2018年06月10日

時の記念日

      紀元前の昔から
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 今日6月10日は時の記念日、大正9年に生活改善同盟会が中心となって時間の大切さを教えるために制定したもの、しかし国民の祝日ではない。
 当時は国際的にも時間の正確さや大切さが重要視されていた時、日本もそうした時代の風潮を先取りした格好で、推し進められたようであり、その中心となったのが生活改善同盟会。
 何故6月10日になったのか、その歴史は古く日本書紀に遡り、「天智天皇」10年(671)4月25日に水時計を設置して時を告げたとの記録があり、今の暦に直すと6月10日となり、この日を時の記念日とした。
 しかし、実際には天智天皇が「中大兄皇子」であったときに既に水時計が設置されていたが、何日の記録が無く不明の為、天皇になってからの記録がハッキリした日付けで制定されたようだ。
 その記録には、斉明天皇6年(660)、「皇太子初造漏尅、使民知時」と記録されており、この時から水時計は使用させており、実用化されていた。
  ただ、このときの日付けがハッキリと分からない為、天皇になってからの「日本書紀」の記述を採用したので、6月10日となった。

 この水時計を管理していた役人を「漏刻博士」と云い、彼らは水時計の時間SANY0840.JPGを計り、宮中に時を知らせる役目をしていたが、彼らの仕事は厳しくて、時刻を正確に伝えるために、遅刻や居眠り、時間の間違う等しないように厳しく管理され、また罰則も厳しかったようである。
 当然の事であるが、宮中においての儀式や政務を司る役人の時間管理としての水時計であり、時間の正確を期するために水時計を置き、正確に時を計らせたもの。
 この時の時刻は定時法であり、今と同じ時間であった事はあまり知られていないようで、日本は昔から不定法を採用していたと思っている人が多いが、この時代は今と同じ定時法であった。
 しかし、世の中が騒がしくなり、戦乱の世となると、この水時計をやがては使われなくなり、長い間の眠りにつく事となり、戦国時代へと突入、世が乱れに乱れる事となる。
 戦国末期から江戸時代に入り、世の中が静かになると機械時計が西洋から伝えられ、登城時刻を知らせたり、12時を知らせる役割を果たすシステムが確立する。
 その後定時法から、日の出日の入りを基にした不定時法が発達、日本の社会は世界との時間の隔たりを生む事になり、長い間不定時法を採用、明治6年まで不定時法を使用してきた。
 明治5年12月3日を明治6年1月1日とし、新暦を採用(定時法)に切り替え、数百年続いた不定時法が廃止、長く続いた日の出、日の入りの太陰暦から、新暦の太陽暦に変わり、現在に至っている。
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2018年06月09日

餅より粉が

      ネットの副産物

 SANY3110.JPG以前友人にネットで欲しいものがあったので入札をして貰い、思ったよりも安く落札できて喜んだもの、そして家に商品が送られてきた。
 確かその商品は雛人形の付属品であったと思う、小さな小物を落札してもらい、家に送ってきた落札した物を開封していた時、19センチ位の長方形の木箱が出てきた。
 色々な雛人形の付属品の中で、小物がその木箱の中に入れてあり、紙に包まれていた木箱をあけ何気なしに裏を見たら大正の年号が目にとまった。
 小さな木箱に焼印とは珍しいと思い、その木箱を調べようと上蓋の包み紙をはがしたら、上蓋にもなにやら焼印があることに気がつき、調べる事に。
 少し薄くなっているものの文字はハッキリと、「賜饌]と分かりビックリ、これは思っても見ないものが出てきたと思い、早速その年号の日付けでネットで検索してもらった。
 大正4年、11月16日と神戸市の焼印を手掛りに調べると、大正天皇大礼記念行幸と判明、その時に関係者に出された物である事が分かった。
 「賜饌」とは、天皇から与えられる食事のこと、大正天皇が大正4年11月6日から全国に行幸された時に神戸市に立ち寄られた時に出されたものと判明。SANY3112.JPGSANY3114.JPG

