2018年02月28日

テレビで見ました

   展示会場で

 SANY0651.JPG現在展示をしている雛人形の会場で見学者から「ひょっとしてテレビに出ていた人」と言われてしまった。
 確かに1月末に綾小路きみまろさんとテレビに出ていたが、まさか全然知らない人から私であると分かったのが不思議。
 幾らテレビでも直ぐに私だと分かるとは驚きだが、テレビとはやはり恐ろして力を持っているものだと感心した。
 その人曰く「何で時計を集めている人が雛人形何ですか」と問いかけられ、答えに困ってしまった。
 何故ならば多くの見学者がその場所にいたからで、他の人からも何でだろうと声が聞こえて来たのだ。

 確かに言われればその通りかも知れないが、私としては別に雛人形を集めるためにした事ではなく偶然の産物。
 時計を集めるために仕事で全国に行ったついでに、古時計探しに回り時計が見つからなかった時に何か買い込んで来た事は確か。SANY0103.JPG
 目指す時計がない場合、折角来たのだから何か他のものでも買った帰ろうと、そんな思いでなにがしかを買い込んだ。
 まして雛人形を集めるために買い込んだものではなく、ある時店の店主が「時計を買ってもらったからこれでも持って行ってと差し出したのが土人形、それも古い堤人形の雛人形であった。
 その後、他の店でも偶然に雛人形を貰い部屋に置いていたが、これを集めようとは思わずそのまま時は過ぎた。

 名古屋の行き付けの店で大きな享保雛を見て始めて欲しいと思い、値段を聞いてみたらとんでもなく値段が高かった。
 思っても見ない位に値段が高かったので、何故そんなに高いのかと尋ねてみたら珍しいからだと言われた。
 それ以来享保雛だけは欲しいと思うSANY0064.JPGようになり、それからあちこちを探したが中々見つからず、結果は手に入らなかった。
 手に入らないとなると是が非でも手に入れたいと思い、知り合いの骨董屋に片っ端から電話をして享保雛を探し手に入れた。

 しかし、それ以来自分から享保雛も探すことはなく、結局は骨董屋の店の親父が気を利かせて雛人形を集めてくれたと思う。
 そんな訳で集めるつもりでもないのに段々と数が溜まり出し、現在に至ってしまったが何故集まって来るのか自分でも不思議に思う。
 結果は雛人形が多く集まり、人から見れば変な趣味であると思われても仕方がないが、自分では古時計の副産物だと思っている。
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2018年02月27日

連絡事項

 浜松ミーティング開催の件

時期、 3月11日日曜日
場所、 浜松市東区小池町2543−4
    NKトレーデング事務所 053-465-3666
時間、 11時半開始
会費、 1500円昼食代含む

尚、オークションを開催します、出品をお願いします。

 日本古時計保存協会  事 務 局
   
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引き出しの隅

   忘れ去られて

SANY5927.JPG 小さな箪笥が私の部屋には三つあり、それぞれには小物がたくさん詰まっており、必要に応じて取り出している。
 小さな引き出しが付いているので、小物を別々にして入れるのには非常に重宝しているタンスである。
 勿論古いものであちらこちらに虫食いのあとも存在、しかし実用には何の支障もないから便利なものだ。
 兎に角小さな部品とか、飾り物などの小物を手当たり次第に詰め込んでいるが、何処に何を入れたか忘れているのだ。
 勿論入れた時はどの引き出しにあるのかは覚えているが、時が経つにつれ次第に曖昧な記憶となり、何時しか忘れてしまう事になる。
 今回のものもその類で、引き出しの奥に長年忘れ去られていたもの、時計修理に必要な部品があり、あちらこちら探してもないので、一番使っていないタンスを探すことに。
 普段は使わないものがしまってある箪笥の引き出しを開け、中を物色していると奥から名刺入れに何か入っているのを発見。

 蓋を開けてみるとコーラの王冠が入っており、何でこんなものが入っているのかと王冠をひっくり返してみた。
 そこには1000円の文字が、すっかり忘れていたが当時コーSANY5933.JPGラの王冠の裏に当たりが仕組まれており、最高は1000円であった事を思い出した。
 確か当時はコーラは一本60円であったと思う、その大当たりが1000円であり、中々当たらなかったと記憶している。
 その当たりがなんと4個も出て来たではないか、よく見ると皆一緒ではなく色々なものがあるみたいで、何年かにわたっているみたい。
 記憶を辿ってみると昭和54年位から続いていたと思うが、記憶違いかもしれないが大体その位だと思う。
 中々当たらなかったから大事に取って置いたのであろうが、今考えてみれば勿体ない話、今なら2.5倍位になるはず。
 10000円以上になり、やっぱり勿体ないと思う反面、当時が思い出される記念の品だと思うと、それはそれで良いのではないか。
 しかし当時は大当たり、今では公取に引っ掛かり、こんな大金は当たりにつけられない時代、良い時代でもあったと思う。

