2019年04月30日

端午の節句が

    早くしないと

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 早いものでもう5月になるのだと思うと、この前雛巡りで雛人形をしまい込んだばかりだと言うのに、令和の5月がそこまで来ているのに今年は少し遅くなってしまったが、兜飾りを出して飾る準備に入り、納戸の奥から引っ張り出して来たのだが。
 毎年の事であるが、4月は入れ替えが大変な時期、雛人形と入れ替わりに5月人形を出さなければならないのだ。
 5月飾りは雛人形と比べれば遥かに数が少ないものだから、飾るのもそんなに苦労はしないが、出し入れが難しいだけの事だ。
 狭い我が家であるから、一端雛人形を入れ、それから5月人形を出さなければならず、この作業が面倒、毎年、毎年同じ事を言っているが、その繰り返しで年が過ぎて行くもの、季節とは繰り返しの連続である。
 ただ4月、5月は一番面倒な事があり、雛人形と時計展が重なるから、何時も厄介な事DSCN0731.JPGばかりで大変な作業、これも有り難い事だと思わなければ。
 ヘルニアであまり動けず、自分ではどうする事も出来ずに他人任せ、雛人形も片付けて貰ったのだ。
 そんな事を思い出しながら、五月飾りを出して一息、この五月飾り我が家のものではなく、友人からの貰い物。
 我が家のものは古民家久米邸で展示してあり、此処にはなくて友人に貰った五月飾り、友人が我が家に五月飾りがないので、これを貰って欲しいと持って来たもの。
 有り難く貰い受け、何時も我が家で飾る事にしているが、この5月飾り大した高級品、実際の鎧兜の造り方だ。
 5月人形ではなく、本物の造り方をしているもの、薄い鉄板を用いており、その上実際のものと同じように造られている。
 その為に小さいが重くて、人形の重さではないもの、飾る時にその重量感がひしひしと伝わって来るのだ。DSCN0730.JPG
 高さは70センチと少し小さいが、ずっしりとした兜、鎧本体の重さは5キロ以上あり、友人に言わせると何で重く造るのかと。
 飾るのに一苦労をしなくてはならないもので、飾るのが面倒であったと言う、確かにこの造り方で重く成って当たり前の事。
 部分的に見ると、薄い鉄板で造られているために、本物の迫力があり、良く忠実に造られていると感心する。
 ようやく5月前に床の間に飾れて、何時もの様に5月が迎えられ、ホッとしている。





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2019年04月29日

明治の時計商

    最先端の職業

 前にも紹介した明治初期の時計商、我々が思っている以上に豪商であったよう、その実態を知ればさぞかし驚SANY4788.JPGくであろう、新しい職業として明治初期に開業した時計商、勿論改暦のおかげである事は言うもでもない事である。
新政府の改暦により西洋時計が必要となり、一般庶民は西洋への憧れもあって、新しい時計に我も我もと買い求めた。
 まさに新しい時代の新しい商売、現在のIT産業の様なもので時代の流行、その商売はどの様なものであったのか、今も昔も時代の先取りをした商売は流行っていたと、そんな姿が見える資料、色々な資料の中、面白いものを見つけた。
 以前にも紹介したが、明治時代の時計塔、全国で数多くの時計塔が建設され、当時の流行であったと言われ、西洋の時計と日本の家屋、そして最先端の時計商ねこれが合体して、新しい建築があちこちに建てられていった。

 その写真を見ると、当時如何に目を引く建物であった事が分かり、流行の建築であった事が伺えるもの,そこには新事業を行うにあたり、先見性を求められたと思うが、新たな商売である以上は一つの冒険でもあるはず。
 成功するか、失敗するかはその人以上に市場の動向が決めて、其れを先読みする能力も又必要となる。
 新事業立ち上げには、それ相当の資金が必要であり、其れを確保できる財力も必要であった事は言うまでもないSANY4776.JPG
 ここにその資料があるが、これを見る限りでは如何に当時の新事業が儲かったものなのか、実感できるのもである。
 当時の時計商の番付けなるものがあり、上位を占める店舗の写真と見比べて見ると、如何にこれらに名を連ねている者たちの商売が儲かった事を示している。
 当時の流行時計塔を備えた建物、誰が見ても遠くからその存在が分かる建物、それが彼らの店舗である。
 独特の建物を建築できる財力と、それを支える利益が如何に膨大であったかが伺え、時計商が儲けていた証でもある。
 まさに今も昔も、流行の商売は儲かるものであると、この写真が立証した形であり、明治は時計が流行であった証でもある。



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2019年04月28日

昔ながら

    タイムスリップ

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 岐阜県多治見市、全国的に有名となった暑い街、一時は最高気温日本一を誇った街、盆地特有の気候で熱い街だ。
 もちろんこれだけではなく陶器の町としても有名なところ、何故かしら陶器の町は全国的にうまい食べものが多いのだと思う。
 職人が多く働く街ならではの特徴、どの町にも名物の食べ物があり、食通を吸い寄せる働きがあり、何処からともなく人が集まってくるのだ。
 陶器の町は「鰻と焼肉」、そして「うどん」と何故かしら多いが、これは「精のつくものと素早く食べれるもの」、それがヒントかも知れない。
 SANY1117.JPG兎に角三つの食べ物が幅を利かせていることは確か、そしてその数は他と比べれば一段と多く、また店は流行っている。
 そんな中、うどん屋も多く、そして歴史の古い店がまた多いのも特徴、古くから店を続けているのだ。
 老舗と言う感じではなく、親しみやすくてどこかしら歴史を感じる店が、そんな店がやっぱり多い。

