2018年11月29日

秘訣は何

      さがしもの

SANY3565.JPG 古時計愛好家にとって何処で古時計を手に入れるか、其れが問題であり、何時もどのようにして良いものを探し続けようと思うが、簡単な事ではない。
 人よりも早く、そして自分だけが良いものを手に入れたい心理、誰しも経験のあることと思うが、そんなに上手く行くものではない。
 誰だって、人よりも早く自分好みの時計を手に入れたいのは当たり前、しかし現実は甘くないもので、そんな期待をあっさりと裏切る。
 人より先にと業者のもとに、だが我々に立ちはだかる壁が、と言うのはどんなに早く行っても、其れより先に業者間での取引が行われる。
 蚤の市と言うところは、店を持たない露天商、「はたし」と言われる職業集団、売りはたすという事から「はたし」と呼ばれる人達。
 そんな集団だから業者間の取引の方が先、一般の人たちが来る前に良い物は他の業者の手に、我々より早いのだ。
 それ以前にも業者間での連絡仕合、業者から業者へと手に渡り、他の人の所に入ってしまうらしいのだが、そんな蚤の市でも拾い物があることも。
SANY3074.JPG
 例えば、その業者が何が専門なのかと言う事、業者により扱うものが違い、その人のとくいとする分野があり、其れが陶器であったり、着物であったり、アンティーク物であったりと得意分野がある。
 どんな業者でも得意分野以外のものは分からない事が多い、陶器の専物業者は時計の事は不得手、書画専門の業者もまた同じ。
 古時計は不得手に属する部門、そんな業者が時計を持っている場合もあり、其れに出くわすと思わぬものが手に入る事もある。
 それもべら棒に安い値段で手に入る事も、そんな事が起こるのも蚤の市、だからこそ足で稼がなければならないのだが。
 探し出す秘訣は、専門業者も、その的であるが、専門外の業者も見落としてはならないもの、やはり両方共に見張っていないと蚤の市は分からないのだ。
 ある人は、それが運と言う言葉であらわすが、運も付かないと古時計の良いものに出くわさないと思う、その運、是が非でも取り込みたいものだ。
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2018年11月28日

柿の差し入れ

    またまた柿

 SANY8563.JPGこの時期になると友人から柿が届くが、色々な所から届くので種類の違いがあって面白い結果となるのだ。
 届くところにより採れる柿がが違い、食べ比べが出来るのもこの時期、色々な柿があり有難い事である。
 私が大の柿好きと知っての事、毎年この時期になると一日に4、5個の柿を食べる事になるが、食べ過ぎであるといつも言われている。
 確かに食べ過ぎかも知れず、毎日胃の調子が今一なのも柿のせいかもしれないが、それでも柿は食べたい。
 ある友人がそんなに柿が旨いのかと言うので、毎日食べていると言えば「ちょっとおかしいのでは」と言われてしまった。
 その友人は柿は嫌いとハッキリと言うが、何故嫌いなのかと聞けば「甘いからだ」と言うが、奴は甘いのも好きな筈。
 何故だと聞けば「食べた時の感触が良くない」と、口の中で何とも言えない感触が嫌いだと言う事らしい。
 あんなに旨いものを食べないとは可哀そうな奴と、そんな事を思いながらむいた柿を口の中に放り込む。
 送って来た柿は産地が違もので、営業用の高価な柿や自分の庭で出来た柿二軒から、今日届いたものは高級品だ。SANY8570.JPG

 この柿、手のひらに乗らない位に大きなもの、横15センチくらい大きさ、何時もながら立派な柿と感心する。
 こんな大きな柿は特別なものだと友人は言う、確かに大きさと言い、美味しさと言い、申し分ない柿である。
 自分ではまず買わないもの、高くて手が出ない柿、それを待っているのもこの時期、届いた柿をすぐにむいて食べるのは格別。
 有難い事、しかし自分の庭で出来た柿も又別の意味で旨い、写真の横の柿が大きすぎて何だか気の毒であるが、この柿でも10センチは越えている大きなもの。
 確かに横の柿と比べる方がおかしいと思うもの、特別品は別格扱い、この柿でも買うとすると高いと思う。
 あとは待望の蜂谷柿の干し柿が届くのが待ち遠しいが、もうそろそろ届いてもよさそうな時期である。

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2018年11月27日

今年の南天

    一番良い出来か

 SANY8534.JPG我が家の南天、新築当時に友人がお祝いだと言って持って来たもの、はじめは小さな苗であった。
 それも赤い南天と黄色の南天、紅白で縁起が良いから植えておけと、しかしなしに貰ったものだからと植えた。
 2、3年で大きくなり赤い実も付け順調に育ったが、黄色い南天はどうした訳が枯れてしまった。
 同じところに植えたのに赤い南天は元気で、黄色の南天は枯れる事に、何故だか分からない。
 同じ場所でも片方は元気、片方は枯れるとは不思議であるが、友人は院議が良くないと言うのだ。
 片方が枯れてしまえば、両方とも枯れると言うが、赤い南天は今も元気、黄色のものを植え返せと友人。
 しかしそれも運命であると割り切り、その後赤いものだけで現在まで来ているが、災いもない。SANY8538.JPG
 友人の言うように縁起が悪いと、しかし現在までそんな事もなく何とが無事に過ごして来たから、それも良いのではないか。

