込んで来た。
 まさかと思いつつジックリと見るもやっぱり倉知時計のマーク、辛抱して探すものだとこの時確信したのだ。
 この倉知時計で2台目、以前に探し出したものより状態が良く、ここで見つけるとは思ってもみなかった。
 友人「お前の顔を見れば直ぐに分かった」とニヤリ、親父に幾らだと聞けば、何時も通り値段を言えと、「4000円」と一言、それで決まりだ。
 気が付けば4時近くになっており、親父の店を慌てて出、蕎麦を食べに「にしざわ」に行く。

 車で10分もかSANY3902.JPGからずに到着、閉店きりきりで間にあい、早いが晩飯を食べる事に、友人は私が降りるより早くおり店の中に入る。
 二人共何時ものようにざる蕎麦をたのみ、後は鴨ざるをたべて終了、ホテルへ直行して部屋に入る。
 大きな風呂に入って一休みしてから、また近くのラーメン屋に行く事にしたが、ここで意見が分かれ、醤油派と豚骨派に、勿論私は醬油ラーメン、店も決めているのでそちらに行く事にした。
 友人、「仕方がないからそちらの店に行くか」と後からついてくるので、「お前は好きな所に行け」と言うと、「一人で行ってもつまらない」と同じ店に行く事に。

 今日は収穫があったから、出足はどうなる事かと思っていたが、結果は良しとなり、明日何処に行くのかと二人で相SANY3905.JPG談、一応須坂方面と言う事になる。
 しかしハンドルを握る者に優先権があり、果たしてそのようになるのか、明日次第である。
 今日は先に友人の運転、何やらまた昨日行った方面に走り出し、真田屋敷に行くと言い、車はそちらに走り出した。
 20分もしないうちに目的地に到着、その後海津城に行き満足げな友人、進路をやっと須坂方面に修正して走り出した。

 その後須坂、中野、飯山とまわれども何の収穫もなく、走行距離だけ伸び、上田が今日の宿泊所、方向を転換して上田方面に進路をとる。
 今度は私がハンドルを握っているから、今日の晩飯はこちらが決める事に、久し振りに駅前の郷土料理を食べに行きたい。
 帰り道、更埴の買い出し屋の店に立ち寄り、何かないのかと物色すれど何もなし、今日は収穫ゼロである。





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2017年10月17日

ブリキと共同

           セルロイドとブリキ   


SANY3682.JPG ブリキの玩具は、全部がブリキだけで出来ている物もあればそうでない物もあり、其れは時代とも密接に関係していて、時代の変遷も分かる様でもある。

 ブリキの玩具の種類により、文体がブリキだけで製造されているものは、動くものは少ない様に思う、何故ならば動くものは車輪がついているため、自動車やオートバイなどはゴムの車輪が付くからである。

 古いものはブリキで出来た車輪もあるが、その後はゴムの車輪が主流になり、殆どの車はゴムでタイヤを製造され、ブリキの車輪は姿を消す事になる。  

 車輪だけでなく、付属する物にブリキ以外のものが使用され始め、例えば人物であるが顔や手足は、セルロイドで作られたものが付けられる様になり、急速に付属品のセルロイド化が進む。 
SANY0617.JPG
 特にセルロイドで出来た人形は、手足や顔などはゴムで連結して、自由に動かせるように工夫し、リアルな動きを出す事により、今まで動かなかった人物も、動くようにした。
 この動きによりブリキの玩具が飛躍的に売り上げを伸ばし、海外に輸出をされるようになり、益々セルロイドとの合体したブリキの玩具が発達してゆく。

 写真の玩具も、その様なセルロイドとの合体した商品、この玩具の特徴は人物の手や顔、そして足が車輪と共通の回転をするために、人気が爆発的になった代物。
 いかにも子供が三輪車を足で回しているかのような、そんな構造をしており、少しの工夫で最大限の動きを生み出すことに成功した例でもある。
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2017年10月16日

蕎  麦 

    歴史も古く
 
DSCN1943.JPG 蕎麦が確実に確認されるのは、古文書によると「養老7年(723年)太政官符」に蕎麦の栽培要請を各地に出している事が分かった。
  この時代は一般庶民が主食として食べていたが、当時の貴族や武士達は蕎麦は食さず、下賤の食べ物であるとされていた。
 庶民は白米を余程の時以外は食べられないものであり、稗や粟など穀物を主食としていたが、蕎麦の栽培を当時の政府は食糧確保の目的で、全国に広めるために力を入れていた事が伺える。
  山間地で水田や作物も中々育たない地に、蕎麦栽培を新興し食料の確保と、庶民の生活安定をはかったものでもあった。

