2019年02月24日

普及品

      携  帯  用

SANY1981.JPG 江戸から明治に入り、日時計も様変わりをする事となるが、この時期はまだ腕時計は発明されていなくて、懐中時計が主流の時代、しかし一般の人には懐中時計すら買えない時代。
 そのために日時計は大いに珍重されていたが、普通の日時計では役に立たない場所もあり、また使用する人達によっては、その丈夫さが要求されるようになる。
 江戸時代も、道中日時計と称せられるものはあったが、之も高価なもので一般人には高嶺の花、そんな事で一般の人でも手に入る安価な日時計が考案される。
 その一方で丈夫な日時計も、又要求され開発が進む、明治6年の改暦により、日時計も様変わりを要求され、その姿を一編させる事となり、今までの時刻ではなく、時間と読み方も変わる事に伴い大きく変更される。

 十二支表示から、12時間表示に変更、1時、2時と言うような現代の時間表示になり、細刻みも増やしてより鮮明に表示できるように工夫され、携帯しやすい物になる。
SANY1982.JPG 写真の日時計、明治に入ってから製造されたもの、軍隊用とも言われ、懐中時計のような形をしており、薄くて軽く丈夫な日時計に進化している。
 真ん中に磁石が入っており、磁石に従って真南向ければ、時間が分かるような仕組みになっていて、真ん中に細い棒状の線が、蓋を開けると飛び出して時間を計る指針となる。
 蓋の部分には、日時計を見る説明書が印刷されていて、簡単で面白い説明が書かれているが、「日の当たるところに出て、子の位置を真北に向け時間を見る」と説明してある。
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2019年02月23日

雛道具

    本物の縮小

SANY1244.JPG
 今展示している雛人形に飾られている道具、 一時は雛道具と言えばプラスチックばかり、以前みたいな木製の道具は姿を消してしまったので、若い人たちは道具と言えばプラスチックとしか思っていない。
 昨今復活しているようでプラスチックと思えば木製の道具は重量感があり、持ってみるとやはり違うものだと思うが、今製造する所は少ない。
 以前から次第に少なくなって、今はほんの少しだけ製造している所があり、細々と続けられているようである。
 確かに木製の道具は手間もかかり、結果的に高価な物となってしまう事になり、敬遠されて次第に姿を消したのだ。
 以前の物は漆塗りの豪華なものもあったが、ペンキ塗りのものDSCN0438.JPGに変わり、道具の塗りも変化を遂げていたのだ。
 それでもやっぱり木製の道具は良いもの、一つ一つ手造りで造られたもの、雛道具はこれでなければならない。
 その点昔の道具は良いものが有り、今でも光沢を失っていないものも多く、職人の技術の賜で良い出来のものが存在するもので大名道具は手が込んでおり、権威と威信をかけて造られたものだけに、すごい道具が存在して、今回の道具もそれにあたる雛道具。
 DSCN0436.JPG大名道具はお茶の道具が多く、特に抹茶茶碗も本格的なもの、写真の赤楽の茶碗も良いもの、小さくてもろくろで造られ本物の縮小版。
 もう一つが古伊万里の茶碗、赤楽の茶碗の半分より小さな物、しかしこれもろくろで造られており、山水画が描かれている優れもの。
 小さいが手は抜かれてなくて、シッカリとしたものが造られており、職人の力量が見えるようである。
 やっぱり大名道具は実物として造り、本物と同じもの、小さいから尚更難しいと思うのだが、実に良く造られている。
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2019年02月22日

麺紀行

      釜揚げうどん
SANY2330.JPG
 麺類が好きで食べ歩きが趣味、根っからの食い意地が張っており、食べ物には目が無く、特に麺類は得意中の得意、何も威張る事ないのに。
 小さいころより麺類が好き、食べ物の無い時代に育ったせいか、食い意地が張っていて、兎に角食べ物にはうるさいのが身上、食べ物の事となると、何をさておいても優先させる。
 仕事上で全国を食べ歩いたの言うまでもなく、北から南までよく食べ歩いたが、そばとうどん、ラーメンと焼きそば、其々に名店から名も無い店まで、兎に角回った。
 北海道のラーメーンも美味しかったし、青森の手打ちラーメンも良かったし、秋田の稲庭うどんも絶品、白石の温麺もやっぱり旨かったから、北の麺は何でも旨い。
 そんな麺好きが此の私、今回紹介するのは多分他では味あえない麺、愛知県幸田町大草の「うどん蕎麦処、辰味」がその紹介する麺屋、老夫婦が経営する店。

SANY2333.JPGSANY2329.JPG 国道248号線沿いにある麺処、此処の釜揚げは他と少し違って、食べる人が自分で生うどんを茹でて食べる仕組みの店、店には釜あげ用のコンロが仕組まれている。
 釜揚げうどんを注文すると、生めんと湯で釜が運ばれてくるが、初めての人はビックリ、机に仕組まれたコンロにかけ、自分でうどんを茹でて、好みの硬さのものを食べる。
 もちろん此処のうどんは主人自ら打った手打ちうどん、このうどんが実に腰があり、また旨いのは言うまでもない事、それに1人でもオッケー、30年も前から食べに通っている。
 つけ汁と薬味も少し変わっており、生姜とおろし大根、葱と胡麻、一味唐辛子、鶉の卵2個、これが薬味であるが、胡麻は自分で好きなだけ摩り下ろして汁に入れて食べる。
 胡麻と唐辛子を多めに入れるのが1番美味しい食べ方、好きな硬さに麺を茹がいて、釜から熱々のうどんをすくい上げて、辛い汁で食べれば、味は天下一品。
 茹で釜も此処の釜は特注品、釜が二重になっており、吹きこぼれても外には漏れ出さない仕組みの特殊な釜、暑い日でも汗をかきながら食べるのもまた通の食べ方。
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2019年02月21日

