2019年09月30日

尾張鍔(時計)

    時計型刀の鍔
 SANY8861_1.JPG時計型鍔とは、尾張で製造された刀の鍔、この尾張鍔は室町後期が始まりとされ、主に名古屋近郊で製造された鍔をさす、戦国から江戸初期までに製造され、その特徴は透かしを施した鍔、3大鍔のひとつとされ京鍔、赤坂鍔、尾張鍔があり、特に尾張鍔は実戦向きの鍔である。
 洗練された京鍔に対し、尾張鍔は武骨とか実戦向きとか言われ、頑丈な鍔とて定評のある鍔、骨太の鉄、黒味がかかった地色。
 作風は鉄地、真丸形、角耳小肉、地透かし、小透かしと素朴なものが主流、尾張鍔は鍛えあげられた鉄が持ち味、縁取りも太く透かしがシンプル。
 この尾張の鍔は美濃の刀鍛治の連携により、室町時代、戦国時代、江戸初期まで戦う武士たちによって支持されて来たが、江戸時代に入り徐々にその作風が変る。
 戦乱の世から太平の世になると、実戦向きの質実剛健的なものよりも、装飾的なものが好まれるようになり、尾張鍔SANY8871_1.JPGも各地の鍔との融合が行われるようになる。

 そんな江戸時代に入って尾張鍔も時代の流れに沿ってものを造り出すが、本質的な形は変化しなくて、骨太の中に優しい線が見られるようになる。
 武士達も装飾性のあるものを好むようになり、当然流行のものが世に出回ることに、時計鍔と称せられるものもその1つ、今までの尾張鍔とは少し違うもの。
 和時計の歯車を模して造られたと言われているが、時計師が作ったようには思えず、その流れをくSANY8857_1.JPGむ鍔鍛治によって造られたものか。
 和時計の歯車を連想させる形の鍔、写真で見ると歯車のように見えるが、実際の歯車とは別物、時計師が作ったとは考えにくい。
 この鍔は江戸時代に入ってからの図鑑にも記載され、時計鍔として紹介されている事から、この時代から流行し始めたものだろう。
 図鑑の鍔、写真のものと少し違うものとなっているが、デザインも鍛治師によって様々であるのと、好みによって注文されたものだから、違って当然かもしれない。
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2019年09月29日

フランスの鍵

    何処となくお洒落

SANY4488.JPG 時計にはゼンマイを巻く鍵が付いているが、この鍵がなければゼンマイを巻く事が出来ないもの、鍵の種類もいくつかのものが存在する。
 例えば、掛時計の鍵はトンボの羽根のような形をして鍵が殆ど、余り変わった鍵が付いている事はないものだが、置時計となると少し違う。
 置時計には豪華な高級品の時計も存在しているから、その時計に付く鍵も豪華なものも、又お国柄も時計に表れているものだが、国によっては鍵にも拘りがあるらしい。
 例えばドイツの鍵はシンプルで頑丈なもの、イギリスの鍵はシンプルなものが多く、アメリカのものは統一的に量産物が付くといったように、ヤッパリお国柄が出ている。
 そんな中でフランス物の鍵は、一段とお洒落な物が多く、その上豪華なものが多いのもフランスらしく、時計の豪華さに負けない様に鍵も豪華になっている。
SANY0878.JPG
 古い鍵は殆どが鉄製のものが多く、豪華な鍵には銀製も存在するが、金製はあまれ見かけないのは柔らかなものだから鍵には向かないのだ。
 写真の鍵、勿論フランス製の鍵、一見シンプルのような形、しかし良く見るとセンスの良さが見えてくるもの、鉄製であるが柔らかな曲線と直線のバランスが良い。
 上部はハート型をしており、使いやすさと優美さを兼ね備えているのも、ヤッパリフランス製の鍵と関心もするが、強度はシッカリとあり、優美さと堅牢さが同居している鍵。
 単に時計のゼンマイを巻くものだから、頑丈で巻きやすければ良いと思われがちだが、其処に拘りがあるのもフランスのお国柄なのか。
 鍵までが優美なものに造り変えるフランス、伝統の中に個性を内に秘め、其れでいて実用的なものを造る事に生きがいを見付けるのもフランスなのか。
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2019年09月28日

持ち込まれた

    招き猫
 
DSCN1916.JPG 瀬戸で製造された招き猫、愛好者から絶大なる指示を受け、引っ張りだこ現状、特に磁器で製造されたもの、市場に出れば直ぐに売れてしまい、中々手に入らないと嘆く愛好家も多いと聞く、更に形の大きなものは数が少ないと聞く。
 他の産地も磁器の招き猫を造っているが、瀬戸製の招き猫はその中でも人気が高いもの、その魅力は何処にあるのか。
 瀬戸で製造された招き猫、それも磁器で製造されたもの、古いものでは幕末のものがあり、形は小さな素朴なもの、大きさは7センチ位のもの、白黒とシンプルであり、アクセントとして赤い首輪をしているのだ。
 顔はキツネみたいなもので、今の招き猫とは少し違ったもの、磁器もあまり良いものでは無いが、数は極端に少なく明治末から大正期に同じような招き猫が造られたが、磁器の質は全く違うので、良く見れば分かると思う。
 古い磁器製の招き猫は透明度がいまいち、磁器の質が良くないから濁ったような感じ、それに引き換え大正期のものは磁器の質が良いもの。
 見比べてみればその違いが良く分かると思うが、それには多くをDSCN1918.JPG見る事が重要、何でもそうだが数を見る事によって分かって来る。
 やはり数を見る事が一番、そして比較して見る事、何処がどの様に違うのかを、それを頭に入れる事が一番良い。
 今回の招き猫、知人が持ち込んで来たもの、新しいものであると言われて買い込んだと言うが、本人は古いものと思っている。

