2020年05月11日

案外古いもの

   見た目よりも古い
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 古時計が何時造られたものなのか、古時計愛好家ならずとも知りたいと思う人も多いと聞く、よく言われるのには見た目。
 古時計には時代の流と言うものがあり、流行とも言われているが、それは時代の流れとも一致している。
 時計の製造も時代の流れに敏感に反応していると、今の自動車の形と同じ、時代によりデザインが変化して行く。
 古時計にもそんな時代と一致しているとも、だから色々な時計を見ていると実感して来るが、それが全部であるとは言えない。
 それは私も色々な時計を見て来て実感したもの、形が似ているから同じよう新しい物と思ってしまう事もあった事。
 しかしよく調べて見ると意外な事が分かった来て、新しいものでは無いのではとの疑問が、形こそ昭和のものだと思えても。
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 実際はもっと古い物ではないのかと、そんな時は機械形式から調べて見るのも、機械も当然だが時代によって変化している。
 その為に形こそ新しいものだと見えても、意外と古い時計であったと言う事もあり、やはり先入観だけではダメと言う事。
 以前に私の先輩の人から、「この時計は昭和のものだね、古くはないものだよ」と言われ、私もそのように思っていた。
 ある時、偶然にも同じ時計を見る機会があり、その時計の機械を見て、自分の持っている時計も古い物だと思うように。
 それは見せて貰った時計の機械に刻印が押されており、非常に見にくいが薄っすらと確認でき、家に帰ったから調べてみた。
 以前から持っていたトレードマークのコピー、勿論明治村の学芸員が調べてくれたものだが、その中に今日見た刻印を発見。DSCN1151.JPG

 今まで気が付かなかったが、明治30年代に登録されていたもの、昭和だと思っていた時計が、少なくとも大正時代であると言う事だ。
 今回の古時計もそれに該当するもの、会員の田中コレクションの中から見つけたカレンダー付の時計、一見新しいものに見えるが。
 何気ない普通の頭丸型の掛時計、一般的には昭和の時計に見えるが、文字盤を開けて見ると機械に刻印がある。
 よく見ると林の刻印に見え、「KT」が図案化され菱形に囲まれたマーク、このマークは林時計が明治時代に登録したものだ。
 後で調べて見たら、明治43年に登録されたトレードマーク、少なくともこのマークは大正時代までは使われていた、一見昭和に見えてしまう、カレンダー付掛時計、実は大正時代のものである証拠、外形からだと昭和の時計だ、やはり形だけでは製造時期を誤解してしまう、製造させた時期を間違えしてまう事に、ジックリと見極めなければならないと思う。













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2020年05月10日

クロネコ

SANY1101.JPG   復刻版

 愛知県瀬戸で製造された招き猫、幕末から明治にかけて盛んに製造された磁器製の招き猫、日本全国に配送され人気を博したもの。
 現在でも磁器製の招き猫は人気が高くて市場に出ればすぐに売れてしまい、愛好家が探している人気者の招き猫である。
 この招き猫最近は風水の人気で逆に又復活したかのような人気、古い磁器製の招き猫は引っ張りだこの勢い、愛好家らの人気の的となったしまった。
 勿論各地で磁器製の招き猫も製造されているが、瀬戸の招き猫が人気、それは前垂れと言われる招き猫の首、色とりどりの色をした首に掛けてあるもの、時代によって表現が違うが、古いものは手が込んだ彩色が施されている。
 この彩色方法によって時代測定が出来るのも瀬戸の招き猫の特徴で、やはり古いものほど細かな彩色が施されている。
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 そしてもう一つがヤッパリ顔、招き猫の顔は時代によって変化をしているから、貌を見れば何時頃の時代の招き猫であるか推測が出来る。
 古いい招き猫ほど顔がきつい顔をしており、本物の猫により近い顔をしているが、新しい招き猫は顔も丸くなり優しい顔をしている。
 特に古い招き猫はキツネに近い顔をしているから、次第測定がしやすく、前垂れもシンプルなものが付いている事も特徴の一つ、古くなれば彩色も又シンプルなものが付く。
 下の写真は復刻版の招き猫、黒色の招き猫で人気、古いスタイルになっているが、目がきつくなくやはり現代的な顔をしており、時代が新しい事が分かる。
 しかしこの黒猫、大きさは50センチと大きく、実に重たい造りとなっている。






