2019年07月31日

ペコちゃん2

    独特のキャラクター

 企業物のキャラクター、色々な物が存在しているが、人気の高いSANY9764.JPGものにペコちゃんがあり、不動の地位を保っている、言わずと知れた不二家のキャラクター、店頭に置かれたペコちゃんが子供たちを待ち構えており、人気は高い、愛らしい独特の顔、あの舌をペロリと出した何とも言えない可愛らしさ、スタイルも又いい味を出しているのだ。
 頭でっかちのペコちゃん、何頭身だろうかと数えてみたが、4頭身くらいかなと思われ、スタイルは良く
勿論人形としてのスタイルは、これが最高かと思うくらいによい、あのバランスだから人気だろうと思う。
 あのスタイルが8頭身美人だと、やっぱりピンと来ないと思うが、作って見ないと分からないが、ヤッパリ良くないと思う、本来はペコちゃんとぽこちゃんの2人が主役、しかしペコちゃんの方が人気が高い様で、何時もモテルのはペコちゃん、勿論、ペコちゃんは女の子、ぽこちゃんは男の子だが、やはり女の子の方が人気、あの黄色い色のTシャツ何時もペコちゃんは黄色のTシャツを着ているのだが、ズボンは真っ赤なものを履いており、見た目にも可愛らしいのだ。

 当初からこのスタイルだけだと思っている人、それはペコちゃんを本当の意味知らない人だと思う、はじめはこのスタイルだけであったが、その後は時代と共に衣装を変えており、ズボンだけではなくスカートも履いている。
 どちらかと言うとズボンのスタイルの方が、私はペコちゃんらしいと思うのだが、皆さんはどちらが好きであろうかスカートのペコちゃんも可愛らしいには違いはないが、赤のズボンと黄色SANY9776.JPGのTシャツ、これが一番良いと思う。
 しかし不二家では季節、季節に衣装を着替えさせているらしく、夏用と冬用とがあり、冬にはサンタクロースの衣装も着るとの事。
 確かにクリスマスにはサンタクロースの姿のペコちゃんが、不二家の店頭に居た事を思い出すもので、あれを見るとクリスマスだと。
 その他にも色々なスタイルが用意されており、祭り姿のペコちゃんやお正月には勿論着物姿で登場している。
 あんなデカい顔をしているから、着物姿は似合わないと思っていたら、これまた予想外の可愛らしさ、良く似あうのだ。
 このキャラクター、実によく考えられたもので、これだけ長く愛されている事は、如何に良いデザインである事の証、それにしても、何でこんなに人気が高いのか、不思議であるが、やっぱりあの笑顔、頭でっかちのスタイル、これが良いと思う、これからも色々と進化を続けて行く事だろうが、ペコちゃんは黄色のTシャツと赤いズボンが一番だと思う。
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2019年07月30日

ロレックス

    何故か人気がない

 ロレックスの時計、今一番人気な時計、特に腕時計しかもブラックの時計、高価でありながら若者に絶大に支持を受けている時計だ。SANY6549.JPG
 私もロレックスは好きだが、人気のものではなく手巻きの時計が好きで、幾つか持ってはいるが使用はせず、お蔵入りの状況だ。 何故かと言えば、今までに良く壊して、修理代が高く付いてしまい、其れ以来使用せず保管状態、頑丈な自動巻きであればこんな事はない。
 私の持っているものは本体が薄くて、ブレス調の時計がおも、だから壊れやすくて使わないが、では何で持っているのかと言えば、機械が好きだから。
 ロレックスの機械は力強さが伝わってくる感じのもの、他の時計の機械と比べれば、それらしき感じるのは私だけかも知れない。
 しかし、あの機械を見ていると職人気質が表れているような、そんな気になってしまい、ツイツイ見とれてしまう事もあり、それが又良いのだと思う。
 
そんなロレックスの懐中時計、写真のものだが、あまり程度が良く無いもの、それでも見つけたのだからツイツイ買い込んでしまった。
 どう云う訳か、ロレックスの懐中時計、今一人気が無いもので、何で人気が無いのか分からないが、アンティークショップに出ていても売れていない。SANY6555.JPG
 私が良く通ったショップでも、何時行ってもガラスケースの中に納まっていて、売れていないのだが、ショップのオーナーに聞いても、「何でだろう、売れないね」と首をかしげる。

 腕時計は今や若者の人気は絶大、何処のショップでもひっぱり凧で、商品が追いつかないという、その一方懐中時計は何時までもカラスケースの中。
 中々売れないのだが、原因は分からないのだと言う事、実用的でない事が一番の原因なのかとも言うが、それだけではないと思う。
 このロレックスの懐中時計、1920年代のものと思うが程度は良くないので、売れ残っていたのを私が買い込んだよう、「残り物には福がある」の喩えが通用するのか。
 裏蓋を開ければロレックス特有の、あの頑丈の中にも繊細さがあり、やっぱりロレックスの機械だと思わせるが、何で売れないのかやっぱり不思議。

 
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2019年07月29日

おみやげ

   明るすぎる

 SANY9489.JPG私は酒はあまり飲まないが好きである事には違いなく、多くは飲めないがたまにはたくさん飲むこともあるのだ。
 何故か日本酒は苦手で猪口一杯でダメになるが、蒸留酒なら体に合っているようで多少は飲めるので好きでもある。
 知らない人は日本酒が飲めないのに蒸留酒が飲めるとは信じず、時々私と飲み比べをすることもあるが、大抵は相手がダウンする事が多い。
 別に私が強い訳ではなく、全く酒が飲めないと思い飲み比べをするから誤解するのであって騙している訳でもない。
 蒸留酒は好きで何故かしら身体にSANY9497.JPG合うよう多少の事では酔わないので、何で酒が飲めるのかと不思議に思う人もいる。
 日本酒が飲めないのにウイスキーは飲める、そんな馬鹿な話はないと思い込んでいる人、そんな人と飲むときなどは面白い事も起こる。
 私は大抵はストレート、何も薄めずに飲むのが好き、だから知らない人は私と同じの見方をして失敗するのだと思う。
 ビールを飲むのと同じようにウイスキーを飲もうとするから間違いが起こる事に、ウイスキーの飲み方とビールの飲み方は違うもの。

