2017年11月30日

輸出向け用

      早くから
小.jpg
 西洋時計をモデルとした時計グッツは明治から色々な物に造られて、市場に出回っているが、明治末期には海外に向けて輸出をし始める事になる。
 最初は国内向けの限られた範囲の物が製造されていたが、次第に海外向けの商品を開発、そして国内向けよりは多くの製品が、海外に輸出されるまでに発展してゆく。
 初めに花生けなどのいたって種類の少ない物が輸出されていたが、市場の要求に答える形で、色々な製品が作られるようになり、そして独自な商品も多く造られるようになる。
 はじめは東南アジアが主体であったが、後にはヨーロッパ向けの商品が海外のバイヤーによって、工賃の安い日本での製造以来が殺到する事となる。

 手先の器用な日本人の高い技術と製造の正確さが、海外のバイヤーの目に止まり、其れまでヨーロッパで製造されていたものが、日本に製造を依頼してくる。
 はじめは、ドールハウス用の細かな商品ばかりであり、ヨーロッパでも子供向けの安価な物が大半、高級品はマイセン等のヨーロッパの窯元に製造を依頼していた。

 日本での製造は、主に瀬戸地方で製造され、其の技術SANY3475.JPGの高さが認められると供に、マイセン等に発注していた高級品も次第に瀬戸に製造依頼が来る事になる。
  写真に上げた物は大正末期からに瀬戸で作られたドールハウス用の小物、大きい物で10センチ、小さいものは2センチ、子供用のものから、大人が楽しむドールハウス用の時計グッツである。
 左のグランドファーザーや置時計などは非常に精工で出来の良いもの、これらはやはり大人用であり、高価な時計グッツであったものと思われる。

 そして戦後、アメリカ向けに大量に製造されてものが、下の段右二つ、オキバイド、ジャパンと記されているものだ。
 この手のドールハウスは大量に造られてはいるが、手の込んだ作業がされており、大量生産とは一線をかくしたものである。
 マイセンに負けることなく、瀬戸製の出来の良さは定評があり、海外で高く評価されたもので、信頼感もあったようだ。
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2017年11月29日

信濃古時計行脚17

   値段が高くて

DSCN1129.JPG 安曇野のリサイクルショップ、古時計はあったが親父との値段交渉が、ここの親父は値段にきつい人。
 観光地と言う立地条件をたてに強気な値段、普通の店よりも2、3割高く設定されていると思うが、それでも親父は強気である。
 勿論色々な人がやって来るので強気は分かるが、只売買となると買う方も厳しい、当然値段交渉となる。
 しかし親父は何時も強気で通すので売買は難しいと思う、何時ものように値段を下げろと親父と駆け引きが始まる。

 友人はそんな2人を無視して店内を物色、面白いものはないのかと探し始めているから、それをよそ目に親父と相談。
 別に買わなくとも見て回るだけでも良いが、そこは折角来たのだから親父とやり取りをしないと楽しみがない。DSCN1054.JPG
 親父もそんな事は承知しているから、他人には分からない呼吸が存在しており、ゲームみたいなものか。
 大した時計ではないのにお互い主張、「何処にでもある古時計だ」と言えば、「そんなら値段は聞くな」と親父。
 買うつもりはあるのかと親父は言いたいらしいが、此方も買うつもりはあるから値段を聞くのだと、そんな態度でお互い話が続く。
 最近は古時計も出なくなってしまい、安く売る訳には行かないのだと、確かに親父の言う通り古時計は段々少なくなっている。

 しかし片方でネットが盛ん、ネットでは常時古時計が売りに出ているから、欲しい人はネットで買い込むのだ。SANY1984.JPG
 値段は高い時もあれば、安い時もありその時の運次第、人気のある古時計欲しい人が集中するから必然的に値段が高くなる。
 現実に今ネットで出ている古時計は安ければすぐに売れてしまい、高ければ売れないとハッキリしている。
 そんな話を親父にすれば、ネットはネット、うちはうちとやっぱり強気な発言だが、それとは裏腹にネットが安すぎだと親父。
 結局この親父とは古時計の値段論争をしただけで買う事はなくリサイクルショップを後にし、残りの店を回る事にした。
 目的の店に良い物が無くて、最後に期待していたが結果は何も買えない事に、それもまたこの旅の面白さかもしれない。
 何も買えなくても古時計を求めて巡るのが楽しい事、何処かで何かがあると、そんな気持ちで回るのも良いではないか。




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毎月の原稿

   何時も悩む


SANY4714.JPG 毎月、毎月出版される小さな蕾、原稿を書いてから今回で50回を越したが、良く続いたと思うと変でもある。
 何故変かと言えば、これまで続くとは思ってもみなかったし、出版社も良く辛抱したものだと思う。
 素人の原稿を毎月、毎月雑誌に載せる事は冒険であると思うが、ましてや50回もの長きに連載するとは。
 自分でも色々と考えさせられ今日に至ったっがやはり毎月原稿には迷いも、長く続く事への迷いが生じ始める。

 毎月の原稿を書きはじめると、決まって文章に同じような書き出しがツイツイ出、これに気付いてまた書き直し、違った書き出しにする。
 しかしやっぱり同じ様なものになってしまい、そこから抜け出SANY4716.JPGせなくジレンマに陥る事に、すると全くと別文章が頭の中に浮かぶことに、前の文章とのつながりはなく関係のない事が次から次へと出て来る。
 文章が出て来る事は良い事だが、全く前の文章とは繫がらないので、これで文章を続ける訳には行かない。
 同じことを書いては思うあまり、トラウマとなり全く違う事を描こうとする、それ自体がスランプ状態となる。
 面白いもので自分では気が付かないがトラウマ状態となると、そこから抜け出るのはに時間が掛かり、相当の努力が必要となる。
 文章とは一旦自分の手から離れれば、独り歩きをするもので、後SANY4724.JPGから取り戻しがきかないから、出した時点で終わりとなってしまう。
 過去の文章を改めて読んでみると、何でこんな事を書いたのかと悔むが後の祭り、それが文章を書く事だ。