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2020年05月09日

やっと芽を出した

   肝心な所に
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 我が家の黒竹、新築当時に植えたもの、自分の家を建てる時は竹を絶対に植えたいと、かねがね思っていたのだ。
 展示場で見た黒竹の植えてある家が気に入り、こんな家を建てたいと、その時から思っていたが、いざ自分の家を建てるとなると、あれもこれもで意見が出る。
 勿論予算の方が先であり、欲しくとも中々思い通りにならないのは当たり前、イザとなるとドレから削り落とすのか。
 予算内で完成されなければならないから、それ以上は出来ない制約、そうでなければ絶対に予算オーバーすると言われていたからだ。
 言われていた通り、あれもこれもで結果は予算オーバー、どれを削るものなのかと思案中、意見が分かれて四苦八苦した覚えがある。
 子供たちも自分の意見を入れて欲しいと、そんな事で色々ある中で削り落とす事になったが、黒竹を植える事だけは拘ったのだ。

 しかし、人からは竹は植えない方が良DSCN0738.JPGいと忠告され、植えた後が大変で、何処から生えて来るか分からないし、とんでもない所からも生えると言われた。
 しかし長年の夢でもあった黒竹のある家が、頭から離れないので強く主張し、結局自分の意見の内、一つを削って黒竹を植えた。
 さて何処に植えるのかと、これまた思案の連続、人に言われたように何処からでも生えて来るから場所を決めないといけないのだ。
 あちらこちらと案が出たが、結果は一番狭いところに落ち着いたが、さて植えるとなると後の事を思わないと、その為に境目にブロックを埋める事にした。
 竹は横に伸びるから、入り込めないようにしておかないと、後で後悔する事になると言われ、ブロックを埋めた。
 自分では此れで境目もしっかりしているからと、そんな思いでいたが、あっさりと打ち消されてしまう事になる。

DSCN0742.JPG 家の基礎部分は深さ70センチ以上深く、その為ブロックも三段にして埋めたはず、それが植えてから4年目になんと基礎の横から目を出した。
 あれだけガードしたのにこんな事になるとは、自分では完全と思っていたのに、しかし竹は簡単にガードをかいくぐってしまった。
 竹は1メートルや2メートルは簡単に潜ってしまうとのこと、考えが甘かったと思いつつ、芽を摘み取ることしか対策はない。
 その後セッセと余分な処から生えてくる目を摘み取り、都合の良い場所に生えてきたものだけ伸ばしているが。
 こちらの思いとは関係なく、竹は自由に他の所から生え、欲しい所には生えない事の繰り返し、今年もやっと生えて来たが、こちらの思う所からは出てない。
 植物にこちらの都合で生えるなと言っても無理な話、何処から生えて来るものなのか、見当もつかないのが現実。
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2020年05月08日

円天賦

   見て欲しい
 会員さんから円天賦の和時計を手に入れたので動くDSCN1069.JPGかどうか見て欲しいとの事、彼曰く業者が生で出して来たものだからと言うのだ。
 円天賦の和時計は幕末の製造、明治まじかに成ってから造られてもので、細工的にも手の込んだものが多く、高級機に多いもの。
 早速機械を見る事にしたが程度は良い方、パッと見には部品はそろっているみたい、先ずは支柱を外して歯車の状態を検査、真鍮製の歯車も程度は良く、余り動かしていない様で、歯車の擦れも少なく良い状態だ。
 割り駒式の駒も揃っているようで問題なさそう、割り駒の爪は小さいので良くなくなっているものが多い、造るのも面倒な部品でもある。
 時打ち部分の歯車も支柱を外して全部点検するも問題ない状態、やっぱり製造されてから余り動かしていない、こちらも擦れが殆どない状態。

 しかし問題があるのは円天賦のバネと部品がDSCN1064.JPG足りないと分かったが、この状態では動かないのは間違いない。
 円天賦の部品は何とかなると思うが、バネが心配だと思う、この部品の変えはないから、昔の部品を加工して使うしかないが、見つけることが先決、知り合いの時計屋さんがあるから多分あると思う。
 心配していた歯車の欠損や他の部品も欠損が無かったから、それも鐘もオリジナルのもの、割と良い状態を保っている和時計であると思った。
 只、時計を載せる丁度良い台を探さないと、折角の和時計もそれこそ台無し、気長に台を探すしかないだろう。これだけ程度の良い時計も珍しいものだ。
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2020年05月07日