 その中に「うどんの信濃屋」があり、ここもまた古い店、まず外観は昔の長屋造り、一見民家と思しき店構えである。
 この信濃屋、もとは名古屋でうどん屋を商っていたが、戦争でこの地に疎開して来たらしく、ここは昭和23年に開業したらしいが、店の建物は明治の物らしい。
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 信濃屋は私も古くから通いつづけている処、先代の親父の代からの客、昨今のうどん屋とは全く別物の店だ。
 品数も少なく、量的にも多くはないので、初めての客は戸惑う事になるが、それに店の親父は客に媚びたりはしないのだ。
 そうかと言って上を見ている訳ではなく、真剣にうどんと格闘しているので、一見そのように見え、誤解を生むかも知れない。
 うどんを仕込むのに手抜きはしないので、3日かけて仕込むため営業日は水、木、金、土と4日間しかないので気を付けて行かないと休みに出くわす。
 店の中は昔からの造りで幅は狭くて、大勢の人が入れないから、外で待つ事もしばしば、それでも客は分かっているから帰らないSANY1101.JPG
 味は昔から変わらず、たまり醤油とカツオ出汁、色は黒いが辛くはなく、出汁が利いた旨さのあるうどん、初めての人は物足りないかも知れないものだ。

 そしてうどんは少し量が少なめだから常連さんは二人前頼むのが普通、私などは三人前頼んでいたが、最近ではやはり二人前である。
 ゆで時間が長くて一時間半ほど茹でているのがこの店の流儀、それでいて腰のあるうどんは絶品だと思うが、気長に待つ心がないと食べれない。
 写真の一番下は中華そば、うどんみたいに見えるがラーメンではなく中華そば、出汁はうどんと同じ物なので、ラーメンと思って食べるとどこかしら可笑しく思うかもしれないが、これが信濃屋の中華そば。
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2019年04月27日

再デビュー

    こいのぼり

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 もう直ぐ子供の日、子供の日と言えば鯉のぼり、昔は端午の節句、男の子のお祝い行事、あちらこちらで鯉のぼりを立て、子供の成長を願った。
 この日が来る前からあちらこちらで鯉のぼりがたてられ、天高く泳ぐ姿が見れら、すがすがしい気持ちになったもの。
 どことなく勇ましく、空に泳ぐ鯉のぼりに勇気をもらったような気がし、清々しさを覚えたのが懐かしい。
 カラカラと音を立て矢車が回り、大きな鯉のぼりが風に乗って泳ぐ姿は実に優美、昔からの風習でもあった。
 そんな端午の節句も、今は子供の人なり、鯉のぼりも少なくなってしまい、昔の面影もないくらいだ。
 第一、あのカラカラと音を立てるか矢車、最近では近SANY1841.JPG所迷惑で、単なる騒音としかとらえない人が多く、公害だと言う人も。

 そんな時代であるから、今では鯉のぼりを立てるところも少なく、矢車の音が出ないようにしているらしく昔と様変わり。
 これも現代人の感心の低さかも知れないと思うが、あのカラカラの音が騒音としか聞こえない、そんな世の中になったことだ。
 そして団地では鯉のぼりを立てるところもなく、一戸建ての家でも鯉のぼりは立てず、近所に遠慮しているとか。
 少し前に買った鯉のぼり、使わなくなり押入れの糧隅にしまわれ、日の目を見ることはなく眠り状態であった。
 最近この眠り実用隊であった鯉のぼり、イベントなどの会場に飾られるようになり、新たな活躍の場が与えられた。
 押入れにしまった鯉のぼりが再び空を泳ぐことに、彼らの新しい働き方を示してくれたような気がするが、今では各地でイベント用に大活躍をしている過去の鯉幟たち、活躍の場が与えられ嬉しそうに見える。








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2019年04月26日

青森と仙台

    風土の違いか

 SANY0956.JPG今こけしブームと言われているが、前にも何度がこけしブームはあったが、その時々によって人気の度合いが違っている。
 勿論どのこけしが如何と言う事はなく、全般的にこけしが愛されて来たもので、その素朴さが受けての人気であった。
 もともと温泉場の土産物として売り出されたもの、木地師の内職と言って良いものであったこけし、何時の間にか本職となった。
 このこけしも時代と共に人気が上がったり、下がったりであり、こけし一つで生計を立てるのも大変な事、今も同じ様である。
 人気が出たからと言って、直ぐに自分のこけしが売れるものでもなく、ブームとは難しいものだと言う事である。
 しかし人気が高まれば、それだけこけしが売れて行く事は確か、こけしブームはそれはそれで有り難いものだ。SANY0964.JPG
 今の人気は若い女性が中心と言う、しかも創作こけしの方が人気だと言うのだが、私には中々ついて行けないのだ。
 別に彼女らの人気について行かなくても良いのだが、気になる事だけは確か、どんなこけしが人気なのかと知りたいのだ。

 創作こけしとは従来のこけしと違ったもの、勿論そんな事は分かっているが、どんなものが人気なのかと、興味はあるのだ。
 そんなこけしブームでも、以前からのこけしにも人気が、それも少し個性的なこけしに集中していると言うのだが。
 一つは青森県温湯温泉の盛秀太郎の作品、この人は既に物故作家となってしまったが、人気は高くて今でも高値で売買されている。SANY8209.JPG
 ネットでも幾つか出ているが人気は高いもの、そしてもう一つが先代の鈴木昭二のこけし、この二つのこけし、兎に角個性的なもの。
 仙台のこけしと青森のこけし、勿論伝統的なこけしを受け継いでいるが、作家の個性が表に出ているこけしでもある。
 秀太郎のこけしは津軽の風土、昭二のこけしは仙台の風土にあったこけし、二つとも風土を表に表したこけしと言って良い。
 形は良く似たものであるが、描かれているものは全く別、地元の風土を表している図柄、顔も独特なものである。
 そこで生まれた生い立ちも顔や図柄に反映しており、こけしを見ているだけで、後ろにある風土が見えて来るような、そんなこけしでもある。
 創作こけしは、それはそれで良いと思うが、風土に合ったこけしも良いものであると、今の人にも理解して欲しいが。
 こけしは目が命と言われているが、二つのこけし独特の目が印象的であり、見るものに訴える迫力が違うと思う。
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2019年04月25日

