2018年01月31日

ゴジラ

      世界的怪獣

 SANY9716.JPG放射能の申し子ゴジラ、日本の映画界が生み出した世界的に有名な怪獣、日本が誇る特殊撮影、ゴジラとは関係ないが、その生みの親である円谷プロ、日本映画の救世主でもあった。
 この映画が出来たのはアメリカがビキミ環礁での水爆実験、これにヒントを得て人類への警告として作られたものだが、何時の間にか娯楽映画にと変身してしまった。
 その上、ニューヨークでのキングコングとの対決までやってのけ、外貨獲得に一役買ってしまったゴジラ、本当の狙いとは何だったのか。

 そもそもゴジラが誕生したのは水爆実験の影響だと思うが、怪獣にと変身してしまったゴジラ、放射能の影響であるはず、水爆実験への抗議、警告の映画だ。
 人類が生み出してしまった怪獣ゴジラ、科学兵器開発にヤッキとなっていた時代への警告、それが日本映画の趣旨でもあったのだと思う。
 水爆実験の結果、怪物となしたゴジラが暴れ周り、日本を窮地に陥らせるとの設定で、日本各地に出没して各所で暴れ回る物語。
 この時のゴジラは当然怪獣であり悪玉、水爆により巨大化した全盛期の動物が、放射能の影響で怪獣と化し暴れまわるものだが、彼にとっては人類が敵。
 深い海底で眠っていたのを水爆で起こされ、その姿は怪獣と化し、自分では何でこうなったのか全く知らない筈、なのに攻撃されるから反撃するだけ。
 もともと人類が作り出した核兵器により、元の姿からは想像もつかない怪獣になってしまったが、ゴジラにはなんら罪はなく、人類が作りあげてしまったものだ。
 1954年11月にゴジラ誕生、映画化されることとなり、怪獣ゴジラの誕生、当時アメリカ映画の特殊撮影に興味を持っていた東宝が映画に挑戦する。

 特撮には色々な技術が必要となり、アメリカの真似をして造り上げたもの、アメリカ映画の特撮には及ばなかったが国内で大ヒットと成る。SANY9709.JPG
 当時のゴジラは身長50メイトルの巨大な怪獣、設定としてはビキミ環礁から出現した怪獣となっており、向うところ敵なしの勢い。
  はじめは日本をメチャメチャにしていたゴジラ、映画が2作、3作と進むにつれ日本の味方となってゆくから不思議、今度は迫り来る怪獣から日本を救う。
 原作から離れてゆく事に、そして人気は鰻上りとなるが、次第に時代の波にのみ込まれて行くことになり、1975年に製作ストップとなる。
 一時は大ブームを巻き起こしたゴジラ映画も、時代変化に付いて行けなくなり、ゴジラ映画は封印される事になるが、1984年まで長きに停止。
 その後又復活してゴジラ映画が作られるようになるが、以前のような爆発的な人気は無く、地道なゴジラ映画として作られたようだが、近年アメリカ映画のゴジラが爆発的人気を得ることに。
 日本のゴジラを真似てアメリカでリメイクされ、全米でゴジラブームが起き、その勢いは日本に伝わることになり、再度ゴジラが見直されつつあるのだが。
 果たしてこのシンゴジラブームが長きに渡って続くかどうかは疑問、娯楽としてのゴジラ、何処に的をしぽるのかが今後の課題と言えよう。
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2018年01月30日

時代の変化

    古時計の人気

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  古時計愛好家にとって何が人気なのか気になるが、年とともに変わってゆく事、たんに古時計と言っても種類は多い。
  色々な種類の中で何が一番人気なのか、多くの愛好家もこの事に気がとられていたことは確か、やっぱり気になるのだ。
 人によってはそんな事はどうでも良いと、我が道を行く人も又多い、誰が何と言おうがそんな事は構わないのだ。
 しかし殆どの人は人気の時計がなにか気になるので、何が流行っているか人に聞いて回ることになる。

  私が始めたころの人気はドイツ物の時計、ユーハンスのスリゲル型が一番人気、それこそ猫も杓子もユーハンスが引っ張りだこ。
 時計愛好家にとってはユーハンスを持っていないと愛好家ではないと、SANY2014.JPG誰しもがそんな風に思って、ユーハンスのスリゲル型を集めた。
 だからどこの店にもユーハンスの時計は必要、当然の事値段も高くなり、それでも愛好家はユーハンスを買い求めた。
 その後小型のユーハンスのバイオリン型が流行り出し、これまた皆が飛びついて買い込んだから、必然的に値段も上がることに。

 これから暫くは小型のユーハンスの天下、誰しもこれを求めて探し回り、競い合って買い求め、結果は値段が上がっただけの事。
 時計愛好家にとっては喜ばしい事ではないが、それも自分たちが作り上げてしまった流行り、その後姫達磨のブームが到来。
 SANY4098.JPGすると今度は姫達磨を求めて愛好家が買いあさることに、確かに可愛くて場所も取らない姫達磨、流行っても可笑しくはない。
 しかし値段が問題、これぞとばかりに値段はうなぎ登り、当初の値段の10倍まで上がる始末、これでは手が出なくなり、流行りもすたることになる。

 この様に古時計にはブームがつきもの、そのブームは作られるものだが、愛好家も助長するので結果は自分に跳ね返って来る。
 ブームとはそんなもの、一時期流行った小型の掛時計も今は下火、飛ぶように売れていたのも今は影を潜めた。