 勿論同じ時計を題材にすることも、そんな時は前の文章をよく読み、同じような事を書かないと自分に言い聞かせる。
 しかしながら素人では限界と言うものが、小説家みたいに変化を付ける事は難しいもの、そこが素人だと思う。

 古時計を何処の視点で見るかはその人の主観的なもの、それを理解して貰うのにどのようにして書くかも本人次第。
 色々な視点から書く事も大事要素、読者にどのように伝えるかは本人の技量、今回もそれとの戦いかも知れない。



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2017年11月28日

何処が違うのか

      良く見れば
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 明治期、文明開化華やかなりし頃、西洋から入ってくるものに日本人は飛びつき、我先にと新しいものを買い求めようとした時代、西洋文化は憧れであり、舶来信仰の始まりでもある。
 舶来物に憧れた日本の人々、生活の中に取り入れようと努力をした人達、江戸時代に頭に載せていたちょん髷、明治に入り一斉にちょん髷を切る。

 その当時を風して、「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」とうたわれ、我も我もとちょん髷を切り落として、ザンバラ髪にしたものだ。
 食器の世界にも革命をもたらしたものに、印刷技術があり、江戸時代より続けられてきた陶器製造にも、文明開化の波が押し寄せる事になる。
 一つ一つ手で描いてきた陶器の器、明治に入り西洋からもたらされた印刷により、陶器の絵付けも印刷となることに、そしてその図柄も和洋折衷のものに。SANY4050.JPG
 
 明治の文明開化を象徴する1つ、皿の中央には当時の流行り西洋時計が描かれているもの、最新流行の時計を江戸時代の図柄と合わせたもの。
 最先端の時計と従来の図柄、ミスマッチのようだが、之が明治の文明開化、西洋文化を取り入れようと努力する日本の人、職人はその雰囲気を上手く取り入れたのだ。
 しかし、良く見るとどこか変、気付いた人は時計通、何処が違うのか分からない人のために、皿の文字盤をよく見てください、どこか違っていませんか。

 答えは、文字盤が逆になっているもの、1時が左に来ていて、11時が右に来ている事、つまり文字盤が逆になっているものなのだ。
 果たして気付いてもらえたのだろうか、チョット目には分からないが、この皿珍しい物なのだ、当時の職人さんが気付いていないうちに製品化されてしまったものなのか。
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2017年11月27日

蚤の市巡り

   何時行っても

SANY3544.JPG 全国の蚤の市、定期的に開かれるところやら、不定期で開かれるところと様々であるが、楽しい場でもある。
 この蚤の市、何が出て来るか分からないから面白いし、びっくりするのも蚤の市であると思う。
 定期的に開かれているものの内、一番大きな蚤の市は京都東寺の蚤の市、歴史は古くて全国的にも有名な蚤の市。
 私も幾度となく訪れたところ、何せ広い会場であるから何処に何があるか、把握していないと時間が掛かる蚤の市でもある。
 人出も多いから競争相手も多くて、良い物を見つけるのには苦労するのもこの蚤の市、その分量も多いから楽しめるのもこの蚤の市。
 しかしこの様に盛大でない蚤の市も全国に多くあり、旅の一つの目的でもあるのだが、最近は地方の蚤の市の規模が小さくなってしまったようだ。

 以前は盛大に行っていた所が突然中止になったと言う話も、人や物が集まらなくなってしまい取りやめになった所もある。SANY3528.JPG
 何だか寂しい思いもするが、最近のリサイクルショップが増えた事でそちらに客が流れているとも言われている。
 確かにリサイクルショップも多くなり、便利ではあるがやっぱり露店の蚤の市が雰囲気があって良いと思う。

 蚤の市と来れば朝が早いと、東寺の蚤の市は朝暗いうちから人だかりが出来、早い者勝ちとばかりに競い合って行くのだ。
 私も東寺の中にある東寺会館で宿泊して、日の出前には業者のもとに、懐中電灯片手に暗い境内を探したものだ。
 その甲斐あって珍品も多く手に入れた事も、常連の顔馴染みも多数、やはり競争相手でもある人達、勿論業者も含めて。
 顔馴染みの業者も多くいて、彼らのもとに一目散で到着するようSANY3565.JPGに走るが、敵もさるもので競争であった。
 事前に情報も入れてくれる業者も多くあって、どの店を先に行くかも運命の分かれ道、先を越されることもあった。

 蚤の市の規模が大きいか、小さいかは別にして蚤の市はやっぱり楽しい場所、期待が膨らむ所でもあり、何か良い物があるのではとワクワク感がよい。
 そして何よりも値段の交渉が出来るのも蚤の市ならではのもの、店主との交渉が面白いのも露店の蚤の市であると思う。
 今日も何処がで蚤の市が開催されていると思うが、我先にと常連さんが走る姿が目に浮かぶ。