 この当時は今みたいな食べ方でなく、蕎麦を練って蕎麦がきみたいにして食していた様で、蕎麦切りが出現するのは、もっと時代が下がってからである。SANY2895.JPG
 その後、寺方の食料および 食材として精進料理に用いられ、蕎麦の栽培が寺方より全国に広がる事になって行く。


 しかし、まだこの時点では一般庶民が毎日の食料として食べていたわけではなく、祭事などのときに食していた様である。
 鎌倉、室町と時代が下がっても蕎麦は相変わらず、練って団子のようにして食していたようで、寺方では広く食料として用いられていた。


 全国で蕎麦切りの発祥が各地に存在しているが、其の信憑性は薄いと言われており、長野県塩尻市の本山宿説、山梨県甲州市の大和説、長野県の戸隠説、など色々あるが、文献上で確認でき信憑性の高いのは、長野県木曽郡須原の定勝寺説である。SANY4245.JPG
 天正2年(1574年)、定勝寺の建物改修工事完成時、寄進者から蕎麦切りを献上された事が明記された古文書が発見されており、これが現在確認されたもので1番古い。

 その他の諸説は之より50年から100年後であり、また確実な証拠となり得ないものばかりで、定勝寺説が1番古く立証も出来、この地方が蕎麦切りの発祥地と認定出来るようだ。 

 諸説がある中信憑性のものはなく、伝承として伝えられているだけの事、手前みそ的要素が強く、信頼性はないもの。
 いずれにせよ蕎麦切りはそんなに古くから食べられて来たのではなく、500年そこそこであると言えよう、それにしても蕎麦は奥が深い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年10月15日

信濃古時計行脚6

   行き先は運転手

 
SANY4160.JPG 我々のルールは運転しているものが優先権があり、その者が行き先を決める仕組み、暗黙の了解事項である。
 今までこれでやって来たので当然今回もそのルールで、だからこの男「にしざわ」に目標を置いている。
 買い出し屋の家は通り道、別にこの男の頭には買い出し屋なぞどうでもよく、今は蕎麦の事で頭が一杯であるはず。
 案の定、買い出し屋の家に着いても車から降りようとしないので、中に入らないのかと聞けば、「どうせロクな物はないはず」と中に入ろうとしない。
 仕方なしに一人で家の中に入るが、挨拶をしても誰も出てこないので、何時ものように裏の物置に行く。SANY4217.JPG
 やっぱり親父が荷物を整理している所、相変わらずガラクタの山、そして何処に何があるか宝探しだ。
 挨拶もそこそこに勝手に古時計を探しまじめるが、親父「ダンボール箱にも入っているぞ」と教えてくれた。
 勝手知ったる物置小屋、次から次へと段ボールをあけて中を確かめるが、数が多くて中々見つからない。
 すると親父が「そこの前にあるダンボールを全部どけろ」と指図して来た、仕方なしに親父の指示通りダンボールをどければ古時計が出てきた。

 2、30台の古時計が山積されておSANY4157.JPGり、見た限りでは部品のないものが多いようだが、何が出て来るか分からないのがこの様な光景だ。
 ここの親父は整理しない事でも有名、買って来た時のままの状態で置いてあるから、そこが又良い所でもある、変に手がかけてないから。

 降りてこない友人を呼びに行き、2人して古時計を見て回る事に、その姿を見て親父は「お前たち相変わらずだな」と、しかし我々は何か良いものをと一つ一つ振り子室の扉を開けて確かめる。
 置いてあった時計は全く手は掛けてないようで汚い、その上部品のないものも多くて、状態の良いものは少ないのだ。
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2017年10月14日

猫の鈴

      何故鈴が

 SANY2938.JPG現在家で飼われている猫のうち、どれくらいの猫が首に鈴をつけているだろうか、昔から猫の首には鈴がつけられてきた様であるが、何の為だろう。

 普通感覚では飼い猫の首に鈴をつけるが、それは皆がやっているからとか、なんと無しに首に鈴をつける人が、別に大した意味もなくつけるとか、首輪を買ったら最初から付いていたからと色々だ。

 確かに猫の首輪を買えば大抵は鈴が付いてくるもの、無いものもあるが殆どが付いているのが普通、元々鈴とか鐘とかは神や仏の居る所にあるものだ。
 神社に行けば神殿の前に鈴がつけられているし、お寺では鐘が置いてあったり、鐘突き堂(鐘楼)に鐘があるが、これは神や仏に合図するものといわれている。
DSCN1916.JPG
 その鈴が猫の首にいっているもの、この風習は江戸時代に始まったといわれているが、猫は足音をたてない動物、何処にいるか分からないから鈴をつけたらしい。
 昔裕福な家に飼われていた猫は鈴をつけるのが流行であったらしく、それが明治に入ってからも庶民が付ける様になったと、しかしこれも信憑性は無い。

