2019年05月11日

もっこうばら

    今がさかん
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 この時期、四季のうちで1番活気がある時、あちらこちらの木々は新芽を噴出して、青葉若葉の季節だ、桜があっという間に散ったと思ったら、もう若葉で一杯。
 うちの庭にも若葉が芽を吹き出していますが、これから盛なのがバラで、普通のバラはまだつぼみの状況、その中にあってひときわ元気なのがモッコウバラである。
 以前よりフェンスに這わせてあるが、毎年この時期が1番良い時、小さな花を一杯咲かせ、黄色と白のコントラストが見所、今1番元気な時とばかりに咲き誇る。
 このモッコウバラ、ヨーロッパ原産だと思っていたら、なんと中国が原産地らしいと知ったのは最近、たしかにヨーロッパにしては少し地味かなとも思っていた。
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 ヨーロッパのバラと比べると花が小さい、しかしつるバラらしく幹をいっぱいに伸ばし、咲く様は見事だと思うが、このバラとげが無いのが又扱いやすい。
 バラは良いが、とげがあって扱いにくく、病気には弱く、消毒の繰り返し、やっぱり手間がかかるもの、その点このバラは手間いらずで花が一杯咲いて楽しめる。
 このバラ、実は高貴なバラであり、「秋篠宮眞子内親王」のお印となっている花、皇族の印となった花であったとは驚き、殆どが黄色の花が咲く、八重咲きのバラ。
 一重の花もあるらしいが、我家のバラは白も黄色も八重咲き、しかしこのバラは直ぐに盛りを過ぎてしまい、四季咲きのバラとは違い、長く楽しめない花である。

 
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2019年05月10日

オリジナル

      良い物を求めて

 SANY5413.JPG古時計を愛する人達はオリジナルにこだわる人が多いが、どれが本当のオリジナルなのか疑心暗鬼になっているもの、やっぱり愛好家は良いものを求める。
 古時計とは時代が経っているのが普通、それなりの時代の荒波に揉まれて、時代なりの姿をしているのは当然、無傷の状態であるものが不思議。
 それなりのキズやへたり、すれたり、汚れたりする事は時代のなせる業、其れを拒んでいたら古時計と向き合えないもの、それなりの覚悟も必要だと思う。
 誰しも良いものが欲しいのは人の常、当然のこと私もその1人、オリジナルを求めて40数年経ったが、全くのオリジナルの古時計となると数が極端に少なくなる。
 ではどおしてか、時代が経つにつれて消耗品は商品劣化をするもの、劣化した物は新しく取り替えるか修理され、元の状態に無いものになる。
 例えば文字盤、古時計で良く変わっているものに文字盤があり、商品劣化の早いもので、特に紙の文字盤は痛みやすく、変わっている事が多いもの。

 そんな古時計は現存している時計の大半と思っても差し支えなく、琺瑯文字盤のSANY5388.JPGように劣化しにくいものは別として、ペイント文字盤もしかり。
 そしてオリジナルの文字判を見分けるには、1番簡単なのは取り付けビスの穴、文字盤の穴と時計本体の穴が一致していればオリジナルと思って間違いない。
 よく本体にビス穴が多く開いているものを見かけるが、オリジナルのものは穴が3個か4個、それ以外は空いていないから、其れより多いものは疑問が残ると思ってよい。
 穴がピタリと一致しても、もう1つの点に注意が必要、文字盤をひっくり返して、文字盤枠の半田付けの部分を見て、幾つもの半田の跡があるものも疑問があるのだ。
 穴が合ったとしても、半田付けの部分もオリジナルのものは5か所か6か所で、新しい半田のものではなく、黒くてくすんだ色になっているものでないとダメ。
 写真の時計、完全オリジナルの物、ビス穴も3個しかなく、半田付けも真っ黒のもの、しかもペイントも後から手が加わっていないもの。
 この様な完品の時計と比較して、オリジナルかどうか見極める目を持つ事、古時計はヤッパリオリジナルのものを多く見ることが肝心、完品な時計を探すマニアルでもあると思う。
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2019年05月09日