 同じの見方をすれば間違いなく酔っぱSANY9500.JPGらう事になるが、何時ものペースで飲んでしまいダウンする事になってしまう。
私が強い訳ではなく、飲み方が悪いものであり、ウイスキーにはウイスキーの飲み方が、ストレートであまり飲まない方が良い。
 娘がイタリアに旅行に行った時、お土産にデキャンタを買い込んで来た、それは鮮やかな赤い色のデキャンタ。
 何時も私がウイスキーやブランディーをデキャンタに移すから、それを見てデキャンタを買って来たらしい。
 しかし現れたのは鮮やかな赤い色のデキャンタ、グラスもセットであるが余りにも赤色がきつ過ぎて使う気になれなくて、もっぱら飾り棚の上で鎮座している。
 折角買って来てくれたのだが、一、二回飲んでは見たが旨くなくて、赤が気になって仕方がなかった。
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2019年07月28日

手の込んだ細工

      貴族の誇り

 SANY2730.JPG懐中時計は高級品の時計であり、一般庶民の持てるものではなく、貴族階級のものであった時代、当初の懐中時計も御多分にもれず、大きな物であった。
 マダマダ時計が小型化されず、時計自体が珍しいものであった時、その大きさは懐中とは言えない位な大きな物、懐に入る代物ではなかった。
 しかし、時代が下がるにつれて懐中時計も小さくなって行き、やがては良く目にする位の懐中時計の大きさになり、誰もが懐に入れて持ち歩く事の出来る物になった。
 そして、当然の事であるが懐中時計は豪華な造りへと変貌をして行き、金銀財宝で飾り立てられるようになり、権力と富の象徴としての時計へと変わってゆく事に。
 これ等の時計は一般庶民には手に入るものではなく、当然の事貴族階級に支持され、益々その豪華さを競い合う、誰よりも豪華に、誰よりも珍しく、留まる事を知らないかのように突き進む。
SANY2732.JPG
 その頂点に立った時計が、「マリー、アントワーネット」が注文した時計、その豪華さと複雑の機能は現代においても、あせる事のないもの、他の追随を許さない時計だ。
 そんな豪華な時計には、これまた豪華な鎖が必要となり、その時計に合った物が特別に作られ、時計と鎖を一体化して、益々豪華を競ったものだ。
 写真の鎖もその豪華な物の1つ、銀製の鎖と鍵巻きを組み合わせたもの、鎖は細い銀線で組み合わせ、4重にセットされ、鎖の中間には豪華な銀製の装飾品が付く。
 この鎖のように、時計にあったものを特注品として製造させ、富と権力を他に示す為の道具として、時計職人に金にものを言わせて作られたものだ。
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2019年07月27日

健さん

   懐かしい
SANY0423.JPG
 健さん事高倉健、早いもので亡くなって5年になるが昨日の事の様に思う、若い頃より大の健さんファンで良く映画を見たものだ。
 学生時代丁度任侠ものが全盛期の時代、何処の映画会社も任侠ものを上映、人気を博していた時代、中でも高倉健の映画は大人気であった。
 高倉健は映画俳優になっても中々芽が出なかったらしく、デビュウはしたものの鳴かず飛ばず、人気が出なかったようだ。
 そんな事もあって江利チエミが健さんを後押し、映画界に売り込んだとされ、陰口でチエミに食べさせて貰っていると言われたほどだと言う。
 そんな陰口が囁かれたほど人気が出なかったとの事、当時映画会社もデビューさせたものの人気が出ず四苦八苦したとも言われている。
 江利チエミの後押しで映画には出ても、やっぱり売れなくて本人も大分参っていたとも言われ、下隅が長かったようで、1963年人生劇場飛車角で初めて任侠映画に出演、体格を生かした演技で一躍スターに躍り出、伝説の任侠スターとなる。

 1964年以後高倉健は任侠スターとして押しもSANY0417.JPG押されぬ人気俳優に、これからが高倉健の伝説の始まり、任侠映画は高倉健、健さんの独り舞台と言っても良い。
 これから10年は任侠映画一筋、高倉健と言えば誰しも任侠映画と言われるほどのはまり役、健さんをおいて他は無く知名度抜群であった。
 丁度私も学生時代真っただ中、暇つぶしに健さんの映画を見に通ったもの、今でも覚えているのが雨降りの日の映画館だ。
 任侠映画の健さんの姿を見て、映画が終わった後の観客が出て来ると、傘を片手に体をひねった厳つい格好で皆が出て来るのだ。
 これは映画で健さんが殴り込みに行く場面、それを真似してツイツイ傘を手にそんな姿になってしまう程健さんの映画にはまっていた証拠。
 雨降りの日は映画館の前に行くとそんな姿を良く見えたもの、健さんに成りきってしまった観客が如何に多かったと言う事だ。

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2019年07月26日

夏と言えば

   かき氷

SANY1434.JPG 暑い夏、今年も暑い夏が居座っているが、この暑さ何時まで続くのか、この先まだ長い夏が続きそうだ。
 この暑さは以前の暑さとは少し違ったもの、以前であれば暑くても暑さが違ったと思うが、そんな気がする。
 以前は30度ソコソコであったが、今は40度と体温よりも高い、これが最大の違い、暑さが全く違うもの。
 人間の体温よりも高い温度、これは人体に影響を与える温度であるから、障害が出て当たり前。
 熱中症になる人が非常に多くなり、水分を取らないと危険な状態となってしまう、そんな温度になってしまった。
 日本はもう熱帯に近い地域となってしまったのか、温暖化の影響は計り知れない速さで進んでいるのだ。
 昔の人は自然と一体化し、暑さとうまく付き合った来たが、今の状態ではそれも中々難しい状態と思うが、人は感覚的に暑さ、寒さを感じると言うが、其れも体温以上に暑いと姿を消してしまうのか、そんな事を思ってしまう。

