2018年10月31日

はじめての驚き

      まだ駆け出しの頃
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 時計を集めだして日が浅い頃、一台の時計と出くわす事に、ある骨董屋に入った途端、目の前に小さな掛時計が目に入った。
 はじめての店であったので何があるのか分からず、興味本位で店に入ったが、この時計と出くわして釘付けとなってしまった。
 今までに見たことも無い時計、しかも小さい、いっぺんで気に入り手に入れようと思ったが、値段を聞いてビックリ、買う気が飛んでしまった。
 今までに買った時計は精々1万円まで、其れが5万円だと言われビックリ、何でそんなに高いのかと思ったが、はじめての店だから自重。
 店の主人曰く「この時計は非常に珍しい時計で数が少ない」と、しかも外国製のもので珍品だと言う、確かに見たところ小さいが機械がすごく良いものだ。
 ラベルには製造元が書いていないが、マークが矢がペケ印になってSANY7399.JPGいるもの、そんなマークはその時は知らなかったので、再度店の主人に聞いてみた。
 すると「ドイツ製の時計だ」と言う、外国製の時計はヤッパリ高いのだと、その時思ったものだが、其れ以来この時計を見かけなかったが、ある時偶然出くわす事に。

 その頃よく行った骨董屋での事、店に入ると先客がいて、何やら物を売りに来ていた様、狭い店なので直ぐに会話が分かり、聞くともなしに聞いてしまった。
 色々なものを持ってきており、親父さんが亡くなり遺品を整理する為に持って来たとの事、その中に時計がチラリと見えた。
 店主と値段の交渉が済み、時計も全部置いてゆき、その人は帰っていったので、直ぐに店主に「その時計欲しいのだが幾ら」と聞いてみた。
 店主「買い取った値段も聞いていたのだから、仕方が無い1万5千円でどう」と言う、そのまま買ってはと思い「1万2千円にして」と言ったみたSANY7385.JPG
 店主「仕方が無いねそれで良いよ」と、かいらくしてくれ、あの時計が手元に入ったので、今一度店主に聞いてみた「この時計はハンブルグ、アメリカン」の時計と教えてくれた。
 確かに小さいが、これよりも日本製の時計でもっと小さな時計がある、しかし中々手に入らないけど、この時計も珍しいのだとも付け加えた。
 はじめて見た時の驚き、そして今手に入れた時の感激、あの頃が1番充実していたような気がするが、今はそんな感動を覚えないのだ、自分が年を取った証拠かもしれない。
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蜂屋柿

      青空にぽつりと1つ残し柿。

SANY8185.JPG そろそろ寒い冬が訪れ、この時期の楽しみが干し柿であるが、日本全国で干し柿が生産されて地方の特産品となり、我々干し柿好きの元に届くのである。
 この干し柿、渋柿で作っている事も知らない若者が増えているようで、どんな柿でも天日に干せばあの様な干し柿が出来上がると思っている人が多いと聞く。
 なるほど話を聞けば分からない事も無いではないが、現代はパソコン1つあれば世界の情報が手に入る時代で、製造方法を知らなくても自分の生活には支障をきたすことは無い。
 況して干し柿が渋柿であろうが、甘柿であろうが関係なく、干し柿が欲しければ産地から通販で取り寄せれば良く、自分で買いに行かなくても構わない世の中。
 しかし、干し柿が柿木で出来ると、信じている人が居るとはとても信じ難いが、其れも現実で情けないと思うのは私だけであろうか、其れもどうでも良い事か。
 この干し柿、古くから生産されていたようで、古墳時代に遡るらしいが、古代の人の知恵は大した物であると感心するし、どうして発見したのであろうかとも、興味の沸くところである。

 SANY0667.JPGさて蜂屋柿とは、岐阜県美濃地方の特産物、其の歴史は古く奈良時代に遡り、記録によれば朝廷に美濃の国蜂屋村から干し柿が献上されたとの記録が残っている。
 この蜂屋柿、大きな柿で大きいものは18センチ近くの大きさになり、蜂屋村の特産物として当時の権力者に代々献上され、「堂上蜂屋柿」との名がつけられた。
 「堂上」とは、朝廷に献上するとき宮中に参内出き、昇殿を許される位を与えられた柿のこと、つまり一般の干し柿と格が違い、古くから朝廷より、諸役免除を与えられ、特別に栽培された柿である。
 その後権力者が代々保護し、「織田信長」は尾張直轄の保護をし、信長に献上するため「御柿庄屋」なる者を置き、代々蜂屋柿を保護すると供に厳しく取り締まった。
 その後、「豊臣秀吉」、「徳川家康」、そして代々「徳川将軍家」に献上され、明治に至り一般にも手に入るようになり、その後1904年セントルイス万博で金賞を受賞。
 数々の栄光の中大事に守られてきた蜂屋柿、長い伝統と格式を持った全国でも稀に見る干し柿として、代々作りつつけられてきた干し柿の中の干し柿である。
 写真左が蜂谷柿で右が富士柿、富士柿の大きなものと比べてみたが、やっぱり蜂谷柿の大きさが際立っていることが実感出来き、如何に蜂谷柿が大きいかが分るもの。








