2017年12月31日

今年も除夜の鐘

      今年もあと一日
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 毎年の事だがこの日が来ると何時も思うのは、一年は早いものだと、年があければ新しいスタート、長いようで短かった1年。
 その締めくくりが除夜の鐘、あの鐘の音を聞くと実感として一年が終ったのだと、昔からあの鐘の音は変わらないのだ。
 この地方でも、お寺で突く鐘の音があちこちから聴こえてくるが、やっぱり鐘の音は良いもの、清々しい気持ちになるのだから。
 この除夜の鐘、鎌倉時代に中国から伝わったと言われ、仏教と共に今に受け継がれている年中行事、1年の締めくくりだ。

  除夜の鐘は108鳴るものだが、何故108回なのか、色々な説があるが、1番知られているのは人間の煩悩説である。
 人間には108つの煩悩があり、その一つ一つを鐘の音で浄化して、新たな年に清らかな心で迎える為のものとも言われる。SANY5454.JPG
 この煩悩説が一般的、二つ目の説は1年をあらわす説、1年12か月、二十四節気、七十二候をたした数字が108と言う説。
 もう1つが四苦八苦説、4かける9+8かける9=108で、四苦八苦説とまあ色々な説があるが、どれが正しいのかはハッキリしない。

 この除夜の鐘、12時前に鐘を突き始めて、12時までに107つ打ち、0時を過ぎて1つ打つのが通常らしく、各お寺ではこの説にのっとり打ち始める。
 しかし、我が町のお寺の鐘、何時聞いてもバラバラであり、早くから鳴り出すお寺もあれば、12時を過ぎても鳴り止まないお寺もある。
 毎年の事だが、除夜の鐘が長く鳴り響くのも、我が町の風習かもしれないのだが、それはそれとして、ヤッパリこの鐘の音を聞けば心が洗われるのだ。
 近くのお寺では、今夜の除夜の鐘の準備も出来上がり、参拝客を待つばかりになっている姿を昨日写真に収めてきた。
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2017年12月30日

企業もの

      宣  伝  効  果
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 何時の時代でも企業の宣伝は売り上げを左右する重要なもの、企業では売り上げに直結する宣伝には力が入り、最も神経を使うものであることは今も昔も変わりない。
 宣伝は皆の注目をあびなければ役目を果たせず、何処に何を宣伝するのかも企業の思案のしどころ、昔から研究され1番効果的な宣伝を目指した事は言うまでもない。
 宣伝とは、人々に認知され「商品名や物」が人の記憶に残らなければ意味がなく、その為に試行錯誤が繰り返されて1つの宣伝となるものだが、思惑どうりに行かないのも世の常。
 皆が皆、思惑どうりに宣伝をして当たるものとは限らず、どの様に宣伝するかも企業の腕、「目に訴える、耳に訴える」そして人で訴えるなさくび.jpgど、方法はマチマチである。

 何時の時代でもそうであるが、流行に敏感に反応するのが人の常、その流行を先取りするのも企業の努力、やはり企業は大変で宣伝に掛ける努力も最大限に必要。
 時計を宣伝の手段として明治より多くの企業が利用してきたが、西洋物に敏感な庶民を利用し、注目度の高い時計に矛先を向けたのは当然の原理でもあった。
 当時の時計は憧れであり、注目度は抜群な代物であったから、宣伝するのにはうってつけの物、時計の「ガラスや文字盤」に企業のマークや企業名を入れた。

 しかし、どんな時計でも良いとは限らず、やっぱり注目度が高いものでなければならないし、市場に多くあるものでなければ意味がないから、選択には神経を使ったと思われる。
 今回紹介するものはそれらの時計、写真はそんな企業の思惑を担って、宣伝用に利用された時計で、形の変わった時計や注目度の高い時計、当時流行った時計に入れられた宣伝である。
 上の写真はカクタス石油のマークの入った時計の文字盤、下の物はサクラビールのマークが入った時計のガラス。
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2017年12月29日

竹針

      エジソンも竹で成功。

あぽろ.jpg 発明王、エジソンは各種の発明をした人物であるが、科学者と言うよりも実業家と言った方がしっくりと来る。
 同時代の発明家グラハム、ベルと比べると其の差が歴然と分かると思うが、例えばエジソンより早く蓄音機を発明したベルであったが、世界中に特許を取らず発明はしたが、そのままにしていた。
 翌年にエジソンは同じ蓄音機を発明し、直ぐに特許を取得して世界的に蓄音機の発明者となってしまった。
 其ればかりか、エジソンより早く蓄音機を発明したにも拘らず、エジソンに特許を取られてしまい、折角発明したにも拘らず製造販売できず、ローヤリティーをエジソンに払って製造販売しなくては成らず、特許を取らなかったつけが降りかかってしまう。

 一方、エジソンはベルに蓄音機を発明されていたが、ベルより早く特許を取ったお陰で発明者になっていた。
 これは、ほんの一例であるがエジソンは、発明者、科学者と言うよりは、やっぱり実業家と言った方が良いと思う。
 兎に角、特許を取り他人に製造させない科学者とは別の能力も備えていたようである。
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 電球の発明に日本の京都の竹を使ったことは有名な話、金属でなく京都の竹で成功したエジソン、電球発明で更に実業家の本領を発揮。
 京都の竹を使ったことは、エジソンにとって莫大な利益をもたらすことになり、竹が幸運を呼んだ。
 
