2019年12月31日

除夜の鐘

   公害とは
 早いものでもう大晦日、あっという間の一年であったと思うが、今年ほどあかね.jpg災害の多い年はないと思う、各地で災害が発生し被災された方も多く、何とも言いようのない年であった。
過去にはこれほど多くの災害が発生した年も珍しいと言われるが、果たして温暖化のせい、これからも続くものだろうか心配だ。
 それにしても色々とあった年、年号も平成から令和へと変わったのだが、災害も受け継いだようで有難くない一年でもあった。
 私の一番のニュースはやっぱりイチロウ選手の引退が記憶に残るものだったが、今でもまだやれるのにと思っている。
 あのイチロウ選手今年引退するとは思っていなかっただけに残念でならない。
 まだまだやれると思っていたし、記録も伸ばして欲しかったがこれが現実と言うものなのか、現実は厳しいものなのだ。

 今年も今日一日、夜には除夜の鐘を聞いて年を越す事になるが、この除夜の鐘、先ごろの新聞やテレビでもやっていたが、除夜の鐘が消えているそうな、それも公害でと言うのだ。
 私には信じられない事だが、除夜の鐘がうるさいとして訴えている所が多いと聞き、信じられないが事実の様だ、それも各地でと言うのだ。
 一年の内それも30分もないと思う時間、大音量でもないのに、長い歴史に培われてきた伝統行事でもある除夜の鐘をうるさいとは日本はどうなってしまったのか、これを公害だから止めろと言うのも理解に苦しむ、日本人は何処に行く、皆さんはどう思われるのか、新しい年が良い年になるように。

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2019年12月30日

本来のガラス絵

   泥絵
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 ガラスに描いたものをガラス絵と言う、本来のガラス絵は泥絵の具で絵を描いてものだが、カラスに写真を張り付けてもガラス絵と称していた。
 元々はガラスは高価なもので、その上に絵を描くなど到底認めるものではなかったが、幕末の頃よりヨーロッパから安価なガラスが輸入されるようになる。
 元来ガラスは貴重品であったものが、大量生産が可能となり、価格も安くなったので他に扱いもされるようになる。
 それ以前はギヤマンと呼ばれており、高価なものとして扱われてきたから、それに絵を描くなどとんでもない事であったようだ。
 価格が下がり手に入るようになったので珍しさもあって、ガラス絵が流行することになるが、一般庶民にはそれでも高価であった。
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 幕末から明治にかけて、このガラス絵が流行するのにつれ、色々なものに使われるようになって行くことになる。
 ガラス絵の付いた小物入れが販売され、庶民の間で流行し、珍らしいものとして受け入れられ、多くのガラス絵がつくられるようになる。
 一般にはギヤマンからガラスに、ギヤマン派高そうに思えるがガラスは安そう、感覚的に新しいものと受け取られ、庶民の間に入り込んで行き、流行となったことも安価な証拠、憧れが現実のものとなった瞬間でもあると思う。
 時計にもそんなガラス絵が施され、人気を博することに、そこにも職人の技術と生き残りを図った作業ともいえる事、新たな仕事を見つけた事に。
 新時代になり新たな事業を与えられた様なもの、庶民の間に広がる事で、自分の仕事の継続が出来、一石二鳥とも言える出来事でもあった。
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2019年12月29日

そろそろ雛巡り

   明ければ直ぐ

SANY2384.JPG 毎年の事、瀬戸の雛巡りがやってくる時期となり、そろそろ準備に入らないと間に合わないので、これから展示するものを選定。
 毎年この時期から準備に入るのが恒例、来年展示するものを選定しなければ、準備に入れないので蔵から出すのだ。
 久米邸で展示する雛人形は蔵に保管されているから、蔵に入り来年度のひな人形を展示するか、物色するため。
 毎年展示はひな人形を変えて展示、見学に訪れる人々が飽きない様に、毎年展示を変えているから、前の年に展示したものは使わない。
 毎年久米邸で展示する御殿雛は5セット、手持ちの御殿雛は24セットあり、その中から地元名古屋の御殿、関東御殿、そして京都の御殿とセットにして展示しいる。
 その為に明治、大正、昭和と時代順に展示するのがきまり、SANY1884.JPG24セットの中から適当なものを選ぶことから始まる。

 毎年、毎年違った御殿を選んで蔵から出す事になるが、どけがどれだか忘れるので、いちいち確認してから出さなくてはならない。
 数が多いので選別するのにも一苦労するのだが、これを避けては通れないので仕方がなく、ひとつ、ひとつ、チェックするしかない。
 この時間が直ぐに終わる事はなく、ふたを開けては確認してから、また一つふたを開け、順番に進めるのだ。
 箱には写真が貼ってあり、外からでも確認はできるのだが、私でなければ分からず、人には頼めないので自分でやるしかない。
 しかしよく見ないと同じように御殿があり、間違えて蔵から出して、去年の物と分かりまたしまう事になる事も。
 問題なのはこの御殿に入れる雛人形のセットだ、セット数は十五人一セッSANY1912.JPGトで60セット以上あるから大変な事になる。
 このセットは時代別に分けてはいるが、程度が違い、良いものとそうでないものとがあり、同じ京都ものでも違いがある。
 だからその御殿に合うひな人形のセットを出さなくてはならず、これが一番面倒な作業で、毎年同じことをやっている。
 他の人からすれば、何で一目で分かるようにしないのかと、何時も言われるが、写真を外に貼ってはいるが、同じようなものが多くて大変。
 やはり自分目ので確かめ、去年の物とダブらない様にするには慎重に作業しなくてはいけない、失敗すると元に戻さなければならないから。
 今年は体調が良くない分、作業も早く進まないと思うし、自分でも自信がないので、他の人に手伝って貰わないと進まない。