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2018年10月30日

何で違うの

      酔いが回ると

SANY4424.JPG 呑んべい仲間はくどい、私の飲み友達は理屈が多く、一旦酒が入ると普段無口なやつが急に口が軽くなり、酒が回るごとに口の回転も速くなる。
 普段いたって無口な男が酒が入ると毒舌に、何時も無口なやつがこうなるとブレーキが利かなくなり、何時も誰が止めるか頭痛の種だ。
 普段おとなしいせいもあって、一旦酔いが回ると、喋るは、喋るは、何でこおなるのか分からないが、兎に角喋り捲るのだが、その話がまた長い。
 誰も彼の話を聞いていないが、彼は1人で喋りまくるので、友人たちは何時もの事と見て知らんふり、今日もまた彼の毒舌が始まりだした。
 はじめは何を喋っているのか分からなかったが、どうやら自分が手にしているグラスの事、このグラスが気に入らないらしく、何やら捲くり立てている。
 「何でこのグラスとお前が持っているグラスと違うのか」と言うことらしい、他の友人「何の事だ」と何時ものように囃し立てるので、調子に乗ってきたらしく「このグラスが気に入らない」と、訳の分からないことを言い出した。SANY4425.JPGSANY4428.JPG

 仕方なく、「何の事だ、このグラスがどうかしたのか」と聞けば、彼いわく「お前のグラスより俺のグラスの方が小さい」と、他の皆が意味が分からず、何処が違うのかと聞く。
 自分のグラスが小さくて、他の者は大きなグラスをもっていると言うのだが、彼の持っているグラスはバカラ製のグラス、他の人は日本製のグラス、気を利かせてバカラのグラスにしたのが間違い。
 この呑んべい、グラスの大きさが問題で、自分のが小さく、他が大きいからとのイチャモンを付けている由、大きければ多く呑めるとの、浅はかな考えだ。
 気を利かせて良いグラスにしたのに、逆に気に触っては世話は無い、何のグラスでも良かったし、大きなものが良かったのだろうが、この人は未だに子供から抜け出していない様だ。
 他の皆も「ガキみたいなことを言う男だなあ」と、全員が呆れ顔、しかし当の本人は極真面目に、グラスの大きさの違いを力説したいたらしい。
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2018年10月29日

こけしの産地

      今人気のこけし

 SANY5422.JPGSANY5452.JPGこけしの産地は現在全国に散らばっているが、幕末の時代にはそんなに多くの産地があった訳ではなく、限られた土地で作られていた。
 特に東北では盛んに各地で作られ、湯治場で販売されていたようだが、その中心は遠刈田と言われており、此処から東北全土に広がったようだ。
 特に明治期に入り、こけしの製造は盛んになり、木地師たちの冬場の副業として確立され、こけしを作る職人も増えて行った。
 湯治場の土産として販売、湯治客に人気を博し瞬く間に広まり、全国に東北のこけしが広まり、現在に至っているもの。
  SANY5468.JPGSANY5459.JPGさて、こけし愛好家は全国に沢山居て、一目でその産地が分かると言われるが、私みたいな者はとてもそんな事は出来ないが、愛好家なら出来るのか。

 写真はこけしの胴体部分のみを撮影して、どのこけしが、何処の産地か果たして分かるものなのか、そして究極の作家まで分かるのか。
 あくまでも代表的な作品についてのみ、産地には色々なこけしが存在している事は承知しており、私なりにこけしを無造作に載せたにすぎず、試してみてください。
 このこけしには作者名が入っているので、産地の特定は私にも分かり、産地別に面白そうな物を抜粋、私の友人でよく登場する人物いわく「そんなの分かる分けない、俺がプロでも分からない」とまあ彼が言うが、この人の言う事はあてにならない。SANY5479.JPG
SANY5439.JPG 写真の撮り方も、問題なのかもしれませんが、一つ試してみて、其れが分かればこけしの愛好家の称号が得られるかもしれません。
 数が多くないので、写真のこけしのみで判断して下されば宜しいかと思いますが、こんな簡単なものを出すなと言われるかもしれません。
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2018年10月28日

ネーム入り

      掛時計の鍵
SANY8190.JPG 鍵巻き時計は鍵が必要、鍵が無ければゼンマイを巻くことが出来ないのだが、当然の事を言うなとお叱りを受けるようだが、意味が少し違う。
 鍵が無ければ当然時計は動かないもの、その鍵が今回のテーマー、明治時代に日本に入ってきた時計、この時計に付いてきた鍵、是が主題である。
 アメリカ製の時計には時計製造会社の名前が鍵に刻印されているもので、製造会社の宣伝にも一役買っているが、これがまたステータスのシンボルともなった。
 メーカーの名前が入った鍵は明らかに外国製の鍵、この事がステータスになると言うから面白いもの、明治時代はこんな事でもステータスになるのか。
 舶来信仰が出来上がった日本では、時計の鍵1つにも舶来信仰が生きているのだ、メーカー銘が刻印された鍵、有り難味が伝わって来るのだと言う。
 アメリカ製の時計の鍵、自社の名前が鍵に刻印されているものが多く、イングラハム社、アンソニア社、ニューへブン社、ウォーターベリー社、そしてウェルチ社と社の刻印が押されている。SANY8199.JPG