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2018年02月26日

ペコちゃんとのらくろ

    キャラクターの元祖
SANY0314.JPG
 のらくろやペコちゃん、時代を超えて親しまれているキャラクター、長い時間を生き抜いて来た者たちだ。
 のらくろは1931年、田河水泡によって作り出されたもの、当時軍隊物の漫画としてえがかれ、現在まで人気を保っている。
 かたやペコちゃん、不二家の看板スターとして1950年に誕生するもの、のらくろと違い漫画の主人公ではなく、ミルキーのキャラクターとして生み出された。
 お互いに長い間人気を保って来たキャラクター、何故そんなに長い間人気を保っておられるのか、そこには秘密が存在。

 のらくろは戦前の漫画、軍隊で活躍したキャラクター、時代を繁栄した漫画であるが、決して戦争さんがの漫画ではない。SANY2168.JPG
 名前の由来は野良犬、黒色の野良犬を主人公にしたもので、勇ましいものかと思えば、さにあらず愉快なものに描かれている。
 だからこそ愛されているものだと思うが、その後映画やテレビにも登場、人気を保っているキャラクターの鏡。
 ペコちゃんは企業が生み出したもの、キャラメルの宣伝用として生み出され、店の店頭で愛嬌を振りまいたもの。

 ペコちゃんは七歳の女の子、身長は100センチと決められ、現在までとしを取っていない永遠の子供、現在も七歳だ。
 企業のキラクターとして現在まで人気を持っていること自体奇跡、長い間人気の秘密は何か、それは時代に合わせて変化しているらしい。
SANY1073.JPG
 その時代に合った衣装やスタイルを先取り、その時々の変化に沿った衣装、もしくは季節によっても変化しているのだ。
 写真のペコちゃん、一番の定番スタイル、ペコちゃんと言えば誰しも、このスタイルを創造すると思う、それがペコちゃんの秘密。
 人々の頭の中に刷り込まれてしまったスタイル、勿論のらくろも同じ事、それが長い間人気のを保ってきた証拠でもあるらしい。
 人気を保つと言う事は難しいらしく、人々は常に新しいものを求めているが、それに答えられないと支持されないのだ。
 色々なキャラクターが生まれて来たが、この二つのキャラクターほど人気があるものはないと言え、不思議であるが支持者が多い。


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2018年02月25日

福助2

      登  録  商  標

SANY1667.JPG 本来、福助の置物と福助足袋のマークは同じ物ではないが、福助足袋のマークが有名になってしまった結果、現在の若い人は福助は福助足袋のものと思っている。
 この福助は、福助足袋の歴史よりもずっと古く江戸時代からある置物、其の置物をモデルとして福助足袋がトレードマークとした結果、有名になった物。
 福助足袋は、明治25年に辻本福松が、大阪堺に於いて「丸福」と言う屋号で足袋を販売する店として創立、商売が順調に進み店が繁盛するようになったが、屋号の「丸福」が同じであると訴えられ、裁判において敗訴して屋号を変更。

 福松の息子辻本豊三郎がお伊勢参りの途中、福助の置物を見て、この福助を商標することを思い立つ、親子協議の結果福助足袋と命名し、福助をトレードマSANY1577.JPGークとした。
 明治33年(1882年)、辻本豊三郎は福助マークを登録商標として登録、その後社名も福助足袋株式会社と改名、派手な看板や宣伝を行い、足袋業界においてトップクラスの会社となる。
 福助をトレードマークに採用した効果は絶大で、全国的に福助足袋の名は知れ渡り、足袋と言えば福助マークの付いたものが1番と言われるようになった。

 写真の看板が、遠くからでも一目で福助足袋と分かる看板ができあがり、之が全国に広がり親しみやすさと、派手な赤色で福助足袋を印象ずける事に成功したものである。
 福助足袋の宣伝物は、兎に角目に付く物を利用しており、赤色が印象深くて、大人から子供まで、福助を見れば足袋の会社だと思ってしまうほど覚えられた。
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2018年02月24日

瀬戸の磁器雛3

      呼び名が変わった
SANY1432.JPG
 雛人形の呼び名が変わった物が2つあり、1つは「右大臣、左大臣」ともう1つが「衛士」の2つ、この2つが呼び名が変わったもので、今では随身と呼ばれる(右大臣、左大臣)。
 その昔から右大臣、左大臣と呼ばれていたわけではなく、一説には東京の某人形店が自分のところの雛人形にパンフレットの形で人形の飾り方を印刷、其のマニアルを付けて人形を販売した。
 其処には右大臣、左大臣と記載されており、これが全国の人形店に広がり呼び名の元となったようだが、事実はどうであったか不明な点が多い。
 只、全国的に広まったのはマニアル化された印刷物であった事は確かなようで、それ以後急速に全国に広まったことは確、この右大臣、左大臣と呼ばれた人形、弓矢を持っている。