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2017年11月26日

今年は少ない

   蜂屋柿

SANY4848.JPG 美濃地方でつくられている蜂屋柿、その大きさは見事と言って良いもの、あの信長も好物だったと聞く、他の柿とも一線を引くものだ。
 朝廷の献上品として昔から一部でつくられて来た柿、その大きさや美味しさは格別、他の柿を圧倒するもの。
 そんな蜂屋柿、毎年我が家に届き、秋の楽しみの一つであるが、この柿を干し柿にするのもまた楽しみ。
 去年もつくったがあまり良いものが出来なく、苦労をした覚えがあるが、今年は柿が少なく、裏年に当たると言うのだ。

 毎年、毎年多くの実をつけるSANY4851.JPGのではなく、当たり年と裏年があると言い、今年がその裏年であったそうな。
 勿論商売として柿をつくっているのではないら、自然に任せてのもの、多く実るときとそうでない時があると言うのだ。
 だから今年我が家にやって来た柿は少し少なく、熟して食べるものと、干し柿にして食べるものとに区別した。

 やっぱり長持ちするのは干し柿にするもの、兎に角柿が大きいので食べ答えもあるが、干し柿にするのも一苦労。
 柿をむき、焼酎で消毒をしてから紐を付けて吊るすのだが、この作業が案外手間取るので、毎年やっていても苦労する。SANY4857.JPG
 大きさも普通の柿の倍はあるから、焼酎に全体を付けるのだが量が多く、柿にたっぷりと付けないと腐る事にもなる。

 だから何時もたっぷりと焼酎につけ、それを干すのだが高いところに干す為、顔に焼酎が落ちて、べたべたになる事も。
 たっぷりと漬けてあるためにポタポタと焼酎がたれ、時には目に入ったりと、それでも後の楽しみが大きいから。
 この蜂屋柿は干し柿にしても大きいから食べ答えがあり、普通の干し柿二個以上はあるもの、その上旨いときている。
 写真は一番上のものは普通大きさのリンゴと比べたもの、その大きさが分かって貰えるだろうか、二つ目の写真はへたに紐を付けるように切ってあるところ。

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2017年11月25日

時代の流れ

      発明はしたが

 SANY1620.JPGエジソン、言わずと知れた発明家、数々の発明をしたアメリカの英雄、世界で最初に蓄音機を発明した人でもある。
 人間の声を再製する目的で、再生装置を発明し世界に特許を申請、世界初の蓄音機発明家となったが、実際には彼よりも早く再生機を発明した人がいる。
 しかしながら特許を申請しておらず、聊かもめたらしいが結果はエジソンの申請を認め、世界初となったとのことだ。
 このエジソン、トラブル続きの人物でもあるようで、電話の発明に対してもクレームが、この発明にも前任者がいたようで、どちらが先だったかでトラブル。

 これもエジソンが先に特許を申請したことで、発明者はエジソンとなった由、結局エジソンと言う人は、抜け目のない人であったようだ。
 発明は遅れたが申請は早くする事により、発明者として認証して貰う事にたけた人物、発明は早くしたものの申請をしなかったばかりに発明者とならなかった人もいる。
 そんなエジソン、発明はしたが販売となると、流行にはおぼつかない人であったようで、蓄音機も他社が次々と新型をいち早く出したのにエジソンは出さなかった。SANY6099.JPGSANY6096.JPG
 レコードにしてもしかり、他社が次々と新しい物を出してゆくが、エジソンは気にしなくて、この分野でも遅れを取っている。

 写真の蠟管、同時期の他社との比較、他社の蠟管は時代の流れをうまく取り入れて、アールデコ調のデザインを取り入れて、流行に乗っている。
 しかしエジソンは昔ながらのデザインで押し通しているのだ、その結果販売は大きく落ち込んでゆく、其の辺りがエジソンの弱点らしいのだ。
 写真が物語るエジソンの時代感覚、左は他社のもの、右がエジソンのもの、発明はしたが販売に興味がなかったのか、特許は抜け目なく取得するがデザインとなるといささか疑問、当時の流行には気が付かず昔の儘のデザイン、やっぱり流行には疎い人、それも1つのエジソンの人間性かもしれない。
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2017年11月24日

持ち込まれた物

   また持ち込まれた

 SANY4192.JPG以前にも紹介した和時計をつくると言う雑誌の付録、今までに3台持ち込まれているが又持ち込まれてきた。
 最近ネットで出ているらしく、それを買い込んだ人が持ってきたもの、触れ込みでは動かないと言う事らしい。
 ジャンク品として販売されていたのを承知で落札、安いからとの理由であるが、あまり感心しない。
 自分で修理できれば良いが、普通の人は修理出来ず、結果は高いものに付いてしまい後悔するだけである。

 安いからと言っても、それにはそれなりの条件があるはず、今回のものもそれにあたるもの、部品が足りないのだ。
 致命的な部品でないから、何とかなるとは思うが、この人が出来るとは思えないし、部品の製作を頼めば高いものにつくはずSANY4196.JPG
 簡単に考えているらしいが、そんな簡単にできない事は少し考えれば分かるはずであるが、そこは欲しいと言う心が先に立ってしまった。

 安いとなれば尚更の事、私でもその気になるのは無理からぬ事、しかしそれは修理する自信があってこその事。
 他人に修理を依頼すれば非常に高いものに付き、新たな部品を探そうとすれば、それまた大変な事だ。
 運が良ければネットで見つけられるかも知れないが、それとても運次第と云事になり、先が分からない。
 友人の紹介で持ち込まれたが、この和時計もあまり造り方が良くないもの、機械に詳しくない人が組み立てたものと思うが、接着剤がいたる所に付いており、汚い仕上がりである。SANY4199.JPG
 動かないと言うので分解する事にしたが、前一番車を固定されている支柱が動かない、こんなことはない筈。