   一番人気

 ふくろう時計、古時計愛好家の中で人気の高い時計の一つ、あるSANY0293.JPG人は一番人気だと言うが、確かに人気なのは分かる。
 あの惚けた顔が何とも良い、特に子持ちフクロウはその特徴の一つ、お惚け顔と子供たちの可愛らしさ、それかまた人気の秘密でもあるようだ。
 最近のネットでも良く出品されているが、人気の子持ちはやはり少なく、出れば競争率は高くなり、欲しい人たちで群がる事になる。
 数少ない時計だから人気になるのも良いが、余り競争しても良くない、もう少し冷静に競争した方が安く買えるのではないか。
 私も持っていたが何故かしら手放し、また欲しいと思うようになったが、子持ちにはそんなムードがあるらしく、取り戻したいと思っている。
 然しそれだけがフクロウ時計では無いから、色々に会社から多様な梟時計が製造され世に出ているから、何が何でも子持ちフクロウではない。

 そんなフクロウ時計、その顔も独特なもので、製造会社によSANY2480.JPGって同じフクロウでも顔が違う、それかまた愛好家に支持される所以なのか。
 大きな型のフクロウや小型のフクロウもあり、小型は小型で面白いと思う、只惚けた鳴き声は小型にはないから、只目が左右に動くだけの事だが、それでも愛好家は求めようとする。
 自分でもそうだから、他の人ならもっとその様に手に入れたいと、そんな気持ちになっても無理はなく、一台や二台はあっても良いと、そんな風に思うが。
 只フクロウと呼ばれてはいるが、専門家に言わせればフクロウではなく、ミミズクだと言うのだが、ミミズクもフクロウである。
 そんな細かい事は気にしなくて、可愛いものは可愛く、面白いものは面白く、その様に感じただけでこの時計の持っている力かも知れない。
 それにしても色々な顔をしたフクロウ時計が存在しているもの、どれが好みかは本人次第、好き好きにで良いと思う。
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2020年05月06日

何だか同じ

   毎日だから
 コロナがまだまだ終息しない中ブログを毎日更新、以前に書いた事も忘れて同じ事を取り上げDSCN0751.JPGる事もあるが、それは当然の成り行きだと思う。
 時期が同じ時に思い付く事は同じ、前に書いたものをまた書く、それもまた仕方がないと思っている。
 今日の書いていて、去年書いたような気がしたが、それはそれ毎年同じ文章ではないから、その時の雰囲気が違うはず、だからそれで良いと。
 自分なりに解釈をして書く事に、今年もまたモッコウバラが張り出して来たので、例によって切ろうとすると待ったかが掛かった。
 妻が待ったをかけたのだが、折角ここまで成長したのだから、あと少しだけ切るのを止めて貰いたいと言うのだが、車が入らない。
 確か去年も同じ時期に同じ事をやったと思うが、やっぱり今年も同じ、何で毎年分かっている事をやるのか、それも同じ時期に。
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 結局素人は同じ時期になれば同じ事しか表現できないのだと思う、作家さんでもないのに別の表現を思いつかないので、やっぱり同じ事しか書けないのだ。
 昨年の11月頃に剪定して、大きくならないようにしたつもりがこの始末、切れば切るほど元気よく伸びてしまう。
 どの様に剪定したらこじんまりとされられるものなのか、ホームセンターで聞いが同じ事しか言われなかった。
 それにしてもモッコウバラは元気が良い植物、あれだけ刈り込んでも又前と同じようになり、刈り込めば刈り込むほど伸びるものなのか。
 確かに花も良くさき、最盛期には美しいとは思うが、花はバラバラと散り辺りかまわず飛び散るから始末が悪いが、綺麗に咲く事は褒めてやらねば。
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2020年05月05日