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2019年12月28日

今年もあとわずか

    大掃除を開始
 DSCN1907.JPG毎年の事であるが自分の部屋、年末の掃除をやっと開始、しかし中々進まず四苦八苦、荷物が多過ぎるから。
 年に一度の大掃除、延ばし延ばしで今日まで来たが、流石にこれ以上延ばす訳にも行かず、仕方なしに開始はしたが。
 畳の上に置かれた時計をどかさなければ掃除は出来ず、これを何処に置くものかでストップ、何故ならばその時計も掃除をしなければならないからだ。
 片付けようと思っているのは棚の方であるが、その前に置かれている時計を除けないと掃除出来ないからだ。
 知らず知らずのうちに数が増え、畳の上にも置かれている古時計、先にこの時計を掃除しなければならず、面倒な事に。
我が家には掛けられない古時計が沢山あり、自分の部屋に寝かせてあるのだが、これが又多いのである。
 掛けられなければ買い込まなければ良いと思うのだが、そこは浅ましい古時計愛好家の類、欲しいと言う欲求を抑えられないのだ。
 掛ける所もないのに買い込み、後でどうするのか思案に暮れるが、買うその時は全然気にもしていないのである。
 それ故に後が厄介な事に、当然自分の部屋で寝かせることになり、それが次第に多くなり、結果は座る場所まで無くなってしまう。
 それでも止めないのだから、自分自身で呆れてしまうが、しかしすぐに忘れて、また同じことを繰り返す、結果現実は甘くない、買い込んだこれらの古時計を放置して、先が進むわけではなく、ツケが溜まって大変なことになるのだが。DSCN1905.JPG

 暮れも迫ってくれぱ当然家族からも、いい加減に部屋の掃除をして欲しいと、そして畳の上の時計を処分しろと言う。
 言われてみれば確かに座る場所さえないから、自分でもイケないとは思ってはいるが、何とかならないものなのか、他人事みたいに思っていても、何の解決にもならず、仕方なしに大掃除をする羽目に、しかし埃が溜まっている。
 埃を取り除けていると、確かこの時計はあの時買い込んだもの、これを手に入れるのに苦労してと思い出す、するととたんに手が止まり、この時計調子が悪かった事に気が付き、文字盤を外して機械を見る事に、確かに機械が良くない、振り竿のバネが切れそうになっているから、それを取り換えて調子を見る事にした。
 バネを変えたおかげで調子は良くなったが、ゼンマイが錆びついているように見え、これも取り除かないとイケないが、今度はゼンマイを掃除するために機械を分解しなければ、作業開始であるが、棚の掃除をどうするものか、どちらが先にしなければならないものかと、取り留めもない事を感じながら、機械の分解に入ってしまった。
 棚の掃除はどうするのか、もう日にちは無いのに、こんな事をしていて良いのか、後が大変な事になる事は必定。



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2019年12月27日

今年最後

   自然薯

 我が家は自然薯が好きで暮れから正月にかけて食べるのが通SANY1749.JPG例となっているが、他の人に言わせると何で自然薯かと言うのだ。
 たしかに何故自然薯かと言うと我が家は親父の代から自然薯を食べて来たが、私も子供の頃から親父に教えられ自然薯の作り方を教わった。
 勿論自然の芋、親父と自然薯を山に取りにも行った事も多く、取って来たものは当然の事暮れから正月にかけて食べていたものだ。
 この地方では秋には自然薯を食べる風習があり、各家庭でも食べていたから、我が家だけ特別なものではない。
 しかし昨今家庭ではあまり食べないよう、それは天然の自然薯が極端に少なくなったから、その上天然の芋はマツタケと同じようにねだんが高騰したからだ。
 高い自然薯を敢えて買い込んで食べなくとも良いと思う人が増え、今では家庭で食べる事も少なく、店で食べるだけと言う人が多くなった。
 しかし自然薯を嫌いになった訳ではなく、単に値段が高いからと言う事、それ位に天然の自然薯は少なくなった。

 そんな自然薯も畑で栽培されたものが市場に出回SANY1744.JPGり、天然と比べれば味も香りも落ちるが、手に入り易くなったことは確か、量も多くなった。
 我が家は天然の自然薯が届くからその点では幸せ、友人は持つべきであると痛感、自然薯は天然に限ると思っている。
 それを可能にしているのは友人の努力の賜物と、感謝しつつ今日も自然薯を食べる事になるが、その為には自分で努力しないと食べれない。
 親父仕込みの自然薯を摩り下ろすところから始め、時間をかけて摩り下ろして行き、出汁の利いた汁で少し薄めるが、その薄め方にも拘る。
 親父もそうであったように私もこれに拘り、兎に角よく摩り下ろし、時間がかかるのは当たり前であるが、それか自然薯を食べると言う事だと思っている。
 この地方の人は天然の自然薯は山よりの贈り物と思っていて、今日も何処かの家で自然薯を摩り下ろしていることだろう。
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招き猫新旧

