2018年10月12日

玩具時計の指針

    文字盤の大きさに

SANY2494.JPG
 人気の玩具時計、色々な物が存在しているが、主に昭和のものが人気、昔何処の家にも一つはあった玩具時計である。
 機械式の簡単なものであるが故に、数多くのものが造られ、そして忘れ去られてしまったものだが、そんな時計が人気だ。
 なつかしさと面白さ、そして機械式の優美さ、クオーツにはない曖昧の時間と機構、それが何とも言えない面白さ。
 だからこそ今また人気、勿論機械式でも複雑な時計も存在しているが、ここで上げている時計は簡単なものだ。
 それも木製の時計が主体、プラスチックの時計は余り人気が無く、ヤッパリぬくもり感のある木製の時計だ。
 昭和30年代や40年代に造られたもの、その時代に製造された玩具時計、主にキャラクターものの時計が主流である。
 この時代時計製造会社も多くあり、小さなメーカーのものが沢山出ているが、ミケンの時計が一番多いのか。
 戦後まもなく玩具時計を製造、海外に輸出して人気を博して軌道に乗り、国内向けにも数多くの玩具時計を輩出した。
 特に鳩時計はミケンが先駆けみたいになっているが、実際は数々の会社も製造していたが、やはりミケンが人気であったのか。
 鳩時計と言えばミケンと古時計愛好家からも支持を受けているが、他の会社の鳩時計も人気であり、今も支持されているのだ。
 やはりクオーツものや電池式のものは人気が無く、あくまでも機械式の時計が支持されているので、それを求めているのだ。
 それは鳩時計に限った事ではなく、むしろ他の種類の時計が求められているが、中々探すのに手間取っているのだ。SANY3757.JPG
 一時期、これらの機械時計はクオーツの時計に押されてしまい、市場から消えてしまった物であり、再度見直された時には数は激変していた。
 機械式の時計は廃棄処分されてしまい、家庭から姿を消してしまったので、現存している時計は当然少なくなっている。
 今回の玩具時計の指針が話題、ミケンに限らず玩具時計の指針、時代の流れが見えて面白い結果となって居るのだ。
 場締めの頃の指針はブリキ製の指針が付いており、その形も他社共に良く似たものが付いているが、時代が下がるにつれて色々な物が出て来る。
 私も玩具時計の指針については詳しくないから、この時計にはこの指針が付き、この時計にはこの指針であると言えないのだ。DSCN1331.JPG
 ただ何となく時代の流れの中、玩具時計を見て感覚的に分かるだけの事、詳しい人にかかれば太刀打ちできない。
 そんな玩具時計の指針を色々と聞かれて困っている事も確か、詳しくないからハッキリと之だと言えないのだ。
 写真は色々なメーカの玩具時計の指針、どれがどれだか分かる人は玩具時計通、良く見て判断してください。
 良く似たものが付いているが、文字盤にメーカーがあるものは分かり易いが、ないものは中々判断が難しいと思う。
 写真下の二つは良く似ているがメーカーが違うもので、同じものでは無い。
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2018年10月11日

縁は異なもの2

      縁は向うから

 あらかわと.jpg忘れない思い出は私がまだ若い頃、たまたま陶芸家人間国宝の荒川豊蔵氏に会うことが出来、非常に興味深いお話を聞かせて貰ったが、これも偶然のなせる事であった。
 確か昭和59年の11月頃だと思うが、豊蔵記念館が出来たと聞き大萱に出向いて、記念館を見学していた時、管理人さんとおぼしき人に声を掛けられた。
 「焼き物は好きですか」と、私が「隋縁」と名付けられた茶碗の前から動かなかったので声を掛けられたと思うが、確かにこの茶碗に興味が湧いていたのでじっくりと見ていた。
 館内は寒い日で私1人だけ、そんな状態の中、茶碗隋縁の前から動かなかったから不審に思われたのか、私が興味を持っていることが分かり、その人は展示してある扉を開け、「持ってみたら良いですよ」と言われビックリ。

