2020年02月29日

   展示に
DSCN0394.JPG
 瀬戸の雛巡り、2月から始まり見学者が訪れているが、そんな人たちに人気な雛人形は享保雛、しかし今年て展示会場の都合で2月末からにずれ込んでしまった。
 毎年展示会場が変わり、見学者の皆さんにはご迷惑をおかけしているが、それも見学したいと言う言葉が多いから。
 今年も享保雛の展示は止めるつもりであったが、あちらこちらから是非とも展示して欲しいと、そんな要望に折れ、展示を承諾はしたが問題は展示場所。
 去年の展示場所はやはり狭くて見学者に迷惑をかけたので、それより広い場所をと思って探したが見つからなかった。
 展示会場はやはり中心部の其れも、そこそこ広い場所でないと見学者を受け入れられないから、選定に苦労するのだ。

 そんな事で計画は遅れてしまい、SANY1912.JPG今年は展示しないと決めて時、市の文化財課からお誘いが、古民家を展示会場にしたらとのお話。
 話がトントン拍子に進み、結果は今日から10日間の予定で展示する事に、会場は8畳が4間と広い場所である。
 今までで一番広い場所、襖を全部外して32畳の会場となるから、自分が以前から思い描いていた会場にぴったりの場所、展示会場に打って付けの場所である。
 しかし突然のコロナウイルスの流行で市が急遽開催を取り止めになってしまい、慌てて古民家久米邸に享保雛を移し展示する事になってしまった。
 まさか最盛期に展示取り止めは痛いが、ウイルスの流行には勝てず、規模を縮小して遠方より訪れる観光客の皆さんに答える方法を取った、ひな祭りの日に展示が無いと寂しいためだ。

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2020年02月28日

連絡事項

 今年最初の浜松ミーティング開催

 日時、3月15日日曜日
 場所、浜松市東区小池町2543−4
    NKトレーディング事務
 時間、11時30分開始
 会費、1500円 昼食代含む
 尚、オークションを開催します、参加ください。
 日本古時計保存協会 事務局
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2020年02月27日

富士屋ホテル

   残されたのか
 箱根の富士屋ホテル、現在は改装中であるSANY0797.JPGと思うが、今年改装を終えて開業するが、その中身がどうなったか興味のある所である。
 以前に泊った部屋はどの様に改装されているのか、確かに時代を確実に伝えていた部屋などは懐かしさと古さ、そして時代を物語っていた部屋であった。
 テレビでは現在改装中の富士屋ホテルを取材していたが、それはほんの一部の所だけ、調度品内度はリメイクされているようで、その模様も映し出していた。
 椅子やテーブル、ベッドなど修理模様が紹介され、あの部屋にあった椅子だと気付き、どの様にリメイクかやはり興味が湧いた。
 この富士屋ホテルは昔の姿を現代に伝えている数少ないホテル、建物は長年使いこまれた味があり、現代的なホテルと一線をかくしているホテルでもあった。
 今はホテルも豪華になって近代的な建物で内装も現代的、それでいて豪華にしてあるが、何処も同じようなもの。

 確かに新しく綺麗である事は間違いなくそSANY0777.JPGれを好む人も多く、それはそれで良いが、他とは違うものがあっても良い。
 このホテルにはそれがあり、只古いだけではなく古いものを上手に使いこなしている点が他とは違う様だと思う。
 そんな雰囲気が好きでここを利用、何とも言えない雰囲気のあるホテル、歴史だけではなくそれを扱う人たちも大事だと思う。
 古いだけでは客は来ないもの、そこには培われた伝統と客を持て成す技術も必要だと思うが、それがここにあると言える。
 あのバルコニーはどうなっているものか、あの場所はどの様にリメイクされたのか楽しみでもあるのだが。