 現在でも磁器製の招き猫を製造している所もあり、復刻版として売りに出されているから、形は昔のままである。
 良く間違って買い込んで来る人も居るが、新しいものと古いものとを見極める事も大切な事だと思う。
 何故ならば古い物は高値で売買されており、新しいものは形が同じでも、リサイクル商品としての評価である。
 つまり値段は安いもの、場所によっては新品の五分の一以下、もし新しいものを古いと思って買い込んだとしたら大損。
 招き猫愛好家なら、そんな事はしないと思うが、今回もの込まれたものは新しいものとして売られたもの。DSCN1917.JPG
 本人も新しいものと思って買い込んだもの、だから値段も安く売られていたと言う、しかしひょっとして古いものかもと持って来たと言う。
 この招き猫、そんなに古いものでは無いが新品の招き猫ではなく、ソコソコ時代のあるものである。
 招き猫の前垂れの絵付けは、少し古い時代の付け方、明治期のものとは違うが、現代のものとも違うもの。
 値段が安ければ良い、新品のものでは無いから、新品を買うよりも安くて良いものであり、買い得であったと思う。
 本人はそれを聞いて喜んでいたが、柳の下にドジョウは二匹もいない事を肝に銘じないと、落とし穴にはまるからと諭じておいた。
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2019年09月27日

優先順位

    2頭を追うもの

  前にも書いたが名古屋の大須観音のSANY8057.JPG蚤の市、毎月8の付く日に市がたち、足繁く通ったもの、この市では数多くの珍品も手に入れている。
 東寺の蚤の市とは比べものになら無いものだが、便利が良いのと近いのと両方で兎に角通ったがライバルも多くて、先を越されることもしばしば。
 少し遅れて蚤の市に行ったばかりに大物を逃した事も、逆に珍品を人より先に手に入れたことも、様々な場面に遭遇したのもこの市である。
 時計愛好家が経験する事だが、一足違いで珍品を逃してしまった事もあるのが蚤の市、蚤の市ではどちらから回るかによっても明暗が分かれる。
 特に広い会場であればどの店から回るかが重要なポイント、毎回古時計を持って現れる業者は決まっているから、その業者のもとに早く着くこと。
 開場と同時に業者目掛けて走る事も、早くその業者のもとに行かねばと、焦る気持ちを抑えて走るが、その業者のもとに行くのは私だけではないので兎に角早く行く。SANY0365.JPG
 ここで運命が分かれるのも良くあること、古時計を扱い業者は一軒だけではないから、今日はどの業者が良い古時計を持って来てるかは運次第。

 1番良いものを持ってくる業者の下にまっしぐら、案の定古時計を幾つか持って来ており、早速品定めをするが直ぐにある時計に目が行く。
 四ツ丸の奈良時計だとピンと来て、その時計を手に取り確認するも、やはり奈良時計に間違いなかったので直ぐに手付けをうち他の店に、そして次の店で珍品らしき時計を見つける。
 八角合長の8インチの時計、この時計は絶対に古いと直感、振り子室の中を覗くも文字が薄くて読み辛いので、光にかざして読み取ろうとするが良く見えない。
 しかし何やらゲンシャとローマ字が見えるがハッキリしないので、こんな事をしていると人に先を越されると思い、この時計を置いて他に行くことにした。
 他の店に行くもあの時計の事が気になり、どうしても頭から離れないので、その店にと引き返したがあの時計がないので、主人に聞いて見ると、「あんたが来後、直ぐに他の人が来て持って行ったよSANY0392.JPG」と言うのだ。
 そして幾らで売ったのかと聞けば、「八角の時計だから3000円で売った」と言うのだが、その後がいけない「その人は珍しい時計だと言っていた、何でも「金元社」とかいっていたと言うのだ。
 しまったと思うと共にやっぱり「金元社」かと、あの時直ぐに手付けを打っておけば良かったのにと後悔、しかし後の祭りだと思うが、逃がした魚は実に大きい。

 オカシイと思ったが、八角の只の時計、誰も買わないだろうから後で来れば良いと思い、先を急いだのがイケなかったのだが、運がなかったのだ。
  しかし悔やまれてならないのだと、しかも3000円で買えたのだと思うと、つくづく自分の愚かさを反省するも、やっぱり後の祭りだと思うしかないが、その後が尚更イケないので、その時計を買ったのがライバルであった事、あの人に持って行かれたとは益々悔いが残って仕方がなく、10数年経っても今も心に残っているのだ。












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2019年09月26日

蕎麦の歴史 

    歴史も古く
 SANY4245.JPG
 蕎麦が確実に確認されるのは、古文書によると「養老7年(723年)太政官符」に蕎麦の栽培要請を各地に出している事が分かった。
  この時代は一般庶民が主食として食べていたが、当時の貴族や武士達は蕎麦は食さず、下賤の食べ物であるとされていた。
 庶民は白米を余程の時以外は食べられないものであり、稗や粟など穀物を主食としていたが、蕎麦の栽培を当時の政府は食糧確保の目的で、全国に広めるために力を入れていた事が伺える。
  山間地で水田や作物も中々育たない地に、蕎麦栽培を新興し食料の確保と、庶民の生活安定をはかったものでもあった。
 この当時は今みたいな食べ方でなく、蕎麦を練って蕎麦がきみたいにして食していた様で、蕎麦切りが出現するのは、もっと時代が下がってからである。
 その後、寺方の食料および 食材として精進料理に用いられ、蕎麦の栽培が寺方より全国に広がる事になって行く。


