2019年01月11日

鏡開き

      ぜんざいが1番

 SANY1855.JPG松の内が過ぎ、正月の飾り物を外して普段の生活に戻る時期、現代はセセコマシイ時代、正月も早く切り上げてしまうが、昔は1月20日が鏡開きの日であった。
 鏡開きとは正月に神仏にお供えした鏡餅を下げて、お下がりを家族で食べる風習を言う。
  色々な食べ方があるが一番はぜんざいにして食べるのが一般的なものなのか。
 この鏡開き、なぜ鏡開きなのかと言うと、室町時代に武具に鏡餅を備えて正月を迎えた。
 そして1月20日にお供えした餅を食べたが、武士にとっては「切る」とか「割る」とかは縁起が悪く、開くという言葉を用いた事に由来する。
 これが次第に一般庶民にも伝わり、正月20日に鏡餅を下げて食べる風習が広まった。
 当時は餅も特別な食べ物、現在みたいに何時でも食べられる物ではなく、正月かお祝い事意外には食べられなかったもの、ましてや年神様にお供えした鏡餅、ありがたく家族そろって鏡餅を食べ一年の無病息災を願ったものである。SANY1869.JPG
 
 つい最近までは各家庭で鏡餅も作っていたが、それも何時の間にかなくなってしまい、スーパーなどで買い求める時代になった。
 その上、鏡餅をお供えする家庭が段々と少なくなっていると言う、日本の正月の仕来りも時代と共に薄れて行きようである。
 現在ではパック式になっており、鏡餅もかびることはないが昔の鏡餅は正月の20日となればカビが生えて、青くなっていたものをカビを取り除いて食べたもの。
 やっぱり神様にお供えした餅、カビが生えていたからと言って粗末にしなかった昔の人々、食べ物が貴重だった時代、物を大切にする気持ちを忘れないで欲しいものだ。
 
 
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2019年01月10日

また恥をかく

       何でも知っている

SANY8155.JPG 古時計を集めていると、時計の事なら何でも知っていると思われているらしく、良くそんな質問を受けることがあるが、何でも知っている筈がない。
 長年古時計を研究している事から、細部的にも知らない事はないのではとか、変な誤解をしている人が多く、これまた困った事だと思っている。
 幾ら古時計を研究していても、何から何まで知っているものではなく、逆に知らないものの方が多いもので、此方が逆に知りたいと思う時もある。
 私の場合は掛時計が中心の蒐集、特に地元の名古屋の時計が主、腕時計や懐中時計、又置時計等知らないことばかりで、そんな時計の事を聞かれると、此方が困ってしまう事もある。
 掛時計に関してなら、明治、大正までのものであれば良いのだが、昭和に入ったものだと少し苦手になり、戦後のものだと全く知らないといえる。

 誰しも得て、不得手があり、得意分野ではその知識を出せる事もあるが、不得手な部分は全くと言って分からないのだが、質問されれば答えなくてはならない。
 そんな時ほど困る事はないが、知ったかぶりは禁物、後で恥をかくことになるのが落ちだからと思うが、しかしその場の雰囲気で云えない時もある。
 ある展示会場での事、知り合いが時計展をやっていたので表敬訪問した時の事、何やら人だかりがしていたのでツイツイその場へ見に行くことに。
 それは古時計を鑑定しているところであったので、私も見学するつもりで見ていたら、知り合いが私を見つけて「戸田さんこれ何処のか分かりますか」と突然聞いてきたのだ。
 まさか私に聞くとはと思いつつ、仕方なく知り合いの下に行き時計を見SANY7246.JPGることになってしまい、渋々時計を見たが、これが全く見たことのない時計だった。
 昭和に入ってから製造された時計には違いは無いが、何処の時計か全く分からないもの、持ち主は明治時代の時計だと思って持って来たらしく、知り合いも困っていた時だった。