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2020年02月26日

知らないと

    何 処 が
 SANY2401.JPG友人と言うものはありがたいもの、困った時等には必ずや気を使ってくれ、頼りになる存在でもあるが、時としてありがたくない事もたまにはあるもの。
 最近の事、携帯電話に友人から連絡が入ったが忙しくて出れず、後から留守ロクを聞き、友人に連絡をするも、今度は友人も忙しくて出ない。
 そんな行き違いをし、やっと友人に連絡が付き、「用件は何だ」と聞けば、ネットにフランス枕が出ていて、後五分で締め切りだったから、欲しいのかと言う事らしかった。
 「現在の価格は幾ら」と再度聞けば、「誰も入札していないから、1000円」とすました答え、もう一度念をおす事に「本当にフランス枕か」と、友人自信ありげに「間違いなくフランス枕だ」と。
 オカシイとは思ったが、友人が自信ありげに言うから、「じぁ〜買っといて」と、友人恩義せがましく「俺に任せておけ」と、その時は鼻息が荒かった。
SANY2402.JPG
 後日自宅に荷物が届き、開封してみてビックリ、中から出てきたのは現代物のクオーツ時計、何でこんな物が届くのか、その時擬問に思い記憶を辿どってみる。
 もしかして、この間友人が言っていたフランス枕とはこの事かもと、早速友人に電話、すると友人「良い物が買えただろう、今度飯でもおごれ」と、またも鼻息が荒い。
 そこで、「何処がフランス枕か、こんな時計、クオーツの中国製だ」と言うと、そんな馬鹿な、「ネットで確認したから間違いない」と、反省の色が無い。
 友人、早速私の家に飛んで来て、「そんな馬鹿な、確認した時はフランス枕に間違いなかった」と、しかし現物を見て「やっぱりこの時計だ」と小さな声。
 友人が、私の為に良かれとした事、彼をせめる前に自分の愚かさを痛感、その時「そんな旨い話しがあるわけがないと思わなかった事だ」と深く反省。
 
 
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2020年02月25日

享保雛

   何処か違うか
 瀬戸の雛巡り、今開催されている瀬戸のDSCN0369.JPG雛巡り、毎年参加して13年になり、今年も参加しているが早いもので中日を迎え、見学者から色々な質問も頂いた。
 一番多いのが内裏様とお雛様の座る位置、どちら側に座るのが正しいのかと言う質問、関東と関西で座る位置が違うと言うのだ。
 関東では内裏様は向かって左、お雛は右に座るのが定位置となっているが、関西では内裏様は右に座っている、どちらが正しいのかと言う質問。
 そして人形店が出しいてるマニアルには内裏様が左、お雛様は右となっていると言い、こちらが正しいのだと、しかし関西の人形店では逆の位置になっているからそれが正しいと。
 この論議、実は昭和天皇に由来していると言われ、昭和天皇の即位式に従来の立ち位置が変わったからと言われており、それに倣って雛人形の座り方も変えたと言う。
 しかし関西では従来通りの古式にのっとった座り方を受け継いでいると、そんな論議が出るのもこの時であるが、結果はどちらでも良いと言う事になる。

 そんな中、享保雛についての質問が集中、現在DSCN0370.JPGの雛人形とどこが違うのかと言う事、パッと見何処が違うものなのか分からないとの事。
 現在の雛人形と明らかに違のに分からないと、勿論顔が決定的に違う事は分かるが、それ以外は気が付かないと、その為、現在の雛人形と享保雛を前に置いて説明し、決定的に違う点を説明すがあまりピンと来ない様子、つまりハッキリと認識していない事だ。
 享保雛は袖が小さく、裾が座布団を重ねた様になっていることを説明、隣の現代雛比べて見て貰う、しげしげと見てやっと気が付く。
 現代の雛人形は袖が大きくて前からは裾が見えない、享保雛は前から裾が見えている事が最大の違い、改めて袖が小さいのと裾が極端に厚い事を認識、やっと理解でき、これを繰り返し説明する、こんな質問を毎日の様に説明している。
 見学者は単に雛人形は皆同じだと感じているようで、極端に古くないと時代が分からなくて、全部同じように見えるらしい。




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2020年02月24日

浮世絵の時計

    時刻が表示
 SANY3936.JPG浮世絵は美人画と決まったものと思うが、実は色々な図柄があり、美人だけのものではないらしいが、美人の浮世絵の方が人気が高いのは事実。
 とまあ浮世絵には色々なものがある事は分かるが、ヤッパリ美人の方がよいもの、見て楽しむものだから美しい方が良いと思うのは私だけだろうか。
 当時の人気作家とは、歌麿や晴信といった美人画の名手、彼らの描く美人画は一世を風靡し、江戸中の人気を一気にさらい、浮世絵が江戸中に飛び交った。
 歌麿や晴信の浮世絵を求めて庶民が版元に殺到、余りの人気に幕府が何回も規制したが、庶民の人気は衰えをしなかったようである。

 今見ても美人画は良く描かれており、庶民が夢中になるのも無理からぬ事、その美人画で人気を博したのが歌川豊国(1769年)明和6年〜(1825年)文政8年がいる。SANY3941.JPG
 歌川豊国は歌川派の創始者、歌川豊春に弟子入り、その後めきめきと腕を挙げ、歌川豊国と名乗り、歌川派の隆盛を牽引した人物である。
 はじめは美人画を描いていたが、その後役者絵に転向、役者の似顔絵を描き人気を博し、数々のヒット作を世に出した人物として有名。