江戸と京都

    顔にも出ている

 SANY4174.JPG今瀬戸の雛巡りが開催されており、私もその一部に出品をして多くの見学者に見て貰っているが、質問も多く頂いている。
 今年で13年になり、早いもので出品してから歳月が過ぎ、その間に多くの人とも知り合いが出来、毎年この時期にお会いする人も多い。
 遠くは九州からも来られ、全く有り難い事だと思っているが、逆にプレッシャーになる事も、しかしわざわざ遠方からやって来られてガッカリさせてはと力が入る。
 そんな事で今年も4年間享保雛を出し、期待に応えようとしているが、果たしてそのようになっているのか不安でもある。
 既に期間の半ばに入り、見学者の数も多く成り出し、有り難いと思っている反面、これで良かったのかと不安もある。
 もちろん享保雛を見る目的で来られる方が多く、それも遠方よりの来客、その期待が大きい事で益々プレッシャーになっている。SANY6688.JPG

 展示会場に入ったとたん歓声が上がる事も、そんな時こそ見てガッカリさせてはと、内心はビクビクの毎日、非常に人気の高い享保雛、今までにない人気だと思うが、それは大型の雛人形だから尚更そのように思うわれるものなのか、見る目が違っているように思う。
 目の肥えた見学者から質問も多く頂いており、享保雛に対する質問は専門的な質問も多く、こちらがビックリする事も多くある。
 そんな中、江戸と京都の雛人形の違いにあるのかとか、実際のどこが違うのかと、具体的に示して欲しいと、熱心な質問も。
 江戸と京都の違いは確かにあり、見た目ですぐに分かる事も、しかし実際は中々難しいもので頭師の力量にもよるところ。
  江戸の頭師は武家風になりがちであり、京都の頭師は公家風になると、私はその様に思っているが、見学者に実物を出して違いを示している。


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2019年02月20日

瀬戸の散歩道2

      焼き物の町らしい

SANY1029.JPG 今、焼き物のまち瀬戸を訪れる人は瀬戸らしいところを探してあちこち歩く、まだ観光地図には載っていない場所を探し、新たな発見を求めて。
 そんな楽しみのある町でもある瀬戸市内、昔の面影も多く残っている場所、それが瀬戸市内に幾つかあるので、探す楽しみも多く存在する。
 通称「瀬戸電」と呼ばれる電車で名古屋の中心部栄から瀬戸市に向う電車があるが、この電車昔は名古屋城のお堀を走っていた電車として有名。
 明治に開業した瀬戸電気鉄道、それが現在の名鉄瀬戸線、瀬戸市に向う1番便利な電車、名鉄のドル箱電車とも言われている利用価値の高い電車である。
 この電車の終点尾張瀬戸駅、ここから瀬戸の散歩道がスタートするが、表道路は避けて行くのが1番、一本露地を入った道にこそ瀬戸の散歩道。
 表道路沿いには陶器の店が立ち並ぶ新しい道、やっぱり瀬戸を散歩するには露地に入るのが鉄則、古い町並みも残っており、昭和の時代にタイムスリップ。
 三丁目の夕日に出てくるような商店街や、昔ながらの長屋が続く道、これを探して歩くのが楽しみの1つ、観光案内所SANY0997.JPGでは詳しく書かれたものはないので、自分の足で見つけた方が良い。

 観光マップに書かれていない露地の方に、最も瀬戸らしい風景があり、地元の人も知らない露地は探検心をくすぐるもの、そんな少し狭い露地に入ってみよう。
 駅を降りて直ぐに広い道路に出るから、進行方向左手の小高い丘の方に坂道を上がると、そこには細露地が走ってるからか、北方面に進むと露地が出現する。
 狭い所では人が1人しか通れないような細い露地、その道こそが瀬戸の散歩道に最も瀬戸らしい場所、昔は小さな窯が幾つもあったところで、その名残が垣根や塀に残っている。
 ちょっと入り辛いが、勇気を出して行けば、思わぬ露地に出くわすもので、良くしたの方を見て歩く事、家の土台や土留めに瀬戸独特の物で作られているから。
 そしてもう1つは今でも陶器を作っている窯が存在しているから、それこそ勇気を出して見学を願い出れば、快く引き受けてくれると思う。
 そんな体験が出来るのも、観光ガイドから外れて、自分で探検して見ることをお勧めするもの、何がしかの発見が必ずやあると思う。
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2019年02月19日