 例えば以前は氷と書いたあの旗、見慣れたかき氷を示す旗、あの旗を見れば涼しきを感じたものだが、しかし今はそれをあまり感じないと言う。SANY7814.JPG
 感覚的に氷とイメージし難い位に暑い、だから感じないと言う事らしいが、ここにも依然と違った感覚となってしまった。
 涼を求める事も大分様変わりしてきたと言う、家庭で今団扇を見る事が無くなったしまった様で、団扇は何処に行ってしまったのか。
 現在造られている団扇は、本来の働きとは違ったものになり、飾りとして使われているようで、涼を取るものとなっていない。
 エアコンが利いているから団扇は要らないと、もしもエアコンが無かったら今の時代団扇だけで涼はとれなく、誰しも団扇だけでこの夏を過ごせと言われても、果たして耐えられるものなのかと思ってしまうのだ。
 人の感覚は目から入って行くものと言われ、涼しそうと目から脳に伝達され、脳が涼しいと感じて指令を出す仕組み、その指令が出にくく成ったしまったものなのか、例えば団扇でも色々あるが、その中で一番涼しそうな水団扇、以前ならこの水団扇を見ると涼しそうと感じたもの、あの透き通った団扇は如何にも涼しそうと感じたが、しかし今の子供たちに、あの水団扇を見せても涼しそうとは思わないと、団扇では涼しいと思わないと嫌な時代になったしまったものだと、つくづく感じてもこの暑さは涼しくはならないもの、何時まで続くものやら、先が思いやらりる。





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2019年07月25日

散歩道1

   裏の道

 瀬戸市内には大正時代の建物が残っている地域が多く、それも駅から歩SANY1006.JPGいて直ぐの所、表通りを一本はいった通りにそれらの建物があり、戦災で焼けなかった建物が多く、明治、大正の建物が残っていて、狭い路地には昔の佇まいがそのまま、そんな小道を探して歩いてみたら。
 今はやりの三丁目の夕日に出てくる世界がそこにあるので、懐かしさと、古さと、そして生活感のある町並みが其処に、子猫が歩いていたり、そなん界隈は少し静かだから、一見入り難そうであるが、勇気を出して入った行けば、新しい発見が出来る事は期待してよいのだ。
 勿論今でも生活しているから、静かに見学して欲しいが、ムードは保障するもので、三丁目の夕日のシーンが目の前に現れてくる。
 尾張瀬戸駅から歩いて左側、川上に向って左手少し小高くなっている所が、古い町並みが多く残る地域、もともと小さな窯が点在していた所である。
 陶器を製造していた所で、今は陶器は製造していないが町並みは昔のまま、そSANY1011.JPGしてこの辺りは建物もさることながら、家の土台や石垣、そして塀等を注意して歩くこと。
 なぜならば、瀬戸独特の焼き物で出来た塀や土台があちらこちらに残っているから、少し気をつけて歩けば幾らでも探がせると思う。
 陶器を焼く窯で使用していた物を利用して造られた塀や土台、形は円柱の物や平たい板状の物、丸い器状態の物で造られている。

 幾何学模様のように規則正しく詰まれた土台は今見ても美しく、当時の廃材で造ったエコの塀や土台なので、見た目にも楽しい物。
 今回紹介するのは、それとは別に瀬戸独特の物で土留めに使用している陶器、昔は何処の窯元にもあったものSANY1021.JPGで、磁器で出来た丈夫な器。
 その正体は陶器の絵付けに使用するゴスと呼ばれる釉薬、この釉薬を造る時に使用する器がそれ、この器の中に磁器で出来たゴルフボールくらいの玉とゴスと呼ばれる釉薬を入れる。
 この器を機械にかけて回転させ、ゴスの粒子を細かくする為のもの、磁器の玉とゴスがぶつかり合って、より細かな粒子となるのだ。
 ゴスは粒子が細かいほど発色が良く、粗い粒子のゴスは光沢や色合いが良くないので、この器に入れて長い時間回転させるのだ。
 その為にこの器は非常に丈夫に造られており、上からゴスの荒い物と磁器で出来た玉を入れ、両脇の穴にボルトを入れて蓋をし回転させ使う物、それを利用して土留めに使用したものだが、意外な物を利用して土留めに使うものだと思う。



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2019年07月24日

粋なこしらえ

    伊達男の必需品

SANY3721.JPG
 前にも上げた明治時代男の憧れの一つ懐中時計、西洋の文化が日本に押し寄せてから、一気に洋服姿が一般にも広がり。
 多くの日本人が洋服を着るようになり、それに伴い懐中時計が流行となるが、流行の先端を行くのにはカネがかかるものだ。
 伊達男たちは自分を粋に見せるために涙ぐましい努力を、この時代の男たちは粋に命を懸けたとも言われているのだ。
 今の人達には考えられないかも知れないが、粋を出すためには大変な苦労をしていた様で、特に金のかかる西洋物は大変だ。
 憧れはすれど中々手には入らないもの、その為に苦労してそれを手に入れていたのも一般庶民たちだ。
 金持ち連中は別に苦労しなくてもそれが手に入れられたが、粋となるとそれは別物、センスの良さが決めてであるからだ。

 金があるから粋だと言う事はなく、金はなくとも粋である人は多く、かえって金のない人の方が粋であったようだ。SANY3651.JPG
 明治を生きた人々はさぞかし、この粋の為に心血を注いでいたようで、やはり命を懸けていたと言うべきなのか。
 金持ちがわざと金時計を見せびらかしていると、一般庶民はやっかみ半分で流し目で見ていたようで、それに対抗するものは粋な姿勢。
 ある棟梁が「金なんぞなくとも粋がある、粋は誰にも負けない」と嘯いていたとも言われているが、やっかみかも知れない。
 しかしこのような人々は端から見ると実に粋であったよう、半纏一つ一つ着るのにも粋を感じられるようだ。
 仕事着であっても粋を示す事は出来、逆に同じ半纏姿でも、野暮ったい着方もあり、同じ物でも着こなし一つで違いが。
 この着こなしが粋を生み出すコツ、どの様にしたら粋な着かたになるものなのか、それこそ粋を見つけ出すのだ。