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2018年01月29日

金平糖

    角が命の食べ物

SANY5368.JPG 子供の頃、遠足と言えば金平糖と、何かの行事があった時には必ず金平糖が、そんな思い出が思い出される。
 今の人は金平糖を知っているだろうか、我々の子供の頃は金平糖は甘いお菓子の代名詞、キャラメルと同じくらいに。
 キャラメルは金平糖よりも新しく、それ以前から作られているのが金平糖、歴史をさかのぼると1500年代まで遡る。
 ポルトガルの宣教師が日本に持ち込んだものと言われ、献上品として本国から持ち込んだと言われ、織田信長も食べたと言われる。
 もともとポルトガル語でコンヘェイトと呼ばれ、其れがなまって金平糖になったと言う説、主に西日本で造られていたようだ。

 その中心が京都、もちろん献上品として造られており、一般庶民の食べ物ではなかったのだが、一般に広がるのは江戸時代中期と言う。
   そもそも砂糖は貴重品、誰もが手にすることのできない食べ物であったので、当然権力者の食べ物として扱われていた。SANY0371.JPG
 この金平糖、作り方は難しいもの、あの形のするまでには二週間もの時間がかかり、あの角をだすのが至難の業と言う。
 ザラメを回転する器に入れて、水状にした砂糖を上から垂らし、少しずつ砂糖水を加えて行く、器は常に回転しており、下から熱せられている。
 回転しているザラメに砂糖水を加えて行くのだが、金平糖の角を出すのが難しいらしく、簡単にあの角は出来ない。
 金平糖の角、あれがなければ金平糖ではなく、単に砂糖の塊であり、塊に過ぎず、二週間もかけて作る必要はない。

 あの角が金平糖の命、職人が時間をかけてあの角を造り出すのだと言う、その為に時間がかかるらしく、口の中に入れてしまえばすぐに溶けてしまう。
 二週間もかけて造り出したものが、簡単に溶けてしまうが、其れが金平糖なのだが、現在でも宮中の引き出物と言えばボンボニエール。
SANY0376.JPG 銀製のお菓子入れ、その中に入っているものが金平糖だ、其れくらい金平糖は歴史と貴重なものであるのだ。
 庶民が食べられるようになったのは江戸中期からと言うが、実際に食べられる様になったのは明治に入ってからの事。
 写真の器は金平糖入れ、子供の頃これに入った金平糖を一つづつ出して、大事に食べたものだが、金平糖の器はやはりガラスの瓶。
 あの中に色とりどりの金平糖がぎっしりと入り、外から見える姿は美しい食べ物、そんな記憶が今でも頭によぎる、懐かしい食べ物なのだ。
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2018年01月28日

珍品陶製の梵鐘

      代用品の傑作
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 愛知県瀬戸市と言えば千年の昔から陶器の生産地、日本六古窯の1つで、一番は古くから釉薬を掛けた陶器を製造していた土地、加藤藤四郎を陶祖として栄えてきた。
 瀬戸で作れない物は無いといわれた土地、昔から職人たちは陶器の製造には研究熱心で、色々な物に挑戦をしていることは、あちらこちらで発掘されたものから分かる。
 当時の職人魂を見る思い、発掘された物の中には現在何に使用したのか分からない物も多く、当時の職人が如何に色々な物に挑戦していた証である事が分かる。

 そんな瀬戸市内に、陶製の梵鐘があるが余り知られていないが、戦争の副産物として造らせたせいであろうか、世界広しと言えども陶製の梵鐘があるのは瀬戸しかSANY1507.JPG無い。
 この梵鐘、瀬戸市内中央部にある法雲寺、創建は明治と新しいお寺であり、其のお寺の境内に現在は鐘楼下に置いてあるが、見学は何時でも出来る。
 実際に見学すると大きな物で、鐘を吊り下げる金具の高さまで150センチ位の梵鐘、所々に欠けたところがあるから、之が銅製の金属で出来た物ではない事は、誰が見ても直ぐに察しはつく。

 しかし、この梵鐘を目の当りにすると迫力があり、こんな大きな物を陶器で製造しようとした、当時の職人たちの心の動きが分かる気がして、何だか胸が詰まる思い。
 戦争中に金属を供出され、お寺の梵鐘まで無くなって、檀家たちだけでなく人々は鐘楼から消えた梵鐘に思いを馳せ、陶器で製造することを思い立ったのであろう。
 梵鐘の無い鐘楼は魂が無いとSANY1509.JPG同じもの、其の魂を陶器で造りだろうとした当時の職人たちの心意気と、戦争に対する抵抗感が受け取れるような気がしてならない。
 こんな物まで造り出した瀬戸の職人たちの底力を見た思い、伝統に培われた技術はどんな時にも、其の力を発揮するものでもあると、改めて思いを新たにすることが出来た。
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2018年01月27日

招き猫の顔

    好まれる顔

 SANY8891.JPG招き猫、古い時代から作られせれて来たが、その顔となると千差万別の顔を持っているもので、これが招き猫の顔であるとハッキリとした決まりはない。
 決まりがないと言う事ではなく、やはり製造する人本人の問題であり、どんな顔にするかは本人次第である。
 当時はマニアルがあるわけでもなく、それらしい顔を造り販売していたに違いなく、そのモデルは郷土玩具から。
 もともと郷土玩具が発祥と言われているから、それに似ているとしても当たり前の事だと思うが、それでも顔はそれぞれに違いがあったはず。

