2019年03月28日

瀬戸の散歩道

      路地裏にひっそり
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 1200年の陶都尾張瀬戸、古くから焼き物の町として栄、今日まで陶器の街としていき続けてきた処、全国的に瀬戸物と呼ばれる陶器の町だ。
 愛知県のほぼ中央部、山間にある盆地に開けた町、三方を山に囲まれた土地にあり、今でも山が非常に近い土地柄、その山には日本一と言われる陶土が眠っている。
 この土を求めてここに来のが加藤四郎左衛門景正、通称藤四郎と言う、 1200年代、彼がこの地の土で作り出した古瀬戸焼、日本ではじめての釉薬を使った焼き物である。
 当時都へと運ばれ貴族階級や神社仏閣で使用された高級陶器、今までは素焼きの器を使っていたので、この釉薬をかけた陶器は持て囃され、全国に広まった。
 この古瀬戸、特に茶器に珍重され、中国陶器の向うを張ってくつられた焼き物、茶人たちにも重用され、その地位を不動のものとしたのだ。
 それ以後瀬戸の陶器は発展をとげ、陶器の街として庶民の器を作り続けて来SANY1034.JPGたのだが、時代の変遷に伴い受難な時もあったもので、特に乱世の世は陶工たちが瀬戸より離散。
 一時は瀬戸物の火が消えようとしたこともあったが、織田信長の力により美濃に移り住んだ陶工をたちを瀬戸に呼び戻して、陶器の生産を再開したのだ。
 江戸時代に入り、尾張徳川家の保護により瀬戸は復活、瀬戸物の産地として関東に大々的に陶器を排出、陶器と言えば瀬戸とまで呼ばれるようになり、瀬戸物と呼ばれ現在まで続いている。

 今瀬戸の町を散策すると、あちらこちらの露地にかっての繁栄していた名残が、整備されている窯垣の小道と呼ばれる地域、ここには焼き物で焼かれた物を利用した土留めがある。
 陶器を焼くときに使用するもので、窯の中に製品を入れる棚や器、この棚にSANY1047.JPG使用したツク、エブタ、えんごろ、これ等を使って土留めを造り上げた物。
 時には塀としても利用され、露地のあちこちに見られるもの、現代で言うエコ、廃物を利用して身近な物で土留めや塀を造り上げたのだ。
 規則正しく積み上げられたこれ等のもの、瀬戸物の町ならではの産物であり、趣のある土留めや塀が出た上がっているのを見るに、昔の人の知恵や物を大切にする精神が見て取れる。
 地元の人でも気が付かないところにも多く利用されており、これを探しながら瀬戸の狭い路地を見て回るのも一興、観光客の行かない路地には今でも多くが残っている。
 窯垣の小道の付近だけではなく、瀬戸市内全域に今でも残っているので、散策中さりげない処に、この様なものを見つけたときの感激を味わって欲しいものだ。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記