節句の準備

    旗指物

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 端午の節句が近づいて来たので、今年も飾りを出す事にしたが、一方で古時計の展示の準備、二つの事を同時に行っている。
 端午の節句は何時も我が家に伝わるものを飾るのだが、親父のものと我々のものとがあるから、古い親父のものを飾る事に。
 鎧兜の飾りはそんなに大きくはないが、当時のものとしては大きい方だと言う、昔から交互に飾っていたと思う。
 親父のものは明治のものだから少し小さいが、出来は良いもので精巧に作られており、鎧びつは漆塗りのもの。
 SANY1835.JPG本物の縮小版、実によく作られたもので、職人の腕の良さが伝わって来る様、今のものと一味違うものだ。
 勿論今の豪華なものと違い、和紙に胡粉を塗り、漆で固められた精巧な鎧兜飾り、高さは50センチそこそこのもの。

 しかし迫力があり見た目にはもっと大きく見え、職人の腕の良さが光ったもの、付属品はなく鎧兜だけである。
 我々のものは大将飾りと言うもの、大将が座った格好で中央に、そして横には家来が座っているものだ。
 後ろには矢羽の柵が並んだものがあり、その後ろには旗差し物が並ぶ格好になるが、全体を飾ると150センチ幅の大きさになる。
 何故かしらこの飾りよりも、親父の鎧兜飾りの方が迫力があり、数では我々のものが圧倒しているのだがSANY1944.JPG
 それでも同時に飾ると古い鎧兜に負けているから不思議、昔の職人の腕が良かったものなのかと思う。
 そしてもう一つが幟、今のように外に飾るものではなく、室内で飾るものだが、今のものと違い全部手描きのもの。
 大きさは2メーター50センチ位の幟、今の幟の様な大きくて派手なものではなく、実際に手描きであると主張している。
 図柄は誰を描いたものか分からないが、迫力のある絵描き方のもの、小さいが今のものとは格別に違うものだ。















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2019年04月24日

蚤の市10

   気ばかり焦って

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 蚤の市、全国各地で開催されている蚤の市、我々古時計愛好家にとっては、この蚤の市は掘り出し物を探せる唯一の市、自分の目次第だ。
 誰しも自由に見て回ることが出来、遠慮しなくて時計が見れるのも、この蚤の市であり、我々にとっては宝の山がある所と言ってよい。
 有名な蚤の市から、田舎の小さな蚤の市まで、市の大きい小さいは別にして、楽しいところには違いなく、前の晩からそわそわとして落着かない。
 はじめの頃は蚤の市の見方も分からず、手前から順に一軒一軒見て回ったもので、全部回るのに時間が掛かって、最後の方まで見れない事も良くあったものだ。
 兎に角一軒一軒ジックリと見て回らなければ良いものは買えないと思っていたもの、だから順にしか見て回れなく、時間が掛かった。
 そんな話をある店で話したら、「あんた駆け出しの素人だね、玄人はそんなに時間なんか掛けないよ」と云われ、こちらSANY2955.JPGが不思議そうな顔をしていると、やっぱり素人だと言われた。
 店主の言うのには、「玄人はめぼしい所を見極めて、ザット見て回り、目当てのものを素早く見つける」これがコツ、「あんたみたいにジックリと見ていると、他人に良いものは持って行かれる」と言うのだ。

 プロは何処に誰がいて、どの商品が得意かを見極めているから、そこの行けばめぼしいものがある筈、だから店、店を研究しなければダメだという。
 確かにその通りだが、駆け出しの者にはそんな芸当は出来ないので、店の研究をしなければイケないと思い、店の特長を覚えることにした。
 とは言え、簡単にその店の特徴を覚えると言っても、そんな簡単に覚えられるはずも無く、そこはジックリと観察しなければと感じた。
 そもそも蚤の市は、何でもござれの集合体、先ずは何処に何の店があるのかを知らないと、そこの蚤の市の業者を知る事からはじめなければならないのだ。
 SANY3176.JPG特に大きな蚤の市では、おめあての物を人よりも早く見つけないと、人に持って行かれてしまうから、やっぱり競争であるのだと気が付く。
 しかしこれが1番難しくて、何処に何があるのか把握するのが大変、その上そこの店の親父とも仲良くならないとよい物は手に入らないので、それも難題である。
 兎に角何回か通うことが1番、そして信頼関係をきづく事も大切、焦って歩き回っても何も手に入らないのが多いことも理解して、店の研究に着手。
 改めて、蚤の市をゆっくりと見て回ると、店主の言っていた事が何となく分かって来た様だが、そんなに簡単に把握できるはずも無いのだ。
 蚤の市とは奥が深くて、行けば行くだけ分からなくなるもので、人其々の蚤の市の見方がある筈、自分なりの蚤の市対策を研究する事に。
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2019年04月23日

久太郎のこけし

    一目で分かるもの
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 日本には数多くのこけしの産地が存在し、多くのこけし職人が作品を作り出しているが、それぞれに特徴があり、こけしの愛好家は集める幅がある。
 人其々であるから、どの作品が良いかは好みでしかないが、特徴のある作品は好き、嫌いがハッキリと分かれるもの、こけしはやっぱり好み次第。
 そんな中、秋田の「小椋久太郎」の作品は一味違う、若くして父親のあとを継ぎ、こけし職人として生涯現役を貫き通した人だ。
 そして、二人挽きと言う製造方法を受け継いだ人、この製造方法に拘り、こけし職人の伝統を継承、秋田木地山の伝統を今に伝えた人。
 小椋久太郎の作り出したこけしは、可愛らしくて素朴、しかし、一目見て小椋SANY5274.JPG久太郎作と分かるこけしでもある代物、こけし愛好家からは絶大な支持を受けた人でもある。