 この鍵は時計に付いているオリジナルの鍵、その為に時計を買わないと鍵が手に入らなかった明治、ヤッパリ鍵ひとつでも憧れであったようだ。
 この時計の鍵、良く失われており、オリジナルの鍵が付いている時計が少なくなったしまった現在、この刻印がある時計の鍵を探す人も多い。
 せっかく手に入れた時計にオリジナルの鍵がないとは寂しいもの、探せば出てくるので探す人が多く、又其れ目当てに商売している人もある。
 日本の時計製造社は何故か鍵までモデルとしなかったもので、精工舎、林時計、大阪時計、など大手の時計製造社も鍵は共通のものを使用していた。
 無印の製造社の刻印の無い鍵、何故そうなったものなのか不明だが、鍵まで拘らなかったものなのか、それとも鍵が簡単に手に入ったからなのか。
 それにしても単なる鍵1つ、されど鍵1つ、人々がその鍵1つを探して集めるとは、舶来信仰は今もって衰えてはい無いものなのだ。
 写真はアメリカ製の製造所が刻印されたものと、日本製のマークが打たれたものを比較してみたのだが、日本製は文字ではなくマークがあるもの。
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2018年10月26日

円空のなぞ

      なた一本で
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 円空、行脚僧として全国を歩き回り、12万体もの仏像を彫り上げた僧、一宗派にとどまらず宗派を超えて仏像を彫り上げた。
 1632年寛永9年、美濃の国羽島で生まれる、その後あちこちの寺を回り、点々とするが、30才の時母が没する。
 其れを機会に仏像を彫り出す事に、はじめの円空仏は柔らかな彫り方で、従来の仏像と大差の無いものであったが、40才を越えた頃より作風が変わる。
 寛文6年1663年、弘前城下を追われ、蝦夷地松前に上陸、北海道各地を点々とするが、その地も追われることとなり、寛文9年地元美濃に帰ってくる。
 円空は生涯13万体もの仏像を彫る事を目標に持ち、はじめの頃の作風から、なた一本で彫る作風に変えたようだが、実際は鉈一本で彫り出した訳ではない。

SANY6753.JPG多くの仏像を彫りだす為に簡略的な仏像へと変化してゆく、そして3、5メートルもの大物から、木っ端仏と言われる小さなものにも挑戦。
 円空は求められれば誰かれなく仏像を彫り、分け与えたといわれ、個人所有の仏像となり、現在も家庭で奉られている物も多くある。
 円空仏、初期のものは優しい姿をした物であり、仏像本来の姿をしているが、次第に鉈彫りと言われる円空独自の仏像へと変化して行く。
 写真は、40代、50代の作品、円空独特の顔お持つ神像、鉈彫りと言われる彫りながら、荒々しさの中に優しさが溢れたもの。
 この頃の仏像が1番エネルギーが満ち溢れたものとなっており、地元に伝わる物が多い、その中でも愛知県内には3000体以上と1番残っていると言う。
 写真の円空仏、地元美濃に現存しているもの、「青面金剛神像」と言う、2つとも良く似ているが、同じところの所有物ではなく、別々のお寺にあるものである。
 はじめは全く同じものかと思ったが、良く見ると細部にわたって違う、当然同じ人物が彫った物であり、よく似て当たり前だが、多くの仏像を一気に彫った事が分かる物でもある。
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2018年10月25日

鳩時計のふいご

      新旧の違い

SANY7877.JPG 鳩時計やフクロウ時計についているふいご、鳩や梟の鳴き声を出す物、鳩時計はあの鳴き声がするから面白くて可愛らしい物だ。
 もしあの鳴き声がしなかったら鳩時計も余り人気が無かったと思われるが、そして梟時計は尚更の事と思う、両方とも鳴き声がするから人気がある。
 鳩時計も梟時計もカラクリ時計の仲間、カラクリ時計の中でも1番単純な機構、カラクリ時計は複雑な機構であればあるだけ、人気が高くて高価な時計となる。
 カラクリ時計とはそのカラクリと呼ばれる機構にあり、普通の時計と違ったものが付いている時計、普通の時計に複雑な機構を備えている。
 しかし、梟時計や鳩時計はふいごと称せられる部品が音を出す仕組みの時計、その仕組みは簡単なもので、上下運動で音を出すものだ。
 歯車の回転を上下運動に変換して、ふいごを上下させる事により音が出る仕組みで、そんなに難しい仕組みでなく、筒状のふいごと上下運動用の部品さえ付ければ、音の出る鳩時計や梟時計となる。SANY7882.JPG

 このふいご、筒状の物の上部にふいごと呼ばれる空気を吸い込んだり、吐いたりするもの、この運動で音を出すのだが、ふいごは時計の両サイドについている。
 つまり、上下運動をし音を出すのだが、2本のふいごが付いており、低音と高音の種類の違ったふいごがあり、交互に音を出す事により鳴き声のように聞こえる。
 国産の鳩時計とドイツ物の郭公時計とではふいごも違い、ドイツものは形も大きく、日本のものは其れよりも小型のものが付いている。
  そのふいご、時代の古いものは音を出す部分の笛は木で出来ており、本体の長さと笛部分の角度で高音と低音の音を出すも様になっている。
 新しいものは笛の部分はプラスチックになり、音も違った音を出す、古いものは太い音を出し、新しいものは高い音を出す、どちらが好みかは知らないが、時代によって鳩や梟の鳴き声も違うのだ。