 この招き猫の顔、個性的な顔をしているのは古い物に多く、独特の顔をしている招き猫も、猫と言うよりもつきねに近い顔。
 もっとも古い時代の猫も同じような顔をしているから、別にそれが特別な招き猫ではない様である。
 郷土玩具の猫も同じ顔、それが何時頃から変化をして来SANY1104.JPGたのか、時代ごとに並べてみると、その変化に気が付く事になる。
 やっぱり比較するのには比べるものがないと、変化に気が付かないもので、並べて初めて理解できるものだと思う。

 現代の招き猫はヤッパリ可愛さが強調されているものが多く、顔が丸くなっているものが殆どである。
 もちろん今の猫も丸い顔をしているから、それを反映していると言えばそうだが、日本の猫はやっぱり細長い顔。
 西洋猫は丸い顔をしているものが多いよう、日本の猫と西洋猫の違いかもしれず、それを求める人たちがそうさせたのか。
 それとも時代の変化が齎したものなのか、いずれにしろ丸い顔をした招き猫が多く、現代的な顔をしている。
DSCN0141.JPG
 もう一つが目にも違いが、今の招き猫はパッチリとした目、黒目も大きくてまん丸、顔が丸いし、目も丸い、全体に丸い顔。
 これは招き猫の産地は違っていても、流行の顔をしているから、売れ筋の顔を造り上げる事に徹しているのか。
 いずれにしても現代の招き猫は丸顔、昔の招き猫と比べれば一目瞭然、その違いが明らかに分かるものだ。
 どちらの招き猫の顔が好きなのかは、買い求める人が決める事だが、全体が現代的であればそれを買うしかないのかも知れない。

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2018年01月26日

木の玩具

      40 数 年
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 我が家も2人目の孫が出来、孫の訪問を待ちどうしくしている始末、1人目の孫から大分間が開いたので又、新鮮な気持ちで孫を見れるようなそんなこの頃。
 初孫が出来た頃はそんなに気に留めなかったが、1才を過ぎた頃から家に良く来るようになり、我々は結局孫のお守で娘は生き抜き、しかし孫が来れば家の中は孫中心。
 狭い家が更に狭く感じるようになり、何処の部屋にいっても孫の玩具や荷物だらけ、それでも女房何時もはうるさいくらいに部屋を散らかすなと云っておきながら、孫が来ればやりたい放題お咎めなし。

 孫に与える玩具、女房の姉の子供が小さい時に使っていた玩具が今家の孫の玩具、木で出来たシンプルな物、この玩具歴史があり姉の子供から、我家の子供にそして妹の子供へと次から次にと伝えられ。
 また姉の孫に戻って行き、そして今度はまた我家の孫と、巡り巡って再び戻ってきたもの、当然のこと我家の子供も遊んだ玩具、愛着もひとしお、大事に扱うことになる。
 SANY1059.JPGSANY1062.JPG回りまわって40年をゆうに越しているが現役、何処も悪くなくむしろ手触りが良くなっている観があり、何人もの子供が遊んで摩れて角がより安全になったようだ。
 子供の玩具はシンプルが良い、現代的な玩具より温かみがあり、木の感触が手から伝わり、良い物の感覚が養われるのではないかと思っている。
 手作りの丈夫な物は、幾世代を経てもあきが来ないし、第一安全このかたない代物、職人が丁寧に作った玩具、やっぱり耐久性が違うものである事の立証だ。

 
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2018年01月25日

ドイツと日本

    大きさも違いが

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 鳩時計と郭公時計、カラクリ時計として人気の高いもの、何故人気が高いのか、その秘密は何処にあるのか。
 ドイツで造られたと言われる郭公時計、木をふんだんに使い、森林のイメージが強くあらわされている時計とも言える。
 あの形は森の小屋を思い出すような、そんな雰囲気を持っている時計、だからこそ人気があるのではないだろうか。
 勿論、簡単なカラクリが付いている事も重大に要素、このカラクリがあるからこそ人気、フクロウ時計と同じ。

 複雑な仕組みのカラクリではないが、簡単であるから好感が持てて、親しみやすい時計であるのだと思う。DSCN0190.JPG
 ドイツではカッコウ時計、森林に住む鳥であり、鳴き声がさわやかな鳥であるが、自分で子供を育てないで有名な鳥でもある。
 ほかの鳥の巣に卵を産み付けて、その鳥に子育てをされる、ずるがしこい鳥であることから、日本では嫌われる鳥である。
 その点鳩は平和の象徴とされている鳥、日本では郭公から鳩にへと姿を変えて作られるようになったもの。
 あまり関心がないように思えるが、時計の屋根に付いている鳥が郭公と鳩が付いている事だ。

 よく見なければ分からないようだけど、屋根につDSCN0193.JPGいいる鳥は違うもので、右向きと左向きが鳥の位置である。
 ドイツの時計は彫が深いのも特徴、日本の鳩時計は彫がのっぺりとしており、立体感にかける。
 迫力でドイツ物に圧倒されるのが日本の時計、そしてもう一つが機械、ドイツ物は頑丈な造りで出来ている。
 そして大きさもドイツ物は大きくて、日本の鳩時計は小さくまとまっているもの、それも国民せいなのか。

 勿論の事、なき声も少し違いが、外形は良く似たものとなっているが、良く見るとやっぱり違う時計だ。DSCN0185.JPG
 郭公と鳩、何方も鳥ではあるが、これも国民性の表れか、親しみやすい鳥をモチーフにしている事だ。
 写真は上からドイツの郭公時計、下が日本の鳩時計、大きくて迫力のドイツ、こじんまりと日本の鳩時計。

