2020年02月18日

如何にも

   顔が長い
 雛巡りの真っただ中、展示してある雛人形SANY4174.JPG、古いものは300年も昔の雛人形、皆さんに好評な雛人形の一つである。
 古い享保雛ではなく古今雛の類、江戸中期はあるのではと贔屓目、もう少し若いと思うが、そんな雛人形、顔が命の内裏様とお雛様。
 中々古い雛人形をまじかで見る機会のない人は、この雛人形がそんなに古いとは思わず、100年位前のものと思っている。
 確かにパット見は100年位前のものだと、しかし200年以上は経っている代物、程度も良く衣装もボロボロにならず良い状態、古さを感じない。
 見学者のおば様達は明治時代のものだと思っていて、私たちの子供の頃にあった雛人形だと言うのだが、そんなに新しいものではなく、目を見れば古いものだと分かるのだが。
 特に顔に特徴があり、江戸時代の雛人形の特徴を良く表しているもの、うりざね顔の典型雛、顔に自信ありと言うべきか。
 SANY4171.JPG
 雌雛は雄雛と比べ少しは丸いと思うが、やっぱりうりざね顔、表情はおっとりとした優美な顔立ち、今の雛人形とはだいぶ違う顔。
 鼻筋が真っすぐに長く、少ししもぶくれの様な顔立ち、優しい目をして雌雛、両方ともオリジナルの冠をかぶっており良い状態。
 特に雌雛の冠は古い時代の冠の特徴を表していて、ギヤマンと言われたガラスの小さな玉、色とりどりのビーズ玉みたいなガラス、当時はギヤマンと呼ばれた高級なガラス、特にガラスは珍しいもので今では考えられない位貴重なものであった。
 今の子供にすれば100円ショップで多く買える代物なので、何で高級品なのかピンと来ないと思う、しかし江戸時代当時は高かったようだ。
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2020年02月17日

時計製造列伝

    時計製造を目指す

SANY8481.JPG 明治維新後、日本は大きく変わり近代化の一途を辿るが、その陰には様々なドラマがあり、それらは歴史の闇にと消え去っていった。
 特に幕末から明治に入り、和時計から西洋時計へと市場が動く事により、滅び去るものと、新たに新興するものとがぶつかり合い、ここにドラマが生まれる。
 明治初期の時計製造に関しては2つの発展方法があり、それらの中心にはかってこの地域を支配していた津田助左衛門門下の人々が大いに関わって来る。
 尾張藩の禄から離れた彼らはその生きるすべを西洋時計に求め、西洋時計製造に関わって行く事に、それが名古屋地域の時計産業発展の礎となる。
 津田家に居た杉浦藤七、後藤万蔵、彼らはその後西洋時計製造に大きな働きをして行く、杉浦藤七は直接西洋時計に参画はせず、時計製造のサポート役を果たす。
 杉浦藤七は津田家を辞し自ら時計商として店を持つ、一方後藤万蔵も東京の京屋の援助を受け名古屋市内玉屋町に時計商として独立する。

 東京でも同じ様に、和時計に携わって来た者達、大野徳三郎、水野伊和造が時計商をおこし、成功したことに刺激を受けて名古屋での西洋時計に参画であった。SANY8489.JPG
 日本の時計産業は和時計を生産していた者達と、明治以後に力をつけた資本家の時計産業への参画が合間っての複合での成果である。
 明治新政府が文明開化の名のもとに、近代産業育成の急務の中、先進技術の導入により日本を近代国家へと築く1つの政策でもあった。
 そんな状況下、東京、名古屋と西洋時計製造に江戸時代より受け継がれてきた技術と職人、それが西洋時計の製造と言う産業を興す原動力ともなった。

 一方でお抱え時計師は姿を消し、新勢力の西洋時計製造者、時代の流れがハッキリと分かる構図となり、明治の夜明けとも言われる近代産業の出発であった。
 後藤万蔵は名古屋の時計商として成功しただけではなく、明治30年に同時に西洋時計を製造し始める、「岐阜時計」、「高岡時計」の仕掛け人でもあり、高岡銅器の扱い、同じ商いの関係で、彼の援助より岐阜時計、高岡時計は名古屋よりの部品供給や技術の指導に力を注ぎ、2つの時計製造会社を設立させた陰の仕掛け人でもある。
 自身は時計製造をすることなく、時計商や商社的な商いに徹して、幅広く商品を扱い名古屋市玉屋町で大棚としての地位を確立、写真は明治当時の名古屋市内にあった後藤万蔵の店舗と時計台、名古屋の繁華街にひときは目を引く時計商として後藤万蔵は成功したのだ。
 
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2020年02月16日

保管は

   興味がある
 毎年瀬戸の雛巡りがやって来るが、見学者から何SANY1113.JPG時も質問が集中するのが保管の事、つまり雛人形はどんなものに入れて保管してあるのかと言う事。
 特に聞きたいと言うのは享保雛の保管、あれだけ古いものを保管するにはどの様にしているのかと、この疑問が一番多く出るのだ。
 新しい雛人形でも保管に四苦八苦しているのに、古い時代のある雛人形をどの様に扱うのかと不思議に思われている。
 確かに古い雛人形の保管は神経を使うのは確か、特に享保雛は別格の扱い方をしているから、当然興味を持たれても当たり前の事。
 事実、私も保管については色々な人から忠告もして頂き、より良い保管をと考えているもので、神経を使う雛人形である。

