2019年01月05日

郷土玩具

      全国的に存在
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 郷土玩具、素朴な玩具として全国で作られ、お土産物として広まっていったが、殆どの場合農閑期の内職、専門的に作っていたのは僅か。
 郷土玩具と言えば京都伏見の伏見人形、全国の土人形の下とも言われている玩具、伏見稲荷の門前で、参拝客の土産物として売り出されていた。
 この伏見人形、その起源は1596年から作られていたと言われ、土産物として全国に持ち帰られることになり、それを見本として新たな人形が製作されるようになるが、その産地は全国に散らばる。
 1番の消費地は江戸、江戸では伏見人形をモデルに色々な人形が造られる様になり、郷土玩具かされて行き、新しい形の人形が作られる。
 堤人形もまた古く、1600年代中期とされ、伏見人形と並んで郷土玩具の東北の勇、仙台藩が奨励して江戸より職人を招き造られるようになる。
  SANY0166.JPGその後1700年代に入り、三河土人形、相良土人形、中の土人形などが次々と生まれ、伏見人形の流れをくむものとして造られて行った。

 主に歌舞伎を主体とした歌舞伎物と呼ばれる人形、これが大当たりして全国の散らばり、歌舞伎物のブームを巻き起こすことになる。
 確かに江戸中期には全国の産地で土人形が造られるようになったが、やはり1番盛になったのは江戸末期でであり、藩の副業でも合ったようだ。
 江戸末期から明治時代に、農閑期の手間仕事としてこれ等の人形が作られ、湯治場等で販売され、更に土産としてだけではなく、雛人形等も造るようになる。
 私もご多聞に漏れず郷土玩具は好きで、多少集めている中に相良人形があるが、この人形をはじめて見たのは米沢、例によって古時計を求めて米沢駅前の後藤さんの所に。
 そこで相良人形を見て面白いと思い、帰りに買い込んだのがはじめての事、インパクトのある色使いに一目惚れ、早速市内の販売所に買いに行く。
 SANY0157.JPGこの相良人形、1700年後半に米沢藩士、初代相良清左衛門が福島の相馬に赴き、そこから学び取り米沢に帰り、人形を焼きはじめたと言われる。
 代々続いていた人形造りも昭和18年に途絶えてしまい、それ以後製造されていなかったものを、七代目相良隆氏が再興、研究を重ねて独特の色合いを出す。
 人形の形は昔のものと変わりは無いが、何せ色合いが気に入ったので、他の作品も見せてらい、何点かを買い求めて来が、それ以来相良人形のファンになった。
 七代目の作り出す相良人形は、他の郷土玩具と一味違ったもので、他の人形と比べると可愛らしさが伝わって来るのだと思うが、その工夫もされているようだ。
 一番下の写真が京都伏見の伏見人形、昔ながらの形を下素朴な土人形だ。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記