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2019年07月23日

三木福輔

    発明家の片鱗

SANY1036.JPG 三木福輔、江戸から明治にかけ日本の改暦に関わり、福澤諭吉著の改暦弁に関わり、時計の解説に寄与した人物である。
 改暦前後、日本は西洋時間(太陽暦)を採用する当たって、時計の解説を広く国民に知られる必要に迫られ、三木福輔ら中心に時計解説を行う。
 自ら時計詳説を書き上げ、西洋の時を解説、福澤諭吉の改暦弁にも一役買うことに、兎に角江戸時代からの習慣を改めるには、其れ相当の苦労があったようだ。
 写真は三木福輔の著書、時計詳説の本、中身は地球の仕組みから太陽系の事、そして時間の仕組みなどが書かれているもの。
 現代人には非常に読み難い文章となっているもの、振り仮名などが書かれているが、昔の仮名使いであり、ヤッパリ読み辛く、理解し難いものだろう。

 三木福輔はフランスの地球儀時計を研究し、彼独自の地球儀時計を考案し特許を得ているが、自ら時計をSANY9022.JPG製造はしていない。
 そのパテントを豊橋時計に譲渡し明治31年地球儀時計が製造され、市場に出回ることになるが、三木福輔の名前は見当たらない。
 彼がどう言う経路で豊橋時計と結びついたのか研究の余地があるが、記録として残っておらず、推測の域を脱し得ないもの。
 そしてもう1つが、これも実用新案を取得している鍵、写真の鍵が其れ、何処が実用新案なのか、鍵中央の窓に日付が刻まれている。
 鍵の裏側を見ると円盤形の真鍮盤があり、これを回転させて日付を変えるもの、時計の鍵を巻いた日にちを表示出来るようになっている鍵である。



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2019年07月22日

今年も

   8回目を迎える

 我家でもプランDSCN1555.JPGターによるエコ対策をはじめ、ホームセンターで買い込んだ苗で即席の栽培を始めたが、最初の年はうまく行かなかったが、それでも収穫はそこそこあった。
 ある人に言わせれば「そんな栽培をするよりは買った方が早い」と、確かにその年の栽培は良くなかったが、それはそれで良かったと思っている。
 買った方が安いことは確か、トマトを栽培するのにプランターから苗、そして肥料と材料を買い込んで、収穫は僅か、それでは買った方が安いと言われても仕方がない。
 しかし、何かしないと居られない事もあり、エコ対策としてはじめたものだから、それにはじめてやるから成功するとは思っていなかった。
 そんな事で昨年は良い苗を買い込んだのと、去年の経験を生かして栽培に入ったから、結果は大豊作で、こんなに美味しいトマトが取れるのかと喜んだものだ。
 孫達もスパーで見るトマトと違い、プランターで栽培した物は、曲がったものや特別大きなものに驚いてもいたし、何よりも新鮮なものが食べられて、大満足な収穫でもあった。
 スパーで買うトマトとは全く違った味、露地栽培とは行かないがプランターでも、それは美味しいトマトが取れ、朝取りのトマトが食卓に上ったものだ。

 こんな小さな事でエコ対策になるのか、それは疑問でもあるが、気持ちだけでもと思いはじめ、緑のカーテンのように目に見えて効果が上がるものでもない。DSCN1554.JPG
 だからと言って無駄ではないと思っているが、それよりも友人は東北のものを買い込んでやった方が良いのではと云う、確かにそれも大事な事だ。
 東北のものを買い込むことで少しでも手助けが出来れば、手助けとは大げさな言い方、少しでも役に立ちたいとも思いは皆同じ。
 今年は去年と同じな苗を買い込んでプランターに植え、去年みたいな収穫を願っていたが、今年はそんなに上手く行かない様、葉っぱは大きくなっても実がならなようだ。
 ようやく小さなトマトがなり出し、やっと出たか安堵するやら、喜ぶやらで、去年とは違った喜びが湧いてくるが、これも栽培してこそのもの。
 近所の人に聞けば、「同じ土で2年続けて栽培してはならない」と聞く、それは前にも聞いたことがあり、プランターの土は新しいものだ。
 それでも上手くトマトは出来なかったが、遅くはなったがこれから沢山なる事を期待して、水やりに精を出さないと枯れる恐れがある。
 今年も暑い夏、水をやってもすぐに葉っぱがしおれそうに、トマトは良く水を吸い上げると聞き、丹念に水をやり続けているのだが。
 この先、遅れを取り戻して沢山の実をつけてくれる事を願って、水やりを欠かさないようにしなければと、やっぱり収穫する事は大変だと思う、この頃だ。






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2019年07月20日

美濃水団扇

    やっぱり特殊
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 今回も岐阜県で製造されている団扇、全国でも有数の生産地、昔から製造されてきた土地柄、その歴史は古い。
 岐阜は近くに竹が取れ、古くから美濃和紙が製造されている土地柄、水団扇を製造するに最適な立地条件である。
 そんな立地条件の中、明治には製造がはじまったと言われ、水団扇は美濃和紙を使い造られるようになった。
 この水団扇、他の産地との差別化を図った商品であり、岐阜独特の団扇、それを実現したのが美濃和紙である。
 和紙の中でも雁皮紙と言う繊維の細かな紙が使用され、透明感と光沢、そして強さと美しさを兼ね備えた和紙を使った事だ。
 特徴は天然ニス、雁皮紙の上にニスを塗ることにより、透明感と水に強い紙が出来上がり、そんな状態の和紙の上に、団扇職人は更なる技を試みるが、それも雁皮紙ならではの特徴を生かしたもの、それが水団扇。