 写真の浮世絵、豊国が描いた花魁の浮世絵、題SANY3948.JPGは雪見八景、花魁が火鉢に当たりながら雪兎を愛でている所、右下の三宝に乗っている兎は雪で作られたもの。
 この浮世絵で注目して貰いたいのは時計、右上に半分ほどしか描かれていないが、当時の流行であったのか、時刻が分かるように描かれたはずだが、実際は版画にした際に読みづらくなっている。
 何代目の豊国かはハッキリしないが、おそらく初代の豊国であると思われ、余り才色が付けられていないのも初代らしいのではないだろうか。
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2020年02月23日

部品入れ

   入れ物に苦労
 古時計愛好家が頭を悩まDSCN0822.JPGしているのに部品を入れる器がない事、中々見つからないから探している人も多くいる。
 私も昔から部品入れには苦労して来たが、中々良いものは探せなくて、今でも良いものを探し続けているのだが、未だに良いものはない。
 愛好家の人達にどんな入れ物に部品を入れているのかと質問もしてきたが、これと言った答えをした人は少なく、みんな悩んでいる事が分かっただけである。
 勿論時計屋さんが持っていた部品入れなるものは損だ咲いているが、場所を取り過ぎて狭い部屋では使い難い物ばかりである。
 店で使うものなので多少は大きくても良いのだと思うが、我々の狭い部屋では場所をとって使えないので利用価値は低いと判断している。

 確かに時計屋さんから出てきた部品入れを持DSCN0824.JPGっている人も居るが、私としては使い辛くて利用価値は低いと判断したのだ。
 そこで目を付けたのが小さなブリキの缶、蓋も付いていて利用価値は高く、多く並べても場所を取らないのが一番良い事。
 それはある飲料水メーカーのおまけ、これを見つけたのはサービス期間が終わる少し前、これは良いものだと思い買い求めようとしたが、直ぐに終わってしまい手に入れられなかった。
 もう少し早く気が付けば多くを買い求めていたと思うが、後から探したが結果は見つからず現在に至っているのだ、残念でならないと今でも思っている。
 私だけではなく古時計愛好家は同じ様な思いをしていると思うが、人それぞれに部品入れを持っていると思う、どんなもので利用しているものなのか、そんな事を考えている。
 特に部品で多いものは小さなネジ、古時計には必要なネジであり、小さいが故に紛失してしまう事があり、その部品入れが多く必要と思っている。
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2020年02月22日

ひなのかお

   時代によって
 雛巡りは半ばを過ぎ、毎年の事だが徐々に見学者SANY6404.JPGが増え、後半戦には大勢の見学者が訪れるが、今年はコロナウイルスで如何かとも思うが、しかし大半が享保雛の見学者だと言って良い。
 今年はイレギラーな展示となってしまい、見学者の皆さんには見辛い事になっているが、これは展示場所が開催中にかわる事だ。
 当初の計画では一か所で開催する予定であったが、会場の都合で仕方なく途中で展示場所を移動すると言う羽目になってしまった。
 広い場所で展示をしたいと思っていたので、後半戦は今年初めての大きな会場となり、後半は見学者さんに待って貰う事はないと思う。
 毎年見学者さんには外で待って頂き、寒いのに迷惑をかけていたのが、会場が広いから後半は待たなくても良いと思う。
 今度の会場は畳32畳の部屋での開催、八畳間を四つ開放しての展示、江戸時代の大名屋敷に匹敵する大きさでの展示。
 享保雛の展示にはうってつけの場所、大勢の人が座って見学できると思う場所、只広いから少し寒いかも知れない。

 その展示会場で待っているのは人気の享保雛、SANY6423.JPGこの雛人形は人気で質問も多い雛人形、どうしてこんなに大きいのかと、先ずは大きさに驚かれる。
 そしてその次が何で程度が良いのかと、後は何で目が吊り上がっているのかと、この三つが質問の三大要素、特に顔の表情の事が多く質問され、現代の顔と全く違うのは何故、そんな疑問に何時も答えるのだが、享保雛だけは特に変わった顔をしている。
 時代雛の中でも享保雛は特殊の部類、当時はあの将軍吉宗の時代、元禄から享保に移り時代の変遷もあり、それが顔にも出ているかもしれない。
 良く能面みたいな顔と表現されるが、中々そのような顔だけでもなく、享保雛と言えども製造場所によっても違いがある。
 そんな享保雛を今年はジックリと見学して頂きたい、そして自分で謎を探してもらいたいと思っており、他の享保雛と比べてみると答えがわかるかも、時代の変遷で顔が変わる事に、やっぱり自分の目で確かめてください。
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2020年02月21日

