2018年04月30日

写真で見る明治2

      当時の最新流行


 SANY6663_1.JPG明治時代の時計店内部の写真を見る機会が少ないと思いますし、どんな時計が展示してあったのかも非常に興味があるところと思います。
 色々なカタログも存在しますが、店内の時計類が多く見られる写真は限られていて、あったとしても余り多くの時計が写って無いものが多い。

 そんな中、今回の写真は多くの時計が写っていて、しかも興味のあるものが多く写っているもの、良く論議が出るものに、当時輸入された時計類がどのような形で売られていたか興味が尽きない。

 明治時代の時計は高価なもの、特に輸入された舶来物と呼ばれる時計、普通の八角型時計の5倍から7倍、八角の時計が3円に対して、舶来物の時計の金額は安いものでも15円程、スリゲル型の高級機になると30円もした。

 その様な時計を販売している店舗は当時そんなに多くは無く、限られた店でしか販売していなかったようで、地方都市の時計屋は東京や横浜から取り寄せていた。
 都市の時計屋でもスリゲル型の高級機を扱う店はやっぱり多くなく、其れを販売している時計店は老舗の時計屋か、あるいは一流店であった。

 今回の写真も京都家邊徳商店の明治時代の店内写真、現在もこの当時と同じ建物で営業している時計店、全国的に見てもSANY6658.JPGこのような当時の姿で営業している所は無い。
 国の有形文化財にも指定された時計店、写真で見ても当時のドイツ物、小型のスリゲル時計や大型のスリゲル型の時計が壁一杯にかかっている。

 今見ても欲しい時計が一杯あり、時計愛好家なら喉から手が出そうな雰囲気、これだけの高級器を揃えていたのだから、家邊徳商店は金持ち相手の老舗でもあったようだ。
 下の写真はどの時計店のものか判明していない物、この時計店も壁一面に時計が掛けられており、更に時計以外の蓄音機等も姿が見える。

 時計だけではなく、舶来品も販売していた大きな時計店と思われるが、場所や名前等は分からないもの、しかしこれだけの店となると、やっぱり東京の時計店かもしれない。
 それにしても、明治期にこれだけの高級な時計を仕入れていたとは、驚くのは当時如何に海外の舶来物を求めた日本人が多く存在していたことだ。
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2018年04月28日

蒔  絵

      漆塗りに蒔絵
SANY6547.JPG
 今回も蒔絵の時計を取り上げて見たが、時計には色々なデザインがなされており、明治以後数々の名品が誕生していて、それは特注品によるものであり、一般的な販売網にのって売られたものではない。
 江戸から明治に入り、海外から多くの時計が輸入されるが、その後次第に日本国内で時計を製造しょうとする動きが活発になり、次から次に時計製造会社が誕生し、外国製時計をモデルに数多くの西洋時計が製造される。
 初期段階は外国製をコピーするのに必死で、日本独自の時計を作り出す余裕はなかったが、明治中期を過ぎると次第に日本特有のデザインの時計が誕生してくる。

 西洋時計は彩色にニスを用いていたり、木の皮を張り付けたり、象嵌を施していたりと、西洋の技術で装飾された時計であるが、日SANY6541.JPG本には漆と言う素材があり、日本の独自な彩色に用いられてる。
 やはり輸入したものは西洋の香りが強いもの、そんな西洋時計を日本人の感覚に合ったものに造ろうと職人たちは奮闘し、伝統の技術を使って新たなものをつくり出して行く、それが漆である。

 その漆を使い時計に塗ることにより、独自の時計が出現、西洋のニスにはない深みのある光沢、そして漆を塗ることによりニスよりは高級感が増し、より時計を引き立たせ高級時計に仕立てたのである。
  西洋の時計に日本の伝統漆を合体させる事により、和洋折衷の時計の誕生で日本の職人の高度な塗りが、時計装飾に生かされた実例でもある。
 日本人は古来より渡来してきた物に、日本ならではの工夫と技術を融合させてきた歴史があり、明治に輸入された西洋物も、この伝統ある技術が融合につかわれたのである。
 写真の時計は、時計の表面全体に黒漆を塗り、その上から金銀を用いて蒔絵を施し、川面に飛び交う鳥を見事なタッチで描いており、鳥が茶色くなっているが本来は金伯仕上げ、ニスには出せない雰囲気をかもし出している。

 
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2018年04月26日

小いが迫力が

      バランスが

SANY6504.JPG 以前にも紹介した置物の人形改めて見ると、人形と言っても片方はお地蔵さん、もう1つは仙人みたいな人、俗に言う手びねりと呼ばれる作り方のもの、普通の大きさではない。
 後ろのコインと比較した貰うと、小さな事がおわかりだろうと思うが、兎に角小さなもの、置物と言うよりも豆人形のような小ささ。
 しかし、この2つ何故比較して出したのか、それは全く違った個性が出ていると思い、比較の対象として写真に収めたもの、写真で見てもその特徴が表面に出ている。
 左のお地蔵さんは2頭身、右の仙人は9頭身と、全く違うタイプのもの、見てもその作り方の違いは歴然、お地蔵さんは実に豊かなもの。
 見ていても心が洗われるような楽しいもの、2頭身の姿にしては迫力があり、みていても小ささがまったく感じられず、逆に大きく見えてしまう。

