2019年01月20日

思い出の品10

      人と違ったもの

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 若い頃より時計に興味を持っていたが、実際に集めることはしなかったので、好きなものだけ買い求めていた頃、個性的な時計を手に入れた。
 皆と違ったものを手に嵌めたいと、奇抜な時計は無いものかとあちらこちらの店を回り、兎に角良く回り歩いたものだ、ある店では昔売れ残った時計を見せて貰い、気に入ったものを分けてもらった事も。
 その当時はリサイクルショップ等ない時代、質屋の売り出しに良く通ったもので、特に百貨店の売出しには朝から並んだ事もしばしばであった。
 百貨店の質流れ市、ここには多くの時計が集合するから、その中にはひょっとして自分好みの時計があるやも知れず、手当たり次第に質流れ市を回った。
 当時の質流れ市は大々的なものが多くて、大量の質流れの品があり、勿論値段も格安であったから、私たち金の無い若者にとっては格好の市であった。
 当然新品の時計は高くて買えず、自分の予算にあったものしか買えない事もあり、そんな予算内に時計を求めて探し回り、見つけ出したときの喜びは一入であった。

 そしてもう1つが鉄道の忘れ物市、この市も質流れ市と同じく、時計も良く出たもの、しかしSANY8473.JPG質流れ市のような品物も良く無いものが多く、それはそれで良かった。
 何故ならば質流れの商品よりもモット安く買えたからで、少し程度は悪いが値段には変えられず、遊び心で買い求めたものも多く、直ぐに飽きてしまった事も多い。
 やっぱり質流れ市には敵わず、忘れ物市はそれから足が遠のくことになるが、質流れ市は相変わらず巡ったもの、今回の時計がそれである。
 2つとも新品の状態の時計であり、売れずに取り残ったもの、今で言うデッドストックと言われる商品、当時は売れ残りの品として、安く売りに出されたもの。
 その中から奇抜な時計を掘り出して、自分好みの物を手にし、買い求めた時計、上の時計はブレスレットになった時計で、白黒の変わった文字盤と形が気に入って買い込んだ。
 勿論手巻きの腕時計、高級品ではなく、デザイン重視の腕時計、好き嫌いのハッキリした時計、目立つ事は目立つが、少し重いのが欠点だと思う。
 精度は二の次、格好良さだけの時計、この時計を良く使い、特に夏にはピッタリと使ったものだが、冬には向かない時計でもある。


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2019年01月19日

のらくろ

      野良犬黒吉

 1931年に発表された漫画の主人公、黒色の野良犬黒吉が可笑しく起こす騒動をコミカルに描いた物語、軍隊にヒントを得て作られた漫画である。
 昭和6年に田河水泡が原作者、昭和と言う時代を野良犬にふうして、可笑しく世相を切った物語だというが、私は余り見たことがないからハッキリとは言えないのだ。
 この物語は野良犬の黒吉が、猛犬連隊に入隊して、段々と昇格してゆく話であるが、勇猛果敢な軍人ではなく、二等兵からコツコツと積み上げて行くタイプの姿を描いている。
 この漫画は1931年に発表され、現在まで続く息の長い漫画でもあり、1988年にもテレビアニメとして放送され、2001年にものらくろクンの名称でアニメ化されている。
 戦前には人気を博して、色々なものが発売されたようで、当時は著作権の意味も分からずに、田河水泡の許可なく勝手にキャラクターを拝借して、海賊版のものが売り出されたようだ。
 今の中国のような状態であったらしく、何処の誰とも分からない人物がのらくろの絵を勝手に使って色々な物を発売して利益を挙げたようである。

 今の時代では考えられない状態であったらしく、田河水泡の許可なく勝手に商品を作り売り出し儲けたところも数多いと聞く。
 特許等何処吹く風とばかりに儲ければよいの中国方式、日本でもこの時代はそれがまかり通った時代、今の中国を馬鹿にしている人も、かっては日本もそのだったと。
 この事について田河水泡は聞かれたらしいが、彼は多くの人が喜んでくれればそれでよいと、それだけ「のらくろ」が愛されている証拠だと、周囲の人が気をもんでも動じなかったらしい。
 流石は大先生、少々の事では驚かない大物、こんなおおらかさが「のらくろ」を生む原動力になっている事は確か、大きな気持ちでなければ漫画は書けないと。
 一部ではのらくろは戦争を引きずっていると批判する人も居るが、田河水泡も戦争には批判的、しかし戦時下では漫画もああなるのだと言う事だ。
 現代的にはのらくろクンになるはず、しかしこれは昔ののらくろ、可愛らしいがやっぱり古いのらくろ、果たしてこの対象年齢は子供なのでしょうか。

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2019年01月18日

顔に個性

    やっぱり久太郎
 
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 こけしは今流行期、若い女性たちの人気の的と言う、三次とも四次とも言われる流行、それがこけしのブーム。
 今も昔もこけしに魅せられた人が多い事を物語っていると思う、しかしそのこけしの見方は少し違っている。
 今は現代的な装飾こけしが人気と言う、今までのこけしの概念を全く変えたこけしが人気と、驚くほかはない。
 その新作こけしを見たが、確かに斬新なものだと思うが、私は買う気が出ないもの、ヤッパリこけしは昔からの形が良い。
 現代的なこけしは時代の流れとも言うが、それはそれとして良いと思うが、私の思うこけしとは違うもの。
 勿論古い物が良いと言う事ではなく、好き好きであるからそれはそれ、そんなこけしの中、個性のあるこけしが。SANY8221.JPG