 その後の友人、この南天を見る時は俺がやった南天のおかげで無事に過ごしてこれただろうと得意減言うのだ。
 南天のおかげ、本当は黄色の南天があればもっと良いのにと、いまだに黄色の南天を植えろと言うのだ。
 この男しっこいので有名、何時までも同じ事を言うから、他の友人からもしっこいと言われているのだ。
 しかし何はともあれ南天の実は今年は上々、赤い実は例年よりも多く付いているよう、40数年経っても元気である。
 それが一番うれしい事、案外災いを転じてくれたのかも知れず、これからもそう願いたいものだ。
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2018年11月26日

流行の最先端

    これぞ明治

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 江戸から明治に入り、庶民の生活はがらりと変貌することになり、人々は驚きとともに新しい世を満喫することに。
 静かな時代であった江戸の生活、一夜明ければ新時代到来、キツネにつままれた様な不思議な気持ちになったであろう。
 この時代いっきに西洋から新しい文化が流入、最先端のものが日本に押し寄せ、見るもの聞くもの驚く事ばかり。
 新政府の政策であるが、時代が目まぐるしく早変わりして、人々はついて行けない位に進む、そんな時代にあこがれも多かった。
 SANY4050.JPG西洋のものは目新しい物ばかりで、一般庶民は流行りものには弱く、すぐに飛びつく習性をもっていた。
 今も昔も変わらない好奇心は時代にかかわりなく存在、興味しんしんであり、新しいもの好きであったよし。

 そんな庶民の動向をいち早く察知して、新時代のものを流行に、そこがまた日本人の性ともいえる行動に出る。
 文明開化の最先端時計、この時計を題材として色々にものを製造、庶民向けに発信することになる。
 時計本体はまだまだ庶民には高根の花、しかし安価な物にはすぐに手を出す、そこを上手くつけ込むように行動。
 一つは浮世絵であり、一つは日用品であり、一つは教材であり、そんなものにも時計をデザインして庶民に提供。SANY0089.JPG

 安価な値段であり、瞬く間に庶民の間で流行することに、安くて時代の最先端のもの、憧れでもあるものがそこに。
 いつの時代でも新しいもの好きな庶民、文明開化の香りに飛び付いたことは当たり前、大流行することになる。
 大人から子供までがこの流行りにりんじょう、其れこそ我も我もと手に入れる事に、安い事もあり流行は急速に広がりを見せる。
 写真は当時のもの、浮世絵から水滴、日常で使われる皿までが、新時代の時計の図柄、如何に庶民が憧れたかが伺えるものだ。

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2018年11月25日

連絡事項

    浜松ミーティング開催
 日本古時計保存協会の本年度最後のミーティングを開催します。

 期日、12月9日 日曜日
 場所、浜松市東区小池町2543−4
    NKトレーディング事務 053−465ー3666
 時間、11時30分開始
 会費、1500円、昼食含む
 尚、本年度最後のオークションを開催します、参加ください。

   日本古時計保存協会  事 務 局
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2018年11月24日

オークションは何時

      今年の時計展

SANY1778.JPG 今年のの時の記念日展、ありがたいことに盛況で、見学者が多く訪れて頂き、心配を他所に増え続けているのだが、質問も多くある。
 今年は何故かしら遠方の見学者が多いのはどうした事か、初日から大阪や神奈川の方が訪れて、こちらがビックリする始末。
 ネットで見たから見学に来たのだと言われるが、遠くから遥々来て頂いて感謝していますし、恐縮もしており、説明にも力が入った。
 展示に当たって毎年の事だが、どんな時計を展示するのか、四苦八苦して展示品を選んだつもりだが、案の定人気の時計に集中する。
 今年も中條勇次郎製造の時計に興味を持つ方が多く、「何故モット有名にならないのか」と質問されるが、地元でも知らない人が多いのと、博物館でも知らない場合もある、やっぱり数が少ないからだ。
 SANY1842.JPG中條勇次郎の時計を見る機会がないのと、何処に展示してあるのかも知らないから無理もない事、しかしこの時計が日本の量産時計の元祖でもある。
  何故か古時計に関しては地元でも評価が低い、その上日本で1番多く製造されていた事も知らないから、それだけ意識が低いと言う事。

 ともあれ、古時計に対する認識の低さが、この様な形になったと思うが、それはそれとして、今回の時計展でも古時計に少しでも興味を持って貰えればと思っている。
SANY5896.JPG 見学者から「オークションとは何ですか」と聞かれ、突然の質問に、何で知っているのかと逆に聞き返せば、「ネットで見たから」と言われる。
 確かにその通り、ネットに公開しているが、会員向けに出したものだが、知らない人も良く見ているものだと関心したと同時、うかつな事もやれないと肝に銘じる。
 何時ものオークション、会員でなくても参加は自由、今年も自由に参加できるから、午後一時から開始すると見学者に伝えた。
 そして、「展示品は皆オークションに出品されますか」と驚きの質問、慌てて「別の時計が出品されますよ」と再度念を押す始末。
 一般の見学者がオークションに興味を持っているとは、意外な見学者の反応にオークションの入札方法を別に考えねばと思う。
 結局、当初の会員だけと思っていたものを、誰でも参加自由にしてオークションを開始、思わぬ人が古時計を落札して、こちらがビックリだった。
  市場の三分の一の値段で落札、落札した本人もビックリする始末。
 この様な楽しいオークションは今後も続けたいもので、ヒートアップせずに楽しんで参加して欲しい、お遊びくらいがちょうど良いと思う。
 