 まず展示した雛人形は埃を取り除く事が先決、SANY1372.JPG軽くはたいて埃を落とし、少し乾燥させてからしまう事にしているが、何せ古いものなので扱いには神経を使い、それでも痛める失敗をすることも、だから自分でしか仕舞わないのだ。
 享保雛は約300年もの時代を経ている雛人形、そんな古いものが程度良く伝わって来たのは先人たちの努力、それを受け継いで行かないないとイケナイ、やはり衣装は劣化をしてる居るから特に慎重に、埃を除いた後首を抜き取り、本体とは別に保管し、湿気の心配のない茶箱に保管し、大事に扱っている。
 それでも痛める事になるので、雛人形を持つときには負荷が一番かからない様に、一点で持たない様にしており、バランスよく持つことに気を遣う、その後は和紙でくるむ事になる。
 やはり湿気は禁物、湿気が入らないように茶箱を使用し、貴重な巨砲雛はこの箱に入れて保管、虫除けの保存剤を使い、ひな人形の衣装を痛めない工夫、古いものを扱うのも大変な作業が必要となる。
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2020年02月15日

ディスプレー

      お国の違い
SANY0857.JPG
 同じ目的の物を作っても、その気候風土の違いにより、出来上がる品物が全く違った物に仕上がるが、これは単に職人の趣味の違いによるものではない。
 生まれ育った環境にも多く来影響を与えるものであるが、文化の違いも大きな要素の1つであり、素材やデザインにも色濃く影響与えるものでもある。
 当然の事であるが、その国によっても違いが出るのは当たり前、長い文化の蓄積の中から生まれ出てくるもの、つまり短絡的に其の物が生まれ出ることは無い。
 歴史と文化が育てた上に立って生まれ出る物で、それは長い時間が育んだ末のもの、そんな伝統の上に成り立って物が出来上がるのであり、民族の証でもある。
 写真の時計のスタンド、下はイギリスの物、上は日本の物であり、イギリスのものはブロンズ製で、日本のものは当然の事木製、其々に文化の違いが表に出ている。
 西洋の物は「金属」、日本の物は「木」、この二つはハッキリと文化の違SANY0854.JPGいが分かる代表なものであり、金属と木製で明らかにお国柄がハッキリと出ているもの。

 その図柄も、ひとめ見れば歴然として文化の違いがあからさまに分かり、鉄の力強さと木の柔らかさが対照的に出ており、日本のものはシンプルであり、西洋のものは迫力がある。
 しかし、西洋物は大量生産であり、日本のものは少量生産、もしくは一個しか製造されていないかも、量産品と単品生産の違い等、そして日本製に付いて詳しく見れば、非常に手の込んだ仕事がされている。
 見かけはシンプルであるが、衝立上の板は引き出し式になっており、使わないときはスライドさせ本体の中に入る仕掛け、又その衝立の表面には木象嵌が施された豪華な造りである。
 国民性の違いと言うべきなのか、それとも考え方の違いなのかは判らないが、西洋と日本そこには受け継がれてきた歴史が、木の文化を受け継いだ日本人、木の温かさを表現したものとなっている。
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2020年02月14日

見ただけで

   懐かしい
SANY0191.JPG
 年に何回か部屋の大掃除をさせられ、自分の部屋だけでもと掃除を始めるが、中々先に進まない。
 兎に角自分の部屋は荷物が多過ぎて、自分でも何処に何があるのか知らない位、だから掃除しているとツイツイ手が出てしまい、掃除が先に進まない。
 手が出るのは片付けようと荷物を手にするが、その荷物が気になって蓋を開け中身を見る事に、すると懐かしい荷物が目に入る事になる。
 今まで仕舞い込んであるから別に気にもしないが、それを見つければ当然記憶が浮かび上がって来て、掃除どころではなくなり、ツイツイ記憶を辿る事になる。
 それが色々なものであり、マッチ一つも記憶がよみがえり、懐かしさと当時の事が思い出され、手に取ってジックリと見直す事に。
 マッチ一つ手に取り、これが何時頃のものなのか途端に思い出し、その時の光景が頭の中に浮かび上がる事になるからだ。

 写真のマッチ、飛騨高山の長瀬旅館のもの、今はSANY0179.JPGもう営業していない高山でも老舗の旅館であったが、残念な事に廃業してしまった。
 市内の上三之町の一本裏の通りに黒塀に囲まれた落ち着いた旅館、今も現存している建物を見ると懐かしさが込み上げてくる。
 このマッチが気に入り、女将にお願いして10個も貰い、ボストンバックに詰めた思い出が、高山祭の獅子頭が版画で彫られ、独特な色使いで彩色されたマッチ、このマッチを見ると長瀬旅館の料理が思い出され、酒が進んだことを昨日の様に浮かんでくる。
 たかがマッチと言うけれど、私にとってはマッチは思い出の印、そのマッチを見るたびに当時が浮かんでくる導火線のようなもの。
 単なる火を付けるものではなく、その旅館の宣伝物でもあり、存在感を示す一つの道具であると私は認識しているのだ。
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2020年02月13日

