2019年12月26日

取っ手

   何故ここに
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 古時計とは面白いもので種類が多くて全体像がつかめず、どけだけ有るものなのか想像もできない位の多さであると思う。
 はじめは自分なりに分かったつもりで始めたが、古時計を求めれば求めるだけ湧いてきて、求めたと思えば又湧いてくる始末。
 当初はある程度集めたら止めるつもりでいたが、一向にやめることが出来ず、づるづると今日まで来てしまった。
 自分でも分からないが、限度と言うものがあり、それをするのも本人次第、どこが限度か本人にもやっぱり分からない。
 分からないと言うよりも、ここで打ち止めと止める事が出来ないと言うのが正しいかも知れないか、それとも挽きずり込まれてしまうのかである。
 人には限界と言うものは存在し、それが金であったり、場所であったり、継続する気持ちであったりと、条件は様々ある。
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 欲しいと思っていた古時計が手に入ったらそれで打ち止めと、心に決めて蒐集するが、目的のものが手に入ると、直ぐに考えを変えて、もう一台欲しいものがあると思う。
 これは経験した人しかわからないと思うが、この辺で止めようと何度となく思うが、その都度もう一台だけで止めようと。
 そんな事の繰り返しで結果は延々と続けてしまう人が多い、勿論私だ。
 そんな思いをした古時計がこの時計、手に入れた時はこれで止めようと思ってもの、しかし今も古時計を探し続けている。
 情けない話であるが止めれないのは自分の弱さからだと反省しきり。

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posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記