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2018年01月24日

幻のオリンピック

      照らす灯り

SANY5177.JPG 東京オリンピック、2020年に東京で開催されることが決定しているが、昭和のはじめアジアで最初のオリンピックが東京で開催されることが決定。
 1936年、IOCの総会で次回のオリンピックをアジア初の東京で開催する事が決定、しかしこの時日本は中国との戦争に突入する前夜でもあった。
 軍部の中国進出の働きが強くなり、支那事変へと発展してゆく事になり、戦争に突入してしまい、国際的にも孤立を高めて行くことと、結果はオリンピック辞退へとなる。
 アジアではじめてオリンピックを開催するという事に全力を傾けてきた日本IOCも、結局は軍部の力の前には、なすすべもなく打ち砕けてしまった。

 当時、国民の間にも初SANY8721.JPGめて日本で開催されるオリンピックを歓迎し、その機運も上々であった事は確か、巷ではオリンピックムードが盛り上がろうとしていた。
 それを先取りして、国内ではお祝いムードが持ち上がって来たとき、軍部による圧力が国民を押さえつける事に、オリンピックを開く予算があるのならば、戦時下戦争の軍需品に回すのが当たり前と圧力をかけたのだ。
 日本は昭和15年、紀元2600年祭を控えており、これをも擁す事が最大の課題、その一環として東京でオリンピックを開催する事、しかし戦況は着実に悪化していた。
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 国際社会からも圧力が強くなり、軍部の責めつけも激しくなる事で、結局東京でのオリンピックは辞退せざろう得ない状況に陥る。

 しかし民間はオリンピック目当ての商材を数多く計画、オリンピック景気にあやかろうと、あれこれと商品開発を推し進めていた。
 今回紹介するランプもその1つ、オリンピック記念として売り出すために計画されたもので、聖火ランナーをモチィーフにした電気スタンドを製造する事になる。
 合金による鋳造だが、余り良い合金ではなく、物資が段々と厳しくなる予兆みたいな造り、全体に薄く仕上げられ、今一迫力に欠けるものである。
 やはり当時の世相をSANY8738.JPG現していることは間違いなく、オリンピックの記念商品として発売するつもりで製造しているが、日本のおかれている立場を表しているかのようだ。

 聖火ランナーの頭の上には日本の国旗とオリンピアの文字が見え、その下には1940年の年号が刻まれており、東京オリンピック記念だと分かるのだ。
 見た目には重量感がある様に思えるが、実際に手にとって持ち上げて見ると、その軽さに驚くのであり、戦時下であった事を改めて感じる。
 結果、この商品は販売されることはなく、お蔵入りとなったのであろうと思うが、どけだけ製造されたものなのか、そして損失は大きかったろうと想像が付く。
 幻のオリンピックとなった1940年(昭和15年)の東京大会、この外にも数々の商品が製造されたが、当時日の目を見ることはなく、今日その名残を伝える証しとして存在している。

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2018年01月23日

友来訪

         久々の訪問

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 旧来の友人が久し振りに我が家に訪れ、昔話に花を咲かせたのだが、よく考えて見ると彼とは15年も会っていなくて、今日は本当に久し振りだ。
 突然現れた彼、高校時代の友人、若い頃よりの悪ガキでもあるが、仲の良い友達でもあり、会えば直ぐに昔の時代に戻ってしまう。
 幾つになっても友達は良いもので、遠く離れていても会えば直ぐに昔のまま、直ぐに打ち解け気を使うこともなく、付き合えるのもガキ友達である。
 今日は何故我家にやって来たのかとと思いきや、雑誌で私の事を見たからと、久し振りに顔を見に寄ったのだとも云うが、それだけではなかった。
 彼いわく「実はお前に原稿を書くように頼まれて来た」と言うのだが、何だか分からないもので、「如何してお前が原稿を頼まれるのか」と聞く。

 何でも彼の得意先に出版社があり、たまたま私の事をしり、時計の原稿を欲しいと思っていたらしく、偶然彼が私と知り合いだと知ったらしいのだ。
 少し変なので、「如何して偶然知ったのか」と聞けば、その出版社で彼がふと時計の記事を見ていたら、「時計に興味があるのか」と尋ねられ、興味はないが知り合いが好きで時計を集めていると口にしたらしい。SANY8518.JPG
 彼に言わせると偶然目にした時計の記事を見て、私の話を出してしまい、時計にのめり込んでいると話したらしいのだが、出版社の人が、「その人、この記事の人ではないのか」と他の雑誌を見せてくれたらしい。
 彼は私が時計の記事を書いている事は全く知らないし、見た事もなかった様で、私の記事を見て何故そこにあるのが不思議であったと云う。

 そして出版社から「この人の記事が欲しいのだが、面識がないので知り合いなら紹介して欲しい」と云われ、記事を依頼されて来たと言うのだ。
 偶然とは恐ろしいもので、出版社も渡りに船とばかり彼に依頼したらしく、本人も私が記事を書くなんて信じられないが、自分が頼べば嫌とは言わないだろうと思ったらしい。
 そんな訳で大阪へ出張の途中、我家によって出版社から頼まれて来た記事の依頼に来たと言う、偶然であるが我家に来る機会を作ったことだけは良い事だ。SANY8523.JPG
 東京に居るから中々会えないが、たまに会いに来てくれる事が嬉しくて、記事の話等後のこと、久し振りに旨い酒でも呑んで積もる話をする事にした。