 個性と言うと癖が強くて、一般の人には好きになれないと言うようなものではなく、一目見ても分かる顔だちとか、胴の絵柄とかである。
 飛び抜けて変わったこけしと言う事はなく、しかし誰が見ても個性の塊と思うもの、そんなこけしが好きである。
 その一番はやっぱり小椋久太郎のこけし、このこけしは私に言わせれば、こけしの中のこけしと言うものだと思っている。
 一目で久太郎と分かるこけしはそんなに多くないもの、それが小椋久太郎のこけし、何処となく憂いを込めたあの目。

 そして独特の胴に書かれた花の絵、前垂れと言われているスタイル、何処を取っても個性の塊、然し嫌味が無いのだ。SANY7862.JPG
 個性が強いと先に嫌味が立つと言われるが、このこけしに限ってはそんな事はなく、むしろそれが良い方に出ていると思う。
 二つ目は鈴木昭二のこけし、彼のこけしもまた個性の塊のもの、久太郎とは違った個性、障子のこけしは可愛らしいものだ。
 このこけしは胴が少し変わっており、キュートなスタイル、絶妙なバランスの取れたこけしであると思っている。
 三つ目が高橋武蔵のこけし、このこけしは、これぞ典型的な東北のこけし、どっしりとしたスタイルの本物のこけし。
 顔も又スッキリとした東北美人、その顔の描きが高橋武蔵のこけし、古典的であるがゆえに優美さがにじみ出ているこけしだと思う。
 この三つのこけしは、まさにこけしの中のこけしと私は思っているのだが、果たして人はどの様に思うのか。
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2019年01月17日

パリ万博

    エッフェル塔
 SANY8951.JPG1889年、明治22年5月6日から10月31日まで第4回パリ万博が開催され、盛大なセレモニーが行われたが、この年はフランス革命、バスティーユ襲撃からちょうど百年にも当たる。
 その為にフランス政府は国の威信をかけてパリ万博を開催、シャン、ド、マルス公園を主会場に、今までにない新しい建物が多く建設された。
 その筆頭がエッフェル塔、当時世界一の高さを誇り、昭和時代に入り日本の東京タワーに抜かれるまで、その偉容を誇っていた。
 高さは312メートル、鋼鉄を使って建てられた新しい塔、パリのシンボルとして世界に誇る建物となり、万博後パリの観光名所となる。
 鋼鉄は、この万博を期に建物やあらゆるものに使われるようになり、今回の懐中時計にも使われるのだ、懐中時計と言えば金や銀製品が普通。
 今我々が思っている鋼鉄と、その当時の鋼鉄とでは感覚が全く違い、当時最新の鉄であった事、その最新の材料で懐中時計の側を造ったのだ。
 当時、これまで金や銀で製造していたメーカーも、こぞって最新の素材を懐中時計に使用、勿論当時の人たちも最新の材料に憧れていた。SANY8958.JPGSANY8956.JPG

 現代人は鋼鉄が余程、当時安価な時計であったのかと思ってしまうが、決して当時は安くなく、むしろ金や銀よりも評価は高かったようだ。
 今考えれば、そんな馬鹿なと思うだろうけど、決して安価な素材でなかった事を裏付ける懐中時計、この他にも色々なものが鋼鉄で当時製造された。
 この懐中時計、表裏両面時計とした製造された物、勿論表には時間を告げる文字盤、その文字盤中央にはムーンフェイスが納まる。
 裏を返せば、カレンダーが付けられていおり、月、曜日、そして日付とトリプルカレンダーが付けられているもので、当時流行った機構の形式である。
 この様な懐中時計は高価であった事は確か、複雑な機構を備えたもの、普通の懐中時計とは一線引かれていた。
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2019年01月16日

追い込みに入る

    雛巡り

SANY1905.JPG 毎年この時期になるとラストスパート、今年の雛巡りは2月2日スタート、例年よりも早いスタートで少し焦りが。
 正月開けて、気分もまだ休日、しかし時間は待ったなし、既に一月も半ば、後半月余りしかなく、追い込みに拍車を掛けないと間に合わない。 毎年の事で慣れてはいるが、ヤッパリ気が焦るのに変わりはなく、順調に準備が進んでいるとは思えなく、少々疲れ気味。
 展示内容も毎年変えて展示するために、以前の記録は写真で確認、同じものを同じ場所に飾る事のないようにとチェック。
 若い人はタブレットで昨年の展示内容を見せてくれるが、記憶と少し違っていることもあり、その為に計画変更も茶飯事だ。
 今年も初物のデビューは多く、御殿飾りは初物が多いので、何処に何を展示するか検討に入ったものの、結論が出ない。
 原因は、今年の展示会場が多く増え、見栄えのする御殿飾りを展示して欲しいとの希望が多く、選考に四苦八苦しているからだ。
 見栄えの良いものを欲しいと言う人ばかりで、希望に添えるように御殿を選んで入るのだが、去年と同じものは避けているため、ヤッパリ頭を悩ます事しきりSANY1898.JPG

 展示会場で1番広いのは瀬戸市の中心部、古民家久米邸であり、ここの展示が決まらない事には先に進まない。
 その久米邸の展示、意見が多く出てどちらにするのか迷う事に、二間続きの展示会場で、迫力のあるものを展示したいのだ。
 あれこれ迷って、最終的には写真のような御殿に決まり、早速設置開始をしたが、大型御殿ばかり選んだ為に、展示スペースが足りなくなってしまった。
 1番大きな御殿は横幅150センチもあるもの、あとは130センチが2つ、そして小型の御殿が2つとスペースが足りない。
 またまた展示がストップ、さてさて頭の痛い事、何とかしないと時間がないのだが、この先どうなる事やら、お先真っ暗である。
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2019年01月15日

