2019年07月27日

健さん

   懐かしい
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 健さん事高倉健、早いもので亡くなって5年になるが昨日の事の様に思う、若い頃より大の健さんファンで良く映画を見たものだ。
 学生時代丁度任侠ものが全盛期の時代、何処の映画会社も任侠ものを上映、人気を博していた時代、中でも高倉健の映画は大人気であった。
 高倉健は映画俳優になっても中々芽が出なかったらしく、デビュウはしたものの鳴かず飛ばず、人気が出なかったようだ。
 そんな事もあって江利チエミが健さんを後押し、映画界に売り込んだとされ、陰口でチエミに食べさせて貰っていると言われたほどだと言う。
 そんな陰口が囁かれたほど人気が出なかったとの事、当時映画会社もデビューさせたものの人気が出ず四苦八苦したとも言われている。
 江利チエミの後押しで映画には出ても、やっぱり売れなくて本人も大分参っていたとも言われ、下隅が長かったようで、1963年人生劇場飛車角で初めて任侠映画に出演、体格を生かした演技で一躍スターに躍り出、伝説の任侠スターとなる。

 1964年以後高倉健は任侠スターとして押しもSANY0417.JPG押されぬ人気俳優に、これからが高倉健の伝説の始まり、任侠映画は高倉健、健さんの独り舞台と言っても良い。
 これから10年は任侠映画一筋、高倉健と言えば誰しも任侠映画と言われるほどのはまり役、健さんをおいて他は無く知名度抜群であった。
 丁度私も学生時代真っただ中、暇つぶしに健さんの映画を見に通ったもの、今でも覚えているのが雨降りの日の映画館だ。
 任侠映画の健さんの姿を見て、映画が終わった後の観客が出て来ると、傘を片手に体をひねった厳つい格好で皆が出て来るのだ。
 これは映画で健さんが殴り込みに行く場面、それを真似してツイツイ傘を手にそんな姿になってしまう程健さんの映画にはまっていた証拠。
 雨降りの日は映画館の前に行くとそんな姿を良く見えたもの、健さんに成りきってしまった観客が如何に多かったと言う事だ。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記