 此方が恐る恐る手を出すと「さあーどうぞ」と私の手の中に茶碗隋縁が納まったのだ、こんな事あるのかと思い、そして本当に良いのかと思いつつ、何ともいえない気持ちで拝見した。
 すると、その人は親父が居るから話を聞けばと言われる、何が何だか分からずによろしくと答えロビーに行くと、豊蔵氏が座っておられた。
SANY3161.JPG これには再びビックリ、その後豊蔵氏から隋縁の経緯や「縁(えにし)」についてお話が聞け、最後に「縁とは向うからやってくるもの、此方が追っかけても逃げてしまうもの」と云われた言葉が胸に響いた。
 豊蔵氏が帰られた後、その管理人さんと再び展示室に行き、残りの物もじっくりと拝見して、管理人さんに「如何して見せて頂けたのか」と聞いた見た。
 すると、「普段は絶対に見せないものですが、あなたが熱心だったのでツイツイ」と云われ、そして、その人が豊蔵氏の息子さんの武夫氏と分かり、またまたビックリ。

 「縁(えにし)とは、豊蔵氏の言われる通り、向うからやって来るもの」と実感した事を忘れない。
 こんな事もあるんだと自分自身で信じられなかった出来事であるが、やっぱり「えにし」は向うからやって来るものだと痛感した。
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2018年10月10日

すずめのお宿2

      やっぱり帰って来た

あすす.jpg 最近すずめの姿がメッキリと減ったようだが、その原因はわたし達に問題があるらしく、自分たちでは気が付かないだけと言う、昔はすずめが多すぎて困った事もあった。
 しかし、現在は以前の3分の1にまで激減してしまったようで、その1つの要因が我々の家に問題があるらしく、現代住宅は機密性が優れており、隙間が無いらしい。
 昔の家屋は隙間が多くて、すずめは自由に巣を家に作れたが、今は隙間無く建てられており、すずめの巣を作る場所がないらしく、繁殖できないらしい。
 住宅事情が良くなっだいで、今度はすずめが住めない時代になったとは、考えても見なかったことだが、現実は急速にすずめが減少しているらしい。
 そしてもう1つの原因はカラス、今都会ではカラスの被害が多く、困っている住民も多いが、すずめもカラスが天敵らしく、体の小さなすずめはカラスに追いやられているらしい。

 いまやすずめの住宅事情は最悪、其れこそ何処をねぐらとするのか死活問題、あれだけ居たすずめが将来見られなくなる事もあるらしく、専門化が警鐘を鳴らしている。あす.jpg
 そんな都市のすずめたちが見つけたねぐら、車が頻繁に行き交う町のど真ん中、夕暮れともなると、何処からともなくすずめが寄って来て、電線に鈴なり状態になる。
 その数は数えた事がないから分からないが、少なくとも3、4千羽いると思われ、街路樹と公園の桜の木を住みかとして、あちらこちらからよってくる。
 こんな場所でしか住みかとしなければならなくなったすずめ、原因が我々にあるとしたら、複雑な思いになるが、此処でしか住みかがないのも、雀たちの現実だ。
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2018年10月09日

ペコちゃん3

    色々な姿が 

DSCN1289.JPG ペコちゃんと言えば黄色のTシャツにオーバオールのズボン、これが定番のスタイルとしか知らない人、しかしペコちゃんはこれだけではないのだ。
 一般的にはあの黄色のTシャツとズボン、不二家の店頭で客を待ち受けているが、このペコちゃん色々なスタイルに変身している。
 そもそもペコちゃんは6才の女の子、身長1メートル、体重15キロと決まっているのだが、実際に店頭にあるものは少し小さい。
 ペコちゃんが生まれたのはミルキー発売時に、そのキャラクターとして誕生し、1950年、昭和25年だと言う。
 面白い事に当初は紙の張り子で造られていたと言う事だが、これが店頭に置かれており、子供たちがさわったり、頭を叩いたりしていた。