 相手は私に何処のか教えて下さいと云うが、まったく知らないマークが付いているもので、返事に困ってしまい、昭和の時計には違いないが、何処の製造か分からないと答えた。
 すると「明治の時計ではないですか」と再度念を押してきたので、それはないですと答えると、時計の裏に明治44年と書いてあると言うのだ。
 確かに年号が書いてあり、確かめもせず、裏を見ずに形だけで判断してしまい、昭和だと言ってしまった自分が恥ずかしくて、先方に謝るやら、知り合いに謝るやらでさんざんであった。
 適当に見て良く調べもしなかったことを反省、その場の雰囲気を壊してし、大恥をかいてしまったもので、後で知り合いに「戸田さんでも間違える事もあるのだ」と嫌味を言われてしまった。
 ツイツイ知り合いの展示会だってので、気を許してしまい、結果は散々な事に、自分としても反省しなくては、この時のことを思うと、今でも顔が赤くなるのだ。








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ランプシェード

    絶対に古い

SANY2418.JPG アンティークランプ、最近はインテリアとして古いランプをつける人が多くなり、蛍光灯の灯りでは癒されないと、アンティークものが人気のようだ。
 特に女性に多い様で、気の利いたランプを求めてアンティークショップに、別に高級なものを求めているのではなく、あくまでもインテリアとしてのランプ。
 だから注文はうるさいようで、あれが良いとか、之が良いとか、ランプの物色をしている姿を見受けられるとのこと、そんなある日、知り合いの人がアンティークランプを買い込んだ。
 私のところに電話が入り、ランプシェードを買ったが良いものなので見てくれと言う、しかしガラスのランプは難しく、新しい物なのか、古い物なのか見分けるのは素人では困難だ。

 前から知り合いにはそのような事を言っていたのだが、其れを承知で買い込んだとの事だが、電話で説明SANY2419.JPGされても実物を見ないと何とも言えない。
 すると知り合いは、メールを送るから写真で見てくれと、本当は写真だけでは分かりずらく、判断は出来ないと伝えると、彼いわく「売主は信用できる人だから心配ない」と意気盛ん。
 そんなに信用のある所から買えば間違えないかと思い、写真だけでも良いと思って送ってもらったが、その写真を見た瞬間之はダメだと思った。
 アンティークランプを沢山見た人なら、殆どの人が分かる代物、そんな代物が写真に写っていたので、本人に「これは新しいものだ」と伝えると、そんな事はない絶対に古いと言い張る。
 彼と押し問答しても仕方がないので、別のアンティークショップに持って行って見て貰いなと、電話を切ったのであるが、何処に持っていっても同じ結果だが、本人が信じたくないのだから仕方がない。
 結局後日、彼から電話が入り、新しいもので今でも売っている代物とのことだったと、そして彼は信用していたのに裏切られたと、販売した店主に不信感をあらわにしていた。
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2019年01月09日

ステンドグラス

    光線のかげん
 SANY8619.JPG明治時代西洋建築がさかんに造られ日本各地に其の姿を留めているが、多くの建物にはステンドグラスが使われている。
 文明開化の名のもと、西洋建築は大流行、わけの分からない建物も現存しているが、日本人の手によるものがほとんど。
 今までの建て方とは違い、全く新しい建て方として当時の大工を悩ませたことだろうが、そこは日本の大工へこたれなかった。
 和様折衷とも言うべき建物が造られたが、当時の大工の心意気とも取れる建物が現存しており、色々な工夫が施されているのだ。
 そんな建物が横浜や神戸、長崎と港町に多く残こり、今でも当時の面影を色濃く残しており、観光客の人気である。
 私もそんな西洋館を見るのが大好きでよく出かけたものだが、一番の見どころはステンドグラス、何処に設置してあるのか楽しみであった。
 教会などのステンドグラスと違い、西洋館のステンドグラスは趣が全く違うもの、やっぱり和様折衷の物が一番。
 特に日本人の手によるステンドグラスが良く、あの何とも言えない雰囲気の図柄、淡い色彩のガラスの組み合わせが良い。