 大臣が弓矢を持っている事は無く、正式には近衛兵の中将か少将と云われ、天皇の警備に付いた武官であり、人形店の勝手な判断が誤解を生んだもの。
 SANY1433.JPGSANY1434.JPGそしてもう1つは衛士、従者の事をよび雨傘や日傘を持っている人形、現在は仕丁と呼ばれているが人形店によっては従者となっていることもある。
 写真の随身、大正期に瀬戸で焼かれた磁器雛、可愛らしい人形で座っているが、格好が少し普通の随身と違って寛いだ雰囲気、片足を挙げてリラックスしている珍しい物。
 本来は立って警備している姿をしているのが当たり前の姿、この様にリラックスしている物は極めて珍しく、磁器雛の製作者が遊び心を持った人物であったようだ。
 そしてもう1つが、背中に背負っている矢、本来は右肩から出ているのが当たり前であるが、左の肩から出している随身もあり、左右両方から出しているのも珍しい。
 弓矢は右利きである武士は、当然のこと右肩の後ろに矢が無ければ弓に装置する際、左肩に有る事事態ありえない話だが、現在製造されている雛人形を見るに、左肩に背負っている物が多いのは何故であろう。







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2018年02月23日

ガラケイ

   孤立している

SANY7153.JPG 雛人形の展示会場での出来事、私が雛人形の解説をしているときに友人から電話が入ってしまったのだ。
 仕方なしに電話に出て今説明しているから後でと言って電話を切ったが、それを見ていた見学者の一人が、「まだガラケイを使っているのですか、古いものが好きですね」と言われてしまった。
 その人は別に意地悪でそんな事を言ったのではなく、古い雛人形を集めているから携帯も古いものが好きなのかと。
 嫌みではなく本当のことを言われたと思うが、私に言いわけにし聞こえなかったので、ぶっきら棒にそうですと答えた。
 好きでガラケイを持っている訳ではないが、それには訳があるからだけど、そこでは言えなかったのだ。

 ガラケイとはガラパゴスの意味らしく孤立している事の例えらしく、つまり進化が遅い時代遅れとも取れる言い方。
 勿論今はスマホの時代、私も何度か機種変更に出かけたが、その都度嫌気がさして帰った来るのだが、それはそれは一度や二度ではない。
 理由は私が約30年間auを使用しており、機種変更に出かSANY7158.JPGけるが、他社からの変更は無料で長年使い続けている私が、何故機種変更するのに高い値段なのか納得がゆかないからだ。
 長年使用している人よりも新規加入者の方が優遇されるとはケシカラン事だと思うから、やめて帰った来るのだ。
 私には理屈に合わないと思えるから変更せず、現在使用しているものは7年も前のもの、自分がガラパゴス化している様だが、理由がハッキリしているからだ。

 他の人から見れば時代遅れの形態を何時まで持っているのかと、不思議に見えている事も分かっているつもり。
 しかし納得がゆかないから機種変更をしないだけであるが、auからはもう部品がありませんと言われているのだ。
 それなら壊れるまで使ってやると、意地を張っている事は確かで、何時まで使えるものなのか、意地比べでもある。
 友人がそんな私を見て「やっぱりお前は時代遅れな人間だ」と嫌みを言うが、それはそれで良いと思っている。
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2018年02月22日

照明

      改めて見直して

 SANY5721.JPG今まで全く気付く事のなかった蛍光灯、自然に其処にあり明るくて電気代が安い、そんな蛍光灯を無機質な明かりとは思ってもいなかったが、イギリスの友人に言われた言葉が、やけに気になり出した。
 「日本人は、何故無機質な蛍光灯を家庭の中まで持ち込むのか」と、そして「工場で使用しているものを何故家庭で使うのか」と、指摘された事。
 思いもよらない言葉、蚤の市でアンティクランプを探し求め、気に入った物を買い込んだときに、「このランプ何処で使うのか」と、この言葉もやけに気になった。
 云われて見れば、日本の家庭で蛍光灯が使われだしたのは、昭和30年代後半の事、そのときは工場で使っているものと同じ真っ直ぐな蛍光灯、彼らの言う工場で使われているのと同じ物であった。

 工場は当然作業をしなくては成らず、手元が暗くては仕事にならないので、当然明るい事を求められ、部屋全体を照らすように設計されている。
 それをなぜ日本は家庭に持ち込むのかとの疑問、家庭の中まで直接照明をする必要が有るのかと、彼等は間接照明こそが温かみのある照明ではないのかと言うのだ。SANY5728.JPG
 素朴な質問でもあるが、耳の痛い話でもあり、考えざるを得ない様になったが、それ以来自分の家の照明が気になり出し、必要以上に明るくないランプに切り替えだした。

 壁にランプを取り付けて、中央のランプの明るさを、今までよりも小さな物にし、間接照明を取り入れて、部分的に切り替えられるように改造したのである。
 以前の照明と比べれば部屋全体は明るくはないが、決して暗くもないのだ。
 人間の慣れとは恐ろしいもので、明るすぎに気が付かなく、それが当たり前のように思っていた生活、少しは暗いかも知れないが。
 もう1つは、LEDの白色の光を発する電球をやめ、温かみのある黄色のLEDに取り替え、今までより明るくないが暖かさのある光になって、昔のような雰囲気になったの良いと思う。
 省エネの現代、必要以上に余りにも明るいものは避けて、しかも実用的な照明に替える事が進んでいる事は喜ばしてのではないか。