懐かしの玩具2

    手に取ってみる
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 幾つになっても玩具は楽しい、手の込んだ高級な玩具より素朴な物の方が親しみやすく、当たり前だがそれで遊んだ。
 我々の子供の頃はブリキの玩具が全盛、それも空き缶など再利用されたブリキ、缶を裏返して使われたもの。
 反対側には印刷がされているもの、良く見るとマークなどがハッキリ見えるものも、そんなブリキで造られた玩具。
 其れが当たり前のように使われているものが、物のない時代に造られていたからだが、そんなブリキでも玩具が楽しかった。
 この時期日本の玩具は海外に輸出され、とくにアメリカで人気を博することに、それによりブリキの玩具はより大きく進歩する。
 簡単なものから複雑なものまで製造が進み、日本のブリキ玩具は精度が良いと評判になり、アメリカ全土に多く輸出。

 その製造所は競争が激化して、倒産するところも多く存在し、海外で人気があったにもかかわらず、製造所は大変であったのだ。
 そして時代はおもちゃにも安全性が求められるようになり、それSANY0332.JPGに対応するため玩具メーカーは設備投資が必要となる。
 ただでさえ競争が激化していることもあり、メーカーは減少して行き、ブリキリ玩具は次第と消えてゆく運命になる。
 安全性を求めるためにブリキからソフトビニールにその座を奪われ、ブリキは姿を消してしまう事になり、ソフトビニールの時代に。
 しかし何でもソフトビニールでは面白みがなく、ブリキには独特の雰囲気が存在しているから、ソフトビニールでは出せない雰囲気。
 しかし安全性において勝るソフトビニールは次から次にと新しいものを作り出し、ブリキのおもちゃにとどめを刺す。
 ロボットも車も全部がソフトビニールに、ブリキの玩具に慣れたものにとっては何とも言えなく、しっくりとこないもの、手に取ってみると頼りないものに思える。




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2019年05月08日

後ろにも

      気の使い方

 SANY3976.JPG物にも国民性が出ると言われているが、果たしてそれが何なのかは色々と取り立たされており、地域風土の問題なのか、それとも考え方なのか。
 日本国内においても、県別、あるいは地域別にも違いがあり、東北と九州では大いに違いがあるとも言われ、ヤッパリ地域の個性みたいなものが存在する事は間違いない。
 気候風土の環境の違いから、考え方から生き方まで違いが出来るらしいが、物造りにもそれが映されている様、完成した物を比べて見ると、その違いに気が付く事もある。
 よく言われるのが日本車の後姿、日本人特有のタレ尻、ヨーロッパ車に見られるバックシャン、タレ尻の車とお尻の上がったヨーロッパ車、意識してないのだが、完成すると自然とそうなるらしい。
 日本人の設計したどの車もそうなるらしく、昔から言われてきたが、車でも国民性が出ているのなら、他の物はどうであるか、時計はどうであろうかと比較してみた。

 目覚し時計の後姿、時計の後姿などは気にも止めないし、又余り見るものでDSCN1022.JPGないが、日本車がタレ尻状態であれば、ひょっとして目覚し時計もと思い。
 ドイツの目覚まし時計と日本の目覚まし時計を2つ並べてみたら、今まで気づかなかった事が見えてきたから面白い、それと言うのは後ろはあまり気にしない日本の時計。
 しかし、ドイツ製時計はヤッパリ違っていたのだが、何処が違うのかと言うと、時計の形そのものは変わりはなく、一寸したデザイン変更で、印象が全く違う事に気がついた。
 後ろの蓋にはドイツものはプレスで模様を打ち出しているが、その模様が会社のマークみたいな物が打ち出されており、見た目には派手な演出だと思う。
 日本のものを見れば、平らなノッペリとした蓋、両者を比較すると、ドイツものは後ろから見られても良いように、ちょっとした模様を配置している事だ。
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2019年05月07日