 しかし、まだこの時点では一般庶民が毎日の食料として食べてSANY2895.JPGいたわけではなく、祭事などのときに食していた様である。
 鎌倉、室町と時代が下がっても蕎麦は相変わらず、練って団子のようにして食していたようで、寺方では広く食料として用いられていた。
 全国で蕎麦切りの発祥が各地に存在しているが、其の信憑性は薄いと言われており、長野県塩尻市の本山宿説、山梨県甲州市の大和説、長野県の戸隠説、など色々あるが、文献上で確認でき信憑性の高いのは、長野県木曽郡須原の定勝寺説である。
 天正2年(1574年)、定勝寺の建物改修工事完成時、寄進者から蕎麦切りを献上された事が明記された古文書が発見されており、これが現在確認されたもので1番古い。
 その他の諸説は之より50年から100年後であり、また確実な証拠となり得ないものばかりで、定勝寺説が1番古く立証も出来、この地方が蕎麦切りの発祥地と認定出来るようだ。 
 諸説がある中信憑性のものはなく、伝承として伝えられているだけの事、手前みそ的要素が強く、信頼性はないもの、いずれにせよ蕎麦切りはそんなに古くから食べられて来たのではなく、500年そこそこであると言えよう、それにしても蕎麦は奥が深い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2019年09月25日

やっぱり秋

    時期が来れば
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 季節の変わり目、今年は早いようで急いで秋がやってた気様な、そんな今日この頃、草花は正直である
確かに日中は暑い日が続いているが、朝晩はメッキリと涼しさが増したような、そんな気がして来たのが昨今、今年の季節の変わり目は急速にやって来たようで、こちらが思っている以上に進んでおり、ススキの穂も出ているのだ。
 去年なんかは中秋の名月の日にススキを探して遠くまで、それでもなかなか探せなかったものだが、今年は予想以上に早い。
 我が家の近くの空き地にススキの穂が出ているのを発見、しかし暑さのせいで小さいもの、萩の花も探しても中々見つからず、ススキと共に競い合っている筈だが、探し回ったのが見つからずウソのようだ。

 しかし季節は急速に秋へとまっしぐらに進んで、夏を追い出しているかのよう、今年は秋が長いと言う事だそうだが果たして、何時までも暑いのは嫌だが、急速に冬になるのもチョット嫌な気もするが、暑いのが収まればそれに越したことはないのだ。
 今年みたいに中秋の名月の日に、暑くて半そで姿でないと、名月を見るのに暑くて半そで姿では様にならない。
 やっぱり名月鑑賞は涼しくて、むしろ肌寒い方がピンと来るような気がするが、その上萩の花もススキもないのでは面白くもない。150913_1246~04.jpg
 季節季節の植物がそこにあってこそ、人間は季節の移ろいを感じるものであり、それが自然の摂理化と思うが。
 温暖化とはそんな感傷的な事も一切お構いなしに進んで来、我々を戸惑わせるものなのだが、其れに付いて行けないのだ。

 この時期一番派手なのが彼岸花、あの独特な真っ赤な色の花、あの花ほどキッチリと彼岸の日に花を咲かせるものはない、何故そのように彼岸には絶対と言って良いほどに花を咲かせるが、この花はその様な定めを持っている花か。
 勿論お彼岸は決まった日にやって来るから、それに合わせて咲かなければならない宿命の花か、兎に角狂いのない花でその時期に咲く。
 彼岸花だけではない、鶏頭の花を見つけたが、最近見かけない昔の花、今は西洋ものが幅を利かせており、このような昔ながらの鶏頭は少なくなってしまった。
 葉鶏頭もその一つ、ヤッハリ鶏頭の花は字のごとく、鶏のとさかの様な形をした花でないと、ピンと来ないものだが、私が古いだけかも知れない。

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2019年09月24日

今年も

   またやって来る

 毎年瀬SANY0893.JPG戸市で開かれている招き猫祭り、今年で19回目になると思うが、私が参加して13年になると思う、早いものだと感じる。
 この招き猫祭りは今年も9月28日、29日に開催されるが、語呂合わせで29日と掛け合わせ「福くる」と言う語呂合わせで29日になったと言う。
 招き猫祭りは全国でも行われているが、瀬戸は磁器の招き猫発祥地とも言う事もあって、早くから開催して、多くの招き猫ファンが遠方より来て、当日は多くの人で賑わいを見せ、市内は招き猫の顔をえがいた人であふれ、招き猫一色になるのだ。
 この祭りは誰でも参加して良く、自由に参賀が出来るのも人気の一つ、猫メイクと呼ばれるメイクをすれば知らない人も直ぐにお友達、それがまた人気の秘密でもある。
 猫メイクも無料で描いてくれる処もあり、猫に変装する猫グッツも多く販売しているから、何も用意しなくても安く変身する事が出来る。

 大人も子供も一緒になって参加が出来、家族ずれが多DSCN0134.JPGいのもこの祭りの特色、毎年遠方より参加の人も多く、祭りで1年ぶりに再会する人も多いと聞くが、猫ファンにとっては待ちどおして祭りのよう、それも人気の秘密なのか。
 毎年古民家久米邸ではこの時期招き猫の展示をしており、今年も展示して招き猫ファンに見て貰う、しかし手持ちの招き猫は数が限られており、友人からこの時期借りて展示もしているが、これを見たさに遠方より来られる方もあり、逆にこちらがプレッシャーを感じ、今年はどの招き猫を展示するのか四苦八苦。
 勿論人気の招き猫は磁器で出来ている招き猫、毎年の事だが見に来た人は来年はどんな招き猫を見られるのか楽しみと、帰り際に私に言われると、こちらとしては物凄いプレッシャー、来年の展示が恐ろしくなってしまう。
 今年の展示は磁器物と土物が半々、果たして見学者は満足してくれるのか、今から早くもプレッシャーに押しつぶされそうである。