 写真は、アポロン製の蓄音機の針を入れる缶と鋏であるが、少し変わっているのは金属の針ではなく、竹で出来た針で其れを切る鋏、普通の鋏ではうまく切れず、竹針専用の鋏。
 上部に丸く穴が空いているところに竹を入れ、専用の鋏で切断きれる角度が問題で、この鋏を使わないと蓄音機の針として使えないのである。 
 やっぱり竹の針は音がやさしく響き、鉄の針より音が良い、針も金属性の物より竹、竹製が1番良く、良い音を奏でるのである。
 竹針りはレコードにも優しく、鉄針と比べれば盤の痛みが少なく、又良い音色をはじき出すと特性があり、音に拘った人たちに愛されたようだ。
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2017年12月28日

後々の事が

      貰う事はしない

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 古時計を展示していると色々な人と出会う、年齢性別問わず出会いはやって来るが、古時計もまた同じ様に出会いがあり、良く展示会場で話しかけられる事がある。
 展示会場を訪れる方の中には展示品と同じ様な時計を持っておられる方が、そんな時は必ず声がかかり、「家にこれと同じ時計があります」と云われる事が多い。

 会場では古時計のキャクションを細かく書いていないことが多く、製造会社と年代位、その他少し特徴を書く程度、私がずぼらのせいだから。
 そんな事で展示会場で同じ時計だと言われる物は珍品時計、確かに何処にでもある単なる八角の時計だから、同じ様に見えるかも知れないが、展示品と中身が全く違う代物。

 しかし見学者は同じ様に見え、家にも同じ時計があると言われるが、良く聞いて見るとまったく別会社の時計、それでもむげには返事が出来ない。
 その上、そんな珍しい時計なら大事にしなくてはと云われ「どれぐらいの値段ですか」と急に現実的な話に、本人は珍品と同じだと思っておられるが、全くの別物で値段は付かない時計だ。
 SANY7875.JPGそんなことも日常で起こるから展示は面白いが、対応如何ではまずい空気に成る事も、スッカリ本人は珍品時計と思い込み、買い取って欲しいと言い出す始末。

 その場で丁寧にお断りをするが、しつこく食い下がる人も居るから、この対応に閉口する事も、何かと展示は気を使うことばかり、そしてもう1つ悩みの種が。

 展示会場に古時計を持ち込んでくる人も多く、昭和の何でもない時計を持ち込み、「親が大事にしていたから貴重な時計では」と云って来る人もいる。
 昭和の何処にでもある時計だが価値があるものと信じている様、この対応にも困る時も、幾ら説明しても信じない時はこちらがギブアップする事もある。
 価値が無いとはおかしい、親が大切にしていたのだからと逆に怒り出す人も、そんな事で展示会は色々な人が来る事に、それを簡単に対応しないように気を使いすぎるのだ。
 1番困るのは古時計を貰って欲しいと云って来る人、若い頃は何でも貰い受けていたが、現在は立場上貰い受ける事は絶対にしない事にしている。
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 その時計が珍品であろうと、高価なものであろうと、手が出るほど欲しいものであろうと、全てお断りしているのだが、それはトラブルを避けるためだ。
 後々、貰った古時計が珍品や高価なものである場合、「返して欲しいと」か、「価値が分からないのに取られた」とか、「安く買われた」とか、兎に角トラブルの原因となる恐れがあるから。
 そんな訳で古時計は信頼する人以外は、この様な行為は絶対しないように心がけているので、貰い受ける事はしないが、展示会では後がたたない位に話が来るのだ。
 何で貰ってもらえないのかと言われるが、これが最善の策と思っており、申し出される方には博物館を紹介して、そちらに寄付されるように勧めるのだ。

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2017年12月27日

瀬戸のガラス

      自分で出来る
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 ガラス製品、夏になると冷たい物が飲みたくなるが、冷えたガラスのコップで一気に飲む、冷たいものが喉を通るあの感覚は夏ならではのもの。
 そんな夏に良く使うガラスのコップ、自分好みの物は中々見つからないもの、見つけたとしても凄く高かったりして、買う気持ちにならないものだが。
 そんなガラスのコップ、自分好みのものが造れるとしたら、絶対造りたいと思うもの、そんな願いを叶えてくれる所があれば直ぐに行きたいと思うもの。
 最近瀬戸市内でも数多くのガラス工房が出現、古くからあったところを含めると数は多い、そんなガラス工房の1つに、自分好みのコップを造りに行った。

 工房自体はそんなに大きくなく、教えてくれる人も若い人、興味本位で尋ねて見ると、親切に作り方を教えてくれ、「やってみませんか」とお誘いを受けた。
 自分好みの物を造りたいのはヤマヤマだが、果たして自分に出SANY2609.JPG来るのか躊躇していると、横から家族ずれが訪れて、早速造り始めたのでビックリ。
 其れも小学生の女の子、見ていると指導員について簡単に造り出し、其れを見ていてファイトが沸いて、早速仲間入りする事にしたのだが。

 見ると、やるとでは大違い、見ていると簡単そうに見えるのも、自分でやって見ると大変、思ったとおりに形が造れず、指導員の方に手伝ってもらい、如何にか作る事が出来た。
 小学生の女の子の造ったものと、自分の物を比べたら、彼女の方が形がよく、出来も良かったのにはビックリ、やっぱり無心が1番良いのであろう。
 小学生の作品より出来の悪い物を持って自宅に、帰ってじっくりと観察すると、これはこれで味わいがあると、自分に納得させている自分が情けない。
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2017年12月26日