 写真の水団扇、色々な図柄が描かれているが、よく見ると向こうが透けて見え、それが職人の技でもある。
SANY0851.JPG
 普通は透明の状態の上に図柄を描くことになるもの、しかしそれを逆手に取り、全体に色塗りを施し、ある部分を白抜きにする。
 その白抜き部分を利用して柄を造り出し、清涼感を造り出すのだが、色々な趣向を凝らしたものが出来上がる。
 あるものは船を白抜きにして浮かび上がらせたり、あるものは花の形に白抜きにしたり、白抜きの部分に山水画を描いたりと職人の腕の見せ所でもある。
 この白抜きの部分、たんに白抜きしただけのものではなく、ある特殊な効果を狙ったもの、暗くなり灯りが付くと、白抜き部分が透けて見える。
 団扇を仰ぐごとに、その白抜き部分が浮かび上がることになり、暗い中ひときはその部分が強調され、これは雁皮紙の性質を知り尽くしたうえでの技法、雁皮紙ならではの透明感を利用した職人たちの腕でもあるのだ。
 
 

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2019年07月19日

知らないうちに

      動かなくなった

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 友人から電話でオルゴールが動かなくなったと連絡、何のことかと聞くと「展示してあるオルゴールが動かない」と言うのだが、そもそも動かす為に展示してない。
 友人の経営する店にインテリアとして時計等のアンティーク物を置いてあり、時期が繰るごとに展示内容を変え、一年中展示してあるのだ。
 友人の店には、これ目当てのお客さんが来るので、常時色々な物を展示して見て貰っているもので、今回のオルゴールもその1つである。
 今回のオルゴールは聞いてもらう為に置いてあるのではなく、単なるインテリアとして置いてあるもの、だから動かしてはいないものなので何で動かなくなったのか不思議だ。
 今までにも良くあることだが、お客さんがいじって壊した事もあるのだが、今回の物は高い位置に置いてあり、普通の人では触れないはず。
 SANY0860.JPG友人の電話では分からずに明くる日店に出かけ、オルゴールを見ることに、動かないと言うものは鳥籠のオルゴール付き、籠の中に鳥が二匹おり、この鳥が鳴きながらオルゴールも鳴るもの。

 そんなに古いものではないが鳥が動いて鳴くので人気があり、目で見て、聞いて、楽しむ物なので面白いが、メカが複雑な物なので直ぐに調子が悪くなる。
 その為に高い所においてあり、普通は触れないのだが、何で動かなくなったのか原因があるはず、仕方なしにオルゴールを手に取り調べることにした。
 するとネジが一杯に巻かれ、どうしようもないほどなっており、バネを戻さないと動くはずもない状態に、何でネジを一杯巻くのかと聞けば、友人「俺以外に巻いた者はいないはず」と言うが、事実ネジは一杯巻かれている。
 友人に「この鳥籠を動かして誰かに見せてのか」と聞けば、「時たま知り合いが来た時に動かして見せた」と言う、そんな事で誰かが友人の知らないうちに動かしていたようだ。
 この様な精密な機械のものは無理にネジを一杯巻いてしまうとバネが戻らず、歯車も痛めてしまうので絶対にしてはいけないのだが、知らない人はよく巻いてしまう。SANY0881.JPG
 このような状態になると、分解してネジを戻さないと動かないが、これが厄介な事になるのだ、と言うのも幾つかの部品が複雑に重なり合っている為に、非常に面倒な作業となる。

 私も以前に分解したまでは良かったのだが、組み立てるのに四苦八苦して、結果は専門の業者に持ち込んだもので、修理代も高く付いた。
 今回のこれも、分解しようと本体を外してみたが、やっぱり以前の事もあり、これ以上分解するのを止め、バネをゆっくりと戻そうとしたが、これもダメであった。
 ストッパーを外して、ゆっくりと回転させれば良いのだが、失敗するとゼンマイの力が強く、歯車を全部ダメにしてしまう恐れがあるのだ。
 この様に、こちらが予想しない事態になるのも展示の怖いところ、友人も「何時の間にか触っていたのか、注意しないと」と肩を落とすが、これも展示の難しさだと思う。
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2019年07月18日

蕎麦切りのはじめ

    発祥は何処だ

 SANY0396.JPG蕎麦、日本人なら誰しも親しんでいる食べ物、古くから食べられてきた食べ物、現代ではラーメンが国民食と言われる様になり、少し蕎麦はランクが落ちた。
 蕎麦は東日本、うどんは西日本と言われる様に日本でも東に人気、今では江戸蕎麦が主流と言われ、細くて白いそば良いとされている。
 しかし、もともとの蕎麦は少し黒い蕎麦、皮ごと粉にして打つために黒くなり、本来の蕎麦の味だと思う、その黒い蕎麦を白くしたのが寺方蕎麦。
 蕎麦の実を磨いて、白い部分だけ取り出し打った蕎麦が更科蕎麦、そばの上質な部分だけの粉を蕎麦にして寺方蕎麦としたのだ。
 一般庶民の食べる蕎麦と上流社会の蕎麦、田舎蕎麦と更科蕎麦、蕎麦にも種類が色々とあるが、その土地に根付いた色々な蕎麦があると思われる。
 現在我々が食べている蕎麦は、江戸後期のものと言われるが、実際に蕎麦の変遷は処により違いがあり、はっきりとした立証は難しい。

 例えば関東は蕎麦圏と云われ、関西はうどん圏と云われ、其々の特徴があり、これも又時代により変遷を繰り返しているから、SANY0597.JPG文献などの立証も難しい。
 江戸時代は蕎麦切りと呼ばれていたもので、それ以前は蕎麦を切った現在のような長い蕎麦ではなく、蕎麦がきのように練った蕎麦であった。
 その他にも色々な食べ方はあったが、練った蕎麦を板状に伸ばして、それを切り長い状態にして食べたのが蕎麦切りと呼ばれるもの、この蕎麦が現在の蕎麦の始まり。
 各地でいろいろな所が蕎麦の発祥だと言われているが、シッカリとした文献や立証できる証拠はなく、言い伝えだけのもの、其々に言い伝えが存在しているのも確か。
 地元の言い伝えは自分本位の伝え方、伝承として伝えられたもので根拠に乏しいもの、それはそば切りが各地に伝わって行く過程において生まれたものだ。
 特に大名が国替えされると、当然蕎麦職人もそれに従い国替えとなるので、その土地、土地、伝わった全国に広まったものだと言う、だからこそおらが最初であると言いたいのだと思う。