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2019年09月23日

彼岸花

   全国何処でも

 お彼岸の頃になると決まSANY1061.JPGって咲くのが彼岸花、あの独特の形をした真っ赤な花、その姿も奇妙なら咲いている風景も又くどくどしいもの。
 日本の各地のあぜ道に咲く花、川の土手に咲く花として誰しも知っている花でもあるが、この花程色々な別名を持った花も面白いもの。
 死人花、地獄花、幽霊花、蛇花、狐花など色々な呼び方をされている花でもあり、そのイメージはあまり良いものでもない。
 何故そんな呼び方をされるのか調べてみたら面白い結果に、花が咲いている場所との関係、特に墓地などで咲いてる事が多いため、「死人花」と呼ばれているとか。
 確かに墓地で咲いていればその様に呼ばれても仕方がないが、何故そんなイメージが生まれたのか、それにはこの花の持つ毒性にあるようだ。
 この花は球根、この球根には毒の成分が含まれているからとも言われ、人間に害を与える有害植物だからその様に呼ばれているとも。
 実際にアルカロイドが含まれており、勿論多量に摂取すれば人間も死に至る事に、やはり死人花と呼ばれる所以なのか。

 もともと日本固有の植物ではなく中国よりの渡来植物、そSANY1053.JPGの有害性からモグラやネズミの対策用としてあぜ道や墓地に植えたものだそうだ。
 古くから有害植物を逆手に取り、モグラやネズミ除けに植えられたが、非常食用にするために植えられたと言う説も、球根は毒性があるが水でさらせば水に毒性が流れ出し、球根は非常食になると言われ、その為に持ち込まれたとも言われている。
 何にしても死人花、地獄花とはあまり良い呼び名ではないもの、しかしその花が群生している風景は壮観であり、この時期の風物詩ともなっている事は確か。
 愛知県半田市の新見南吉の生家近くの川の土手には、全国有数の200万本の彼岸花が咲き、この時期観光名所となっている。
 川沿いの緑と赤のコントラストは見事で、訪れた人々はその風景に感激し、盛んにシャッターを切る姿があちこちで見受けられる。
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2019年09月22日

何時も下準備に苦労

    もう13年になる
DSCN0172.JPG
 地元のFMラジオに関わって早いもので13年になり、今年も招き猫祭りが開催されるが、その招き猫を題材として放送。
 毎年毎年招き猫祭りが開催されるが、人気はうなぎ登りになっており、今年も多くの参加者があると思う。
 今年は暦の関係で28日、29日の2日間と決まり開会され、何時もの様に古民家久米邸で40数個の招き猫を展示、どうにか開催に間に合ったと言う感じであった。
 何時もの事であるが毎年同じ招き猫ではと思い、少しづつ展示物を変えて開催しているのだが、展示となるとやはり人目を引くものが良いので、大きな招き猫を展示するように心がけている。
 勿論瀬戸で開催しているのだから、瀬戸で製造された招き猫が一番、見学者もそれを期待して来るのだから。
 私の手持ちの招き猫はそんなに数が多くは無く、一番大きな招き猫は70数センチのもの、これは陶器製のもの私は磁器の招き猫が好きで集め出したが、良いものがそんなにないので展示すると言っても気が引ける。
 しかし久米邸で展示して欲しいと言われて11年、久米邸は展示する所が多くあるので、40数個では迫力が無い、展示するからには迫力のあるものにしないと見学者に失礼に当たるからと、大きなものをと思うように、だが磁器製の招き猫は数も少なく、特に大きなものとなると極端に数がないのである。
 よく言われるのは、さぞかし多くの招き猫を持っておられるであろうと、そDSCN1319.JPGんな言葉を聞くとギョッとするのだ、無論数など多く持っておらず、その上良いものがないので、こんな言葉を聞くと心臓に悪いのだ。
 それでも11年やって来て、少しは見学者にも瀬戸の招き猫の良さが分かって貰えたのかと思っているが現在では常滑の招き猫が主流となってしまい、瀬戸の磁器製の招き猫は数が少ないので、普及していないようだ。
 ただ招き猫愛好家の間では磁器製の招き猫が人気、勿論市場に出れば直ぐに売れてしまう状況、やはり人気がある。
 今年の展示の目玉は瀬戸製の磁器の招き猫、高さは66センチと大きなもの、この大きさはそんなに数が無い。
 復刻版のものは存在しているが、古い物であると極端に数がないもので、愛好家には楽しんで貰えたと思う。
 年々見学者も増えて来て、その上期待して来られる方が多いので、満足して貰えるためには手持ちだけでは物足りなく、友人からも借りて来て展示をした。

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2019年09月21日

オークション

   恒例の行事

 日本古時計保存協会の恒例のミーティーング、協会では3か月に1回定期的に開催しているが、今回は9月の定例会議、今回も浜松の平野支部長の事務所での開催SANY0938.JPG
 今回はオークションの古時計が多く出品されると会員さんがはじめから古時計を物色、どれが良いのか見定めに真剣な態度。
 出品された古時計の中には会員で亡くなられた方の奥さんが出品され、数も多いが良い古時計が沢山あったので目移りがしたはず。
 何時もやっているオークションだが、種類と言い、数と言い、大量に出品されているので物色に忙しい会員さん達だ。
 毎回出品される古時計は当然会員さんが集めたもの、その中から会員さんが持参してオークションに出品、それぞれの好みもあるがやはり種類が多い事。
 掛時計もあれば置時計もあり、はたまた懐中時計もありと種類も豊富、当然の事会員さんが集めたものだから、見る方も目が肥えている。
 私も2つ以上同じ古時計があるものはオークションに今まで出品しており、数々の古時計が落札されたが、珍品も多く出した。