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2018年02月21日

雛祭り

   雛人形

 DSCN0390.JPG3月3日はひな祭り、全国で女の子の祭りとして行われている行事、女の子の成長を願った祭り。
 色々に雛人形が各家庭で飾られ、女の子にとっても楽しい祭りでもあるようだが、以前みたいに派手に飾る所が減っているよう。
 核家族化で生活も変わり、住居も以前とは様変わりしているから、和室のない所も多いようだ。
 別に和室がなくとも雛人形は飾れるが、部屋の状態で大きな雛人形は飾れない所も多く、コンパクトな雛人形が主流と聞く。
 いずれにしても子供の成長を願う親の気持ちは変わらないもの、雛人形の大小の問題ではないと思う。

 今瀬戸で私が雛人形の展示をしており、会場で手持ちの雛人形の説明をしているが、面白い事も幾つかある。DSCN0389.JPG
 特に年配の人とか若い人たち、雛人形に対する意識が全く違ったり、それに対する気持ちもまた違う事に気づかされる。
 年配者は懐かしく思うのだが、現代の若い人はあまり興味を示さないと思うが、私の感じ方が違っているかも。
 只、年配者の人達が雛人形をあまり知らない事にも驚かされ、時代の流れを感じ興味深い事を知った。
 それは雛壇に飾られている橘と桜のおきもの、右近の橘と左近の桜であるが、展示物を見て見学者がこそこそと話しているのだ。

 私が説明しているにも拘らず年配者の2人が、置いてある橘と桜の事を論争しはじめ、他の人までその論争に聞き入っている様子。
 話は左近の桜なのに右に置いてありDSCN0385.JPG、右近の橘が左にあるのはおかしいと、2人で言い合っているのだ。
 こちらが説明しているのに前で論争されては前に進めず、仕方なしに2人の論争に加わってしまった。
 確かに2人の論争は分かるが、見学者に説明中にやられても困ったもの、しかしながら目の前でやられたら困るので何故左右が違うのか説明に入る。
 京都御所に行くと紫宸殿の前に植えたある橘と桜、呼び方は右近の橘と左近の桜と言い、これは天皇から見て左右を示しており、京都の左京区と右京区が逆になっているのと同じ、御所から見て左右が示されている。
 だから見ている人からは逆になる事になり、何で逆なのか不思議に思う人も多い、説明を聞けば理解できるが、知らないと間違いではないのかと思う人も多いのでは。


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2018年02月20日

宝探し

   めぼしいものは

SANY1967.JPG
 骨董市場、プロ相手の市場であり、一般の人は立ち入り出来ないところ、全国から色々なものが集まって来る。
 よく言われる様に無い物はないと言われるくらいに、様々なものが出品され、それらを求めてプロが集まって来る。
 買う方も売る方も真剣、一つ間違えば大損する可能性があり、常に真剣勝負の世界、プロ同士の鬩ぎ合いだ。
 勿論本物、偽物が入り乱れて出品されているから、その中から自分の欲しい物を探し、市場のルール
に従い落札するのだ。
 素人には分からない物でも、彼らにとっては一目で真贋を見抜く、しかし時として間違いもあるのが市場の常だ。

 ビックリするほど安く買える事もあればね逆にビックリするほど高いSANY1957.JPG値段で取引されるものもあるのがこの市場。
 出品されているものの中には高いもの、安いもの、そしてどうしようもない物まで千差万別、やはり素人には分からない。
 古い物だと思っていたら、実は新しい物であったり、自分の目では古いと思っても、玄人は新物と見抜いてしまう。
 そんなものが隣り合わせに置いてあるから、どっらが本物か分からないが、そんなものをセリで売買される。
 セリとは、欲しい人が自分の値段を提示、他の人よりも高ければ落札でき、低ければ落札できない仕組みなのだ。
 そのやり取りは一瞬で決まってしまう事に、中地した段階で他の人に持って行かれてしまうから、迷いは禁物。

 しかしそれが本物かどうかは分からず、賭けでもある事には違いなく、勝負SANY1930.JPGの世界、そんなセリ場の雰囲気は実に緊張の場。
 真剣勝負だからだが、素人の我々にとってはそんな場面を見るのは面白く、プロの勝負は実に面白いと思う。
 面白いと感じるのは失礼な事、本人同士は真剣だから、ある種の博打と同じものだと思う、それも一瞬の勝負。
 写真はそんなセリ市場に出品されているもの、兎に角色々なものが山積み状態、よくこれで分かるものだと感心する。
 下見の段階は素人でも見学できるが、本番のセリは素人の出入りは出来ないから、見学会に行くのも面白いものだ。
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葉煙草

      昔は民間で

SANY5704.JPG 煙草、昔から人々に吸われていたもので、古くは紀元前から喫煙の記録はあり、色々な形で吸われていたと思われ、現在のような紙タバコに成るのは近代になってからである。
 そもそも煙草は、ニコチンのかたまりみたいなものであり、中毒症状を起こす刺激な存在、多くの人々に吸われていたが、もう1つは宗教的な儀式にも使われていた。
 神に伝える神聖なものとして煙草は吸われていた時もあり、現在のような嗜好的なものではなく、神聖な儀式用で使われた時代は、一般人は吸うことを禁じられていた時もあった。
 日本では古代には既に吸われていたらしく、これも儀式用であったと言われているが、どう言う形式で行われていたのか不明、庶民に盛に吸われるようになるのは、江戸時代に入ってからの様、それは葉巻たばこではなく、刻み煙草であった。

