2018年08月14日

コーヒーカップ

      器は選ぶもの

SANY7483.JPG 私は一日に何杯かのコーヒーを飲む、若い時よりコーヒーが好きで一日に何杯ものコーヒーを飲む習慣になっているが、最近はアメリカンを飲むようにしている。
 以前は濃いコヒーを飲むのが好きで、ダッチコーヒー、エスプレッソなどの濃いものが好きであったが、歳を取ってからは薄いコヒーを飲むようにしているのだ。
 はじめの頃は薄いアメリカンタイプは物足りなくて、余り好きではなかったが、一日に何杯も呑むので、次第に薄いコーヒーに切り替え、アメリカンになった。
 兎に角良く喫茶店に行ったが、その際喫茶店選びは旨いコ‐ヒーもさることながら、カップがどんなものかが1番、つまりコーヒーカップが気になるのだ。
 折角コーヒーを呑むのだから、好きなカップで飲みたいもの、だからカップの良いものが出る所に自然と足が向くようになり、そこが馴染みの店となった。

 
 そんな店の1つが自分の好きなカップでコーヒーが飲める店、カウンターの後ろには様々なコーヒーカップが置いてあり、SANY1285.JPG客は好きなカップを選んで、そのカップでコーヒーが飲めるのだ。
 だからこの店には良く通ったもので、毎回違ったコヒーカップを指名、その日の気分でカップを変えてはコーヒーを飲む、これも良いシステムだ。
 気分に応じてカップを変えることが出来るのは贅沢、リラックスできる一時でもあるから、やっぱり好きなカップで飲みたいものだ。
 友人に言わせると「コーヒーの味が良ければ、カップなどどんなものでも良い」と云い、何でカップなんぞに拘るのか理解できない」と言うのだ。

 その友人に、「では何でも良ければ奥さんをなんで選んだ」と厳しいことを言ってやると、「それとこれとは別だ」と、今度はむきになっている。
 確かにそれとは違うが、やっぱり好きなものの方が良く、どれでも良いとは思わないのだと思うが、友人は味が旨ければ良いと言う。
 友人に、拘りのコーヒー店につれて行き、その店でコーヒーを飲ませたら、「何でこんなカップで出すのか」と言い出したので、「おまえ、カップは何でも良いと言っていたではないか」と突っ込む。
 すると、「何でもよいとは言ったが、これはいただけないものだ」と言う、なぜならここのカップは安物の百均に近いもの、流石に味だけではないと言い出した。

 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記