 信州から伝わった事がハッキリと分かっている例は、信州高SANY0599.JPG遠藩の保科政之、国替えとなり会津藩に行く、その時高遠のそば職人を連れて会津に。
 高遠蕎麦が会津に伝わり会津蕎麦となり、信州上田藩の仙石政明は出石藩に国替え、これも上田から蕎麦職人を連れて出石に、出石蕎麦となる。
 この様に事は江戸時代は日常茶飯事、国替えによってそっくりと移り住む事により、その土地の蕎麦もまた移る事となり、蕎麦切りが伝わった。
 その源はやはり信州である事は紛れもない事実、大阪砂場に伝わる伝承もハッキリとした証拠もなく、信州発祥が立証されているのは確か。
  写真は蕎麦発祥地の木曽須原宿の定勝寺、この寺の記録に1574年寺の改築工事に蕎麦切りが振舞われたと記録されており、蕎麦切りの文献で1番古い記録となっている。









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2019年07月17日

古時計のある風景

    インテリアとして
 FSCN0049.JPG
 古時計の扱い方は人それぞれ、どんな扱い方をするのかは本人次第、色々な古時計をどのように扱うかで分かれる。
 自分だけの物として蒐集している人も多い、よく言われるのは人に見せず、一人で満足している人の事。
 蒐集品は人に見せなくて、自分だけで楽しむ人、人が蒐集品に触る事を嫌がる人、自分の時計だから嫌うのだ。
 確かに自分の時計だから他人に触られたくないとか、見せたくないとか、とにかく自分一人で楽しんでいる人。
 そんな人は古時計の扱い方も病的、ピカピカに磨き上げ、汚れが付いていると綺麗にしなくては気が済まない性格。
 そんな人が持っている古時計はピカビ、真鍮部分もきれいに磨き上げられ、もちろん振子もピカピカ、時計本体は汚れが見えないくらいに綺麗にされている。
 一方、古時計を人に見て欲しいと、室内のインテリアとして置き、訪SANY1113.JPG問者に自分の蒐集品を見てもらいたいと願う人も。
 折角苦労して蒐集した古時計を一人で楽しんでいても面白くないと、他人に見て貰う様公開する人もまた多い。

 そんな人達は古時計を多く蒐集している人が多く、部屋中が古時計で一杯であったりすることが多いが、中には数は少ないがインテリアとしている人も。
 古時計の数よりも、その古時計に合った展示方法を取っている人も又多いもので、そんな人は兎に角古時計を上手く扱っている事。
 私の知っている人物は古時計の数こそ少ないが、その古時計を実にうまくインテリアとして扱い、見る人に古時計を魅力的に見せている。
 其れもこれ見よがしの展示でなく、さりげなく古時計を扱っている事、あたかも前から其処ににあったような展示。SANY2036.JPG
 彼にとっては、古時計が自然に其処にあるように、そんなインテリアとして、あくまでも自然に古時計を取り入れているのだ。

 だから見ている人も、生活の一部としてすんなりと受け入れ、嫌味が全くないものしてあり、これ見よがしの展示ではない。
 実に古時計を上手くインテリアとして取り入れている事だ、中々こんな風に古時計を扱えないものだ。
 彼は古時計の何たるを知り尽している様な、そんな気がするのだが、彼は意識していないから自然だ。
 こんな風に古時計と付き合いたいものだと思う、自然で押しつけがましくなく、他人に古時計を見て貰う。
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2019年07月16日

金魚

    中国よりの渡来

SANY0370.JPG 夏の風物詩金魚、夏の一番似合うものの1つとして金魚が上げられるが、日本古来のものではなく中国よりの渡来物で、15世紀初頭に渡来したとされている。
 中国では古くから存在したと言われているが、その起源はハッキリとしない様で諸説があり、どれが本当なのかは分かっていないらしく、どれも其れらしいとの事。
 長江下流地域の浙江省が発祥とされているがハッキリしないようで、南北朝時代に鮒から突然変異で生まれ、その後改良され宋の時代に盛に養殖されるようになる。
  もともと金魚は自体突然変異から生まれたものらしく、もとは鮒か鯉であり黒い色をした魚であったが、何らかの事情で色が変わり赤みを帯びたものが誕生、これを交配して赤い金魚につくり上げたらしい。
 明の時代には王侯貴族の間で珍重されたが、一般庶民には縁の無い物であり、一部の人々の観賞用であったがやがて庶民の間にも広がりを見せるようになる。
 日本には、鎌倉時代に既に渡来していたとの説もあるが、記録上あるのは室町時代に入ってから、しかしこれは貴族階級の観賞用で、庶民にはやっぱり関係のないものであった。
SANY1652.JPG
 金魚が流行る様になるのは江戸に入ってからの事、豪商淀屋辰五郎が自宅の天井に当時渡来したガラス(ギヤマン)の板を嵌めた桶を吊るして、下から金魚の泳ぐ姿を鑑賞した。
 当然の事であるが、当時の金魚は非常に高くてとても庶民の手の出せる代物ではなく、もっぱら豪商や特権階級の観賞用であり、広くは出回っていなかった。
  その後各地で養殖が盛んになり、庶民も安く手に入るようになり、急速に庶民の間に広がって行った様で、金魚すくいや、金魚売りが天秤棒で担いで売り歩き、益々広がりを見せたようである。
 今は屋台の金魚すくいが子供たちに人気、縁日の風物詩として伝わっているが、これも養殖が盛んになり金魚が安くなったからだ。
  