 それにしても大正4年のものが残っていたとは驚きであるが、それも賜饌の木箱とは驚きも倍、良く遺していたものだと感心したと同時に、何故小物を入れて贈られて来たものなのかと不思議である。
 多分、荷物を送った人はこの木箱が何であるかを知らず、単なる木箱として物を入れて送ったのだと思うが、賜饌の文字すらも分からなかったのではないか、それにしても中身より外箱のほうが貴重と言う話は聞かない、これは儲けものだが雛道具よりも外箱の方が貴重とは。
 ある人に言わせると、この中身は当時お祝いの紅白饅頭が入っていたのであろうと思われ、大事にとってあったのを気がつかずに出してしまったのであろうと。
 それにしても珍しい木箱が偶然に送られてきたものだ、これも何かの縁であろうか、偶然にしろ向うからやって来るとは、約百年を経ている物だから大事に保管する事にした。

 
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2018年06月08日

特注品です

      伝統工芸品

SANY4915.JPG 明治初期西洋から一気に文明開化が押し寄せ、今までの日本文化が危機にさらされ、文字通り「猫も杓子も文明開化」と叫ばれていた時。
 日本人は西洋文化に飛びつき、我も我もと新しい舶来の物を取り入れ、今まで有った日本の物を大事にしなくなり、次々と海外に出て行ってしまった。
 今、何故こんな重要な物が海外にあるのかと驚きもするが、明治時期に数多くの物が見捨てられ、海を渡って行ってしまった。
 勿論その分、西洋の物が一気に入ってきた中には、重要な美術品もあるにはあるが、出て行って物と比べれば比較にならないほどだ。
 その中には伝統文化に支えられて来た数々の美術品が、ほご同然に持って行かれた事だ、日本人の舶来信仰は、この時大きく植えつけられた。
 舶来品であれば憧れた当時の人々、しかし現在も其れほど変わっては居らず、舶来信仰は継続中、そんな明治期に西洋と日本の合作も生まれた。

 西洋時計に憧れた人達の中には、日本独自のものに拘って人も少なくないもの、その人達は時計にもとれを求め、機SANY4918.JPG械だけはアメリカ製のものを使い、箱は伝統文化の日本の物をと求めた。
 結果、和洋折衷と言われる物が生まれる事に、写真の時計の箱、日本の伝統技術のかたまりのような物が出来上がる事になる。
 外箱は飛騨の春慶塗、機械の箱だが、箱の中まで全部春慶塗が施され、隠れた部分にも手を抜かない、日本の技術が施されている。
 表板は艶消しの漆がけ、その上に漆で盛上げ、絵が描かれたもの、上下には鳳凰の図柄、左右には龍が描かれたものだが、図案化してあり、特に左右の龍は良く見ないと龍には見えない。
 私も手に入れてから10年も分からずに居たが、ある人に龍じゃないのかと言われて、初めて気が付いたもので、良く見ないとそれらしく見えない。
 しかし、是だけの手の込んだ時計は今までに見たことはなく、明治の職人の心意気を感じる貴重な時計である事には変わりないものだ。
 今再現しようとすると、相当な時間と職人技術が必要、昔の人は贅沢な物を造ったもので、伝統技術に裏打ちされてこそ出来上がった時計だと思う。
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2018年06月07日

確認事項

 日本古時計保存協会のミーティング開催件

 日時、6月10日 日曜日
 場所、愛知県瀬戸市朝日町49−3 古民家久米邸
    0561−84−5396
 時間、11時半開始
 会費、1500円 昼食代含む
 近くの私設駐車場をご利用ください。パルティ―や瀬戸蔵があります。
 今回喫茶古時計の見学会を行います参加希望の方は申し出ください。
 尚、当日オークションも開催します参加ください。
   日本古時計保存協会  事 務 局
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代用品のボタン

      出きる物なら何でも

 SANY3509.JPG代用品、本来のものが出来なかったり、もしくは無かった場合に、其れと異なったもので肩代わりするものを代用と言う、戦前にいろいろなものが代用品として製造された。
 太平洋戦争により日本の金属不足が続き、軍需用の鉄が不足する有様、各家庭から金属の供出を強制、各家庭からもあらゆる金属を供出させた。
 現在では考えられない物まで代用品が作られ、庶民の生活の中に入り込んで行くことに、今まで金属で製造されていたものが、木や土で製造されることになる。
 最も珍しい物は貨幣であり、国は本気で貨幣も陶器で製造することを決め、清水焼、瀬戸焼、伊万里焼の窯元に、貨幣の製造を命令する。
 終戦間際にこれ等の産地では貨幣を製造、現物は出来上がり発行を待つまでになっていたが、終戦と同時に廃棄処分となり、産地では破砕して地中に埋めた。
 現在では陶器の貨幣はコレクターの推奨の的となり、何処からか出てくるのかコレクターの手元に存在しており、珍品貨幣として蒐集されている。