 こんな小さなSANY6518.JPGお地蔵さんが大きく見える作り方は、それが力強い造であることの証し、衣の部分に黒柚がかけられているだけのものだが、それがかえって迫力を生み出しているのだ。
 もう1つの仙人の方は、9頭身とすらりとした身体つきに作り上げ、ゆったりとした姿が何とも言えず、こちらは見ていると、その溢れる気迫に満ちており、実に豊かな姿だ。
 仙人は緑柚が全体にかけられているもの、しかし、全体に緑柚を掛けてしまうと迫力に欠けるはずだが、この作品はそんな事は見受けられず、より風情のあるものとなっているのだ。
 この2つ時代的にはお地蔵さんは昭和、仙人は300年前のもの、時代も全く違うが、之を造った人達は並々ならぬ力量の持ち主であると思う。
 普通の人が造っても、この様な雰囲気と迫力が出ないもの、之だけのものが作れる職人なのか、作家なのかは分からないが、実に良い作品となっている。
 もう1度、後ろの十円玉と比較して下さい、十円玉が少し後ろだから小さく見えるが、仙人の姿は皆さんの目にはどの様に映っているでしょうか、迫力のあるものに見えているのでしょうか。
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重 錘

   動 力

 SANY6597.JPG明治以後日本に輸入された掛け時計の多くは、ドイツ系の掛時計が多く日本にやって来ているが、その中に郭公時計「鳩時計」と呼ばれる時計がある。
 外国ではドイツ系の重錘式時計の中でも安価な時計、主に子供向けの時計とまで言われて、子供部屋などに当てられた時計であるが、しかし日本では輸入され高価な時計になってしまった。
 これらの時計は動力として錘を用いており、古い形式の時計は大きくて重い錘が付いており、鎖引きのイカツイ時計となっているが、中身はシンプルな機械であるが高価な機械ではない。
 日本人に人気のある「鳩時計」、実際には「郭公時計」と言われ、掛時計の中でも形が変わっており、木の素材をふんだんに使ったドイツ系の時計らしく、森の香りのする時計である。

 あちらでは郭公時計と云われ、時計上部には郭公の彫り物が付いているので、その名前の由来らしく、日本では飾りが鳩に変わっており、誰がそのように変えたのか分からない。
 一説には郭公は閑古鳥と呼ばれ縁起が悪いから、鳩なら縁起は良いだろうと言う事で鳩時計になったとする説もある。
 この鳩時計は、動力として重い錘がぶら下がっており、それが動力となるなり、昔の古い時計はもっと思い錘が付いていたが、次第に改良が重ねられ徐々に軽い錘でも動くようになった。
 写真の錘はドイツ系の小型の鳩時計に付いている錘、普通の鳩時計の錘とは少し違って、可愛らしい時計に相応しいような錘となっている。
 錘の格好は、木の実をデザインしたと言われているが、日本の松ポックリに似ていて可愛らしく、錘も大事な時計の部品であり、デザインの良し悪しで時計の人気が変わってしまう。
 種類の違った錘、其々違った格好をしており、小型の安価な時計であるにも拘らず、錘に拘って職人が其々の個性豊かな錘を、デザインしたのが見て取れる。
 玩具みたいな時計でありながら、普通の鳩時計よりもこった錘をつけているのも、何だか可愛らしいのと同時に、時計に対する姿勢みたいなものを感じる。




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2018年04月25日

珍品振り子

   種類は色々ある

SANY6566.JPG 時計の振り子、振り子時計には振り子がなければ作動しないもの、振り子が重要な役目を果たすが、この振り子種類も多い。
 一般的な振り子は形が一緒のもの、多くの時計で使用されている振り子、その他特殊な振り子も存在する。
 一般的な時計には変わった振り子は付かず、殆ど同じ振り子がつけられている事が多い、つまりスタンダードな振り子だ。
 時計は振り子の形によっても雰囲気がガラリと変わるもの、それだけ目に付くと言う事、一番目に付きやすいものだ。
 時計が動いているか振り子の状態で分かるのも振り子時計ならではの事、それだけ振り子は重要な部品。
 振り子とは時計の運航には無SANY6573.JPGくてはならない部品、言うまでもなく振り子が動力の一部である事は周知の事実である。

 ただこの振り子、時計製造会社によっては少しづ変わっているが、大棟同じようなもの、しかし変わった振り子を付けている時計も存在している。
 スタンダードな形と一味違った振り子が造られてもいるが、市場に出回っているのは少ない方、つまり珍品扱いされている。
 今回紹介する振り子は愛知県半田で製造されたもの、半田の小栗時計の振り子であるが、特殊な振り子である。
 スタンダードな振り子と違い装飾的SANY6581.JPGに富んだ造りの振り子で、見るからに派手な振り子で人目を引く形。
 この振り子が付く時計は主にダルマ型の時計、それも多分高級機に付けられたものと思うが、ハッキリとした証拠はない。
 それと言うのもこの振り子が付いている時計は非常に少ないから、ダルマ型に全部つく訳ではない。
 むしろこの振り子が付く時計の方が珍しく、付いている台数は極端に少なく、中々お目にかからない振り子だと思う。

