2019年02月27日

産地が分からない

      水滴の産地

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 明治期、文明開化の申し子と言われた西洋時計、その西洋時計をモデルとして日本各地で水滴などが造られ市場に出回ることになる。
 西洋時計が流行する事になり、時代は文明開化、新しいものがドット押し寄せ、一般庶民の生活も一変する事になるのだ。
 そんな時代、新しい物好きな日本人は、西洋のものなら何でも真似をして、生活の中に取り入れて行く、舶来信仰の始まりである。
 そんな中、やっぱり西洋時計は人気があったものの1つ、西洋時計を手に入れようと一般庶民も憧れを持って迎えたのだと思う。
 それに敏感に反応したのが、陶器の産地であり、水滴や花入れなどを時計の形として売り出すことに、時代にあった商売を作り出す。
 今までの水滴は江戸時代から変わらぬ物であったが、文明開化の申し子時計を形造り、水滴や花入れを作る事を思い付く。

 今も昔も新しいものは若者から始まるようで、書道に使う水滴は子供たちを引き付ける時計をデザイン、これが爆発的に流行する。SANY2917.JPG
 それに気を良くした陶器の産地は、あちこちで時計型の水滴を作り出し、市場に向けて売り出すが、当然の事競争も激化したようだ。
 実物を見ることなく想像で製作したであろう物まであらわれ、尚更市場は競争が激しくなり、それが引き金となり、数々の時計型の水滴があらわれる。
 今回の水滴も、時計愛好家から何処の水滴なのか教えて欲しいと、色々な水滴を見ても産地が分からず、皆同じ物に見えてしまうとの事。
 明治期の時計型水滴の産地は瀬戸と伊万里、この2つが競い合っていたが、その他の産地も製造していた事は確か。
 しかし、瀬戸と伊万里のものが多く、今回の物も伊万里の時計がた水滴、持ち主は瀬戸と伊万里の区別が付かないと、比べてみても全く分からないと。
 瀬戸と伊万里の違えはゴスの色が違い、瀬戸は色が鮮やかな藍色であり、伊万里のゴスは少し黒みかかった色、勿論磁器の色も違いが歴然とある。
 ただ、多くの人は良く似た物ばかりでドチラガどちらか、サッパリ分からないと言う、やはり現物を多く比べて見ることだと思う。






posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記