懐かしいライター

    ガスではない
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 現在はガスライター全盛期、100円で3個買える時代だから、別にライターに困らないし又有り難味も少なくなってしまい、何時でも何処でも手に入る代物に成った。
 しかし、少し前まではライターは必需品と同時に、高価なものでもあり100円なんぞで買える物ではなかったから、皆ライターを大事に使っていた。
 大事にすると言うよりもそれが当たり前の時代でもあったのだと思う。
 マッチを使っていた時でも、一本、一本が大事にしていたと思う、今みたいに手軽にライターが入ることはなかったから。

 そして何よりも自分の好みのライターを探して、それを買い込みいつも手元に持っており、使いかっての良い自分なりのライターを使いこなしていた時代。SANY0654.JPG
 人其々の好みが別れ、クラッシックなライター、電池式のターボライター、オイル式ライター等毎日持ち歩く物だから、気に入った物を持ちたいのは当たり前の事であったと思う。
 その為に色々なライターが売りに出されていたが、やはり自分好みのものを探す人も多く、それに拘りを持っていたようだ。
 人よりも変わったライターを持つのも自慢、人の持たないものをと探す楽しさもあり、ライターは益々多くの種類が存在した。
 私の好みはアンティーク調の重いライター、重量感がないと何となく嫌で、常に重いライターをポケットに入れていたが、夏など軽装備の時に困った事もあった。

 その中でも1番欲しかったのは「ダンヒル」のオイルライターで、若い頃からの憧れでもあったが、当時値段が高くて手が出せなくSANY0658.JPG我慢していたものだ。
 国産のライターも多くあったが、やはりデザインが良くなく、その点ダンヒルはデザインも良く、持ちたいと言う思いにさせてくれるライターであったと思う。
 ただ国産のライターと比べれば値段が高くて、おいそれと買える代物ではなかった時代、憧れの的でもあったのだ。
 その後、やっぱりダンヒルが欲しくて、アンティークショップで安く見つけ買い込んだが、やっぱり安いだけの事はあり、直ぐに修理をしなければ成らず、結局は高いものに付いてしまった。
 しかし、其れ以来このライターは私の必需品、いつもポケットに入っていたものだが、ライターの底に有るバルブのパッキンが老化していて、オイルが漏れ出しポケットが良く濡れていたものだ。
 パッキンを買えばよいが中々無く、薄いゴムを切って代用し使っていた思い出のライター、今は健康の為余り煙草を吸わないから、何時も持ち歩いてはいないが、好きな物であるには変わりはない。
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2020年02月20日

カラスミ

    この地方の風習
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 もうすぐ雛の節句が来るが我が家ではおこしものを作って知り合いに送っているので忙しい日々になっている。
 毎年の事だがこの時期はおこしもの作りで忙しく、知らない人は何で忙しいのかと聞く、勿論おこしものを作らなければならないからだ。
 この地方は昔から節句にはおこし物を作って祝う風習があり、米の粉を練り、型で起こしたお餅を作り知り合いに送るのだ。
 おこしものは愛知県尾張地方にある風習、そしてカラスミは東農地方に伝わる風習、共にひなの節句時につくるもの、主体はコメの粉を熱湯で練り、餅状態にして型で起こす、尾張地方は色々な型があるが、東農地方のものは型は少ない。

 同じように型で起こしているが、彩色SANY4104.JPGを施すのは尾張地方だけ、東農地方は長く伸ばした富士山の形のものを使用している。
 型で起こすからおこしものと言うが、カラスミとはなぜカラスミかという事だと思う、本来カラスミはボラの卵を天日で乾燥させたもの、珍味とされている食べ物。
 しかし東農地方のカラスミはコメの粉で作られたもの、つまり形が良く似ていたからと言う事らしいが、諸説あるらしい。
 細長く約25センチの形、それに色を付けたもので色々な色があるが、これも地方によって色が違う、何故カラスミであったかは不明であると言う。
 本物のカラスミは海の魚の卵、おこしものやカラスミはコメの粉を蒸したもの、全く違うものなのに名前が同じとは面白いと思う。

  

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2020年02月19日

やっと初雪

   記録的DSCN2083.JPG
 冬に雪が降るのは珍しい事ではなく、雪が降ったからと言って騒ぐ事でもないと思うが、今年は一寸違う、記録的な事だと言う。
 昨年の年末から暖冬、雪どころか初夏の気候、4月並みの気温と言う事、兎に角今が冬であるとはとても思えない気温である。
 確かにここ数年の気候はおかしく、昨年も台風や大雨で被害が続出、日本の気候がおかしくなってしまったのかと思わせる出来事。
 各地で異常気象が、今までに経験したことのない出来事が、あちこちで起こっていたのは記憶に新しい、おかしいとは思ってもそれが何とは分からない。
 世界的に異常気象である事は疑いのない事、記録ずくめの出来事が現実のものとなっているのは事実、日本も例外ではない。
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 年末から新年にかけては本当に冬なのかと思う気候で、確かに過ごし易かったが、果たしてこれが冬かと疑いたくなる出来事。
 日本中暖冬で雪国に雪が無い状況、特にスキー場では四苦八苦、年末のかき入れ時に雪がなく、商売は上がったり、客が来ない事に。
 当然の事雪が無いのにスキー場に行く人はいない、それだけでは無く私も同じであるが温泉に行くのも止めたくらいだ。
 雪の中で温泉に入りたいと思う心が、雪が無ければ台無し、行く気にならないから止めたが、他の人も同じだと思う、雪見に行きたいが何にしても暖冬。
 そんな時昨日、やっと初雪が降ったが、降ったと言うよりも気配があったと言う感じ、隣の屋根にほんの1センチ程度の事だが雪が、初雪には変わりないがやっぱりおかしいと思う。
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2020年02月18日