 ピクリともしないのでルーペで見れば、やはり接着剤がこびり付いており、苦労してやっと外すも更に暦を動かす歯車もピクリともしない。
 何故こんな所に接着剤が付けてあるのか、原因は他にもあったが全部接着剤のせい、形は出来ても動かないない筈だ。
 説明書には接着剤を余り付け過ぎないようにと書かれているはず、これも慣れない人が造るせいなのか。
 時間をかけて全部の接着剤を取り除いて動いたが、良く見てください時打ち車や後ろの支柱が2本ない、これを探すのも大変だと思う。
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2017年11月23日

便利なのか

      ドチラか分からない

SANY4136.JPG 日本人は色々な物を複合して商品を造るのが好きなよう、今までにいろいろな複合商品が売りだされてきたが、流行ったものもあれば、全くダメな物もあった。
 複合商品とは、本来の商品に別の機能を持った物を組み合わせ、1つの商品にする事を言う、例えばラジオと懐中電灯を1つの物にして完成させたもの。
 ラジオと懐中電灯、シンプルなものが之、その数を数えだしたら切が無いくらい多く、今では複合商品が当たり前、逆に単体の商品は稀な方に属したしまうのが現代。
 兎に角複合した物ばかり、そんなに機能を付けないでも良いと思うのに、之でもかとばかりに、競い合って複合商品を造る、その為に複雑な操作が要求され、我々歳のいった者には使い辛い。

 1番流行っているものは、携帯電話ではないだろうか、電話の機能はそっちのけで、カメラやパソコンが主流、電話は二の次みたいなものと化している様だが。
 果たして便利すぎて、かえって使い辛いものになっているように思うが、若い人は之で良いのか、兎に角今ものは複合過ぎるものが多い。
SANY4230.JPGSANY4233.JPG 写真のボールペンとライターがドッキングした物、30年以上前のものだが、之も決して良いものとは思えないもの、ライターは直ぐにガス欠になり、ボールペンもそんなに長くは持たないもの。

 ライターも細くて小さいので使いにくく、便利なものとは言いがたいが、ちょっと使うのには役に立つかも、常時使うのにはホールペン、ライター共に力不足であるようだ。
 複合商品は、使い勝手の良いものは少なく、余分なものまで一緒には無い方がよく、シンプルなものの方が我々年配者にとっては便利、使い勝手が良いのではないだろうか。

 
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2017年11月22日

七宝の入れ物

      あて外れだが

SANY4684.JPG 以前私はヘビースモーカーで、1日に2箱半の煙草を吸っていたもので、その中でも缶ピースが好みの煙草、毎日他の煙草と交互に吸っていた。
 缶ピースは50本入りの缶に入っているが、この缶思ったより機密性はなく、何か良い入れ物はないのかと探していた時、アンティークショップで丁度良い琺瑯の器を発見した。
 見たときに非常に頑丈そうであり、更に琺瑯の綺麗な図柄も気に入り、店主に聞けば日本のものであるから心配ないし、絶対に良い物で買い得な商品だと勧められた。
 値段もすごく安いのと、日本製の琺瑯と言われたのが気に入って買い込んだが、家に持ち帰って蓋を開けてみると、非常に強い化粧品の匂いがする。

 仕方なく、洗剤で何度か洗いピース缶から煙草を移し変え、この器に入れ1日置いてから、煙草を吸うつもりで蓋をあけたが、化粧品の匂いは抜けておらず、入れていた煙草に匂いが移ってしまい、とても吸えるものではなかった。
 見つけた時は煙草に合いサイズも申し分なく、機密性も充分である事から、入れ物としては申し分のない物だと思ったが、この匂いだけはどうしようもなく、結局煙草入れにする事を諦めた。
 後日、友人が家に来てこの器を見つけるなSANY1756.JPGり、SANY4769.JPG「中国製の七宝など買ってどうする」と云われ、私が日本製ではないのかと問いかければ、「当たり前だ、中国製の安物だ」と再度言われた。
 その上、「お前は日本製も中国製も分からないのか」と厳しい指摘、アンティークショップの親父に騙されて買い込んだ事にやっと気が付く始末、それ以来我家の飾り棚の目のつく所において、戒めとして小物入れに使い、失敗を忘れない為の記念品としている。
 今ではガラクタ入れとして使っており、ある意味で重宝しているから、あの時買ったことはプラスに働いていると妙に納得しているから面白い。
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2017年11月21日

信濃古時計行脚16

   やっぱり蕎麦

DSCN1947.JPG 風呂から上がり友人の言う何か食べに行く事とは、宿から歩いて一分「小林の蕎麦」の事、ここも何時もの行きつけの蕎麦屋。
 松本には蕎麦の美味しい店は沢山あるが、我々が良く行く店はこの小林の蕎麦、宿から近いせいもあるが旨いからだ。
 勿論好き好きがあるからその人に合った蕎麦で良い、我々の好きな蕎麦は小林の蕎麦を腹一杯食べれば満足、ゆっくりと眠れるからだ。
 今日一日古時計を求めて歩き回り、足が痛くなるほど回ったからだが、風呂に浸かったせいもあり楽になったようだ。

 蕎麦も食べたし満足して今日はぐっすりと眠れそう思う、友人自販機でビールを買い込み満足げに飲みほしていた。
 これで本日は就寝するのSANY1940.JPGかと思えば、「さて風呂でも行くか」と友人、仕方なく風呂場に2人で行く。
 今日の締め、やっぱりここの風呂は大きくてゆったり、その分リラックスでき最高、後は寝るだけだ。
 朝はこのホテル自慢の朝食、レストランで朝飯を食べ、コヒーを飲みながら今日の行動を話し合う。
 出だしに失敗した「安曇野翁」の蕎麦、最後に行かねばこの探索の意味はないと2人で決め、その後今日は安曇野の店5軒を目指すことに。
 目的の翁は開店と同時に入り、蕎麦を食べて信州の旅の締めを完成させる事、月曜日定休日にやってきて失敗、今日はリベンジだ。
 結果は開店と同時に入って一番乗り、何時もの蕎麦を食べ、締めは鴨せいろ、これで旅の完成である。