 写真はその珍しい振り子が3個、真ん中に小栗時計のトレードマークをつけ、全体が菊と思しきデザインの派手な造りの振り子である。
 スタンダードな振り子に比べれば、この振り子が付くことにより時計も高級感が出、パット華やいだ雰囲気になる。

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2018年04月24日

なんの鎖だ

   銀色の鎖

SANY6553.JPG 友人が我が家の飾り棚に置いてあるブリキの缶を見つけ、勝手に開けて見たらしく、中もののを出していた。
 我が家に来る友人は大抵お構いなしにあちらこちらのものを見る人が多く、何処を見るか分からない。
 別に見られて恥ずかしいものはないが、来る人来る人同じような行動をするもので、その都度これは何だと聞くのだ。
 友人の多くは時計には全く興味はなく、時計の事も全く知らない人たち、そのくせ時計に関するものを見たがるのだ。
 テレビの取材で扱ったものなどが見たいらしく、それまで何の興味も示さなかったものをテレビで取り上SANY6562.JPGげれば見たがるのだ。
 友人ながら彼らの行う事は分からないが、興味もないくせに見たがるとは分からない連中でもあるのだが。
 こちらが逆に時計の話を先に進めても、その時は全く反応を示さず、勝手に語っていろとの態度である。

 そんな友人たちであるがテレビの取材が来ると態度が一変するのは何故、全く興味を示さないくせに変な奴らだ。
 今回もテレビで私が説明した懐中時計の鎖を見たらしく、そんなものが我が家にあったとは知らなかったらしく、見て見たいと思ったと言う。
 迷惑な話であるが勝手に飾り棚からブリキの缶を出したと言う事、勿論それもテレビで見たらしく、何処にあったものかは知っての事だ。
 その上、私に「こんな鎖が懐中時計のものなのか」と聞く始末、何処から何処まで変な奴、しかし憎めないのだ。
 何時もは感心なさそうにしているが、実は他の人から私との中SANY6556.JPGを知った上で時計の事を聞かれたらしく、分からなかったから見に来たと。
 結局他人から私と付き合っているから当然時計の事も詳しいと思われて、テレビの事を聞かれたらしい。

 それならば知らないと言えば良いのに、見栄を張って知ったそぶりを、しかし答えられずに私のものと来たと言う事。
 テレビとは恐ろしいもので、とんだところに弊害をもたらすもの、写真はその時テレビで説明した懐中時計の鎖。
 友人は見た事がなかったから確かめに来たらしいが、それならば初めから聞けば良いと思うが、それが出来ない奴だ。
 その上説明しても、「こんな鎖が古いものなのか」とまだ疑っている様子、それにはこちらがあきれる始末。


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2018年04月23日

根付

      流行の先端

 以前にも紹介した根付SANY6533.JPG、印籠、矢立、煙草入れ等の紐の先に付いている留め具の事、着物の帯びに下から上に差し入れて、留め具を帯の上からたらす事で落ちないようにするもの。
 この留め具、古くから日本に存在していたが、根付として確立されたのは戦国時代後、特に江戸中頃よりは非常に流行したものであり、数々の傑作が生まれた。
 根付は、元々木などで出来た質素な物であったが、時代が下がるにつれて、段々と豪華になり、細工も細密化してゆくことになり、素材もまた、色々な物で出きるようになる。
 特に徳川家康が旗本等に常備薬として印籠に入れて持つことを奨励、之により大名や高級武士の間では根付も次第に豪華な物が作られるようになる。

 武士が豪華な物を携帯するようになると、一般庶民も之を真似て、矢立や煙草入れ等を持ち歩くようになると共に、当然のこと根付も次第に豪華な物となって行く。
 木の素材から、珊瑚や象牙等の高級品がもてはやされるようになり、根付職人らは競って細密な根付を作るようになり、益々根付ブームは広がっていった。SANY2364.JPG
 写真の根付、流行りものの最先端を行く時計を題材にしたもの、当時は時計は高級品であり、一般庶民には高嶺の花、其れを根付として作るのが流行する。
 素材は、紫檀の木で出来ており、表側には大名時計の文字盤が、銀の板に刻まれた当時の流行った物、紫檀と銀の素材も、当時の贅沢品、金持ちの道楽者が持っていたものなのか。

 今は文字盤の中心にあった針が欠落しており、惜しい事に文字盤のみとなっているが、再現するにはそんなに難しい事ではないので、いずれは再現したいと思っている。
 文字盤部分は銀の板に時刻が浮き彫りの状態で作られており、外の素材は木製の紫檀で作られている。
 之も当時は高級品であったと思われ、どんな人が持っていたものだろうか。
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2018年04月22日

連れて行け

   時計には興味はない

 SANY3513.JPG友人が蚤の市に連れて行けと言い出し、何時も行くところなら何時でも良いから連れて行けと言うのだ。
 何時も行くところと言っても色々とあり、近くでは名古屋の大須の蚤の市が一番近いと言う。
 しかし彼は大須の蚤の市ではなく、もっと違ったところに行きたいと、何で今頃そんな事を言うのか分からない。
 奴は古いものには興味がない筈、何で今頃そんな事を言うのか不思議で、「お前は古いものには興味がないと言っていたのに」と聞く。
 すると「別に古いものに興味がない訳ではない」とこちらの言う事に反論、しかし彼は私の家に来ても古いものには目もくれなかったのに。
 そんな奴が今更何を言っているかと返事をしたが、それでも連れて行けと言うので仕方なく浜松に連れて行く事にSANY3541.JPGした。
 浜松とは小國神社で開催される蚤の市の事、私がこの小國神社の蚤の市に行く事を知っているから。
 この小國神社で開催される蚤の市はまだ歴史は新しく、最近開かれるようになった蚤の市である。