ブリキの玩具

   飛行機
 ブリキの玩具、最近はあまり見かけなくSANY0462.JPGなってしまったが探せばまだあると思う、それも古いものではなく昭和40年代ものならまだまだある。
 古いものを探そうと思うと高くて手が出ないが、40年代のブリキの玩具、この時代からプラスチックが多くなりつつあり、混合になったものもある。
 つまり一部がプラスチックに変更されているもの、例えば車輪であったり、プロペラであったり、人間の顔であったりとプラスチックが使われている。
 この時代から混合が多く出回り、全部ブリキで出来ているものは少なくなって行き、その後のものはプラスチックに移行されてしまう。
 古いものはタイヤはゴム製品を使用していたが、これもプラスチックに変更され、趣も少し違ったものになってしまったが、それでも全部プラスチックよりもマシ、少し譲歩すればよい。
 何が何でもブリキと決めている人は別のとして、ムードだけでもと思えば妥協する事も出来、この範囲なら安くて良いものが手に入る。
SANY9486.JPG
 写真のブリキの飛行機、40年代のもの、車輪はまだゴムがつけられているが、プロペラはプラスチックに変更されているもの、この時代のものはプラスチックの部分が欠損している場合が多く、良く見て買わないと失敗する。
 安いからと言って良く見ないで買わない事だ、ついつい安いと良く見ないで買い込み、後から気が付いても失敗するから、飛び付いて買わない事。
 私も良く慌てて買い込んで後でやられたと思う事も、自分のせいなのに人にせいにしたいと思う心がなさけない、自己責任だ。
 この時代のものは箱も程度が良く残されているものが多いから、ジックリと探せばよいものに出会う、良いものを選んで買えばよい。
 やっぱり慌てない事が一番、ジックリと見極めてから買い込む事、それも足で稼げばまだまだ見つかるから、努力する事をお勧めする。
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2020年02月12日

毎年の事

   今年も又
かたち.jpg
 ひな祭りが近づくと毎年の決まり事みたいな作業が始まる事になり、その準備に忙しくなるもの今時からのスタートとなるのだ。
 知らない人は何の事か分からないが、知っている人も「大変だな」と気を使ってくれ、そんな行事が始まる。
 大げさな言い方をすれば、何でこんなことをするのか不思議に思う人も、それが「おこしものつくり」がはじまるからだ。
 普通の人達は年に一回だから忙しくてもまだ良いが、我が家のおこしものつくりは少し違い、4回はおこしものを作る事になるからだ。
 何でそんなにつくるのかと聞かれるが、これを待っている人達が居るから、その人達にとっては年に一回の楽しみでもあるから。
 この地方のひな祭りは「おこしもの」を作る習わしがあり、我が家では昔から盛んに「おこしもの」を作って来た習わし。

 「おこしもの」とは尾張地方でひな祭りに米の粉で、型で起こした餅を作るのが風習、木型で餅おこし.jpgを起こすから、おこしものと言われている。
 餅と言っても米の粉を熱湯でコネ、団子状にして木型に入れて起こして作るもの、それがおこしものと呼ばれるもの、団子に近いものである。
 型で起こして色付けをし、蒸籠で蒸して出来上がるもの、これを作るのには木型が無いと作れないから、木型を買い求めるのだ。
 我が家では古い木型は明治初期のものがあり、歴史を物語っていると言えるが、その種類も多く現在は5、60はあると思う。
 昔の型は大きすぎて、今は使わなくて、私が子供の頃に買い込んだものを使っているが、それでも60年以上は経っている。
 そんな木型で今日もおこしものを作るのだが、今年は何回つくるのか先が思いやられるが、待っている人が居るから頑張るしかない。


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2020年02月11日

暖冬

   今年は変
 毎年の事だが年々暖かくなっていると感じているが、去年から今年にかけて様子が変、気候変動のために日本の気候もくるって来ている様だ。
 寒の入りだと言うのに雪も降らず、3月から4月の気候と言うから、気候がおかしくなっている証拠でもある。本らか中1年で一番寒い時、それがどうだろうか雪が降るどころかホカホカ陽気、桜も狂い咲きしていると言う事だ。
 雪国でも100年に一度の気候変化、スキー場に雪が降らず観光客は訪れず、商売あがったりと気の毒な状況だと言うのだ。
 幾らなんでもスキー場に雪が無ければ滑れないし、暖かくて人工雪も出来ず、この先どうなるのか神のみぞ知ると言う事か。
 私も温泉に入りに長野に行こうと思って、長野の宿に連絡をしたけれど雪が全くなく、お手上げの状態、それでも良ければおいで下さいとの事。
 雪見風呂と洒落込んでみたが、雪が無ければ風情はなく、雪国まで行く事はないので諦め、近くの温泉施設スパー銭湯に行くしかない。