鉄人28号

    鉄人28号

DSCN0478.JPG 以前にも紹介した鉄人28号は私にとっても思いで深いもの、少年時代まさに真っただ中の頃、雑誌少年の連載漫画として登場、人気を博した。
 ちょうど私が少年時代、初めて雑誌に載ったのを覚えており、鉄腕アトムと共にロボット時代の漫画としてよく見ていたものだ。
 どちらもロボットであるが、鉄人とアトムとでは大きさが全く違い、鉄人に意志がなくリモコンで操縦されるロボットだ。
 アトムはロボットでも意志を持ったロボット、全く違うロボットだが人気を二分する存在、どちらが好きかとよく言ったものだ。
 DSCN0484.JPGなぜかしらこの鉄人、私の父親と同じ金田少年が操縦するが、その名前が正太郎、親父の名前と同じであったこともあり、親近感がわいたものだ。
 当時、母親に買ってもらい鉄人の漫画を楽しみにしていたもので、次の発売が待ちどうしくて、早く続きが見たいと思ったものだ。
 母親にも漫画なんかよりも小説を読んだらと、意見をよく言われたものだが、小説よりも漫画の方が楽しかったもの。
 そんな鉄人28号、早いものであれから60年の月日が経っているのだが、今だに人気は衰えていないから大したものだと思う。

DSCN0485.JPG 当時、リモコンで動く玩具が流行った時代、高くてなかなか買えなかったが、小遣いをためて買えばよかったが、そんな事も出来なかった。
 貯金をして買おうとはせずに、何とか親に買ってもらおうと、盛んに交渉したことを思い出すが、結果は買って貰えなかった。
 自分で小遣いをためて買いなさいと、親にも言われた覚えがあるが、それが出来なかったのが私で、やっぱり貯金は苦手であったのだ。
 今でも鉄人28号のロボットは大人気で、復刻版のロボットまでも高値、今でも欲しいとは思うが、手が出ないのも昔と同じである。
 そんな鉄人28号のライター、黒のボディーに鉄人が描かれているもの、このライターは光プロから発売されたものだ。
 いろいろな図柄があり、一時は全部持っていたが知らないうちに無くなってしまい、今は手元に二個しか残っていないのだ、このライター、ジッポーのコピー版、たぶん中国製であろうと思うが、ジッポーよりも形は似ているが、性能が良くない。



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2019年02月18日

雛道具

    よ り 本 物

 雛人形に付いている道具、普通7段飾りであれば、その内2段は道具類が並ぶのがSANY1246.JPG通例、現在では色々な雛壇があり、いちがいに言えない場合もあるが。
 大抵の場合2段が全部道具、その道具も時代により変遷があり、道具も変わってくるものだが、この道具嫁入り道具の見本みたいな物である。
 関東と関西ではこの道具も違いがあり、関東は普通の嫁入り道具、関西の雛道具はお勝手ばで使う道具が主体であったようで、おくどさんと呼ばれる釜戸から炊事道具が中心。
 所によっても雛道具の種類が違う物がつくのも面白く、時代によっても又違い、昔の雛道具と現在の雛道具とも違いがあり、やっぱり時代の変遷を見る思いだ。
 江戸時代の雛道具、特に武家の大名道具はこれまた種類も多く、そして豪華に作られており、一般庶民の雛道具とは質が全然違う物、材質から出来具合も全く違う物である。

 写真の抹茶茶碗と茶せんもその1つ、この雛道具SANY1244.JPG大名の雛道具、茶碗の高台内には楽印が押されており、作者がハッキリと分かる代物である。
 赤の楽茶碗、茶せんは驚く事に120本仕立ての高級品、細い竹を組み合わせて作られており、実際の6分の1の大きさ、写真では比較が無いために大きさが分からないが、抹茶茶碗の大きさは高さ3.5センチ、直径3.5の小さな物。
 茶せんは長さ4センチ、先の太い部分は2センチとこれまた非常に小さな物であるが、写真で見ても本物の抹茶茶碗と茶せんにしか見えないと思う。
 大名道具はやっぱり造りが違う事が分かるもの、実に丁寧に作られてしかも本物の縮小した物、大きな物を作るより小さな物を作る方が余程難しいのではないだろうか。
 それだけ雛道具と言えど大名家の雛道具は格が違う事を示しており、ここにも権威を保つ為に力を入れて作らせた、大名家の威信が隠れているようだ。
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2019年02月17日

新しい折り紙

    昔からの折り方

 折り紙、日本に古くから伝わる折り紙、子供の頃良く折った覚えがある折SANY1319.JPGり紙、そんなに難しくなかった。
 折り紙は子供でも出来る事から、簡単なものが工夫され、幼い子供でも作れるように工夫されていた。
 特に女の子たちが夢中で折り紙をしていた事を思い出すが、折り紙の歴史は古いらしいのだ。
 私が知っている折り紙は兜や奴さん、船、飛行機位しか知らないが、本当の折り紙は数多くの物を作り出すのだ。
 本来の折り紙は複雑な折り方をして、素晴らしいものを作り出すもの、一枚の正方形の紙から、工夫して色々なものを作り出す。
 大きなものから小さなものまで、紙一枚で次から次へと形を作り出せる折り紙、奥が深いらしい。
 そんな折り紙、海外に行くとき一番安くてお土産に良いのはこの折り紙だと思う、事実私も海外に行く時は折り紙を持って行った。

 SANY1327.JPGどんなお土産よりも、この折り紙の方が喜ばれるのだが、それはコミニケーションが取れるからだと思う。
 他のお土産だと渡してしまえばそれで終わり、しかし折り紙は造り方を教える事により、親近感が出来るのだ。
 簡単な折り方でも、外国の人は驚いてくれ、
 教えて欲しいと向こうから寄って来るから、仲良くなるのに一番。
 さして何より安い事、これだけ安いものでお土産で喜ばれるものは他になく、日本のお土産の特徴だ。
 そんな折り紙、最近では折り方にも変わって来たらしく、孫が持ってきた折り紙は私の知る折り紙と全く違う。
 ユニット折と呼ばれる折り方らしく、一つ一つの折り物を合体させて作るものらしいのだが、複雑なようだ。
 写真がその折り紙がユニット折り、立体的でこまや箱が作られている、よく見ないと複雑なようだが、一つ一つは簡単なもので、いくつか組み合わせて一つの物になるらしい。