 確かに私は小國神社の蚤の市に出かけるが、それはまた別の目的があるから出かけているのだが。
 その事をどうやら彼は知っているようで、そちらが本当に目的、つまり蚤の市を見たいためではない。
 蚤の市などどちらでも良い筈、真の目的は蕎麦を食べる事、それを直接言わなくて蚤の市に連れて行けと。SANY3578.JPG
 当然の事、私が蕎麦を食べに行くことを利用しようとしたもの、大体あいつが蚤の市に行くとは思得ないからだ。
 それならそれで蕎麦を食べに連れて行けと最初から言えば良いのに、遠回しに言わなくても良いのだが。
 小國神社の蚤の市の規模がどんなものか見たかったかも知れないが、とてもそれが本心ではない。
 一宮の駅で開かれている蕎麦処が目当て、ここの蕎麦を食べたくて蚤の市に行くと言ったまでの事だ。
 結局、うるさいから小國神社の蚤の市に連れて行く事にし、浜松に出かけチッカリと蕎麦も食べて帰った。


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2018年04月21日

暇を見つけて

      挑  戦
SANY3336.JPG
 2月、3月は雛巡りで忙しくて、忙しくて好きなことをやれなかったが、ここえきて暇になったので、久し振りにガラスのコップをつくりに、以前簡単に出来ると思って失敗したものに再び挑戦する為に向った。
 瀬戸市内にはガラスものを挑戦する場が多く、何時でも暇さえあれば挑戦を受け付けてくれる所があり、何処へ行くかは選び放題と贅沢でもある。
 ところにより料金も違うが、それは指導方法の違いと自由さの違いで、自分の好きなようにしようとすると少し値段は高くなってしまうが、その方が悔いは残らないと思う。
 何故ならば、自分自身で行ったものだから、誰に文句を付ける事もできないのだから、人から見れば単に我侭なだけ、自由とは邪魔なだけの人。

 教える方からすれば只の素人、その上技術もないのに職場で動きSANY3338.JPG回られたら邪魔、怪我でもされたら其れこそ大変、有りがたくない存在なのだ。
 そんな事で、ある程度我ままを言わせて貰えるところでグラスに挑戦することに、以前も何回も挑戦しているが、全く進歩せず自分では分かって居るつもりなのだが。
 今回もグラスを上手く作ろうとしたけど、出来上がってみればイビツ、如何しても癖でグラスの上部が一直線にならず、またまた左下がりになってしまった。
 底の部分に無数のガラス破片を入れて、自分なりに変化を出したつもりなのに、出来上がってみれば全く分からない物に、底の部分に少し色が入っているだけの、シンプルなグラスになってしまった。
 個性を一杯出したくて作ったつもりなのに、玄人の職人さんの作るグラスと比べれば恥ずかしく、娘が作ったよりも幼稚な物に、以前もそうであったが、娘がつくったものを今回も勝つことは出来なかったようで再度挑戦したいと思う。
 グラスつくり自分では簡単と思っていたが、なかなか大変なもので技術とセンスが問われることをつくづく実感したのだ。
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2018年04月20日

和蝋燭3

      朱 の 和 蝋 燭 
SANY6458.JPG
 和蝋燭の原料は櫨の実から作られ、之を木蝋と云い不純物のないものが最高とされているが、この木蝋を作るのには大変な根気が必要、櫨の実を井戸水に曝して何度と無く洗い、不純物を取り除いてはじめて木蝋と成る。
 和蝋燭は良い木蝋を手に入れることから始まり、まず蝋燭の芯つくりからイグサに和紙を巻き、その上に真綿で薄く巻く、これが蝋燭の芯となり第一段階。
 次に、その芯に木蝋を暖め物を塗りつけて行くが、これを「ふりかけ」と云い蝋燭作りの初期段階、芯と蝋をなじませ和蝋燭の基礎、次に第二段階の作業に入る。
 「下掛け」と云われ、これから何層にも木蝋を重ね塗りをしてゆく作業に入り、乾いては塗り、乾いては塗りを繰り返す、この時に出きるのが年輪のような渦巻き。SANY0668.JPG

 これが和蝋燭の特徴で、根気な作業から生み出される木蝋の年輪、職人技の見せ所でもある作業、この作業を決められた太さまで行う事。
 次に、「上掛け」と言う化粧の蝋を均等に塗り、表面に化粧を施して見栄え良くする作業、表面のデコボコが無くなり、ツルツル肌に仕上がる。
  その次は「芯だし」と呼ぶ作業、埋もれた芯を切り出す作業であり、この作業が済むと見事な年輪が顔を出し、やっと和蝋燭が完成するのである。
 和蝋燭は昔の尺貫法で呼ばれるから、長さと重さは尺、寸、貫、匁で表されており、若い人にはピンと来ないかも知れないが、これがシキタリだそうである。
 写真は和蝋燭の中でもお祝い事に使用される、目出たい蝋燭、赤の彩色された蝋を上から掛けられ、朱色蝋燭の誕生で普段の蝋燭とちょっと変わって気分もあらたまるもの、そしてもう一つが節句用の和蝋燭がありそれぞれに特徴がある。
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2018年04月19日