 
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2018年11月23日

蕎麦屋の顔

    外から分かる

SANY2861.JPG 店にはその店独自の顔を持っているもの、どの店も自分の店の顔に神経をとがらせているのだと思う。
 人は店の顔を見てそこに入るかどうか決めるのであるが、入り易い店と入りにくい店が存在している。
 いくらはやっている店でも入りにくい処も、そこには店の顔がどんな顔なのか、それが知りたいとも思う。
 蕎麦屋の顔であるから、普通の店屋とは少し違い、シンプルな顔が多い事は言うまでもないのだと言える。
 それでも派手な顔を持つ店と派手で無い顔を持つ店と当然存在し、派手な顔を持つ店でも、派手さが違うのだ。
 ケバケバしい派手な顔はしておらず、それなりの派手さで、自己主張をしているのだと思うが、その限度が命だ。
 兎に角シンプルな顔を持つ店もあり、そこが店である事さす分からないこともあるが、それは特別でソコソコ主張している。

 ではソコソコとはどの程度のものなのか、少し私なりに挙げてみたが、果たして的を得ているかは主観の問題。
 そば通であればこの写真を見ればどこの蕎麦屋の顔か分かるはず、そんなIMG_0369.JPG顔をしている有名店の素顔。
 顔の大きさは別として、小さくても大きくても顔は顔、そんな顔を見てほかの人はどのように感じるのか。
 例えば暖簾、蕎麦屋には多く暖簾が掲げられているもので、その暖簾が派手なもの、写真がその派手な暖簾とも言うべきもの。

 誰の目にもそこが蕎麦屋であると分かる派手な暖簾、兎に角大きなものの典型のもの、そしてもう一つがカラフルな暖簾。
 カラフルと言ってもそこは蕎麦屋の暖簾、これが派手だと言えるのかともう思えるかも知れないが、私は非常に派手であると思う。
 二つの暖簾、一つは字が大きくて迫力があり、もう一つはシンプルであるが派手な暖簾、蕎麦屋の暖簾としてはやはり派手。
 その逆にシンプルな物の典型の顔、小さくて控えめ、よく見ないと分からない位に小さに顔をしているものの典型。
 そば通なら小さくても探し出すもので、大きいから分かると言うものでもなく、ヤッパリそば通と一般人との違いかも。

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2018年11月22日

買出し屋

      裏方さん
SANY9730.JPG

 骨董業界は分業制と言ってよい、骨董店を開いている人、骨董市場を開いている人、骨董を買い出して来る人とその道に分かれている。
 どんな業界でも分業制はあるが、骨董業界もその1つ、色々な分業によった成り立っているので、その仕組みもまた面白いものだ。
 我々が目にしている骨董品、直接売り手から買い手に届くのではない事は知っているが、色々なルートを経て我々の手元にやってくるのだ。
 大抵の場合は骨董市場と呼ばれる競り市が存在し、殆どの業者はこの競り市で商品を手にするが、それ以外でも持ち込まれるものもある。
 売主が直接業者のもとに売りに来る場合もたまにあり、全部が全部セリ市場で調達する訳でもないが、大体はセリ市場での購入だ。
 この競り市は全国で様々な場所で開催されており、ここに商品を持ち込んで来るのが買出し屋と呼ばれている人々、この人達はありとあらゆるものを扱うのだ。
 買出しとは旧家等の家に行き、古いものを買い求めるのが仕事、蔵や納屋などに眠っている骨董品を買い付けるためにあちらこちらの出向く。
 彼らの情報は競争であり、人よりも先に良いものを求めて探し回る達人、兎に角良く知っているもので、少しの情報でも飛んで行く事が仕事。SANY8590.JPG
 良いものがあるか、それともガラクタなのか、どんなものがあるのか分からない時も、暇を惜しんで買出しに精を出す仕事、兎に角回らないと物が集まらないのだ。

 私の知り合いの買出し屋は全国を回り、ありとあらゆるものを買い出して来るが、その中には珍品と呼ばれるものも、そんな事もたまにはあるものだ。
 何が出るのか分からないのもこの仕事、当たりはずれの多い商売でもあるが、そのスリルがたまらないのだと知り合いは言う、良い物を掘り出したときの喜びが忘れられないとも言うのだ。
 そんな事が好きでこの商売をやっているから、別にガラクタが出た時はあすに期待して落ち込まない事、明日は良いものが出ると信じて回るのだとも言う。
 彼らがいなければ我々が骨董品の時計を買うことは出来無いもので、全国から時計を買い出してくるから、競り市にも骨董品が集まるのだ。
 言ってみれば彼らは、裏方さんと呼ばれる人達、販売業者も彼らがいなければ商品を買う事が出来ないので、買出し屋はやっぱり裏方SANY8569.JPGの存在だ。
 そんな買出し屋から、私は良い時計を幾つも買わせて貰ったもので、非常に時計蒐集には欠かす事の出来ない人たちだと思っているのだ。
 これからも彼らが良い時計を買い出して来てくれるのを期待したいし、まだまだ眠っている時計があると思う、頑張って欲しいものだ。
 大珍品の時計を買い出してきてくれる事を願っているのだが、何時出てくるのか分からないのがこの世界、良いものが出る事を期待したい。