 日本家屋に合うようなデザイン、特にSANY8602.JPG風景画が良い、どこかのホテルのロビーで見た明治の作家もの、それを見た時、ぜひとも手に入れたいと思ったものだ。
 建物の雰囲気を壊さず、それでいて存在感のあるデザインと色彩、その場の雰囲気は最高のものに仕上げていることだ。
 彼らは西洋にはない色彩と感覚、日本人ならではの感性で仕上げられたステンドグラス、やっぱり日本家屋によく合う。
 西洋のステンドグラスが日本製になり、日本の家屋に鎮座するもの、それはやっぱりデザイン、そして色彩の妙。
 そんなステンドグラスを欲しいとあちこち探したが、なかなか手に入れられず苦戦、やっと手に入れたのは大分経ってからのこと。
 自分好みの図柄を探すことに難しく、たまによいと思うものを見つけてもサイズが大きかったり、小さかったりと目的と会わなかった。
 古い日本製のステンドグラスは数が少なく、ましてサイズが決められていると探すのはより厳しいものとなった。
 結果は欲しいと思ってから10数年も経ち、ちょうどよいサイズの物を手に入れ、玄関の天窓に入れることにした。
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2019年01月08日

大型の羽子板

      大 き い で す
SANY0832.JPG
 毎年浅草、浅草寺で開かれる羽子板市、12月17日から19日の3日間、子供の誕生と健康を願って親たちが羽子板市を訪れるが、今も昔も変わらない。
 流行は何時の時代でも同じであり、毎年変わるようで猫の目みたいに目まぐるしい、そしてもう一つが羽子板の大きさ、親心は誰しも同じで我が子には元気に育って欲しい。
 当然羽子板も縁起物であることから、大きい方が縁起が良いものと大きい物を買い求め、縁起を担ぐのも親馬鹿であるが笑うことも出来ない。
 写真の羽子板、見た目には大きく見えないが縦85センチ、横42センチと馬鹿でかい、そして羽子板らしからぬもので、兎に角重く大きいのである。
 桐の一枚板を使用しているから、本体は重くないはずだが、大きくなると桐の板でも重いものに、そして飾りがこれまた大きいから、尚更重くなったしまう。

 SANY0825.JPG派手なピンクの桜をバックに、顔だけで約20センチもある大きさ物が付き、頭のかんざしも横25センチとこれまた大きい、胴体部分もどっしりとした衣装を纏っている。
 羽子板の裏は、松竹梅と日の出、お目出度い図柄で昔から変わらないもの、大胆な梅の枝を描きボリュム感を演出、いかにも縁起物の厄除け羽子板。
 之だけの大きな羽子板は、子供の成長を願う親心の大きさが伝わってきて、作った職人も力が入ったいたに違いなく、立派な羽子板に出来上がっているもの、昭和30年代の羽子板であるようで、顔も現代的なものになったいるようだ。
 今瀬戸市の古民家久米邸で飾られている大型の羽子板だ。
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2019年01月07日

七草粥

      食べ過ぎて

 SANY1720.JPG1月7日は七草粥の日、春の七草を入れた粥を食べて邪気を払う、古くから伝わった風習、日本各地で色々な粥が食べられる。
 今は暮れから正月に掛けて食べ続けているので、当然胃も疲れているころ、そんな時に食べるのが粥、胃に優しい食べ物だ。
 年末年始の休日に、食べては寝、食べては寝るだらけた生活を続けた結果、胃に負担がかかり、胃は悲鳴をあげている頃。
 ちょうど良いタイミングで此の日を迎えるのだが、実はそんな事で七草粥を食べるものではなく、此の七草粥、チョイと違うものらしい。
 七草粥のルーツは古くて平安時代に遡るらしく、そのルーツは中国であると言いい、1月7日薬草を入れて粥を食べのが風習としてあったとの事。
 それが日本に伝わり、1月7日は変わらないが、その内容は日本で少し違ったものになり、鎌倉時代には春の七草を入れた粥を食べるようになったらしいのだ。SANY1732.JPG

 其れまでは、米、稗、吉備、あわ、みの、胡麻、小豆の七種類を粥として食べられていたと言われるが、是が日本の粥であったらしい。
 その後、鎌倉時代に現在のように春の七草を入れた粥を食べるようになるが、あくまでも邪気を払う食べ物としての粥であった。
 セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七草、此の七草の意味は色々、スズナは神の鈴、スズシロは潔白、ハコベラは繁栄、セリは競り勝つ、ホトケノザは仏の座と言った意味が。
 中国から伝わった七草粥、平安時代から鎌倉時代と時を経て、その内容も変化して行き、江戸時代には現在の姿になったようだ。
 まあ、いわれは兎も角も正月疲れの自分の胃を大事にするためには、胃に優しい食べ物が1番、暴飲、暴食をしないように気をつけなければならない。
 