如何にも

   顔が長い
 雛巡りの真っただ中、展示してある雛人形SANY4174.JPG、古いものは300年も昔の雛人形、皆さんに好評な雛人形の一つである。
 古い享保雛ではなく古今雛の類、江戸中期はあるのではと贔屓目、もう少し若いと思うが、そんな雛人形、顔が命の内裏様とお雛様。
 中々古い雛人形をまじかで見る機会のない人は、この雛人形がそんなに古いとは思わず、100年位前のものと思っている。
 確かにパット見は100年位前のものだと、しかし200年以上は経っている代物、程度も良く衣装もボロボロにならず良い状態、古さを感じない。
 見学者のおば様達は明治時代のものだと思っていて、私たちの子供の頃にあった雛人形だと言うのだが、そんなに新しいものではなく、目を見れば古いものだと分かるのだが。
 特に顔に特徴があり、江戸時代の雛人形の特徴を良く表しているもの、うりざね顔の典型雛、顔に自信ありと言うべきか。
 SANY4171.JPG
 雌雛は雄雛と比べ少しは丸いと思うが、やっぱりうりざね顔、表情はおっとりとした優美な顔立ち、今の雛人形とはだいぶ違う顔。
 鼻筋が真っすぐに長く、少ししもぶくれの様な顔立ち、優しい目をして雌雛、両方ともオリジナルの冠をかぶっており良い状態。
 特に雌雛の冠は古い時代の冠の特徴を表していて、ギヤマンと言われたガラスの小さな玉、色とりどりのビーズ玉みたいなガラス、当時はギヤマンと呼ばれた高級なガラス、特にガラスは珍しいもので今では考えられない位貴重なものであった。
 今の子供にすれば100円ショップで多く買える代物なので、何で高級品なのかピンと来ないと思う、しかし江戸時代当時は高かったようだ。
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2020年02月17日

時計製造列伝

    時計製造を目指す

SANY8481.JPG 明治維新後、日本は大きく変わり近代化の一途を辿るが、その陰には様々なドラマがあり、それらは歴史の闇にと消え去っていった。
 特に幕末から明治に入り、和時計から西洋時計へと市場が動く事により、滅び去るものと、新たに新興するものとがぶつかり合い、ここにドラマが生まれる。
 明治初期の時計製造に関しては2つの発展方法があり、それらの中心にはかってこの地域を支配していた津田助左衛門門下の人々が大いに関わって来る。
 尾張藩の禄から離れた彼らはその生きるすべを西洋時計に求め、西洋時計製造に関わって行く事に、それが名古屋地域の時計産業発展の礎となる。
 津田家に居た杉浦藤七、後藤万蔵、彼らはその後西洋時計製造に大きな働きをして行く、杉浦藤七は直接西洋時計に参画はせず、時計製造のサポート役を果たす。
 杉浦藤七は津田家を辞し自ら時計商として店を持つ、一方後藤万蔵も東京の京屋の援助を受け名古屋市内玉屋町に時計商として独立する。

 東京でも同じ様に、和時計に携わって来た者達、大野徳三郎、水野伊和造が時計商をおこし、成功したことに刺激を受けて名古屋での西洋時計に参画であった。SANY8489.JPG
 日本の時計産業は和時計を生産していた者達と、明治以後に力をつけた資本家の時計産業への参画が合間っての複合での成果である。
 明治新政府が文明開化の名のもとに、近代産業育成の急務の中、先進技術の導入により日本を近代国家へと築く1つの政策でもあった。
 そんな状況下、東京、名古屋と西洋時計製造に江戸時代より受け継がれてきた技術と職人、それが西洋時計の製造と言う産業を興す原動力ともなった。