 
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2018年10月24日

久し振りの訪問

      大萱に行く
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 岐阜県可児市久々利にある荒川豊蔵記念館、ここは昭和5年に荒川豊蔵氏が桃山時代の筍茶碗の陶片を発見した場所近く。
 大萱の地は市内から離れた山の中、桃山時代にこの地で陶器が焼かれていたところ、今でも民家は点在しているものの、山の中には違いない所。
 此処に昭和8年窯を築き、この場所に隋縁と記した石碑を建て、筍茶碗の再現に作陶を開始、以来亡くなるまでこの地で作陶する。
 道路脇の駐車場に車を止め、細い参道めいた小道を奥へと進むと、目の前に牟田洞古窯跡の碑が目に入ってくるが、此処が豊蔵記念館の入り口。
 正面の奥のほうが荒川豊蔵が作陶に専念した場所、その横をなだらかな階段を上がり、右に折れると左手に資料館が目に入る。
 外観は蔵作りの洒落た建物、そしていやに混んでいると思っていた。
 混んでいるとは思っていたが、混んでいたものだが見ないわけには、中にはやっぱり大勢の人で一杯だ。

 こんなに大勢の人が居るのを見るのも初めての事、何時はあえて皆が行かない時を狙って行っていたもの、今日はまったく違う。あらかわと.jpg
 展示品は豊蔵氏の古い時代のものが殆ど、つまり人間国宝になる前の作品、その中でも1番私の目を釘付けにしたのは瀬戸黒の茶碗。
 この茶碗、窯の中で亀裂が出来てしまったが、小山富士夫氏か願望して手に入れたもの、長い間所有していたが、荒川豊蔵氏のもとに帰ってきたもの。
 銘「花ノ木」と付けられたもの、ドッシリトした風格と瀬戸黒特有の色、武士が好んだと言われる茶碗の形、この茶碗が1番良かった。
 この日偶然に訪れたものだが、来て良かったと思えるほどの感動を得た、やっぱり偶然の出会いこそが縁、是を実感した一日でもあった。
 この記念館はオープン当初、荒川豊蔵氏に会った最後となったもの、今でも突然に豊蔵氏が姿を見せるような、そんな気がしてならない。
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2018年10月23日

和室にも合う

      西洋のランプシェード

 SANY8113.JPG日本の家屋に合うランプシェード探している方、最近は非常に多く、私への質問も多くなってきているが、大抵は和室に合う物は無いのかとの質問。
 時計展にてのトークショーでは、時計だけの質問だけでなく、西洋物全般に質問が及び、時にはまったく時計とは関係のない質問も数多く、此方が焦る事もある。
 何でも、かんでも、質問して相手を困らせようとする人もいるが、殆どが西洋ものなら同じと考えているようで、何時もの事ながら、やっぱり聞かれて焦る事も。
 時計の事なら何でも知っていると思っている人、古いものなら何でも質問してやれと思う人、難しい質問をして困らせようとしている人など様々。
 兎に角公演をやると、質問者は私が何でも知っていると錯覚しており、専門外の事も平気で質問する人が多く、質問されれば知らない事は知らないと答えるが、少しくらい分かることは答える事にしている。
 SANY8116.JPG方々の店を回るうちに自然に覚える事も多い事は確かで、専門的な事も屡教えて貰う事もあり、幅は広くなってゆく。

 それが間違いの元かもしれないが、性分だから仕方が無い、出来るだけ答えようと努力するしかないので、やっぱり後でシマッタと思う事もしばしばである。
 それはさて置き、和室に合うランプシェード、元々ランプが入ってきた明治には、日本の和室の合う物があったはずもないが、その当時はハイカラだと言ってこぞって買い込んだ。
 それが又日本の和室にもあってしまったから不思議、ハイカラの文明開化のもとに、続々と海外から西洋ランプが流入、その後直ぐに日本で製造が始まり、和室にも合うランプが出てくる事になる。
 その反面、西洋物も意外と和室に合う物もあり、色の派手な物は兎も角、落着いた色の物であれば、和室にも合う物があり、之は好みだから、何ともいえないがほとんどは合うはず。
 試しに気に入ったものを探して、自分の部屋に付けて見たら、今までと全く違った雰囲気になる事だけは保証します。
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2018年10月22日

エジソンの蠟管

      円筒形レコード

 SANY4740.JPGエジソンと言えば蓄音機、色々な物を発明したエジソン、世界で初めて人間の声を再生に成功した人、試行錯誤の結果人の声を録音する事に成功。
 このエジソンの再生機、之が後に蓄音機となるもの、はじめは円筒形の筒を回転させ、ラッパを通し大きな声で叫ぶように録音。
 之が蠟管の始まり、声を出すとラッパを通して振動が針に伝わり、針がぶれる事により溝を刻む、この溝が声の再生であるのだ。
 音の大小は波動となり、波のように針を振動させるので、軟らかい蠟管の表面に溝が出来上がることに、連続してこの作業を続けると録音声となる。
 この刻まれた溝を、今度は先の丸い針で溝をなぞって行くと声となる仕掛、当時の録音風景は、今と違ってマイクがないから、大変な作業であった。
 小さな声では上手く針を振動させれないから、やはり大きな声を出す必要に、声を録音する事は大変な作業であったようだ。