 その為に紙であるが故に痛んでしまったと言い、その都度紙を張って修理していたらしく、次第に顔が変化して行ったと言う。DSCN1290.JPG
 当然の事で張り子である事から、顔が変化することになり、紙からプラスチックに変わって行ったと言う事だ。
 まさか紙の張り子であったとは知らなかったが、昭和25年と言えばまだまだ物資の乏しい頃、時代背景が見えて興味深い。
 張り子のペコちゃんが店頭にあったとは、今では信じられない事、そしてそれを修理して使っていたとは。
 このペコちゃん、男の子のぽこちゃんも存在しており、ぽこちゃんは1951年誕生したと言う事だ。
 1年遅れでペコちゃん、ほこちゃんか揃ったことになるが、この二人永遠に6歳のままである事。

 そして定番以外にも色々なスタイルが出されている事、時代の流れに応じて、色々のデザインの服を着ているらしい。
 DSCN1292.JPGあのミッチーブームの頃はテニススタイルであった由、また南極観測隊と共に昭和基地に赴いたらしい。
 越冬隊員から頭をなぜられていたとは驚きでもあるが、一企業物のペコちゃんが南極まで着いて行ったとは面白い事。
 私の記憶では定番の姿とクリスマスのサンタクロースのスタイルしか記憶に無いが、其れだけではないようだ。
 今回紹介するペコちゃんは店頭用に置かれていたもの、夏姿のペコちゃんであり、昭和40年代のものか、それともそれ以前のものか。
 店頭用のペコちゃんの身長は台含めて97センチと言う事らしく、1メートルとうたわれている身長よりもすこし小さく、可愛らしいワンピース姿のペコちゃん、赤い靴を履いた姿が印象的。








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2018年10月08日

何故かしら好き

    フランス枕 
DSCN0353.JPG

 初めてフランス枕を見た時から、何故かしらこの時計に興味を覚え、以来興味とも、憧れとも言えるもので、この時計を蒐集する事になるのだ。
 自分でも分からないが、フランス枕をみてから機械構造の良さに惹かれたのかも知れないが、その後次々とフランス枕を買い込む事になる。
 当時はフランス枕は高価な時計の部類であり、おいそれとは買えなかったから、小遣いをコツコツと貯め、たまればフランス枕を買う事に。 一時期20個を越していたこの時計、現在では少し少なくなってしまったが、それでも15個は残っているから、やっぱり好きな時計だ。
 何処が好きかと言われれば機械と答えるが、それだけの魅力だけなく、全体の雰囲気も心惹かれる。
 この時計の良いところは手が抜かれていない事、真鍮を素材に、カットガラスを用いる処、洗練されたデザイン。
 一つ一つ取り上げて行くならば数が多くて、色々と述べる事になり、時間が幾らあっても足りないのではないだろうか。
 そんな魅力のフランス枕時計、細部的に見て行くと面白い事に気が付き、フランスと言う国の気質が見えて来るような、そんな思いにもなる時計。
 何処となくフランスらしさを感じ、ドイツ物とは少し違い、アメリカ物とも違う、それが何処だと聞かれれば、センスとしか言えないのだ。

 例えば琺瑯の文字盤一つとってみても、ドイツ物の頑丈さとは違うものを感じ、アメリカ物の合理的なものとは違い、やはDSCN0356.JPGりセンス。
 今回のフランス枕もその一つ、文字盤の丸と形とそれを取り巻く真鍮の板、その板に細かく刻まれた刻みが何とも言えない魅力。
 アメリカ物ではこの様なデザインをしないので、其処はフランス人のセンスの良さか、細かな刻みがこの時計をワンクラス上の時計に押し上げている。
 文字盤に書かれた数字にも、同じように見えて何処となく違う何かが、そんな風に感じてしまうのもフランス枕だから。
 やはり同じ形をしていても、少しの違いで全体が変わったものに見えるのは、見えない所にも気を使っているフランス人の手法か。
 それを何だと言えばセンスとしか表現できないもの、私だけの感じ方かも知れないが、やっぱり違うと思えて来るから不思議。
 そんな目でフランス枕時計を見て、他の人はどの様に映るのか、それも知りたいと思うが、私だけの思い込みかも知れない。
 しかしフランス枕が好きな事には変わりなく、だからこそ多くの数を買い込んでしまったのだと、今はその様に思っている。
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2018年10月07日