オキュバイド

      占領下に作られ

SANY4249.JPG 以前にも出した花生けは大正期に作られた古い物であったが、今回のものは戦後の占領下に製造された花生け、この花生けの底に占領下で製造された証が印刷されている。
 大正期作られたものと違い混乱期に製造されている為に雑さが見受けられ、絵付けなども釉薬が良くはっしょうしていないものが多い。
 大きさも前回の物とは違い、半分の大きさで高さ12センチから15センチ余り、種類は色々有るが部分的に少し変わった程度で、奇抜で良いものではない。

 実際には、形は同じ花生けの格好をしているが、実際に実用向きでなく飾りとして使用するためのものであると思われる。
 何処で飾られるのであろうかと、現物を見て思うのだが、大量に製造されて輸出されたところを見ると、子供の玩具であったろうか。SANY4254.JPG

 使用されていたところを見たことが無いから、何とも云えないが可愛らしい事には変わりなく、楽しい飾り物であると思う。
 右と左では製造した窯が違う、左の屋根のひさしは角が上がっているが、右の物は水平になっている。
 右は文字盤も大きく葉っぱは上に浮き出している事からも、別の窯で焼かれた物であろう。

 右のものは、下の部分に分銅が2つ紐でぶら下げて付き、いかにも鳩時計らしく出来上がっているものである。
 戦後間もない物資が少ないときに製造され、日本の外貨獲得にも貢献した物で、歴史の証人としての資料でもある。
 底の部分に印刷された、オキュバイド、ジャパンの赤い文字が占領下の日本よりの輸出陶器である証でSANY4256.JPGあり、戦後の歴史でもある。
 二つ目の写真、底のくびれた部分に、小さな穴が見えるが、そこに紐で分銅をつるすための窪みである。
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2017年12月25日

おまけ

      大人も子供も
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 どうも日本人は「おまけ」と言う言葉に弱いらしいが、昔からこの「おまけ」は存在しており、物を買う時にサービスとしてもらえるもの。
 何時のころよりあったのか知らないが、随分昔からあったようで、江戸時代の落語にも登場しているから、古くからあったことは確か。
 商店がものを買って貰う為の商売上必要なもの、大人も子供もこのおまけには弱く、おまけの付いているものにツイツイ手が出てしまう傾向にある。

 時として、本体の物よりもおまけの方が良い物だったりして、どちらを売る為の物か分からない事も、最近では雑誌のおまけに本よりも高い物がおまけとして付いているのだ。
 私もこのおまけが欲しくて雑誌を買い込んだが、良く見て見ると一年間かけSANY0184.JPGて作るもので、一回で買って出来るものではないと知った。
 つまり一年分買わなければそれを組み立てることが出来ず、1、2回買っても全く用をなさない事、よく考えられた物だ。

 私の子供の頃、グリコのおまけが欲しくて、随分とキャラメルを買い込んだ、キャラメルはどちらでも良く、おまけ欲しさの行動だ。
 兎に角欲しいおもちゃが出るまでキャラメルを買い込んで、親に怒られた事を覚えているが、それでもコッソリと買い続けた。
 良く出来た物で自分の欲しいものは中々でなくて、何度も買い込んでは同じ物、ガッカリしてもやっぱり欲しくて、又買い込んでしまう。SANY4961.JPG

 グリコのおまけは他愛の無いもの、跳びぬけて良い物ではないが、子供心をくすぐるものが付いており、ツイツイ手が出てしまう。
 今回のおまけも、グリコのおまけ、昔グリコのおまけを大きな空き缶に3個ほど溜めていたが、引越しの時に失えてしまい、結果は殆ど無くなってしまった。
 今あれば一大コレクションと自慢できると思うが、残念なことをしたが、机の隅からコレが出てきたから、まだ探せば何処かにあるかも知れない。
 こんな小さな、他愛のないおまけ、しかしコレには思い出が沢山積もっており、子供の頃が思い出される懐かしい物、それがおまけである。
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2017年12月24日

今は少なく

      肩身か狭い

 SANY4745.JPG最近余り見なくなったものにマッチが、マッチと言えば宣伝の1番手、何処へ行ってもマッチがあり、煙草をつけるのも苦労しなかった。
 店の宣伝で1番多く使われてきたもの、其れはマッチであり、渡す方も貰う方喜んでいた時代、そんな時代は今は無いのだ。
 兎に角、煙草を吸う場所が限られ、何処でも吸えた時代が懐かしいもの、憩いの場所であった喫茶店も、今は煙草を吸えるところも少なくなった。

 確かに健康は大事、喫煙者以外に害を及ぼす事はできないもの、其れはそれで大事な事だが、喫煙者にも権利はあると思う。
 其れを両立させる事は中々出来ないものだ、喫煙論議は兎も角、マッチの利用が激減した事は確か、ライターもまた利用が激減らしいが、其れも時代なのか。
 写真のマッチ、そんな時代の中、喫煙者にはあり難いマッチを、今でも提供しているところも存在、両方とも古時計が好きな店のマッチ。
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 片方は金ダルマの写真の付いたマッチ、もう片方は版画で八角型の古時計をデザインしたマッチ、時計好き者にとっちは嬉しいものだ。
 両方のマッチ、古時計が好きで好きで堪らない人の出した物と分かるものだが、時計愛好家にはマッチを見ただけで、その店や店主の心が分かるようだ。
 この様なマッチを出すところも少ないが、マッチ自体今は幻化、だから尚更有り難い物、昔はこの様なマッチを集める人も多かったものだが。

