2019年03月25日

幻の陶貨

    こんなものまで

 陶貨、聞きなれない言葉の響き、戦時中日本で製造された陶器の貨幣、第二次大戦末期、日本は物資が不足、特に金属がなかった。
 この時代色々なものが金属の代用品として造られたが、最後は貨幣まで代用品で造るとは、日本も底をついた状態であった。
 金属不足は資源のない日本にとって一番の痛手、金属で無いものだ代用しても戦には勝てないことは分かっていた。
 しかし最後まで抵抗した日本、国民に大きな犠牲を押し付け、なお戦争を維持しようと画策していたのだ。
 最後に画策したのは貨幣、金属で製造していた貨幣を代用品で製造する事、奇想天外の発想であった。SANY0512.JPG
 そのお手本となったのがドイツ、1920年第一次世界大戦時に陶器で貨幣を製造していたことを知り、それを再現。
 昭和18年に陶貨製造準備委員会がつくられ、ドイツの真似をして陶貨を造ることを計画、準備に入る。
 それを進言したのが瀬戸の陶器会社、一銭、五銭、10銭の三種類を製造することを提案、検討に入ることになる。

 製造産地としては瀬戸、京都、佐賀の陶器の産地、それぞれの産地で一銭、五銭、10銭を別々に造られる。
 特に多く製造されたのが一銭と五銭、目標は一銭は200万枚、五銭は100万枚それぞれに製造することである。
 昭和20年、瀬戸は一銭を製造することを求められ、当時鐘大陶業株式会社の民間の窯元に発注、大井省造幣局、瀬戸製造出張所として陶貨を製造する。
 一銭は表に富士山を描き、裏側には桜の花を二つ重ねた図柄、同課に似せて赤い土で製造すること。
 目標、200万枚を製造すべく大量生産に入ったが、完成まじかで終戦となり、廃棄処分となったが、何故かしら現存している。
 いつの時代も、こっそりと手に入れている者が、廃棄処分であったものが現存、数的には多くはないが蒐集家の手に。











posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記