大典記念

      織部焼です

 SANY2436.JPGペーパーウェート、何の事やらと思う方も居るかもしれないが、早い話重しであり、風などで飛ばないように書類や手紙等の軽い物に、重しとして置くもの。
 日本で言う文鎮みたいな物、西洋では古から使われてきたようだが、日本では明治に入ってから使われるようになった物、一般庶民にはまだ後の事。
 このペーパーウェート、色々な形が作られており、コレクターも存在し、その人たちにとっては特別な物、そんなペパーウェート、ひょんな事から偶然手に入ったもの。
 その時はペパーウェートとは思わず、友人が持って行けと手渡してので、其のままポケットに仕舞い込み、家に帰ってから見ずに机の中にしまった。

 其れ以来20数年机の中、時計の部品を探している時に之を見つけ、初めは何でこのな物があるのかと疑問だったが、記憶がよみがえり、友人にもらった事を思い出した。
 そう言えば之を渡される時、友人が「瀬戸で作られたものだからお前の物だ」と言って渡してくれたのを思い出し、ペーパーウェートの裏を見ると、大典記念と刻印がある。

 SANY2434.JPGSANY2435.JPG大典記念とは、大正4年11月10日(1915年)大正天皇の即位式、その当時、記念として瀬戸で焼かれた織部焼のペーパーウェート、瀬戸のシンボルマーク、壷をかたどった物。
 綺麗な織部釉がかけられ、藤の花が2房描かれたシンプルな物、はじめ見たときには気にしなかったが、改めてよく見て見ると、磁器で作られた高級品だ。
 当時どれ位作られたものなのか、今となっては分からないが、作品を良く調べてみれば出来が良く、其れ相当の商品であったと思われる。
 裏には、瀬戸深川神社の重要文化財、狛犬の形をした印が押されており、御大典記念の文字が刻印されていて、大正時代の物であることが分かる。
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2018年10月06日

本当なのか

    江戸時代に入った

 

SANY0840.JPG ある友人が私のもとに来て、「お前の集めている古時計、江戸時代のものはあるか」と言うのだが、その意味が分からない。
 何故かと言えば彼は和時計を何度も見ているからだが、あれはれっきとした江戸時代のもの、それなのに江戸時代の時計はあるのかとは変だ。
 よく話を聞いてみると、和時計の事ではなくボンボン時計の事だと言う、ある人からボンボ時計は江戸時代に入ったと言われたらしい。
 その人曰く「江戸時代には長崎からアメリカ製のボンボン時計が入って来た」と言う事らしく、彼はそれが納得できないと言うのだ。
 確かに江戸時代には既にヨーロッパから時計は輸入されていた事は確か、主に置時計であると言われているのだ。
 SANY0846.JPG勿論掛時計もあったと言う事らしいが、アメリカ製のボンボン時計となると、話はすこし違ってくると思う。
 アメリカ製のボンボン時計、1850年代に製造が始まっているが、その当時の時計がすでに長崎に入った来るとはちと早すぎる。
 当時アメリカでも新進気鋭の時計製造会社、その製造会社の時計がすでに日本に入って来たとは少し無理がある。
 アメリカでも西部地方には、まだこれらの時計は届いておらず、1880年代にならないと出回っていないからだ。
 それが西部を通り越して日本に渡っていたとは、やはり無理があり、ボンボン時計はその後と思われと思う。
 DSCN1387.JPG
 友人もその時にあり得ないと思ったが、その人が力説しているので反論はしなかったと言う、しかし疑問があったからと言うのだ。
 私も以前にある有名な資料館で、江戸時代の掛時計として展示されていたものを見た事が、その時計はイングラハムの金達磨。
 確かに旧型のものであったが、江戸時代の時計と説明していたので、私が質問をしたら「この時計は1860年代に造られたもの、日本では江戸時代です」と言うのだ。
 その時興味があったので、「時計を見させてください」と言うと、扉を開けて見せてくれ、「興味がありますか」と聞かれた。
 勿論その証拠が見たくてと言うと、機械の刻印を見せてくれたが、文字盤の淵に1870年の刻印を発見。DSCN1386.JPG
 良くイングラハムの時計には、文字盤の淵に時代の刻印があるものが存在しており、この時計もそれであった。
 それ以上は反論しなかったが、機械の刻印が仮にあったとしても、それが直ぐに日本に入ったと言う事はやはり無理がある。
 そしてオリジナルの刻印が文字盤に刻まれている事から、パテントナンバーは1860年代だとしても、そく江戸時代に日本に来たとはならない。
 色々な考え方があるが、拡大解釈しては時代がずれる恐れも、古い時計と思いたい気持ちは良く分かるし、私もそうであるから。
 しかし時代考証を正しく理解しないと、自分の思いだけでは正確性に欠ける事も、だから古時計は難しいとも。
 友人も、やっぱり時代測定は難しいなと言い、その通りで私も改めて難しさを痛感したもの、再度気を引き締めて行きたいものだ。
 誤った時代判定は誤解を生むことになり、ひいては信用を無くしてしまう恐れも、十分気を付けたいと思う。
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2018年10月05日

