2018年06月17日

思いで品へそ時計

      忘れられない

SANY2263.JPG 旅の思い出は人其々にあるはず、どんな小さな事でも思い出となる事はあるもの、その品を見れば何時でもその時に戻れるものでもある。
 人にはそのような思い出があり、私もその中でも決して忘れない思い出の品もあり、それは幾度となく行った盛岡の骨董屋の主人の事である。
 始めてその店に行ったのは、35年も前の事であるが、まだ骨董をやり出して駆け出しの頃のこと、私が好きな啄木の足跡を求めて盛岡を尋ねた時の事。
 真っ先に訪れたのは城跡、此処の城跡はあの詩、 
 「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸われし 十五の心」と歌った場所であり、在りし日の啄木を偲んだ。

 その近くの骨董屋に立ち寄り、時計を探すが何も見つからず、帰ろうとしたら店主が「何を探しいいるのか」と問いかけてきたので、「時計を探していると」答えた。
 その店主も時計好きで時計談義にはながさき、何時しか時間の経つのも忘れて夕暮れになり、主人が「何処に泊まるのか」と聞くから、「市内のホテル」と言えば、それなら時間があるから「隣の炉辺で飲まないか」と誘い。
 その店の近く、郷土料理「南部炉辺」でマタマタ時計談義開始、結局主人と看板まで飲んでその日は帰ったが、翌日ホテルに電話が入り「こちらに出てこないか」と誘い、何かと思えば、盛岡の近くに買出しに行くから一緒に行かないかとのこと。
 昨日、時計談義でスッカリ主人と打ち解け、歳もそんなに違わず話も合い、私も買出しに同行して時計探しに行くことに、結局1日主人の車で時計探しをした。
 その時計探しで最初に見つけたのがこの時計、何の変哲もないヘソ時計であるが、この時計が切っ掛けで、その後幾つかの珍品時計をこの主人から買う事になる。
 以来約30年の付き合い、その切っ掛けを作ってくれた思い出の時計、この時計が縁で、その後の主人との付き合いの橋渡しをしてくれた思い出深い時計でもある。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計奮闘記