   どれが古いのか
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 招き猫、商売繁盛を願って買い求める人、店の看板として店頭で客を呼び込む、それが招き猫の役目。
 色々な説があるが、この招き猫、そんな事とは関係なく可愛らしいから買い求める人もまた多いのだ。
 商売繁盛を願うだけでなく、貯金箱としても昔から作られているもので、その為に買い求める人も居る。
 いずれにしろ招き猫は人気が高い置物で、日本各地で製造されており、土産物としても役目を果たしているのだ。
 何処の産地の物が人気かと言えば、年齢によって分かれるから不思議、もちろん古くから作られている所と新しい所とある。
 若い人は自分のDSCN0136.JPG感覚で買い求める人が多く、新しいものが好きなようで、現代的なものにも人気だ。
 昔ながらの招き猫ではなく、カラフルな招き猫が好きなようで、最近の招き猫は七色以上の色が存在している。

 招き猫と言えば三毛猫と決まっていたのだが、現在ではその定番も無くなってしまったような気がする。
 そこで良く質問されるのが、どの招き猫が古いのかと、見分け方が知りたいと、そんな質問が最近多い。
 裏を返すと現代的な招き猫ばかりで、古い形式の招き猫が少なくなって来たものなのか、それともカラフルになっただけか。
 古い招き猫は三毛猫、これが定番のスタイル、そして手の位置が顔の真ん中より下にあるものが古いSANY8627.JPG物。
 産地は別にして、左右どちらの手もこの位置にあるものが古い招き猫、その後だんだんに手の位置が上に上がって来て、最近では手を頭の上たかく上げている。
 これは遠くの客を呼び寄せたいとの願望から、手の位置が高くなってまったよう、そして手も古い物の倍近く大きくなっている。
 そんな事を気にして招き猫を観察してみると、古い物と新しい物とが区別がつく様になると思う。
 もっとも現代的な招き猫は顔が丸くて、目が大きくてパッチリしているから、昔のスタイルの招き猫は目を見ても分かるようになる。
 一度、このような観点で招き猫を観察して見てはどうだろうか、面白い結果が見えて来ると思う。





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2019年12月26日

取っ手

   何故ここに
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 古時計とは面白いもので種類が多くて全体像がつかめず、どけだけ有るものなのか想像もできない位の多さであると思う。
 はじめは自分なりに分かったつもりで始めたが、古時計を求めれば求めるだけ湧いてきて、求めたと思えば又湧いてくる始末。
 当初はある程度集めたら止めるつもりでいたが、一向にやめることが出来ず、づるづると今日まで来てしまった。
 自分でも分からないが、限度と言うものがあり、それをするのも本人次第、どこが限度か本人にもやっぱり分からない。
 分からないと言うよりも、ここで打ち止めと止める事が出来ないと言うのが正しいかも知れないか、それとも挽きずり込まれてしまうのかである。
 人には限界と言うものは存在し、それが金であったり、場所であったり、継続する気持ちであったりと、条件は様々ある。
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 欲しいと思っていた古時計が手に入ったらそれで打ち止めと、心に決めて蒐集するが、目的のものが手に入ると、直ぐに考えを変えて、もう一台欲しいものがあると思う。
 これは経験した人しかわからないと思うが、この辺で止めようと何度となく思うが、その都度もう一台だけで止めようと。
 そんな事の繰り返しで結果は延々と続けてしまう人が多い、勿論私だ。
 そんな思いをした古時計がこの時計、手に入れた時はこれで止めようと思ってもの、しかし今も古時計を探し続けている。
 情けない話であるが止めれないのは自分の弱さからだと反省しきり。