 父、こけし界の人間国宝級とも言うべき小椋久四郎の子供として、幼い時から久四郎について修業、16才ですでに久四郎の作品かと思えるものを製造した。
 若くして才能を発揮して、久四郎亡き後、秋田木地山のこけしを継承、其れ以来数多くの作品を作り続け、その作品は飛ぶように愛好家の下に。
 写真のこけし、小椋久太郎が若い時の作品であり、目鼻立ちも少し硬い表情のもの、しかし胴回りに描かれた菊の模様は実に伸びやかである。
 絵付け筆が踊るように跳ね、菊が生き生きとしている事、若い時の作品は躍動感に溢れた物で、若さが滲み出ているもの。
 1番小さなこけしは、おぼこの顔がなんとも可愛らしくて、久太郎ならではの表現がされた一品であると思われ、愛好家の憧れでもあった。
 小椋久太郎は生涯、数多くの作品を造り続け、市場に出しているはずであるが、一部の愛好家が数多くの作品を収集しているために、市場に出ることは少ない。
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2019年04月22日

ミルの交代

    毎日使うもの

 SANY1315.JPG以前にも話したが我が家のコーヒーミル、買い込んでからすでに20数年が経っているが今だに健在、毎日使用していた。
 私は若い頃よりコーヒーをよく飲み、毎日7、8杯は当たり前であったが、最近では2、3杯になってしまった。
 コーヒーを毎日飲まないと落ち着かないが、決して中毒的なものでは無く、習慣であるから飲まないとおかしい。
 おかしいと言うよりも物足りないと言った方が良いのか、コーヒーを飲んでから一日がはじまると言う感じ。
 以前は喫茶店に行き、先ずはスタートを切ったものだが、今は我が家で自分で入れて飲んでいるのが日課。
 朝食を済ましてから日課のコーヒー豆を挽く事からはじめ、これをやらないと朝が進まないと思うが、習慣みたいなものなのか。
 DSCN1466.JPG朝の運動と言っても良いが、コーヒー豆を挽く事が何で運動かと言う人も居るが、私は列記とした運動と思っている。
 何故ならばたかがコヒー豆を挽く位と思われるかも知れないが、意外とこれは力が要るもので、やって見ると分かる。

 特に我が家のコーヒー豆は細かく挽くのが趣味、趣味と言うよりも好みで、一番細かいので挽いているから、中々挽く事に時間が掛かる。
 何時も2人前を挽くのだが、我が家は濃い目であるから、豆も多く入れて挽くことになり、必然的に重くなる。
 量が多くて、細かく挽くために時間が掛かるもので、挽いて見なければ分からないと思うが、これがなかなか大変である。
 電動でやれば一瞬で済んでしまうと言うDSCN1467.JPG人も居るが、私はこれで挽かないと気か済まないと言うよりも、儀式と言って良い。
 朝の儀式とでも言うのか、これで完全に目覚めると言うのか、体だが目覚めると言うような感じ、拘りでもある。
 手回しのコーヒーミルで豆を挽くのだが、このコーヒーミル、すでに20年以上使用していたが、爪が摩耗しており、挽くのに尚更時間が掛かっていて、コーヒーミルを探したが、中々良いものが無くあちらこちらを探し、新しく色も形も全く同じものを探して買い求め、前にも書いたが今までのものはお蔵入りとなり、今は新しいものが活躍している。


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2019年04月21日

ネットの落とし穴3

    便利だけど

DSCN1598.JPG 古時計愛好家から良くこんな質問が寄せられるが、それはネットで今出ている時計に付いて教えて欲しいと私のもとによくこんな質問が、「今出ている時計の写真ですが、それを見て教えて下さい」と言うものだ。
 ネットに出品されている時計を落札したいが、本当にこれで良いのかと不安で、是非教えて欲しいとの事。
 会員の方からもこの様に同じような問い合わせがあり、その都度お答えはしているのだが、ネットの写真は良くないものも多い。
 古時計は特にオリジナルのものかどうかと言う事に拘る人も多く、写真に写っているものはこれで良いのかとDSCN1600.JPG
 つまり写真に写っている部品はオリジナルのものなのか、自分では分からないから、それが知りたいと言う事である。
 会員さんにしろ、友人にしろ、欲しい時計であれば是非とも落札したいと思う、それは私も同じようだ。
 良いものがネットに出ていれば、ツイツイそれを見て欲しいと思うのは人情、私も幾度となくあるからだ。
 しかしそのような時には冷静の写真を見ないと失敗するもの、私も過去に何度か失敗をしているからだ。
 欲しいと言う欲求と安いと言う誘いに、ツイツイと手が出、人に取られまいとして焦り、写真をよく見ていない。
 そんな時程良くないものを落札してしまい、届けられた現物を見てガッカリする事に、そしてネットの写真を冷静に見ると、欠点がハッキリと写っているが、しかし当時はネットに夢中で、其処まで気が回らないのと、欲しいと言う欲求が強すぎて走ってしまう。

 そんな人間の心理を良く知っている出品者は、そこを上手く突き、写真をぼかしたり、怪しい部品の所は写さないし、見る方が勝手に想像するような写真の撮り方をしており、それにまんまと嵌まってしまうのだ。
 現物を見れば直ぐに分かるものでも、ネットであればそれは分からないから、想像するしかないのDSCN1599.JPGだが、欲しいと言う心理が邪魔をして、冷静に判断が出来ないから、怪しいと思っても欲しいと言うのが先に立つ。
 そこを上手く利用され、とんでもないものを落札することになるのだが、それも自分の失態である。
 確かにネットは便利なものであるが、逆に言えば相手を信用するしかないので、一つ間違えば失敗する事になる。
 これも自己責任と言う事なのか、相手を信用しないと何もできないのもネット販売の裏、如何信用するものなのか。
 写真は機械を取り出したもの、一見正常に見えるがよく見るとおかしく、それは機械が壊れており、バネも切れていて使い物にならないもの。