 勿論会員さんの要望があり、変わった古時計が欲しいと言われるが、中々手放せないもので出品に躊躇もする。
 しかし古時計を求める気持ちは自分自身が一番よく知っており、会員さんなら大事にしてくれるからと珍品も多く出してきた。
 そんな事もあり当然、あれも欲しい、これも欲しいと感じてしまい、目移りがしているように思う、確かに数が多い出品、それも会員さんが亡くなられての出品、全部売りたいとの意思、そんな事も今回のオークションが何時もと違っていた。
 結果は意思を尊重して全部出品物は完売、参加した会員さんも満足な古時計を手に入れられ、何台も購入された会員さんもいて、手に入れたものの品評会も後で開催。
 それぞれに手に入れたものを見せ合い、楽しいオークションと相成り、会員さんの笑顔があちこちで見受けられ、楽しいオークションとなった。

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2019年09月20日

彼 岸

    お 彼 岸

 SANY7595.JPG暑さ、寒さも彼岸までと言われる、お彼岸の日が昨日、9月20日から26日までが彼岸、その中間が秋分の日、暑かった夏は行く。
 昔からこれを境に暑さは遠のき、涼しい秋が来るはずであるが、果たして今年はどうなるのであろうか、早く涼しくなってもらはないと。
 彼岸と聞いても今年はやっぱりピンと来ないもので、何時もの彼岸ではないように思うが、しかし自然は確実にその気配を悟っている。
 彼岸と何気なしにくちにするが、この彼岸向こう岸との意味らしく、正しくは到彼岸、仏教では悟りを開いた極楽をあらわす向こう岸、此方は現世、此岸と言う。
 インドのサンスクリット語でバーラミターを漢字にすると(波羅蜜多)般若心経、日本には806年大同元年、時の祟道天皇、(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じ「七日金剛般若心経」を読まわしむと、日本後記に記されているが、これが日本最初とされている。

 日本的に言うと、極楽浄土はあの世であり、この世は河のこちら側現世、その間を流れるのが三途の川、この河を渡って極楽浄土に行く。SANY7674.JPG
 その三途の川の渡し賃が六文と決められているらしいのだが、まだ渡っていないから何とも言えないもの、マダマダこの世に存在しているのだ。
 彼岸と言えば「おはぎ」だ、私も小さい頃からおはぎは大好きであったし、お袋とよく作ったもので、米を半殺しにして丸く握るのだが、余りつぶしすぎても良くない。
 このつぶし加減が難しいもので、つぶしすぎると「ねちゃねちゃ」して歯ごたえが無く、つぶさないと「バサバサ」するもの、そのつぶし加減で旨くもなったり、不味くもなるものだ。

 このおはぎ、面白いもので春には「牡丹餅」と呼ばれるのだが、同じものでも春は牡丹餅、秋は「おはぎ」と言う、日本人らしい呼びかただ。
 季節によって同じものでも呼び方が違う、自然と一体化して暮らしてきた日本人の感性、その移り行く季節感を取り入れて来たもの。
 今年も少し遅い、彼岸花が咲き始めているが、まだ蕾の状態のものが多く、去年はもっとよく咲いていたもの、やっぱり夏が暑かったからだ。
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2019年09月19日

白い花

    これから
SANY2764.JPG
 まだまだ厚い夏のような日差し、残暑が厳しくてとても我慢が出来ないこのごろ、何時まで続くのかこの異常気象は、今年も過去にない猛暑になってしまった。
 年の始めには、今年の夏は例年並みもしくは少し涼しいと、其れを期待していたがとんでもない事に、猛暑日も一昨年と肩を並べ、この先抜くことは必定。
 そして異常気象による突然の豪雨、突如として襲い掛かる豪雨、何でこんな事になってしまったのか、温暖化に原因があると言われているが、果たしてどうだろうか。
 それにしても、この暑さ何時まで続くのか心配であるが、どうしようもない自然現象、我々人間にはどうしたら良いのか、行き先不安でもある。
 そんな此の頃、我家の小さな庭から良い香りがしだしたのだが、正体はジンジャーの白い花、何時もの事であるが、夏の終わりから秋にかけて一斉に咲く。
 やっぱり自然は正直なもの、徐々に秋を察しているのか白い花を広げざし、ほのかに香る優しい香り、この匂いを嗅ぐと秋が来る気配を感じるのだが、それにしても暑い。

 ジンジャー、インド原産の花、白い花が一般的らしいが、黄色や赤の花を持ったものもあり、これらは後から品種改良されたものらしい。
 ギリシャ語で「へディチュウム」、へディとは美味であり、チュウムは雪、つまり美味な雪と言うらしく、英語ではジンジャー、「赤毛の人」と言う意味らしい。
 国によって呼び方も云われも様々であるが、現在では我々が馴染みなのはジンジャーエール、スッキリとしたの飲み心地は何ともいえない美味しさである。
 スッキリとした味と爽やかな後味、正に秋にピッタリの飲み物で、頃からの季節暑さを忘れて、涼しい風に心もスッキリとしたいものだが。
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2019年09月18日

追いつきたい

    マイセンと肩を並べ
かっぷ.jpg
 尾張瀬戸の磁器は、幕末から現在まで作られてきたが、1番多く輸出されたのは戦前、戦後の時期、この時代が1番多く輸出され、又多く製造された事である。
 時代によって製造されたものは違いがあるが、大別すれば実用向きと装飾物に別れ、戦前に製造された物と戦後の物が違ってくるが、大別すれば前者は食器、後者は装飾物が中心のようである。
 当然の事であるが、高級品の輸出と一般物とは区別され、製造会社は其々の分野で、得意とするものが違っていたもの、この時代を象徴している。
 特に高級品を扱う企業は、秘密裏に磁器を製造して、部外者にはその製造方法を公開せず、独自の職人を雇い、自社製品の拡大を図っていた。
 職人は図柄や絵付け方法、燃焼技術など一切を部外に持ち出す事を厳しく監視、製造された商品の持ち出しにも、厳しい目が向けられて、企業秘密として管理されていた。
 当然の事であるが、製造途中で出来た不良品でも持ち出しは一切御法度、不良品は全て廃棄され、粉々に砕かれてその秘密が外部に漏れないように徹底管理されたと言う。