我家でも

    筍のお出まし
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 我家の黒竹に筍が、家を新築した時に展示場で見た黒竹が凄く良く、家とマッチして清々しい雰囲気を醸し出していたので、一編に気に入り其れを再現しようと思った。
 展示場の黒竹は手入れも行き届いており、緑色の葉っぱと黒の幹、このコントラストが良く、白い壁とマッチして、雰囲気が最高であったので、家に植えるしかないと思い立つ。
 家が完成してから、ホームセンターを何軒か回り黒竹を探したが、良い物が中々無く、結局は園芸センターの黒竹を買いこんで、早速家に持ち帰った。
 植える所を選んで植えたが、思うような結果にならなかったのは筍、黒竹を植えた後、友人から「家の周りに竹を植えては、後で始末が悪い」と忠告された。
 彼の言うとうり、竹は根が張何処に筍が出てくるのか全く見SANY1975.JPG当がつかず、地下茎で増える竹は全く見当がつかないもの、他の木であれば幹を選んで切れば、そんなに困ることは無い。

 しかし、竹は此方の思うようにはならなく、勝手に根を張次から次へと根を伸ばし、土台の下まで根を張るから始末が悪いと友人の忠告どおり、今盛に筍が出てきている。
 他の筍ならば、取って食べてしまえば良いのであろうが、黒竹の筍は食べたことSANY1969.JPGがなく、果たして食べられるものなのか、それさえも分からないが困ったものだ。
 出て欲しいところに出ず、出なくても良いところに出てくるのも筍、大体黒竹は3年位経つと見栄えが良くないので、新しく出た物と代えて切り倒す、新しい竹は美しいもの、だから生えて欲しいところに筍が出てくれれば良いが、しかしそれとは逆に出て欲しくないところから良い筍が出てくる始末、それの繰り返しで今日もまた余分な筍を取り除くことに。
 友人の忠告どおり、家の周りには竹を植えない方が良いと、後で面倒な作業をしなくても良くなるが、植えてしまったものは仕方が無く、手入れに汗を流す今日この頃。
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2019年05月06日

アープ外伝

   不死身の男

 ワイアットアープ言わずと知れた西部劇のヒーロー、保安官にしてガンマン、西部開拓史上一番有名な男でもあるがアープについては現在も色々な疑問が投げかけれら、依然として話題に上る人物でもあるようだが、評価が二分している事も又事実。SANY9711.JPG
 彼を有名にしたのはあの決闘、OK牧場の決闘であるが、事実はハッキリと分かっておらずアープ自身が語った事がすべてである。
 然しながら現実彼の話は誇張が大であると言われており、信憑性に乏しいとも言われている一方、ガンマンとして唯一生涯無傷であった事、あれだけの騒ぎの渦中に居ながら無傷であった事自体本物の証とも言われる。
 彼がガンマンとして名を上げたのが19歳の時、当時保安官助手として働いて時に起きた出来事が彼を一人前の男として認められたのだと言う。
 若いアープに向かって荒くれ者が拳銃を向けた時、その場に合ったビリヤードの球をとっさに手に取り、相手に投げつけ気絶されたと言う、その度胸と一歩も引かない姿勢にガンマンとして素質を認められたらしい。
 この時以後彼の名は有名となり、その後の保安官としての名声につながった事は確か、現実に彼は素手で相手を殴り倒して制圧していた。
 拳銃を持った相手にそんな行動をとっていたのはアープだけ、如何に度胸があった事の証だといわれ、当時西部でも有名であったらしい。

 ワイアットアープが有名であった事は確かであるが、正SANY0317.JPG義の味方の様な保安官であったかどうかはいささか疑問であるらしい。
 彼の実際の行動はとばく場の主であったり、売春宿の主であった事は確か、当時はこれが西部では当たり前の事とも言われている。
 法の番人が悪の元を経営している矛盾、その上競争相手のクラントン一家とにらみ合い、縄張り争いから決闘事件を起こし、3人を殺している。
 それも相手はあまり銃を使う事にたけた者ではなく、アープの相手ではなかったとも言われ、弱いものを撃ち殺したとも言われている。
 実際の決闘はアープが仕組んだものと言われ、縄張り争いの末の出来事であって、それを利用して決闘を画策し殺したのではとも言われている。
 その後、クラントン一家の縄張りはアープ兄弟が分捕ったといわれ、始めからこれが目的であったと言われ、正義の保安官ではないと言うが事実はどうであったのか。
 写真は若き日のワイアットアープ、この時代はまだ眼光が鋭くないが、この後彼はガンマンとして修羅場を踏み鋭い眼光を備える事になる。