 この男、大の「のんべい」、若い頃より酒なら何でも良い男、2人でよくあちこちと行ったもので、食べ物にもうるさく、お互いに旨い店屋を探し回ったものだ。
 特に蕎麦には2人とも目が無く、旨い蕎麦屋を渡り歩いて、何処が良くて、何処がダメだか食べては批評しあって、旨い蕎麦を食べた仲。
 やっぱりガキ友達は良いもの、久し振りに昔話をしているのが楽しい、何から何まで知り尽くしている仲間、酒も速いピッチで進む。

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2018年01月22日

コレクションの色々

    何時の間にか

SANY4909.JPG 古時計と付き合うようになってから早40数年、知らぬ間に歳をとってしまったが、その代わりに古時計が増えた。
 はじめは一つ一つ拾い集め、次第に増えて行ったもので、気付けば膨大な数になってしまった。
 好きで集めたものだから次々と集まり、どんどんと増えた行き、置く場所も無くなって来て、はじめて整理しようと思うようになった。
 しかし好きで集めたものだから、どれから整理して良いか分からず、ツイツイ手が止まったしまうのだ。
 やはり思い出があり、中々整理しがたく増えるのが止まらないのだが、仕方なく整理に入ったが進まずに中断SANY4913.JPG

 そんな事の繰り返しで、古時計整理は決断の時が、友人からアドバイスを受け、二つ以上同じ物から整理しろと。
 確かに言われる通り、同じものが何台もあり、まずはそれらから整理する事に、その選別に入る事にした。
 整理すると決めた時計を手に取り眺めていると、この時計を手に入れた時の事が思い出され、やっぱり手が止まる。
 この時計はあの時の時計だとか、この時計を手に入れる時は時間がかかったとか、次々と頭の中に浮かんでくるのだ。
 何一つ思い出のない時計などなく、一つ一つが思い出の塊、其れが巡り来るので、その時計を眺めている。SANY8327.JPG
 そんな事をしていたらやはり整理は進まず、やっぱり整理するのを止めようかと思い始め、その作業は中断。

 そんな姿を見て友人、「お前は何時まで同じことを繰り返すのか」、現実を考えろと厳しい言葉を浴びせるのだ。
 その言葉に促され、仕方なく整理する時計を選別、幾つか重なっている物を再度選別したが、やはり数が多い。
 すると、こんなに同じものを集めたのかと、そんな事を思いつつ選別された時計を部屋から運び出した。
 そもそも数が多すぎて、掛ける処も無くなり、部屋の隅に重ねて積み上げる始末、それでもまだ集まって来る。



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2018年01月21日

通徳利

      貧乏徳利
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 時代劇の映画の中で、大きな徳利を提げて持ち歩いている浪人、徳利を下げて酒を買いに行く人、誰もが一度は目にした光景であるが、懐かしい徳利。
 普通、家で酒を飲む徳利は小さいが、映画に出てくる徳利は其れよりもずっと大きく、一升徳利と云うものであり、名前の通り一升は入る大きな徳利の事。
 この徳利、江戸時代中頃から普及しはじめ、酒屋に小分けしてもらう為に持って行く徳利、通称を「通徳利」と云い、一杯に酒を入れると一升はいる大きさ。
 この徳利、「貸し徳利」と「通徳利」とあり、酒屋が自分の名前を入れた徳利を作り、それを貸して酒を売るもの、その為に自分の店の名前を徳利に入れているもの、それが貸し徳利。

 其れとは別に個人で所有している徳利もあり、通称「通徳利」と呼ばれたもの、江戸っ子が見栄を張るために毎日一升徳利を持って酒屋に行く、しかし中身は2、3合しか買わずもって帰る。SANY2723.JPG
 中身が分からないから、毎日買いに行くから景気が良いと思われ、それが目当てで少ししか買わないが、其処が見栄っ張り江戸っ子、全部見透かされようと、毎日通う。
 その為に貧乏徳利とも呼ばれ、見栄と意地っ張りの江戸っ子らしい徳利、この徳利は美濃の高田で製造されており、「高田徳利」と呼ばれているもの。
  写真の徳利、我家の庭の片隅で余生を送っているもの、この徳利は貸し徳利で、名前に「三河屋」の文字が入っている物、もう1つは「通徳利」で個人所有の徳利。
 庶民が使った物、今では庭の片隅でひっそりと余生を過ごしているが、その昔は酒屋を行き来して、はつらつと働いていたにちがいないものだ。
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2018年01月20日

寄贈したい

    相談に乗って欲しい

SANY1533.JPG 知人から電話で「今日は家に居るのか」と聞いて来たので、「夕方からなら居る」と答えた。
 夕方我が家に友人が来たが、老人が付いて来たので不思議であったが居間に入って貰ったのだ。
 友人一人と思っていたのに二人で来るとは、そんな思いで居間に通すが、突然老人時計を持ち出してきた。
 私が怪訝そうにしているので友人、相談とは「この人の話しを聞いて欲しい」と切り出して来たのだ。
 相談とはこの人の事らしいが、何の事だか知らないが時計が出て来たので、この時計の事には違いない。