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2019年07月15日

蕎麦行脚 

    蕎麦「もとき」

DSCN1945.JPG 今日最後は蕎麦屋「もとき」昼間の営業時間が決まっていて、閉店間際間に合うかどうか微妙な時間、少し焦りながら車を走らせ「もとき」の駐車場に到着、此処の駐車場もご他聞にもれず狭い、しかし閉店間際車は少なく無事駐車場に入る。
 友人が先に車から降り店内に入り蕎麦を注文、どうにか滑り込みセーフ、もときの蕎麦をやっと食べれることに、席に着き2人して「我々は何でこんな苦労をして蕎麦を食べるのか」と疑問をぶつけ合う。
 しかし、注文した蕎麦が来れば論議は何処へやら、無言で2人し蕎麦を掻きこむが瞬く間に蕎麦を平らげ、蕎麦湯を貰い汁を薄めて飲む、例によって友人蕎麦湯を2杯飲み満足顔。
 店員さんが「すいません閉店です」と告げてきたので仕方なく店を出、駐車場の車の中で又2人して「やっぱり何でこんなに急いで蕎麦を食べるのか」と論議沸騰。
 確かにそうで、今日は最初に蕎麦を食べるために山道を走り「翁」に、高速で振り出しの松本まで戻り、途中で予定外の古時計と出会い、そして「デイリーのカレー」を食べに行くが食べれず、最後は「もときの蕎麦」。
 実に忙しい一日であったが、結果的には2人の思惑どうり「蕎麦三昧」が出来、目的を達成した事には違いが無く、友人の云う三頭も追いかけて、結果三頭とも仕留めた事になる。

 今回さひしぶりの蕎麦巡り、一日で盛り沢山の蕎麦を食べ、古時計もソコソSANY2861.JPGコ見つけこんな収穫は多く振り返ってみれば善光寺さんの御利益であるに違いなく、改めて善光寺さんのあり難さに感謝。
 帰路につく事にし車を高速道路に向け走り出す、しかし時間的にラッシュ市内が混んでいて中々車が進まなく、2人してマタマタ「何でこんなに混んでいるのか」とぶつぶつと愚痴。
 時間的に帰宅ラッシュ、これ位の混雑は当たり前、自分たちは仕事でなく遊んでいるのだから逆、我々のような者が多いから帰宅者も迷惑であるはず。
 自分たちを中心に考えると勝手な理論になるが、別の角度から見れば我々こそ邪魔な存在であり、地元住民には迷惑な車、邪魔な存在の何物でもないのかと思いつつ、渋滞の列の中を進む。
 友人、「此処のまだとガソリンが持たない、何処かでガソリンを入れたい」と、私が「インター近くに行けば沢山あるから」と告げ先に進むことに専念する。
 やっと渋滞を抜けインター近くのガソリンスタンドで給油、そのまま高速に乗り帰路につく。

 
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2019年07月14日

時計店のカタログ

    明治のカタログ
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 前回も出した明治期の時計のカタログ、時計製造会社のカタログと時計店のカタログ、古時計を知る上で明治当時のカタログは非常に重要なもの。
 カタログが存在する事により、当時の値段や時計のオリジナル状態が良く分り、古時計愛好家にとっては有り難い参考資料となるが、数が少なく値段も高いのが欠点。
 明治20年代のカタログとなれば、その数が激減、参考となるカタログを探すのに一苦労、その上あったとしても値段が高くて手に入れられない。
 ある時計店のカタログ、明治28年物のであったが、見つけた時は喜んのだが、値段を見てビックリするやら、ガッカリするやらで、何とも言えない心境であった。
 何と7万円の値段が付いていたのには流石にビックリ、何でこんなに高いのかと店主に聞いて見ると、「中々出ないものでリクエストが多いから」と強気な発言だ。
 確かに数は少ないとは分かっているが、これほどの値段とは驚くほかはなく、そんなに高いものは買うのを諦めたが、後で友人が見つけてくれ、持っていたのを1万円で譲ってくれた。
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 それにしても少ないとはいえ高すぎ、たかがカタログ、されどカタログ、まあ何とも言えない心境でもあるが欲しい人にとっては買うしかないのか。
 それほど当時のカタログは資料的に重要なもの、当時を知れば必然的に現在の古時計も知りうる、当時の実情を把握してこそ今があるから。
 例えば写真のカタログの中に現在現存している時計を見て、当時の値段を知ることが出来る事、値段だけではなくオリジナル性も重要な部分。
 当時の文字盤はどんなものがオリジナルなのか、針はどのようなものが付いていてのか、振り子はどれがオリジナルなのかと色々なものが解き明かされる。
 カタログとはそんなもの、生き字引であり、証人であり、証拠写真みたいな存在でも、ここから分かる事が沢山、其れをどう使うか、その人の力量でもある。

 例えばアメリカ製の時計とドイツ製の時計、どちらの時計が値段が高かったのか、その比較もカタログの中から判断が出来る。SANY5640.JPG
 我々が思っていたものと違った事が、明らかになった事例も、それがカタログであり、カタログとは資料のかたまりのようなものだと思う。
 古時計を研究する上では欠かす事のできない資料、其処から導き出される真実、憶測のもとに書かれた文章もカタログが間違いだと気付かれてくれる事もある。
 だが商売の道具として使われるのは聊か心苦しいもの、商売上おいしい材料である事は分かるが、それ以上の高値は詐欺に近いと思うが、さてさてカタログの魅力はそんなものでもない。
 ちなみに明治30年代、アンソニアの寄木張四つダルマとドイツ製の小型ユーハンスの値段、アンソニアのダルマ9円50銭、ドイツユーハンス8円50銭の値段。
 私も驚いたがアンソニアの寄木ダルマの方が、ユーハンスよりも高いとは意外、ここにも真実が隠されていたとは面白い、だからカタログは重要な資料となるのだと思う。
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2019年07月13日