 今回の陶器のボタンも、この範疇に属した代用品、服SANY3511.JPGのボタンまで陶器で製造され、金属不足をこれ等の代用品でまかなっていたものだが、このボタンもそのような過程で製造されたもの。
 尾張瀬戸で製造された陶器のボタン、上部のボタンは国民学校用として製造されたもの、下のボタンは軍隊用に製造された陶器のボタン。
 ドチラもサクラのマークが入ったボタン、国民学校用のほうが少し大きく、軍隊用は小さくなっているが、取り付け部分にその違いがある。
 軍隊用のボタンは丈夫に出来ており、糸を取り付ける部分も国民学校用より、変化をもたせ激しい動きにも耐えられるように工夫され製造された。
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2018年06月06日

自分の記事

      時日の経つのは早い

 SANY6939.JPG出版社からの依頼で原稿を書いて欲しいと言う電話、前に出版した本を見ての話らしいが、詳しい事を聞く事にした。
 出版社に言わせると毎月短い文章を一年続けて書いて欲しいとの事、それも古時計に関する記事であるとの事だ。
 一年も続けて書く事は大変な事、それも専門的な事だと難しくなってしまい行き詰る事は確か、悩んでいると友人がアドバイスをくれた。
 彼に言わせると、「参考書としての本なら最良いものがある」と言う、そんな本を目指すのかと厳しい指摘、確かに彼の言う通り、参考書ではなく読んで面白い本にしたいと言うので止めようかと早くも挫折、そんな時にある友人が家に訪れた。
 友人と話が弾み、昔旅をした時の事を思い出しては、「あの時はこうだったとか、ああだったとか」と、色々と話すうちに、これだと直感した。
 旅の思い出話として時計の事を書けば、読者も読み易いのではないかと、旅の思い出なら幾らでも、文章に苦労する事も無いと思い立つ。SANY6944.JPG
 そんな訳で旅を題材として文章を書き上げ、出版社に原稿を提出、すると出版社から意外な言葉が「戸田さん、文章が硬すぎる」との事、もう少し砕けた文章して欲しいと、しかしプロで無い私はどう書くのか分からない事に。

 出版社の担当者は、素人らしい文章を望んでいるから、プロらしく書かないようにと、これまた意外な言い方で戸惑う始末。
 自分では既に原稿も出来上がったと思っていたのに、ダメだしの言葉を聴いて愕然と、あたり前の事だがお金を頂いて本を買ってもらうから、そんなに簡単に書けたら苦労はないと実感する。
 一からの出直しではなく、文章を途中で変更して、もう少し砕けた文章にすることだが、其れが又かえって難しいものだ。
 何処をどの様にしたら砕けた文章になるのか、その日から四苦八苦して文章構成をやり直すことに、そんな時またまた友人が、「お前は素人だから、普通に下手なもので書けばよい」と、云われて見れば確かにその通り、それで行くかと気合を入れて始める。
この本を見て、そんな事を思い出したが、出版して早や4年も経ち、月日の流れるのも早いものだと感じると共に、歳をとるはずだと自分に言いきかせる。
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2018年06月05日

ブリキの豆ランプ

      普及品

 SANY4045.JPG明治に流行ったランプ、部屋の明かりとして一気に普及、今までの暗い行灯の光ではなく、ランプの光は行灯の何倍かの明るさであったもの。
 当時の人は文明開化の恩恵を肌で感じたものだろうが、その後に現れる電気の明るさにはとても勝てなかったもの、しかしそれまではランプの灯りが大活躍したのだ。
 各家庭に普及したランプ、大型のものから小型まで多種多様なランプが出回り、その用途により使い分けをしていたが、一般の家庭ではそんな贅沢はしなかった。
 一部の金持ちは西洋ランプを購入、色つきの派手なランプを自慢げに披露して、西洋カブレを競っていたもの、特権階級のランプと違い、一般に普及したランプは、透明なガラスのシンプルなもの。
 それでも一家に一台くらいしか購入できなかったものだが、時代が大正期に入るともう少し安価なランプも登場、よりランプも身近なものとなって行く。