ラッパの蓄音機

   音がいい

 SANY9885.JPGラッパの蓄音機、その姿を見ただけで哀愁を感じさせるもの、自分では経験が無いのに何故かしら懐かしいものだが、何がそうさせるのか。
 独特のラッパ、蓄音機の象徴みたいな存在、蓄音機と言えばラッパの蓄音機、其れも朝顔型のラッパ、ラッパにも色々あり、ストレートなラッパ、朝顔型のラッパ、四角のラッパ、円錐形のラッパなど、種類は多くある。
 その中でも朝顔型のラッパがよい、蓄音機の代名詞として頭に浮かんでくるものだと言う、若い人たちに聞いても、年配者に聞いても同じ答え。
 頭の中に蓄音機は朝顔型と刷り込まれているみたいな感じ、しかし実際の蓄音機はラッパ型は少なく、殆どの蓄音機は箱型だ。
 箱型の蓄音機、ラッパは本体の仕組まれており、外部からは見えないようになっているので、ラッパが入っているとも思わないらしい。
 姿をかくしたラッパは目に見えないものだから、ムードとしては見えるものに軍配が上がるが、音量的には本体に仕組まれている物の方が良い。
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 蓄音機は音を増幅させないと大きな音にはならず、音を増幅されるには反響盤や反響しやすいものが必要、そんな訳でボックス型には、その工夫がなされている。
 その点朝顔型は古い形だから音もストレート、その雑な音が人間味があってよい、形と音そこには哀愁を帯びたものさえ感じる。
 少し位音が良くてもムードが無いものは蓄音機としては面白くなく、ヤッパリムードが先に来なくては蓄音機ではない。
 そんな思いを持っている人も多く、朝顔型のラッパで無ければ蓄音機で無いとまで言う人も、このラッパでこそ蓄音機だと。
 今は殆どインテリアとして存在している朝顔型の蓄音機、座っているだけで存在感のあるもの、何処と無く懐かしい雰囲気が良い。
 音が出なくても、そこにあるだけで人の気持ちを和らげる働きが、そして存在感があり、ヤッパリ懐かしさが人をひき付けるのかも知れない。
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2019年01月14日

どんど焼き(左義長)

      1月14日

 かみさま.jpg正月ももう14日、今日は小正月昔は今日までが松の内と言われていたが、最近では7日までとなり短くなってしまったが、この日正月飾りを持って年神様を送る日である。
 この風習は古くは平安時代に既に宮中で行われていた儀式であり、長い竹の柱を立て3本の柱を三角にして、その中に正月の飾りや天皇の手習いの書を入れて燃やした。
 宮中ではこの儀式を左義長と云い、室町時代には武家も宮中に習い左義長の風習を行い始め、その後現在まで延々と続くしきたりであり、一般庶民も武家に習い正月飾りを持ち寄り、年神様を送り出した。
 昔は松飾は大きくて、特に松の木が大きな物となっていたので、其れを山みたいに積み上げ、しめ縄や正月飾りを上に乗せて焚き、年神様を送り出した。
 この様な風習は日本全国に伝わり、特に江戸時代は幕府が将軍の権威を示す為に、全国の大名を江戸城に集めて、将軍自らが左義長の儀式を行った。

 現在はこの左義長、どんど焼きは余り見られなくなりあかたき.jpg、又規模も小さくなってしまった様であるが、正月の飾り特に門松を飾る家がなくなったのもその一因である。
 松飾は姿を消してしまい、現在は印刷物による物が多く、また松の木を手に入れるのも大変な時代、当然の事どんど焼きも小さくなって行った事は仕方のない事なのか。
 しかし、地方によっては未だ盛大に左義長を行う所もあり、日本の良き伝統を伝えてくれるが、この先は果たしてこの様な風習が続いて行くのであろうか。
 写真は昨年の瀬戸市のどんど焼きの模様で、河川敷に非常に大きな仕掛けが作られたおり、町内ごとに所定の位置に設置されている。
 支柱の竹竿は高さ20メイトルもあり、松を積み上げた高さは4メートルと大きく、之に火を入れると壮観なながめになる。
 今も続く正月の行事、年神様を送り出して正月気分とも分かれて、普通の生活に戻る節目でもある。
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2019年01月13日

手の一部

      使い込んだもの

 誰にも愛着のある一品があると思う、それが何であれ長年使い込んだものは、使いやSANY3731.JPGすくて愛着が湧くもの、ある人はジーパンであったり、ある人は家庭用品だったり、ある人は日用品だったりと様々な物が、人其々にあるもの。
 毎日使い込んだものには、自分の体の一部のようなもの、常に手の中にあり、空気の如く使いこなせるものだが、それはやはり体の一部となったものだ。
 もう40年も前の事、友人が革ジャンを買いに行くからつき合えと云って来たので、しかしなく付いて行く事に、専門店に行くのかと思いきや、見慣れない所に入っていった。
 そこは質流れ専門店、友人いわく「新品の革ジャンなんか着れるか」とうそぶく、しかし本心は金が無いからではなく、新品は嫌だからだが、それはさて置き友人、気に入った革ジャンを見つけて買い込んだ。
 私もついでにと物色、するとライターに目がとまり、その売り場に行くと高級なライターが並んでいたが、これは俺には買えないと思い、店員さんに安くて良いものは無いのかと尋ねてみた。
 すると店員さん「良い物が入っているよ」と、中から取り出したのが写真のライターだ、フランス、デュポン社のライターで、今までに見た黒漆のものとは違うもの。