 翁を後に安曇野に、この安曇野にはリサイクルショップを含めて5軒の店があり、前にも多くの出物を発見、縁起の良い土地だから期待はしている。SANY4072.JPG
 特にリサイクルショップは古時計が出る所、何時も5、6台の掛時計が掛かっている所、今日はどんなものがあるのか。
 その店は安曇野のど真ん中にあり、普通のリサイクルショップ、店の前には古い郵便ポストが目印、中に入ればやはり古時計があった。
 ただここの店は値段が高くて、普段通りに買う事はご法度、じっくりと交渉しないと失敗するから、気難しい親父が居るので。
 そんな親父との値段交渉もまた楽しみの一つ、果たしてどんな値段を言い出すのか、気合を入れて交渉する。
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2017年11月20日

新しいねこ

      若 手 作 家

 SANY4266.JPG焼き物の町瀬戸市、最近瀬戸市には新しい陶芸作家が続々と誕生、多くは若い女性がしめ、また作風も自由な物が多く、新風を吹き込んでいるようだ。
 今までの陶器のイメージと少し違った物を生み出し、彼女達らしい作風を表現しているが、その中にあって、陶器だけでなく最近はガラスの作家も増えてきている。
 以前には陶芸作家は陶器を作るものと決まっていたが、今はガラスの物を作り出していて、其処から生み出す物は今までに無い形、オブジェであったり、コップや皿であったり、色々な動物であったりと多種多用。
 女性らしい物を次々と作り出し、瀬戸に新風を吹き込んでいるのは確か、新生工芸館での修行が簡単に出来るようになったのも、大きな手助けとなっているようだ。
SANY4269.JPG
 市内に展示してあるものも、最近ではガラス物も多くなり、他から瀬戸に来た人も間違いなく変化に気付いていて、あちこちの作品を楽しんでいるようだ。
 時代の流れは確実に早くなっている現代、去年の物より今年の物と目まぐるしく変化を遂げている事もあり、その流れに彼女達も敏感に反応している。
 新しいセンスでガラス物に挑戦している姿が、そんな作品を並べて見ると、従来型のものと新しい物との差、昔から作られてきたものと彼女たちが作り出した物。
 2つを並べて見ると、新しい伊吹を感じるのでもあり、やはり若い人の感性で作り出された作品は、旧来物とは少しばかり違い、新しさを感じ、従来のものは可愛らしさを強調しているが、新たなものは躍動的な動きがある。
SANY4279.JPG
 写真の一番上の猫たち、左の旧来型と右の新しい型の猫、ドチラの猫がお好みであろうか、彼女達の躍動感が表面に出た作品となっていると思う。私はガラスの猫が現実感があって良いと思う。
 何にしても新しいものを造ろうとしている事に新鮮味を感じる。
 勿論可愛らしさは同じこと、表現方法が違うものになっており、どちらが好きかは人それぞれ、しかし新しさは自然に出ていると思う。
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2017年11月19日

エジソン

      発  明  王

 SANY4638.JPGエジソン、言わずと知れた発明王、「トーマス、エジソン」の事であるが、彼と「グラハム、ベル」との発明競争、この熾烈な戦いは余り知られていないようである。
 ベルとエジソンはライバル同士、共に発明を志、先に発明して世界に名を残す事に力を注いだ人物、彼らの発明競争は熾烈を極めたようで、その最初は蓄音機と言われている。

 蓄音機の発明はエジソンとなつているが、実際にはベルが先に発明をしていたが、彼は特許の申請を怠った為に、後から発明したエジソンに特許を取得され、彼の名は蓄音機発明者としての地位に無い、ベルが研究者であり、エジソンは実業家であった事が、ベルを蓄音機を先に発明しながら、エジソンに先を越されてしまった。
 歴史の裏側は実に面白いもの、我々が知っているような事でも、実は違っていたりしてミステリーぽい、だから歴史は面白いのであるが、当人達にとってはそれは死活問題だ。
 その実、ベルは蓄音機を先に発明したにも拘らず、エジソンのパテントを借りなければ、蓄音機の製造販売が出来なかったから、之は彼にとって屈辱的であったようだ。
 その後は、電話発明でエジソンより先に特許を取得して、電話発明者としてその名を刻む事になり、エジソンに一矢報いた形に、其れ以来彼らのライバル意識は死ぬまで続くことになる。SANY1620.JPGSANY1621.JPG

 そのエジソンが発明した蝋管の蓄音機(いやいや、実はべルが先に発明)、以前に買いこんだ物だが何時の時かクランクが無くなっており、ゼンマイを巻けない状態、クランクが如何しても見つからない。
 ゼンマイを巻くクランクが無ければ演奏は出来ないもの、探してもみつからないと弱っていた時、「そんなのクランクを造ればいいよ」と軽く言われた。
 軽く言われるので「何処で作ってくれるの」と問いかければ、「私が作る事にしますか」と、これまた簡単に言われるので此方が拍子抜け、やっぱり古時計保存協会の会員さんは凄い。
 このクランクを簡単に作ってしまう古時計保存協会の会員さん、私にとっては力強い技術者、頼りになる技術者を友達に持ったのが幸運、これからもどれだけお世話になる事やら。
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2017年11月18日