 果たして今の時代、この様なマッチを集めている人がいるのか、若い人はそんな物には興味も湧かないものなのかもしれない。
 年配者には懐かしく思うもの、若い人には忘れ去られようとしているもの、その片方の支持者が多くなれば消えてしまう物でもある。
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2017年12月23日

モデル

      明治初期のモデル
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 日本の時計製造の創成期、西洋時計をモデルとして日本製の時計が製造されたことは、今までにも何回も話してきたが、ではどう言う所がコピーされたのかあげてみようと思う。
 時計には本体部分と、それに付随する部分とがあり、本体は殆どの時計は同じ様な構造、同じ作り方であり、そんなに大差のない物で出来上がっている。
 しかし付随する部分は、その時計により色々な物で装飾されており、一つ一つの時計で違った物、出来上がりは別物の時計として完成することになる。
 つまり装飾が違えば、その時計は別物に成り、様々な彫SANY0864.JPGり物がつくことより、雰囲気は全く違った物になったしまうもの、要するに衣装が違えば本体は一緒でも、完成した時計の出来が違うものになる。

 これらの装飾を日本の職人が真似る事になるが、モデルが一緒であっても出来上がった物は、其々の職人の違いにより、別物に成っている事も多く、それぞれの時計製造会社が制作、それが後の日本製スリゲル型時計とる。
 初期の西洋時計をモデルと手製造されたものは、職人の感性により造り出されてSANY4385.JPGものであり、全く違っても乗り出来上がる事も多い。
 日本人の感性がその中に注入され、西洋物とは一味違ったものに、またそれを目指したとも言えるのではないか。

 写真は上ドイツ製の時計の装飾、下は日本製のもの、ドイツ物は古いもので日本の幕末期の物、この様な西洋的な彫刻がモデルとなっているが、職人は見た事もない彫り物に戸惑ったであろう。
 そして、彼らが気付いたのは日本に古来より伝わる唐草の彫り物、この彫り物と良く似ている事に気が付く、それらの彫り物は仏壇に彫られている物と共通する。
 其れも当たり前の事、1400年も前にシルクロードを経て伝わった物とルーツは同じ、しかし日本に帰化した彫り物は既に日本的な物に成ってしまい、明治に見た物とはやはり違っていた。
 当時の職人の目にはどの様に映ったのか知らないが、彼らの感性は古来人と同じであった事は、後に製造させた時計を見れば納得がゆくもの。
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2017年12月22日

冬至

      運気の始まり

SANY5277.JPG 二十四節気の1つ冬至、昼の時間が1番短い日、つまり夜の時間が1番長い日でも、古来中国ではこの日が暦のスタートの日とされていたようだ。
 1年のスタートねつまり正月とされていたようで、この風習は古くから始まっていたものとされ、その後今の暦になったと言われる。
 日本には奈良時代に当時の風習か伝わったと言われ、宮中等で厄除け開運の儀式として行われていたようだが、これも中国のものとは少し違った。
 中国ではこの日を境に陽に転ずると信じられており、運気が満ちてくる縁起の良い日とされ、この日の小豆粥を食べ運気を呼び込んだとされる。

 一陽来復(いちようらいふく)旧暦の10月までの陰気が11月に陽気に転じ、運気がみなぎって来ること、暦の上では新しい年のはじめとなる。
 今年は12月22日が冬至となり、この日が1番昼が短いとされているが、実際はこれより半月ほど前が1番短く、本当の昼SANY5196.JPG間が短い時期となる。
 冬至と言えばかぼちゃとゆず湯、一年のうちで一番野菜が少ない時期となり、この時期に手に入る野菜はかぼちゃしかなかった時代。
 保管が出来る野菜としてかぼちゃが食べられていたようだ、しかしそんなに昔の事ではなく、江戸中期頃からの事といわれている。
 現代でも冬至かぼちゃとして、この時期にかぼちゃを食べる風習があるが、江戸時代からの名残であるといわれ、他にはうどん、みかんなど「ん」の付く物を食べると良いとされているが、ではかぼちゃが何でと思うが。

 かぼちゃは別名南京(なんきん)とも呼ばれていて、「ん」が付く食べ物、これも運気に授かりたいとする庶民のささやかな願い事。
 日本全国ではこの日にかぼちゃを食べる風習のほか、小豆粥を食べるところも多い、これも又運気を呼び込む食べ物として古くから中国で食べられていた。
 うどんにせよ、小豆粥にせよ、身近にあった食べ物であり、この時期に手に入る食べ物である事、そしてもう1つがゆず湯。
 冬至の日にゆず湯に入ると風をひかないといわれ、かぼちゃ同様SANY5204.JPGに古くから信じられて来たもの、確かに最近の研究で、ゆずには油があり、その油が人の肌付着して湯冷めを防ぐ効果があるとこが立証されている。

 ヨーロッパでは冬至際として、この日を祝うお祭りが模様されるが、これがクリスマスの起源であるとも言われているようだ。
 クリスマスと冬至際、意外な結びつきがあることに驚くが、1年で1番昼が短い事は人々にとって如何に太陽が大事であったかを物語るものでもある。
 この日を境に昼間は段々と長くなった行くが、日本ではこれからが寒くなる時期、じきに小寒、そして大寒と最も寒い時期に突入する。
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2017年12月21日

