2019年04月15日

具体的に

    和時計が何時頃
 
 SANY3926.JPG和時計には分からない事が多すぎ、色々な物が製造されたが、何処で製造されたものなのか知りたいと思う。
 和時計を探し求めてから40数年が過ぎ、買い込んだものは35台以上、手元には6、7台の和時計があるが、全部がとこで製造され、何時の時代のものなのか知りたいと思っている。
 自分なりに調べているが全部は解明されていないので、是非ハッキリとしたことが知りたいと思う。
 勿論今までにも色々な人から、色々な事を教えて貰ったが、今一ハッキリとした事が分かっていない。
 その内2台は大体の事は解明できたが、残りのものは殆どと言って良い位に分からないし、決めてもないのだ。
 和時計とはこの様なものであるとは思うが、それでも解明したいと資料を見ているが分からない事ばかり多い。

 和時計は一つ一つ違っているので、ボンボン時計のようには解明できず、これと言った証拠もない何故かと言えば、和時計は殆どのものが製作者の名前がないので、何時だれが製造したのか不明なのだ。SANY5909.JPG
 和時計は二つに分けられ、一つは大名などのお抱え時計師、もう一つが町の時計師、お抱え時計師は名前を刻まなかったと言われている。
 何処の大名の時計師が造ったものなのかは、分からないようにしてあるとも言われている。
 これは自分の名前を出さない事、抱えられた主人に遠慮したのだと言われているが、事実は不明で、大名はお抱え時計師に和時計を造らせ、献上品として使われた為であるとも言われている。
 だから名前は刻まなかったと、名前が入っていたらその人が居た時代が測定できるが、それもおおよそである。
 稀に名前が刻まれたものもあり、製作日も刻まれているものも、それらは時代測定ができるのだが、その他で時代測定が出来るものは、時を告げる鐘であり、この鐘は時代によって形が変わって行くので、大まかな時代が分かることになる。

 もう一つが文字盤の造り方、これも時代によって流行りがあり、おおよその時代が分かるが、これも大まかな時代、和時計とは400年に渡って製造されたものであり、多SANY8044.JPGくの時計師達が和時計を製造した。
 その製造年代を知る事は、和時計の歴史を知る上でも重要な事だと言えるが、中々詳しい解明は出来ていない。
 元々和時計師は細かな資料を残していない、残したとしても弟子に受け継がれており、表には出ていない。
 その為に資料らしきものは中々ないのも現実、あの津田助左衛門の家系であっても、表には資料は出ていない。
 やはり和時計はこれから調べて行かないと、その歴史も詳しくは解明されないまま、闇に消えてしまうかも知れない。
 友人もセッセと和時計を集めており、資料も手当たり次第に集めているが、時代を通して集めている訳ではなく、出て来たものを買い集めているだけの事。
 しかし其れさえも出来なくなる恐れもあり、これから益々厳しくなって行くと思う、今のうちに何とかしなくてはと思っているだけ。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記