 その老人曰く「我が家に古くからある時計で、私の親父が買い込んだもの」と言い、この時計を貰って欲しいとの事。SANY1555.JPG
 知らない老人から時計を貰う事は出来ないので、友人に「何の話だ、訳が分からない」と聞き直した。
 すると老人「この人に私がこの時計の事を相談したら、知り合いが時計に詳しいからそちらで相談したら」と言われ、今日伺ったとの事。
 そして「私が来月養護施設に入るから、この時計をどうしたら良いかと思い、時計を持参した」とも付け加えられた。
 つまり、自分が施設に入るが親父の時計を処分するのは忍びないので、何処かに寄贈したいと思っていたとの事。
 友人がその話を聞き、私の事を話したらしく、すると老人が「知らないところに寄贈するよりは、時計の好きな人の所に預けた方が親父も喜ぶと思う」と言い出したらしい。

SANY1559.JPG そして老人「私が子供のころから、この時計のねじを巻く係りで、今までねじを巻いて来たのだ」とも言われる。
 確かに時計を見れば程度の良いもので、現在まで動いていた証拠、きれいな時計だと思う、しかし私も知らない人からもらう訳にもゆかない。
 すると老人、「知らない人ではなく、この人の友人であれば知り合いである」と言われるので、返事に困ってしまった。
 結局、施設に入るから是非でも私に貰って欲しいと言われ、老人の意思を尊重してこの時計を貰う事にした。
 写真の時計がその時計、手入れが行き届いており、老人が如何に大事にされてきた時計である事がうなずける。
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2018年01月19日

兎に角種類が

    何処から

 骨董品は何処から集まって来るのだろうかと思っている人、誰が集SANY1974.JPGめて来るのだろうか、そんな疑問を抱いている人も多い。
 以前は私も同じことを考えていたのだが、何時も行く店の主人が明日は市場に行くから居ないからと言っていたのを思い出す。
 その時は何処の市場に行くのだろうかと、そして何で市場なのかと思っていたもの、つまり市場違いである。
 私は食べ物の市場だと思っていたから、何で主人がそんなところに行くのか不思議であったが、後で骨董市場である事を知った。

 それまでは不思議でたまらなかったから、市場に何しに行くのかと、そんな自分に呆れ、今はあの時思っていた事がおかしくて堪らない。
 普通骨董と言うと書画とか、茶道具などと思うが、それは氷山のSANY1971.JPG一角である事を後で知ったもので、骨董とは奥が広くて諸々全般に至る。
 つまり範囲が広くてとても我々の思っているのもではなく、それを要求する人が居るものだと、改めて知る事になる。
 古民具から皿まで、あるいは書物であったり、絵画であったり、そうかと思えば玩具であったりと奥が深い。
 世の中にはいろいろな物を集める趣味人が多いと、改めて思うが、その人達の為に集めて来る人も居るのだ。
 現代の骨董品とは、今までの考えと少し違ってきているようだと、最近思うようになったが、昨今の骨董とは幅がなおも広くなった。

 骨董品は世につれと言われて久しいが、今の骨董品はそんなに古い物ではなく、昭和のものもその範囲に入って来る。SANY1940.JPG
 つい最近まで見かけたものが、今探そうとしてもなかなか手に入らない時代、使い捨ての時代に入り久しい、だからこそ残ったものに値が付く。
 ソフトビニールで出来た玩具、あんなものに高額の値段が付く時代になって、今までの感覚とは違って来たのだ。
 骨董品とは古くて良いものと言うのが定番、玩具などとんでもないと思っていたのだが、今はそれが全盛期だと言う。
 やっぱり時代とは分からないもので、誰かがその時代を造り出すのではないだろうか、そんな気がする今の骨董品業界。
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2018年01月18日

連絡事項

 テレビ放映の件

1月20日 土曜日、午後6時55分から放映されるテレビ朝
日ニッポン視察団の番組で私のコレクションが紹介されます。

爆笑問題が司会している番組の仲で綾小路きみまろさんと一緒
に出演していますので暇つぶしに見てください。

きみまろさんとは若い頃に骨董を通じて出会った仲で番組が面
白くなっています、彼の巧みな話も是非見てください。

  日本古時計保存協会会長  戸 田 如 彦
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ひなどうぐ

      其 々 の 道 具
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 早いもので、この間までお正月気分でいてのに、もう15日も過ぎ2月もまじかになって来、雛めぐりの準備をしなければならないのだが、今1つ気乗りがしない。
 正月疲れでやる気が起こらないようだが、この時期もうそんな事言ってられない事に、瀬戸の雛巡り各方面からはどの様な展示をするのか教えて欲しいとの催促。
 去年も同じ様に催促され、やっとやる気になって反省をしていた自分が、今年又同じ事をしている様であるが、風邪をひいて体調不十分のせいから、やっぱり動作が鈍い動きである。
 雛人形の点検を始める事にし、まず雛人形の部品を点検する事にしたが、倉庫から荷物を引き出して点検開始するも、手が止まっているばかりで、先に進まなくなった。

 何故かと言えば、去年雛人形を展示していたおり、年配のおば様から質問があり、五人ばやしの持ち物と並べ方に付いてのもの、おば様曰「5人ばやしの並びが違うのでは」と力説された事を急に思い出した。
SANY1056.JPG その方は「5人ばやしの中央は扇子を持った人が」と云われ、自分の地域はそれが作法と、ちょうど現場にいた人からは賛否両論、とんだ論争になった事だ。
 地域によってはその様な作法もある事を改めて知り、日本各地には色々な作法があると再認識した事、又頭に描いてしまい道具を出し点検を開始した。