あひるのボトル

      愛嬌がある

 SANY2476.JPG酒の世界も厳しいもの、当たり前の事だが市場は厳しく競争社会、資本主義社会だから当然の事だが、其れに打ち勝たなければ生き残れない。
 ウイスキーボトルもまたその競争の中、世界各国で製造されている酒のボトル、種類の数も半端じゃないが、その中で生き残って行くのもまた大変な事。
 その為に酒メーカーは凌ぎを削って生き残りを図っている現状、消費者に少しでも自社の製品をアピールしたいもの、当然人目を引くデザインも重要視される。
 中身は兎も角も、外のデザインが注目れるように努力しているようだが、消費者は実に浮気な者で、あちらと思えばこちらと、次々と心変わりをするものだ。

 中身も外見も、消費者に如何にして買ってもらうための努力を尽くし、市場参入を目指して努力を怠らないメーカー、しかし全部が消費者に受け入れられる事はない。
 幾ら奇抜な物を作っても、それだけでは消費者は飛びつかないもの、中身が大事である事は言うまでもなく、デザインだけでは長続きはしない。
 SANY2478.JPGSANY2479.JPGこのボトル、中身もさる事ながらボトルのデザイン、アヒルをデザインした物だが、愛嬌があるのとリモージュ焼であることが消費者に受け、人気のボトルとなっている。

 私もこのボトルが気に入って何度となく買おうとしたが、人気であり空港では品切れ状態で買えず、之を買うには一苦労したもの、それだけにこのボトルに愛着がある。
 友人に言わせれば空瓶の何処が良いのだ、只の空き瓶を大事にするとは貧乏性だと言うが、奴は中身の酒しか興味はない。
 ブルーの本体、何処かとぼけた様な表情、長く伸びた首、金彩で描かれた羽、洗練されたリモージュ焼で製造され、三種類があり白、ブルー、金と人気が出るのも当たり前であると思う。
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2018年04月17日

流行もの

      遊び心を表に

SANY6481.JPG 明治初期の時計をかたどった花生けは、本物に近ずけようと努力し、殆どの商品はリアルに表現されている物が多かったが、明治後期には、初期に無い製品が多く生まれて来、デザインが大幅に変更され。
 其の1つは、色彩が鮮やかになってくる事、色々な多彩の色使いがされ、初期当時には無かった色が出回り、本来の時計とはかけ離れた物に仕上がって行く。
 元々、ボンボン時計は色彩が地味で、木の持つ色其のものに再現されている為、色々な色彩が使うのが難しく、本来の時計からかけ離れてしまう為、初期段階では冒険しなかったとも受け取れる。
 しかし、時計をかたどった商品が市中に出回るようになり、時計と言う物の形は浸透して行ったので、少しくらいアレンジをしても時計と分かって貰える様になった事も事実、そしてデザインを変更して新たな消費者を開拓してゆく事になる。

 市場のマンネリ化を打開する為の商品開発でもあったようで、中には奇抜な時計もデザインされたようでSANY6487.JPGあるが、実際に市場には出回っていないのか、知らないのかだが、探したら出てくるかもしれない。
 明治後期には一般庶民の間でも時計が深く浸透しており、時計そのものを説明する必要性は無かったから、其の先へとデザイン化が進み、時計本体の形が文字盤だけになるデザインも登場する事となる。
 そして、文字盤だけの物から、もっと進んだ物はカレンダー時計を模した物が次第に登場し、より複雑な時計の花生けが誕生する事になる。

 それは全国の産地の別は兎も角、瀬戸や伊万里、そして東農地方で盛んに時計型の花生けが製造され市場に送り出されたが、当時として、どれだけ製造されたか記録としては残っていない。
 写真の花生けは、伊万里で明治末に製造された物であるが、前期の時計型花生けと比較すると、色彩も鮮やかであり、形も少し本物の時計とは異なったデザインに仕上げられている。
 遊び心をふんだんに取り入れ、時計上部の色もブSANY6490.JPGルーと黄色掛かった茶、そして本来あるはずの無い唐草模様を描いている。
 写真では色が薄い為に、非常に見にくくなっているが、振り子室の横に、同じ図柄の唐草模様がデザインされているから、比較して想像してみて下さい。
 又、振り子室のドアーも本来は、この形の扉は付いていなく、デザイン的にあえて四角のドアーにしたものなのか、不明であるがかえって四角のほうが面白いかもしれない。
 何にしても、明治末期に自由に時計の形をした花生けを、しかもカラフルにデザインがされたが、実際に家庭で使用した時に、何処の部屋に掛て楽しんだのか分からない。
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2018年04月15日