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2019年12月25日

クリスマス

    プレゼント

 きょう12月25日はクSANY0618.JPGリスマス、キリスト誕生を祝う日であるが、日本に広まったとされるのは1552年、山口県山口市で行われたミサが最初と言われている。
 しかし、その後キリスト教はご禁制となり、明治までその姿を現すことは無かったが、明治33年に明治屋が銀座に進出したおり、クリスマス商戦と打って出たのがクリスマスの始まりと言われる。
 日本のクリスマスはキリスト教とは関係なく、あくまでも商売の為の商戦であって、信仰心から出てくるものではなく、単なるお遊びに過ぎない。
 商店の年末売り出しの格好の目玉にされ、一般庶民が踊らされているに過ぎず、商店もキリスト教徒信仰は無縁のもの、世界的に見れば日本が特殊な国である。
 明治時代に始まったクリスマス商戦、時代ごとに変遷を重ねてゆくが、あくまでも商売が優先、大人達が酒場で馬鹿騒ぎした時代もあったが、これすら子供たちのクリスマスではなかった。
 大正から昭和にかけて、このクリスマス多少家族の事も考え出してきたが、ヤッパリ大人中心であったもので、子供たちがプレゼントを待ちわびる様になるのは戦後の事。
 昭和30年代から40年代、クリスマスケーキが流行り、各家庭に持ち帰る大人たちの姿が、この時期多く見受けられたものだ。
 この時期のクリスマスケーキはバターケーキ、今の様な生クリームケーキではなく、日持ちのするケーキであり、私も子供の頃、2、3日かけて食べた記憶がある。
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 そんな時代に売り出されたのがサンタクロースの時計、ミケンから出された安価な時計で、子供たちには人気のあった時計だ。
 この時の時計はまだ木製のボディーを取り入れていたもの、その後直ぐにプラスチックボディーとなってしまい、一時代が終った。
 そしてもう1つがスノードーム、この商品も長く愛されてきたもの、現在でも人気があり、長い時代にわたって愛されている玩具。
 クリスマスときたらスノードーム、中に入っているのはサンタクロースと雪ダルマ、如何にもクリスマスらしい玩具、長く愛されるだけのムードを持った玩具だ。
 しかし、現在のクリスマスのプレゼントは高価なものが多すぎると思うが、子供たちのゲーム機に2、3万もするものばかり、こんな高価なものを買い与えるのも考えものだ。
 商売上手な人たちの陰謀のように思われてならないのだが、其れに引っ掛かる大人たちにも、少しは昔の質素なクリスマスに戻ってもらいたいものだ。

 
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2019年12月24日

忘年会

   何時ものメンバー

 毎年この時期になると誰とはなしに呑む話ばかり、SANY2472.JPG別に酒に困っている訳でもないのに、やたらと電話が入るのだ。
 話は分かっているが誰が音頭をとるか、それが問題でやたらと電話ばかりかかる、結果ははじめに呑むことを話したものがセッティングする事になる。
 それをしたくないから電話で誘いをかけるのだが、そんな事は百も承知しており、誰もその話に乗らない、しかしつい誘いに乗って自分がセットする羽目になった。
 何度も電話してくるから、うるさくて結果は根気負け、宿を探さなければならず、何時も使う宿に電話をしたが満員との事。
 奴らもそれを見越しての事でこちらに押し付けて来たのだが、こちらが弱気になったのが運の尽き、宿探しに専念する事になる。
 どうせ呑むだけの事だから宿はそこそこで良いが、そのそこそこが見つからないので四苦八苦、結果は良く研修会で使った宿、只風呂に入って寝るだけの宿。

 場所を奴らに教えると「何処でも良い寝るだSANY2476.JPGけだけだから」と、確かに何時もの事で呑んで寝るだけだが、やはり料理も良い方がと思う。
 しかしこの宿は研修会用の宿、何時もの定食が出るだけ、それでも良いから集まると言う、何でそこまで呑みたいのかと思うが、これも忘年会と割り切る事に。
 問題は酒をどんなものにするかだ、持ち込みは可能だから、個人、個人で持ち寄れは事足りるので好きな酒を持って来るように連絡する。
 すると奴らから「お前の所にある酒を持ってきたら」と、皆が前から目を付けている酒をもってこいとの事だ、奴らはそれを目的で私にワザと宿を取らせ、その酒を呑むために仕掛けた事かと、奴らの罠にはまったと感じたが後の祭り。
 結局奴らの思う壺で私を幹事にして、その酒を呑むたくらみ、まんまと奴らの策にハマり酒まで取られるとは自分なりに情けないと思った事か。
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2019年12月23日

野沢菜

      信州の漬物
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 冬場に食べる漬物の味は又格別だが、さらにスキー場の民宿で出された漬物の味、実にうまくて忘れられないもの、寒くて仕方が無い時に、コタツの中で食べた漬物。
 あの味はスキー場の味として頭の中から離れないが、其れを買い込んで家で食べると、何だか違った味がするが、気のせいであろうか、嫌々それは違う、実は気温が関係しているとのこと、スキー場の気温と家の周りの気温とでは気温差があり、その気温差が味に関係するらしい。
 漬物は寒い所で食べるのが1番、暖かいところではあの味が出ない、ヤッパリ漬物は震えながら食べるのが旨いのだと実感、現地で食べるから美味しく感じるのだ。
 その野沢菜、実際に漬物になる前の姿を見たことが無かったが、これが野沢菜だよと言われた野菜、大きな葉っぱのついたもの、これが野沢菜と言われてもピンとこない。

 土間に沢山積まれていたが、漬物として食べるものはきざまれ小さくなったものだから、葉っぱや茎がついたものは見たことが無く、これが漬物になるのだと実感。
 この野沢菜何も信州だけの野菜にあらず、寒い地域には沢山栽培されている良し、信州の野沢地方だけで栽培されているものだと、今までは思っていた。
 野沢温泉で出される野沢菜の漬物、お茶づけによし、そのまま食べても良し、炒めて食べるのも良し、万能野菜冬の食べ物では最高だと思う。
 ある民宿で教えてもらった野沢菜を使った料理、野沢菜の古漬けを鉄板に油を引き、炒めた後最後に卵を入れたかき回し、火から下ろしてから唐辛子をかけて食べる。
 これが又旨いの何の、ご飯が何倍でも進む、始めにこれを見たときは、とても食べれるものではないと思っていたが、ノックアウトされたような衝撃であった。
 其れ以来、この食べ物が病み付きとなってしまったが、人に勧めると殆どの人が尻込みを、野沢菜とは食べ物を美味しくする要素を持った野菜、自在に変化して全く違った食べ物になる野菜でもある。
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2019年12月22日