 そんな中、普及品のランプのうち、トイレとか風呂場とかの小さな部屋で使用するものとして、開発されたランプが登場、ブリキで油壺の部分が作られたランプだ。
 SANY4049_1.JPGSANY4048_1.JPGガラスのランプよりは安価であったようで、一般の家庭で二台目とか三台目とかに買い込んだようで、小さな部屋での使用に使ったもの、その分燃料も安く済み、明るい生活を楽しんだ。
 小さな部屋には大きなランプは贅沢、しかも燃料が多くいるランプは勿体ないもの、贅沢な明かりは極力避け、質素な生活をしていた一般庶民。
 そんな実生活が垣間見られるかのような小さなランプだが、当時の人達にとってはありがたいランプであり、生活の大事な道具であったもの。
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2018年06月04日

太陰暦と太陽暦

      未だに尾を引く

SANY6863.JPG 江戸時代に使用されてきた太陰暦、俗に言う旧暦とも言うが、その時(とき)の刻みが現在でも、その名残を止めている言葉があるという。
 江戸時代は何時(なんどき、何刻、子の刻とか)と言って、時(ときと呼ぶ)または刻(こく)と呼んでいたもの、例えば子の刻(ねのこく)、丑の刻(うしのこく)、などと呼んだ。
 現代でも頻繁に使われているのが「午の刻(うまのこく)」、明治5年に改暦され145年も経つのに、今も使われている言葉が存在しており、今尚つづいている。
 其れが「午前と午後」、この午前と午後は昔の午の刻の前と後と言うこと、つまり午の刻を基準とした呼び方、江戸時代の太陰暦の呼び方であるのだ。
 もう1つが正午(しょうご)、この正午は午の刻の真ん中の事、つまり午の刻は現在の時間にすると11時から13時の2時間を指す、その真ん中が12時と言う事になる。SANY6867.JPG

 正午とは真ん中の午の刻のこと、それを現在も日常的に使っている言葉だが、その起源が太陰暦のものであることを知らない人が多く、其れを現在も使われているとは実に面白い。
 現在日常に使われている言葉が、145年も前に改暦となった暦を使っているとは、歴史とは時を刻むものと言うが正にその通りである。
 今の時刻(じこく)と言う言葉も刻と言えば旧暦の言葉、時間と言う様になったのは改暦後の話、24時間制になってから何時(なんじ)となるもの。
 この時(じ)の呼び方、書き方も試行錯誤があったようで、時とか字とか、色々なかき方を検討した結果、今の時の文字を当てはめる事となった様で、この字が生まれるに当たって喧々諤々の論議があった。
 普段使っている普通の言葉、その起源が長い歴史の上に立つ言葉であったこと、そして知らないで使ったいる事、普段何気なく使っている言葉にも、歴史があると言う事。
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2018年06月03日

伝統産業

      新しいもの

SANY6966.JPG 日本古来の伝統産業を受け継いでゆくのは難しく、其れを継承する跡継ぎも深刻な問題でもあり、後継者育成にも頭の痛い現実があるらしい。
 伝統を守ることは容易い事ではなさそうで、後継者問題や技術伝承、そして何よりも販路拡大が大きな問題とされている今日、地元産業に大きくのしかかっている。
 このような現実から新たな取り組みも各地で行われており、伝統産業の活性化に色々と検討が開始され、新たなデザインと販路拡大に力を注いでいるところも多い。
 その1つが秋田県角館、伝統産業の樺細工、古くからの伝統を守りながら、現代に通用する商品開発を進めている地域、伝統の樺細工の売れ行きも下降気味。
 新しい商品を如何にして生み出すか、若い伝統産業の担い手たちが立ち上がり、商品の新たな開拓と技術確保、この2つを両立させる為に奮闘している。