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2019年04月20日

穀雨

    そろそろ夏に

 SANY9723.JPG暦の上では20日穀雨、二十四節気のうち、清明から数えて15日、立夏から前15日に当たる日を穀雨、この時期が農耕の目印となる日。
 昔からこの時期が春から夏に移り変わる頃、このころの雨は木の芽吹く力を引き出す、田植えの準備に入るころと田畑には重要な時期。
 菜種梅雨とも春雨とも言われる雨が、作物の芽吹きを促し、辺りが青々としてくる頃のこと、清明になると雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りなくなると言われる。
 この時期になると日本の南ではトンボが飛び交うようになり、北では雪も降らなくなると言われ、ようやく長い寒さから開放される頃。
 子供の頃、ちょうど今時には、母親がサンキライの葉っぱで包んだ御餅を作ってくれ、良く食べたものだが、そのサンキライの葉っぱが出る頃だ。
 このサンキライ、猿とり茨とも言う、猿がこのサンキライの弦に付いたとげに捕まるとも言われる茨、弦で伸びる性質で春には葉をSANY4979.JPG茂らせ、秋には赤い実が多く付く。

 この実は食べれないことはないが美味しく無いもの、しかし動物にとっては食料となるもの、我々子供の頃はこのサルトリイバラの弦でよく怪我をしたものだ。
 あちらこちらの野原に生えており、注意せずに走り回ると、この茨に痛め付けられるのだが、素足には危険な茨、刺さると非常に痛く、怪我も良くした。
 そんなサンキライ(山帰来) 、この時期は美味しい御餅の材料となるのだが、葉っぱを食べるわけではなく、柏餅と同様に御餅を包む材料。
 新芽の葉は良い匂いをしていて、防腐剤の効力もあるもの、この葉で包んだ御餅はおいしくて、母親が作ってくれたものを腹いっぱい食べたものだ。
 このサンキライの葉っぱを見ると、あの時作ってくれた母親の御餅が食べたくなり、懐かしさと共に昔の思い出で深い葉っぱだ。SANY4972.JPG
 この時期が過ぎると、今度は柏餅の季節、サンキライの葉っぱと違って、柏の葉っぱもまた良い匂いのするもの、柏餅が食べたくなって来た様だ。
 其れともう1つは豆ご飯、出来たての豆を入れて焚くご飯をおにぎりにして、野原で食べるのは格別なもの、これもこの時期の味でもある。
 何だか食べる物ばかりの話になってしまったが、ヤッパリ自然からの贈り物を頂けるのも、自然が豊かでなければならないと思うが、果たしてこの先どうなるのだろう。
 この木の芽時は人間は自然から活力を貰う、逞しき生きる自然、その自然を大事にしなければ。
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2019年04月19日

やはり高級品

    流行の万年筆

  何故かしら万年筆の人気が高い様で、愛好家からは絶大な支持を受けているらしい、私も万DSCN1676.JPG年筆は懐かしいもの。
 勿論少しは使っていたが苦手であったようで、特にペン先が割れてしまい、力を入れすぎだと言われた。
 そのせいかいつもペンを交換、お金がかかってしまい万年筆を使うのを止めてしまったが、自分のせいでもある。
 軽く書けばそんな事にはならないと言われたが、やっぱり慣れないものを持つとついつい力が入って壊してしまうのだ。
 要するに向かないようで、ボールペンの方が使いやすく、壊れにくいのでそちら主流になってしまい、万年筆はお蔵入り、万年筆とボールペン、当然書き方に違いがあり、ペンならではの書き心地があると言うが、私みたいな者には分からない。
 分からないと言うよりも、使えないから分からないと、そんな事を思うが万年筆を使い慣れている人には書き易く、よく小説家が万年筆についてうんちくを述べていた事を思い出すが、確かに小説家と万年筆は仲良しのようだ。
 万年筆と言えば小説家を思い浮かべたものだが、確かに良く似あうものであると思う、如何にもありなんと、そんな万年筆だが、最近では高級志向と言う、勿論エボナイトで製造されてもの、昔も高級品はエボナイト。

 高級品と言うよりも、エボナイトで造られていたと言うのが正しい、その後セルロイドと二分することに、普及品のセルロイドに対して高級品はエボナイト、住み分けがハッキリしていた様で、買う人も違っていたと言う事。DSCN1669.JPG
 学生さんたちはセルロイドの万年筆、会社員はエボナイトの万年筆、そんな住み分けもあったようだ。
 そんな中、それよりも高級志向が並木が造り出した蒔絵の万年筆、蒔絵職人の手によるものだ。
 エボナイトで本体が製造されたものに漆をかけ、その上から蒔絵を施した高級品で、当時話題を投じた万年筆だ。
 写真の万年筆、黒漆の下から金蒔絵が施された模様が見え、落ち着いたものであるが、非常に豪華な万年筆である。
 派手な模様ではなく、落ち着いたものに仕上げる事により、本来の万年筆としての主体を持たせたもの。
 控えめに施したものだが、実は手の込んだものであり、時間をかけて作られたものであると言われ、その反対に見た目に豪華にしたものがあり、見るからに派手な図柄で、金蒔絵が鮮やかな万年筆である。
 どちらも好みの違いであるが、派手で豪華な万年筆か、それとも落ち着きのある万年筆か、やはりそれは好き好き、当時の並木が使う人に合わせて製造したと思えるもの、如何にも本物志向を目指した並木ならではの万年筆である。