 今年は暖冬と前から言われていたけれども、こんなに暖かいとは思ってもみなかったが、確かに暖かく、3月から4月の陽気だと言う事だ。
 今年は2月の10日になって初めての雪、記録的な遅さと言い、観測以来最も遅い初雪だと言う、その上明日から又暖かくなると予測されているようだ。
 暖冬で経済もおかしくなっている様、冬美のがさっぱり売れないと言うが、確かに寒さを感じる時がなく、季節としては良いかも知れないが、経済の影響を考えると複雑。
 景気が早く上向きにならないと、我々の生活も良くならず、低迷が続くようでは令和になったも心配の種、やはり冬は寒くなければ冬ではなく、四季がハッキリと分かれるようになって欲しいもの、
寒くてこそ冬の季節である。


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雪輪

      名前の語源

 SANY3583.JPG雪輪とは、和服の留袖に付いている紋から来ていると言われるが、一説にはこの紋の形が雪の結晶に図案化したもの、その輪郭が雪の結晶と。
 確かに和服の紋はその家の家紋をつけるもの、色々な雪輪の家紋がデザイン化されており、様々な形があるが外形は殆ど同じもの。
 そもそも雪の結晶は六角形の形をして、紋所にあるような外形とは少し違ったようであるが、呼び方を雪輪と呼ばれて今日に至っている。
 もう一つは和時計に出てくる部品の名前に雪輪があり、和服のもんとは少し違ったもの、初期の和時計の部品は鉄製の物、和時計で云う雪輪とは。
 和時計の雪輪は時を打つための部品、時間が来ると時を知らせるために鐘を打つ、その鐘を幾つ打つのかを決める大事な部品が雪輪と呼ばれている。

 この部品も和服の紋と違って入るが、天然の雪の結晶とも違うものだSANY3585.JPGが、呼び名としては此方のものの方が雪の結晶に似ていると思う。
 何にせよ昔の人は上手くその物を喩えるものだと感心するが、何だか優しい心が現れている様にも思え、機械とはいえ血が通った生き物のようだ。
 写真の雪輪、和時計の後ろの部分に仕組まれているもの、落ちこみ金と言われる部品と結合して、時を打つ金の数を支持するもの、雪輪には刻みが付いている。
 その刻みの大きさにより、4つ、5つ、6っ、7つ、8つ、9つと時を打つ様になっており、この雪輪は半打ちが付いているもの、半打ちとは、今で云う一時間毎の事、昔の一刻は2時間であったから、その中ほどで打つように仕組まれている。
 この雪輪は1日に2回転して時を打つ仕組みに刻まれており、1日に1回転する雪輪もあり、時計師により様々な雪輪が製造されている。
 写真で赤く見える所があるが、それは漆の塗料が残っているもの、本来は錆びないように全体に漆が掛けられていたもの、和時計とは手の込んだ時計でもある。
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2020年02月10日

人間国宝の器

    実用的なもの
 
 人間国宝とは国が定めた優秀な技術を持った人を指す、各部門で優れた技DSCN1404.JPG術を持った人に与えられる称号、つまり重要無形文化財技術保持者である。
 国が認定した人物に与えられる称号、各部門で色々な人が認定され、人間国宝となっているのである。
 もちろん範囲は広く、色々な分野に渡っているから、その中から優れた人材が認定されて、技術を保存している。
 色々な部門の人間国宝が存在しているが、すでに亡くなられた方も多い中、私の好きな人間国宝は加藤唐九郎氏である。
 加藤唐九郎氏は瀬戸市出身の陶芸家、日本を代表する陶芸家であり、現在でも人気の高い人間国宝の一人。
 永仁の壺事件で人間国宝をはく奪されるが、逆にこの事で人気がさらに高まり、陶芸界の野人とまで言われた人。
 荒川豊蔵氏と双璧をなした人物、豊蔵氏の優しい茶碗とは対照的に、野武士の様な勢いを持った茶碗を製作した。

 兎に角この人は破天荒な人物であった人で、数々のエピソードを持った人でもあったのだDSCN1405.JPGが、頑固で職人気質の人であった。
 博学家でもあり、古陶器の研究もプロなみ、若い時より研究に励んだと言われており、瀬戸の伝説的人物、加藤四郎左衛門影正は実在の人物ではないと唱えた人でもある。
 その後守山に移住し、作陶活動を続けて数々の話題作を世に出し、唐九郎の実力をいかんなく発揮し絶大な支持を得る。
 その唐九郎の作品を紹介しようと、FMのラジオ放送「アンティークの魅力」の中で取り上げる事にした。
 ここが私の番組担当、特に瀬戸で開かれる祭りを中心に、その話題でアンティークを紹介している。
 今回のぐい飲みや小箱は親父のコレクション、その他にも加藤卓男、中里無庵、近藤裕三、などのぐい飲みが中心。
 勿論瀬戸の作家に話題は集中、唐九郎氏のぐい飲みは、親父が唐九郎氏から直接貰ったもので、親父は唐九郎氏とは親交があった。
 子供の頃、家で唐九郎氏とあった事も、そんな訳で箱のない唐九郎氏の作品が色々とあり、親父は自慢していた。DSCN1406.JPG
 そのぐい飲みで晩酌している親父の姿を思い出すが、色々なぐい飲みを出しては取り替えてのむ、何でそんな事をするのかと不思議であったが。
 今思うと好きなぐい飲みで酒を呑む喜び、其れが今ではやっと理解できる様に、親父の呑む姿が思い出される。

