2018年09月16日

明治のカタログ

      吉沼商店に見る明治
 
 吉沼又右エ門、明治初期早くから時計商として店を起こし、西洋時計製造も行った実業家、彼には色々な逸話も残っている立志上の人物。
 東京日本橋に店を構え、一時期の時計製造者として名を馳せ、吉沼時計、東京時計と会社を興し、商店も2店舗を保有していた経営者でもある。
 彼は明治期の時計商だけでなく、経営者としても先見性を持った人物、西洋時計を早くから仕入れ、時計販売で財をなし、時計製造に進んだ人物。
 この明治時期の人物の辿った典型的経営者といえ、西洋物を商いして成功したが、手を広げすぎて失敗、後に横浜に退くこととなるのだが、全盛期は時計塔を有した建物で人気を博した。
 その吉沼商店の営業便覧から、その時代が見えて来るようだが、西洋文明に憧れた日本が其処にはあり、今の我々とは少し違った舶来志向がある。
 この営業便覧、明治34年のもの、当時のカタログは少なく、中々程度の良いものは残っていないので、史料価値としては高いものである。

 吉沼商店はこの時期既に西洋時計製造から離れつつあり、時計商と言うよりも貿易商と言った方が良いかも知れないが、呼び名は兎も角、その中身を見ると面白い事に。
 今の我々の感覚であれば西洋時計と言えばボンボン時計と思ってしまうが、カタログの最初に出て来るのは懐中時計、それも金時計が1番最初に出てくる。
 これは当時掛時計よりも懐中時計の方が人気があった事を伺わせているもので、如何に当時の人が懐中時計に憧れていたかが分かるものだ。
 店の内を見ると掛時計で一杯の様子だが、これはデスプレイ用か、それとも客引きの為の時計か、色々な掛時計が掛けてある様子が見える。

 吉沼商店自身の製造した時計も当然あるわけで、それが中心であると思っていたが、意外や意外、それよりも懐中時計が中心のカタログ。
 そして懐中時計だけでなく西洋物のカタログが満載、メガメであったり望遠鏡であったり、幻灯機であったりと、種類の多さに驚くのだ。
 まさに貿易商と言ってよいもの、カタログがそれを物語っており、中には英語で説明文がかかれた場所もあり、日本にだけでなく輸出もしていたようである。
 当時のカタログに英語が書かれているのも、如何にも明治と思わせるものでもあるが、実際はどうであったのか、その他にも美術品のページもあり、今の百貨店。
 当時の日本人が憧れていて物が、このカタログで全部揃うのではなかろうかと思わせ、吉沼又右エ門が手広く商売をしていた証しだと思う。
 カタログ1つで明治当時の時代が見えて来るのも、非常に面白いこと、思っていた以上に明治時代は西洋化が進んでいたようだ。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話