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2019年04月18日

日本の匠

      西洋化の波
 SANY3676.JPG明治初期、日本は大きく変わろうとしていた時期、西洋から怒涛の如く押し寄せてくる異文化、江戸時代まで鎖国政策で西洋文明の接点が少なかった日本の人々。
 一気に押し寄せる波に乗り遅れまいと、必死にもがいていた時、伝統に培われてきた技術、古い時代のものと言うレッテルを貼られた今までの物。
 そんなもの達に如何にして時代を乗り越えるか職人の感性が問われる時、伝統技術を後世に伝えるべく、職人たちが動く、今までの物をいかして、新しいものを作り出す事に。
 この時期、西洋から入ってきた懐中時計、爆発的に一般庶民に広ろがるが、やはり裕福な人々たち、そんな彼らに向けて、職人は新しいものを提供する。
 それは、懐中時計を置く台、今までに無かった新しいものだが、其処には長年培われてきた今までSANY3681.JPGの技術が一杯生かされており、和洋折衷の新たなものが出来上がる。

 写真の懐中時計の台が其れであるが、細かな部分を見てゆくと、今までに無かったものが工夫され、懐中時計の台となっている事に気づく、箱型になっているが、随所に新技術が取り入れられている。
 まずは、懐中時計をスッポリと納める部分、懐中時計の底をスッポリとくり貫いて、傾斜を付けた板に置くように工夫、之は今までに無かったものであり、時代の要求に応じたものだ。
 この板のものは、使用しないときはスライドされて本体に収納でき、必用になる時は引き出して使用するが、ここでも一捻りしたアイディアが生かされている。
 引き出した板を上に回転させて、斜めに固定すSANY9075.JPGる技法を用いて、其処に懐中時計をはめ込むと云う技法、簡単なようだが職人の工夫の賜物であると思う。
 新しい懐中時計を如何にしてディスプレイするか、当時の職人の創意工夫が偲ばれる一品、又遊び心として箱上部には象嵌が少し施されているのも、当時の職人の粋さが伺える。
 単なる時計の台ではなく、遊び心も取り入れて造られた箱、和洋折衷の明治ならではの出来栄えに、改めて関心させられる時計の台である。
 この時計の台、もう一つの目的が懐中時計を置時計として使用できるように造られたもの、単なる台としてではなく、懐中時計を利用でき、そして尚且つ遊び心を持たせた、そんな明治の職人の隠れた部部なのかも知れない。
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2019年04月17日

瀬戸の染付け祥瑞

      幕末以後の染付け

SANY0443.JPG 明治に入り瀬戸の染付けは様変わりをすることに、その原因は海外からもたらされる釉薬に原因が、今までの釉薬と違った物が輸入される為である。
 特に瀬戸独特の釉薬、コバルト色の青い顔料、深みのある色で瀬戸独特藍色を発色、江戸時代から受け継がれた来た「ベロ青」、瀬戸の染付けの釉薬である。
 このコバルトの成分が違った物が入るようになり、染付けの色も青色が少し薄く発色をする顔料に変わり、其れにより瀬戸の染付けの色も変化をもたらす結果となる。
 その違った顔料を使う事になり、職人たちもまた新たな柄や絵を描くことになるが、その濃淡を上手く利用して、今までになかった彩色が出来るようになる。
 写真の鉢は明治初期に製造された染付けの鉢、江戸時代の染付けの色と明らかに違い、藍色の薄い釉薬が何とも言えない発色をしており、今までにない瀬戸の染付けになっている。

 従来の釉薬では出せなかった濃淡、ぼかし部分の薄い色等に明治の息SANY0445.JPG吹が出ている代物、職人たちもこの新しい釉薬を以下にして使いこなすかは、当然のこと試行錯誤であったに違いない。
 江戸時代の従来の釉薬では、この細かい「祥瑞柄」の図柄は色が濃くて、深みのある物には仕上がるが、この明治の鉢みたいな明るくて澄んだ祥瑞の柄には仕上がらない。
 この鉢の直径は30センチ、昔風に言えば尺の大鉢であり、このように大きな物にビッシリと細かな祥瑞柄が描かれている為に迫力があり、見事としか言えない。
 鉢の中の見込みには、山水の図柄が描かれ当時の職人の心意気がヒシヒシと伝わってきて、新しい物を得た職人の喜びと力量が鮮やかな物に仕上げている。

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2019年04月16日

2つの時計皿

      時代は違えども

 SANY4007.JPG時代時代によって流行するものが違うのは、今も昔も同じ事、その時代にあった流行があるが、同じものを素材として作られたものでも、ヤッパリ時代が出るものになる。
 現代みたいに時計に対する思いと、その当時の時計に対する思いは全く違い、江戸時代には庶民は時計なるものを見たことは殆ど無いといって良い。
 その当時の時計は特権階級か金持ちしかもってない時代、時計そのものを知らないのだが、幕末近くなって西洋との関係が活発化、其れに伴い時計も一気に広まりを見せる事になる。
 そんな流行を敏感に感じ取った庶民、日常に使う皿にも流行を取り入れ、其れを図案化して常に使う皿に取り入れたのであるが、実際に時計を見て描いたかは聊か疑問。

 写真の幕末期の伊万里の皿、中央に和時計の針が描かれているが、実際の和時計に付いている針とは少し違う、しかし雰囲気は出ているから、写真でない絵である事を思うと実に良い、時代の先端を行っている流行ものの皿であり、当時のSANY4010.JPGSANY4009.JPG人にとっては斬新な図柄であったに違いなく、新鮮な気持ちで迎え入れられたと思う。
 もう1つの皿の図案、明治期に製造された庶民の使う皿、この皿は大量生産されたもの、幕末期の皿とは生産量が全く違うものだ。
 少し小さな皿だが、大量に製造された物の証は、印判手と呼ばれる印刷の皿、1個づつ描かれたものではなく、大量に製造するために、版を起こして印刷し其れを貼り付けて製造する皿。
 しかし、この皿には和時計ではなく、当時外国から入ってきた西洋時計の針が描かれており、同じ時計の針でも少し時代が違うと、図柄も違うものとなる。
 