好きな茶碗

   地元の作家作
 SANY4593.JPG焼き物の町瀬戸市に生まれ、小さい頃より焼き物を見て育ち、焼き物の出来る工程を見続けてきたので、自然と焼き物は好きであるようだ。
 近所は焼き物の製造場所と言うよりは焼き物に囲まれて育ったといった方が良いが、ガキの頃より焼き物の仕事場に入って遊んでいたものだ。
 自分のガキ友達の家はみな窯元、そのせいか窯と呼ばれる焼き物を焼く建物の中で遊んでいたので、知らず知らずに焼き物を身近で感じてきた。
 1番好きだったのは窯を焼くときだと思う、この陶器を作る窯を焼く時は何時でも五目御飯やご馳走が食べれたからだ、自分の家の子供以外に近所の子供でも、その日SANY4598.JPGはご馳走してくれた。

 窯元の家の子供でもない私でも隔てなくご飯を食べされてくれたもの、窯元の家で何時もご馳走になったが、私だけでなく近所の悪ガキ共も同じであった。
 この頃はおおらかな時代、同じ近所の子供なら誰彼となくその様な事は自然と行われていたのだが、今考えると非常におおらかな、よい時代であったと思う。
 窯元はそんな太っ腹な人が多くいたとも云え、別に近所の子供であれば、飯時になれば嫌な顔せずに食べさせてくれたもの、懐かしい思い出だと思う。
 そんな訳で焼き物は自然に好きになり、小さい頃より親父の影響で古い焼き物は我家に転がっていて、それは古陶器と呼ばれるもの、兎に角一杯あった。
SANY4603.JPG
 中でも抹茶茶碗、いろいろな物が蒐集してあったから、子供心に古いものだと感じていたが、触らせてはくれなかったので、眺めていただけ。
 そなん数多い茶碗の中、現代作家の茶碗も多くあり、特に地元作家ものは数も多かったが、私が気に入った茶碗は加藤春二作の黄瀬戸と呼ばれるもの。
 何故かしらこの茶碗が1番気に入って、親父に見せてもらったもので、加藤春二氏は尾張藩の御用窯「葵窯」の当主、県の無形文化財保持者でもあった。

 春二氏は松尾流の職方で黄瀬戸の名手、当時は非常に高くて人気のあった作家、しかし私は黄瀬戸の茶碗の方が好きで、この茶碗でお茶を飲むのが好きであった。
 親父が亡くSANY4607.JPGなった後、この茶碗何処かに雲隠れして分からず、探しても見つからなかったが、お袋に聞いても知らないと云うばかり、だが家の外には出てないという事だった。
 それ以来雲隠れして久しかったが、実家を壊すときに押入れから出てきたので、我家に持ち帰って傷がないのか調べたが、幸いにも無傷であった。
 この茶碗、どうしてか愛着があり、はじめて目にした時から頭の中にあり、そんな茶碗を出して茶を立てることにしたが、昔親父がこの茶碗を手にしていたことを思い出した。
  親父もこの茶碗を気に入っていたのか、自分も好きな茶碗、黄瀬戸の色合いがとても良いもの、やっぱり親子だとその時思ったが、それにしても長く雲隠れしていて、見つかってよかったと思う。











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2017年11月17日

信濃古時計行脚15

   晩飯はカレー

SANY2890.JPG 本日の古時計探索は終了、青木峠の親父の家で古時計を2台ゲット、やっぱり回り道して良かったと松本に向けて走る。
 松本に着けばすっかり暗くなっており宿に直行、何時もの定宿に到着するや風呂場に、ここの風呂は大きいからリラックスできる。
 早速カレーを食べにデリーに向かう事に、歩いても5、6分の距離、店は開いており直ぐに席に着くなり、「極辛2つ」と注文。
 昼間は観光客が多いが夜は地元の人達、それも常連さんばかり、昼間とは雰囲気も違い静かでもあるのだ。
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 ここは二人とも好きな所、若い頃より通っている所でも、素朴なカレーで今はやりのカレーとは少し違うものだ。
 ある人が「何でこのカレーが旨いのか分からない」と、それを聞いて憤慨したもの、たしかに一流のカレーとは違うものだ。
 しかし手の込んだ作り方と素朴さが良い、勿論好き嫌いだが我々には何処よりも旨いカレーであることは間違いない。

 2人とも一気にカレーをかきこみ、福神漬けは一杯口に放り込み、汗をかいて店を出れば川風が心地よいが、目の先には「喫茶まるも」、やっぱり行くことに。
 これまた何時もの行SANY2899.JPG動、まるもの店に入って左手突き当りの角席に着く、この席も何時もの席、空いていれば昔からここに座る。
 何時来ても変わらない雰囲気が良く、松本に来ればこの店のこの席に着く、それも我々の拘りでもある。

 最近はこんな店が無くなってしまい、新しい店ばかり、新しい店は清潔で気持ちが良いが、何でも新しければ良いと言うものでない。
 我々が歳をとっているせいかも知れないが、それだけではないと思う、変わらぬ良さも大事な要素。
 ゆっくりと席でコヒーを飲み、宿に帰って再び風呂に行き湯につかると、そこで「何を食べようか」と友人が言い出し、これもまた何時も事だ。


