2019年04月29日

明治の時計商

    最先端の職業

 前にも紹介した明治初期の時計商、我々が思っている以上に豪商であったよう、その実態を知ればさぞかし驚SANY4788.JPGくであろう、新しい職業として明治初期に開業した時計商、勿論改暦のおかげである事は言うもでもない事である。
新政府の改暦により西洋時計が必要となり、一般庶民は西洋への憧れもあって、新しい時計に我も我もと買い求めた。
 まさに新しい時代の新しい商売、現在のIT産業の様なもので時代の流行、その商売はどの様なものであったのか、今も昔も時代の先取りをした商売は流行っていたと、そんな姿が見える資料、色々な資料の中、面白いものを見つけた。
 以前にも紹介したが、明治時代の時計塔、全国で数多くの時計塔が建設され、当時の流行であったと言われ、西洋の時計と日本の家屋、そして最先端の時計商ねこれが合体して、新しい建築があちこちに建てられていった。

 その写真を見ると、当時如何に目を引く建物であった事が分かり、流行の建築であった事が伺えるもの,そこには新事業を行うにあたり、先見性を求められたと思うが、新たな商売である以上は一つの冒険でもあるはず。
 成功するか、失敗するかはその人以上に市場の動向が決めて、其れを先読みする能力も又必要となる。
 新事業立ち上げには、それ相当の資金が必要であり、其れを確保できる財力も必要であった事は言うまでもないSANY4776.JPG
 ここにその資料があるが、これを見る限りでは如何に当時の新事業が儲かったものなのか、実感できるのもである。
 当時の時計商の番付けなるものがあり、上位を占める店舗の写真と見比べて見ると、如何にこれらに名を連ねている者たちの商売が儲かった事を示している。
 当時の流行時計塔を備えた建物、誰が見ても遠くからその存在が分かる建物、それが彼らの店舗である。
 独特の建物を建築できる財力と、それを支える利益が如何に膨大であったかが伺え、時計商が儲けていた証でもある。
 まさに今も昔も、流行の商売は儲かるものであると、この写真が立証した形であり、明治は時計が流行であった証でもある。



posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記