取らぬ狸の

      失敗もある

SANY5347.JPG 愛知万博、2005年に開催された愛知万博、この開催に当たっては様々な憶測が飛び交っていたので、まさか決まるとは思っていなかった。
 その前に名古屋にオリンピックをと誘致に失敗した前例があるから、この万博誘致も失敗するはずと、そんな意見が続出していた。
 その上、瀬戸市の万博開場予定地は自然が一杯の土地、開催反対が気勢を上げだし、誘致は容易で無いと風潮が広まる。
 そんな中、万博誘致推進協議会が1995年に愛知万博の記念時計やグッツを発売、万博誘致に弾みを付けるつもりで売り出したものだ。

 色々なものが発売されたが、その時は余り売れなくて、推進協議会も頭を悩ましていた時、知り合いが時計を買ってくれないかと言ってきた。
 私もその時は開催が決まるとは思っていなかったのSANY0870.JPGで、この万博の記念グッツは幻となるだろうと直感、時計を5個買うことにした。
 勿論その時は万博等決まらないと思っていたし、幻となる記念グッツは後から値上がりするとばかげた思い、この時取らぬ狸の皮算用をしていた。
 知り合いは5個も時計を買ってくれるとは、開いた万博を理解している証拠だと言うが、そんなつもりはさらさら無く、頭の中には皮算用だけ。

 その後もピンバッチなどを買い込んで、万博誘致が失敗するだろうと思っていたが、期待に反してまさかの決定がなされたのだ。
 幻となるはずの時計が、開催決定で途端に売れ出し、幻となるはずが夢と帰し、ガッカリする事しきり、何で5個も買ってしまったのかと悔やむこと。
 時計は多く発売され、プレミアは付くどころか幻となり、これだけ売れれば値上がり等望めなく、ガッカSANY0864.JPGリする事になり、自分の浅はかさを実感した。
 夢と帰した愛知万博の記念時計とピンバッチ、この時計を見ると取らぬ狸の皮算用をした自分が情けなく思われるのだ。
 写真がその狸の皮算用をした時計とピンバッチ、どけだけの数が出たのか、当初の思いとは別に紙屑同然になってしまったもの。
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2017年12月20日

蚤の市巡り4

   相性がある

SANY3504.JPG 蚤の市、色々に場所で開かれているが何時行っても楽しい場所、別に買わなくとも見て回るだけでも良いのだ。
 どんな物が出ているのか見て回るのも一つの楽しみ、蚤の市を訪れる人の多くはそんな人たちだと思う。
 来る人全部が目的を持って来ているのではなく、何となく見て回る人も多いのではないだろうか。
 兎に角気軽に見て回れるのも蚤の市の特色、骨董店ではそうは行かないから、蚤の市が人気の理由の一つでもある。

 おかしなもので露店での物の値段は気楽に聞けるのも蚤の市の良さ、それが骨董店では聞き辛いもの、やはり蚤の市のよさSANY3547.JPG
 多くの人達が訪れるのもその気楽さが良い筈、そしてもう一つが露店の主人との相性、蚤の市の店の主人は色々な気性の人がいる。
 話好きな店主、無口な店主、頑固な店主など様々な店主が居て、自分に合う店主に出会うのも蚤の市である。

 気軽さがそうさせるのか、それとも元々の相性が合うのか分からないが、相性が合わないと値段も成立しない事にもなる。
 これは私の経験上の事だが、気に入ったものがあり、値段交渉をしようと店主に問いかけて見るが、その反応で相性が良いか悪いかが分かる。
 無口でとっつき難い人でも、相性が良いとすんなりと交渉もまとまるものだが、よく話す人でも相性が悪いと成立しないSANY3568.JPG事も多い。

 不思議な事に、相性が合わない店主が持っている古時計は、今まで手に入ったことはなく、殆どが交渉不成立であった。
 例えば値段交渉でこちらの要求に応じて貰えなかったり、あと一歩の値段で譲歩しなくて交渉決裂となってしまう事に。
 お互いに譲らず何故かしら成立しないもので、値段的には1000円程度、そんな額なら折れ合えるはずが物別れとなってしまう。

 勿論これは気分の問題であるが、相性が良ければすんなりと決まるものを、悪いと決まらないもので、何であの時買わなかったろうと、後で後悔したことも多々ある。
 相手も多分そのように思っていると思うが、その1000円が譲れないので交渉は成立しないことに、これも相性の問題か。
 何故かしら相性が悪いと譲らないもので、自分でもこれはダメだと直ぐに感じるのもだが、そこが相性の問題。

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2017年12月19日

ノべルティーの種類

      アメリカが

SANY3740.JPG 尾張瀬戸から海外に輸出された陶器は、江戸から現在まで営々と続けられているが、製造するものが時代と共に変わってくるし、輸出国もまた変わって来ている。
 時代、時代に商品も変わり、当然流行があるから仕方がないが、其れを製造する窯元は大変な作業を要する事になり、時代に着いて行けない窯元は自滅するしかない。

 当然の事であるが、自由競争の社会であるからには、仕方が無い事ではあり窯元の職人は、其の時代、時代の流行を把握しておかねばならない。
 昔から、瀬戸の職人は流行に敏感に反応して来たと言われ、江戸時代から歌舞伎や俳諧、江戸庶民の動向等きめ細かく情報を入手していたようであり、それを直ぐに流行を商品化する技量を持っていた。