 この蠟管レコード、見たように円筒形の形をしており、大量生産はできないもの、蠟管の内部を見るとワッパの様な突起が沢山ある。SANY4741.JPGSANY4738.JPG
 之は変形防止と破損強化の補強、このような状態にしないと変形するからだが、その為に結局一本づつ製造するしかないのだ。
 エジソンの蠟管は経費がかかる上に高価になり、結果的にはエジソンの蓄音機から消費者が離れる事の原因に、後発の蓄音機に市場を奪われたのは、ディスクレコードが大量製造されたからだ。
 ディスクレコードは大量生産出来る事から安価、そして何よりも蠟管よりも強度があり、その上蠟管よりも耐久性があった事である。
 発明王エジソンの蓄音機も、大量生産のディスクレコードには勝てなかったようで、その後市場から消え去って行く運命になってしまったのだ。
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2018年10月20日

何かを求めて

      拾物は何

 古時計愛好家にとって、古時計を見つけにあちこちを回るのは楽しいもの、何処の店に何が有るのか分からないから、足で稼ぐのも愛好家の常。SANY4201.JPG
 余分なお金をかけなくて、自分の足で探し回るのも愛好家、金に任せて買いあさるのは愚のこっちょう、そんなのは蒐集とは違うもの。
 自分の足でコツコツと探して、見つけ出すのが1人前の愛好家、ヤッパリ足で稼がない事には、楽しみが湧かないものだと信じている。
 とまあ、言いたいところだが、何せお金がないから人任せでは手に入らないもの、だからやせ我慢をして歩き回るのだが、そんなに簡単に見つけることは出来ないもの。
 逆に言えば、簡単に見つけられれば、楽しみは半減するかもしれないのだが、歩き回った末に何も見通からない事の方が多いが、それは其れで面白いものだ。

 古いものは、そんなに多くないはずだから、其れを求めてさ迷い歩くのも、決して悪く無いもの、苦労して見つけ出したものに愛着も湧く。
 SANY3513.JPG自分の知らない、アンティークショップに入る時など、何が有るのかワクワクするものだが、店に一歩は入った瞬間が1番ピークに達する興奮度。
 何か良いものがあるのではないか、もしあったらどうしよう、今日は金がないのに、あったら困る事にと、要らない心配もするものだ。
 しかして、大抵の場合は空振りが殆ど、そんなに世の中甘く無いもの、もし良いものが簡単に見つかる事はなく、期待しただけで成果なし。
 それでも何かあるのではと、そんな気分になるからショップ巡りが面白く、今日もあてのないものを求めて、知らない店を歩き回る。
 犬も歩けば何とやら、それが古時計愛好家の辛い道、金は無くとも志は高く、良いものを求めて歩き回る日々、さてさて何時まで続くことやら。
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2018年10月18日

彩色水滴

      色がカラフル

SANY2803.JPG 明治時代に瀬戸で作られた水滴、色々な形が作られたが、一般的な形はやっぱり四角形、大きさの大小はあるが四角形が1番多く製造されたようである。
 残っている物を見れば再販がその形、しかし同じ四角でも色々な色付けがされ、見た目には種類も豊富、山水画的なものから、動物を描いたもの、乗り物を描いた物もあり、多様に製造された。
 その中にも流行が存在しており、時々の流行によって水滴が製造されたようで、之も色々なものが存在しているから、集めている人にとっては、楽しいものとなる。
 例えば、文明開化の最先端を行く乗り物、汽車、電車等の物が流行りだすと、待っていたかのように水滴もそれらを取り入れ、汽車や電車をかたどった水滴が出回る事になる。

 四角い水滴の形をした物から、汽車の形をした物、流行は直ぐに反映され、人々に受け入れられて行った様であるが、其れを製造する側は実物を見なくて想像で製造したものもある。
 地方の製造会社は実物の汽車を見ずして、錦絵等で知識を得、其れを基にして汽車の水滴を作ってしまう、その為に細部にわたって汽車らしからぬ物まで登場する事になる。
SANY1993.JPGSANY1994.JPG そんな中、時計も流行の先端を行っていた1つ、汽車同様に本物を見ずして製造した水滴も多く、文字盤など間違っている箇所があるが、これも庶民には簡単に受け入れられた。
 少々の間違えなど気にしなくて、雰囲気さえ伝わればよしとする、おおらかさが庶民にはあったようで、間違っていようが気に止めなかったもの、今の時代であれば大騒ぎになる所だが。
 明治のよき時代の人々は、やっぱり小さな事にはくよくよしない、懐の深さがあったようで、現代人も少しはこの様な人々の真似が出来れば、トラブルももっと減るはずだが。
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2018年10月17日

ドアーノブ

      開け閉めには必要

 SANY1313.JPGどんな物にも必要とされる時があるもの、普段は何気なく気にも留めないが、もし其れが無かったらどうにもならない事も、その時にやっと気ずく物もある。
 人間にとっては水や空気みたいな物で、常に其処にあり、その実在に気にも留めないが、イザ水がなくなれば大変な騒ぎになり、大騒ぎになる。
 しかし普段は水の有り難味を実感していないのもまた事実、世の中にはこの様に自分の身近に常にあり、それ故にありがたみが実感できない事もある。
 まあー、大げさに書き出したが無くてはならない物は身近に幾らでも存在しており、今回のテーマ、ドアノブもその1つ、身近にあって有り難味がないものの1つでもあるもの。
 しかし、一旦ドアーノブが壊れれば、当然のこと開け閉めには直ぐに困り、ましてや今みたいに寒い時などでは、閉まらないドアーほど困るときは無い、その時気が付くものの1つである。