 店員さんは「余り傷もなく程度が良く、値段も安くしてあるから買い得だと言う、値段を聞けば新品の10分の1の値段、之なら私でも奮発すれば買えるかもと思った。
 友人には中古等買うなと云いながら、自分も中古を買おうとしている自分に、SANY3735.JPG聊かのためらいもあり躊躇していると、友人「値段も安いから買わないと損」とせき立てる。
 確かにやすいし欲しい、しかし安いといっても給料の5分の1、ためらうのが当たり前の事、しかし店員の勧めに負け結局買い込んで友人と店を後にした。
 2人で近くの喫茶店に入り、今日見つけた革ジャンとライターの話しに夢中になる。
 友人はピッタリとした自分好みの革ジャンを見つけ、それも着て帰った来たからだ、すでに昔から着ているような素振り。
 確かにピカピカしていなくて、体に馴染んでおり、実に良い風情の革ジャン、私も欲しい位のものであった。
 すると友人「中古を馬鹿にしていたお前も、中古買いか」と嫌味を連発、そんな罵声を諸共せず、気に入って買ったライターを使って煙草を吸う、実にうまいと感じたものだ。
 それ以来40数年、このライターを使い込んで、今では私の手の中でシックリと馴染む、お気に入りのライターとなったのだが、それにしてもあの時買い込んで良かったと、今改めて思うものだ。
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2019年01月12日

どれが新しいのか

      オリジナルかどうか

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 何時も話題となるのが古時計のオリジナルせい、本当に昔ながらのオリジナルであるかどうか、愛好家が集まればこの事が何時も話題となる。
 オリジナルかどうかはその部品にもよるが、大抵の場合は文字盤であったり、ガラスであったりするのだが、見分けやすいものと、見分け難いものとがある。
 見分けやすいものは文字盤、オリジナルかどうかを判断するのに、簡単な部類に入るものだが、全く区別がつかないものも、だからこそオリジナルに拘るかも知れない。
 前にも何回となくオリジナルについて質問がされ、その都度質問の答えを載せてきたが、今回の質問はガラス、それもカットガラスなのだ。
 普通ガラスと言えば文字盤枠のガラス、このガラスがオリジナルかどうかとの質問が多く、その場合は古いガラスは波板状になっていること。
 SANY1242.JPGつまり皆が言う通りゆらゆらガラスであればオリジナルと判断してきたが、それは掛時計の事、今回のガラスは置時計のガラスの事である。
 置時計でもフランス枕時計のガラス、この時計のガラスはカットガラスが入れてあり、掛時計のガラスとは全く違う物、それも手の込んだカットガラス。
 相談があったのはこのフランス枕のガラス、所有してから大分経つとのことだが、友人がこのフランス枕のガラスを見て、所々違ったガラスが入って入ると指摘。

 今まで終ぞ気にしていなかったガラスについて指摘され、自分でも納得が行かなくなり、私のもとに持ち込んで来たものだが、ガラスは中々難しい物だ。
 よく言われるのは昔のガラスは鉛が入ったいるから、少し黒味がかかった物に、しかし現代のガラスは透明度が高くて、質の良い物である。
 当然だがフランス枕のガラスも鉛の入った物が使用されているはず、そこが決めてであり、透明度の高いガラスが入っていれば、後から入れたものとなる。
 SANY1255.JPGSANY1265.JPGそして、もう1つがガラスの厚み、オリジナルのガラスは分厚い物が使用されているので、これも判断の決め手となり、その点を良く見ることだ。
 写真でも分かるように、今回指摘されたガラス、特に湾曲している部分は厚さが違う物、そしてカットも薄いもの、明らかに後から入れたガラスであると思われる。
 友人に時計を分解して、この点を自分の目で見せ、厚さとカットの状態を指摘、右側のガラスはオリジナルのガラスでない事を分かって貰った。
 この様に疑問な点があれば、分解し比較して見ると、その違いがハッキリとするから、自分でも納得するはず、面倒くさがらずに自分で見ることだと思う、写真のガラス、2枚目は新しいガラス、その下の写真右が新しいガラス、見て分かるかな。
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2019年01月11日

鏡開き

      ぜんざいが1番

 SANY1855.JPG松の内が過ぎ、正月の飾り物を外して普段の生活に戻る時期、現代はセセコマシイ時代、正月も早く切り上げてしまうが、昔は1月20日が鏡開きの日であった。
 鏡開きとは正月に神仏にお供えした鏡餅を下げて、お下がりを家族で食べる風習を言う。
  色々な食べ方があるが一番はぜんざいにして食べるのが一般的なものなのか。
 この鏡開き、なぜ鏡開きなのかと言うと、室町時代に武具に鏡餅を備えて正月を迎えた。
 そして1月20日にお供えした餅を食べたが、武士にとっては「切る」とか「割る」とかは縁起が悪く、開くという言葉を用いた事に由来する。
 これが次第に一般庶民にも伝わり、正月20日に鏡餅を下げて食べる風習が広まった。
 当時は餅も特別な食べ物、現在みたいに何時でも食べられる物ではなく、正月かお祝い事意外には食べられなかったもの、ましてや年神様にお供えした鏡餅、ありがたく家族そろって鏡餅を食べ一年の無病息災を願ったものである。SANY1869.JPG
 
 つい最近までは各家庭で鏡餅も作っていたが、それも何時の間にかなくなってしまい、スーパーなどで買い求める時代になった。
 その上、鏡餅をお供えする家庭が段々と少なくなっていると言う、日本の正月の仕来りも時代と共に薄れて行きようである。
 現在ではパック式になっており、鏡餅もかびることはないが昔の鏡餅は正月の20日となればカビが生えて、青くなっていたものをカビを取り除いて食べたもの。
 やっぱり神様にお供えした餅、カビが生えていたからと言って粗末にしなかった昔の人々、食べ物が貴重だった時代、物を大切にする気持ちを忘れないで欲しいものだ。
 