懐かしいもの

    セリ場で見つけた

 DSCN1453.JPG久し振りに浜松の平野さんの所に出向く事に、2か月振りのセリ場であったが、2、3日前にセリは終わっていた。
 その為に荷物は殆んどと言ってない状態、当然の事でセリが終わった直後、何もないのが当たり前。
 そんな状態であり、荷物が一つもないと思っていたが、片隅に荷物を発見してそこに見に行く事に。
 少しでも良いから荷物を見ようと思っていたから、何があるのか興味もあったが、何だか変なものが多くあった。
 変なものとは子供の玩具らしきもの、しかし形が変で嫌にカラフルなものだと思い近づいてみた。

 遠くから見たものは分からなかったが、DSCN1452.JPG近くに行ってハッキリと分かり、懐かしいものだとつい手が出てしまった。
 そこにあったものは昔我々が作って遊んだもの、子供の頃自分で簡単に作り遊んだあれが山積み状態にあった。
 四角い棒状の先に羽根らしきものが付き、其処にプロペラが2つ、まさしく飛行機の羽根であったのだ。
 それが色とりどりのものが山積みであったから、変なものに見えてしまったが、何処から持って来たものか。
 平野さんに聞けば「業者が持ち込んだもの」と言い、製造していた所から買い出して来たらしいと言い、額に入った写真が一緒にあった。DSCN1457.JPG

 見ればこの玩具を持った写真が映っており、製造者だと言うのだが、時代は大正期であるとの事、珍しい写真であった。
 今の人達はこの玩具が何であるものか分からないと思う、案の定平野さんも知らないと言い、私がこうして遊ぶのだとやって見せた。
 30センチ位の四角い棒状のものに、先に飛行機の主翼らしきものを付け、それにプロペラを2つ付ければ、立派な飛行機になる。
 非常に簡単なものであるが、当時はこの様な玩具も遊び道具、そしてこの飛行機、プロペラを回すのにはコツがいる。
DSCN1458.JPG 四角い棒状の背には凸凹の溝が彫られており、細い棒で前後に凸凹した所をこすると、振動が起こる。

 その振動で不思議にプロペラが回転しだすのだが、それにはコツが必要、余り早く前後に動かしてもダメ。
 適当な速さで前後にこすってやらなければプロペラは回転しなくて、振動だけが起こるだけである。
 簡単な仕組みだからこそ、かえってそれをやるのが難しいが、昔の子供たちは簡単にやっていたものだ。
 今の人達にはこの玩具の面白さは分からないと思う、簡単すぎて、その上貧弱なものだから、玩具と思えないと思う。
 しかし我々には懐かしい玩具、でも私たちはこのおもちゃを買った事は無く、自分で作るものと思っていた。