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2019年02月16日

ガラスが割れた

      知り合いの相談
SANY7499.JPG
 知り合いが電話で相談にのって欲しいとのこと、何事かと思いきや古時計の事だと言う、古時計の事なら何時でも相談にのるからと返事をした。
 後日、知り合いが時計を持って現れ、「実は時計のガラスを割られてしまい、揉めている」との事、良く分からない話なので詳しく聞いて見る。
 新しいガラスを入れてもらっては困ると云うと、古いガラスは無いから仕方がないとの事、これが揉めるはじめ、そして最後は「新しいガラスの値段で弁償すると云う事らしいのだ。
 知り合いは、如何しても古いガラスを入れたいと主張、結果は双方の意見の食い違いで揉めたらしく、私に何とかならないかとの相談。
 今のガラスでは800円も出せば直ぐに手に入るが、古いゆらゆらガラスとなると値段もはる、最低は8000円はかかると思う、大きなものだと15000円はかかる、それが又揉める事かも知れない。

 新しいガラス800円と古いガラス8000円の違い、時計の修理代と同じくSANY7504.JPGらいの値段だと思う、相手がそれを分かってくれるかどうか、当然相手に責任はあるのだ。
 知り合いに、相手にその話をしてやらないと平行線だと思うとさとし、先方にガラスのある所を紹介して、ガラスを持っている所から話をして貰うようにアドバイスをする。
 今の時計屋さんはガラスの事情等知らない人が多く、古いガラスが中々手に入らない事も知らないし、値段が高い事も知らないのだから困る事になる。
 宅配業者から見積もりをして欲しいとの相談も多くあり、その都度ガラスの現状を説明し、昔のガラスの値段を見積もり、手に入ることはあるが、値段が高くなる事を理解してもらっている。
 何にしても古いガラスは年々少なくなっているので、それを確保するのは厳しくなっているのも現状、結果は値段が高くなってしまうのも仕方がない事か。
 だから気を付けてガラスを割らないことが1番、割ってしまえばオリジナルでなくなってしまうから、慎重に取り扱う事だと思う。
 あくまでも古時計だと云うことを念頭に、大事に扱うしかない、もっと古時計を理解してやらないと、その為にも頑張って欲しいものだと思う。
  写真は上が新しいガラス、後のものはゆらゆらガラス、写真は上手く取れなかったが、障子の棧が歪んで見え、上ものは鮮明なのが分かると思う。
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2019年02月15日

旅の思いで品

      懐 か し く

 SANY8876.JPG旅の思い出は懐かしいもの、どんな小さな旅でもおもいではあり、其れが後からやってくるから又楽しいもの、思い出は時として間違っていたりもするが、そんなことはお構い無しだ。
 誰でも旅の思い出は心に響くもの、どんな事でもそれは楽しい思い出であり、小さい頃の思い出、大人になってからの思い出など幾つかあると思う。
 其の一つ一つが旅の足跡であり、失敗談や羽目を外して大騒ぎした事等、今思うと楽しい思い出となって帰ってくるもの、其の旅先の思い出に繋がる品物があれば尚更良い。
 その品物を見ると自然に旅先の事が思い出され、懐かしさがこみ上げてくるもので、其れがどんなに小さなものでも良く、例えば箸袋やタオル、マッチやパンフレットなど、何でも良い。
 それを見ることで旅が鮮明に脳裏に浮かび上がってくるもの、記憶とは単に頭の中だけでなく物も其の記憶を呼び起こす道具でもあり、其れがあればより鮮明に思い出すものである。
SANY8880.JPG
 私は旅に行くと必ずマッチを貰ってくるのが習慣、かさばらなくて宿には必ず置いてあるから、気兼ねなく持って帰られるからだが、そんなマッチでも、特に特徴のあるものは尚更の事。
 個性的な図柄も楽しいもの、一目でその時の事が思い出されるのも個性ゆえに記憶が強く、旅の思い出の中でも一段と思いも深くなるもの。
 そんなマッチを製作した宿や店主の粋な計らいを察するのも、旅人の使命かもしれないが、案外見過ごす人が多いもので残念なことだ。
 写真は左は九州柳川のお花のマッチと島根県宍道湖の八雲本陣のマッチ、二つとも思いで深い宿、昔の佇まいをそのまま残している所。
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2019年02月14日

インテリアとして

    それぞれの好み

 SANY4909.JPGアンティーク好きな人にとっては、自分の気に入ったものを他人に見てもらいたいと、インテリアとして扱っている。
 一方、他人には触られたくなく、自分一人のものとして扱っている人も、それぞれに好みの違いがある。  私は両方の人に友人を持っており、2人とも個性の塊みたいなもの、ある人に言わせれば利己的だとも言うが、それも個性だと思う。
 自分の好きな物は妥協しないと、強い信念の持ち主、それはそれで良いと思うし、だって人の趣味だから。 アンティークとは生活感のあるもの、昔は使われ生活の一部として活躍、だからこそ魅力があるのだと思う。
 単なる物ではなく、生き生きとして活躍して来たものにこそ、そのものであると思うが、受け取り方の違いで扱いも変わる事になる。
 しかし、その物自体は変わる事はないと、それを扱う人が変えてしまうので、それを扱い方で変わる。
 この二つの考え方を持つ者が出くわすと、面白い事が起こり出し、お互いの主張がぶつかり合う事になるのだ。
 別にバトルがはじまるわけではないが、その人の考え方を出し合うもので、各々に主張し合うが、そこはアンティークを愛する人SANY1105.JPG。 