 トイレのドアー等もその際たる物、私も以前にトイレのドアーが故障しているトイレに入り、閉まらないドアーを片手で持って用をたした覚えがある。
SANY1309.JPGSANY1311.JPG そんな時にドアーノブがキチンと閉まる有り難味を痛感したもの、そんなドアーノブも何でも良いと思う人、其れとは逆にドアーノブに拘る人など様々だ。
 写真のドアーノブ、少し前の時代に盛んに使われていたもの、外国映画の1シーインに出てくるドアーに付いていたガラスの取っ手、一時代を風靡した物。
 日本でも洋館に明治、大正と使われていたが、現在は殆ど見かけなくなったもの、別に高価な物ではないがとっての部分をガラスに変わるだけで雰囲気が変わってしまう。
 ドアーノブひとつで部屋の雰囲気も変わるのも、又ドアーノブの存在理由で有るのか、普段見過ごしている物にもそれなりの主張がされている事に気が付くもの。
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2018年10月16日

ランプ5

      留 め 金
SANY2121.JPG
 アンティークなランプ、軟らかい光とその美しい姿で、今に無い雰囲気を持つたもの、ランプの愛好家は多く、今エコの時代であるが、それでもランプの愛好家は増えている。
 蛍光灯には無い、あの柔らかな光とほのぼのとした明るさ、之がランプの良さ、愛好家が引かれる元となるもの、今の時代は明るすぎるが、其れに慣れてしまったようだ。
 西洋の間接照明に対して、日本は直接照明に近い状態、明るさだけを追い求めて来たかのように明るいが、現在囁かれているエコ、少しは考えが変わったみたいだ。
 アンティークなランプはそんなに明るくない物が多く、以前は白熱灯を使用していたが、現在は其れらしき蛍光灯が発売されており、電気の消費量も白熱灯よりは少ないものとなる。
 時代とは良いもので、必要な物を生み出してくるもの、白熱灯らしい蛍光灯もその1つ、光の色が白色ではなくて太陽に近い色、そんな蛍光灯を生み出した。

 SANY2124.JPGランプシェードを利用するには、其れを支える金具が必要となるが、現在は中々手に入らないもので、ホームセンターでは販売していない。
 写真の金具は、西洋物と日本使用物との2つ、左の物が西洋物で右の物が日本の物、ドチラも新品ではなく中古品、現在でも探せば手に入る事もあるが、電気の事だから古いのは慎重に扱わないと。
 西洋のランプシェードは取り付け穴が小さくて、日本のものは穴が大きく、取り付けする使用が違う、右の使用も西洋物がつくものもあるが、穴の大きさが少し違う。
 何にしても、生活の中に潤いも必要で、やたらと明るいのもは疲れるが、優しい光に心が和むのは何故であろうか、やっぱり明るすぎるのも考えものだ。
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2018年10月15日

見掛なくなった

      姿 を 消 し た

 SANY7777.JPG最近終ぞ見かけなくなった時計があるが、今は何処に姿を消してしまったのか、「雑で野暮ったくて其れでいて実にユニーク」な時計、私は遊び心があって面白いと思っていた。
 つい5、6年前まではあちらこちらで見掛たが、急に姿を消してしまって、今は探すのに苦労する始末、値段が安くて遊び心満載な時計として、しかも機械式であった事から、今時機械式とは行く行くは姿を消すなと思って買い込んだ。
 日本製と違って作りは勿論雑、しかも現存している時計ではなく、すべてオリジナルの中国製、もとは日本人が人件費の安い中国で、日本製の時計を作らせたのが始まり。
 本物に似せて作られたため、日本で販売され多くの人が騙させた物でもあるが、その後誰も見向きもしなくなってから、遊びのある時計が姿を現し、値段も安く売り出した。

 SANY7788.JPGその時は、もっと色々な面白いものが出てきたら買うつもりであったが、あっという間に姿が見えなくなって買いそびれ、あの時買っておけば良かったと後悔。
 今の日本では絶対に作れない物、技術的ではなく値段で、同じものを作るとしたら結局値段が高くなり、採算は取れない上に誰も買ってくれないのだから。
 3、4千円で買えたから手が出るが、之が1万円もしたら誰も手を出さなくて、絶対に売れない時計、安くて面白く、機械式の三拍子であったからツイツイ手が出る。
 写真を見ても、こんな時計は実在しない物、魚も熱帯魚らしくて色も派手、日本人の感覚では製造しないもの、そんな時計だからよく、之がキッチリと製造されていたら面白くない物になっていた。
 見た目に野暮ったくて、明らかに雑、其れでいて何処と無くユーモラス、こんな時計だから逆に購入したくなる、そんなムードを持った時計だ。
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2018年10月14日

親父の形見5

      受 け 継 ぐ
SANY2085.JPG
 父親から受け継ぐ物は非常に多く、1番多く受け継いだのは陶器類、そして掛け軸、切手などあり、兄弟で受け継いだ物も多いが、その中に誰も引き継がない物もあった。
 それは洋服、之ばかりは時代が違ったのと、やっぱり体格が違うから着るに着れない、しかし装飾品はまた別、私の親父は色々なものに凝っていた。
 兎に角収集癖があり、集め出したら止まらない性格、これを私もチャツリカ受け継いでいるから何とも言えないが、それにしても良く集めたものである。
 兄も私も好き嫌いがあり、残された物を受け継ぐ時にはさほど苦労しなくて、兄弟お互いに好きな物を取り合ったが、重複する事は稀で、殆どがバラバラに受け継いだ。
 前回も紹介したが写真のカフスもそのうちの1つ、兄弟誰一人として欲しいとは言わなかったので、私が全部引きついたが、使えるものと使えないものとがあり、時代にあわないものは処分した。