冬至

    夜が1番長い日

 SANY3462.JPG今日12月22日は二十四節気のうち冬至、1年を24に分割して、節目節目に其々の名前が付いているが、最後の節が冬至、昼夜の時間が、昼が1番短くて、夜が1番長い日が冬至。
 天文学的に云えば、太陽が一番低い高さにある時、つまり日がさす時間が1番短い事になる日、昔は1年で夜が1番長いことから、邪気が入り込むと信じられていた。
 そのために疫病が流行ると信じられ、其れを避けるための行事も各地で行われ、この日が災いを運んでくる日とされた様、今でも我々が行っている「ゆず湯」。
 あの「ゆず湯」、実は疫病から体を守る役目を果たす為に、風呂にゆずをいれて全身にゆずの成分を付けるためのもの、ゆずの香りは邪気を追い払う事が出来ると信じられていた。
 事実、ゆずの成分は血行を促進する働きがあり、全身ゆずの成分を浴びることにより、風邪をひかないと言われており、体を温める効果がある。

 そしてもう1つが「かぼちゃ」、冬至の日にはかぼちゃを食べる風習があり、全国各地でこの時期かぼちゃを食べて過ごす、これは冬場野菜の少ない時期に当たり、温に収穫したかぼちゃをこの日まで取っておき、野菜不足と栄養を補給した。
 かぼちゃは保存が利き、冬まで保管がきく野菜であり、栄養価もあることから冬場の食べ物として重宝されてが、栄養学的にも理に適った食べ方であるらしい。
 かぼちゃは昔から中風に利く野菜として知られており、脳卒中の予防の一番の野菜らしいが、科学的にも立証されている事から、昔の人は流石である。
 その他、この時期に小豆粥を食べる風習のところもあり、邪気を小豆の赤い色が追い払うとされており、小豆粥を食べるらしいが、小豆とかぼちゃの従兄弟煮を食べるところもある。
 又、うんの字がつく食べ物を取るところも、例えばうどん、きんかん、れんこん、みかんなどの字にうんがつく食べ物を食べる風習も、冬至ならではである。
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2019年12月21日

今年も

   またやって来る
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 瀬戸の雛巡り、私が参加してすでに13年になるが、この時期から始めないと間に合わなくなるから今から準備をはじめ出す。
 毎年20何か所も展示をしているから、それにあわせて雛人形を選定しなければならず、この時期から始めるのが習慣となっている。
 展示する箇所が多い事は其れなりに雛人形の種類を選定する必要があり、一つ一つ選定して行が、毎年同じもので展示はしない。
 毎年見学に訪れてくれている人も多く、そんな人たちに喜んで見て貰うためには当然工夫が必要、そこが展示の難しさでもある。
 期待して見学に訪れて、ガッカリさせては申し訳なく、計画的に準備が必要、持っている雛人形をどう展示するか思案のしどころ。
 しかし20数か所となると数が多い分、変化を持たせるのも大変な事、やはり計画が大事な作業、ジックリと練らなくてはならない。

 そんな事で今日も在庫の雛人形を出して構想を練る事にしたが、頭のSANY1491.JPG中で計画している雛人形が出てこない、何処にしまったのか。
 スタッフが協力してくれたので運搬の時、何処にしまったかは彼等、しかし私が探すとなると居場所が分からない。
 普通の数であればそなん事はないが、数が多過ぎて自分でも記憶を辿るけど見つけ難いことに、何処に隠れたか探すしかない。
 展示が終わった後、スタッフと一緒に搬入したがやはり記憶があいまい、あると思っていた所に探し物はなく、またまた焦る事になる。
 自分で思っている以上に記憶がなく、若い時にはこんな事はなかったのにと、そんな思いになるのも歳をとった証拠だ、しかし時間がない事も焦る要因になっている。
 自分が思っていた所に物がないと焦り出し、そんなに焦る事ないのにと思うのは他人だけで、自分ではやはり何でないのかと焦り出してしまうから厄介な事。