端午の節句

   時代によりSANY1237.JPG
 端午の節句は男の子の祭り、子供の成長を願て行われる行事、もともとは中国渡来の文化、古く宮中に渡来した行事、それが武家に伝わり当初のものとは別物となり発達する。
 武士が台頭してから、次第に端午の節句は厄払いの儀式を経て、武家の儀式と発展し、武者飾りを飾り、形式化して行く。
 江戸時代に入り世の中が安定するに従い、武家の端午の節句が鎧や旗差しものなどで飾り、武運長久を願ったと言われている。
 それが何時しか子供の成長を願ったものとなり、さらに武者飾りが発達し、人形えと変化して行くが、庶民もそんな武家の仕来りを真似、武者飾りはないので旗差しものの代わりに鯉のぼりを立て、旗差しもののかわりとした。
 これが鯉幟の始まり、鯉は縁起の良い生き物、中国古来の故事には鯉が滝を登り龍になったとの伝説から、鯉が掲げられるようになった。
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 我が家の武者飾り、古いものは親父の5月飾り、明治時代の古いもので我が家の家紋入り、造りは昔ながらの和紙で造られ、その上から漆を掛けて仕上げてある。
 昔の飾りとしては大きくて、70センチの高さがあり、堂々とした雰囲気を持っているもの、もう一つは友人が貰ったくれと言って持って来たもの、実際の鎧兜を小型化したもので、鉄板で造られており、作法通りに造られた鎧兜である。
 本物の小型であるので重さも10キロを越している。
ずっしりとした重さの鎧兜、これを出す時には本物の鎧兜はさぞかし重いだろうと、そんな感覚で飾りを完成させている。
 時代が変わればその飾り物も変わる、現代では流行があり、毎年別のものが売り出されていると言う、武者飾りも変わったものだとつくづく思う。

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2020年05月04日

何かの縁

   縁とは不思議
 縁(えにし)とは不思議なものSANY1357.JPGであると知ってはいるが、古時計を集め出してからつくづくと縁と言うものが分かったような気がする。
 古いものを集めていると不思議な事が起こるもので、偶然に良いものが手に入る事があるが、これこそ縁のなせる業とも言えよう。
 以前にも荒川豊蔵氏の言葉を紹介したことがあるが、縁については色々と言われていて、私は荒川豊蔵氏の言葉が一番合っていると思っている。
 豊蔵氏曰く「人も物も縁が無ければ手に入らない、縁が無ければ追いかけても向こうから去って行く」と言われた、まさにその通りであると感じている。
 今までの経験で豊蔵氏言われた通り、追いかけても、追いかけても、縁のないものは逃げて行く、そんな事を実体験で味わっているのだ。
 欲しくて、欲しくて、どうしても手に入れたいと思っている古時計も、追いかけても、何度追いかけても未だに手に入っていない。
 多分これからもあの古時計は追いかけても逃げて行くに違いが無いと思っているが、それでも追いかけてみたいと、縁が無いのだろうか。

 そんな縁、現在私が連載している「小さな蕾」、こSANY1363.JPGれも縁の一つの例かも知れないと思っているのは、現実の出来事だ。
 若い頃より小さな蕾は興味があり、特に古時計に関しての記事が載っている本は積極的に買い込んでいたので、今も手元にあるのだ。
 昭和52年の10月号、その本には和時計が紹介されているもの、その記事を何度も読み返えして和時計の事を研究していた。
 そんな小さな蕾に自分が今古時計の記事を書いているとは信じがたいもの、縁とは不思議なものでまさか自分がその本に古時計の記事を書くとは、思いもよらなかった。
 一度はお断りをしたが、再度の勧めで記事を書く事に、それから足掛け6年になると思うが、まだ現在でも自分が記事を書いてる、やっぱり縁とは不思議な事だと思う。

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2020年05月03日

こいのぼり

   天高くDSCN1176.JPG
 鯉のぼり、男の子の成長を願い鯉のぼりを掲げて祝ったもの、もともとは中国古来の伝説にもとずくもので、登龍門と呼ばれる滝を上った鯉は龍に変身すると言う故事、鯉の出世を逸話としたものが日本に伝わり、江戸時代には鯉幟が出来上がる。
 色々な説があるが登竜門にまつわる故事を現実化したものと言われ、鯉は生命力の強い魚、何処でも育つと言われ、その生命力にあやかった逸話とも言う。
 この故事が日本に伝わり、特に武家社会に受け入れられ、武運長久を願う一つの題材とも言われ、出世と結び付け男の子の成長を願うものに変化して行く事になった。
 写真は和紙で製造された明治期の鯉幟、その大きさは5メートルもあり巨大り鯉幟、良く見ると現代の鯉幟と少し違い腹のあたりが太く、程度は良く色褪せもないもので当時が偲ばれるものだ。