 
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2019年01月10日

また恥をかく

       何でも知っている

SANY8155.JPG 古時計を集めていると、時計の事なら何でも知っていると思われているらしく、良くそんな質問を受けることがあるが、何でも知っている筈がない。
 長年古時計を研究している事から、細部的にも知らない事はないのではとか、変な誤解をしている人が多く、これまた困った事だと思っている。
 幾ら古時計を研究していても、何から何まで知っているものではなく、逆に知らないものの方が多いもので、此方が逆に知りたいと思う時もある。
 私の場合は掛時計が中心の蒐集、特に地元の名古屋の時計が主、腕時計や懐中時計、又置時計等知らないことばかりで、そんな時計の事を聞かれると、此方が困ってしまう事もある。
 掛時計に関してなら、明治、大正までのものであれば良いのだが、昭和に入ったものだと少し苦手になり、戦後のものだと全く知らないといえる。

 誰しも得て、不得手があり、得意分野ではその知識を出せる事もあるが、不得手な部分は全くと言って分からないのだが、質問されれば答えなくてはならない。
 そんな時ほど困る事はないが、知ったかぶりは禁物、後で恥をかくことになるのが落ちだからと思うが、しかしその場の雰囲気で云えない時もある。
 ある展示会場での事、知り合いが時計展をやっていたので表敬訪問した時の事、何やら人だかりがしていたのでツイツイその場へ見に行くことに。
 それは古時計を鑑定しているところであったので、私も見学するつもりで見ていたら、知り合いが私を見つけて「戸田さんこれ何処のか分かりますか」と突然聞いてきたのだ。
 まさか私に聞くとはと思いつつ、仕方なく知り合いの下に行き時計を見SANY7246.JPGることになってしまい、渋々時計を見たが、これが全く見たことのない時計だった。
 昭和に入ってから製造された時計には違いは無いが、何処の時計か全く分からないもの、持ち主は明治時代の時計だと思って持って来たらしく、知り合いも困っていた時だった。

 相手は私に何処のか教えて下さいと云うが、まったく知らないマークが付いているもので、返事に困ってしまい、昭和の時計には違いないが、何処の製造か分からないと答えた。
 すると「明治の時計ではないですか」と再度念を押してきたので、それはないですと答えると、時計の裏に明治44年と書いてあると言うのだ。
 確かに年号が書いてあり、確かめもせず、裏を見ずに形だけで判断してしまい、昭和だと言ってしまった自分が恥ずかしくて、先方に謝るやら、知り合いに謝るやらでさんざんであった。
 適当に見て良く調べもしなかったことを反省、その場の雰囲気を壊してし、大恥をかいてしまったもので、後で知り合いに「戸田さんでも間違える事もあるのだ」と嫌味を言われてしまった。
 ツイツイ知り合いの展示会だってので、気を許してしまい、結果は散々な事に、自分としても反省しなくては、この時のことを思うと、今でも顔が赤くなるのだ。








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ランプシェード

    絶対に古い

SANY2418.JPG アンティークランプ、最近はインテリアとして古いランプをつける人が多くなり、蛍光灯の灯りでは癒されないと、アンティークものが人気のようだ。
 特に女性に多い様で、気の利いたランプを求めてアンティークショップに、別に高級なものを求めているのではなく、あくまでもインテリアとしてのランプ。
 だから注文はうるさいようで、あれが良いとか、之が良いとか、ランプの物色をしている姿を見受けられるとのこと、そんなある日、知り合いの人がアンティークランプを買い込んだ。
 私のところに電話が入り、ランプシェードを買ったが良いものなので見てくれと言う、しかしガラスのランプは難しく、新しい物なのか、古い物なのか見分けるのは素人では困難だ。

 前から知り合いにはそのような事を言っていたのだが、其れを承知で買い込んだとの事だが、電話で説明SANY2419.JPGされても実物を見ないと何とも言えない。
 すると知り合いは、メールを送るから写真で見てくれと、本当は写真だけでは分かりずらく、判断は出来ないと伝えると、彼いわく「売主は信用できる人だから心配ない」と意気盛ん。
 そんなに信用のある所から買えば間違えないかと思い、写真だけでも良いと思って送ってもらったが、その写真を見た瞬間之はダメだと思った。
 アンティークランプを沢山見た人なら、殆どの人が分かる代物、そんな代物が写真に写っていたので、本人に「これは新しいものだ」と伝えると、そんな事はない絶対に古いと言い張る。
 彼と押し問答しても仕方がないので、別のアンティークショップに持って行って見て貰いなと、電話を切ったのであるが、何処に持っていっても同じ結果だが、本人が信じたくないのだから仕方がない。
 結局後日、彼から電話が入り、新しいもので今でも売っている代物とのことだったと、そして彼は信用していたのに裏切られたと、販売した店主に不信感をあらわにしていた。
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2019年01月09日

ステンドグラス

    光線のかげん
 SANY8619.JPG明治時代西洋建築がさかんに造られ日本各地に其の姿を留めているが、多くの建物にはステンドグラスが使われている。
 文明開化の名のもと、西洋建築は大流行、わけの分からない建物も現存しているが、日本人の手によるものがほとんど。
 今までの建て方とは違い、全く新しい建て方として当時の大工を悩ませたことだろうが、そこは日本の大工へこたれなかった。
 和様折衷とも言うべき建物が造られたが、当時の大工の心意気とも取れる建物が現存しており、色々な工夫が施されているのだ。
 そんな建物が横浜や神戸、長崎と港町に多く残こり、今でも当時の面影を色濃く残しており、観光客の人気である。
 私もそんな西洋館を見るのが大好きでよく出かけたものだが、一番の見どころはステンドグラス、何処に設置してあるのか楽しみであった。
 教会などのステンドグラスと違い、西洋館のステンドグラスは趣が全く違うもの、やっぱり和様折衷の物が一番。
 特に日本人の手によるステンドグラスが良く、あの何とも言えない雰囲気の図柄、淡い色彩のガラスの組み合わせが良い。