 江戸時代に作られた招き猫、この猫の首にも鈴ずつけられているおり、これが当時流行ったものなのか、元々招き猫も神社の土産物、神社の土産だから、神に近い生きものとして鈴を付けたのか。
 正確な理由は不明、猫の首には鈴が付きものとして、別に深い意味が無いものだと思った方が自然なのかもしれない。
気になる方は是非研究してみて下さい、いわれは兎も角、写真の招き猫、上は古い形の招き猫、この猫の首にも鈴がつけられているから、流行なんぞではないと思う、神社に関係するものであると思えるが果たして真実は何処に。
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2017年10月13日

西洋ランプ

      灯りは明るければよい


SANY3670.JPG 我々の生活は、明治に入ってからガラリとその生活様式が変わったが、文明開化の恩恵を少なくとも受け、西洋に対する憧れは益々募っていった。
 江戸時代には、庶民は菜種油で火を灯しての生活をしてきたが、明治に入りランプが西洋より輸入され、その明るさに皆驚きと同時に憧れへと変わってゆく。

 それはより明るく自分の部屋を灯したいと言う欲求、蝋燭や灯明の明かりより遥かは明るいランプ、その明るさを求めて日本人は次第にエスカレートして行く事になる。
 明るさの追求は、しいては近代化の推進であり、近代国家への原動力となって行き、発電所の開発に邁進する事になり、電力の明かりへと移行をしてゆく。

 明治以来の流れの中、現在の日本の照明は必要SANY3681.JPG以上に明るく、商用施設などは、より明るくするために電灯を増やし、結果として必要以上の明かりを灯している。
 その灯りは蛍光灯による明かり、外国人が日本の家庭は、何故工場と一緒の明かりをつけるのか不思議であると、素朴な疑問を抱いている。

 しかし、我々は其れが当たり前であり、何の疑問も持たないで今まで来たが、この震災でやっと疑問に気が付いたようであるが、果たしてそうであろうか。
 以前に、イギリスの友人に同じ事を言われた事を思い出す、彼曰く「お前の家でも工場みたいな蛍光灯を使用しているのか」と云われ、「もちろん使用している」と答えたが、彼は「何故そんなに明るくするのか理解できない」と不思議がった。
SANY3676.JPG
 彼等は、「必要な場所に」、「必要な明かりを付ければよく」、部屋全体に明かりを灯さなくても良いと、何故日本人は無駄な事をしているのかと、やはり理解できないらしい。
 私がランプを求めるのも、逆に不思議に思えるらしく、何故ならば、こんなランプは明るくないから、明るいのを好む日本人が何故買うのかと、マタマタ質問。

 彼は痛烈に、我々日本人が無駄な電力を使っている事を、批判しての発言である事を知ったのは、それから後の事、イギリス人独特の言い回しだ。
 しかし、云われて見ればそのとうり、無駄に電力を使って必要以上の明るさにしている現代の生活、ここらで少し考えを買えないといけないのではないだろうか。





 
















 
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2017年10月12日

信濃古時計行脚5

   安いから買えと

SANY3873.JPG 善光寺の門前町の骨董屋の親父、「折角寄ったのならこの時計買って行け」と言うが値段が合わない。
 勿論まだ値段も聞いてないが、こちらが欲しいと言えば必ず高い値段を言うに決まっているから、こちらからは買うとは言はない。
 極普通のどこにでもあるイングラハムのダルマ、此方から切り出す事もしないので結果はそのまま店を出る。

 すると友人「親父、今日は何だか押してこないな」と言う、確かに彼の言う通りだがSANY3881.JPG親父も分かっているはず、すんなりと我々が買うとは思っていないから。
 これから行く先で何も買えなかったらまた来れば良い、今日はこれで良いのだと友人に伝えると、「厄払いするか」と言い出す。

 すぐ近くに川中島があるから、そちらに行って「信玄のように考えてみるか」と訳の分からない事を言っているが、腹が見えたようだ。
 それは後にして今は運転手に任せて川中島に行く事にしたが、今日の宿は市内のビSANY3886.JPGジネスホテルだから遠くに行かない事に。

 川中島に着き厄払いのため神社に、久し振りに来るが何だか整備されたよう、前よりも綺麗になっている。
 信玄と謙信の銅像は昔と変わらず、堂々としており、戦の模様が肌で感じられるよう、気を引き締めて厄払いのためお参りをする。

 彼奴がここに行こうと言い出したのは近くに翁グループの「にしざわ」があるためだと分かっていた。
 今日はここで夕飯をするつもりだともお見通しだ、案の定、近くの買い出しやに寄ってから「にしざわに行こうか」と切り出して来た。



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