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2019年05月05日

鎧兜

    忠実に再現
 
DSCN0731.JPG 今日5月5日端午の節句、男の子を祝う節句、子供の日、国民の休日と言い方は変わってしまったが、この日は男の子の成長を祝う日。
 古来より5節句の1つとして古くから行われてきた行事、この節句も渡来文化の1つ、室町頃より武家の子供の成長を祈る行事として定着した。
 江戸時代に入ると社会は安定し平和が訪れる事により、戦さへの備えが薄れる中、武士社会では男子誕生を祝と共に、その子の立身出世を願い武者飾りを飾るようになる。
 幕府も世継ぎが誕生したときは盛大に祝い、鎧兜や旗指し物、吹流しを上げてその子の武運長久を願い、このような風習が武家に伝わると同時、幕府はこれを奨励する事になる。
 この時代は外飾りと呼ばれるものが多く、馬印や旗指物、吹流し等を外にがざっていたが、やがて床の間に飾るようになり、現在の5月人形のような形式となったと言う。DSCN0732.JPG
 しかし、これは一般の武家社会でのこと、庶民にはこの様な5月飾りを飾るものはなく、ごく一部の人達の5月飾りとして行われてきたのだ。
 庶民で財力のある人は武家を真似て鯉幟等を外にがざって節句を祝っていたもの、床の間飾りを飾ろうにも、床の間などは庶民には無いし、鎧兜は武家のもので飾りようがなかった。

 さて写真の鎧兜、昔の鎧兜の製法をより忠実に模して造られたもので40年以上前のもの、小札(こざね)と呼ばれる鉄製の板を絹糸でむすび草摺(楯、たて)を造ってゆく、現在の五月人形は鉄製ものは少ない。
 この鎧兜、平安期の大鎧を模写しているが、戦国から江戸期にかけて流行った大鎧、実戦用に改造された部分があり、近世的な鎧兜。
 良く鎧兜は子供が怖がると云われが、それは面具と呼ばれる顔を保護する部分、目だけが出ているものの、DSCN0730.JPG顔全体を覆っていて相手を威嚇する道具だから。
 当前怖くなって当たり前、その為に造られたもの、これも鉄製のもので重い部品の1つ、佩楯と呼ばれるももを保護する部分やスネあて(毛靴)も当前鉄製で出来いて重い。

 現在の5月人形の鎧兜は全体に省略化されてしまい、細部にわたっては昔の造りはなされていないので、この鎧と比べれば非常にかるい物となっている。
 小手あての上部は鎖帷子が忠実に模写されて付いているのも珍しく、現在ものは殆ど付いていない事が多く、良く見ると甲冑師が製作したと分かるもの。
 このような造りをした鎧兜は甲冑師の仕事、人形師とは一線を隠した本物の鎧兜を製作した人が造れるものであり、時間のかかった代物だと思う。
 わが子の成長を願って飾られる鎧兜飾り、日本の伝統を末永く守って欲しいもの、端午の節句も伝統文化の継承を願うもの、今日は柏餅とちまきを食べて子供と一緒に楽しんではいかがであろうか。
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2019年05月04日