 それにもう一つが瀬戸出身の加藤土師萌氏、2人目の人間国宝であり、地元でも数々の作品を残している。
 紹介している小物入れもその一つ、実際には何に使うものなのか分からないが、飾り小物であるかも知れないのだが。
 親父はこれを煙草入れに使っていたから、別に誰が造ったものなのか知らなかったが、最近加藤土師萌の作品と分かった。
 身近に使われていたものなので、それ程貴重なものとは思わないが、今は親父の思い出の品として保管してある。
 写真は上のぐい飲みが唐九郎作、三番目の写真が加藤卓男作、その下が中里無庵作で、一番上の写真中央の赤い小物入れが加藤土師萌作である。
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黒猫

      孫が見つけた

 我家の孫、9歳になるが猫が好きで、2歳のこDSCN0144.JPGろ我が家にいた猫に興味を持ち、猫に近ずいて尻尾を掴んだが、猫はビッリクして逃げて姿を消してしまった。
 其れ以来、我家の猫は孫を見ると直ぐに逃げ出す始末、無理もない話し孫のやる事は強烈、猫の尻尾を力任せに引っ張る、当然猫は逃げ回るのだ。
 そんな事はお構いなし、孫は猫が気に入ったらしく、相手が逃げ回るのを面白がって追いかけ、部屋中を駆け回る始末、之では猫はたまったものではない。
 幾ら孫が猫を好きになっても、猫の方は尻尾をひっぱり回されてはたまったものではない、逃げ回るのは当たり前の事、それでも孫は追い掛け回す。
 孫にとっては猫が可愛らしくてたまらず、何処の猫を見ても近寄り尻尾を掴もうとする、家の猫ならまだ知らず他の家の猫では危険、相手は驚いて引っかく事もある。
 まだ孫はそんな猫に運よく出くわしていないが、もしもの事があってはと此方はヒヤヒヤなのだが、当の本人は我かんせずとばかりに猫に御執心だった。
SANY4043.JPG
 私の部屋でまたまた黒猫を見つけ、私のもとに持ってきて「黒猫ちゃん」と差し出したが、何処でこれを見つけたのか、沢山あるブリキ缶、その中から探し出したのか。
 小さな子は何をするかわから無い、このブリキ缶は蓄音機の針がいっぱい入っており、もし開けてバラバラになったら針が刺さる事も、持って来た時はヒヤリとしたものだ。
 猫が好きで、この缶についている黒猫が目に入ったらしく、嬉しそうに持ってきたので、こちらが慌てたが態度に出すとビックリするからと、そのくせ内心は怪我しなくて良かったと思ったもの。
 写真が持って来たブリキ缶、三つも持って来るとは欲深いが、缶に付いている猫を見つけるとは、小さな子の目の付け方がヤッパリ違うと感心するやら、驚くやら、この缶を見るとあの時を思い出す。
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2020年02月09日

呼び方が分からない

    本四つと張四つ
DSCN1459.JPG 古時計の代表格、四つ丸達磨時計、この時計は当初から人気の時計で、現在でも人気の高い時計である。
 日本人に親しまれたこの形の時計、アメリカでは「8の字とかイオニック」と呼ばれている時計、日本では「四つ丸達磨時計」と呼ばれている。
 発売当初からこの時計は人気が高かったようで、八角型の時計と比べて値段も少し高め、しかし当時から人気があったようだ。
 日本人には馴染み易い形であったかも知れないもの、西洋時計の中、色々な形の時計が存在していた。
 当時でも日本人に好まれる時計と、そうでない時計とに分かれており、余りバター臭さのある時計は好まれなかったと言う、日本の家屋に合う、合わないもさることながら、やはり日本人好みの時計はあったようで、現在でも其れは余り変わっていないと思う。
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 現代の日本の家屋は西洋化されているが、それでも日本人に向かない時計は存在しており、奇抜な飾りの時計は好まれない。
 今も昔も日本人の感覚は余り差が無い様で、好まれる形は存在していると思うが、好き好きに変わりのないもの、この達磨時計は日本人にも好まれた形の時計であり、現在もやはり好まれて求める人が多いようである。
 最近は若い女性の間で、姫達磨の古時計が人気となっているが、ヤッパリ達磨型の時計、日本人好みかと思う。
 その達磨時計で、本四つ達磨時計と張四つ達磨時計と何処が違うのかと、そして何故呼び名が違うものなのかと。
 DSCN1461.JPGそんな素朴な質問が寄せられており、改めて四つ丸達磨の人気が再認識されたと思うが、贔屓目なのかも知れない。
 この時計の呼び名は当時のカタログには色々な書き方がされており、各社統一されてはいないと思う。
 同じように見えてしまう本四つ達磨と張四つ達磨、確かに外形は良く似た形をしているが、それは正面から見た場合。
 同じ大小の丸が付いているから、一見すれば同じと勘違いするが、時計の知らない人でも、側面から見るとハッキリと違いが分かる。

