2019年02月13日

押絵雛

      手作り感

 押絵雛とは元禄年間に生まれたものと云われ、元文4年(1733年)京都SANY2360.JPGで「花結錦絵合」と言う本が出版され、江戸にも広がり、その後少女衣装絵を細工の図にして売り出す。
 押絵の作り方を絵図にして分かりやすくし、自分でも出来るように解説した物が売り出される事により、これが評判となり全国に広まったと言われる。
 武家や町人、農民や商人の間でも流行したと言う、簡単に作れる事と其れを作り、内職として生活の足しにしたといわれている。
 商人たちがそれらを買い上げて販売、瞬く間に広がって行った様で、安価な雛人形として庶民に人気であったというが、古いものは余り残っていないようだ。
 押絵雛は全国に広まったようだが、現在作られているのは信州の松本、ここの押絵雛は天保年間(1830年〜)に江戸より伝わったものと云われている。
 当時は衣装人形とか衣装絵と呼ばれており、信州の地で独自に発達を遂げ、松本の押絵雛は分業化され、顔描き、顔張、胴張、下絵描き、台つくりなどの分業であった。SANY2368.JPG

 この様に別々で作られた部品を組み立てて、押絵雛を完成させるシステムが松本の押絵雛の特徴、特に顔描きは雛人形を作る上での重要なもの。
 顔絵描きが1番難しくて、この職人が幅を利かせていたとも言い、江戸よりの文化が伝わり、歌舞伎を題材にしたものや、当時流行ったものなどが作られた。
 全国的に広がった押絵雛、何故か松本だけに残ったのはどうした訳か、他では古いものは余り見かけず、松本だけに残されているのも不思議だ。
 今回の瀬戸の雛巡りにも、松本の明治時代の押し絵雛を展示、本来は台に刺して飾るものだが、場所を取る事もあって壁に貼り付けて、展示をしている。
 数的にはそんなに多くは無いが、大きなものは横70センチ、縦60センチと大きなものが主体、迫力のある押し絵雛である。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記