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2018年11月21日

くろねこ

      黒猫の表と裏

DSCN0978.JPG 黒猫に付いては色々な説があり、どれが本当か分からない位存在するが、実際の黒猫は性格がおとなしくて、人なっこい性格であると動物学では言われているらしい。
 西洋では魔女の使いとして嫌われていたり、その反面悪魔から災いを避けてくれると信じられてもいるらしく、此方も善悪が同居しているようである。
 日本でも、昔から黒猫に付いては色々な良くない説があるが、そんな事は当の黒猫本人は迷惑な話に違いなく、人間様が勝手につけた濡れ衣でもある。
 よく言われて来たのはクロネコは不吉な予感のする猫のイメージ、あの黒い色が不吉とされ、クロネコを見ると良くない事が起こると言われた。
 昔の人は黒色には良くないイメージが付いて回ったと言われ、それが猫にも向けられて行ったと言う事、たしかに神秘的ではある。
 然しながら本当にクロネコは不吉な猫であるのか、その姿とは別の面を持っていると飼い主たちは言う、色で決めつけるのはおかしいと。
 事実、家庭で飼われている黒猫は、やっぱり人なっこい性格のようで、おとなしくて家庭的な性格で、飼うのにも飼いやすく癒されると評判は良いようである。くろねこ.jpg

 黒猫でも、種類が沢山あってどれが良いかは好き好きであるが、人気の高いのは目の色が金色、ブルーだそうで、特に金色が良いそうである。
 実は、招き猫も商売繁盛には黒猫の招き猫が好まれるようで、金色の目が暗闇の先を見通せると信じられていて、商売には縁起が良いとされているから、やっぱり厄除けにご利益があるようである。
 写真の下の黒猫の招き猫、実に堂々としていて、手を挙げた姿は如何にも威厳があり、之を製造した作者は良い腕の招き職人であったのではないだろうか。
 高さ60センチ強と大振で、程度はバッグンに良く、ご利益が如何にもありそうで、ツイツイ拝みたくなるような招き猫である。
 とにかく黒色の猫は雰囲気はほかの猫たちとは違ったもの、独特の雰囲気がある。
 やはり神秘的なイメージを持っている猫、そのが最大の持ち味でもあり黒色の招き猫は、その雰囲気から愛好者が多く、今では引っ張りだこの人気を誇っている。
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2018年11月20日

郷土玩具

    全国各地

SANY8477.JPG 郷土玩具とは、その土地土地で造られた素朴な玩具をさし、日本各地に存在しているもの、古くから作られたものもある。
 主に農閑期に内職としてつくられたと言われており、土地土地の材料で素朴なものがつくられ販売された。
 各地に伝わる郷土玩具、その土地の言い伝えや昔話を題材にしてつくられたもの、祭りなどを象ったもの、伝説を題材にしたものなどがある。
 いずれも素朴なものが多く、簡素で温かみのあるものが多く、土地土地に根付いた復職の産物であると言えよう。
 材質を見ても、その土地で容易に手に入るものを使用してつくられており、原価的にも安いもので仕上がっている事だ。
 勿論、それが本職でないものがつくるため、大量に生産されることはなく、あくまでも農閑期の復職であった。SANY8482.JPG
 そんな中、日本三大人形と呼ばれる郷土玩具、長崎の古賀人形、京都の伏見人形、仙台の堤人形がそれである。
 その中でも京都の伏見人形は歴史が古く、伏見稲荷の門前で売られていたもので、復職とは少し違っている。
 お稲荷さんの土産物として売り出され、人気を博した人形で他の郷土玩具と一線をかくしているが素朴さはそのままである。
 この人形が全国に広まり、郷土玩具の見本となった事は確か、各地で盛んにつくられるようになり、土着化して行ったようだ。

 相良人形、この人形も又その流れをくむもの、堤人形の影響を受け特徴を受け継いで入るが独立した人形でもある。
 寛政年間に始まったと言われSANY8483.JPG、御用窯を辞した相良清左衛門が窯を開いたのが最初と言われているが、その後断絶したものを7代目の相良たかし氏が復興したものが現在に至っている。
 現在は8代目が受け継ぎ制作されおり、相良人形の伝統を受け継いで工房で製作がされたかし氏後を追っている。
 写真の相良人形は私が米沢の工房を訪ねた時に買いもとめたもの、はじめて会ってからすでに40数年が経っているが、その時の感激は今でも覚えており、大事に持って帰った記憶が鮮明に浮かぶのだ。
 伝統的でありながら独特の彩色、新しさと古さの競演、初めて目にして直ぐに気に入った郷土玩具と言えよう。
 それ以来我が家では毎年出して飾り、相良人形の雰囲気を楽しんでいるが、雛人形は首が取り外し出来るので気お付けなければならない。
 素朴な郷土玩具、最近また陽の目を見出したと聞いているが、どれ程の人気かは分からないが続いて欲しいものだと思う。