 本四つ達磨は側面から見ると、中央にある二つの小さな飾り、この取り付け方が違う事に気が付くと思う。
DSCN1463.JPG 小さな飾りの支柱が後ろまで続いているので、一本の柱のように見えるはず、しかし張四つ達磨は名前の通り、支柱は無く後ろまで続いていない。
 つまり張四つ達磨の中央の小さな丸は、文字通り表から張り付けてあるだけで、支柱も無く後ろまで続いていないものだ。
 簡単に見分けるには、側面から見て支柱が後ろまで続いているものは本四つ達磨、支柱が無く表しか飾りがないものを張四つ達磨と認識できる。
 呼び名とはよく考えられているものと思うが、この時計に限って言えば、名は体を表すとはこの事かと思う。
 本四つと張四つ、呼び名の通りの形をしているもの、側面から見ると明らかな違いが、それが見分けるコツでもある。
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2020年02月08日

この人誰

   見ても分からない
SANY2368.JPG
 瀬戸の雛巡り、ぱじまってから見学者が多く、毎年の事だが遠方より来られる方も多く、盛況のうちにスタートした。
 毎年の事だがスタートして暫くは見学者もそこそこ、後半戦みたいな混雑はないから、好きな人はジックリと見学できる。
 良く見たいけど人が多くてジックリと見えないと嘆く人も、特に後半戦は見学者が多いからそんな事も度々起きる事になる。
 特に享保雛の展示会場は土日は混雑で、それこそ立ち止まらない様にと催促される始末、見学者が多いからだ。
 私としてはジックリと観察して貰い、享保雛を理解して欲しいと思っているのだが、こちらの意図に反して見学できない人も。
 今年は古民家久米邸の蔵で展示しているから、こちらの方にも見学者が、只中に入れないので外からの見学となる、大勢が入ると古い建物なので立ち入りを禁止しているのだ。
 その為にモット近くで見たいと言われる人も多く、対応に追われるがこれも古民家の欠点かも知れない、安全が第一だから。
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 そんな色々な展示会場には時代の雛人形が展示してあり、江戸時代から昭和までの雛人形が3000体展示してある。
 会場はあちらこちらと分散しているから、足で稼いで見学をしてもらい、雰囲気だけでもひな祭りを味わってほしい。
 その会場の中、松本地方の押し絵雛も展示、明治自体のものが中心、その中の雛人形に注目が集まっているものがあり、「この人誰」と質問が多く寄せられる。
 それが「神功皇后の雛」、鎧兜姿の女性、女の人が鎧を着ているのは何故、こんな人居たのかと、今の時代神功皇后と言っても分からない人が多く、説明には時間がかかる始末、やはり時代が違うのか、今の雛人形には存在しない人、年配者でも全く知らない人も多く、その人誰ですかと聞かれてしまう。

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2020年02月07日

新旧

   ランプ
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 最近の若い女性に人気なものがランプ、ランプシェードだというが彼女らは古い物だけではなく新しくとも良いのである。
 一般にアンティークランプだと思ってしまうが、彼女たちは自分の好きなランプを買い求める様で、新しくても良いらしい、目的は自分好みのインテリアとして、その上ムードがあれば新しいランプでも良いと思っているらしいのだ。
 部屋をアンティーク調になれば良いとの事、只雰囲気は古いムードを持っていないとダメ、そこが拘りでもある。
 我々の感覚とは少し違ってはいるが、アンティークムードは大事にしたいと言う事、だからこだわりを持っていると言う事だ。
 ムードがあれば新しい、古いは関係なく、それでいて安く手に入れば一番良い事、それが狙いでもある。
 ではアンティークらしいムードのあるランプとはどんなものなのか、探ってみると見えて来る彼女らの好み、見た目に綺麗で可愛らしいもの。
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 最近ホームセンターでもアンティーク調のランプシェードが展示してあり、数もそこそこあるので、彼女らは良く研究をしているのだ。
 私も最近気が付いたがホームセンターでもアンティーク調の電気器具が販売されているのを目にするが、古いムードだけは持っているようだ。
 ムードさえあれば良いとする人にとっては安価で直ぐに手に入るから便利、思っているランプが見つかれば一番手っ取り早く、手に入るから。
 部屋のムードが一番大事と思っているから、自分好みのものがあれば一番、しかも簡単に手に入れば人気になって当たり前の事。
 しかし古いアンティークランプが安く手に入ればそれに越したことはなく、その為にあちら、こちらを探しているのだと言う。