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2018年10月04日

今年の南天

    縁起もの

  DSCN1593.JPG我が家の狭い庭に南天を植えたが友人から貰ったもの、新築祝いにと貰ったもので、縁起が良いものだと言う。
 南天は日当たりの良い所に植えよと、その様に言われたから一番日の当たる処に植えたのだ。
 私は南天は直ぐに大きくなり、我が家の庭には向かないと思っていたが、友人が災いを避けるものだからと言うので。
 持って来た苗は小さなもので、高さ50センチ位のもの二本、兎に角縁起が良いからと友人。
 南天は中国よりの渡来植物、日本に入って来たのは古いとされるが、何時頃かは不明なようである。
 DSCN1595.JPG元々南天は火災除けの植物とされ、これを植える事により火災から守られると信じられている。
 もう一つは厄除けとも言われており、身を清める働きがあるとも言われ、便所の横に植えられてもいるとの事。
 何にせよ縁起の良い植物である事は確か、新築と同時に植えた南天だが、植えてから2、3年は実を付けなかった。
 その後すくすくと伸び、私の背丈を超す大きさとなり、狭い庭で邪魔な存在となってしまった。
 
 勿論赤い実もならず、背だけは大きくなってしまい、葉っぱは狭い庭一杯に広げる始末であった。DSCN1594.JPG
 縁起の良い植物と言われているが、赤い実はならず、その上庭一杯に大きくなった事で、厄介者になってしまったようだ。
 そこで貰った南天を切る事にして、根元から少し上から切り落としたが、翌年の春に若い芽が出て来た。
 二本貰った南天、切り落した横からも芽が出だし、元の二本と相まって順調に成長、その年にはやっと赤い実を付けたのだ。
 ある人に言わせれば、南天はほかっておくのが良いと言うが、広い場所であればそれも良いが、我が家の庭ではそれはとても無理。
 逆に虐める事により、小さくて良いものに育てた方が良いと、だから切り落として虐める。
 それが正解かは知らないが、今も元気に実を付けており、何度となく切り落としては横から芽を出している。
 我が家では南天は虐めた方が実も良く付くし、成長も早いと思っており、現実には今年も多くの赤い実を付けた。
 あれから40数年も経ってしまったが、貰った南天は元気よく今でも我が家の庭で赤い実を付けている。
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2018年10月03日

江戸の日時計

      高 級 品 
SANY1998.JPG
 日時計と言えば簡単な物と思いがち、確かに日時計は簡単な仕組み、中央に棒が立っており、簡単なメモリが書いてあるだけの物と殆どの人は思いがち。
 事実、江戸時代の日時計は簡単な物が多く、特に道中日時計と呼ばれる物は紙で出来ているものが多く、持ち運びに便利なように作られている物。
 その為か、実にシンプルな物が作られたが、今みたいに何分、何秒などと言う刻みでの感覚ではなく、大体の時間さえ分かれば良く、分刻みの時刻等いらなかった。
 山中での道中、方角や大体の時刻が分かれば良かったが、困るのは関所が閉まる時刻、これだけは分からないと困る事になるから、日時計が必要であったようだ。
 関所の閉まる時刻を知らないと、其処で足止めされ、先に行けなくなるからであり、その為に時刻を知る事が最大の目的でもあった事。これも日の光がささなければ意味が無いが。

 日時計とはそう言う物、太陽が出ていなければ時刻を知ることは出来ないもの、簡単に時刻が分かるが自然まかせ。SANY2000.JPG
 しかし、日時計が質素な物ばかりとは限らないもの、江戸時代でも豪華な日時計も存在しており、写真の日時計外側は真鍮製、文字盤は銀製の豪華な作り。 普通の日時計と全く違った物、上蓋には彫金が施され、見事な龍の細工がされており、日時計と言うよりは芸術品と言った方がピッタリするかもしれない。
 高級武士や金持ちの間ではこの様な日時計を持って旅をしたらしく、一般庶民の日時計とは全く違った物で、実際に使うのが惜しいような雰囲気を持った日時計だ。
 使うのは簡単な事、高級と言っても使い方は同じ、上部中央の前の字を、真南に向けてかざせば、其処の場所の時刻が分かる仕組み、窪んだ処に針があるが、その張の影を見れば時刻が分かる。
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2018年10月02日