 この様な、徹底的に管理された中で製造された輸出物は、外貨獲得に大いに貢献した事は云うまでも無くSANY1173.JPG、愛知県の主要な輸出品であり、保護も当然なされていた。
 その中にはマイセン窯と競い合う商品も多く製造されていたが、門外不出であった為に、一般の人はその存在を知る人は、少なかったようである。
 当時の瀬戸の磁器は海外で、マイセンの商品と市場を競い合っていたので、「マイセンに追いつけ」、「追い越せ」の合言葉を掲げてマイセンの商品を超えるものを作り出そうとしていた。
 商品はすべてが一品ものであり、職人が分業で1番最高のものを生み出す努力を、惜しみなく発揮してマイセンを追い抜く技術の習得に励んでいた。
 写真、下はマイセンのカップ、上はマイセンに追い越す為に製造されたもの、当時の最高級のコーヒーカップ、すべてが手づくりで製造され、見事な出来栄えの物となっている。
 金も本金を採用、分厚く塗られており、花の図柄は一つ一つ細密に手で描かれており、現在之を再現するのには至難の業であると言われている。
 カップは足が三本付いており、ソーサーは縁をハートの形をくり貫いた、豪華なつくりになっていて、最高級品の香りを漂わせた一品である。










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2019年09月17日

まさか瀬戸

    くたびれもうけ 

SANY1729.JPG よくある話、遥々海外から運んできたのに、あけてビックリ里帰り品とは情けない事になったしまった。
 私は前から、イギリスの「スコッチウイスキー」の陶器のボトルが欲しくて、あちこち探したが気に入った物がなくてそのままになっていた。
 10年位前にイギリスの田舎でこのボトルを見つけ、早速買い入れ中身は現地で試飲してしまいボトルだけ持って帰った。
 スコッチウイスキーのボトルは数々あるが、陶器の気にいった物が無く、何時も帰りの空港で探しまわったものだ。
 友人が「中身さえ良ければ外の器等どうでも良いのと違うのか」と、そっけなく私の顔を見て呟いていた。
 確かに、彼の言う通りかもしれないが、そこが拘りで何でも良くは無いのだ、陶器のしかもイギリスらしいものが欲しいのだから。

 酒など飲んでしまえば、外身は何の価値も無い物であると、友人はSANY1734.JPG掃き捨てるように云うが、私にとってはボトルを見て、如何にもイギリスと分かる物が欲しくて、探しているのにケシカラン事をいう。
 呑んべいは酒さえ飲めれば器等どうでも良いかも知れないが、私にとっては大事な事。
 イギリスらしさとは、バグパイプを持ったおじさんの姿をしたウイスキーボトル、これを前から欲しくて探していたのに、ケチをつけるとはやはりケシカラン。
 そんなやり取りをしてイギリスから持ち帰ってきたが、後日瀬戸の廉売市で偶然同じボトルを見つけ、「このボトルを何故ここで販売しているのか」と尋ねてみた。
 すると思いがけない言葉が返ってきたのでビックリ、「これは40年位前に瀬戸で造られ、イギリスに輸出した物だから」と意外な返事だ。
 最近問屋が倒産して在庫から見つかった物を買い取り販売しているとの事、またまたビックリあれだけ探し回ったものが、地元瀬戸で製造された物であるとは、今までの苦労は何であったのか、情けないやら、可笑しいやら、「灯台もと暗し」とはよく言ったものだ。
 
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2019年09月16日

何処まで小型に

   小さくなる
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 古時計の中で小型の時計が人気なわけはどこに、以前から小型の掛時計は人気が高かったが、その人気に連れて値段も高くなってしまった。
 何時もの事だが多くの人たちが小型の時計を求めれば、当然数が少ないから値段が急騰することは必定である。
 物がないと分かると猶更欲しいと思うのも人情、その為に少しくらい高くても仕方がないと買い込む事になるのだ。
 これが負の連鎖であり、猶更拍車がかかってしまうことに、最高に高かったのはバブル以後のこと、今の値段の3倍はしていた。
 信じられないだろうが事実、それでも買い手がつくから、売る方としても笑いが止まらない、しかしこんな事は何時までも続くことはなく、自然消滅的に薄れていった。
 その原因は余りにも高値であることにあり、中国物がそれに目をつけて市場にコピーを輩出したので、これが引き金となる。

 コピーが出回ることにより、小型の時計は一気に人気がなくなり、値段が急落しSANY4646.JPGたのだが、これも欲しいと言う愛好家の性かもしれない。
 そこに付け込まれた人達はコピーを買い求めてしまい、失敗に気付くとともに、小型の時計に嫌気がさして、人気が薄れたのだ。
 今にして思えば何でそんな事になってしまったのかと、不思議に思う人も、しかし其処には愛好家の心理が働いたのであり、之はどうしようもない事。
 当然私も巻き込まれた一人、欲しいと言う心理は止められるものではなく、連鎖反応として行動してしまう。
 何時の時代も同じような繰り返しかもしれないのだが、この現象は一度だけではなく、波のように繰り返されるのである。

 そして一時底値の状態であった小型の掛け時計、最近また上昇傾向SANY4223.JPGにあり、新たな人気がぶり返してとも言われている。
 何故ならば中国製のコピーも、よりよく改造されて本物に近づいたのだが、目の肥えた愛好家もまた進歩したのだと思う。
 偽物を見抜く力をつけた人たちは、また小型の時計が欲しくなり、それよりも尚小型のものを探し始めたのだ。
 愛好家の無い物ねだりの始まりでもあり、それが再熱仕掛けていることは確か、最近はそれを探している人も多い。
 しかし時代に繰り返すというが、20年周期再熱化してきたよう、これからどんな動きをするのか興味のある所。
 もちろん本物の小型の時計は数は少ない事に変わりなく、当然上昇傾向になることは必定と思う、やはり今が買い得かもしれないが果たしてそれが正解かは、後になってみなければ分からず、これも人の心理のナセル仕業なのだと思う。
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2019年09月15日