 写真の雛道具、どれが誰の持ち物なのか、お分かりである方は今でも雛人形を出して飾られている人だ、少し雛人形を出していないと忘れてしまうのも年のせいなのか。
 5人ばやしの持ち物は写真中央上の、太鼓や笛、扇子があるところ、この扇子の持ち人が、論争の主人公で能の囃し方であ。
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2018年01月17日

やっぱりオイル

      時代が変わっても
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 最近は愛煙家にとっては住みずらい世の中になってしまったようで、煙草をこよなく愛する愛煙家の人たちにとっては、忍耐の時であるようだが、其れも時代の流れ。
 個人主義が蔓延っている時代だが、煙草に対する風当たりは個人主義ではないらしく、個人の自由は認めて貰えないのも、また時代なのか。
 そんな時代であるが、愛煙家は苦労しながらも煙草を嗜んでおり、それはそれで仕方がない事かも、確かに体のことを考えれば、ソコソコで止めておかねば。
 一時の休息、それは愛煙家にとっては煙草を嗜む事によって、リラックス出来る一時でもあり、色々な休息の取り方の1つでもあると言う事。

 わたしはやっぱり「ピース」、こんな時の楽しみは「ピー缶」と呼ばれる煙草、昔は煙草の量SANY5616.JPGも多くて、特に会議が始まる時には二箱は当たり前であった。
 兎に角良く吸ったものだだが、今では体の事も考えて、一日に数本くらいしか吸わないし、時には全く吸わない事もあり、少しは体の事も考えている。

 しかし、煙草を止めようとは思った事はなく、数量を調整したに過ぎないが、煙草の銘柄は絶対に換えず、「ピー缶」一筋の今であり、
誰になんと言われても譲れない。
 それと、もう1つは火を付けるライター、これも拘りの1つ、好きな物で火を付けないと煙草も美味しくなく、何時もの物で付けなければならない。
 やっぱりオイルライターに限るのだが、他人に火を付けて貰うのには何でも良いが、出来ればオイルライターにしてもらいたいと、今は持つ人も限られている。
 そんな拘りのライター、昔からこのライターが好き、少し火を付けるのが難いが、其処が又良い苦労して火を付けるのも、やっぱり拘りでもある。
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2018年01月16日

思い出の時計

      志功で盛り上がり

SANY4370.JPG 旅の思い出には色々な思い出があるが、楽しい思い出もあれば苦しい思いでも、そして大失敗をした思い出もあり、其々に今は懐かしいものである。
 仕事で全国を回ったが、その行く先々で古時計との出会いがあり、その殆どが予期せぬ出会い、心に残る出会いは心の奥深くに刻まれている。
 出会いとは予期しないものほど心にしみるもの、現実的に起こるべきして起こったものは、それ相当に想像がつくが、出会ってもあまり感動が無く、ダダの出会いに過ぎない。
 もう35年も前の事、青森県弘前での出来事、まだ私が若かった頃の事、やはり仕事で青森を訪れた時、4月の大型連休の直ぐ前の観光客がまだ少ない頃。
 青森市内の居酒屋で、たまたま隣に座ったおじさんと仲良くなり、何故かしら話が弾んだ、その話とは「棟方志功」についてであったが、おじさんもSANY4371.JPG大の「志功ファン」、当然と言えば当然、ここは青森であるから。

 私も志功好き、話が弾んで大分飲んだ頃、おじさんが帰ると言い出したので、引き止めずにその時はすんなりと見送くり、我々も帰ることにした。
 明くる日、弘前に行き古時計探しを始める事に、弘前市内をさんざん探したが何も無く、疲れて食堂に入ってビックリ、昨日のおじさんが前に座っていた。
 向うもビックリなら、こちらもビックリ、お互いに昨日の話で又盛り上がり、帰りにおじさんが家に来いと言い出したので、誘いに乗って行くことにした。

 おじさん、聞けばあの「弘前ねぷたの絵師」で、自宅に行けば「ねぷた」が、その隣に古時計が目の前に現れ2度ビックSANY4378.JPGリ、早速見せて貰うと「こんな物欲しいのか」とおじさん。
 今まで古時計を探し回ったことを話せば、「欲しければ持って行け」と意図も簡単に言う、こちらがアッケに取られていると「どうした、要らないのか」と聞く、遠慮していると「お前が気に入ったからだ」と言うので有り難く頂いて帰ってきた。
 出会いとはこんなもの、予期せぬ出来事を言う、今ではこの出会いは新鮮であった事をつくづくと思う、楽しい思い出の一つだ。
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2018年01月15日

左義長祭り

   今は少なく

SANY2083.JPG 差議長とは地域によって呼び名があり、どんど焼き、どんどとも、またいろいろと違った呼び方が、しかし行う事は同じようだ。
 正月に飾った門松、しめ縄、鏡餅などのものを集めて燃やす行事、以前は全国廿浦うらうらで行われていた。
 しかし年々その数を減らして行き、現在では特定の所しか行われない様で、日本の風習も減って行くようだ。