懐かしい使い方

    使い方が違う

 

DSCN1669.JPG 万年筆、今は余り使われなくなってしまったが、以前は万年筆は必需品であり、誰しも使用していたものだ。
 古い時代から使われて来たもので、日本には幕末に入って来たと言われているが、珍しい物であった。
 明治以後急速に使われる様になり、必需品として無くてはならないものとなっていた時代であった。
 万年筆は1809年イギリスのフレデリック、B、フオルシュがインキを貯められるペンを考案して特許を取得する。
 これが万年筆の始まりとされているが、まだまだ幼稚なものであったと言われており、その後改良されて行くことになる。
 1905年にオノトが正式な万年筆を世界で発売する事にDSCN1664.JPGより、一気に使用が拡大したと言われている。
 その後ペン先が色々と工夫されて行き、合金などの素材も開発され、耐久性や書き易さが充実して行く。
 日本では1828年に近江の国国友村の国友一貫斎が懐中筆なるものを発明したのが万年筆の始まりと言われる。
 しかしこの懐中筆は毛筆用のものであり、ペン先は付いておらず、万年筆とは少し違ったものであったようだ。
 携帯用に懐に入れられ、しかも漏れないのもであったと言う、当時は非常に便利な筆であったようだ。
 現存する懐中筆は国友の資料館と展示してあるとの事、一貫斎はDSCN1673.JPG鉄砲を製造する鍛冶職であり、発明人でも有名な人物。
 色々な物を発明しており、天体望遠鏡も発明しているもので、その技術は優れていたと言われている。
 そんな万年筆、明治時代に西洋からはどっと押し寄せ、一気に広まったと言われており、官民一緒になって使っていたようだ。
 よく言われる小説家たちがこぞって万年筆使用したと言われているが、それよりも役所関係が先のようだ。
 勿論日本製品も造られるが、それは明治末期になってから、主に大正時代が盛んになっている。
 当時はエボナイトの万年筆が主流、そしてポンプ式のもDSCN1670.JPGのが殆ど使われていた。
 万年筆の柄の後しろに切り込みがあり、ポンプが付いており、上下してインクを吸い込むもの。
 その後、ゴムのチュウブが付く様になり、スポイト方式と変わることになるのだ。
 そして、その後にプラスチックのカートリッジ方式となった行き、インクの取り換えもスムーズに行えるようになる。
 写真はポンプ式のものと、スポイト式のものであり、エボナイトとセルロイドの万年筆である。
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ニッパ君4

    主人の声



DSCN1109.JPG ニッパ犬、今では犬だけが持て囃されているが、本来はマスコット犬、レコード会社の宣伝犬であるのだが。
 この犬の逸話は色々な方面で話題となっていたらしいが、本来は絵の作者がレコード会社に売りに行った事からだ。
 勿論はじめは飼い犬が、無くなった主人の声が録音されたレコードに耳を傾けていた事から、その姿を描いたものだと言われいる。
 作者は元飼い主の弟、兄が買っていた犬を引き取り、自宅で飼いだしたが、偶々かけたレコードに兄の声が入っていて、それを犬が聞いていたらしい。
 そんな姿がいじらしく思い、描いた絵であると言われ、実は犬が聞いていたレコード、つまり蓄音機が悪かったと言われている。
 蓄音機から聞こえて来る声に聞き入る姿、しかし蓄音機は絵を売りに行った会社のライバル会社の蓄音機であった。DSCN1108.JPG
 そんな事とは知らない本人は、絵を売りに行った、その会社に断れらてしまったとの事、当たり前の事である。
 ライバル会社の描かれたものを売りに来たのだから、その会社が買うはずもないが、後にビクター社が自社の蓄音機を描かせて買い上げたのだ。
 も
 ともと絵描きであった弟は、兄の飼い犬を引き取り、偶々その犬を描いてそれがビクター社に売れただけの事。
 しかし、このニッパ君アメリカに渡り、ビクター社のマスコット犬として人気が一気に出て、店頭に座ることになる。
 ビクター社ははじめは商標としてニッパ君を採用していたが、思わぬ人気が出、キャラクターとして社を挙げて宣伝に努める。
DSCN1110.JPG 陶器でニッパ君を造り、レコード店の店頭で客引きの宣伝物として置く事に、その結果ニッパ君はビクター社の看板となってしまい、絶大の支持を受ける。
 勿論日本にも上陸、1929年日本ビクター社の看板として日本初お目見え、可愛らしい事もあり人気になる。
 アメリカ同様、日本でも陶器のニッパ君を造り、レコード店に配布、店頭でビクター社の宣伝に努めることになる。
 色々な会社で製造されており、多少形の違うニッパ君が存在しており、良く見るると古いニッパ君は体の筋もハッキリと出ている。
 それに引き換え、新しいものは体の筋が無くなり、スッキリとしたものになっているから、よく観察すると良いと思う。
 また色々な記念として最近でも新しいニッパ君が出されているが、やはり昔のものと比べるとスッキリしている。
 少し前の販売店に配布されたものは、そこの店名が金文字で書かれているものがあり、時代測定に一役買うことになる。
 同じように見えるニッパ君、古い時代の物の方が価値があり、同じニッパ君でも新しいものは数も多い。
 写真のニッパ君は古い物であり、60センチ強の大きなもの、店頭に置かれていたものであり、数も少ないものだ。