 人気の歌舞伎役者の似顔絵をSANY3744.JPG石皿に書き写し、俳諧の流行り歌は直ぐに取り入れたりと、その道にも精通していた事が、商品化にも役に立ったのは必然の摂理。
 時代は下がり、戦前戦後の製品は時代を反映して、出来も余りよく無く、特に戦後の動乱期は最低の出来、しかし、占領下の日本製品は安く、アメリカでもてはやされた。

 商品の印は「オキュバイド、ジァパン」と書かれているが、現在は其れが人気のようで、何が流行るか分からない時代、写真の鳩時計は、戦前の商品とオキュバイド、ジャパンの物、本来は前の商品のように、錘も付いていなければならないが、殆どが無くなってしまっている。


 この様な戦前のものもあるが、戦後つくられた同じものも多くつくられ、同じように見えるが明らかな違いも、SANY3749.JPG
 また戦前の物の方が出来が良く、絵付けも良い出来上がりになっているが、戦後の物は良く見ると仕事が雑で、動乱期を物語っているようである。
  いずれにせよアメリカ向けに大量に製造されたものが、現地に存在しており、今里帰りをして人気であるよう、時代の変遷が見えて興味深い。
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2017年12月18日

瀬戸の茶道具

      堀 の 手
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 瀬戸の陶器、その歴史は古く千有余年のふるきに渡るが、この地で日本最初の釉薬を使った陶器が製造され、都へと送られて行ったが、その中には茶道に関する陶器もある。
 千年以上前から作り続けられている陶器、その歴史の中では色々な種類の陶器が製造され、全国に送り出されてきたが、その代名詞とも言うべき呼び名が「瀬戸物」である。

 陶器の事を「瀬戸物」と呼ぶ事、明らかに瀬戸で製造された陶器の事であるが、陶器全般を瀬戸物と呼ばれているくらいに、全国に瀬戸焼が愛されていたからである。
 その瀬戸で焼かれた陶器は食器全般、その他にも茶道具して焼かれた器も、その茶道具呼び方も瀬戸の付く物が多く、例えば「瀬戸黒」、「黄瀬戸」、「古瀬戸」など瀬戸の名前が付くものが焼き物の名前となっている。
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 茶道具、この器は普通の一般で使かれる物と区別され、特別に作られたものであり、食器とは一線を引く焼き物となるが、大量に作られたものではない。
 必要に応じて製造され、極僅かな生産で発注主の要望にあわせて造られる器、これ等の器造りには職人や茶道具専門の作家が、独自に製造したもの。

 写真の器は、堀の手と呼ばれる発掘品、つまり古い時代に製造されたが、地中に埋まっていたものを掘り出したもの、その為に新品同様で時代が掛かっていない。
 この様に掘り出された物は、茶道具の中でも別格扱い、古く作られ人々が日常に使い伝わってきた器と区別され、伝世品とは別の呼び名、堀の手と呼ばれている。
 この器、程度が非常に良く完器、掘り出された割にキズも無く、程度の良い堀の手、灰釉も素晴らしい出来、江戸時代前期に製造されたものとの事。
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2017年12月17日

羽子板7

      魔よけの飾り物
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 羽子板の歴史は古く、室町以前に遡ると言われるが、そのルーツは中国にあるようで、戦場で兵士たちがお金を錘として羽根を付け、足で蹴って遊んでいたらしい。
 これが日本に伝わり、手で羽のついたものを突いて遊んだとの事、宮中で上流階級の遊びとして広まったとも言われる。
 室町時代の文献、「下学集」の中に羽をついて遊んだと記されているのが文献では最初、その当時はむくろじの実に羽根をつけて羽子板で突いた。

 むくろじは漢字で「無患子」とも書く、子がわずらわないとも読める事から縁起が良いとされ、子供のお守りの役目をはたした。
 そんな事で羽子板は縁起の良いものとして一般庶民に広まることに、江戸時代後期になると、この羽子板に役者絵を用いたものが流行する事になり、益々盛となる。SANY9919.JPG
 羽子板が庶民の間で流行、次第に派手となり、華美な羽子板が登場、幕府はこの華美な羽子板を度々禁止をして抑制したが、次々と新しいものが生まれて行った様だ。

 度重なる禁止令にも歯止めが利かないくらいに、羽子板は庶民の間で子供を守ってくれる縁起物として定着していたようだ。
 子供の成長を願う親たちは、羽子板を縁起物として子供に与え、病から守るものとして大事にしてきたことが、この禁止令にも伺えるものだ。
 写真の羽子板、昭和32年のもの、戦後10年を経過して日本経済も安定して来た頃の羽子板、この羽子板を見ると当時経済が好調であった事が伺える。
 終戦後の物がなかった時代と思うと、この羽子板SANY9979.JPGを見る限りでは昔の豪華さとまでは行かないが、明らかに経済が豊かになったことが見て取れる。
 この羽子板、大きさは60センチと少し大きくて、当時では豪華物であったろうと思われ、その細工は殆ど昔の様式のようだ。
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2017年12月16日

ランプ時計

      時計なのに電気がつく

 SANY0568.JPG時計は当然の事時間を計る為に発明されたもの、その時計が電気を灯すとは、意味が分からない方も居るのであろうが、時計がランプとドッキングしたものだ。
 明治時代から大正時代にかけて造られたランプ時計がそれ、ランプ時計は古くから造られており、1番分かり易いものは蝋燭に目盛りを刻んだ簡単な物。
 蝋燭が次第に解けて行き、蝋燭横の目盛りが消えてゆくから、その目盛りの位置を見れば時間が分かる仕組み、単に蝋燭の横に刻みをつけただけであるが、大体の時間は分かった。
 その次に発明されたものがランプ時計、蝋燭をホヤで囲い、その外側に刻みを付け少し豪華にした物、しかし当然の事、前のものとほとんど同じで蝋燭の火が消えにくいだけの事で時間はたいして正確でない。