 芝居等で長い大きなキセルと言われる道具で、刻み煙草を丸めキセルの先にある受け口に入れ、口元から吸う仕組みに成っていた物、現在のパイプに近いものである。
 この煙草、明治に入ったからも盛に吸われていたが、明治9年1月(18SANY5709.JPG77年)に時の政府は葉煙草に税金をかせる法律を執行、この時から庶民は国に税金を払って煙草を吸わなければ成らなくなる。
 しかし、当時はまだ専売制ではなく、民間の企業が葉煙草の販売を盛んに行っており、色々な所からは煙草が市場に販売されていたし、海外にも盛に輸出されていたのである。
 そのあと日清戦争後、国は葉煙草の販売が盛んなのに目を付け、明治31年には専売制度が作られて、民間は自由に煙草の販売が出来なくなり、そして明治37年には専売局が発足する。
 写真のラベルは、明治初期まだ民間が葉煙草を販売していた当時のラベル、鮮やかなデザインと各社独自の製法で、葉煙草の販売をしていた当時の物である。
 明治の赤と言われる彩色を施されたデザイン、今見ても非常にインパクトのあるデザイン、この様な鮮やかなものが盛に海外に輸出されていたようである。
 縦23センチ、横17センチの大きなラベル、葉煙草の包装紙の上に張られていたラベルで、各社其々の趣向を凝らしていた。
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2018年02月19日

やっぱりフランス

   何処かが違う

 SANY4695.JPG西洋時計をコピーして日本で製造された時計、本家の物をコピーして製造されたものだが、出来上がった物はやっぱり違う物。
 そっくり其のままコピーした物もあるが、それでも違った物に出来上がってしまうのは何故、材質的には同じ物ではないので、それは考慮しての話である。
 デザインもコピーだから差ほど違いは無いもの、只コスト面を考えれば多少違うかもしれないと思うが、なぜかと言えば機械を含めた真鍮板が薄い事が上げられる。

 素材は同じでも、出来上がった物は重厚感がないのだが、それがそのまま見た感じにつながってしまい、フランスものと比べると、日本のものは安っぽく感じてしまう。
 写真で見比べて下さい、ドチラが日本製か説明しなくても、前の文章から必然的に分かると思いますが、重厚感はドチラかな。
 左がフランス物の時計で、右が精工舎の時計、両方とも文字盤は琺瑯文字盤なので美しい白が映えているが、地金が薄い製もあり、ブリューム感が今1つない。
SANY4698.JPG ガラスは勿論カットガラスを使用している物、只フランス物のガラスと比較すると、精工舎のカットガラスは薄い延べ板を使用している。

 片方、フランス物は分厚いカットガラス、見た目にもブリュームがあり、しかも重い時計と成っており、之が又高級感を与えていると思う。
 ほんの少しの違いなのに、同じ素材なのに、何故こんなにひらきがあるのか不思議だが、事実は事実であり、之は如何ともしがたい。
 製造者はそれほどのひらきが出来ると思って製造したはずではないと思うが、結果は見た目でも感じ取れてしまうのは、やっぱり本物とコピーとの差なのか。
 出来上がった物で、之だけ違いを感じるのも、フランス物の歴史の重さなのかも知れないが、ほんの少しのセンスが違っているかも知れない。
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2018年02月18日

これは何なのか

      何の部品なのか

SANY9444.JPG
 私の古い友人が実家の蔵にあった物だと言って小さな箱を差し出し、「これは何の部品なのか」と、仕方なく小さな箱を開けると紙に包まれたものが中に入っていた。
 彼の実家は甲府の古い民家、私も何度か訪ねたことがあるが、築200年以上は経っているもの、蔵も2つあり、その中の1つに時計があったので貰い受けた。
 この家、地元でも評判の名士、彼の親父は議員さんであったらしく、地元で有名人だそうたが、彼は一番下の末っ子、私とうまが合い、若い時から悪友達。
 昔は地元の大庄屋を勤めた家柄らしいが、そんな事はお構いなし、この男は悪がき、学生時代は遊びほうけて就職もしなくて自由業をやっていた男。

 その後、喫茶店を開き繁盛して、ソコソコの店となったが、そこで満足している男、そんな彼の店には私の時計を常時展示、店の宣伝に役立っている。
 彼が実家に帰ったとき蔵の中に置いてあった箱を見つけ、中を見たらこれが入っていたらしく、何の部品か分からないから見SANY9448.JPGて欲しいと持参した。
 箱を開けると紙に包まれた金属製のものがあり、触って直ぐに豆ランプの部品と分かり彼に伝えるが、まだピンとこない様子なので、私の家にある豆ランプを取り出す。
 そして彼が持って来たものを取り出して比べて見せ、同じものであることを確認させると、何でこんなに多くあったのか不思議だと言うのだ。