 一方でお抱え時計師は姿を消し、新勢力の西洋時計製造者、時代の流れがハッキリと分かる構図となり、明治の夜明けとも言われる近代産業の出発であった。
 後藤万蔵は名古屋の時計商として成功しただけではなく、明治30年に同時に西洋時計を製造し始める、「岐阜時計」、「高岡時計」の仕掛け人でもあり、高岡銅器の扱い、同じ商いの関係で、彼の援助より岐阜時計、高岡時計は名古屋よりの部品供給や技術の指導に力を注ぎ、2つの時計製造会社を設立させた陰の仕掛け人でもある。
 自身は時計製造をすることなく、時計商や商社的な商いに徹して、幅広く商品を扱い名古屋市玉屋町で大棚としての地位を確立、写真は明治当時の名古屋市内にあった後藤万蔵の店舗と時計台、名古屋の繁華街にひときは目を引く時計商として後藤万蔵は成功したのだ。
 
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2020年02月16日

保管は

   興味がある
 毎年瀬戸の雛巡りがやって来るが、見学者から何SANY1113.JPG時も質問が集中するのが保管の事、つまり雛人形はどんなものに入れて保管してあるのかと言う事。
 特に聞きたいと言うのは享保雛の保管、あれだけ古いものを保管するにはどの様にしているのかと、この疑問が一番多く出るのだ。
 新しい雛人形でも保管に四苦八苦しているのに、古い時代のある雛人形をどの様に扱うのかと不思議に思われている。
 確かに古い雛人形の保管は神経を使うのは確か、特に享保雛は別格の扱い方をしているから、当然興味を持たれても当たり前の事。
 事実、私も保管については色々な人から忠告もして頂き、より良い保管をと考えているもので、神経を使う雛人形である。

 まず展示した雛人形は埃を取り除く事が先決、SANY1372.JPG軽くはたいて埃を落とし、少し乾燥させてからしまう事にしているが、何せ古いものなので扱いには神経を使い、それでも痛める失敗をすることも、だから自分でしか仕舞わないのだ。
 享保雛は約300年もの時代を経ている雛人形、そんな古いものが程度良く伝わって来たのは先人たちの努力、それを受け継いで行かないないとイケナイ、やはり衣装は劣化をしてる居るから特に慎重に、埃を除いた後首を抜き取り、本体とは別に保管し、湿気の心配のない茶箱に保管し、大事に扱っている。
 それでも痛める事になるので、雛人形を持つときには負荷が一番かからない様に、一点で持たない様にしており、バランスよく持つことに気を遣う、その後は和紙でくるむ事になる。
 やはり湿気は禁物、湿気が入らないように茶箱を使用し、貴重な巨砲雛はこの箱に入れて保管、虫除けの保存剤を使い、ひな人形の衣装を痛めない工夫、古いものを扱うのも大変な作業が必要となる。
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2020年02月15日

ディスプレー

      お国の違い
SANY0857.JPG
 同じ目的の物を作っても、その気候風土の違いにより、出来上がる品物が全く違った物に仕上がるが、これは単に職人の趣味の違いによるものではない。
 生まれ育った環境にも多く来影響を与えるものであるが、文化の違いも大きな要素の1つであり、素材やデザインにも色濃く影響与えるものでもある。
 当然の事であるが、その国によっても違いが出るのは当たり前、長い文化の蓄積の中から生まれ出てくるもの、つまり短絡的に其の物が生まれ出ることは無い。
 歴史と文化が育てた上に立って生まれ出る物で、それは長い時間が育んだ末のもの、そんな伝統の上に成り立って物が出来上がるのであり、民族の証でもある。
 写真の時計のスタンド、下はイギリスの物、上は日本の物であり、イギリスのものはブロンズ製で、日本のものは当然の事木製、其々に文化の違いが表に出ている。
 西洋の物は「金属」、日本の物は「木」、この二つはハッキリと文化の違SANY0854.JPGいが分かる代表なものであり、金属と木製で明らかにお国柄がハッキリと出ているもの。

 その図柄も、ひとめ見れば歴然として文化の違いがあからさまに分かり、鉄の力強さと木の柔らかさが対照的に出ており、日本のものはシンプルであり、西洋のものは迫力がある。
 しかし、西洋物は大量生産であり、日本のものは少量生産、もしくは一個しか製造されていないかも、量産品と単品生産の違い等、そして日本製に付いて詳しく見れば、非常に手の込んだ仕事がされている。
 見かけはシンプルであるが、衝立上の板は引き出し式になっており、使わないときはスライドさせ本体の中に入る仕掛け、又その衝立の表面には木象嵌が施された豪華な造りである。
 国民性の違いと言うべきなのか、それとも考え方の違いなのかは判らないが、西洋と日本そこには受け継がれてきた歴史が、木の文化を受け継いだ日本人、木の温かさを表現したものとなっている。
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2020年02月14日

