2019年08月10日

明治の教科書

    時計の紹介

 新政府は改暦後、学校において時計の紹介や読み方について詳しく勉強さSANY4238.JPGせているが、それは親よりも早く時計に接する事だ、親よりも時計がよく分かった。
 新政府は外国から新たに西洋時計を大量に輸入、日本各地の公共施設に配布、近代化を推し進める意味で時計を利用した。
 勿論、役所の時間は改暦後、西洋時間となり、就業時間をキッチリと定め、時間管理を厳しくする、その一環として教科書に時計の解説を定め、子供たちから西洋時間に慣れさせるべく、教育を行ったのだ。
 当然、子供たちの方が親よりも早く西洋時間に慣れ、時計も身近なものとして接していたが、当時時計は高価であり、親たちは余り時計に接していない。
 公共施設には時計が置かれ、西洋時間となっていたが、一般庶民は昔のままの生活を続けていたのである。
 本当の意味で庶民が時計と向き合うようになったのは明治中期、一般に西洋時計が浸透し始めてからの事。

 面白い話も残っており、子供たちは学校で読み書きの学習をしているから、当然読み書きは出来るが、しかし親たちは字が読めない人も居たとの事。SANY4245.JPG
 当然、時計も時間が分からない人が居たのだと思う、それに引き換え子供たちは時間も正確に読めたのであろう。
 子供が親に時計の読み方を教えたと言う、そんな冗談みたいな話も、事実あちこちで当時は展開されていたようだ。
 嘘みたいな本当の話し、子供たちの方が逸早く文明開化の先駆けを担った事は確か、其れもまた新政府の狙いでもあったようだ。
 近代化を推し進めるのには若い力が必要であり、頭の固い大人よりも、柔らかい頭の子供の方が早く吸収するからである。
 写真は明治時代に小学校で使われていた教科書、その中の時計を紹介している文章、色々な時計をイラストにして解説をしている所、実際の時計を図にして、何時何分の読み方を一つづつ丁寧に教えている事だ、これにより子供たちは時間を正確に読めるようになる。
  
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記