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2020年02月06日

中国製

   国産は高い
ざる.jpg
 雛の節句まじかで我が家はおこしものを沢山作るが、他の人に言わせるとそんなに多く作ってどうするのかと、もちろん食べるため。
 雛の節句の時期には我が家では4、5回おこしものを作る事になり、その都度知り合いに差し上げているので、全部が全部食べる訳ではない。
 それにしても何でそんなに作るのと、やっぱり驚かれるが、これでも足りない位、これを待っている人が居るからだが、作るのも大変だ、毎年の事だからそんなに苦労はないが、準備にも時間がかかることに、おこしものと言うから、おこす型が必要となるので、家には昔から受け継いでいるおこしものの型も多くあり、それを使い作る事に。
 一回当たり3升、米の粉を3升必要だからお米やさんに買いに行く、この辺りのお米屋さんには常時米の粉が置いてあるから。
 しかし米の粉を買いに行くと「お宅はいったい幾つ作るの」とおどろかれるが、それでもお得意さんだから有難いと、感謝されることも、米粉を買い込んで感謝されるとはおかしな話。
 おこしものは型で起こして、蒸籠で蒸さなければならないが、蒸した後は乾かさなければならない。

 そこで必要となるのが笊、それも大きな笊でなSANY1284.JPGいと用をなさないから、我が家では大きな笊を買い込んでいるが、これが又大変だ。
 昔みたいに大きな笊を収納できる部屋が無いから、仕舞っておくのも苦労するが、もっと苦労するのが大きな笊を買い求める事だ、その上国産の大きな笊は高く数も多少ない、その上数も居るから値段もけっこう高く付く事に、仕方なく中国製のものを使用している。
 中国製のものは余り程度が良くないし、雑で怪我をすることもあるので注意が必要、しかし値段には変え難いから仕方がないと思っている。
 それにしても我が家の実態を知らない人は、何であんなに大きな笊が沢山あるのか不思議に思っている事だろ、使った笊を乾かすために天日干しをするから、屋根に笊が並ぶ姿を見てビックリ。


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2020年02月05日

吊るし雛

SANY3844.JPG   子供のため
 吊るし雛、日本各地で飾られ節句の飾りとしてつくられて来た庶民の雛人形でもあると言われている。
 もともとは厄除けの飾りとしてつくられ、簡単なものが主流、古くは奈良の軒先に吊るされたサルの飾りから来ているとも言うが、定かではない。
 さるは庚申の使い、つまり家に災いが入ってこないように軒先に吊るして厄除けとしたもの、縁起物でもある飾り。
 それが三月の上巳の節句と結び付いたと言われており、あくまでも厄除けであったと言われる。
 何時の頃より雛人形となったのかも不明だが、庶民は雛人形が買えないから、手作りでこの飾りを作って我が子の成長を願ったと言われている。
SANY3845.JPG
 その為、自分の古くなった着物の切れで飾りをつくり、吊るしたもの、様々な形が造られたが、その起源はヤッパリ厄除け、サルの飾りが重要で、一番の厄除けの飾りだが、何時しか所により色々なものがつくられ、地元の習わしとなって行ったようで、全国各地で違った吊るし雛がつくられるようになったと言われている。
 今では町おこしの一環として吊るし雛を飾り観光の目玉としているようだが、本来の目的とは違った形となっている。
 昨今では豪華なちりめんの布で、色々な形をつくり、派手なものになっているが、本来は質素なものであった。
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2020年02月04日

久米邸の蔵

   何時も利用しているSANY1578.JPG
 瀬戸の古民家久米邸、一年中展示会場として利用しているが、蔵の利用は1年に何回もない、勿論特別な展示以外は利用しない。
 もともと久米邸の蔵は展示会場として利用している訳ではなく、私が時計展や雛巡りのもようしものの時だけ利用させて貰っている。
 普段は固く閉ざされており、蔵として使用されているから、当然荷物も入っているが、主に二階が倉庫代わりとなっている。
 2階に上がるには階段ダンスが設置されているから、簡単に出し入れは可能、しかし急こう配には変わりない階段である。
 この蔵明治中期の建物と言い、中は二間仕切られており、入口の扉も2つある建物、リホームされているから外観も綺麗な状態である。
 漆喰の大扉は外されているから、中扉だけで出入りしているもの、この扉も重くて頑丈な造りの扉、開け閉めには少し苦労する事になる。
 2階窓には鉄格子が嵌っているからより安全な造り、用心深い造りで如何にも蔵と言う感じ、中壁は化粧板が張られているから、入った感じは部屋そのもの。
DSCN0874.JPG
 夏は涼しく、冬は寒い、厚い壁で覆われているから、外の気温との差が肌で感じられるのも蔵独特の造りであるからと思う。
 特に雛巡りの準備のため1月中から蔵で準備のため、雛人形の整理をしなければならず、1日中蔵の中で仕事をしているが、やはり寒いのには変わりはない。
 扉を開けて作業すると寒いので扉は占めて作業に入るが、開けている時よりは寒くはないので、作業にはさほど問題はない。
 蔵と言うものは外感温度とさがハッキリと分かり、流石蔵造りは金が掛かっているものだと痛感するが、冬はやはり寒い。
 電機は付くので灯には困らないが、暖房となると少し状況が違い、暖房器具は極力持ち込まない様にしていて、火の用心に心がけてはいる。
 昔の蔵造りは日本の風土に合わせて造られており、その上耐久性も兼ね備えた建物、今造ると相当の資金が必要であろう。
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2020年02月03日