見ただけで

   懐かしい
SANY0191.JPG
 年に何回か部屋の大掃除をさせられ、自分の部屋だけでもと掃除を始めるが、中々先に進まない。
 兎に角自分の部屋は荷物が多過ぎて、自分でも何処に何があるのか知らない位、だから掃除しているとツイツイ手が出てしまい、掃除が先に進まない。
 手が出るのは片付けようと荷物を手にするが、その荷物が気になって蓋を開け中身を見る事に、すると懐かしい荷物が目に入る事になる。
 今まで仕舞い込んであるから別に気にもしないが、それを見つければ当然記憶が浮かび上がって来て、掃除どころではなくなり、ツイツイ記憶を辿る事になる。
 それが色々なものであり、マッチ一つも記憶がよみがえり、懐かしさと当時の事が思い出され、手に取ってジックリと見直す事に。
 マッチ一つ手に取り、これが何時頃のものなのか途端に思い出し、その時の光景が頭の中に浮かび上がる事になるからだ。

 写真のマッチ、飛騨高山の長瀬旅館のもの、今はSANY0179.JPGもう営業していない高山でも老舗の旅館であったが、残念な事に廃業してしまった。
 市内の上三之町の一本裏の通りに黒塀に囲まれた落ち着いた旅館、今も現存している建物を見ると懐かしさが込み上げてくる。
 このマッチが気に入り、女将にお願いして10個も貰い、ボストンバックに詰めた思い出が、高山祭の獅子頭が版画で彫られ、独特な色使いで彩色されたマッチ、このマッチを見ると長瀬旅館の料理が思い出され、酒が進んだことを昨日の様に浮かんでくる。
 たかがマッチと言うけれど、私にとってはマッチは思い出の印、そのマッチを見るたびに当時が浮かんでくる導火線のようなもの。
 単なる火を付けるものではなく、その旅館の宣伝物でもあり、存在感を示す一つの道具であると私は認識しているのだ。
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2020年02月13日

ブリキの玩具

   飛行機
 ブリキの玩具、最近はあまり見かけなくSANY0462.JPGなってしまったが探せばまだあると思う、それも古いものではなく昭和40年代ものならまだまだある。
 古いものを探そうと思うと高くて手が出ないが、40年代のブリキの玩具、この時代からプラスチックが多くなりつつあり、混合になったものもある。
 つまり一部がプラスチックに変更されているもの、例えば車輪であったり、プロペラであったり、人間の顔であったりとプラスチックが使われている。
 この時代から混合が多く出回り、全部ブリキで出来ているものは少なくなって行き、その後のものはプラスチックに移行されてしまう。
 古いものはタイヤはゴム製品を使用していたが、これもプラスチックに変更され、趣も少し違ったものになってしまったが、それでも全部プラスチックよりもマシ、少し譲歩すればよい。
 何が何でもブリキと決めている人は別のとして、ムードだけでもと思えば妥協する事も出来、この範囲なら安くて良いものが手に入る。
SANY9486.JPG
 写真のブリキの飛行機、40年代のもの、車輪はまだゴムがつけられているが、プロペラはプラスチックに変更されているもの、この時代のものはプラスチックの部分が欠損している場合が多く、良く見て買わないと失敗する。
 安いからと言って良く見ないで買わない事だ、ついつい安いと良く見ないで買い込み、後から気が付いても失敗するから、飛び付いて買わない事。
 私も良く慌てて買い込んで後でやられたと思う事も、自分のせいなのに人にせいにしたいと思う心がなさけない、自己責任だ。
 この時代のものは箱も程度が良く残されているものが多いから、ジックリと探せばよいものに出会う、良いものを選んで買えばよい。
 やっぱり慌てない事が一番、ジックリと見極めてから買い込む事、それも足で稼げばまだまだ見つかるから、努力する事をお勧めする。
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2020年02月12日

毎年の事

   今年も又
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 ひな祭りが近づくと毎年の決まり事みたいな作業が始まる事になり、その準備に忙しくなるもの今時からのスタートとなるのだ。
 知らない人は何の事か分からないが、知っている人も「大変だな」と気を使ってくれ、そんな行事が始まる。
 大げさな言い方をすれば、何でこんなことをするのか不思議に思う人も、それが「おこしものつくり」がはじまるからだ。
 普通の人達は年に一回だから忙しくてもまだ良いが、我が家のおこしものつくりは少し違い、4回はおこしものを作る事になるからだ。
 何でそんなにつくるのかと聞かれるが、これを待っている人達が居るから、その人達にとっては年に一回の楽しみでもあるから。
 この地方のひな祭りは「おこしもの」を作る習わしがあり、我が家では昔から盛んに「おこしもの」を作って来た習わし。