 日本家屋に合うようなデザイン、特にSANY8602.JPG風景画が良い、どこかのホテルのロビーで見た明治の作家もの、それを見た時、ぜひとも手に入れたいと思ったものだ。
 建物の雰囲気を壊さず、それでいて存在感のあるデザインと色彩、その場の雰囲気は最高のものに仕上げていることだ。
 彼らは西洋にはない色彩と感覚、日本人ならではの感性で仕上げられたステンドグラス、やっぱり日本家屋によく合う。
 西洋のステンドグラスが日本製になり、日本の家屋に鎮座するもの、それはやっぱりデザイン、そして色彩の妙。
 そんなステンドグラスを欲しいとあちこち探したが、なかなか手に入れられず苦戦、やっと手に入れたのは大分経ってからのこと。
 自分好みの図柄を探すことに難しく、たまによいと思うものを見つけてもサイズが大きかったり、小さかったりと目的と会わなかった。
 古い日本製のステンドグラスは数が少なく、ましてサイズが決められていると探すのはより厳しいものとなった。
 結果は欲しいと思ってから10数年も経ち、ちょうどよいサイズの物を手に入れ、玄関の天窓に入れることにした。
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2019年01月08日

大型の羽子板

      大 き い で す
SANY0832.JPG
 毎年浅草、浅草寺で開かれる羽子板市、12月17日から19日の3日間、子供の誕生と健康を願って親たちが羽子板市を訪れるが、今も昔も変わらない。
 流行は何時の時代でも同じであり、毎年変わるようで猫の目みたいに目まぐるしい、そしてもう一つが羽子板の大きさ、親心は誰しも同じで我が子には元気に育って欲しい。
 当然羽子板も縁起物であることから、大きい方が縁起が良いものと大きい物を買い求め、縁起を担ぐのも親馬鹿であるが笑うことも出来ない。
 写真の羽子板、見た目には大きく見えないが縦85センチ、横42センチと馬鹿でかい、そして羽子板らしからぬもので、兎に角重く大きいのである。
 桐の一枚板を使用しているから、本体は重くないはずだが、大きくなると桐の板でも重いものに、そして飾りがこれまた大きいから、尚更重くなったしまう。

 SANY0825.JPG派手なピンクの桜をバックに、顔だけで約20センチもある大きさ物が付き、頭のかんざしも横25センチとこれまた大きい、胴体部分もどっしりとした衣装を纏っている。
 羽子板の裏は、松竹梅と日の出、お目出度い図柄で昔から変わらないもの、大胆な梅の枝を描きボリュム感を演出、いかにも縁起物の厄除け羽子板。
 之だけの大きな羽子板は、子供の成長を願う親心の大きさが伝わってきて、作った職人も力が入ったいたに違いなく、立派な羽子板に出来上がっているもの、昭和30年代の羽子板であるようで、顔も現代的なものになったいるようだ。
 今瀬戸市の古民家久米邸で飾られている大型の羽子板だ。
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2019年01月07日

七草粥

      食べ過ぎて

 SANY1720.JPG1月7日は七草粥の日、春の七草を入れた粥を食べて邪気を払う、古くから伝わった風習、日本各地で色々な粥が食べられる。
 今は暮れから正月に掛けて食べ続けているので、当然胃も疲れているころ、そんな時に食べるのが粥、胃に優しい食べ物だ。
 年末年始の休日に、食べては寝、食べては寝るだらけた生活を続けた結果、胃に負担がかかり、胃は悲鳴をあげている頃。
 ちょうど良いタイミングで此の日を迎えるのだが、実はそんな事で七草粥を食べるものではなく、此の七草粥、チョイと違うものらしい。
 七草粥のルーツは古くて平安時代に遡るらしく、そのルーツは中国であると言いい、1月7日薬草を入れて粥を食べのが風習としてあったとの事。
 それが日本に伝わり、1月7日は変わらないが、その内容は日本で少し違ったものになり、鎌倉時代には春の七草を入れた粥を食べるようになったらしいのだ。SANY1732.JPG

 其れまでは、米、稗、吉備、あわ、みの、胡麻、小豆の七種類を粥として食べられていたと言われるが、是が日本の粥であったらしい。
 その後、鎌倉時代に現在のように春の七草を入れた粥を食べるようになるが、あくまでも邪気を払う食べ物としての粥であった。
 セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七草、此の七草の意味は色々、スズナは神の鈴、スズシロは潔白、ハコベラは繁栄、セリは競り勝つ、ホトケノザは仏の座と言った意味が。
 中国から伝わった七草粥、平安時代から鎌倉時代と時を経て、その内容も変化して行き、江戸時代には現在の姿になったようだ。
 まあ、いわれは兎も角も正月疲れの自分の胃を大事にするためには、胃に優しい食べ物が1番、暴飲、暴食をしないように気をつけなければならない。
 
 
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2019年01月06日

なんでも鑑定団

      迷惑な話

 2、3か月前の事、朝から電話が鳴り出し何事かと出る事に、朝早くかけて来るのは急ぎの用事、不幸でもあったのかと早速電話に出る。SANY4834.JPG
 すると聞き覚えのない声で「時計の値段を知りたい」と言う、こちらの思いとは違っていたから良かったが、さりとて見知らぬ人から朝早く電話は迷惑な話。
 余り良い気分でないのに一方的に話を、早い話時計を売りたいが値段がどれだけか知りたいとの事だが、何で私に聞いてくるのかと思う。
 自分が持っていると言う事は以前から家にあったものなのか、それとも何処かで買い込んだものなのか、どちらにしても迷惑な事だ。
 私のブログ、インターネットで確かに配信しているから、色々な相談も受けてはいるが、朝早くから見知らぬ人に相談されても、しかし電話に出てしまったのが運のつき。
 話の内容は今テレビでやっている鑑定団で同じ時計が高額の鑑定であった由、其れと同じ時計を持っているが幾らで売れるのか知りたとい言う事だ。
 其れならば何処でも良いからアンティークショップや骨董屋に行けば済む事、そこで値段は教えてくれるはず、私が値段を出しても売値にはならない。