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2018年10月01日

やっぱりフランス

      同じものを作っても

 SANY4526.JPG時計には鍵が付きもの、ゼンマイ仕掛けの時計はネジを巻かないと動かないもの、そのゼンマイを巻くものが鍵、時計と鍵は付きもの。
 その鍵もあくまでも裏方の役目、本体の時計を補助するためのもの、それが彼等の使命であり、決して表に出ないと言うよりは出れないのだ。
 時計が主役、鍵は黒子、この関係は切っても切れないが、鍵がなければ時計は動かないと、結局は持ちつ持たれつの関係だ。
 そんな鍵、表に出ないから派手なものではなく、地道に裏街道を歩く、しかし時として表に躍り出る鍵も、それがフランスの鍵だ。
 一般に鍵は地味で同じ形物の、しかしフランスの鍵は何処となく違う、どう違うのかは写真を見れば察しはつく、形がユニークなものだ。

 この形の物を他の国が作っているが、やっぱり垢抜けしたものではなく、シンプルな同じ型のものだけ、その点フランス物は個性が表面に滲み出ている。
 一見キャシャのように見える鍵と思われるが、真鍮板をくり貫いてものであるが、強度は申し分無いもの、見た目に弱さうに見えても、実は頑丈に出来ている。SANY4528.JPG
 其処がフランスのデザイン、シンプルのように見えて派手、キャシャのように見えて丈夫、相反するものを上品にまとめ上げる実力の持ち主だ。
 この鍵、フランス枕と証せられている時計の鍵、つまり置時計用の鍵、鍵穴が2つあり、大きな物と小さな物の二刀流だ。
 大きな方は主力のゼンマイを巻くもの、小さな方は針を動かすもの、両方とも鍵巻きには違いないが、2つの鍵を1つにしたようなものだ。

 この様な鍵は他の国も採用しているが、この鍵と比べれば、趣や美しさは比べようがない程のものである。
 同じ鍵でも鉄製の鍵、これもまたお国柄が現われているもので、フランス製のものはやはりセンスが違う様に思える。
 勿論鉄製のものが古い、いかつい鉄で造るものなのでSANY4488.JPG頑丈に造るのかと思えば、実は優美なしあがりになっている。
 同時代に造られたアメリカ製の鍵と比べても、やっぱりフランス物は洗練されているように思え、同じ鍵なのにどこか違うのだ。
 一番下の写真はフランス物とアメリカ物を並べて見たところ、どれがフランス物で、どれがアメリカ物か当てて見て下さい。
 形は同じ様に見えるが、そこはフランス製の鍵、何処と無くセンスの良さがにじみ出ている様に思えるのだが、果たして分かるかな。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記