 江戸時代に将軍家が自家の繁栄を願って端午の節句を祝った事でそれが大名家DSCN1178.JPGにと伝わり、全国的な広がりとなったという、この日は全国の大名を江戸城に集め、将軍家の権威を見せつけたとも言われている。
 そんな端午の節句を裕福な商人の間にうつり、彼らが武家を真似て端午の節句を祝うようになったが、当然の事鎧兜はなく、旗指物もない、そこで生まれたのが鯉幟だという、諸説あるがこれが現実的だとされている。
 はじめは小さく紙製のものであったというが、次第と大きくなり、室内から家外へと掲げる場所が変化して行く事になる。
 家外の鯉幟は布製へと変わり、それも当初は一匹だけであったと言われるが、次第に数が増え現在のような形式になった言ったと言う事だ、今では鯉幟を上げる場所もなくなり、五月の空も寂しくなってしまった様である。

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2020年05月02日

茄子とトマト

SANY1963.JPG   今年も植えた
 我が家の小さな菜園、庭の片隅に芝生を取り除き狭い所に畑を作り、其処に苗を植えてから早9年になり、はじめはホームセンターの人に勧められてツイツイ苗を買い込んで、何処に植えようか迷ったが、結果はプランターではなく地植えをすることに決めた。
 然し植える所に迷いに迷い、結果は芝生を取り除く事になり、芝生を剥ぐことになったがこれが大変な作業になるとは思ってもみなかった。
 植える所を選定し芝生を取り除き出したが、思っていたよりも難しく、その上根が入り込んで簡単に取り出せないのだ、はじめはこの作業は簡単だから時間もかからないと思っていたのがおお間違え、芝生がなかなか取れない。
 小さな小手で芝生を取ろうと思ったが取れず、仕方がないのでスコップで取り直ししたが、思う様には行かず中々取れないので四苦八苦するの進まないのだ。SANY1967.JPG

 そんな事で芝生を取り除くのに1日がかりとなり、その日の作業は芝生を取り除くだけの事で終わり。
 簡単な作業と思っていたのが間違いで、芝生がこんなに手こずるとは思いもよらなかったが、敵は強敵であったのだ。
 腰は痛くなるわ、手は豆が出来るわで散々な目になって、農作業とは大変な事だと初めて知らされ、作物の有難さが初めて分かったような気がした1日であった。
 次の日何とかトマトと茄子の苗を植えたが、それから9年今日も同じに茄子とトマトを植え、収穫を楽しみにしているが、勿論毎年プランタンと植えるところを変えている。
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2020年05月01日

陶器の器

   置時計
 置時計には色々な種類のものが存在しており、千差SANY0109.JPG万別兎に角種類が多く、蒐集するにしても焦点を絞らないといけない。
 欲しいものを手当たり次第に集める事も出来るが、後で整理するのに大変な事になるから、始めが肝心であると思うが、中々上手くは行かないものだ。
 欲しいと言う気持ちが先行するから、それを抑制するのは中か難しく、今逃してしまったら何時出会うか分からないと思う心が出てしまう事になる。
 結局買い込んだ後でしまったと思っても後の祭り、よくある事はその後も何度か同じ時計に出くわし、何で急いで買い込んだのかと後悔する。
 それが値段も後からの方が安くて良い品だったりすると、それこそ失敗したと後悔の念に駆られ、ガッカリする事にもなりかねない。
 実際に自分がその経験があるから、尚更の事慎重に行動しないと、しかしこれが難しいものでこれを逃したら何時出会うのかと心の底で囁くものが居る。
 SANY0122.JPG
 そんな訳でこの時計も出くわした時に直ぐに直観、これしかないとの思いで買い込み、値段よりも今しかないとの思いから、結果は後悔するだけ、この時計とほとんど同じものが自分で買った値段の半額で出ていたからだ、これには何とも言えない後悔の念が、またやってしまったと。
 大体、置時計は数が多くて的が絞り難く、ましてや自分が見た事もない時計だと尚更、ツイツイ手が出るもので買い込んでしまう羽目になる。
 この時計も出会った時には店主がこれは程度が良く、陶器にしてはけがもなく良い状態で買い得ですと、その話に乗ってしまったのが運の尽き、その後で同じものに出会って、置時計とは数があるのだとその時思った事である。
 人間自分の欲望に打ち勝つように精神を鍛えなければ、失敗を繰り返すと肝に命じていたが、その後も同じ事をまたやってしまった。

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