 私が鑑定したからと言ってその値段で買い取ってくれるはずもなく、買ってくれる所が値段を決める事になるのだからと、相談相手に告げる。
 こんな話も良く会員さんから出るが、売買はその時の値段、鑑定団で高額の値が付いたとしても、その値段で売れることは絶対にない。
SANY5054.JPG あれはあくまでもテレビの番組の値段、実際の市場の値段ではなく、高額であったとしても、その値段では売れないが、見ている人は其れが値段であると思っている。
 鑑定団の鑑定士が幾ら値段を付けたからと言っても、それは別物の値段、業界の値段では全くない事を知らない人も多い。
 そして私の元にも買って欲しいと相談が寄せられるが、迷惑な話で私が安い値段をつければ詐欺まがいの買い付けをしたと言われそうだ。
 事実、他で高額の値段が付いたから買って欲しいと言ってくる人もいるが、私は絶対に買うことをしないのだ、それは誤解されるからと、そんな値段で業界の人が買うことはなく、彼らから買った方が遥かに安いから。
 視聴者さんは鑑定団の金額が市場金額であると誤解しているようだが、そんな値段では決してない事を知って欲しいもの、そして自分の持ち物が番組のものと同じものだとも思わない事だ。
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2019年01月05日

郷土玩具

      全国的に存在
SANY0148.JPG

 郷土玩具、素朴な玩具として全国で作られ、お土産物として広まっていったが、殆どの場合農閑期の内職、専門的に作っていたのは僅か。
 郷土玩具と言えば京都伏見の伏見人形、全国の土人形の下とも言われている玩具、伏見稲荷の門前で、参拝客の土産物として売り出されていた。
 この伏見人形、その起源は1596年から作られていたと言われ、土産物として全国に持ち帰られることになり、それを見本として新たな人形が製作されるようになるが、その産地は全国に散らばる。
 1番の消費地は江戸、江戸では伏見人形をモデルに色々な人形が造られる様になり、郷土玩具かされて行き、新しい形の人形が作られる。
 堤人形もまた古く、1600年代中期とされ、伏見人形と並んで郷土玩具の東北の勇、仙台藩が奨励して江戸より職人を招き造られるようになる。
  SANY0166.JPGその後1700年代に入り、三河土人形、相良土人形、中の土人形などが次々と生まれ、伏見人形の流れをくむものとして造られて行った。

 主に歌舞伎を主体とした歌舞伎物と呼ばれる人形、これが大当たりして全国の散らばり、歌舞伎物のブームを巻き起こすことになる。
 確かに江戸中期には全国の産地で土人形が造られるようになったが、やはり1番盛になったのは江戸末期でであり、藩の副業でも合ったようだ。
 江戸末期から明治時代に、農閑期の手間仕事としてこれ等の人形が作られ、湯治場等で販売され、更に土産としてだけではなく、雛人形等も造るようになる。
 私もご多聞に漏れず郷土玩具は好きで、多少集めている中に相良人形があるが、この人形をはじめて見たのは米沢、例によって古時計を求めて米沢駅前の後藤さんの所に。
 そこで相良人形を見て面白いと思い、帰りに買い込んだのがはじめての事、インパクトのある色使いに一目惚れ、早速市内の販売所に買いに行く。
 SANY0157.JPGこの相良人形、1700年後半に米沢藩士、初代相良清左衛門が福島の相馬に赴き、そこから学び取り米沢に帰り、人形を焼きはじめたと言われる。
 代々続いていた人形造りも昭和18年に途絶えてしまい、それ以後製造されていなかったものを、七代目相良隆氏が再興、研究を重ねて独特の色合いを出す。
 人形の形は昔のものと変わりは無いが、何せ色合いが気に入ったので、他の作品も見せてらい、何点かを買い求めて来が、それ以来相良人形のファンになった。
 七代目の作り出す相良人形は、他の郷土玩具と一味違ったもので、他の人形と比べると可愛らしさが伝わって来るのだと思うが、その工夫もされているようだ。
 一番下の写真が京都伏見の伏見人形、昔ながらの形を下素朴な土人形だ。
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2019年01月04日

古時計を求めて

      古時計愛好家

SANY2978.JPG 全国の古時計愛好家は自分の好きな時計を求めて、あちらこちらと探し尋ねているが、中々自分の思った時計に出くわさないのだと思う。
 変なもので簡単に見つかる時計は感動がなく、苦労して見つけた時計の方が感動するのは何故、やっと探し出したとの思いが感動に繋がるのか。
 愛好家でなければ味わえ無いものだと思うが、私も同じ意見、探し求めて、探し求めて、見つけたときの感動は何時まで経っても忘れないものだ。
 その時計を見るたび、あの時の感動が蘇って来るから不思議、探したかいがあったと思う瞬間、そしてやっと巡り合えた喜びだと思う。
 人其々の感覚ではあるが、古時計愛好家なら、この様なことを感じているはず、やっぱり簡単に手に入っては面白くないと思っている人も多い。