今年は早い

   記録づくめ

 SANY6439.JPG今年の気候は記録的なものとなったようで、気温一つとってみても3月の気温は記録的なものとなった。
 100数年ぶりのものまで現れた気温、全国各地で記録更新と話題となったが、様々な現象も現れている。
 梅に桜にチュウリップが同時に咲いている風景、今までに見た事のない現象、ツツジも加わり実に奇妙な現象。
 北国では一斉に咲く事もあると言われるが、都会ではあまり見た事もない風景が出現している。
 確かに美しい現実ではあるが桜とチュウリップの組み合わせは見た事はなく、同時に咲くとはどこかおかしい。
 やはり記録的な現象である事は確か、今年は雪も多く降り、このままの状態だと夏は酷暑と言う事らしいが。
 何から何まで記録づくめ、こSANY6454.JPGのまま日本の気候はとうなってしまうのか、不安の気持ちは隠せない。
 花々が綺麗に咲き誇るのは実に美しくておおいに歓迎だが、実際に考えて見ると実に不思議な事だと思う。

 3月なのに6月末の気候と言う、やっぱり今起きている事はおかしな現象、それを物語るものに我が家の花もおかしい。
 30年ほど前から植えた花、出入り口に付けたアーチにした花、毎年5月中頃に花を付けていたが、今年はすでに満開の状態。
 何時もならまだ弦を一杯伸ばす時であるが、今年はすでに満開の状態であり、花が散り始めているのだ。
 今までにこんな状態を見た事がなく、弦もまだ伸び切っていないのに花が散り出しているとはやはり変、何時もならアーチ一杯に弦を伸ばしている筈、しかし今年はすでに花が散りはじめ、弦は伸びていない状態だ。






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2018年04月14日

春の祭り

   華やか

 おまつり.jpgこの地方は山車が多い事で有名な場所、名古屋地域は昔から山車が多く造られ、特にカラクリ付きの山車が多い。
 全国的に見てもカラクリの付いた山車の数は日本一、地域によっては全部の山車にカラクリが付いてるところも多い。
 犬山の山車もその一つ、全部の山車にカラクリが付く、その見事さを競い合っているもので町内同士の対抗意識も盛んな所。
 兎に角カラクリの種類と複雑なカラクリが見どころとなっており、それ目当てに多くの観光客が殺到する。
 あちらこちらに山車は存在しており、有名なものは京都の祇園祭の山車、この祭りが全国に広がったものと言われている。

 勿論名古屋地域の山車もそのその流れの内だと言われているが、カラクリは名古屋独特のものが多い。
 これはカラクリ人形師がその一端を担った来た歴史が、名古屋地域にはカラクリ師が多く存在したことに由来する。
 現在のものづくり愛知の元となったものとも言われておSANY6413.JPGりカラクリの技術が発達したものとも言われている位だ。
 この犬山まつりは古く1635年(寛永12年)が最初と言われる位に歴史が古い、当時からカラクリは付いていたとも言われている。
 13台の山車全部にカラクリが付き、町内事にカラクリが違うものが、当然町内同士の競い合いがあったと思われる。
 その為にカラクリは複雑な動きを要求され、町内ごとに見事なものが造られ、祭り当日にその技術と華麗さを競い合ったと言う。
 尾張藩主徳川宗春公が祭りを大々的に奨励したこともあり、名古屋地域の山車は華やかさと共にカラクリが発達したもの。
 名古屋周辺の市町村も多くの山車が存在しており、全国でも珍しく山車の台数は日本一、現在稼働している山車の数は422台、稼働していない山車を数えるとゆうに500台を超すが、写真は上が有松の山車、下が犬山の山車のカラクリ。



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2018年04月13日

時計画

      時計の版画は数々ある。

SANY3537.JPG 時計を題材とした版画は多くあるが、趣味で直接依頼して作成してもらったものは、そんなに多くないが堀田時計が販売店に出したもは、大分出回っている。
 堀田両平氏は家業の時計店の店主でもあり、古時計の蒐集家としても知られている我々の先輩の蒐集家、堀田氏が自社の店舗をモデルとして、製作依頼した版画で、時計マニアの間でも良く知られたもの。
 堀田氏は時ある毎に時計の版画を製作依頼しているが、特に伊藤深水画伯の版画が多くあり、美人の版画は人気の的でもある。
 自分の娘(朝丘雪路)をモデルとした版画は人気が高く、マニアには是非とも手に入れたい版画でもある。

 深水画伯の作品は妖艶な美人が描かれているため、時計よりも其の美人のほうに目が行ってしまう。堀田.jpg
 やっぱり美人画は伊藤深水に限ると思うが、時計も良く観察されており、其の特徴を捉えた力作が多い。
 もともと堀田時計は名古屋出身、明治期名古屋市にて時計商を商っており、良平氏はそのルーツを理解していたようだ。
 先祖の築き上げた店を題材にして版画家にその姿を依頼し、表現したものだと思う。
 左の版画は、富山出身の金守世士夫画伯の製作であり、明治期の堀田時計店の店先を描いた版画である。
 当時名古屋市の中心部に大店を構えていた様子が描かれ、店内には櫓時計やそのほかの時計が見え、屋根の上には巨大な時計塔が見える。
 堀田時計初代の堀田良助が1代で築き上げた大店、色使いも良く当時の繁栄振りが見事に彫られている傑作である。
 当時は名古屋市内には、こうした時計塔が幾つも乱立をして、名古屋の時計産業が盛んであった証でもある。
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2018年04月12日

