2019年07月18日

蕎麦切りのはじめ

    発祥は何処だ

 SANY0396.JPG蕎麦、日本人なら誰しも親しんでいる食べ物、古くから食べられてきた食べ物、現代ではラーメンが国民食と言われる様になり、少し蕎麦はランクが落ちた。
 蕎麦は東日本、うどんは西日本と言われる様に日本でも東に人気、今では江戸蕎麦が主流と言われ、細くて白いそば良いとされている。
 しかし、もともとの蕎麦は少し黒い蕎麦、皮ごと粉にして打つために黒くなり、本来の蕎麦の味だと思う、その黒い蕎麦を白くしたのが寺方蕎麦。
 蕎麦の実を磨いて、白い部分だけ取り出し打った蕎麦が更科蕎麦、そばの上質な部分だけの粉を蕎麦にして寺方蕎麦としたのだ。
 一般庶民の食べる蕎麦と上流社会の蕎麦、田舎蕎麦と更科蕎麦、蕎麦にも種類が色々とあるが、その土地に根付いた色々な蕎麦があると思われる。
 現在我々が食べている蕎麦は、江戸後期のものと言われるが、実際に蕎麦の変遷は処により違いがあり、はっきりとした立証は難しい。

 例えば関東は蕎麦圏と云われ、関西はうどん圏と云われ、其々の特徴があり、これも又時代により変遷を繰り返しているから、SANY0597.JPG文献などの立証も難しい。
 江戸時代は蕎麦切りと呼ばれていたもので、それ以前は蕎麦を切った現在のような長い蕎麦ではなく、蕎麦がきのように練った蕎麦であった。
 その他にも色々な食べ方はあったが、練った蕎麦を板状に伸ばして、それを切り長い状態にして食べたのが蕎麦切りと呼ばれるもの、この蕎麦が現在の蕎麦の始まり。
 各地でいろいろな所が蕎麦の発祥だと言われているが、シッカリとした文献や立証できる証拠はなく、言い伝えだけのもの、其々に言い伝えが存在しているのも確か。
 地元の言い伝えは自分本位の伝え方、伝承として伝えられたもので根拠に乏しいもの、それはそば切りが各地に伝わって行く過程において生まれたものだ。
 特に大名が国替えされると、当然蕎麦職人もそれに従い国替えとなるので、その土地、土地、伝わった全国に広まったものだと言う、だからこそおらが最初であると言いたいのだと思う。

 信州から伝わった事がハッキリと分かっている例は、信州高SANY0599.JPG遠藩の保科政之、国替えとなり会津藩に行く、その時高遠のそば職人を連れて会津に。
 高遠蕎麦が会津に伝わり会津蕎麦となり、信州上田藩の仙石政明は出石藩に国替え、これも上田から蕎麦職人を連れて出石に、出石蕎麦となる。
 この様に事は江戸時代は日常茶飯事、国替えによってそっくりと移り住む事により、その土地の蕎麦もまた移る事となり、蕎麦切りが伝わった。
 その源はやはり信州である事は紛れもない事実、大阪砂場に伝わる伝承もハッキリとした証拠もなく、信州発祥が立証されているのは確か。
  写真は蕎麦発祥地の木曽須原宿の定勝寺、この寺の記録に1574年寺の改築工事に蕎麦切りが振舞われたと記録されており、蕎麦切りの文献で1番古い記録となっている。









posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記