 
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2019年01月06日

なんでも鑑定団

      迷惑な話

 2、3か月前の事、朝から電話が鳴り出し何事かと出る事に、朝早くかけて来るのは急ぎの用事、不幸でもあったのかと早速電話に出る。SANY4834.JPG
 すると聞き覚えのない声で「時計の値段を知りたい」と言う、こちらの思いとは違っていたから良かったが、さりとて見知らぬ人から朝早く電話は迷惑な話。
 余り良い気分でないのに一方的に話を、早い話時計を売りたいが値段がどれだけか知りたいとの事だが、何で私に聞いてくるのかと思う。
 自分が持っていると言う事は以前から家にあったものなのか、それとも何処かで買い込んだものなのか、どちらにしても迷惑な事だ。
 私のブログ、インターネットで確かに配信しているから、色々な相談も受けてはいるが、朝早くから見知らぬ人に相談されても、しかし電話に出てしまったのが運のつき。
 話の内容は今テレビでやっている鑑定団で同じ時計が高額の鑑定であった由、其れと同じ時計を持っているが幾らで売れるのか知りたとい言う事だ。
 其れならば何処でも良いからアンティークショップや骨董屋に行けば済む事、そこで値段は教えてくれるはず、私が値段を出しても売値にはならない。

 私が鑑定したからと言ってその値段で買い取ってくれるはずもなく、買ってくれる所が値段を決める事になるのだからと、相談相手に告げる。
 こんな話も良く会員さんから出るが、売買はその時の値段、鑑定団で高額の値が付いたとしても、その値段で売れることは絶対にない。
SANY5054.JPG あれはあくまでもテレビの番組の値段、実際の市場の値段ではなく、高額であったとしても、その値段では売れないが、見ている人は其れが値段であると思っている。
 鑑定団の鑑定士が幾ら値段を付けたからと言っても、それは別物の値段、業界の値段では全くない事を知らない人も多い。
 そして私の元にも買って欲しいと相談が寄せられるが、迷惑な話で私が安い値段をつければ詐欺まがいの買い付けをしたと言われそうだ。
 事実、他で高額の値段が付いたから買って欲しいと言ってくる人もいるが、私は絶対に買うことをしないのだ、それは誤解されるからと、そんな値段で業界の人が買うことはなく、彼らから買った方が遥かに安いから。
 視聴者さんは鑑定団の金額が市場金額であると誤解しているようだが、そんな値段では決してない事を知って欲しいもの、そして自分の持ち物が番組のものと同じものだとも思わない事だ。
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2019年01月05日

郷土玩具

      全国的に存在
SANY0148.JPG

 郷土玩具、素朴な玩具として全国で作られ、お土産物として広まっていったが、殆どの場合農閑期の内職、専門的に作っていたのは僅か。
 郷土玩具と言えば京都伏見の伏見人形、全国の土人形の下とも言われている玩具、伏見稲荷の門前で、参拝客の土産物として売り出されていた。
 この伏見人形、その起源は1596年から作られていたと言われ、土産物として全国に持ち帰られることになり、それを見本として新たな人形が製作されるようになるが、その産地は全国に散らばる。
 1番の消費地は江戸、江戸では伏見人形をモデルに色々な人形が造られる様になり、郷土玩具かされて行き、新しい形の人形が作られる。
 堤人形もまた古く、1600年代中期とされ、伏見人形と並んで郷土玩具の東北の勇、仙台藩が奨励して江戸より職人を招き造られるようになる。
  SANY0166.JPGその後1700年代に入り、三河土人形、相良土人形、中の土人形などが次々と生まれ、伏見人形の流れをくむものとして造られて行った。