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2018年11月19日

ネタが尽きた

      何処にネタが

 SANY8470.JPG毎日更新しているブログ、はじめてから丸8年になり自分でも信じられない気持ち、良くも続いたものだと感心する。
 当初はこんなに長く続く事は予想もしなくて、単なる遊びではじめた事、友人からは「何時まで続く事やら」とか、「そんなに気張らなくても気楽に行け」とか、色々な言葉を貰った。
 勿論自分自身もそんな事は考えず、軽い気持ちで始め、何時でもやめる気持ちでいたのだが、ツイツイやめる時を外してしまった。
 今にして思えば何で早くやめなかったのかとツクヅク後悔している毎日、それも夜が来ると気持ちが強くなる。
 「今日もブログを書かないと」、そんな思いが持ち上げて来るのも夜、12時までに更新しなければならないと焦ってしまう。
 別に罰則がある訳でも無し、書かないからと言って誰も怒らないが、夜になれば何時ものように気持ちが焦って来るのだ。
 人間なんて不思議なもので、昨日と同じ様でなければ不安になり、何故かそれを続けたいと思ってしまうものでもある。
 友人は「同じ事を書くならばやめておけ」と忠告してくれ、そんなに書けないならやめろとも言うのだが。

 確かにその通り、くだらない事を書くのであれば書かない方がよくSANY8464.JPG、恥をかくだけである事は承知しているつもり。
 5年間続けている雑誌もまた同じような事、中々記事を書く事が出来なくなり、読者に失礼になるのだとも思う。
 物書きとは大変な事だとつくづく思う日々、どうして小説家はあんなにスラスラとものが書けるのかと感心する。
 ある作家は本文よりもネタ帳の方が多いと聞く、十分な下調べを行い膨大な資料を基に本文を書くと言う。
 生半可な資料だけでは到底書けない文章だと言うが、それでなければ良いものは書けないと思うし、それが小説家でもある。
 一流の小説家は膨大な資料の中、想像を膨らまして文章を書くのであろう、我々のおよびもしない苦労をしているのだと思う。
 文章とは一度書いてしまえば永久に残るもの、失敗は許されないもので後で後悔しても何時までもそのままである。
 だから恐ろしいものだと気付くが、素人はそんな難しい事は出来ないから、武運相応のもので良いのではと、そんな妥協で今日も過ぎて行く。
 しかし、今日は何のネタで書くのか、それすら思いつかない日、そんな日はキリキリの時間まで悩むことになる。



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2018年11月18日

お気に入りです

      好きなものは手元に

 SANY0629.JPG誰でも、自分の好きなものは手元において置きたいものだが、其れがどんなものでかまわないもの、人が首をかしげる物でもだ。
 自分が好きであればどんなものでも、人がなんと言ようとも、それが好きだから、誰でも自分の好きなものを人からとやかく言われたく無いものだ。
 自分が好きならそれで良く、手もとに置いておきたいのだが、されとて人の目も気になるとは人の常、私もその1人で人からとやかく言われたくない。
 友人がこの時計気に入ったから貸してくれと言い出し、自分の店に展示したいと言う、結構な事、置き場所にも困っている現状、願ってもない事だ。
 友人は自分の気にいった時計を物色、何点かを選び出して持っていったが、後日友人の店に行ったら、棚にその時計が並べてあった。

 置時計ばかり持って行ったのでこちらは大助かり、掛時計と違って置時計は場所を取る、多すぎると置く場所に困り、ダンボールの中に。
 そんな事より友人の店で展示した方が余程良い、その時計は棚に並べてあったが、私の家に居た時よりも居心地が良さそうだ。
SANY0637.JPG 他の時計達と一緒に棚に澄ました顔で並んでいるのを見ると、何だか嫌味みたいな気になって来るが、それは気のせいなのか。
 家に居る時は部屋の隅に積み上げてあったので、ここではお客様扱い、澄ました顔で居るのが滑稽に見えてくるが、彼らは余程喜んでいるようだ。
 友人が気に入った時計をスケッチして、その時計の隣に展示してあり、如何なも高級な時計のように見えてくるから不思議だ。
 友人は絵の専門家でもあるから上手いのは当たり前だが、こんな形で展示すると如何にも雰囲気が良く、まったく別の時計に見えてくるのだから不思議。
 多少錆びていても、それは歴史であることの証し、気に入ったものに囲まれて生活するのも良い、人がなんと言おうとも、それが友人の言葉だ。
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2018年11月17日

何でギボシ

      通称ギボシ

 ぎぼしし.jpg通称とはその物に付けられた別名の事、形やその他がほかの物によく似たものと喩えられた名前の事、日本人は喩えが上手い民族でもある。
 昔から、別名で呼ばれてきた物も多く、別名の方が有名と成ったものもあり、通称とは面白い呼び名でもあるが、似ても似つかないものも存在する。
 今回の「ギボシ」、時計についている装飾品、明治時代に西洋から入ってきた、スリゲル型の時計に付いていた飾り、この飾りを称して、日本の物によく似たのがあったので、その呼び名が付いた。
 その飾りの呼び名は「擬宝珠」、そもそもギボシとは橋の欄干の支柱上部に付いている金具の事、宝珠型の飾り金具、よく見かけるが記憶にない人が多い。
 この金具は元々支柱を雨から守る為の飾り金具、、語源は海底に住む竜王に付いている宝珠とされ、毒の浸透を防ぐと共に火から守る役目をするものらしい。
 その伝説にちなんで、火災から橋を守る役目を果たすとされているのだが、その形が西洋時計についている飾りとよく似ている事から、「ギボシ」と呼ばれるようになった。SANY8357.JPG