 写真の左のカフスは、涼しげで見SANY2091.JPGた目にも良いと思うのだが、娘は時代劇に出てくるような物と言う、このシンプルなカフス、水晶で出来ておりパワーストン。
 古めかしいとは思わなく、親父が気に入っていた1つ、このカフスをよくしていたのを覚えているが、其れも遠い日の思い出、しかしカフスは現在も手元にあり、これからも私が使う。
 もう1つは銀製のアンティークなカフス、多分イギリス物であろうが、向うのアンティークショップで何度か見かけている物、黒のオニキスがさり気なく引き立てている。
 以前に紹介した、鼈甲のカフスよりは、此方の物は常に使えるもの、鼈甲はどの様なときに使う物なのか、私は知らないから飾り棚に鎮座するしかない。
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2018年10月12日

玩具時計の指針

    文字盤の大きさに

SANY2494.JPG
 人気の玩具時計、色々な物が存在しているが、主に昭和のものが人気、昔何処の家にも一つはあった玩具時計である。
 機械式の簡単なものであるが故に、数多くのものが造られ、そして忘れ去られてしまったものだが、そんな時計が人気だ。
 なつかしさと面白さ、そして機械式の優美さ、クオーツにはない曖昧の時間と機構、それが何とも言えない面白さ。
 だからこそ今また人気、勿論機械式でも複雑な時計も存在しているが、ここで上げている時計は簡単なものだ。
 それも木製の時計が主体、プラスチックの時計は余り人気が無く、ヤッパリぬくもり感のある木製の時計だ。
 昭和30年代や40年代に造られたもの、その時代に製造された玩具時計、主にキャラクターものの時計が主流である。
 この時代時計製造会社も多くあり、小さなメーカーのものが沢山出ているが、ミケンの時計が一番多いのか。
 戦後まもなく玩具時計を製造、海外に輸出して人気を博して軌道に乗り、国内向けにも数多くの玩具時計を輩出した。
 特に鳩時計はミケンが先駆けみたいになっているが、実際は数々の会社も製造していたが、やはりミケンが人気であったのか。
 鳩時計と言えばミケンと古時計愛好家からも支持を受けているが、他の会社の鳩時計も人気であり、今も支持されているのだ。
 やはりクオーツものや電池式のものは人気が無く、あくまでも機械式の時計が支持されているので、それを求めているのだ。
 それは鳩時計に限った事ではなく、むしろ他の種類の時計が求められているが、中々探すのに手間取っているのだ。SANY3757.JPG
 一時期、これらの機械時計はクオーツの時計に押されてしまい、市場から消えてしまった物であり、再度見直された時には数は激変していた。
 機械式の時計は廃棄処分されてしまい、家庭から姿を消してしまったので、現存している時計は当然少なくなっている。
 今回の玩具時計の指針が話題、ミケンに限らず玩具時計の指針、時代の流れが見えて面白い結果となって居るのだ。
 場締めの頃の指針はブリキ製の指針が付いており、その形も他社共に良く似たものが付いているが、時代が下がるにつれて色々な物が出て来る。
 私も玩具時計の指針については詳しくないから、この時計にはこの指針が付き、この時計にはこの指針であると言えないのだ。DSCN1331.JPG
 ただ何となく時代の流れの中、玩具時計を見て感覚的に分かるだけの事、詳しい人にかかれば太刀打ちできない。
 そんな玩具時計の指針を色々と聞かれて困っている事も確か、詳しくないからハッキリと之だと言えないのだ。
 写真は色々なメーカの玩具時計の指針、どれがどれだか分かる人は玩具時計通、良く見て判断してください。
 良く似たものが付いているが、文字盤にメーカーがあるものは分かり易いが、ないものは中々判断が難しいと思う。
 写真下の二つは良く似ているがメーカーが違うもので、同じものでは無い。
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2018年10月11日

縁は異なもの2

      縁は向うから

 あらかわと.jpg忘れない思い出は私がまだ若い頃、たまたま陶芸家人間国宝の荒川豊蔵氏に会うことが出来、非常に興味深いお話を聞かせて貰ったが、これも偶然のなせる事であった。
 確か昭和59年の11月頃だと思うが、豊蔵記念館が出来たと聞き大萱に出向いて、記念館を見学していた時、管理人さんとおぼしき人に声を掛けられた。
 「焼き物は好きですか」と、私が「隋縁」と名付けられた茶碗の前から動かなかったので声を掛けられたと思うが、確かにこの茶碗に興味が湧いていたのでじっくりと見ていた。
 館内は寒い日で私1人だけ、そんな状態の中、茶碗隋縁の前から動かなかったから不審に思われたのか、私が興味を持っていることが分かり、その人は展示してある扉を開け、「持ってみたら良いですよ」と言われビックリ。