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2017年11月16日

      秋 は 菊
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 日本古来から親しまれた来菊、私も当然日本のものと思っていたが、やっぱり渡来の植物であるらしく、古くに日本に渡来したとの事だ。
 記録によると平安時代以前と云われ、中国よりわたって来たと言う、その後日本で改良され日本生まれの菊が誕生、今は350種類もの多さ。
 日本人に愛されて来た花の中でも1、2番の人気のある植物、春の桜と人気を二分する花、この花厄除けとしても知られた花、9月9日の重陽の節句の花だ。
 菊の香りが邪気を払うといわれ、菊酒や菊の香りを移した綿で清めたとも言われ、無病息災を願う花でもあり、また仏花としても人気の花である。
 その花の香りが邪気を払うと信じられている事からだ、そんな菊の花、9月頃から1月頃まで長く咲く花、特に冬場の花の無い時に咲く花としても親しまれている。

      百人一首にも多くの菊が詠われている。

 こころあてに おらばやおらん はつしもの おきまどわせる しらぎくのはな


 SANY0194.JPG中国の故事にちなんで、渡来後宮中で重陽の節句がもようされるようになり、菊は宮中ではなくてはならない花、その後、後鳥羽上皇が菊を印とした事から、天皇家の紋となった。
 菊は長寿を表していることから、縁起が良い花として後鳥羽上皇が好まれ、上皇の御印として好んで使われるようになり、天皇家に採用され御家紋となった、これが菊の御紋である。

 菊は日本の国花となり、色々なものに付けられているが、天皇家の16花弁の紋は使用禁止とされ、今でも使うことが出来ないが、そのほかの菊の紋は使用できる。
 菊は日本古来の植物とばかり思っていたが渡来植物であると知り、何だか妙な感じであったが、しかしヨーロッパでも盛に作られている。
 SANY0197.JPG日本では江戸時代に入り、武士の嗜みとして菊つくりが行われていたようで、菊造りにもいろいろな作法があるらしく、それは「江戸菊」、「嵯峨菊」、「肥後菊」、「伊勢菊」などがある。
 この菊造りは所により全く違った花になり、その土地、土地に菊の種類が分かれると共に、育て方も其々に違うとのことだが、詳しいことは知らない。

 秋になると色々なところで菊の展覧会が模様されているが、必ずと言って良いほどこれ等の流儀による菊が展示されている。
 見事な大輪の菊が出品され人々の目を楽しませているが、育てるのは大変な苦労と聞く、それも楽しみの1つか、私は庭に咲く小さな菊の方が好き、今年もこっそりと咲いている。
 やっぱり菊は大輪の花ではなく、野菊のような小さな花の方が親しみやすく、眺めていても飽きない素朴さが良いが、これも又好き好きであると思う。

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2017年11月15日

龍馬の命日

   11月15日

 SANY4689.JPG毎年この日がやって来るが、今年は特に気になる日、前から欲しいと思っていた坂本龍馬の掛け軸、やっと手にはいったのだ。
 若い頃より手に入れたいと思っていた掛け軸、初めてそれを目にしたのは伏見の寺田屋、龍馬ゆかりの場所。
 坂本龍馬やお龍が居た所、龍馬ファンゆかりの地、龍馬が定宿として居た部屋に掛けられていた掛け軸だ。
 当時は販売もされていたが高かったので諦めていたが、時が経つにつれ段々と欲しいと言う欲求が大きくなった。

 どうせ求めるなら良い物が欲しいと、あちらこちらに問い合わせたが、中々手には入らなかった。
 何時しか30数年が経ち、諦めかけていた時、偶然にこの掛け軸を見つけ手に入れたが、値段も安くて拍子抜け。
 あれだけ探し求めて来たのにSANY4694.JPG手に入らなかったものが、いとも簡単に手に入るとは、確かに縁があれば向こうからやって来るものとは。
 縁がなければ中々手には来ず、忘れたころに簡単に向こうからやって来るとは、不思議なものである。

 何にしても今年の龍馬の命日には間に合ったのは幸い、程度もまあまあの状態、何よりも値段が安いのが有難い。
 幾ら良い物でも値段が高ければ、喜びも半減するものだが、簡単に手に入り、しかも値段が安くて良い物なら、文句のつけようがない。
 「縁」とは不思議なもの、追いかけても逃げられてしまう事が多いが、じっくりと待てば向こうからやって来るものだ。
 写真にある龍馬の胸像もまた偶然地元で見つけ出したもの、それもSANY4705.JPG倒産した窯元から出て来た時、偶然に現場に出くわしたのだ。
 その上、「こんなものが欲しいのか、欲しければ安くしておく」と、格安の値段で譲って貰い、後で友人が「わしも欲しい」と言うので先方に問い合わせれば、「もうないよ、すぐに売れてしまった」と言う返事。
 何でも私が帰った後、業者が訪れ、全部持って行ったとの事、それも安い値段でと言う、売った本人も売れるとは思っていなかったらしい。
 友人に「それが縁と言うものだ」と言ったが、つくづくおもったものは「縁」、計り知れない力が働くものだと感心する次第。
 何にしても今日は坂本龍馬の命日、最近も新の資料が発見されるなど、龍馬の功績は変化をしているが、彼の行ったことは誇張でも何でもないもの、それが立証されるのも資料次第だと思う。

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2017年11月14日

似たもの

      どちらが先か

 SANY2484.JPG古時計には色々な装飾が施されいてるが、豪華な元の代表と言えるのが七宝、装飾の中でも七宝の施されている時計は高級品に多い。
 貴金属を覗けば七宝は非常に高価な装飾、手間を掛けて装飾された時計には目を見張る七宝技術もあり、当時の人たちが七宝を珍重した事が分かる。
 全般的に言えることだがヨーロッパではフランスが多く時計の装飾として用い、その次は中国であったようだが、この七宝と呼ばれている手法。