 「おこしもの」とは尾張地方でひな祭りに米の粉で、型で起こした餅を作るのが風習、木型で餅おこし.jpgを起こすから、おこしものと言われている。
 餅と言っても米の粉を熱湯でコネ、団子状にして木型に入れて起こして作るもの、それがおこしものと呼ばれるもの、団子に近いものである。
 型で起こして色付けをし、蒸籠で蒸して出来上がるもの、これを作るのには木型が無いと作れないから、木型を買い求めるのだ。
 我が家では古い木型は明治初期のものがあり、歴史を物語っていると言えるが、その種類も多く現在は5、60はあると思う。
 昔の型は大きすぎて、今は使わなくて、私が子供の頃に買い込んだものを使っているが、それでも60年以上は経っている。
 そんな木型で今日もおこしものを作るのだが、今年は何回つくるのか先が思いやられるが、待っている人が居るから頑張るしかない。


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2020年02月11日

暖冬

   今年は変
 毎年の事だが年々暖かくなっていると感じているが、去年から今年にかけて様子が変、気候変動のために日本の気候もくるって来ている様だ。
 寒の入りだと言うのに雪も降らず、3月から4月の気候と言うから、気候がおかしくなっている証拠でもある。本らか中1年で一番寒い時、それがどうだろうか雪が降るどころかホカホカ陽気、桜も狂い咲きしていると言う事だ。
 雪国でも100年に一度の気候変化、スキー場に雪が降らず観光客は訪れず、商売あがったりと気の毒な状況だと言うのだ。
 幾らなんでもスキー場に雪が無ければ滑れないし、暖かくて人工雪も出来ず、この先どうなるのか神のみぞ知ると言う事か。
 私も温泉に入りに長野に行こうと思って、長野の宿に連絡をしたけれど雪が全くなく、お手上げの状態、それでも良ければおいで下さいとの事。
 雪見風呂と洒落込んでみたが、雪が無ければ風情はなく、雪国まで行く事はないので諦め、近くの温泉施設スパー銭湯に行くしかない。

 今年は暖冬と前から言われていたけれども、こんなに暖かいとは思ってもみなかったが、確かに暖かく、3月から4月の陽気だと言う事だ。
 今年は2月の10日になって初めての雪、記録的な遅さと言い、観測以来最も遅い初雪だと言う、その上明日から又暖かくなると予測されているようだ。
 暖冬で経済もおかしくなっている様、冬美のがさっぱり売れないと言うが、確かに寒さを感じる時がなく、季節としては良いかも知れないが、経済の影響を考えると複雑。
 景気が早く上向きにならないと、我々の生活も良くならず、低迷が続くようでは令和になったも心配の種、やはり冬は寒くなければ冬ではなく、四季がハッキリと分かれるようになって欲しいもの、
寒くてこそ冬の季節である。


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雪輪

      名前の語源

 SANY3583.JPG雪輪とは、和服の留袖に付いている紋から来ていると言われるが、一説にはこの紋の形が雪の結晶に図案化したもの、その輪郭が雪の結晶と。
 確かに和服の紋はその家の家紋をつけるもの、色々な雪輪の家紋がデザイン化されており、様々な形があるが外形は殆ど同じもの。
 そもそも雪の結晶は六角形の形をして、紋所にあるような外形とは少し違ったようであるが、呼び方を雪輪と呼ばれて今日に至っている。
 もう一つは和時計に出てくる部品の名前に雪輪があり、和服のもんとは少し違ったもの、初期の和時計の部品は鉄製の物、和時計で云う雪輪とは。
 和時計の雪輪は時を打つための部品、時間が来ると時を知らせるために鐘を打つ、その鐘を幾つ打つのかを決める大事な部品が雪輪と呼ばれている。

 この部品も和服の紋と違って入るが、天然の雪の結晶とも違うものだSANY3585.JPGが、呼び名としては此方のものの方が雪の結晶に似ていると思う。
 何にせよ昔の人は上手くその物を喩えるものだと感心するが、何だか優しい心が現れている様にも思え、機械とはいえ血が通った生き物のようだ。
 写真の雪輪、和時計の後ろの部分に仕組まれているもの、落ちこみ金と言われる部品と結合して、時を打つ金の数を支持するもの、雪輪には刻みが付いている。
 その刻みの大きさにより、4つ、5つ、6っ、7つ、8つ、9つと時を打つ様になっており、この雪輪は半打ちが付いているもの、半打ちとは、今で云う一時間毎の事、昔の一刻は2時間であったから、その中ほどで打つように仕組まれている。
 この雪輪は1日に2回転して時を打つ仕組みに刻まれており、1日に1回転する雪輪もあり、時計師により様々な雪輪が製造されている。
 写真で赤く見える所があるが、それは漆の塗料が残っているもの、本来は錆びないように全体に漆が掛けられていたもの、和時計とは手の込んだ時計でもある。
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