 確かに彼の言う通り、新品の金具が24個も入っているのだから、彼ならずとも不思議に思うのも無理はないが、逆に言えば彼の家は大きくて豆ランプも沢山あったのではないかと思う。
 普通の家では豆ランプは1つか2つくらいだと思うが、実際には風呂場とかトイレで使ったようで、常時置いてなくて移動して使った物だと言う。
 つまり大きなランプを持って歩くのは不便、持ち運びに便利な豆ランプが利用された、しかし一般家庭では多くの豆ランプはもてなかった。
 SANY9458.JPG多くのランプを持てた事は金持ちを意味していること、ましてや豆ランプを多く使用している事は金持ちの証し、彼の家は大金持ちであったのだ。
 本人はランプの生活等したこともないし、昔の話で知る由もないから、持って来た部品はランプのものだとも知らないのは当たり前のこと。

 豆ランプの部品は、この3本爪のものと2本爪のものとがあり、彼が持って来たものは未使用の3本爪の部品、何時壊れても良いようにストックしてあったものだと思う。
 このように大量の部品をストックできるとは、やっぱり金持ちの家であった事の証し、しかし彼はそれを知らないのだが、持っていたのも知らない。
 使った事の無いものは分からないし、ましてや古いものは分からないのが当然の事、それを知りたいと思うのはまだ良いが、捨ててしまう人も居るから残念なことだ。
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2018年02月17日

継続の難しさ

   瀬戸の雛巡り

SANY0099.JPG 全国で行われている町おこし、様々な地域で町おこしが行われているが、その方法は様々な種類があるようだ。
 全部が同じでないのが面白いと思うが、これが同じであれば何処も成功しないと、当たり前の事でもある。
 その地域に合った町おこしでないと意味はなく成功もしないもの、そこが難しい所でもあるようだ。
 私が瀬戸の雛巡りに参加したのが11年前の事、リタイアした後何か出来る事はないのかと考えていた時、雛巡りの協力要請があった。
 ある友人が古民家でアンタの持っている雛人形を展示して貰えないかと、相談がてらの誘いであったようだ。

 彼は古民家に興味を持っており、その再生や相談に応じていSANY0302.JPGた様であるが中々成果が出なかった様。
 そんな事で私に協力要請をしてきたようで、その一つが雛人形の展示、すでに雛巡りを行われていたが中々広がりを見せなかったようだ。
 まさか自分の持っている雛人形に目を付けられるとは思ってもいなかったが、彼が熱心なもので引き込まれてしまった。
 彼曰く「どんな雛人形でも良いから多く展示して欲しい」と言うのだが、具体的には何の説明もなかったのだ。

 そこで見栄えのする御殿雛を展示してはと提案、軽い気持ちでの提案であったが話はとんとん拍子に進み展示が始まった。SANY0669.JPG
 すると友人「雛人形の説明も一緒にして欲しいと」、つまり会場で番人をしろと言う事らしく、それを私にやれと言うのだ。
 乗り掛かった舟、今更引く訳も行かず番人をする羽目に、雛巡りは約1か月続くもので、結果は期間中縛られることになってしまった。
 展示してから3年はうなぎ登りに見学者が増え、こちらがビックリするほどであったが、その後横ばいとなり、現在は右肩下がりの状況、展示とは難しいもので毎年工夫をして展示物を変えてはいるが、見学者からは変わり映えがしないと厳しい。
 長年同じことを続けて行く事は非常に難しく、見学者の見方も厳しくなり、変化を求められているのについて行くのが大変。
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2018年02月16日

鎌倉彫

      メーカーの違い

SANY4366.JPG 掛時計の装飾には色々な種類の物が施されているが、日本古来の伝統技術によるものの多く、新しい機械式時計の装飾の一端を担っている。
 西洋時計の塗装はニス仕上げが普通、当然日本に入って来た時もニス仕様、その時計をモデルとして日本の職人が製作、その仕様に習って製作した。
 しかし、時代が少し下がると、その中でもニス仕様をあえて日本古来の技術、漆塗りの技法を用いて外装を塗装、ニスにはない光沢を出した。

 これは、当時日本人がもっていた技術もさることながら、日本の伝統技術を新しい物に採用して、新たな分野を切り開こうとした人達の闘いでもあったのでは。
 文明開化の名のもとに、日本古来の技術は忘れ去られようとした時、職人たちの心意気のあらわれではなかったのか、伝統産業を守りぬく気構えが、そおさせたのSANY4675.JPGではないだろうか。
 写真の外装、八角型とダルマ型時計の外装であるが、西洋時計では彫刻を施した上からはニス仕上げが普通、木肌を出した処に光沢のあるニスをかけるのが当たり前の仕様。
 しかし、この時計には鎌倉彫が施されており、その上から漆がかけられ日本古来の技法が使われているもの、ニスの持つ艶と漆の持つ艶、明らかな違いが。

 我々日本人には、漆の持つ艶がしっくりと心に入ってくるよう、新しい技法のニスよりは親近感が湧き、新時代の時計と古来の漆、このミックスほど日本人が好むもの。
 新しい物と古い物の調和を取る、日本人ならではの技量ではないだろうか、和洋折衷の技術の妙とでも言うのか、明治の職人達の心の叫びが聞こえてくるようだ。
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2018年02月15日