アンティークが好きだから、お互いの気持ちを良く理解しており、ただ扱い価値の違いが、彼らの行動の違いに出ている。
 例えば蓄音機一つを例に挙げれば、本来の蓄音機そのものとして扱い、常にベストの状態を保ちたいと思っている人。
 その一方で、蓄音機をインテリアとして居間などに置き、家具と同じ扱いをしている人もまたいるのだ。 昔から使われて来たものには存在感があり、そこに置いてあるだけで魅力的なものとなるのだが、逆にあくまでも蓄音機だと言う人も。
 どちらにしても蓄音機としてだけに止まらず、インテリアとしても使えれば、もっと幅が広がる事になると思うが。
 蓄音機だけの事ではなく、時計にしても、ランプにしても、器にしても同じ事が言えるのではないだろうか。
 扱い方は違っても、アンティークの魅力は変わらず、楽しく付き合えたらもっと幅広く利用出来るのではないだろうか。










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2019年02月13日

押絵雛

      手作り感

 押絵雛とは元禄年間に生まれたものと云われ、元文4年(1733年)京都SANY2360.JPGで「花結錦絵合」と言う本が出版され、江戸にも広がり、その後少女衣装絵を細工の図にして売り出す。
 押絵の作り方を絵図にして分かりやすくし、自分でも出来るように解説した物が売り出される事により、これが評判となり全国に広まったと言われる。
 武家や町人、農民や商人の間でも流行したと言う、簡単に作れる事と其れを作り、内職として生活の足しにしたといわれている。
 商人たちがそれらを買い上げて販売、瞬く間に広がって行った様で、安価な雛人形として庶民に人気であったというが、古いものは余り残っていないようだ。
 押絵雛は全国に広まったようだが、現在作られているのは信州の松本、ここの押絵雛は天保年間(1830年〜)に江戸より伝わったものと云われている。
 当時は衣装人形とか衣装絵と呼ばれており、信州の地で独自に発達を遂げ、松本の押絵雛は分業化され、顔描き、顔張、胴張、下絵描き、台つくりなどの分業であった。SANY2368.JPG

 この様に別々で作られた部品を組み立てて、押絵雛を完成させるシステムが松本の押絵雛の特徴、特に顔描きは雛人形を作る上での重要なもの。
 顔絵描きが1番難しくて、この職人が幅を利かせていたとも言い、江戸よりの文化が伝わり、歌舞伎を題材にしたものや、当時流行ったものなどが作られた。
 全国的に広がった押絵雛、何故か松本だけに残ったのはどうした訳か、他では古いものは余り見かけず、松本だけに残されているのも不思議だ。
 今回の瀬戸の雛巡りにも、松本の明治時代の押し絵雛を展示、本来は台に刺して飾るものだが、場所を取る事もあって壁に貼り付けて、展示をしている。
 数的にはそんなに多くは無いが、大きなものは横70センチ、縦60センチと大きなものが主体、迫力のある押し絵雛である。
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2019年02月12日

時代の貯金箱

      明治、大正、昭和
 SANY9048.JPG貯金箱、日本人は貯蓄型と云われ、古来より貯蓄を好む民族だと言う、コツコツと地道に貯めてイザと言う時に備えるため日頃から励む。
 昔の人はお金を瓶に入れて土の中に隠したという話があり、実際に土中から掘り出されたこともしばしば、昔話にもそんな場面が出てくるほど。
 一番は瓶に入れた土の中に隠す、これが一般的であったようだが、あくまでも金持ちの話、一般庶民は箪笥の引き出ししまっているのが常。
 明治時代に入り庶民に貯蓄を奨励したのが新政府、ここから貯蓄が国の為になると言う風潮が、庶民はコツコツと貯蓄を行い始めた。
 そして何に入れて貯めるのかと言う事になり、貯金箱なるものが売り出させるようになり、貯金箱を求めて貯蓄するようになる。
 この貯金箱、時代と共に変化して行くが、一つ一つ見ていると、時代が見えてくるようで面白いもの、その時代の世相が見えてくる。

 明治期に売り出された貯金箱、磁器でできたもので残っているのが珍しいSANY9059.JPG物、何故かと言えば貯めた後、取り出すときには割ってしまうからだ。
 使用済の貯金箱は割られるのが普通、安価なものが多く直ぐに手に入るから、ちゅうちょ無く割ってしまい、現存している事が珍しい、大正期の貯金箱はブリキ製のもの、貯蓄奨励の文章が貯金箱にそのまま印刷され、国民に貯蓄を促すものとなっている。
 この貯金箱は磁器のように割らなくてもお金が取り出せるようになっている仕掛け、これ以後の貯金箱は簡単にお金が取り出せるようになる。
 昭和に入り貯金箱もより戦争の影響が出始め、質素で簡単なものとなり、贅沢が禁止された事を伺わせるものになるのだ。
 そして戦後、又陶器の貯金箱が出来て、物資の不足、特に金属の不足が貯金箱にも現れ、見慣れたポスト方の貯金箱の登場となる。
 貯金箱1つを見ても、その時代、時代の世相が見て取れ、庶民の生活が戦争によって左右された事の裏付けとなっている。
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2019年02月11日