 此方が恐る恐る手を出すと「さあーどうぞ」と私の手の中に茶碗隋縁が納まったのだ、こんな事あるのかと思い、そして本当に良いのかと思いつつ、何ともいえない気持ちで拝見した。
 すると、その人は親父が居るから話を聞けばと言われる、何が何だか分からずによろしくと答えロビーに行くと、豊蔵氏が座っておられた。
SANY3161.JPG これには再びビックリ、その後豊蔵氏から隋縁の経緯や「縁(えにし)」についてお話が聞け、最後に「縁とは向うからやってくるもの、此方が追っかけても逃げてしまうもの」と云われた言葉が胸に響いた。
 豊蔵氏が帰られた後、その管理人さんと再び展示室に行き、残りの物もじっくりと拝見して、管理人さんに「如何して見せて頂けたのか」と聞いた見た。
 すると、「普段は絶対に見せないものですが、あなたが熱心だったのでツイツイ」と云われ、そして、その人が豊蔵氏の息子さんの武夫氏と分かり、またまたビックリ。

 「縁(えにし)とは、豊蔵氏の言われる通り、向うからやって来るもの」と実感した事を忘れない。
 こんな事もあるんだと自分自身で信じられなかった出来事であるが、やっぱり「えにし」は向うからやって来るものだと痛感した。
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2018年10月10日

すずめのお宿2

      やっぱり帰って来た

あすす.jpg 最近すずめの姿がメッキリと減ったようだが、その原因はわたし達に問題があるらしく、自分たちでは気が付かないだけと言う、昔はすずめが多すぎて困った事もあった。
 しかし、現在は以前の3分の1にまで激減してしまったようで、その1つの要因が我々の家に問題があるらしく、現代住宅は機密性が優れており、隙間が無いらしい。
 昔の家屋は隙間が多くて、すずめは自由に巣を家に作れたが、今は隙間無く建てられており、すずめの巣を作る場所がないらしく、繁殖できないらしい。
 住宅事情が良くなっだいで、今度はすずめが住めない時代になったとは、考えても見なかったことだが、現実は急速にすずめが減少しているらしい。
 そしてもう1つの原因はカラス、今都会ではカラスの被害が多く、困っている住民も多いが、すずめもカラスが天敵らしく、体の小さなすずめはカラスに追いやられているらしい。

 いまやすずめの住宅事情は最悪、其れこそ何処をねぐらとするのか死活問題、あれだけ居たすずめが将来見られなくなる事もあるらしく、専門化が警鐘を鳴らしている。あす.jpg
 そんな都市のすずめたちが見つけたねぐら、車が頻繁に行き交う町のど真ん中、夕暮れともなると、何処からともなくすずめが寄って来て、電線に鈴なり状態になる。
 その数は数えた事がないから分からないが、少なくとも3、4千羽いると思われ、街路樹と公園の桜の木を住みかとして、あちらこちらからよってくる。
 こんな場所でしか住みかとしなければならなくなったすずめ、原因が我々にあるとしたら、複雑な思いになるが、此処でしか住みかがないのも、雀たちの現実だ。
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2018年10月09日

ペコちゃん3

    色々な姿が 

DSCN1289.JPG ペコちゃんと言えば黄色のTシャツにオーバオールのズボン、これが定番のスタイルとしか知らない人、しかしペコちゃんはこれだけではないのだ。
 一般的にはあの黄色のTシャツとズボン、不二家の店頭で客を待ち受けているが、このペコちゃん色々なスタイルに変身している。
 そもそもペコちゃんは6才の女の子、身長1メートル、体重15キロと決まっているのだが、実際に店頭にあるものは少し小さい。
 ペコちゃんが生まれたのはミルキー発売時に、そのキャラクターとして誕生し、1950年、昭和25年だと言う。
 面白い事に当初は紙の張り子で造られていたと言う事だが、これが店頭に置かれており、子供たちがさわったり、頭を叩いたりしていた。

 その為に紙であるが故に痛んでしまったと言い、その都度紙を張って修理していたらしく、次第に顔が変化して行ったと言う。DSCN1290.JPG
 当然の事で張り子である事から、顔が変化することになり、紙からプラスチックに変わって行ったと言う事だ。
 まさか紙の張り子であったとは知らなかったが、昭和25年と言えばまだまだ物資の乏しい頃、時代背景が見えて興味深い。
 張り子のペコちゃんが店頭にあったとは、今では信じられない事、そしてそれを修理して使っていたとは。
 このペコちゃん、男の子のぽこちゃんも存在しており、ぽこちゃんは1951年誕生したと言う事だ。
 1年遅れでペコちゃん、ほこちゃんか揃ったことになるが、この二人永遠に6歳のままである事。

 そして定番以外にも色々なスタイルが出されている事、時代の流れに応じて、色々のデザインの服を着ているらしい。
 DSCN1292.JPGあのミッチーブームの頃はテニススタイルであった由、また南極観測隊と共に昭和基地に赴いたらしい。
 越冬隊員から頭をなぜられていたとは驚きでもあるが、一企業物のペコちゃんが南極まで着いて行ったとは面白い事。
 私の記憶では定番の姿とクリスマスのサンタクロースのスタイルしか記憶に無いが、其れだけではないようだ。
 今回紹介するペコちゃんは店頭用に置かれていたもの、夏姿のペコちゃんであり、昭和40年代のものか、それともそれ以前のものか。
 店頭用のペコちゃんの身長は台含めて97センチと言う事らしく、1メートルとうたわれている身長よりもすこし小さく、可愛らしいワンピース姿のペコちゃん、赤い靴を履いた姿が印象的。








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