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2019年12月20日

羽子板

   女の子の厄除
 羽子板と言えば羽根つき、以前であればお正月SANY0464.JPGにはあちらこちらで羽根つきが盛んにおこなわれていたが、最近では見た事が無い、昔のお正月は羽根つきと凧揚げ、子供の遊びと言えば二大遊びと言えるもの、大概の子供はこれで遊んでいたものだ。
 特に女の子は羽子板をもって羽根つきで遊んでいたものだが、それが今では床の間で厄除けと成りすましている。
 以前の羽子板と現在の羽子板とでは別段に違いがあり、今の羽子板は豪華すぎるもの、これでは羽根つきは出来ない、出来ないと言うよりも、はじめから遊ぶものではなく女の子の厄除け、飾り物として造られた羽子板である。
 もとは中国渡来の遊びと言われており、平安時代に日本に渡来したと言われているもの、それが当初とはまったく違ったものになり、江戸時代には庶民の遊びとなったようだ。
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 そして武家社会で厄除けの飾り物として変化をし、破魔矢と羽子板が厄払いの品物に変化していったと言う事らしい、諸説あるが武家のこの様な儀式的なものを一般庶民も真似るようになり、縁起物として発達し、羽根つきをする羽子板とは区別して行ったと言う。
 勿論この時にも羽根突き遊び用の羽子板は存在しており、庶民の遊びとして行われ、現代まで受け継がれてきたが、片方の縁起物としての羽子板は江戸時代に豪華に発達し役者絵や娘ものが人気、特に役者絵は人気が高かった。
 浅草の浅草寺の羽子板市がそれの流れを汲んでいるもので、現代でも盛んに行われているが形態は変化している、何にしても今の羽子板は縁起物の羽子板が多く、羽根つき用のものは影を潜めている様だが、製造はされていると言う。
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2019年12月19日

ヤッパリ柿

   ことしも

 この時期になると待望の柿がやって来るので、どの柿から食SANY3471.JPGべようかと迷う事になるが、一番多いのがやはり富有柿、柿の王様と言われる。
 有難い事に我が家は柿が何処となしに届く、毎年友人から柿が届き、この時期が一番多く、柿の食べ比べをするくらい贅沢な話。
 何故かしら柿には縁があり、しかも友人宅が柿農家ときているから、高級の柿が届く仕組み、普段では自分で柿をあまり買わない。
 買わないと言うよりも送って来る柿よりも、店にある柿の方が良くないからだが、贔屓目に見ても送って来る柿の方が旨い。
 今は富有柿が一番、この柿は大きくて甘く、その上旨い柿の王様と呼ばれるだけの事はあるが、食べすぎて胃の調子が悪くなるのもこの時期。
 贅沢な話だが柿の食べ過ぎ、朝はパンに挟んで食べるのが習慣、人はそんな食べ方は聞いたことがないと言うが、これが一番旨いと確信する。
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 大きな富有柿をスライスして、パンにバターをたっぷりと付け、スライスした柿を挟んで食べるのが最高に旨い。
 あるテレビ番組でこの食べ方が一番理にかなった食べ方と紹介されていたが、私は前々からこの食べ方を実践してきたが、人からは邪道だとか、気持ちが悪いとか言われて来た。
 しかし柿は血行を良くするもので、高血圧に良いとされる食べ物であると立証されている、また利尿効果もあり、二日酔いにはもってこいの食べ物だそうだ。
 柿の効用は数知れず、勿論食べ過ぎには良くないが、効用の方は間違いなく優れた食べ物であると言う事、しかし食べ過ぎに気注意しないと、幾ら好きでも胃が持たないので、そこそこで食べるのを控えているが、ツイツイ手が出て食べ過ぎる事になる。
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2019年12月18日

今年最後

   オークション

 先日浜松のNKで開催された浜松ミーティDSCN1981.JPGング、今年最後であったが人数が少し少なかった、これも師走のせいかも知れない。
 12月師走は字の如く忙しい月、誰しも今年最後の月だから何かと忙しく、ミーティングには出たいが仕事が先であると思う。
 そんな中何時もの会員さんが集まり、ミーティングが開催され、議題は今後の古時計保存協会の事だ。
 私も体力的に限界を迎え、あちらこちらに行く事もきつくなり出したので、今後の事について話し合わないとイケナイと思っていた。
 現在は3か月に1回の開催予定、瀬戸と浜松での開催であるが、駐車場の問題もあり、他で中々できないと思っている。
 もっと他で開催したいが、会場の関係と費用の問題で、浜松の平野さんの所で開催しているが、迷惑をかけていることは間違いない。

 会のあり方も論議しなくてはいけないDSCN1985.JPGが、その先が進まない事に、会場の問題であるが、少なくとも車が15台以上止まらないと会場にならず、それが問題の一つ。
 公共の場所を借りれば良いが、中々適当な場所がないのも現実、来年の3月をめどに協議していく事にした。
 当日のオークションは全員参加ではじまり、多くの古時計が落札されたが、他で買えば高い古時計が安く手に入る。
 何時もの事だが市価よりも安い値段で競り合いが続くが、自分の思っている価格とのせめぎ合い、安く買いたいと思う心理との戦いである。
 それもまたオークションの魅力、今回も高級機から普及品まで幅広く出品されていたが、中々思う様にはいかないのだ、それがオークションでもある。
 色々とあったが一年が過ぎた、新しい年に期待を込めて楽しい会を擁したいものだ。
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2019年12月17日

比較して

   人気者
SANY1846.JPG
 古時計の内でもフクロウ時計は人気が高くて、ネットに出てもすぐに売れてしまい、また高額の値段で落札されているものだ。
 人気も高いが値段も高い、それがフクロウ時計の魅力、カラクリ仕掛けと言ってもそんなに難しい機構ではなく、簡単な機構、それでもって人気が高いから、人を引き付ける何かが備わっている時計であろう。
 一番はヤッパリ惚けた顔、どのフクロウ時計も個性のある惚けた顔をしており、人気の秘密もここら辺りにあると思う。
 勿論なき声も魅力の一つ、鳩時計と少し違った鳴き声であるが、顔と相まってこちらの方が良く合っているように聞こえ、その上目玉が大きくて左右に動く事も人気の要素、小型のフクロウ時計は目玉が左右に動くだけでこれは鳴かないのだ。