製造の違い

    金箔と金泥
SANY2657.JPG
 明治期に輸入された西洋時計、一般の家庭に浸透して行くが、1番多く輸入されたのが八角型のボンボン時計、しかし人気の高かったのはダルマ型の時計。
 八角型が普及品であれば、少し高いダルマ型は高級品、そのダルマ型の中でも金ダルマと呼ばれる時計がやはり一番人気であった。
 この時計、アメリカでは八の字とも呼ばれているが、日本ではダルマ型と呼ばれ、縁起の良い時計であった様だが、もう1つの呼び名八の字、つまり末広がりと言う意味にも取れ、やっぱり縁起が良い時計である。
 そのダルマ型の中で金ダルマと呼ばれる時計、この時計に人々は憧れていたよう、人目を引く時計、しかもキンキンラキンの時計は人気も高かった。
 その後、日本でも西洋時計が製造されるようになり、アメリカ時計をモデルとして多くの時計が製造されたが、その中に金ダルマも含まれている。
 人気の高い金ダルマの製造は時計各社にとっても売れ筋、金ダルマの売れ行き如何では売上高にも左右する時計、その為により慎重に製造したものと思われる。

 アメリカ製の金ダルマは「金泥」を用いて製造されているが、日本の金ダルマは「金箔」を用いている点がアメリカ製と異なっている。
SANY4546.JPG 日本にも金泥法は奈良時代に既に入ってきているが、明治期金泥法を使わずに、金箔法を用いた事は何故であろうか。
 当時の時計各社とも同じ様に金箔法を用いて製造しているもので、金泥法を用いて時計を製造した会社は無く、すべてが金箔を用いている点。
 金泥法よりは金箔法のほうがコスト的に安く、又手間も省ける利点があることから、明治期時計に金泥法をもち要らなかった様である。
 アメリカ製の金ダルマをコピーした日本の金ダルマ、しかしその手法は少し違った手法、金泥と金箔との差、日本の金ダルマは金箔で製造、独自のダルマが完成する。
 改めて日本で製造された時計、明治期各社から多くの金ダルマが製造されたが、殆どは金箔手法による金ダルマであった。
 上に写真が日本の金箔で製造された時計、下の時計がアメリカ製の金泥法で作られた金ダルマ、良く似ているが金泥と金箔の違い。
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2019年02月10日

雛巡り

   今年で13年

 SANY9040.JPG瀬戸市で毎年行われている瀬戸の雛巡り、私が参加してから既に13年になってしまい、月日の流れるのも早いと感じる。
 初めて参加した時はまさかこんなに長く続くとは思ってもみなかったし、また続けようとも思わなかった。
 軽い気持ちで展示を引き受け、自分でも不思議に思っていたが知らず知らずに13年が経過してしまった。
 毎年思う事だが展示内容に気を使いすぎ、こんな思いをするのであれ来年はやめようと、そんな思いになっていた。
 自分の体力を考えればすでに止めていて当たり前、年々体力と根気が無くなって来るから、それに腰を痛めてから尚更の事。
 展示には気力も大事だがやはり体力が一番必要で、重い箱を出し入れするのは大変な事でもある。
 勿論古い雛人形であり、乱暴に扱えば壊れる事に、その為に神経も使わなくてはならず、その上スタッフにも気を遣う。
 手伝って貰わなければ一人では展示は出来ず、それも心の負担になり、気を遣いすぎて負担になる事にも。
 そんな事で今年も何だかんだと言いながら展示が完了、しかし今年ほど切羽詰まった事は今までになく、心配の連続であった。SANY9032.JPG

 私のスケジュールと先方の間でうまく合わず、時間ばかり費やして展示が進まず、開催前日まで準備に費やして四苦八苦。
 やっとの思いで完成されたのが2月1日、2日から雛巡りが開催されるから綱渡りも良いとこ、滑り込みセーフと言ったところ。
 その上享保雛は今年は展示しないと思っていたが、何だかんだで結局展示する事に、みんなの希望が優先された。
 私としては今年は展示しないと決めていたのだが、是非展示して欲しいとの要望に押されて、昨年の展示の際エアコンの利き過ぎで屏風が破損してしまい、今年は展示出来ない位のダメージを受けたから。
 享保雛も当然の事ダメージを受けている筈、やはり展示は慎重に行わないと破損の原因となる。
 そんな心配も今は進行している雛巡り、終わるまでは先送りになるだろうと思いつつ今日も過ぎて行く。
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2019年02月09日