 下の写真のギボシ、西洋時計の時計に付いている飾り物だが、この形が橋の欄干についているギボシと似ているらしいが、似ていると言われればそうかと思うが、似ていないと言われれば、似ていないと思うが、どっちだと言われれば似ているかなと思える。
 上の写真は橋の欄干についている本物の擬宝珠、本物を見るとヤッパリ似ていないようだが、昔の人は之とよく似ていると思ったらしく、通称ギボシで通り名となったようだ。
 その後、日本で作られたスリゲル型の時計には、このギボシが飾りとして付けられているが、製造元の違いにより、様々な形のギボシが作られていった。
  形もはじめの頃は良く似たものであったようだが、時代が下がるに連れて、形も変化して行く事になる。
 ギボシもギボシらしからぬものに変化してゆく事になるが、其れもギボシの発達でもある。
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2018年11月16日

やはり菊

    小菊の方が

SANY0189.JPG
 秋、何処と香りがかすかに香るころ、わが家の小さな庭に小菊が盛んに咲いており、秋を感じている今日この頃。
 菊の種類は多いと聞くが、見た目に派手な菊と、控えめで小さな小菊、対照的な花であるが、どちらも和む花。
 この菊、日本の花と思っていたが、奈良時代に中国よりやって来たとのこと、古来からの日本の花と思っていた。
 そう言えばヨーロッパでも盛んに作られていたのを思い出したが、ヨーロッパの菊とは少し違うように思う。
 平安時代には宮中で愛された花らしく、高貴な花として昔から作られていたらしいが、鎌倉時代から武士にも愛された。
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 江戸時代に入り、武士のたしなみとして菊の栽培が盛んとなり、大小の菊が作られ、花を競い合ったと言われる。
 菊の種類も嵯峨菊、伊勢菊、美濃菊、江戸菊、肥後菊などの種類が、それぞれの歴史があり、武士が作り上げたと言われる。
 彼らは菊の栽培も武士道につながると、端正に育て献上したも言われ、菊に対する心が少し違っていたようだ。

 もちろん一般庶民も菊を愛し、品評会も開催され、美しさを競い合ったらしく、とくに産地同士で競い合った。
 そんな派手な菊よりも、小菊のほうが可愛らしくて良いと思うが、派手なSANY0832.JPG菊は長く見ていると飽きてくるもの、しかし小菊は違う。
 いつ見ても可愛らしくて飽きないもの、派手さはないが親しみやすく、それでいて存在感がある花だと思う。
 もちろん好き好きで、大きな派手で色よい花が好きな人も多いが、野に咲く野菊のような可憐なものがよい。
 写真は我が家の庭の菊、数は多くないが、そこそこの種類があるらしいが、それがどんなものなのかは知らないのだ。
 これから冬に向かって、長く咲いてくれるのもうれしい花、パッと咲いて、パッと散る花ではないから、長く楽しめる花だ。

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2018年11月15日

龍馬とお龍

      今日が命日

SANY9838.JPG 坂本龍馬、稀代の英雄として現在でも人気の高い人物、明治維新の立役者として人気が高いがその反面評価が分かれているのも龍馬である。
 そして龍馬ほど不明な点が多い人物も居ない位に謎だらけ、一介の素浪人が上は大名から下は商人にまで通じた人物はいないと言われている。
 よく言われるのは明治維新の立役者は西郷、大久保、木戸であり、龍馬はその下で働いたに過ぎないと言う人も多い。
 確かに謎多きが故にハッキリと証拠の残っている人物が評価されているのも確か、しかし現在でも龍馬の功績を示す資料が発見されており、謎の部分の解明も進んでいる。
 西郷、大久保、木戸等は藩と言う枠から抜け出ておらず、常に藩中心であった事は維新後も証拠として残っている。
 新資料の発見で龍馬の功績が新たに出るたびに、日本の新時代を見つめていた龍馬の証拠が次々と明らかとなっている。
 まだまだ新証拠が出て来ると思うが、逆にSANY8208.JPG西郷や大久保の出なかった部分も見えてくると過大評価だと言う人も反論できないであろう。
 いずれにしろ今後も新証拠が出て来て龍馬の功績が立証されると思う、その龍馬今日が命日である。
 近江屋で暗殺されたが何故居所が分かったのであろうか、色々な論議がある中、妻のお龍が関係しているとの裏証拠もある。
 自分の夫龍馬の居所を彦根藩主西村松兵衛に知らせたとの説があり、この松兵衛とは寺田屋時代に知り合ったとも言われ、お龍は明治8年松兵衛と結婚している。
 西村松兵衛は彦根藩士で会津藩とも親しく、龍馬の情勢を逐一調べあげ、会津藩に報告していたと言う。
 龍馬暗殺は会津藩が京都見廻組に指示して暗殺を決行したとの事、現在ではこの説が信憑性があるとされている。
 もしそれが事実であるならばお龍は自分の夫龍馬を自らの手で殺したことになり、意外な結果となる。
 龍馬が愛したお龍、それが彦根藩や会津藩のスパイであったとするならば、龍馬ファンにとっては居た堪れないものとなる。
 色々な事実に基づいての新説であるが、西村松兵衛と再婚したことは事実であり、それも明治8年にはすでに再婚しているのだから。
 この事実をどのように受け止めればよいのか、まだまだ龍馬の記録が出て来ると確信していて、何時か真実が明るみに出るのではないだろうか。