 伝統の上に立ち、新しいものを生み出す、しかしそれが市場SANY3444.JPGSANY3445.JPGで受け入れられるものなのかは未知、試行錯誤して開発した商品が売れない事もしばしば。
 そんな中、売れ筋の商品もボツボツと出来上がった来ているが、まだまだ販路を広げるまでにはなっておらず、地道な努力が必要になってくる。
 そんな中、写真のような今までに無かった試みも、金属製のものに樺細工を施したライター、木工製品には存在したのであるが、金属製の本体に樺細工を施した意欲作。
 このような新しいチャレンジこそ、明日への飛躍につながるもの、やはり地道な努力の積み重ねしか無いもので、直ぐに成果の出るものではない。
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2018年06月02日

瓶ボトル2

      過度期の産物
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 コーラ飲料、最近では余り耳にしない飲み物みたいになってしまった様だが、少し前はこの飲み物の全盛期であったように思う。
 今はペット主流の世の中、ほとんどの飲み物はペット瓶になり、ガラス瓶の飲み物は少なくなったしまったようだ。
 このペット主流の前、過度期の商品として、色々異な物が発売され、市場を賑やかしていた時の物、試行錯誤の時代の産物。
 其の最先端を行っていたのがコーラ飲料、アメリカでは既にペットの時代であり、日本も急激にペット時代に移行使用としていた。
 その繋ぎの時代に現れたのが、写真のボトル、今ではお目にかかれない代物の容器、ペット瓶に移行する予備のもの。
 当時のリンク瓶ではなく、使い捨ての瓶ボトル、それも300ミリボトル、当時は日本人に合った量は250ミリ位がちょうど良いとされていた。
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 アメリカでは既に500ミリのボトルに移行され、日本も大型化が急がれていた時、300ミリか350ミリかの論争が真っ只中。
 試作品として売り出されたボトルがこれ、売値も50円、300ミリの瓶ボトル、使い捨てである為に、現在残っているのは珍しい物だ。
 このボトルを売り出してみて、市場の反応をリサーチした瓶ボトル、如何にも過度期の物と言う雰囲気とボトルの形。
 メーカーが如何に時代の流れを把握しようとしていた事が、目で見てよく分かる代物、ボトルの形や値段も色々と変化した時代の産物だ。
 中身が入った当時のものは、今見つけようとしても中々見つからない物、何故ならば使い捨てられた物だから。
 このボトル瓶の飲み物を見ていると、今のペットの前は如何に市場が変化した時期であったかと、今しみじみ思うものだ。
 ペットボトルが出る前には、日本の市場は瓶ボトルが主流の時代、まだ25、6年しか経っていないが、もう遠い時代の話みたいに思えてくるのは何故だろうか。

 
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2018年06月01日

貯金箱

      歴史を伝える

SANY6659.JPG 時代の出来事を伝えるものには色々な種類が存在し、それらの一つ一つが歴史の証人であり、その物が歴史を伝える役目を果たし、後世に留める役目をする。
 種類は様々であるが、通り過ぎてきた歴史を見つめてきた生き証人、彼らは当時を事を生き生きと我々に語りかけ、出来た出来事を雄弁に語る。
 其れから知りうる出来事を我々後世の者は忠実に理解しなければイケないが、其れが果たして出来ているのであろうか、我々個人がどの様に受け止めるかは不明である。
 写真の貯金箱もその色々とある種類の中の一部、ブリキで出来た何処にでも存在しうる物、さして珍しい物ではないが彼らは雄弁に歴史を語っている。

 一般庶民の貯金箱、この小さな貯金箱、されど彼らは激動の時代を見つめてきたもの、幾多SANY6654.JPGの困難の中生き延びて現在に自分の存在を誇示すると共に、当時を語りかけている。
 写真のブリキ製の貯金箱、ドーム型の小さな物であるが、生々しく当時の様子を我々に語っており、前面にお国の国策を国民に義務づけたことの証が刻まれている。
 前面に「国民一致、挙げて貯金」と冨国強兵を示唆した内容の大正時代の物、兎に角軍国主義、如何にも軍事的な表現の戦争の貯金箱。
 この貯金箱は日本の歩んできた歴史を後世に伝える為、その姿を我々に見せ付けているのではないだろうか、貯金箱の小さな物であるが、彼らの強い表現が我々に告げているものは。
 こんな時代にならないように教訓として残っているのではないだろうか。
 
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