2019年05月02日

八十八夜U

      新茶の季節

 SANY4657.JPG八十八夜と言えば新茶と直ぐに言うが、この「八十八夜」何故その呼び名になったかと言うと、大概の人は説明できないものだ。
 八十八夜と新茶は結びつくが、何故八十八夜なのかと聞かれれば、「さあ〜知らない」と答えてしまう人ばかり、其れ位に忘れ去られている。
 最近では自分でお茶を入れて飲む人が少なくなった来ているが、それはペットのお茶が主流になってしまったから、自分でお茶を出して飲まなくなった。
 お茶との距離が遠のいて行ったから、八十八夜との関係も遠のいたのだろうが、この八十八夜、別に新茶の為に言われている言葉でない。
 八十八夜とは、立春から数えて八十八日の日を八十八夜と言う、この頃が春と夏との境、そして暦の上ではその後立夏となるのだ。
 この頃は遅霜の時期になり、農作物の重要な時、折角芽吹いた新芽が遅霜にやられる被害は昔からあり、農作物には非常警戒の時期である。
SANY4660.JPG
 正岡子規の歌に、  霜なくて  曇る八十八夜かな、   と詠われている様に、この時期の遅霜は油断大敵の夜でもあり、その目安が八十八夜とされ、昔から暦の上で農耕の目安となっていた。
 では新茶はと言えば、勿論この時期新芽が芽吹く1番良い頃、この時期のお茶が一番おいしいと言われ、夏も近ずく八十八夜ともうたわれた。
 この緑茶、庶民が飲めるようになったのは大正時代以後、其れまでは一般庶民の飲めるお茶ではなく、高級なお茶であり、一部の人達の飲み物であったようだ。
 事実は意外と知らないもので、緑茶を飲める様になったのはまだ歴史は浅く、そして今また庶民の間から新茶が遠のいて行く様でもある。
 今はペットボトル全盛の時代、初夏の風物詩、八十八夜も忘れ去られようとしており、新茶もまた遠のいてゆく、時代とは新たな物を作り出して行くと共に古いものを忘れ去るものなのか。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記