定宿

      やっぱり落着く
あや.jpg
 久し振りに高山を見学に、幾度と無く高山は見学に来ているが、ここ半年ご無沙汰で、久し振りの感があり、何時ものコースを辿る事にした。
 何時ものコースとは、高山駅前の「喫 茶 i f」から始まるルート、ここ 「i f」はもう40数年の付き合い、高山に来ればここで一休みするのがしきたりになっている。
 若い頃より訪れて早40数年になり、何故ここかと言えばそこに時計があるからだが、ここのマスター清水さんとは時計のライバル、以前はよく骨董屋で鉢合わせをしたもの。
 清水さんは時計が好きで店には多くの時計が掛けてあったので、其れを眺めながらコーヒーを飲むのが好きで、足しげくこの店に通い、時計の研究をしたものだ。
 清水さんは、タレントの清水みち子さんの親父さん、そんな事で兎に角ここが高山での最初の訪問地点、店を出てから次は「まさご」のラーメンで腹ごしらえ。
 高山ラーメンと言えば「まさご」とこれも私の拘り、ここでラーメンを食べなきゃ高山へ来た意味も無く、これも何時ものコースの延長線である。
 泊まりは「山久」とこれまた決まりの宿、市内の中心部でありながら静かで、高山らしい佇まいの宿でもある「山久」、ここの二階階段を上がった角部屋が定石の部屋だ。
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 山久が何故良いのかと言えば、時計とアンティークの宝庫であり、何時訪れても心が和む宿、玄関を入ると大時計が迎えてくれ、何時もの部屋へ。
 角部屋で窓を開ければ道を挟んでお寺の境内、景色もお寺の庭が良く見え、さながら庭園の中にいるような雰囲気が気に入っており、何時もここで泊まる。
 疲れた体を癒してくれる宿、温泉ではないが何時でも風呂が入れるのもこの宿ならでは、新しくなった風呂場は露天風呂も付いている。
 風呂上りにロビーのアンティークを眺めながら寛ぐのも、この宿ならではでないかと思うのと、夜の食事が又楽しみ、高山ならではの素朴な山菜料理も良い、そして値段も安い事が魅力。
 
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2018年02月14日

意外な図柄

    美人画の大家

 SANY3606.JPG伊東深水、日本画の大家、美人画を描かせたら右に出る者はないとまで言われた画家、特に和服姿の美人画は人気。
 戦後の日本画を代表する画家であり、昭和を彩った大家としても有名、しっとりとした美人を描いた。
 そんな深水が、堀田時計の依頼で版画を制作していて、その版画も古時計愛好家から絶大な支持を得ていることは事実。
 勿論古時計を題材に独特の美人を描いた作品、堀田版として愛好家に人気なものだが、数も多い。
 特に昭和30年代の堀田版ものは良い図柄の物があり、それを求めて古時計愛好家があちこちと探しているのだ。
 やっぱり和時計を題材とした美人画は特に人気で、市場に出れば引っ張りだこの争奪戦、値段も高くなってしまった。
 以前私もその和時計を題材とした堀田版ものを手に入れようと、探し回ったがそれでも高くて中々手が出せなかったものだ。

 この深水の堀田版は古時計愛好家なら一つや二つは持っていると思うが、中にはこのシリーズを全部集めている人も居る。
 熱狂的な深水ファン、本物の深水の絵は高くてとても手がSANY3537.JPG出せないが、この堀田版であれば手に入れられる。
 そんな堀田版の中でもなかなか手に入らないのが、フランス人形を描いたもの、深水がフランス人形を描くとは。
 日本美人が得意な深水、まさかフランス人形を描いているとは意外であったが見てみると、深水らしい描き方だと思う。
 確かにフランス人形に違いはないが、顔だちとか目に日本画の雰囲気が漂っているのだと思う。
 そして、もう一つが娘の朝丘雪路をモデルとしたと言われる現代的な美人、深水がこんな絵を描くのかと思う。
 確かに現代的な顔立ちと色使い、白と赤とのコントラス、確かに現代的であるが、ヤッパリ日本画の大家。
 現代的であっても、そこは日本画家であり、随所に日本画の色使いが出ているのだと思わざるを得ない作品。





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2018年02月13日

幕末瀬戸の染付け

      時代の流れ

 前にも取り上げたが瀬戸で製造された磁器、幕末から明治に入るまで盛んに良いものが製造され、日本各地に送り出された。
   SANY4620.JPG幕末、瀬戸の磁器は大変革を遂げ、其れまでの染付け技法とは違い、絵師の指導のを受け、山本梅逸、横井金谷等を招き、瀬戸の絵付けを根本から見直す。
 この時代の磁器は素地もより白くなり、そして染付けに使用するゴスも中国よりの高級な釉薬(ゴス)を取り入れ、藍色の染付けへと転じる。
 図柄も南画や水墨画といった写実的なものを描き、他地域との差別化をはかって行った事、それにより瀬戸の染付けの繊細な技法は全国に認められるところとなる。

