2018年08月06日

蕎麦切り伝道

      信州から江戸へ

SANY7474.JPG 木曽で発祥した蕎麦切りが都市へと次第に伝わり、江戸に入る事により一気に広がり、特に下層階級の食事として、盛んに食べられるようになる。
 蕎麦の歴史を辿っていると面白いことに出くわす、其の時代の人の動きや生活実態、そして食文化が見えてくるから面白くなり、又調べてみようと思う気にもなる。
 時代によって食べ物が変化してゆく事は分かるが、其れが如何してかは調べてみないと分からず、ついつい深入りをしてしまう事もあるのだが。
 今我々が当たり前に食している物の中でも、以前は別の食べ方をしていた時代があることも分かったり、こんな食べ方をしていたのかと思う事もしばしばである。
 俗に、この蕎麦切りは日本初のファストフーズの走り的、食べ物ではないかと言う学者さんも居て、蕎麦きりの研究が進んでいるようであるが、難しいことは分からない。
 しかし、蕎麦切りが人について移動していったことは確かであり、当時も今も江戸の都会に人が集まって来た事により、蕎麦きりの技術も江戸に集まった来たようである。

SANY7471.JPG 信州で蕎麦を打っていた人が江戸に出て、蕎麦きりをはじめた事は文献でも知られているが、当時の江戸は開発途上であり、多くの人足を必要としていたから、信州から出稼ぎに来た者たちも多かったと思われる。
 そんな人たちの中には蕎麦切りの技術を持った者もおり、蕎麦きりを必然的に作り出したと考えられ、人足達には蕎麦切りは早くて安価な食べ物として、直ぐに受け入れられた様であるが、一般の庶民はまだ蕎麦きりを食することは無かったようである。
 この時代、既にうどんは庶民にも食べられていたようで、うどんを売る商いも出来ていたが、蕎麦は下賤の食べ物であるとされ、一般には普及していなかった。
 確かに時代的には庶民の生活も苦しかった頃であるが、蕎麦は一般庶民の食べ物として食しておらず、やはり下賤の食べ物として当時の文献にもあるように、庶民の食べ物ではなかった。
 しかし、江戸が発展してゆく事により、人足達が増え、蕎麦切りも必然的に需要が増え続け食べ物として、次第に一般庶民に受け入れられていったようである。

 









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