フランター栽培

    毎年
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 我家の家庭菜園、震災後我家でもエコ対策の一環として、プランターでの栽培を試みるようになり、最初の栽培は上手く行かなかった。
 初めてのこと、肥料のやり過ぎで葉っぱばかり大きくなり、結局実を付けるのが少なくしかも小さい、神経を使った割には上手くゆかなかった。
 何しろ栽培するのは初めて、四苦八苦の連続であり、野菜が之だけ大変な思いをしなければ、栽培できない事に身を持って知ったもの。
 農家の苦労が身に浸みた初めての栽培であったが、3回目、4回目はやっぱり経験がものを言うもの、以前の失敗は許されないので、慎重に肥料もやった。
 特に水遣りには神経を使い、経験上余り水をやりすぎも、結局野菜の根を腐らしてしまうもの、園芸店での指導注意を守った結果、見事に実をつけた。
 野菜の栽培が如何に大変であり、神経を使うものだと知り、簡単に出来ると思っていた自分が情けなく、改めて農家の苦労を体験できたのだ。
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 たかがプランター2個、それでも四苦八苦であった事を思うと、今まで野菜を気にも留めずに食べていた事を、改めて考えるようになり、苦労して栽培している事を思う事に。
 そして、今年の栽培はエンドウ、今やっと花が咲きだして、之からが実がなる時期に入るのだが、ちょっと油断するとダメにしてしまう。
 1つは害虫、知らないうちに葉っぱを食べられ、ガッカリすることもあるからだ、葉の裏側をめくっては害虫がいないかチックすることだとホームセンターの人が。
 この一手間が大事な作業、折角実ったものが知らないうちに虫に食べられる事もあり、気が抜けないのだが、それが良い実が成ることになると言う。
 やっぱり栽培する事の大変さを身をもって知り、改めて農家の苦労が分かる事に。
 
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2019年05月03日

エンゼルに魅せられ

    嫌いな人はいない

 まSANY0128.JPGたエンゼルをとりあげたが、エンゼルとは天使、宗教とは関係なく、装飾品としても使われているが、もちろんキリスト教との関係はある。 
 しかしあの可愛らしい姿は誰しも好き、可愛い子供の姿をしているからだが背中に羽が付いている。
 日本人のえがいているエンゼルと西洋のエンゼルとは少し違い、西洋のエンゼルは可愛らしいものと、可愛らしくないものとが存在しているのだと思う。
 何故かしら日本人の好きなエンゼルは現実味のない姿、片方西洋のエンゼルは実際の子供の姿が多い事だ。
 架空の人物ではあるが、そこは日本人理想のエンゼルがあり、別に宗教的なものではなく、非現実的なエンゼルを造り出している。
 そんなエンゼル、時計の世界にも多く存在しており、人気の高いものとなっているが、その姿はまちまちで時計としては置時計の方がエンゼルが付くものは多く、掛時計はSANY0152.JPG少ないと思うのは、その形にあると思う。
 掛時計の場合はデザインからしてエンゼルが付くところが少ないのが、その点置時計はそのままエンゼルでも成り立つのだ。
 今回のエンゼルも置時計、以前にも置時計がなかなか出てこないと、だから今回も無理して置時計を出して見た。

 確かにエンゼルの姿をしたものであるが、そこは西洋的にものだから人間臭いエンゼル、それも子供らしくないもの。
 少し大型の置時計、大理石の台にどっかりとエンゼルが2人、少し置時計としては大型の部類、もちろん重い時計だ。
 西洋物の置時計のスタイル、ドーンとエンゼルの姿がリアルに、やはり迫力のある時計、ただ日本の人には好き嫌いが。
SANY0133.JPG エンゼルは好きだが、あまり派手な時計は好き嫌いがハッキリと出るもの、それも日本人だからと思う。
 この手の時計は殆どと言って良いくらいに大理石とコラボ、多くの置時計は大理石が使われている事だ。
 豪華さを演出するためなのか、それとも定番だからと使われている物なのか、それは分からないが大理石が付く。
 これが嫌いだと言う人も、エンゼルももう少し可愛らしいものが良いと、やはりエンゼルの姿が気になるらしい。
 果たしてこのエンゼルは何方に属するものなのか、近よってよく見れば可愛らしい顔をしたエンゼル。