アンティークとは

    種類は色々

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 よく聞かれるのはアンティークとは何ですかと、難しい質問でもあり、全般的に言えば古い物と答えるしかないのだが。
 古い物なら何でもアンティークなのかと、それもまた困った質問で、和物は何ティークとは呼ばないのが普通、ではアンティークとは何。
 益々答えにくくなるが、西洋物を主体とした古い物と大きく答える事が出来るが、それとて正解ではないのだと思う。
 ヨーロッパでは百年以上経っていない代物はアンティークとは呼ばず、それ以上古い物をアンティークと呼ぶのだ。
 日本では骨董と呼ぶが、西洋物と区別しているので、百年以上と言う決まりはなく、古い物が骨董品である。
 範囲が広くて、その上種類も多いのが骨董品、勿論アンティーSANY0303.JPGクの同じ事で種類も同じように多いのだから難しい。

 日本のものでも時計とか玩具などはアンティークと呼ぶ、西洋物でなくてもそのように呼ばれているから、やっかいな事になる。
 そんなアンティークもの、それも百年も経っていないもの、ツイ最近まであった物までアンティークと呼ぶのだから。
 全く範囲を広くしてしまったものだが、ソコソコ古い物でないとアンティークと呼ばなくて、ビンテージと呼ぶのだが。
 響きとしてはアンティークの方が聞こえが良い、人とは厄介なものでいったん覚えてしまうと、中々切り替えが難しい。SANY0301.JPG
 ではポスターや看板はどの様に呼べばよいのか、骨董品ではなくアンティークの部類に属する事になるだろうが。
 一つ一つ上げて行けばキリがなく、段々と広がってしまい、ビンテージと呼ぶのがふさわしいのでは、それにしても範囲が広い。
 それほど多くのものが存在している証拠、この世界広いと思うが、之からもモット種類が多くなることは必定。
 益々厄介な事になってしまい、何と呼べばよいのか、ルールつくりをしなければ混乱するばかり、統一が望ましいのだと思うが。
 写真のものは何処の範囲に入るものなのか、アンティークなのか、ビンテージなのか、厄介な事だと思う。
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2019年07月12日

磁器の金魚

      金    魚

SANY9506.JPG 夏の風物詩金魚、暑い毎日を過ごしていると、水の中で泳ぐ金魚がうらやましく思えてくるが、別に金魚は自分が涼しいところに居るとは思っていない。
 人間様が金魚を見て勝手に思い込んでいるだけの事、しかし昔から金魚は夏の物と決まっていて、暑くなると金魚がもてはやされ、ワザワザ金魚鉢を飼って買う始末。
 この金魚、愛知県が主要な産地、其の他大和郡山も盛であり、この2つが全国の市場を占めているようであるが、近年金魚も中々飼えない家庭環境でもある。
 当然金魚は生き物であるから、毎日の世話は当然の事、水槽の水替えから餌やりまで、毎日やらなければ成らないのは当たり前、其の当たり前の事が現在はウットウシイらしい。
 其れも、現代の忙しい世の中を象徴しているようでもあり、もう少しゆとりのある生活を望みたいもの、一時の精神的な安らぎを求めなければ疲れてしまう。

 何しろ現代人は忙しすぎ、余裕が持てないらしく気の毒なSANY9515.JPG事で、そんな生活をしなければ無いらなのも又、現実の社会でもあり、何とかならないものなのか。
 嘆いてばかりでは、何も解決はしないが、此処に餌をやらなくても死なない金魚が存在、我々の眼を楽しませてくれる物があり、其の歴史は100年を越す。
 とまあ、大げさな言い方は別にして、磁器で出来た金魚が其れ、明治時代から製造されていたらしく、其の製造方法は難しいようで、水に浮くように造るのは技術がいる。
 鮮やかな色をした可愛い金魚の形をして、水に浮くように製造してあり、餌をやらなくても死なず涼しげに泳ぐ、しかし磁器で出来ており水に何故浮くのか不思議である。
 其れも職人の技術、本来水の入らないように作ると、窯の中で焼く時に金魚の中の空気が膨張して、金魚は爆ぜてしまうのが当たり前、其れをしないように焼くのが技術。
 写真は、瀬戸で製造された大正期の磁器の金魚、鮮やかな光沢のある出来栄えとなっており、即今中国で製造されたものとは比較にならないほど、出来が良く可愛らしい物。
 中国製のものは安いが雑、しかも趣が無くやっぱり瀬戸の磁器物が1番出来が良く、人々の目を楽しませてくれる一級品、昔の技術は大したものだ。














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2019年07月11日

アンティークドール

      我家の住人
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 また取り上げる人形、母親が亡くなってから実家をひき払い、荷物は兄弟のところに分散をしたが、何故かしらこの人形が荷物と共に付いて来、我家に納まっている。
 この人形、一番上の姉のもので、実家に保管されていたのを、そのまま我家に引っ越してきたらしいが、私は全然知らなかったので荷物をあけてビックリ。
 確か子供の頃かすかに見た覚えが、私と一番上の姉とは年も多く離れている為、この人形の事はあまり記憶に無いし、実家で荷物を持ってくるときに兄弟で確認をしたはず。
 それなのに我が家についてきたのは、この人形が自分の意思で我家に来ようとしたのか、そんなはずもなく姉にその事を告げ、人形を取りに来るように連絡。
 すると、姉から連絡が入り、「人形はそちらでそのまま保管をしておいて」との返事だ、折角何十年ぶりに出てきてのだから、「そちらに持って行けば」と。
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 しかし姉は、人形が自分の意思でそちらに行きたいとして、そちらの家まで行ってのだから、「人形の意志に任せる」との再度の返事、そんなわけで我家の住人となったのこ人形。
 姉によると、姉が生まれるときに父親か祖母が買ってのではないだろうかとの事だが、物心付いた時には既に姉の手元にあったらしく、昭和初期のもの。
 当時流行った人形であり、フランスの人形をモデルとして日本で製造された物、しかも良く調べれば顔は瀬戸で製造されたものらしく、ノリタケの製品と判明。
 既に80年以上を生き抜いてきた物、我家に来てからはフランスのジュモーの人形と寄り添って座っているので、姉もしばしば見に来ては懐かしがっている。
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