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2018年11月14日

感覚の違い

      こけしブーム

 SANY1012.JPG最近またもこけしブームと言われて久しいが、瀬戸市の久米邸に展示してあるこけしに質問が多いらしい。
 私が展示してから大分時間が経っているが、それ程関心を持たれなかって様に感じていたので急に質問が多くなったとは。
 確かに最近こけしブームと聞くが、周りを見渡してもそんな気配は感じず、ブームと言われてもピンと来なかった。
 勿論私がこけしを集めたのは偶然のなせる業、たまたま見かけたこけしが小椋久太郎のこけし。
 ある所で見かけ、面白い顔をしているこけしだと思っていただけの事、それが秋田での印象であった。
SANY0996.JPG
 その後再び秋田で巨大な久太郎のこけしを見て、突然欲しくなったので買い求めたのが最初である。
 小椋久太郎のこけし、何とも言えない愁いを帯びた顔、その顔に引き付けられてこけしを買い求めたと言った良い。
 それ以来何とはなしに久太郎のこけしを買い求め、自分でも気が付かないうちに段々と増えて行ったようだ。
 人は何で久太郎のこけしばかり集めるのだと聞くが、自分でもそれを目当てに買い求めたのではなく、知らないうちに増えたのだ。
 一番大きなものは1メートル20センチのものが最高、確かな数は多いと自分でも思うが偶々そうなってしまっただけの事。
 こけしを集めようと思って集めた訳でないから自然にそうなり、現在に至SANY1022.JPGっているのだが、人はそうは思わないらしい。
 そのこけし、最近若い女性が見に来ると言う事らしく、こちらの知らないうちに評判となっている由。
 それになんでも鑑定団でこけしが馬鹿高い値段が付いたので、急に関心が持たれた様であるが訳が分からない。


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2018年11月13日

今は懐かしい

      ブキリノ玩具

 SANY6587.JPGブリキの玩具は明治時代に海外から入ってきたが、その後日本でも製造されるようになり、昭和20年から30年頃がピーク、その後は海外に多く輸出された。
 特に日本のブリキの玩具は製品としても優秀な出来であり、その製品は海外で高く評価されドイツと肩を並べるようになり、特にアメリカで持て囃された。
 日本製のブリキの玩具、精密で丈夫カラフルなデザインとアメリカ人に好まれ、ドイツものを凌ぐ勢いでアメリカ市場を駆逐して行くことに、しかしその後は安い中国製品に取って代わられ、昭和40年代からは減少の一途を辿る事となる。
 写真の玩具、そのような状況の中で製造されたもの、今見ても当時の様子が伺える歴史の証人みたいな物、ブリキの玩具としては最後となる過度期の物だ。

 この玩具より後はプラスチックが取り入れられ、今までの雰囲気とは違ったものが製造されるようになるが、中国で製造される安いブリキの玩具に対抗する為、コスト重視の製造が始まるのだ。
 海外の市場を確保する為には仕方のない事だが、結局はSANY3423.JPG自分の首を自分で締める結果となり、ブリキの玩具は市場から消えて行ったようだ。
 写真の玩具、今見ると懐かしい車の形、JAFのマークや車に施された色彩、当時の状況が思い出されるようなもの、車の側面のドアーに書かれた日本自動車連盟の文字、今の書体とは違ったものだ。
 タクシーも同じ様に今のものとは一味も違った車、時代の流れが刻まれている姿だが、ゼンマイ仕掛けの仕組みも、これ以後簡素化されたものとなる。
 時代の生き証人とは、後世にその当時の姿をそのまま伝えてゆくのが使命、そのような宿命を持たされたブリキの玩具、懐かしさと同時に歴史を伝えて行って欲しいものだ。
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2018年11月12日

ネットの落とし穴3

      便利だが

SANY4137.JPG インターネットのオークション、今では極普通に取引をしているが、ネットでの取引は安全なものではなく、お金を振り込んでも品物が届かないとか。
 もしくは、品物が届いたが中身が違うものが出てきたとか、トラブルは今や日常茶飯事の出来事、あちらこちらで耳にする機会が多くなった。
 そんな話、人事ではなく私も又捕まってしまったのだが、前にもネットで買い込んだものが良くなかった事を書いたので、余り書きたくはないのだが、失敗は失敗で素直に認めなければ。
 何時ものように時計のページを見ていたら、懐かしい時計が出ていたのでツイツイ見る事に、見た感じでは極普通のものと判断、値段が安いので入札してもらう事にした。
 自分では入札できない為に、友人任せの取引に、例によって友人二つ返事で入札、もちろん安い提示価格で入札してもらったものだが、友人「又騙されるぞ」と電話の向うでいきまく。

SANY4140.JPG 「今度こそ大丈夫だ」と私が言うと、「その返事を何度聞いたことか」と友人、そんなやり取りをしてから、入札してもらった事も忘れていた頃、友人が時計を持って現れ、「何だか音がする」と言って手渡した荷物。
 開けて中から取り出した時計、ヤッパリカラカラと音がするので、荷物を開ければ時計の裏蓋が外れていたのだ、単なるネジが外れていると思っていた。
 しかし、結果は中の機械がないのだ、私が唖然としていると、友人「ヤッパリ捕まったか」とひとり言、またまたやられてしまったので、友人に「相手に文句を言え」と言う。
 すると友人、文句を言ってもダメだと思うけど、「やれと言うのならやるよ」と言って帰って行ったが、後日友人から、結果相手はトンズラで出ないとの事。
 ヤッパリまたまた捕まってしまったと、1人ブツブツ言ってこの件は決着、しかしながら改めてネットでの取引を注意しないと、肝に銘じているのだが、何時まで続くことか。
 写真は、中身のない時計、外から見た分は中身がないとは分からないもの、未だに中身無しの状態で鎮座、之を見て再度肝に銘じているのだが。
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2018年11月11日