赤とんぼ

      赤  蜻  蛉
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 秋の空に映えるのはやっぱり赤とんぼ、茜色の空高く飛ぶ赤とんぼは秋を代表するもの、誰もがこの赤とんぼを眺めれば何故かしら昔の事を思い出す。
 秋と赤とんぼは切り離せない風物詩でもあるようで、誰もが秋が深まった事を知るのであるが、最近は余り見かけなくなったのは非常に寂しい事、昔は空一杯に赤とんぼがこの時期飛んでいた。
 あの光景は今は見えず、それがまた人々の郷愁を誘うのかもしれないが、若い人達にとって赤とんぼはどんなふうに思われているのか、興味の湧くところである。
 この赤蜻蛉、色々な名前で呼ばれ「赤蜻蛉」、「秋茜」、「姫茜」、「深山茜」、「夏茜」などあり、又「八丁蜻蛉」、「猩猩蜻蛉」、「紅蜻蛉」と書く、この様に色々な面で季節感のつよい蜻蛉である。

 しかし、赤蜻蛉が人々の胸の中にあるのは、少し違っていると思われ「童謡唱歌、赤とんぼ」に帰するところが大きい、子供の頃に習った「赤とんぼの歌」、この歌がその原因であると思う。

   夕焼け小焼けの あかとんぼ 負われてみたのは  いつの日か
   
   十五でねえやは  嫁にゆき  おさとの便りも   たえはてた

   夕焼け小焼けの あかとんぼ  とまっているよ   竿の先
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 この歌、三木露風が作詞したもの、大正10年に北海道トラピスト修道院で窓から見えた赤とんぼ、竿の先に止まって動かなかったの詩にしたものである。
 三木露風が幼い時に過ごした播州龍野の町、秋の日の自分の姿を懐かしんで詠ったもの、両親の離婚により露風はお手伝いの「ねえや」に育てられ、背中に負ぶって貰っていた時の事を思い出して詩にしたのである。

 お手伝いの「ねえや」に育てられ、そのねえやが嫁に行ってしまった寂しさも詩の中に出てくるが、私はてっきり実の姉と思っていたが、育てて貰ったお手伝いさんであったと知った。
 そのな実体験をした露風だからこそ、この「赤とんぼ」の詩が書けたのであろうが、日本を代表する唱歌である事と、日本の抒情が1番良く出ている歌でもあり、人々の胸に響くのではないだろうか。
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2019年09月14日

白露

    秋がやって来る
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 やっぱり今年の夏は暑かった、9月に入っても暑さは中々収まらない日々、どうなってしまった日本の四季、地球温暖化で激変か。
 兎に角暑い、暑い、暑いの連発しかない日々、その上台風まで当たり年と来ているらしく、踏んだり蹴ったりの日本列島だ。
 出るのは愚痴ばかり、明るいニュースは何処へやら、最近の異常気象で竜巻まで起こる現実、全くどうなってしまったのか。
 そんな事を思いつつ、我家の小さな庭を覗くと、葉っぱの上に何やらキラリと光っているものが、雨が降ってきたのかと確かめるが降っていない。
 雨ではなく、どうやら夜露らしいのだが、マダマダ日中は30度を越しているのにと思いつつ、やっぱり確かめに庭に出て見ると、まちがいなく夜露だ。

 SANY7100.JPGそう言えば暑いので忘れていたが、9月8日は「白露」だった、暦の上では9月8日は「白露」と言って秋の入り口、この時期になのと夜露が現れる時期となる。
 昔から、白露は季題の1つ、秋を告げる言葉でもあり、幾つもの歌が歌われているが、この白露の言葉は「暦便覧」に、この様に出ている「陽気ようやく重なりて、露にごりて白色となれば也」とある。
 朝晩、温度が下がり露ができる様子を表現したのが白露と言うらしい。
 昔の人は自然を表現するのにも風情があるのだ、現代みたいな現実的な表現でない。
 夜露になったり、朝露になったりと、露1つにしても表現する字が違う。
 露にごりて白くなりから「白露」とよばれ、そして先人たちはこの季節の変わり目を多くの歌にしており、幾多の人々が白露を詠っている。

 松尾芭蕉は、    「しろつゆ(白露)を  こぼさぬ萩の  うねりかな」と詠い。

 与謝蕪村は、    「白露や  茨のはりに  ひとつづつ」と詠う。
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 芭蕉も蕪村も季節感を感じる句、萩と茨、同じ秋の風景を詠いながらも、芭蕉と蕪村の物のとらまえかたが違う、どちらがどうとは言い難いが。
  昔の人は自然から季節の変わり目をすばやくは察し、ふしふしをチャンと感じていたものであるが、現代人みたいに季節感も感じなくなってしまったとは、寂しい限りでもある。
 我々の感覚よりも草花は敏感に季節の変わりめを逸早く悟り、着実にその営みを続けているのだが、其れも季節が激変している現在、この先どうなる事やら。
 
 
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2019年09月13日

中秋の名月

    月  見

 中秋、まだ暑いこの頃、暦の上では秋半ばとなっていSANY0922.JPGるが、新暦になってから一ヶ月も季節が早くなったしまい、秋半ばと言われてもピンとこない。
 暦の上では今日9月13日が中秋(なかあき)、字の如く秋の真ん中と言う事、少し季節感がずれている事もあり、ピンと来ない人も多いだろう。
 昔からこの月のこの日の月を中秋の名月と言う、十五夜の中でも、最も美しい月が見れるのは今日、天気が良ければ美しい月が出るはず。
 昔からこの月を詠ったうたは数多く、色々な人が中秋の名月を称えている。