 2通りの製造方法があり、中国ものとフランスものとでは違いがあるが、一方は鉱物質の微粉末をふのりで溶き焼き上げる物とエナメル溶液を施して焼き上げる物の2つがある。
 中国ものはSANY2487.JPG鉱物質の微粉末を用い、フランス式はエナメル溶液を用いる技法、どちらも良く似た物に仕上がるが、輝きの違いが出来、透明感のある物は鉱物質の方。

 しかし、中国ものは透明感のない七宝で、日本の七宝は鉱物質で製造されるが、透明感のある七宝が出来、中国七宝との違いが生じる。
 フランスものはエマイユと呼ばれ、何回もエナメルを上から施して焼、複雑な物を製造しているが、スイスものは繊細な描き方をしている。
SANY2489.JPG 写真の時計に施されている七宝、どちらがフランスもので、どちらが日本のものかお分かりだろうか、見た目にもデザイン的にもよく似ており、一般の人には分かり辛いかもしれない。

 写真は一番上が中国もの、その下がフランスもののエマイユ(エナメル)で製造されたもの、一番下の写真が日本の時計に施されている七宝、ドチラも非常に美しいが、透明度に違いがある。
  フランスものはエナメルを何度も重ねて塗り焼いたもの、日本の七宝はガラス質を重ねて焼いたもの、エナメルよりガラス質のほうが透明度が良い。
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2017年11月13日

和製ステンドガラス 

      独特の色合い

SANY2997.JPG ステンドガラス、朝日や夕日が差し込むと、鮮やかな色の帯が長く床に落ち、幻想的な雰囲気をかもし出すが、この瞬間がステンドガラスの魅力である。
 建物を建てるときに、何処の窓が1番日の光を取り入れられるのか、そして部屋のどの位置に光の帯を落とすのか、設計者の腕の見せどころでもあるだろう。

 ステンドガラスいと言えば、殆どの人は教会のあのガラス戸を連想されるであろうし、事実教会が身近で1番多くのステンドガラスが存在している所でもある。
 ステンドガラスは、元々教会の窓ガラスを飾るために作られたと云われていて、キリストの誕生から復活までの、一生をガラスで現した物が起源であるらしい。
 その為に、いかにキリストらしい厳かな雰囲気を作り出すために、作者は苦心惨憺制作に没頭したらしく、その出来の良し悪しが教会の格にも影響したらしい。
 ステンドガラスの歴史も古く、昔から宮殿の装飾として多く用いられて、独特の発達をとげて、中世の教会を飾るまでに進化して、職人たちの腕の見せどころでもあっSANY2999.JPGた。

 複雑の色ガラスをふんだんに使い、教会の大きな窓一杯にガラスで彩ったステンドガラス、しかし、日本人にとっては少々色がきつくて、中々馴染み深くならなかったようである。
 しかし、明治の文明開化の頃より、日本建築にもステンドガラスが盛んに用いられ、特に西洋館には盛んにステンドガラスが嵌められ、異国情緒をかもし出したようである。

 明治時代に日本で製作されたステンドガラス、西洋物とは少し違い色合いも淡いもの、日本人に合った色使いをされているものだ。
 当時の西洋風の建物に嵌めるために制作されたもので、雰囲気を損ねない工夫が色々と考えだされた傑作が多いと言われる。
 その後日本建築に合う様々な日本製のステンドガラスが造られたようだ。
 上のステンドガラスは私が気に入って買い求めた物、ハチドリが2匹木の蜜をとっているかわいらしい物で、大正時代の造りらしい色合いが落ち着いていて、日本の建築には合っている様だ。
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2017年11月12日

万年筆

      見かけなくなった

SANY4282.JPG 万年筆、明治時代には一世を風靡した書き物の道具、古来より筆に慣れていた日本人、文明開化の時代になり西洋から入ってくる物に飛び付く、その中の一つが万年筆である。
 墨の筆に慣れ親しんだ日本人が西洋の便利な書き物、万年筆と出会い一気に虜になったのは言うまでもなく、特に物書きを生業とする人々に受け入れられた。

 墨をすらなくても良く、持ち歩き似も便利、しかも小さくてインクが漏れないと来れば、物書きだけではなく一般の人達にも支持されるようになり、一気に広まる事となる。
 当時に舶来品は高くてとても手の出る代物でなかったが、其処は日本の職人達、この西洋から入った来た万年筆、直ぐに国産化にして市場に売り出すことに。
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 日本の職人はやっぱり凄い、余り時間を掛けない内に国産化、しかも安価な万年筆を作り出し、学生が買えるような値段で販売をし、学生の間でも一気に広まる事となる。
 当時の素材はエボナイトと言われる素材が中心のようであり、その他にも色々な素材で万年筆が作られることになるが、高級品には金や銀の素材まで登場することになる。

 一般の人たちは高級品を買うこともなく、あの黒色のエボナイト製の万年筆が主流であり、その後セルロイドが主体となるが、エボナイトも根強い人気を保つ。
 写真の万年筆は、セルロイド製のマーブルと呼ばれる種類のもの、この柄も人気の1つで多くの万年筆愛好家から支持を受けていた物、図柄が面白くて楽しい万年筆に出来ている。SANY1300.JPG

 これを見つけたのは偶然の事、ある時計屋さんが閉店をするから古時計を譲ると連絡があり、古時計を求めて行った時、その店の引き出しから出て来たもの、未使用品の品であった。
 程度は良く綺麗な状態であったので貰ったものである。
 別に使おうと思っている訳ではないが、懐かしいのと状態が良いのでツイツイ手を出したまでの事。
 何だかんだで手を出してしまい、結果は何時も整理がつかない事になる。








 
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