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2019年05月02日

八十八夜U

      新茶の季節

 SANY4657.JPG八十八夜と言えば新茶と直ぐに言うが、この「八十八夜」何故その呼び名になったかと言うと、大概の人は説明できないものだ。
 八十八夜と新茶は結びつくが、何故八十八夜なのかと聞かれれば、「さあ〜知らない」と答えてしまう人ばかり、其れ位に忘れ去られている。
 最近では自分でお茶を入れて飲む人が少なくなった来ているが、それはペットのお茶が主流になってしまったから、自分でお茶を出して飲まなくなった。
 お茶との距離が遠のいて行ったから、八十八夜との関係も遠のいたのだろうが、この八十八夜、別に新茶の為に言われている言葉でない。
 八十八夜とは、立春から数えて八十八日の日を八十八夜と言う、この頃が春と夏との境、そして暦の上ではその後立夏となるのだ。
 この頃は遅霜の時期になり、農作物の重要な時、折角芽吹いた新芽が遅霜にやられる被害は昔からあり、農作物には非常警戒の時期である。
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 正岡子規の歌に、  霜なくて  曇る八十八夜かな、   と詠われている様に、この時期の遅霜は油断大敵の夜でもあり、その目安が八十八夜とされ、昔から暦の上で農耕の目安となっていた。
 では新茶はと言えば、勿論この時期新芽が芽吹く1番良い頃、この時期のお茶が一番おいしいと言われ、夏も近ずく八十八夜ともうたわれた。
 この緑茶、庶民が飲めるようになったのは大正時代以後、其れまでは一般庶民の飲めるお茶ではなく、高級なお茶であり、一部の人達の飲み物であったようだ。
 事実は意外と知らないもので、緑茶を飲める様になったのはまだ歴史は浅く、そして今また庶民の間から新茶が遠のいて行く様でもある。
 今はペットボトル全盛の時代、初夏の風物詩、八十八夜も忘れ去られようとしており、新茶もまた遠のいてゆく、時代とは新たな物を作り出して行くと共に古いものを忘れ去るものなのか。
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2019年05月01日

唱歌

    ふるさと

SANY9221.JPG 新しい令和最初は唱歌、最近では学校でこの歌を教えなくなったよう、時代に合わないとの考えだと言う、その為に良い唱歌もまったくと言って良いほど歌われなくなった。
 特に子供たちにとっては全く知らない歌となってしまったもの、残念でならないが時代が違うと言う、確かに古い時代に作られたから、少しは現代と合わないかも知れない。
 唱歌の中には色々なものも含まれているのは確か、時代に合わない箇所もたたある事は認めるとして、其処があるからダメだと言う事か。
 古いものでは明治時代に作られたものもあるから、確かに時代に合わないのは認めるが、では昔話はどうか、昔の話だから教えないのか、心に残る唱歌も幾つかあり、現代人にも通じるものはあるので、全部が全部教えないのは分からない。
 そんな中、唱歌の代表的存在の歌「故郷」、この歌を知らない人は少ないと思うが、今の若い人たちには教えられていないよう、しかし耳にした事はあるはず、特に震災以後、この歌が心の支えとなっている事は確か、あの災害から立ち直ろうとしている人達にとっては、この歌こそ心の支えだ。
 どんな現代の歌よりも、このふるさとの唱歌、幾度と無く被災地の人たちが歌う姿を見てきたので、何処に古いからダメで、新しいから良い事にはならないと思う。

 この愛されているふるさとの歌を作ったSANY9234.JPG人物、高野辰之と言う国文学者、彼の名前はふるさとの作者だと知る人は少なく、歌だけは有名となっている。
 高野辰之は長野県中野市の出身、国文学者しとて有名な人物、その高野のふるさとを題材として作った歌が、唱歌「故郷」である。
 高野は旧豊田村の豪農の家に生まれ、少年時代を豊田村ですごしたが、その後東京に出て国文学者となり、唱歌の編纂にも立ち会うことになる。
 大正5年1914年に自分の故郷を思い出しながら作ったものと云われ、岡野貞一とのコンビを組んでふるさとの歌を発表する事になる。
 その後次々と唱歌をコンビで作り、春の小川、春がたき、おぼろ月夜、紅葉などの歌を発表し、現在まで歌い続けられている名曲となったが、高野辰之や岡野貞一の名前は知らなくとも、故郷の歌は誰しも知っている曲、震災後もこの歌が人々を勇きづけている事は良く知られている。
 日本人の心のふるさととして、多くの人々の共感を呼ぶこの歌、まさに絵に描いたような故郷の風景を思い起こされる唱歌であると思う。
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