 しかし鳴かないから人気がない訳でなく、小型のフクDSCN1988.JPGロウは可愛らしいのが魅力、小さい姿は子供達にも人気、子供部屋に掛けてあると楽しい時計となる、顔も大型の梟時計と違い、丸くて少しへしゃけている事も可愛らしさを際立たせ、惚けた顔になっている。
 この梟時計各社から出されているが、最盛期は輸出用の時計で、主にアメリカ向けにつくられたもの、オキュバイドジャパンと刻印がある。
 占領下の日本で外貨獲得にこのフクロウたちが頑張ってくれた御かげで外貨獲得につながった事は周知の事実、やはり一番人気は子持ちのフクロウ時計と言われているが、ネットに出れば引っ張りだこ、高額で落札され、それだけフクロウ時計は古時計愛好家ならずとも、部屋に掛けておくだけで楽しくなる時計、人気の秘密が理解できるような気がする。
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2019年12月16日

友人を偲び

   若かりし頃
 木曽路は私にとっては思いで深い土地、たじまや.jpgはじめてここを訪れたのは高校時代、夏休みに友人と出掛け妻籠と馬籠に泊ったが、それ以来何度となく訪れた場所。
 その友人との思い出の宿が但馬屋、前の日に妻籠の生駒屋で泊まり、馬籠峠を越えてこの但馬屋に泊った。
 その時はまだ街道ブームでもなかったから、泊り客は少なく我々と別のグループだけ、確か7、8人の泊り客であったと思う。
 当時は馬籠宿も静かな所で、特に夜になると人の声が遠くからでも聞こえて来る静けさ、そんな状態であった。
 今では考えられない位の静けさで、表を歩く下駄の音が遠くから聞こえてもしたが、宿は賑やかであった。
 それは夕食後、但馬屋のご主人が炉端で木曽節を教えてくれたから、それも政調木曽節、今詠われているものとは少し違い、テンポも遅く哀愁に満ちた歌い方。
 それを懐かしい炉端で聞くから、一層の旅心を誘い、今でもあの時の木曽節は頭の中にこびりついている。

 その後、この但馬屋は何度となく通い、特に思い出のある部屋は街道に面した西の角部屋、ここ部屋で友人3人とよく泊まった。
 角部屋であるから西の窓から下に伸びる街道が良く見え、秋などは夕日の落ちるのをジックリと眺めていたのを思い出す。
 そんな友人の一人が若くして癌で逝ってしまい、彼が生前病が治ったらまた旅をしようと言っていたが実現しなかった。
 彼がこの宿に来たかったのだと、そんな思いで12月には彼を偲びこの宿に泊まる事にしているのだが、この所少し遠退いているから、今年こそ行く事にしている。
 12月は暇な時期だから、角部屋も予約すれば取れると思う、あの部屋から彼を偲び夕日を見たいと思っている。



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2019年12月15日

茅葺き

   厚みがすごい
 日本家屋であった茅葺きの家、以前いしぐみ.jpgは田舎へ行けばそこそこみられた民家、しかし現在では見る事が稀で、姿を消してしまった。
 現存している建物は白川郷や指定された公園などで移築され、それを見ることは出来るが、日常では見かける事もないのだ。
 そんな茅葺きの家屋、何となしに分かったつもりでいるが、実際にどの様にような建物なのかと聞かれれば答えられたなと思う。
 然しか我々の周りから消えたしまった茅葺きの家屋、何故姿を消しているものなのか、それは維持する事が大変だから、消えて行く運命なのだと思う。
 では茅とは何ぞやと説明しろと言われれば説明する事は出来ないと思うが、ただ何となく分かったつもりでいるから不思議である。
 それは見た事があるから分かったつもりでいるだけの事、茅がどんな物かも知らず、おぼろげに分かっているだけで、これだと言うこと出来ない、昔は目にしたことがある茅のある風景、それが現代では見る機会はなく、見ていたもそれが茅だとは気付いていない。
 茅とはイネ科の植物で、ススキやスゲ、茅を指すが以前は専用に栽培していたが、現在は栽培も下火になり、必要な分だけ栽培している。かや.jpg

 日本全国に生えている植物で手に入り易かったが、今では中々難しくなってしまった。
 茅科の植物で特に屋根の素材として用いられ、大量にいる事が毎年刈り取り屋根をふくために溜めておき、その材料で屋根を葺く事になる、何気なしに茅葺きの屋根を見ているが、実際に屋根をじっくりと見れば茅の厚さに驚かされ、これだけ厚く葺かないといけないと感心する。
 屋根の厚さは1メイトル位も厚く、大量の茅が必要である事に改めて気付かされ、何処から調達するのかと逆に心配となるものだ。
 今はこんなに茅がなく、これを葺く為には技術と共に多くの人材が必要、その為に現在では茅葺きの家屋が姿を消した最大の原因であると言う、やはり改めて見て日本家屋は土地のものを利用して造られている事に気付き、保存が大変であると再度認識されるのだ。
 それにしてもあの厚さは凄く、あれだけ厚くないと屋根も持たないと教えられる事に、やはり日本家屋は凄いと感心する事しきり。