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2019年04月15日

具体的に

    和時計が何時頃
 
 SANY3926.JPG和時計には分からない事が多すぎ、色々な物が製造されたが、何処で製造されたものなのか知りたいと思う。
 和時計を探し求めてから40数年が過ぎ、買い込んだものは35台以上、手元には6、7台の和時計があるが、全部がとこで製造され、何時の時代のものなのか知りたいと思っている。
 自分なりに調べているが全部は解明されていないので、是非ハッキリとしたことが知りたいと思う。
 勿論今までにも色々な人から、色々な事を教えて貰ったが、今一ハッキリとした事が分かっていない。
 その内2台は大体の事は解明できたが、残りのものは殆どと言って良い位に分からないし、決めてもないのだ。
 和時計とはこの様なものであるとは思うが、それでも解明したいと資料を見ているが分からない事ばかり多い。

 和時計は一つ一つ違っているので、ボンボン時計のようには解明できず、これと言った証拠もない何故かと言えば、和時計は殆どのものが製作者の名前がないので、何時だれが製造したのか不明なのだ。SANY5909.JPG
 和時計は二つに分けられ、一つは大名などのお抱え時計師、もう一つが町の時計師、お抱え時計師は名前を刻まなかったと言われている。
 何処の大名の時計師が造ったものなのかは、分からないようにしてあるとも言われている。
 これは自分の名前を出さない事、抱えられた主人に遠慮したのだと言われているが、事実は不明で、大名はお抱え時計師に和時計を造らせ、献上品として使われた為であるとも言われている。
 だから名前は刻まなかったと、名前が入っていたらその人が居た時代が測定できるが、それもおおよそである。
 稀に名前が刻まれたものもあり、製作日も刻まれているものも、それらは時代測定ができるのだが、その他で時代測定が出来るものは、時を告げる鐘であり、この鐘は時代によって形が変わって行くので、大まかな時代が分かることになる。

 もう一つが文字盤の造り方、これも時代によって流行りがあり、おおよその時代が分かるが、これも大まかな時代、和時計とは400年に渡って製造されたものであり、多SANY8044.JPGくの時計師達が和時計を製造した。
 その製造年代を知る事は、和時計の歴史を知る上でも重要な事だと言えるが、中々詳しい解明は出来ていない。
 元々和時計師は細かな資料を残していない、残したとしても弟子に受け継がれており、表には出ていない。
 その為に資料らしきものは中々ないのも現実、あの津田助左衛門の家系であっても、表には資料は出ていない。
 やはり和時計はこれから調べて行かないと、その歴史も詳しくは解明されないまま、闇に消えてしまうかも知れない。
 友人もセッセと和時計を集めており、資料も手当たり次第に集めているが、時代を通して集めている訳ではなく、出て来たものを買い集めているだけの事。
 しかし其れさえも出来なくなる恐れもあり、これから益々厳しくなって行くと思う、今のうちに何とかしなくてはと思っているだけ。

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2019年04月14日

招き猫の顔

    やっぱり個性が

DSCN1118.JPG
 瀬戸の招き猫、今までに多く製造されているが磁器製が多く、市場で人気が高いものであるが、素焼きの招き猫も多く製造はされている。
 磁器製の招き猫の方が人気で、素焼きのものよりも買い求める人が多い、それは磁器製の方が美しいからだと思うがが、勿論素焼きの招き猫も郷土玩具的要素があり、人気は二分されていると思われ、何方が好きかと言う事だと思う招き猫はどれも同じだと思っている人、それは大きな間違えであり、磁器製の招き猫程個性があわられているものはないと思う。
 確かに一見した限りでは同じように見えて来るが、注意良く見て見ると、まった違ったものであると気が付く事になる。
 当然の事ながら製造する窯元は一つではなく複数、その為に招き猫の顔が違っても当たり前の事、逆に全部同じだと言う事はなく、一つ、一つの窯元が自分の好みの顔を製造しているから、当然顔が違う事になるが、磁器で製造されている物は皆同じだと思ってしまうから産地でも分かれているので、多種多様な招き猫の顔が存在している事になり、愛好家はそれを目的としている事も事実であると思う。

 つまり、顔の変わった招き猫を集める為に奔走していると思うが、違っDSCN1121.JPGているから尚更集めたくなる心理、分かるような気もするが、人と違ったものを集めたいと思うのは誰しも同じ、どの世界でも共通の課題であり、それがあるから楽しいのだと思うが招き猫は時代と共に進化をしており、勿論窯元にも違いがあるから、その二つが両輪となり数多くの変わった顔が出現するのだと思う。
 形や大きさにも違いが顕著に出ているもので、大型の物と小型のものとでは全く顔が違うので、大小を合わせて見ると歴然とした違いが。
 写真の招き猫、大きなものと小さな物と比較して見たもの、はじめのものは大きな招き猫の顔、下の写真は比較的小さな招き猫のもの、時代的に違いがあり、小さな物も時代が同じ物ではないから、自分の目で確かめて見て、どれが古い物で、どれが新しい物なのか。
 三つ並べてみたからどれが古い物なのかを見極めるのもあなた次第、数のあるだけ顔が違う事の証であると。
 それを立証して見るのも愛好家の務め、只集めるだけではなく、顔にも注目して見ると、又変わった楽しみ方もあると思う。