節分祭

      福は内、鬼は外

 1年24節気の1つ立春の前日に行う豆まき、日本は古来からSANY2765.JPG農耕民族であり、農作業を始める基準となる日を定めて、立春から数えて農作業の目安としたことが起源。
 これも中国よりの渡来文化の1つ、一年を24節気に区切り、更に72候と細かく区切り農耕の目安とした暦、日本に渡来した後日本の風土にあった暦に変わったもの。
 そもそも、この節分は季節の節目、節目、節目には古来より邪気が入り込むと言われており、災いを齎す為に厄を払うための行事であり、本来は節目、節目に行っていた。
 奈良時代、宮中では延喜式と呼ばれ、大寒の前日の夜半に牛と童子をかたどった人形を大内裏の各門に立て、立春の先日の夜半に撤去していた行事を指す。

 土牛童子とも呼ばれ、邪気を追い払う為の儀式が行われていたのが起源、室町時代には一般庶民の間でも次第に行われるようになり、邪気を追い払う為に豆をまいて厄払いをした。
 江戸時代に入り、節分の日は家長が夜半「福は内、鬼は外」と掛け声を上げ、豆まきを行い厄払いをして立春を迎えていたのが、現在の豆まきの歴史である。
 形式は少しづつ変わってきたようであるが、立春の前夜に厄をはらう風習として現在に受け継がれてきたもので、各家庭の入り口にヒイラギの木にイワシの頭を刺し、入り口に刺して邪気が入らないようにするもの。
 所によってはこの様なヒイラギではなく、ほかの物であるようだが其々の言い伝えがあり、ものは違っているが厄除けには違いが無く、現在も行われている。

 
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2020年02月02日

恵方巻き

    一本まるかじり

 節分の明日、皆さんはあの巻き寿司を食べるのか、日本全国で昨日は巻き寿司が多く売れるそうな、商業ベースに乗せられてツイツイ買わされる。SANY3950.JPG
 日本の各地でそのような光景が見られると思う、我家もご他聞にもれず巻き寿司を食べるが、こんな風習つい最近まで知らなかったものだが。
 知らず知らずのうちに乗せられて、今では我家でも食べるが、何で恵方巻きなんか、関西地方の風習がここ10年の間に日本全国に広まったもの。
 何故そんなに早く広まったのか、その原因はコンビニ、全国のコンビニで一斉に恵方巻きを販売した為に、一気に広まったと思えるのだが。
 何を隠そう我家でも、此処一二年の事であり、その前は何であんなもの買わなければならないのかと、思っていたものだが、今では買い込んでしまっている。

 それにしても何故一本まるかじりなのか、商業主義もいいところだ、店の店員に聞けば、今日まで巻き寿司は切って売っていたのを、今は全く姿を見せていない。
 全部が一本なりのもの、それも値段が高くなっており、昨日の巻き寿司よりも中身が少ないくせに、値段は1.5倍となっており、其れしか売っていない。
 そんな馬鹿な話はないと思いつつ買い込んだが、これも仕掛人が存在しており、庶民は踊らされているに過ぎず、私もその1人だから仕方がない。
 こんな風習を蔓延るのも、コンビニが日本全国に販売店を持っているために、其処での販売のせいで全国迷惑な話、そんなもの買わなくても良いのに。
 そんなことを云っている自分が買い込んでいる始末だから、人の事は言えないが、それにしても10年で全国に伝わるとは恐ろしいものだ。
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2020年02月01日

記事掲載

   リベンジDSCN2047.JPG
 今日から始まる瀬戸の雛巡り、毎年参加している雛巡りで14年目になり今年は展示を集中させ、大型の展示としているが、その中の雛人形について。
 毎月時計の記事を連載している「小さな蕾」、今年は3月号に時計の記事と共に雛人形のコレクションを載せて貰った。
 本来去年の記載と思っていたが意思疎通が計れなくて、結果は今年の記載となった始末、昨年は記事が間に合わず時計の記事だけでになってしまった。
 その分今年リベンジ、享保雛の記事をやっと載せて貰ったが、本来はもう少し多くの雛人形を載せるつもりで居たが写真が間に合わなかった。
 昨年写真撮りの後、新たな享保雛を手に入れ、この記載には間に合わず、残念な結果となってしまい、又の機会に紹介したいと思っている。
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 今回記載した享保雛は2月1日から瀬戸の古民家久米邸の蔵にて展示、その後、後半戦は2月29日より3月8日まで瀬戸の旧山繁邸での展示となった。
 その享保雛、以前より紹介したいと思っていたが、時間が経ち今回の記載となってしまい、時間がかかってしまった。
 記載されている享保雛は30年前から集めていたものの中から、数点選んで記載して貰ったもの、特に大型の享保雛は程度の良い雛人形と思う。
 この雛人形、偶然にも秋田佐竹藩の雛人形を手に入れる事が出来、これも縁と思い展示して見て貰っている雛人形、大きさもさることながら衣装の豪華さは流石大名雛と感心させられるもの、佐竹藩の財力を感じさせる雛人形であると思う、その他の雛人形も大名家の享保雛、古今雛など古いものだけを記載して貰った。


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