 SANY2964.JPGその反面、何でこれだけ苦労して探し求めているのに手に入らないのかと、そんな思いを持っている人も多いはず、これが古時計だと思う。
 愛好家にとって蚤の市は古時計を見つける格好の場所、安気に古時計に接しられるから、他人に気を使わなくても良いので便利な場所。
 勿論店主にも気を使ってしまう店内とは違って、露天の蚤の市はやっぱり気楽、自分の思う時計を見つければ良いのだが、人よりは先でナイト。
 古時計を求めているのは自分だけではなく、古時計愛好家は多く、同じ目的の人も多いはず、特に人気の古時計は早い者勝ち。
 早く見つけた方が手に入れるので、人より先に見つけなければならないが、それには運が付いて回るのもこの世界、運がなければタッチの差で人に持って行かれる。
 そんな蚤の市だが、大きな蚤の市と小さな蚤の市とで、どちらが見つけ易いものなのか、それは何とも言えないものだと思うが、確立から言えば大きな方がものが多い。
 大きな蚤の市は古時計も沢山集まるはず、確立はこの方が良いと思うが、果たして本当にそうなのかは疑問も感じるのだ、手に入る確立は五分五分。


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2019年01月03日

万年筆3

    何で万年筆か

DSCN1660.JPG 私のコレクションの中に万年筆があるが、何故万年筆なのか自分でも分からないのである。
 万年筆と言えば当然筆記用具、当たり前の事だが時代遅れと言う人も多く、事実万年筆を使っている人は少ない。
 現在では万年筆で字を書く事が中々ないので、それを見る機会も少なくなっている現実がある。
 今の若い人は万年筆などと言うもの自体知らないのでは、そんな風に思えてならないのだが。
 勿論我々の時代でも万年筆を使っている人はそんなに多くはなかったと思うが、私自身もそうであった。
 万年筆は高校に入学した時に親父が買ってくれたもの、パイロットの高級品であったと思うが、直ぐにペン先が壊れた。DSCN1662.JPG
 強い力で書きすぎるために、ペン先がつぶれてしまい、取り替えなければならず、良く取り換えたものだ。
 親父に何でそんなに壊れるのかと怒られた事があるが、確かにその通りで良く壊してしまったのだ、つまり書き慣れないので、ツイツイ力が入ってしまい、当然ペン先を痛めてしまう結果に、その都度変えて金もかかったと思う。
 今思えば親父の怒るのも良く分かるが、当時は別に万年筆を使わなくても良いと思っていたので、さほど気にしていなかった。
 あれから長い時間が経過して、今では万年筆で字を書く事も無くなってしまい、忘れ去られたかのようだ。
 聞くところによると、今でも万年筆を修理する人が居ると聞く、それだけ使っている人も居ると言う事か。
 どんな万年筆を使っているかと聞くと、手作りのエボナイトで出来た万年筆だと言うのだ、それには驚き。
 もうとっくにエボナイトの万年筆はなくなったと思っていたDSCN1667.JPGからだが、今でも作っていると言う。
 そんな万年筆の修理とか、昔から使っていた万年筆を修理に来る人も多いらしく、修理には時間が掛かると言うのだ。
 それでも修理を頼む人が多くて、半年待たねばならない事もあるらしく、遠方よりの依頼も多いらしい。
 やっぱり今でも万年筆に拘る人が居ると言う事、そして実用的に日常で使っていると言うのだ。
 写真は私の万年筆の一部、色々な物が自然と集まって来て、何時の間にか100本を越していると思う。
 めずらしい物はないが懐かしいものだけ集めてみたのだ。
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2019年01月02日

蒐集成功の鍵

      誰しも当たる壁

SANY2170.JPG
 古時計を蒐集していると欲しい時計が手に入らない事が、幾ら探しても見通らない事で全とイライラが募り、時として嫌気がさすこともある。
 はじめの内は順調に集まってきた古時計、ある時を境に全く手に入らないように、そしてそんな時ほどあちら、こちらと探し回ることになる。
 しかし探せど探せど見つからなくて、次第に疑心暗鬼となることも、何でこんなに探しても見つけられないのかと、そんな思いに駆られ出す。
 そして気を取り直して又探す、しかしやっぱり探しても見つからず、今度は探しても見つからないのは無いからだと思いたくなるが、そんな時に他人が手に入れたとの情報が入る。
 自分がこんなに探しているのに、何で他人が手にできるのか、そんな疑問が湧いてきて、その人を羨ましいと思い始め、最後は嫉妬に進む事も。
 これは私の今までの経験、長い間古時計を追い求めて来たが、幾度と泣くこんな状態に陥ったもので、その都度挫折感を味わった。

 大げさな話だと言われるが、私にとっては重要な事、日常生活にも影響する事態に発展、何もやりたくなくなる事もあったと思うし、それが何度もあった。
 周りの人は随分と贅沢な話だと言うが、それは私の蒐集した時計を見ての話、人が手に入れられない物を手にして、それでもまだ手に入れようとするのは贅沢だと。
 確かに他人から見ればその様に見えるかも知れないが、私としては道半ば、まだまだ欲しいくてに入れたい時計は山ほどあるのだ。
 当初の目標にはまだまだ遠く、何時完成するのやら見当もつかないが、他人から見るとそれSANY2172.JPGが贅沢だという事かもしれないのだ。
 時計仲間から「何でお前は珍しい時計についているのか」と、そして運が良すぎて我々に届かないのだと、だからその辺で我々に回せと言うのだ。
 しかし私に言わせれば彼らは余り犠牲を払っていないのだと、欲しい時計はあるが自分の物まで出して交換したくないと、そんな事なら出てくるまで待つと言うのだ。
 確かにそれも一理あり、古時計の世界はそんなに甘くないのだと言ってやりたいのだが、犠牲なくして欲しい物は手に入らないのも確か。


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