 その後、この形式の時計と称せられるものが、何百年に渡って使用されてきたが、機械時計が発明されSANY0567.JPGると今度は機械とランプがドッキングして、機械式のランプ時計が出現する。
 このランプ時計は時間はほぼ正確で、今までのものより遥かに正確であった物、この時計は夜に暗い所でも時間が分かり、その当時の人達にとっては便利な物であった。
 そして、電気の発明により今度は電気と時計がドッキング、電気時計が生まれ電気の付く時計が発明され、暗い家庭であった時代は過ぎ、明るい生活がやってきた。

 写真の時計は、その時代に造られたランプと電気のドッキング物、丸い球の部分に電球が入っており、点灯し前にある針で時間を表示する仕組み。
 時間は下の部分、分は上の数字と2段に別れ回転する仕組み、針は固定されたおり球体部分が回転するもの、機械式時計は一番下の土台部分に入っている。
 電機が発明された初期の物で、電気の明るさと時計の新しさが上手く融合した時計、時計の中でも傑作の1つと思われ、暗かった生活から明るい電気の生活に入った時の生き証人でもある。
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2017年12月15日

ガスとオイル

      どちらが良いか

SANY4398.JPG 私の友人の中にライターの蒐集家がいて、寄るとさわると何時も論争を、他愛のない事だが本人たちは真剣、何の事と思いきや、ライターの燃料で論争である。
 他の人達の迷惑を顧みず、大きな声で論議を戦わせているが、酒も入っているから尚更たちが悪い、声も大きいが言っている事が堂々巡り。
 本人たちはお互いに譲らず、何時ものとおりライターを持つての論議、仕方が無いから他の友人が中に割って入るのだが。

 しかし論争は納まるどころか白熱化、中に入った者までが論議に夢中、それでは仲裁の意味が無いが、そんな事はお構い無しに繰り広げる。
 その論争とは、燃料は「ガスかオイルか」と言う事だそうで、話を聞いていると実にくだらない話で、興味のない人にとっては、それこそどうでも良い話。
 両人、自慢のライターを手に握り締め、火をつけては消し、消しては又点け、益々激しくなる一SANY4402.JPG方、仲裁に入った者はどっちつかず。
 話はこうだ「ガスライター支持派は、一回入れれば長く持ち、便利だ」と、一方は「オイルライターは何とも言えない、良い匂いだ」と言う。

 何だか話がかみ合っていないのだが、匂いの話と便利なことは別の事、焦点が合っていないので、仲裁人が元の論議に戻そうとする。
 もとの話はどちらのライターが便利なのかと言う事、ガスライターか、オイルライターか、どちらが使いやすいなのか、やっぱり他愛の無い話だ。
 そして仲裁人、どちらが便利なのかと言う話なら、此方が1番と100円ライターを差し出す。
 本人、論争なら「これが1番」、無駄な話は止めろといわんばかり。

 その言葉に2人とも即座に反論、「100円ライタSANY4409.JPGーの話なぞしていない、外部は黙っていろ」と喝を仲裁人に一言、これには仲裁人呆れ顔。
 2人はその後も喧々諤々と論争を繰り広げていたが、それ以来他者も口は出さず、勝手に論争をやっていればと、全くの無関心で後は酒を飲むことになる。
 結局は2人とも妥協せず物別れ、どちらのライターが便利かは、使う人其々の用途によるもの、オイルライターは風には強く、ガスライターはガスが長持ちする。
 どちらもどちら、好きな方を使えばよく、大の大人がライター1つで論争するのも、はたから見ていると滑稽の何ものでもない。
 しかし本人達は自分の主張を譲らず、ひいきのライターを手に握しめての激論だ。
 他の者はヤッパリ100円ライターに限ると、彼らをしり目に酒を飲んでいる。
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2017年12月14日

貯金箱

    昔から
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 日本人は貯蓄が好きな民族であると言われ、全国に貯金をする人が多いと聞く、いざという時の為に。
 こつこつと日頃から少しづつ貯め込む、これが貯金の基本であると、日頃から貯蓄をするものだと言うが、私はダメな人間だ。
 昔から親に何度となく貯金をしろと言われ続け、貯金箱も与えられたこともあったが、何故かお金を貯める事が出来なかった。
 勿論本人も言われる度に、今度こそ貯めようと決意し、貯金箱にお金を入れるが、直ぐいれたお金を出して使ってしまった。
 少し貯まると買い物をしたくなり、貯金箱から出して使ってしまい、其れの繰り返しであった事を今でも思い出すのだ。

 私は貯金と言うものに縁のない人間であり、いまだに子供の頃と同じで貯金が出来なくて、貯蓄と言うものがない。
 親に幾度となく貯金の大切さを言われ続けて来たが、終ぞそれを実行する事のない人生であったと思う、何故かしら。DSCN0247.JPG
 貯金をしようと思った事は幾度となくあり、その都度貯金箱を買い込んで、今度こそ続けてみようと決意した。
 しかし三日坊主、ある時は絶対に取り出せない貯金箱を買い込み、これで出す事は出来ないからと思っても見た。
 結果は出す事の出来ない貯金箱にお金を入れたら最後使えないと、直ぐにそんな思いになって、お金を入れるのを止めてしまった。
 そんな事で、今までに幾つもの貯金箱を買い込んだが、まともに現在まで存在するのは皆無、かろうじて一つが当時物のがある。