グリコのおまけ

    販売促進用
DSCN1480.JPG 「おまけ」、この言葉の響きは何とも言えないもので、殆どの人が快く思っているものだと思う、つまり響きが良い誘い文句だとおもう。
 そもそも「おまけ」とは、本来その物だけで商売するのが当たり前、おまけが良いからと本体はそっちのけではおかしいのだ。
 元々は買って貰ったお礼として出していたもの、だからそんなに良いものでは無く、チョットした物をおまけとして出したのである。
 その代表格と言えるものがグリコのおまけ、私も子供の頃グリコは良く買っていたもので、本体のキャラメルはどちらでも良く、おまけ欲しさに買い込んだものだ。
 今でもはっきりと覚えているのは、近所の駄菓子屋に行き真っ先に買い求めるのがグリコ、当時レースカーが好きで、それを求めてのものであった。
 グリコのおまけに金属製のレースカーが付いており、それが欲しくてグリコのキャラメルを何個も買い込んだもの。DSCN1481.JPG
 色々なおまけが付いているが、自分の欲しいおまけが中々出てこないので、幾つも買い込んだがキャラメルは食べないのだ。
 当たり前の事であるが、そんなにキャラメルばかり食べれないもの、キャラメルが欲しいわけではなく、おまけのレースカーが欲しいだけの事。

 一日に何個か買い込んだと思うが、子供の頃であるからお金は無いので、祖母にねだってはお小遣いを貰っていた。
 母親には当然バレない様に祖母にこっそり貰っては駄菓子屋に行き、セッセとグリコのキャラメルを買い込んでいた。
 しかしこちらの欲しいおまけが中々出なくて、何個も同じ物がDSCN1484.JPG出てこともあり、折角祖母にお金を貰って来たのに欲しいものは出なかった。
 その当時グリコのおまけの箱は柔らかい箱、上から押さえれば大体の形は分かったが、そこは同じような形のものもあり、よく間違えたもの。
 だから結果は幾つも間違えて買い込み、失敗たしたものだから、要らないおまけが沢山集まり、友達と交換した。
 しかし欲しいものが同じで、こちらの思うようには交換できなくて、毎日がレースカーを探して駄菓子屋を巡った。
 近所の駄菓子屋で余り多くグリコを買えば、当然母親に分かってしまう事になるから、それがばれない様に遠い駄菓子屋に行く事に。
 DSCN1539.JPG子供の考える事はそれくらいの事、何処でバレるのかは考えもしない、自分ではバレないと思っていたが、隣の友人が母親にバラしてしまった。
 母親にバレてしまった後は暫くはおとなしくしていたが、欲しい物は欲しい、こそこそと母親に分からない様に祖母に御金をせびって、またセッセとグリコを買い込んだ。
 そんなグリコのおまけ、粉ミルクのブリキ缶に二杯分はあったが、引っ越しの時に何処に紛失してしまい、今は無いのだ。
 あれだけ精力的に集めたおまけも、現在残っているものは数が少ないが、それでも楽しい思い出の品。

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2019年02月08日

如月

    1番寒い

SANY2340.JPG 1年の内で1番寒い頃、如月2月の呼び方でもあり、この語源は色々あるらしいのだが、中国語源説もその1つだ。
 中国では如月は単に2月の読み方であり、其れが直接日本の2月の如月とは違うとも言われ、この語源は違った意味で色々。
 如月、衣を更に重ねて着る月(気更来)、読んで字の如く、1番寒い頃となり一枚余分に着重ねる月だから、如月となったという説。
 確かにこの時期を表すに持って来いの漢字、気更来(きさらぎ)とかく、漢字だと意味が良く分かる気がするものだが、当て字だと言う人もいる。
 更に他の説は、陽気が更に来る月、気更来(きさらぎ)この漢字の当て字も、確かに陽気が更に寒くなる頃、良く漢字で表している。
 日本人は自然と上手く付き合ってきた証しだと思うのだが、兎に角2月は寒い時期、この2月を表す漢字も又色々あり、仲春、初花月、梅見月、建卯月など色々とある。
 この2月は建国記念日の月でもあり、節目の月と言う事、立春、豆まきと節目、古来2月は特別な月であることは歴史が物語っている。
SANY2346.JPG
 紀元前660年、神武天皇は奈良樫原の宮で、この年の2月11日に天皇に即位、この日を記念して建国記念日として制定された。
 これが日本の国の始まりと云われ、それ以後延々と語り継がれてきたが、史実はどうあれ季節の節目である事には変わりない。
 この節目には邪気が入ると古くから言われており、その邪気を追い払う儀式が節分、大豆を焼いて邪気を追い払い、家に邪気が入り込まないようにしたのだ。
 そして明ければ立春、これから春が始まるぞ、待ちどうしい春を迎える行事も古くから伝えられた伝統行事でもあるものだ。
 この様に如月、2月は季節の変わり目だけでなく、様々な節目に当たる月であること、古くからの慣わしが現在も行われているのだ。
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2019年02月07日

情けない話

    ポートベロー
SANY1341.JPG
 友人に連れらるてはじめて行ったポートベロー、うわさは昔から聞いて知っていたが、実際に見るのははじめて。
 行く前は良いものがあれば買いたいとか、安いものがあれば直ぐ買うとか、そんな思いをしていたが現実に目の当たりにすると、中々買う気にならないのは何故、行く前と全く違う感じだ。
 良いものを安く買い込む、そんなつもりで来たはず、しかし現実は不思議なもので、良いものを見ても買えないのだ。
 勿論言葉も通じないとの思いもあるが、友人はペラペラの英語をしゃべるから、そんな事も心配ないが、でも目の前にある時計が買えないのだが、なんだろうと思っていたら友人、「何をビビっているのか、どんどん交渉しろ」とハッパをかける。
 確かい彼の言う通りかも知れないのと、はじめての事でポートベローと言う町にビビっているのだと自分でも思う。