初自然薯

      我が家の自然薯めし 

DSCN0345.JPG 今期始めてのとろろ飯、例年の事であるが秋になればとろろ飯、つまり自然薯を食べる季節がやって来たことになるが、これが大変だ。
 つまり自然薯の調達から、製造まで、すべてが私一人でやらなければ成らないからで、何故そんなに大変かお分かりにならないと思う。
 自然薯のとろろ飯、食べるのは簡単で直ぐに食べられ短時間で食してしまうが、調達と製造は大変な重労働で、この季節になると疲れがどっと出るのも又、自然薯めしのため。
 少し前までは自分で自然薯を掘り出していたし、又それが秋の楽しみでもあり、友人の持ち山、岐阜県恵那市に何時も自然薯堀に友人たちと出かけてた。
 山の持ち主である友人は、何処に自然薯が多く大きなものがあるかは、当然熟知しており我々にその場所に案内してくれ、後は私の仲間が掘り出すのが恒例の行事でもあった。
 掘り出し道具も友人がすべて用意してくれているから、後は掘り出すだけであるが、それが大変な作業であり、実際に経験してみないと多分分かりずらいかも。
 私の友人共は、普段から楽ばかりしているから、この時ぐらいはと張り切るが、全然長続きしないのも又常、2本位掘り出しただけでもう根を上げる始末。
 体力には自信があるとかで、「ゴルフをやっているから」とか、「マラソンをやっている」とか、「野球をやっている」とか口は勇ましく、まくし立てていたがこのざまである。

DSCN0346.JPG 中腰で重い道具を使って掘り出すため、普段使っていない筋肉を使うため、直ぐにバテバテ自然薯を掘り出す何処ろではなくなり、その場に座り込んで動かない。
 何もしなくて見ていた山の持ち主が、「何しに来たのだ、そんなに早くダウンするとは」と呆れて、後は黙々と自然薯堀を続行、あれだけ体力には自信があると、息巻いていた者共は何処へやら。
 結局は山の持ち主が全部掘り出してくれ、其の薯をあたかも自分たちで掘り出してきたかのように、自然薯の入った籠を担いで山を降りるのも又何時もの光景でもあった。
 そして、愈々自然薯を摩り下ろす、先ず2人して瀬戸物の卸板で荒く摩り下ろし、別の2人がすり鉢で荒く摩られた自然薯を、山椒の木で出来たすりこ木で根気良くすり出す。
 すり出してから1時間、皆が「まだ早い」、「もっと摩れ」とか、「摩り方がおかしい」とか喧々諤々と、正に戦場さながらの勢い、これが無いと自然薯を皆で食べる面白さが無い。
 兎に角自分の意見を出せるだけ出し、お互いに摩りつかれて、後はとろろ汁を食べるだけであるが、今度は出来上がったとろろ汁の味で又、一騒動である。
 「出汁が利き過ぎ」とか、「味が薄い」とか、「汁が辛すぎるとか」まあ言いたい放題、そんなに文句を言うのであれば食べなければ良いのにと思う。
 







 
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2018年11月10日

紅葉狩り

      紅 葉 ま っ さ か り
SANY0781.JPG 只今紅葉真っ盛り、全国の紅葉の名所は観光客で何処も一杯、人を見に行くのか何を見に行くのか分からない位、でもこの秋色に染まった紅葉を見れば苦労も素っ飛ぶ。
 毎年の事であるが人々はこの景色を見るために我慢して、渋滞を抜け、人ごみを我慢して、それでも紅葉を身に行くことを忘れないで、古来より続けている。

           「ちはやぶる  神代もきかず  竜田川  から紅に 水くくるとは」

           「嵐吹く  三室の山の  紅葉葉は  龍田の川の  錦なりけり」

 この詩が詠われたのは万葉の昔、奈良大和路斑鳩の里、この奥にある名称竜田川、此処の紅葉を愛でた万葉人が詠った有名なもの2首である。SANY0782.JPG
 美しい紅葉は、やはり万葉人も魅了、深い山に分け入って苦労しても、紅葉を見に出かけているが、今よりももっと苦労しての見物であった事と思われる。
 それ故に竜田川の紅葉を感動的に写ったのであろうが、日本人は古来より春の桜と、秋の紅葉をこよなく愛してきた歴史があり、今も昔も変わる事がない。
 そんな苦労して紅葉を見に行かなくても、写真の絵を見て満足してみたらどうだろうか、これは竜田川の紅葉を図案化した秋限定の煙草の包装紙。である
 明治時代、三河の国豊橋で製造された煙草、その包装紙に描かれている竜田川の紅葉、からくれないに水くくる風景が見事に描かれているもの。
 この煙草を見て、遠く大和の国の竜田川の紅葉を思い浮かべてみるのも、一興ではないかと思うが、明治当時の人はどの様にこの煙草を見て感じのか知りたいものだ。
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