 勿論そこには原因があり、一概に悪い事とは言えないようで、都会では焚火をすることは出来ない。
 追い打ちが環境問題の現れ、ダイオキシンの出る焚火はご法度、焚火自体出来ないようになってしまった。
 そのうえ正月飾りも減って来て、特に家庭では門松などは飾る事はなく、核家族化の影響も一因とされている。
 色々な訳で左義長も減少したと言うが、正月の行事位後世に続くようにしなければならないと思うが。
 もともと左義長の行事は中国よりの渡来文化らしく、平安時代にはすでに渡来していたと言われ、正月の行事とされている。SANY2093.JPG
 竹の先に紅白の布切れを付けて地面にさして結界をつくっていたとも言われているが、その言われもまちまちである。
 現在竹を三本組、櫓みたいにして、門松やしめ縄などの正月飾りを燃やし、一年の無病息災を願った。
 三本の竹がパチパチとはじける音がするので、どんど焼きとも言うのだと、中国では爆竹を燃やしていたのだと。

 その後、江戸時代には一般庶民に受け継がれて全国に広がったもの、色々な姿は変化したようだが1月14日か15日に行われる。
 市街地ではなくなってしまった左義長祭り、それでも神社やお寺で現在も行われているから、そちらで見てはと思う。
 年神様を送る行事でもあり、鏡餅、只のお餅でも良いから持って行って、しめ縄などが燃えている火でもちを焼くと良い。
 多少煙で燻されて黒くなることもあるけれど、これを食べれば厄払い、無病息災に良いとされている縁起物、1年無事を祈ってはどうだろうか。
 色々ないわれは兎も角、ことし1年の無病息災を願うのも良いのではないか、難しい事はちっと置いておき、1年安全に暮らしたいものだと思う。


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2018年01月14日

エジソンの蠟管2

      初期のレコード

SANY4764.JPG エジソンが発明したボイスレコダーとは、人間の声を再生するもの、声を再生出来る機械として、一役世界に躍り出た再生機、要するに人間の声を吹き込んで再生する機械の事である。
 当時は画期的な発明して人々を驚かせたが、当初は殆ど金持ちの道楽品、高価なために一般庶民は手に入れることは出来なかった物。
 その為、この蓄音機を店頭で聴かせたと言う、人々は箱から出てくる人の声にビックリ、まさかこんな小さな箱に人が入っているのかと不思議に思ったようだ。

 この時代の蓄音機、蠟管と呼ばれる物、円筒形の形をした物で、其れを横にして回転させて音を出す仕掛、今のようなデスク式ではなかった。
 この蠟管、字の如く蠟で出来たレコード、その為に柔らかくて30位聴くと、音が出なくなったもの、溝が削れて音が出ない様になったしまったのだ。
 このレコードの欠点は、量産が出来ない事、一本、一本録音しなければならず、コストが高く付き不便であったので、その後改良されてデスク式になった。
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 写真の蠟管、エジソンの蠟管レコード、初めて手に入れた時は、2分用と4分用とが有る事を知らなかったので、2分専用の機械で4分用のレコードをかけ、音がおかしくて故障していると思ったものだ。
 まさか、2分用と4分用とがあるとは思ってもみなかったもの、折角買い込んだエジソンの蓄音機、蠟管も手に入れて、さて聴こうとしたが、全く聞けず失敗、機械が悪いものと思ってしまった。
 その後、2種類の蠟管があると教えてもらい、黒色のものと青色のものがあり、黒が2分用で青が4分用であることを教えてもらったのだ。
 知らないという事は恐ろしいもので、何回か4分用の蠟管をかけたので、レコードをダメにしてしまったようで、折角手に入れたのに自分でホゴにするとは情けない事だ。
 写真がその蠟管、黒色と青色の2種類、ハッキリと区別できるように製造されており、間違いをなくするようになっているのに、それに気が付かないとは、改めて実に情けないことだと反省。
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2018年01月13日

懐かしの玩具

    幾つになっても

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 幾つになっても昔遊んだ玩具は忘れがたいもの、そんな玩具を手に取ると、すぐに昔のあの時に帰る。
 誰しもそんな思い出の玩具があると思うが、それが何であれ楽しいもの、歳取るごとに懐かしく思う。
 私はソフトビニールの玩具には拘りがないが、見る事は好きであり、楽しくもあるのだ。
 特にペコちゃんの人形は想いれも、不二家の店先でちょこんと立っていたのを思い出すからだ。
 勿論ソフビニは後の事であるが、頭の中にはペコちゃんの姿が刻まれているのだと思う。

 もう一つはのらくろの玩具、これも私にはあまり思い出もなく、SANY0462.JPGそんなに拘りもないのだが。
 ただ人気である事には変わりなく、それを手に入れていたのだと思うが、何時、何処で手に入れたのかも記憶にない。
 関心がないと言う事はそんなもので、手に入れた経緯も覚えがないと言う事は、おまけで貰った物かも知れない。
 だから記憶に無いとも言えるが、のらくろ事態に思いもないから、やはり何処かで貰ったか。
 しかしブリキの玩具は少し違うもので、遊んだ記憶もあれば手に入れた経緯もハッキリとしている。

 ブリキの玩具は好きだから、新しくても、古くても手に取ってみてしまうもの、だから覚えてもいるのだ。
 特に飛行機ものは好きで、いくつか手に入れているが、大きなものは場所を取るから小さな物にしているSANY9486.JPG
 其れでも数が多くなると場所に困ることに、だから天井につすることになるが、やはり大きなものは出来ない。
 ソコソコのもので吊るすのだが、それを見た人は不思議そうに眺めているので、ツイツイ言い訳をしてしまうのだ。
 場所がないから天上から吊るす事にしたと、やはり言い訳が先に立ち、恥ずかしさもついでに出て来る。







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