   月 月 に  月 見 る 月 は 多 け れ ど  月 見 る 月 は  こ の 月 の 月

   名 月 や  池 を め ぐ り て  夜 も す が ら

   名 月 や  取 っ て く れ ろ と  泣 く 子 か な

 日本人は昔から自然を愛し、自然に親しみ、自然と同居してSANY0936.JPGきたもの、特に月にたいする感覚は別もの、もの悲しい秋の代名詞であった。
 平安の昔は池に写った月をめでたらしく、池に船を浮かべて静かに鑑賞したと言われ、これが1番の月見であったとの事、今と大分違うものだ。
 また、1日早い月を待宵(まつよい)と言い、十五日は名月、その次の日は十六夜(いざよい)と言ったが、どの月も美しい表現であった。
 この日に曇りで月が見えない時の表現は「無月」とあらわし、雨が降ったときは「雨月」とあらわして、その時の状態をあらわしたもの。
 この様に日本人は繊細に月を上手くあらわして来たが、果たして今日は上手く月が見えるであろうか、統計では60パーセントの確立だそう。
 しかし現代の子供達はこの中秋の名月、どの様に感じているのもなのか、若い親たちが知らなければ子供にも伝わらないのだが、果たしてこれからも伝わって行くのだろうか。
 月見団子をお供えして、静かに月を観賞するのも良いものではないだろうか、天気が良ければ満月の美しい月が見られると思う。

 
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2019年09月12日

リプロ

    土台が良い

 アンティーク物は程度と雰囲気、これが一番大事だと思う、物が良いのはあたりSANY1072.JPG前の事だが、自分に合わないのは幾ら良くても欲しくはなく、自分好みのものしか要らない。
 勿論アンティークはいろいろなものが存在しており、どれを買うかは自分次第である。
 アンティーク物を使用する時は十分注意をしないといけない。
 当然の事だが古いものである以上故障するもの、特に電気製品は要注意。
 部品が古くなっていたり、普通の使用に耐えないものも多く、修理は当然の事であると思う事、電気製品は慎重のうえにも慎重にすることが肝心だと思う。
 自分で修理が出きれば良いのだが、電機ものはやはり専門の人に頼むことだと思う。
 後で失敗してからでは遅いから、これだけはプロに任さないといけない。
 アンティークとは、100年以上前のものでないと「アンティーク」とは呼ばないらしく、其れより新しい物は「ビンテージ」と呼ぶらしいが、日本ではその規定はない。
 何でも同じであるが幾ら高価な物でも、自分が欲しくない物は要らないのだ、それよりは別に高価でなくとも好きな物であけばそれで良い、高いから良いとも限らない。
 とまあ強がりを言ってしまったが、本音から言えば高い物は買えないとの結論、しかし安くても良い物もたくさんあり、其れを見出すのも腕の見せ所かもしれない。

 事実、目が利かなければ良い物と悪い物を見極められず、それには沢山の良いものを見るのが1番目が鍛えられ、その経験が目利きになる一番の早道でもある。
 何処かの誰かが良く言っているセリフ、「博物館に行って本物を見て学びSANY2104.JPGなさい」と、「多くの本物を見て覚えないと目利きにはならない」とも、やっぱり目の肥やしである。
 写真のランプ、之を買ったのはランプの土台が気に入ったから買い込んだもの、アンティークではなくリプロであり、現代に製造されたコピー商品である。
 しかし、雰囲気と云い、形と云い、そして何よりも土台のデザインが良く、このランプを見て一目で好きになり買い込んだが、普通はランプのガラスが良いから買い込むのが当たり前だ。
 私は、ランプに目もくれず、土台に目がくらんだといって良く、ランプは付いていれば良いと思っていたのだが、店の主人「之は新しい物ですから」と、再三念を押していたのが可笑しかったのだ。
 後で騙されたと言って来ることを恐れての事だと思う、しかし初めからそんな事は分かっており、ランプは自分の持っている古いものを変えれば済む。
 それよりも気に入ったものが付いている方がよく、自分好みのものを探すのは中々難しいものだから、見つけた時が買い時である。
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2019年09月11日

瀬戸物祭り

   在庫一掃
SANY0736.JPG
 全国的に有名な瀬戸市の瀬戸物祭り、陶器の祭りとしては最大の祭り、2日間で60万人の人出がある祭りだ、昔は業者が半分以上買い出しに来ていた。
 全国の問屋さんが安い出物を見つけ出すために買い出しに来ており、一般客に交じって値引き合戦をあちこちでやっていた。
 子供の頃は何であんなに買うのだろうと不思議でならなかったが、今にして思えば市価の半値以下、当たり前の事商売になるからだ、在庫一掃を目的とした瀬戸の陶器問屋は荷物を掃かせたいとの思いもあり、値引き合戦を繰り広げるのであるが、それを知らない人は何であんなに買い込むのか分からないだろう。
 その上、上物の器が多く市場価格の半値以下となれば業者も必死、他の商売敵に取られまいとして、会場を走り回る事になるが、そこにも熾烈な競争がある。

 毎年買いに来る客には売る方も安くし、まSANY0711.JPGた大量に買ってくれる者には値引きも多く、駆け引きも又見ていても面白いもの、売る方と買う方が互いの腹を見透かし、合戦を繰り広げる。
 本来はこの様な商売の人達が多く買いに来ていたが、今は一般の人達ばかり、商売人は少なくなってしまった様だ。
 これも時代の流れ、在庫品も以前のように多くはなく、値引き額も以前とは少し違って来たから、それも原因かもしれない。
 それよりも流通システムが違って来たから、どおしてもこの日に買い込まなくても良くなり、商売形態も変化したためでもある。
 それにしても60万人もの人達が押し寄せ、買い物をしている姿はやはり壮観、暑い日差しの下2日間の祭りが繰り広げられる。


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