 ブリキ製の小さな貯金箱、十円玉を詰め込めるようになった貯金箱、上から入れて下から出す仕組みの貯金箱。
 これが残ったのは出し入れが出来るために、割らずに済んだ為であるが、残そうと思って残ったわけではない。SANY4668.JPG
 昔から陶器製の貯金箱を買い込んだが、全部割って中のお金を出してしまい、貯金箱は残っていないのだ。
 ブリキの貯金箱も、残しておいたのではなく、忘れていただけの事、情けない話この歳でも貯金の習慣がないのだ。
 どうして貯金が出来ないのか、性分で仕方がないのか、それともただ単に続ける事が出来ないだけの事か、困ったものだと思う。
 写真は今手元にある貯金箱、陶器製の物とブリキ製の物、これを見ると如何に貯金が出来なかったが思い出されるのだ。










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2017年12月13日

蚤の市巡り3

   店主と仲良くなる

SANY3514.JPG 蚤の市巡りの秘訣は露店の店主と仲良くなる事、人と人との繫がりが大切なのも蚤の市であると思う。
 売り手と買い手と言う事だけではなく、人と人との繫がりの中から生まれて来るものがあり、それが大事だと思う。
 何度か行くうちに当然顔見知りと、しかし何度訪れても言葉を交わさなければ気持ちも繋がらない。
 買うだけでは店主とは仲良くならないもので、別に買わなくとも言葉を交わすうちに仲良くなるものだと思う。

 確かに商売だから買わない客は有難くないかも知れないが、店主も人であるからには買い手だからと上から目線では仲良くならない。
 よくある光景を見るが買ってやるからと上から目線で交渉する人、商売だから彼らも顔には出さないが。SANY3532.JPG
 それでもお客だからと言う態度をとらない事、確かに買い手の方が有利かも知れないが、そこは人であるのが先。
 彼らはその道のプロ、我々よりも遥かにものをよく知っているから、謙虚な気持ちで話を聞くことが大事だと思う。

 仲良くなれば情報も聞かせてくれるし、その道のプロだから楽しい話も聞けることに、知らない事は聞く事だ。
 一番ダメなのは知ったかぶりをする事、なまじ知識を見せびらかさない事が大切、失敗するもとだ。
 私も若い頃は良く知ったかぶりして失敗をしたし、恥をかいてしまったことも多くあり、素直に話を聞く事だと思う。

 彼らの中には全国を渡り歩いている人もいるから、全国の情報を知ってるもので、その情報も仲良くなれば教えてくれる。
 どの業者が古時計を持っていたとか、あそこでこんなものを見たとか、色々な事を教えてくれるから非常に役に立つ。SANY3584.JPG
 それだけ聞くのも大事な情報だと思うが、自分では知らない世界の事も聞け、また知識も得る事にもつながるから。
 蚤の市は何が出て来るから分からないから楽しいもの、思わぬものに出くわすことにも、だから出かける前から楽しくなる。
 今日、もしも見つけたら如何しようとか、値段が高かったら如何しようとか、行く前から考えてしまう。
 良い物が出ていたら絶対に買うと決めて出るが、その場になって迷う事になるのも蚤の市、最初の気持ちを忘れているのだ。
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2017年12月12日

瀬戸の路地

    よく見ると歴史が

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 瀬戸の路地、市街地のほんの小さな横道に入ると、そこに現れてくるのは歴史の証人があちこちに姿を現す。
 少し前までは当たり前の風景として市内の路地にあったものが、姿を消し始めているのだが、それは世代交代。
 今まで住んでいた住人が亡くなり、子供たちは別に住まいを移しているから、ここには住む事がなくなってしまい、空き家となっている。
 そんな家が次第に増えてゆくのも時代の流れ、瀬戸市内も世代交代でそのような家がふえていると言うのだ。
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 ちょっと前まで職人さんが黙々と仕事に精を出す姿が、小さな路地の奥、狭い家屋に作業場があった。
 道幅は狭く、二人で歩くのが精一杯の広さ、そんな路地があちらこちらにと広がっているのも、瀬戸の市街地。
 今なら絶対に許可の下りない建築物たち、そんな路地を職人さんたちは瀬戸物つくりに精を出していたのだ。
 こんなに狭い路地を重い瀬戸物を運んでいたとは、考えるだけでも大変だ、しかし当時は当たり前の世界であった。

 そんな仕事場があったのも、今はなくひっそりした雰囲気が漂っているから、少し入るのにDSCN0180.JPG躊躇するが、気にせず入って見るのも面白い。
 そこに目にするものは、やはり瀬戸物の町らして風景が、焼き物には必要な素材、そんな素材を廃物利用して積み上げられたものが見えてくる。
 あるところには土塀が現れ、今は住む人がいない家の周囲に、それは出現してくるのだが、よく見るとやはり廃物利用だ。

 土壁が崩れ落ちた部分から、ちらりと見えるのも窯と呼ばれるところで使用する瀬戸物、それらを利用して土塀が作られていた。
 崩れていなければ何が入っているのか分からない土塀だが、少し崩れたところがあるから顔を出したのも。
 こんなところを見つけると、やはり瀬戸は焼き物の町であることを実感できるもの、そんなところを見つければ、隠れた歴史が見えてくる。






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