これは何だ

      鉄の塊

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 またまた友人が分けの分から無いものを持ち込んで来たので、その論議に喧々諤々、またしても論争が激化する嵌めになったしまった。
 たまたま知り合いと酒を呑んでいた時に友人が現れ、何やら重そうな物を持って入ってきたが、何か怪しい雰囲気の物だと感じた。
 一緒に居た知り合いも友人とは顔馴染み、その場に入り込んだ友人、先ずは自分の好きなビールを一気に飲み干し、新聞紙の包みを開けだした。
 現れたものは埃まみれの汚らしい物体、「食べ物の席に汚らしいものを持ち込むな」と私が諌めると、そんな事よりこれは何だと汚らしいものを出した。
 知り合いも「汚いものだなぁ〜」と呑んでいたグラスを避け、その物体を迷惑そうに眺め、やっぱり汚らしいものだと、確かに汚いものだ。
 友人、「これは何だ」と鉄の塊を指差し、貰ってきたが何だSANY8077.JPGか分からないものだ、だけど面白いと思って持って来たのだが、やっぱり汚いなぁ〜と言う。
 酒を呑んでいる席に持って来るものではないだろうと思いつつ、その物体を良く見ると灰皿ではないのかと思うが、それにしても重いものだ。
 仮に灰皿でも何でこんなに重いものを造ったのか疑問、しかし良く見ると自動車の姿をしているように、すると知人が「これ自動車だ」と言い出した。

 私も気付いたのだが古い自動車の形をしている物、灰皿らしきものである事には違いないのだが、時代が相当に古いものだと思う。
 自動車の形から昭和のものには違いないとの認識で一致、しSANY8083.JPGかし戦前にこんなものを造るのかとの疑問も湧いて、モット古いのではと知人が言い出した。
 戦前、つまり昭和のはじめ頃であれば、「金属でこんなもの造るのか、金属不足の中」と友人が、確かに言われれば金属不足のおり、灰皿などに金属を使用するのかとの疑問だ。
 「では戦後の鋳造であるのか」と知人が言うが、戦後の代物でもなさそうな雰囲気、兎に角分けの変わらないものには違いなく、それを肴に3人して酒を呑む。
 自動車の形からはやっぱり大正から昭和初期の自動車、それにしては鋳造方がお粗末で、しっかりとした製造で造られた物ではないと思う。
 そんな事で何だ、かんだと論議をするうちに、酒が回りだしてきて、そんな論議もそっちのけ、酒が旨いと言いつつボトルが空になったしまった。
 写真の鋳物、形もボケたような姿の灰皿、テイブルの上にこんなボケた自動車を置いては恥、だけど何だか捨てがたい雰囲気の代物でもある。

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瀬戸の染付け6

      より網目らしく
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 幕末以来瀬戸の染付けは進化を続け、その形態も伝統的な図柄と、新作の二種類が渾然一体化し進化をするが、一方でその反動から古来の図柄を復活させようとする動きも起こる。
 何時の時代もそうである様に、新旧交代の時期は様々な軋轢のうえに、新しい時代がやってくるものであり、瀬戸の染付けも此の法則が生きていたようである。
 陶器から磁器への転換期、時期の白い肌に会う図柄が求められ、陶器では用いなかった斬新な図柄の登場により、陶器の図柄の衰退が始まる。
 その最先端が西洋の図柄を取り入れ、文明開化らしい図柄の登場であり、西洋建築の洋館を図柄にしたり、人力車、岡蒸気、蒸気汽船、などの新しい図柄が大流行する。
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 瀬戸の絵付け職人たちは、貪欲に文明開化の図案を吸収して、自分のものにしてから絵付けをしなければ、時代に付いて行けずヤッキとなり図柄開発を行う。
 一頃、この時代に流行した開化物が人気が高まり、値段が一気に高くなる現象を引き起こしたが、一時的なはしかみたいなもので、今は人気急落して昔の面影も無い。
 そんな時代背景に翻弄された瀬戸の染付け、しかし、その裏側には面々と受け継がれて来た古来の図柄もあり、その1つが写真の図柄である。
 網目と呼ばれる図柄、此の図柄文明開化の時代でも衰退することなく、面々と行き続けて現在まで受け継がれている図柄、飽きの来ないシンプルな図柄である。
 時代に翻弄されない力強い図柄であり、器の内部まで網目模様が描かれるのが伝統的な手法、内側に網目を描くのは熟練した職人でなければ描ききれない。
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2018年04月11日

円空の顔

      独特の顔

 SANY6812.JPG円空は江戸時代初期の行脚僧、兎に角全国を歩き回り、13万体の仏像を彫りだした僧、常人ではとても出来ないものだが、円空は生涯かけて彫り出した。
 その制作方法は驚くべき速さ、薪を割り鉈で素早く彫り出したと言われるが、実際は多くの蚤を使用したらしく、使い分けて製作したらしい。
 ある仏像の1本の丸太を12体の仏像にしたとも言われ、変幻自在に掘り出した様で、残っている仏像はそれを物語っている。
 現在20000体位現存しており、それも愛知、岐阜に集中しているもの、初期の仏像は30代に製作した物、彫り方は優しい線で作られている。
 40代位から作風が変わりだし、その作風は大胆に彫りだしている物が多くなり、また次第に簡略的になり、躍動感に満ち溢れている物が多くなる。
 この作風の変化は母の死が切っ掛けで、次第に独創的なものとなってゆく切っ掛けと、研究者の間ではそのように言われているとか。
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 確かに円空の仏像は大胆かつ繊細であり、一見誰にでも製作できるように思われがちであるが、その本質をとらまえての仏像製作であり、円空独自のもの。
 そしてこの仏像が個人での所有が多い点にも注目、円空は求められれば製作して仏像を与えたと言われ、その殆どが小さなものが多い。
 個人の仏壇や神棚に祭られている円空仏、大事に扱われて来たのが現像数を伸ばしたものなのか、定かではないが、確かに多く現存する。
 円空の仏像の特徴はかすかな微笑みと云われ、この微笑が人々を虜にする由縁でもあるといわれているが、確かにその微笑みは他の仏像には少ないものかもしれない。