 落ち着いて見ると、欲しい時計が目の前にあるのだが、自分の感覚ではいくらで買えばよいのか分からないのだ。
 すると友人「何している、お前の目の前にあるのは欲しいと言っていた時計じゃないのか」とまたもハッパを掛けられる。
 時計も分からない友人にハッパをかけられ、ビビっている自分が情けないと思い、仕方なく店主に問いかけてみる。
SANY1355.JPG 片言の英語で「ハウマッチ」と一言、すると店主が早口でまくしたてるので、再び固まると、隣で友人が助け舟。
 サッパリ分からないが友人まくしたてて相手に迫る、店主その態度を見て「ユーはバイアーと」と問いかけてきた。
 とっさに「イエス」と返すと、態度が一変、玄人の扱いを、そのことで気持ちが落ち着いてやっと交渉が出来るように。
 そんな事でポートベローで初めて買った時計がこの時計、新しいもので良いものでもないが記念すべき時計となった。
 時計が良いものだとかではなく片言の英語で買った事、この時計を見るとビビっていた自分が恥ずかしく思え、また懐かしくも思える。







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2019年02月06日

氷柱

    大きさが違う

SANY2206.JPG
 まだ寒い日が続き2月の寒波が、最近の雪はどか雪、雨もそうだか雪もまた普通の降り方じゃないのだが、気象状況も不可思議。
 ゲリラ的に集中、どか雪を降らすが、尋常な降り方ではなく一気に積もり異常事態に、以前はこんな降り方はしなかったと思うが。
 しかも、雪が少し降った位で都会の交通網は弱い、しかも運転する人も雪にはなれていないのでてんやわんやの大騒ぎ。
 雪国の人たちが笑っているがどうしようもないのだ、スリップして車が動けず、次々と止まってしまい交通渋滞を起こす。
 少しの雪で電車もバスも飛行機も、兎に角雪には都会はもろいもので、全部が止まる始末、家に帰れない人が多く出る事もある。
 逆に雪国の人も一気に降る大雪は経験したことが無いと言う、毎年降る雪だがこんな形で降る雪にはお手上げ状態と言う。SANY2303.JPG
 雪が積もれば子供達は大はしゃぎ、普段外で余り遊ばない子供も、この時ばかりは外に出て雪合戦や雪ダルマを作って遊ぶのだ。
 昔はよく見かけられた風景だが、こんな事も今では珍しくなってしまい、家の中に篭りきりでゲームばかりやって過ごしている。
 都会の子供は雪と遊ぶ事も稀だから、如何して良いのか分からないらしいが、困った時代となってしまったよう、遊ぶにも遊べないとは。
 最近は滅多に見ることも無い状態、この前の雪で、前の家の軒下に氷柱が下がっているのを見つけたが、この氷柱、雪国では物凄く大きなものが出来るが、都会ではそんなに雪が積もることが無いので、氷柱も大きくならないものだ。
 しかし雪国の氷柱は兎に角物凄く大きくて、都会の子供が見るとビックリする大きさ、寒暖の差が大きければ大きいほど、氷柱は大きくなると言う。
 わが家の前に出来た氷柱は小さく、それでも氷柱が出来ていれば、手にとって見たくなるが、雪国の氷柱は桁が違う大きさ。
 写真は家の前に出来た氷柱と、この前に野沢温泉で見てきた氷柱、比べようも無いほど大きさが違い、この大きさでもまだ小さいとか。


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2019年02月05日

外貨を稼ぐ

    こんなものが

はと2.jpg
 尾張瀬戸で製造された陶器が海を渡り、当時貴重な外貨を稼ぐことに、ノベリティーと呼ばれた輸出もの。
 戦後、瀬戸の陶器が海外で好評を博し、大量に海を渡って行ったが、そのほとんどが玩具の人形。
 ドイツのマイセンの向こうを張って、数多くの人形が製造され海を渡ったが、はじめはマイセンの人形とは大分差があったようだ。
 敗戦国同士であるが、ドイツの人形は洗練され、古くから製造されていたもの、それと比較して瀬戸は後発の製造となる。
 当然ドイツ物を追いかける事になるが、その技術は急速に発展し、マイセンと肩を並べるまでになる。
 その製造された殆どが海外に渡り、日本国内には存在しない物となってしまったが、昨今は逆輸入され国内でも見る事が出来る。
 高級品になるとどれがマイセンで、どれが瀬戸だと思う位見事な出来栄え、その技術の高さの証明でもあった。

 そんな人形たちの混じって、他のものも多く製造されて海を渡ったが、その中に花入れも入っていた。
 時計の形をした花入れがそれ、色々な種類の花入れが製造され、特にアメリはと.jpgカで人気を博したと聞く。
 当時、瀬戸で製造していた花入れを私も見ていたが、何でこんなものがアメリカで売れるのか不思議であった。
 いつも見ている窯元で忙しく製造されているものを見、アメリカ人はこんな物を何処で飾るのかと。
 そんな思いで造るところを見ていたが、今見てもヤッパリ誰が使ったのだろうと不思議に思う。
 花入れにしては小さなもの、普通の花入れの半分位、それよりもモット小さなものも、だからこそ疑問であった。
 写真の花入れがそれ、せいぜい10センチ位のもの、これで花入れなのかと思ってしまう。
 しかし、この小さな花入れが当時多く製造され輸出されていたから、事実アメリカで売れたのだろう。
























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