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2019年04月13日

染付け祥瑞

    幾何学模様

 染付け柄祥瑞には色々な模様が描かれているが、その模様は様々で職人による創意工夫SANY0688.JPGがなされ、数限りない模様を生み出しているといわれている。
 中国で生まれた祥瑞、日本に渡来してからその姿を変え、日本独特の図柄が誕生し、発展を遂げるが時代、時代に流行りも存在していたようである。
 極細微な模様が好まれた時代、大柄な幾何学模様が流行った時代、時代によりその時の好みも変化しい行くのもまた日本の歴史かもしれない。
 時代に要求される模様を基本は其のままに、変化させてゆくのも職人の腕、そこには美的感覚が要求され、職人も技術だけではなく発想のセンスもまた必要であった。
 各地の染付けは祥瑞柄にも当然の事、その土地の歴史があり土地土地によって微妙に図柄も違い、これも又意図的に行われていた事、つまり他地域よりも進んだ技術とセンスを誇示したからである。

 有田や九谷、清水や瀬戸これらの地域は染付けを生産する産地、いわば競争SANY0685.JPG相手であり、競い合って地元商品の優秀さをアピールすると共に、市場を獲得する為に競い合った。
 祥瑞は幾何学模様と丸紋の連続模様、その幾何学模様は千差万別、図柄は幾とおりにもなり無限に近い、1つの柄を連続させ模様を構成するもの、それが花であったり、波であったり、七宝であったりと限りなく多いもの。
 写真の祥瑞も小さな花や波を連続させて幾何学模様を作り出しているが、その職人のセンスの良し悪しで図柄も生きてくるもの、躍動感のあるものや落着いた柄物の組み合わせの冥でもある。
 瀬戸の祥瑞柄の冥、細かい柄を瀬戸のゴスで描かれた鉢、藍色の濃淡(ぼかし)の技法も取り入れて、鉢全体に施された幾何学の美が出来上がっている。
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2019年04月12日

お騒がせ男

    あの男が

 毎回登場しているお騒がせ男、3ヶ月ほど見えないと思っていたらひょっこりと登場、買い付けに行っていた由、静かだと思った。
SANY3754.JPGSANY3759.JPG 海外から帰ってくると真っ先に現れるから、この男余程我家に来る事が好きなようで、何時ものように慌ただしく登場だ。
 この男が現れると喜ぶのは我家の家族、土産物を持って登場するからだが、私のとってはやっかいな男、ガラクタばかり持って現れ、買って来てやったと威張り散らすから。
 「お前の為に買って来てやった」と決まり文句をはき、押し付けがましい態度、しかし彼に悪気がない事は百も承知し、若い頃よりの悪友達、隅々まで知り尽くした男でもあるからこそ、お互いに遠慮が無いのだが、其れを知らない人が見ると仲が悪いと思うかもしれない。
 そんな男が今日は妙に静か、こうなるとこちらが逆に心配となり、何かあったのか心配も、之もこの男の演技であったとは、全く訳の分からない男だ。

 今日は箱らしき物の中に入っているらしく、恭しく箱を取り出しゆっくりと蓋をSANY3763.JPGあけ、中から取り出したものはフランス枕、其れも大型の重そうなものだった。
 奴曰く「お前が前にフランス枕は重いやつほど高いと言っていたので、重いのを買い込んだ」と言うのだ、確かに取り出したものは重い時計だった。
 フランス枕は重ければ機械は良いものが入っていると教えた事はあるが、全部が全部そうとは限らず、ヤッパリ機械が分からないと難しいのだ、しかし、この男にそんな事を頼んでも分かるはずも無く、何時も失敗しているだけで、良いものを持って現れたためしがないが、今日は少し違うようだ。
 見るからに良いフランス枕と分かる代物、程度もそこそこ良さそうで、今回はヒットさくかもしれないと思い、手にとって見るとクォータ打ちが付いた時計だ。
 時打ちが付いているフランス枕は高級機の部類、機械も複雑になっている為に当然重くなるもので、良いものに多いフランス枕だ、たまにはこんな事もあるので、この男が現れても期待はしていないが、偶には驚く事もあるものだからむげに追い返すのも出来ない。
 
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2019年04月11日

山菜

    やっぱり旬
 この季節になると蕎麦とともに山菜、麺好きな私としてはこの時期にIMG_0368.JPGなると無性に蕎麦が食べたくなる。
 食通は一つのものしか食べないと言われ、蕎麦はそばだけ食べる事、ほか物と食べ合わせはしないらしい。
 蕎麦屋で天麩羅と抱き合わせで食べる事はしないと、そんな食べ方は邪道だと言う事らしく、そんな食べ方はしない。
 私は食い意地が張っているために、旨いもんはどれだけ一緒に食べても旨いと思うし、蕎麦と一緒に食べたいとも思う。
 食通の人からすればやっぱり邪道かも、食通と言うより蕎麦通、そんな事はともかく、この時期になるとやっぱり食べたいものが。
 友人がそばを食べに行くと誘いに、そんな訳で蕎麦を食べに行くことにしたが、何処へ行くかだ。

 蕎麦だけであれば決まった処があるが、もう一つの楽しみが一緒となると限られ、毎年行く蕎麦屋がある。
 そこの蕎麦は折り紙付きの蕎麦、何度となく通ったところ、友人の紹介の蕎麦屋、半信半疑でそこまで食べに行く。
 IMG_0367.JPGその店とは岐阜県関市にある蕎麦屋、古い街道筋の真ん中近くにある店、まだそんなに古くない店だ。
 その店とは「そば切り助六」、目当てのものとは、この時期の山菜の天麩羅、ここの天麩羅は山菜の良い物だけを出す。
 近くで手に入れた山菜を出すことでも有名な店、名古屋からわざわざ食べにくる常連が多く、駐車場も満員。
 昼時には混むから気を付けてゆかないと食べれない時も、なくなり次第店じまいしてしまうらしい。
 以前にも食べに行ったが食いはぐれて、ぶつぶつ言いながら他の店に行く、しかしここの山菜の天麩羅にはかなわないので、タラの芽、こしあぶら、タケノコ、雪ノ下、などの山菜のオンパレード、ほとんどの客はこれを目当てにやった来るのだ。








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