 主に歌舞伎を主体とした歌舞伎物と呼ばれる人形、これが大当たりして全国の散らばり、歌舞伎物のブームを巻き起こすことになる。
 確かに江戸中期には全国の産地で土人形が造られるようになったが、やはり1番盛になったのは江戸末期でであり、藩の副業でも合ったようだ。
 江戸末期から明治時代に、農閑期の手間仕事としてこれ等の人形が作られ、湯治場等で販売され、更に土産としてだけではなく、雛人形等も造るようになる。
 私もご多聞に漏れず郷土玩具は好きで、多少集めている中に相良人形があるが、この人形をはじめて見たのは米沢、例によって古時計を求めて米沢駅前の後藤さんの所に。
 そこで相良人形を見て面白いと思い、帰りに買い込んだのがはじめての事、インパクトのある色使いに一目惚れ、早速市内の販売所に買いに行く。
 SANY0157.JPGこの相良人形、1700年後半に米沢藩士、初代相良清左衛門が福島の相馬に赴き、そこから学び取り米沢に帰り、人形を焼きはじめたと言われる。
 代々続いていた人形造りも昭和18年に途絶えてしまい、それ以後製造されていなかったものを、七代目相良隆氏が再興、研究を重ねて独特の色合いを出す。
 人形の形は昔のものと変わりは無いが、何せ色合いが気に入ったので、他の作品も見せてらい、何点かを買い求めて来が、それ以来相良人形のファンになった。
 七代目の作り出す相良人形は、他の郷土玩具と一味違ったもので、他の人形と比べると可愛らしさが伝わって来るのだと思うが、その工夫もされているようだ。
 一番下の写真が京都伏見の伏見人形、昔ながらの形を下素朴な土人形だ。
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2019年01月04日

古時計を求めて

      古時計愛好家

SANY2978.JPG 全国の古時計愛好家は自分の好きな時計を求めて、あちらこちらと探し尋ねているが、中々自分の思った時計に出くわさないのだと思う。
 変なもので簡単に見つかる時計は感動がなく、苦労して見つけた時計の方が感動するのは何故、やっと探し出したとの思いが感動に繋がるのか。
 愛好家でなければ味わえ無いものだと思うが、私も同じ意見、探し求めて、探し求めて、見つけたときの感動は何時まで経っても忘れないものだ。
 その時計を見るたび、あの時の感動が蘇って来るから不思議、探したかいがあったと思う瞬間、そしてやっと巡り合えた喜びだと思う。
 人其々の感覚ではあるが、古時計愛好家なら、この様なことを感じているはず、やっぱり簡単に手に入っては面白くないと思っている人も多い。

 SANY2964.JPGその反面、何でこれだけ苦労して探し求めているのに手に入らないのかと、そんな思いを持っている人も多いはず、これが古時計だと思う。
 愛好家にとって蚤の市は古時計を見つける格好の場所、安気に古時計に接しられるから、他人に気を使わなくても良いので便利な場所。
 勿論店主にも気を使ってしまう店内とは違って、露天の蚤の市はやっぱり気楽、自分の思う時計を見つければ良いのだが、人よりは先でナイト。
 古時計を求めているのは自分だけではなく、古時計愛好家は多く、同じ目的の人も多いはず、特に人気の古時計は早い者勝ち。
 早く見つけた方が手に入れるので、人より先に見つけなければならないが、それには運が付いて回るのもこの世界、運がなければタッチの差で人に持って行かれる。
 そんな蚤の市だが、大きな蚤の市と小さな蚤の市とで、どちらが見つけ易いものなのか、それは何とも言えないものだと思うが、確立から言えば大きな方がものが多い。
 大きな蚤の市は古時計も沢山集まるはず、確立はこの方が良いと思うが、果たして本当にそうなのかは疑問も感じるのだ、手に入る確立は五分五分。