 特徴は「付立筆」と呼ばれる先の細い筆で輪郭をもうけ、その中に細密な図柄を描く技法を行い、ダミや塗りつぶしといった技法を避けたことにもある。
 江戸から明治に至り、このような技法の染付けは、全盛期を迎えることになり、特に万国博覧会の出品に力を入れることにより、海外で瀬戸の染付けは大好評を博する。
 これ等の技法は、梅逸や金谷らの指導と職人の技術向上が、瀬戸の低迷していた染付けを一気に挽回する事となったもの、そして新たな海外のゴス採用も効果的であった。
SANY4625.JPGSANY4622.JPG
 幕末、瀬戸の窯元はこの様な磁器の染付けに心血を注ぎ、名工と呼ばれる幾多の染付け職人を排出、万博とも相まって染付けの技術は益々盛となった。
 写真は、その時代に川本留助が製作した輪花皿、留助は幕末から明治に掛けて瀬戸で染付けを製作した人物、号を山陶園と言う、当時川本半助や川本枡吉らと共に瀬戸を代表する人物。
 この皿は、七寸皿で周りを花びらのように形を成し、中央に細かな模様を染め付けしてあり、余白を生かした皿となっており、磁器の白さとゴスの碧さが引き立つ作品に仕上がっている。
 留助の作品はこの様な古代物から、新しいゴスを使った山水画等、多種多様なものを製作しており、現在もその作品は多く残っている。
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2018年02月12日

コンビで見つけた

      今でも製造してる

 SANY5792.JPGマッチ、明治から製造し続けられてきたが、最近はとみに見なくなってしまったのがマッチ、火をつける1番身近であったマッチ。
 江戸時代までは火打石で火をつけていたが、西洋文化が日本に流入、マッチも海外よりもたらされ、庶民は色々な物に火を付ける仕事が簡単になってしまった。
 誰でも簡単に火がつけられ、しかも安価で手に入る物、其れがマッチ、人々の暮らしは江戸時代より飛躍的に便利に、火を扱いやすくなった。
 一番は種火と言われる火を常備しなくて済む事、マッチはその場で火が付く、便利この上も無いもので、しかも早く作業が出来る。

 そんなマッチ、明治以後急速に発展、家庭生活に革命を齎し、日本各地隅々にまで浸透して行き、やがてマッチ生産は急速に拡大。
 結果は海外に輸出するまでに成長、その後海外市場に日本のマッチが拡大、安価で確実に着火するマッチを製造し、日本製品の優秀さでSANY4973.JPG信頼を得ることに。
 しかしながら、そのマッチも携帯用のライターが発明されるようになると、持ちやすくてしかも安価、便利さではマッチはライターに負ける。
 大量生産された携帯用ライターにやがてマッチは追いやられ、何時しか家庭からマッチの姿が消えてしまい、しかも今までマッチを宣伝用に使用していた業界もマッチから離れて行く。

 そして、追い討ちをかけたのが煙草、禁煙ムードが高まりを見せると共に、マッチの需要もまた急速に激減して行く事になった。
 そのマッチ、目に付く場所から消えてしまったと思っていたが、最近コンビニや百均の店で見SANY4977.JPGかけるように、リバイバルではないだろうが、日本でまだマッチが製造されていた事に驚き、採算が合うのであろうか。
 写真下がコンビニで見つけたマッチ、昔ながらの雰囲気を保ちながら、現代の価格に合うように生産されているらしく、何時まで続けられるだろうか、不安でもあるが。
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2018年02月11日

アンティークランプ8

      ムードが命
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 アンティークランプ、好きなランプを探してあちらこちら、昔からランプに見せられて探し続けているのだが、満足な物は少ない。
 それが又良いところ、満足の行く物が多くあれば、それで先が止まってしまうと思う、満足のゆかない物だらけ、それこそ明日の力となる。
 もしかしたらもっと自分に合った物が有るのではないのか、この心が無いと前に進めないもの、人間の欲望とはそんなもの。

 お金を沢山出して買えば当然良い物が手に入るが、それでは面白くないと思うのは負け惜しみなのか、金が無い者は足で稼ぐしかない。
 良いものを求めてあちこち歩き回り、ひょっとして良い物がと、これが力となり、疲れていても探し回れるもの、足が自然に前に出る。
 足で稼ぐとは、自分の足で店を回り、良いものを安く手に入れること、自分の目を信じてお金は出さないように交渉するのも腕のうち。

 良い物は高い、これは当たり前のこと、一流店では良い物が沢山あるし値段も高い、それも当たり前の事、そんな店は自分にはあわない。SANY5995.JPGSANY5989.JPG
 これは負け惜しみ、合わないのではなく、単にお金がないだけ、しかし、それと同等の物もない訳ではないと思うから、足で探し回る。
 少しくどくなったけど、そんな思いで今まで来た、これからもその様にして行く、そんな事で写真のランプ、足で見つけたもの。
 1920年代の物と思えるが、それよりももっと新しいかも、そんな事を思いながらお金と相談、折角出合ったのだからと買い求とめる。
 やっぱり、そんなに古くないものだが、雰囲気が良く、それでいて安くて美しい、友人が新しいものを買ってどうすると言うが、そこそこ安いもので我慢するのも自分次第だ。
 自分で新しいものよりまあまあの収穫と安堵はすれど、もっと良い物が安くてあるはずと、次へと向かう事も忘れずに他の店をまた回る。

 
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