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2019年12月14日

忠臣蔵真実は

   忠臣蔵始末記
 SANY0434.JPG
 映画47人の刺客、これは忠臣蔵を現代的に解釈したもの、衣装は忠実に再現、昔の伝えられた姿とは違う、真実らしく見え、この方が史実に忠実といえ、やはり芝居の姿とは違いがある。
 元禄15年12月14日赤穂浪士47士吉良邸に討ち入り、世に言う赤穂事件であり、忠臣蔵討ち入りの事実、日本人好みの仇うちである。
 時は元禄、武士の世も平穏無事で戦はなく、武家社会もマンネリ化を来たしていた時期、突如として起こった仇うち事件、日本中が大騒ぎ。
 300年を経過した今でも忠臣蔵として語りつくされて来たもの、日本人の好きな、艱難辛苦に耐え、主君の仇討ちをしたこの事件であるが、しかし、この事件の真相は藪の中、果たして浅野内匠頭が人情に出た真相、何故吉良上野介に切りかかったのか、しかも殿中での事、ご法度を無視して。SANY0441.JPG
 この真相が明らかになっていないのは、当時素早く処理をしたので、事実確認が疎かであったのと、幕府が処理を誤った事に由来するとも言われている。
 実際に事件のあった松の廊下は、昼間でも薄暗くて、相手をハッキリと定められるのは近距離でしか発見できない状態であったから、浅野が吉良に切りつけたのは至近距離であった。
 にも拘らず短刀で切りつけるとは武士としておかしい、本来なら刺すのが当たり前、切りつけても命は取れず、武士として聊かの疑問が残る。

 浅野が武道に対して素養がなかったのか、それとも吉良が逃げ回った為、刺せれなかったのか、疑問だらけでもあるのだが、事実は切りかかったようだ。
 殿中での抜刀は御法度、しかしこれ以前にも似たような事件は起こっており、首謀者も切腹はしていないようで、何故浅野だけが即日切腹されられたのか。
 ここにも当時の定に疑問だらけ、それは兎も角、忠臣蔵では赤穂浪士が主君の仇討SANY1303.JPGちを遂げることが出来たが、何故襲撃が成功したのかも疑問でもある。
 当時は夜半ろとうを組むこと事態不可能、夜間は大勢で武器を持って歩くことすら難しい情勢であったので、ここら当たりも何故吉良邸まで見つからなかったのか。
 浪人が武装して夜半団体で行動すれば、検問に引っ掛かるはず、まして武装集団であり、取締りがあっても不思議ではないのだが、如何して網の目を潜る事が出来たのか。
 そして吉良邸へ討ち入りした時にも、当然物音もして近隣に聴こえるはず、ましてや討ち入った人数が大勢、騒ぎが大きくて近隣から番所に通報が行くはず。
 しかも明け方まで死闘が繰り返されており、長時間の騒ぎが番所や奉行所に伝えられなかったとは不思議なことであり、ここら当たりも疑問の事件。
 赤穂浪士は吉良を討ち取り、主君の菩提寺泉岳寺までろとうを組んで行動、この間も何の取締りもないまま、泉岳寺に到着、全く不思議だらけの事件であった。

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2019年12月13日

からくり

   簡単な

 時計の中でからくりが付いているものは人気が高SANY2815.JPGく、同じ時計でもからくりが付いている物が売れると言う事、付加価値が高くなると言う。
 当然であるが付加価値を付ければその分コストは高く付き、コストの高い分値段も高くなることに、それを補う売り上げがあるのか。
 もともとカラクリは普通の時計より付加価値を高めるために造られたものだから、当然値段が高くなっている。
 勿論時計の価値を高めることは確かだが、高級品の時計にカラクリが付くよりも、普及品の時計にカラクリが付く方が多い。
 それはより販売を上げるために少しの手間でカラクリを付け、売り上げ効用を狙った時計が多く存在している。
 そんなカラクリ時計、如何に簡単なカラクリを作る出すのに研究され、他社との価値観を付加価値として造り上げられたものだ。

 一つは普通の目覚まし時計にカラクリを付けたSANY2920.JPGもの、目覚まし時計は通称へそ時計と言われ、各家庭に浸透している時計、何処の家にもあった時計だ。
 そのへそ時計にカラクリを付けたもの、肉屋が肉を包丁で切っている所、腕が上下に動くもの、片方の時計は夫人の目玉が左右に動くもの、これも簡単な時計に写真を付け、その目が動くようにしているもの、これも装置は簡単な仕掛け、両方とも動く事で普通の時計と差別化を図っている。
 コスト面も高くならない様に、最少の部品でカラクリ仕掛けを完成させている事が、2つの時計に共通している事だ。
 手間もあまりかけず、部品も多くせず、それでもってカラクリ仕掛けを完成させる、苦労が見えて取れる時計だと思う。
 しかしどけだけ売上向上に繋がったのかは分からない、それが現存している時計が少ないので、あまり売れなかったのか。
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