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2019年01月03日

万年筆3

    何で万年筆か

DSCN1660.JPG 私のコレクションの中に万年筆があるが、何故万年筆なのか自分でも分からないのである。
 万年筆と言えば当然筆記用具、当たり前の事だが時代遅れと言う人も多く、事実万年筆を使っている人は少ない。
 現在では万年筆で字を書く事が中々ないので、それを見る機会も少なくなっている現実がある。
 今の若い人は万年筆などと言うもの自体知らないのでは、そんな風に思えてならないのだが。
 勿論我々の時代でも万年筆を使っている人はそんなに多くはなかったと思うが、私自身もそうであった。
 万年筆は高校に入学した時に親父が買ってくれたもの、パイロットの高級品であったと思うが、直ぐにペン先が壊れた。DSCN1662.JPG
 強い力で書きすぎるために、ペン先がつぶれてしまい、取り替えなければならず、良く取り換えたものだ。
 親父に何でそんなに壊れるのかと怒られた事があるが、確かにその通りで良く壊してしまったのだ、つまり書き慣れないので、ツイツイ力が入ってしまい、当然ペン先を痛めてしまう結果に、その都度変えて金もかかったと思う。
 今思えば親父の怒るのも良く分かるが、当時は別に万年筆を使わなくても良いと思っていたので、さほど気にしていなかった。
 あれから長い時間が経過して、今では万年筆で字を書く事も無くなってしまい、忘れ去られたかのようだ。
 聞くところによると、今でも万年筆を修理する人が居ると聞く、それだけ使っている人も居ると言う事か。
 どんな万年筆を使っているかと聞くと、手作りのエボナイトで出来た万年筆だと言うのだ、それには驚き。
 もうとっくにエボナイトの万年筆はなくなったと思っていたDSCN1667.JPGからだが、今でも作っていると言う。
 そんな万年筆の修理とか、昔から使っていた万年筆を修理に来る人も多いらしく、修理には時間が掛かると言うのだ。
 それでも修理を頼む人が多くて、半年待たねばならない事もあるらしく、遠方よりの依頼も多いらしい。
 やっぱり今でも万年筆に拘る人が居ると言う事、そして実用的に日常で使っていると言うのだ。
 写真は私の万年筆の一部、色々な物が自然と集まって来て、何時の間にか100本を越していると思う。
 めずらしい物はないが懐かしいものだけ集めてみたのだ。
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2019年01月02日

蒐集成功の鍵

      誰しも当たる壁

SANY2170.JPG
 古時計を蒐集していると欲しい時計が手に入らない事が、幾ら探しても見通らない事で全とイライラが募り、時として嫌気がさすこともある。
 はじめの内は順調に集まってきた古時計、ある時を境に全く手に入らないように、そしてそんな時ほどあちら、こちらと探し回ることになる。
 しかし探せど探せど見つからなくて、次第に疑心暗鬼となることも、何でこんなに探しても見つけられないのかと、そんな思いに駆られ出す。
 そして気を取り直して又探す、しかしやっぱり探しても見つからず、今度は探しても見つからないのは無いからだと思いたくなるが、そんな時に他人が手に入れたとの情報が入る。
 自分がこんなに探しているのに、何で他人が手にできるのか、そんな疑問が湧いてきて、その人を羨ましいと思い始め、最後は嫉妬に進む事も。
 これは私の今までの経験、長い間古時計を追い求めて来たが、幾度と泣くこんな状態に陥ったもので、その都度挫折感を味わった。

 大げさな話だと言われるが、私にとっては重要な事、日常生活にも影響する事態に発展、何もやりたくなくなる事もあったと思うし、それが何度もあった。
 周りの人は随分と贅沢な話だと言うが、それは私の蒐集した時計を見ての話、人が手に入れられない物を手にして、それでもまだ手に入れようとするのは贅沢だと。
 確かに他人から見ればその様に見えるかも知れないが、私としては道半ば、まだまだ欲しいくてに入れたい時計は山ほどあるのだ。
 当初の目標にはまだまだ遠く、何時完成するのやら見当もつかないが、他人から見るとそれSANY2172.JPGが贅沢だという事かもしれないのだ。
 時計仲間から「何でお前は珍しい時計についているのか」と、そして運が良すぎて我々に届かないのだと、だからその辺で我々に回せと言うのだ。
 しかし私に言わせれば彼らは余り犠牲を払っていないのだと、欲しい時計はあるが自分の物まで出して交換したくないと、そんな事なら出てくるまで待つと言うのだ。
 確かにそれも一理あり、古時計の世界はそんなに甘くないのだと言ってやりたいのだが、犠牲なくして欲しい物は手に入らないのも確か。


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2019年01月01日

謹賀新年




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