 あたかも鉈1つで彫りだした仏像のようにも見れるが、多くののみを使って彫りだされている事を感じさせないのは、これも円空ならでは。
 写真の仏像や神様も、そうした円空の力量が滲み出ているもの、見る人もこの仏像に引き込まれて行き、虜になってしまうようだ。
 イカツイ仏像も、良く見るとその顔はかすかに微笑を帯びており、人々が親しみやすさを感じるのが分かるような気がする。

 
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2018年04月10日

デッサン用

      良い絵がSANY0320.JPG

 あるアンティークショップにぶらりと立ち寄り、古時計を物色していると店主が「お客さん、何を探しているの」と声を掛けてきた。
 古時計を探していると答えると、「どんな時計が欲しいの」と又聞く、余り質問されると買う気分にならないのが私の性分、何時もの事だが。
 古時計位は自由に見たいもので、あれこれと聞かれると気分がそちらに行ってしまい、買う気がなくなってしまうので、探している時は邪魔されたくないのだ。
 そんな店を出ようと出口に向かった時、ガラス越しに女性の顔が目に入ってきたのだ、この顔にひきつけられて隣の店に入ってしまう。
 その店はリサイクルショップ、雑然と物が置かれる中、入り口近くのテーブルの上にその女性の顔が、目に付いたのはこの顔。
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 学生時代、図工室に置いてあったデッサン用の石膏像、其れに良く似た物が私の目に入ってきたのだ、近づいて見ると、なんと時計であった。
 まさか時計とは知らずに、石膏像に引かれて来たのに時計とは、其れは高さ60センチ位の時計、その上部に石膏像が乗せてある時計だ。
 セイコーが発売した時計だ、正確には調べていないが昭和30年代に販売されたものと思うが、黒色の大理石の台の上に石膏像を載せたもの。
 時計本体は非常に重い大理石、あたかも石膏像の様な格好をした時計、当時としても変わった時計であったと思われる。
 石膏像は可愛らしい女性、如何にもやさしそうな顔、こんな時計を飾っている部屋はさぞかし楽しい部屋であろうと思われる。
 店主に値段を聞いて見ると「お客さん、幾らで買ってくれるの」と逆に聞いてくる始末。
 2000円なら買っても良いと言うと、「其れでオッケーです」と直ぐに商談成立。
 買ってから手渡された時計の重さにやっと気付いて、こんなに重い時計何処に置くのかと、単に石膏像に魅せられて買い込んだ時計、ヤッパリ飾るところを選ぶ時計だった。
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2018年04月09日

有線七宝

      手間隙かけて
 SANY5662.JPG七宝、七つの宝と書いて「七宝」、金銀や瑪瑙、琥珀のような宝物に匹敵する物として七宝焼きと呼ばれているもの、この七宝焼古くは奈良時代から日本に存在しており、その後戦国時代までは細々と製造されていた。
 正倉院御物の中にも七宝焼が保管されており、当時から貴重品であったようだが、一般人には程遠い存在、その後京都で七宝が製造され、桂離宮、修学院離宮、漫院など扉の引き手や釘隠しに使われたり、刀の装飾品として発達。
 桃山から江戸時代に入り、京都、近江、尾張、などの産地が盛に七宝を製造した様だが、それらはまだ七宝焼きの発展途上でもあったようである。

 明治に入り、ドイツ人ワグネルが透明の塗料を用いた七宝焼きの技術を伝える事により、日本の七宝焼きに急速にその技術が向上、パリ万博に出SANY5655.JPG品し金賞を得る。
 其れにより、世界的に日本の七宝が優れた芸術品であることが認識され、多くの七宝が海外に輸出されるようになり、外貨獲得に貢献する事となる。
 そんな中、京都や名古屋で芸術的な七宝焼きが製造、七宝焼きの技術が確立され、世界的に有名になるが、この両者七宝焼きの製造方法に違いがある。
 それは有線七宝と無線七宝、有線七宝は真鍮や金銀の細い線で図柄を作り、その中に鉱物質の微粉末をふのりで溶いたものを塗り固め、900度の温度で焼き上げる。
 無線七宝は図柄の上にじかに微粉末の溶液を置いてゆき、有線を用いないで製造する技法とに分かれ、其々の特徴を最大限に発揮した。
 写真の七宝は有線七宝の典型的な物、細図柄を真鍮の細い線で縁取ったもの、根気よく一つ一つの図柄を描いてゆく作業は大変な物である。

 
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